川合典子 ブログ

英語教育、英語学習、発音習得、帰国子女の言語習得について書いています。

川合式英語学習法(併記:大阪府箕面市教育委員会による児童虐待:撮影コニカミノルタ (大阪府箕面市は個人情報保護法で禁止されている行政が持つ個人情報まで入手できるよう条例を変えている)

東京書籍のかかわりについては黄緑色の部分に書いてあります。
「川合式英語学習法(中学でこういう発音を身に着け、高校で英語の語順で理解し、大学で大量の読書を行い英語で考えるようにする英語教育の方法)」は最後に青字で書いてあります。大阪府箕面市教育委員会による児童虐待は桃色の文字の部分GIGAスクール構想失敗」は水色の部分。 この画像はひどい。とても教育の分野で使う資料とは思えません。(このトップの画像のリンクだけ切られていました。直しましたけど、政府もひどい画像だと分かったのでしょう4/5/2023)子供は物ではありません。朝の出欠確認は子供の「在庫管理」ではありません。子供の「健康観察」の時間です。生徒のその日の状態を教師が把握する大事な時間です。もし出欠確認もできないほど教師が足りないのなら、文部科学省はまず、それを解決するのが最も重要な課題でしょう。それもしないで、コニカミノルタにビデオを撮らせて学校に来ているかいないか確認するなど、子供の出欠確認は在庫管理ではありませんよ。大阪府箕面市教育委員会文科省小さいときから生徒を勝手にビデオカメラで撮影して「出欠確認のため」と、とんでもない理由をつける。ビデオで生徒が何分前を向いているか解析して「発話を促す授業か判断する」 これが教育者のいう事ですか。 これを研究授業と称して子供を撮影し、その実、授業改善のアドバイスはだれからも一言もない。 何が研究授業なんですか。子供をビデオカメラで撮影するために考えた嘘の理由でしょう。教育者だったら、授業内容の改善のために前を向いている時間をビデオカメラで撮影して測るなどという事は考えもしませんよ。対面で教えている生徒が集中して授業に参加しているかどうかもわからない教師がどこにいますか。生徒の目を見て教えているんでしょう? わからないはずないでしょう。 これは「児童虐待」です。大人が会社で勝手に体を撮影されたら、誰だって抗議します。大人にやってはいけないことを子供だったらやっていいんですか。文科省大阪府箕面市教育委員会は嘘の理由を掲げて国民の映像をだまし取る。文科省大阪府箕面市教育委員会は学校で子供の映像を収集して本当は何をしようとしているのですか。ビデオ撮影しなければ対面で教えている生徒が自分の授業に集中しているかどうかもわからない教師などいませんよ。 仮にいたとしたら、そんな教師は何をやったって良い教師にはなれません。 嘘の理由で国民を騙すにもほどがあります。 これは子供の尊厳を奪う児童虐待です。国民を騙すのもいい加減にしてください。国民の体の映像まで国民を騙して学校で撮影して政府は何をしようとしているんですか。文科省箕面市教育委員会は「全生徒の個人情報騙し取り」もやめて下さい。政府は「立派な目標を掲げて国家が個人情報を国民の同意なく強制的に入力できる方法」ばかり考えている。文科省もデジタル庁もその「立派な目標」は「個人情報強制入力」では全く達成できない事なのに。大阪府箕面市条例まで変えて個人情報保護法が禁止している行政が持つ個人情報まで同意なく取っている。将来政府が個人情報保護法を無視できる下地を今から作っているのですか。ベテランの先生が「問題行動を起こした子供のケース会議でも「みまもり判定」が話題になったことはない」と言っているのに何の為に全生徒の個人情報を個人情報保護法で禁止されている情報まで同意なく強制的に取っているのですか。その個人情報に「どういう変化があった時」生徒の為に「誰がどういう行動をするのか」きちんと手順が決まっているのですか。それがなくて、ただ個人情報を入力しているだけですか。過去にその手順が子供の見守りに機能した例があるのですか。個人情報を入力するより担任の先生が注意して子供を見守る方がずっと実効性があるのではないですか。全生徒の個人情報を強制的に入力するくらい子供の見守りが大事なら、なぜ子供の一番近くで見守りをする教師の数を増やさないのですか? 政府は何度不適切だと指摘されても、国民の個人情報を同意なく強制的に取ることに異常に執着している。「将来起こるかもしれないことに対する子供の見守りの為」といって、今後全国の子供の個人情報を国家が同意なく強制入力することを目指しているのですか。「全国の子供の個人情報を強制的に取る」ということは、それを何年も続けていけば、子供は大人になるわけですから「全国民の個人情報を同意なく強制的に取る」ということです。 そこまで政府が全国民の個人情報強制入力に執着する理由(目的)は何ですか。生徒のために教師を増やすことにはびた一文予算を使わないのですから、目的は生徒の為ではないですね。この画像はひどいです。とても教育の分野で使う資料とは思えません。

          文部科学省

       日本版「1984年」計画は

        すでに始まっている。


1984年」とはなにか: 「1984年」とはイギリスの作家ジョージ・オーウェルの小説「Nineteen Eighty-Four」のこと。 全体主義の国家で行動も思想も国家に監視、統制されて生きる人間の悲劇を描いている。 例えば市民の各家には当局と双方向で映像や音声が送られる大きなスクリーンが設置され、ほぼすべての行動を当局に監視されている。


私は英語教師で、英語教育が本業です。 子供達を守る為、致し方なくこのようなことも書いております。  特に発音は中学時代、学校の勉強の一環として自分で発音を学んだ日本でただ一人の英語教師です。(私の発音はこちら)  また、自分の子供達がゼロからバイリンガルになる過程を小学校、中学校、高校、すべての段階で、宿題を一緒にやりながら観察した日本でただ一人の英語教師です。 私は、「日本人が世界で通じる発音ですらすら話せるようになる教育法」を知っています。「中学・高校・大学でどういう英語教育をすればよいか」知っています。(この川合式英語学習法のブログに書いてあります)  それを何年も皆さんにお伝えしていますが、日本の子供達が学校教育だけで、自分の言いたいことをネイティブ発音ですらすら話せるようになると業者(英語学校)が儲かりません。  業者の利益を守り、献金もらうことが目的の下村博文によって私のいうことは徹底的に妨害されています。 ブログのアクセス数を(1)にされるほど妨害されています。 子供達に教科書の音声が入ったCDさえ配ってもらえません。  このブログに書いてある「川合式英語学習法」もぜひ合わせてお読みください。 以前読んでくださった方も、お読みください。 大学生で行う大量の英文読書のところに新たに書き加えました。  今までは読書をする様々な年齢層の方々を想定して、なるべく読書を続けて頂くことを目指して書いていました。  けれども大学生の方々に限っては就職活動をする前に、大量の読書の効果を身につけたいでしょう。  それで、なるべく短い時間でその成果を身に着けていただくために、私がアメリカでしたのと同じ方法を書きました。  「一日5時間から7時間の英文読書を一か月」というのはちょっときついかもしれませんが、留学をすれば、一日英語漬けになります。  それと同じで、疑似留学体験だと思って、頑張ってみてください。 私が大学生のころ、夏休みに一か月くらい合宿して運転免許を取る、という生協のブログラムがあって、それに参加して運転免許を取った友人もいました。 運転免許取得の合宿に一か月費やすように、英語の疑似留学体験に一か月費やしてみてください。

それでは今日の本題「文部科学省の日本版「1984年」計画はすでに始まっている」にはいります。

私はテレビ朝日で放送されている「科捜研の女」というテレビドラマを時々見ていました。沢口靖子さん主演の「京都府科学捜査研究所」の研究員の物語です。  放送は終わりましたけれど、再放送は今でもされています。  犯罪捜査の方法もそのドラマの中で見ました。  防犯カメラに映った映像に「顔認証」を使って犯人を特定したり、犯人がフードをかぶって顔が見えないときは「歩容認証」 (姿や歩き方で同一人物かどうかをコンピュータで解析)で犯人を特定する方法を見ました。 歩行の際の姿勢及び両腕の動作、歩幅その他の歩行の態様は個人情報保護法では、「個人識別符号」と定義されていることを個人情報保護委員会ガイドラインで読みました。


5月6日知人からこちらの新聞記事が送られてきました。 (「赤旗」の5月5日の記事「教室見つめる5台のカメラ」です。)  そこには大阪府箕面市の小学校で5台のカメラを設置した教室で授業を受ける子供達の写真や生徒の出欠確認に顔認証が検討され見送られ、今度は、授業中の子供達の行動解析で出欠確認ができるとコニカミノルタが提案していることなどが書かれていました。 読んだ瞬間、私は胸がドキドキして、呼吸が苦しくなり、頭が真っ白になって、何も冷静に考えられなくなりました。 恐ろしいと思いました。

学校の教室で、5台のカメラで子供達の体を撮影するという、収容所まがいの行為や、「顔認証」とか「歩容認証」のように生徒の行動解析から、個人を特定して出欠を確認するという犯罪捜査まがいの手法が提案されていることに驚愕と恐怖を感じました。

私の驚きはその日一日続き、頭は真っ白なまま何も考えられませんでした。 学校で文部科学省の実証事業と称して収容所まがいのことが行われ、犯罪捜査まがいの手法がつかわれていることに抑えきれない恐ろしさを感じました。 翌日、まだ頭が真っ白で何も考えられないまま、記事を送ってくださった方にお電話してそのことを話すと、「ごめんなさいね。 変なものを送ってしまって。」とその方も私の動揺に驚いていらしたようでした。  とても冷静でいられませんでした。

出欠確認は私が教師をしていたころは「朝の健康観察の時間」と定義されていました。 文字通り、教師はこの時間出欠を取りながら、各生徒の健康を観察します。毎日見ている生徒ですから、元気がなかったり、気分があまりすぐれないようだということはすぐわかります。  多分今も出欠確認の時間は「朝の健康観察」の時間ではないですか。  この前NHKニュースで見た遠隔で朝の会を行っていた小学校の先生は「みんな元気かな?」といって画面に映る子供達一人一人をよく見ていらっしゃいました。

ベテランの教師が多数退職してしまうから、若い教師の実力をつけることが目的だと大阪府箕面市教育委員会は言っているそうです。  でも、子供や先生の授業中の発話時間を測るなら音声のみの録音でも十分です。  前を向いているからといって発話を引き出しているかどうかはわかりません。 心の中までカメラは撮れないでしょう。 (私だって、授業中前を向いていても違うことを考えていたときはありました) それらをカメラの映像から解析することはわかりましたが、それでは授業の内容については誰が評価するのですか。 授業後の先生への授業改善のアドバイスは誰がするのですか。  どちらも機械は出来ないからしないのですか。 書いてありません。 ベテランの大量退職を控えているなら、まだそのベテランの先生方はいらっしゃるわけでしょう。  市を挙げて、若い教師の実力をつけることに取り組んでいるなら、なぜそういうベテランの先生方に後進の指導に力を貸してもらわないのですか。 カメラはいれてもそういうことは一切していない。  私からしたら、授業の内容についての評価もない、授業改善のアドバイスもない研究授業などありえません。  これは、若い先生の実力をつけることが目的ではない。  教室にカメラを入れることが目的だと、すぐわかりました。  だから読んでいて怖かった。 頭が真っ白になるほど恐ろしかった。 

教師は、経験を積んでくれば、クラス全体が授業に集中しているかどうかをつかむことはできます。  40人の生徒が一人一人集中しているかどうかなど、カメラでいちいちチェックする必要はありません。  アメリカのハイスクールの先生は一時間目が7時30分に始まるので、一時間目は生徒は半分眠っているから大事なことは一時間目にはいわないようにしている、とおっしゃったそうです。息子から聞きました。(中学が8時すぎに始まりますので、兄弟がいれば、保護者はハイスクール、ミドルスクールと車で送っていかなければならないので、こういう始業時間になっています) 先生方は子供を見れば、集中しているかどうかはわかります。  むしろ若いうちから、それを自分でつかもうとせず、機械の「生徒が何分前を向いているか」という解析に頼ってきた先生はそういうことも自分の体でつかめない教師になるのではないですか。(「生徒が何分前を向いているかを機械で解析する」本当にそんなことでよい教育ができると大阪府箕面市教育委員会は思っているのですか。大阪府箕面市教育委員会はもう少し真面目に「教育について」「授業について」勉強してください。何も知らない生徒の体を小さいときから勝手に撮影させて人間としての尊厳を失わせてしまう教育委員会があるなど、信じられないです。)  

私が教師をしていたとき市内陸上競技大会があった翌日、先生方は「今日は生徒が静かだ、昨日一日陸上競技をして疲れてしまって、誰もしゃべらない」といっていました。 教師は教室での生徒が勉強に集中しているかどうかはわかります。  何も個々の生徒一人一人が前を向いているかどうかなど、5台ものビデオカメラで撮る必要はありません。  

文部科学省は本当は何の目的でこんな「実証事業」を行っているのですか。 若い教師の実力をつけるためではないですね。 私が思う本当の理由はこの後書きます。  教育現場において教師の不足は機械では補えない、と私は言っています。  教師が足りないのならどうして教師を増やす努力をしないのですか。  ビデオカメラを何台置こうと教師の不足をデジタル機器で補うことはできません。 どうして教師を増やす努力にお金を使わないのですか。  こんなに教師が不足しているとみんなが問題にしているのに、そのことを正面から解決しないで、デジタル機器にお金をつぎ込んでいるのは、デジタル機器を教育現場に入れて子供を撮影することに教育以外の目的があるからではないですか。

コニカミノルタの社長は大幸利充氏 という方ですね。
私は大幸氏にお聞きしたいことがあります。
コニカミノルタ文部科学省に頼まれれば、つまり政治権力(注1)に頼まれれば、子供の人権も考えず「授業中の行動解析から個人を特定する」という犯罪捜査まがいのことまで学校に提案するのですか。 新聞には「市教委は当初、カメラの顔認識システムを出欠確認に使おうとしたものの、(中略)個人情報保護の観点から見送った。。。代わりにコニカミノルタが提案したのが授業中の行動解析でした。本誌の取材に同社は技術的にはカメラでの出欠確認は可能だと回答しました。」 と書いてありました。  授業中の行動解析」によって個人を特定するなら、それは子供の身体の特徴や動作で個人を特定する方法を使うのではないですか。 顔認証が個人情報保護の観点から見送られたのなら、授業中の行動解析で個人を特定して出欠確認をする方法も可能であっても見送るべきではないですか。

(注1)政治権力:社会集団内で特に政治的機能を担い、その意思決定に他者を制裁を伴って従わせることができる排他的な正当性を認められた権力。 普通、政治的権威、暴力装置、決定と伝達の機関を持つ。 そのもっとも組織化されたものは国家権力である。 政権。(広辞苑より)

コニカミノルタは犯罪捜査に協力を依頼されたわけではありません。 撮影現場は学校の教室で撮影されるのは年端もいかない小学生です。
コニカミノルタは学校で生徒を撮影するに当たって行動規範や倫理規定を社内できちんと定めて社員に周知徹底しているのですか。  大幸社長は子供の人権についてどうお考えですか。

新聞には個人情報の動向に詳しい内田聖子さんのコメントが載っていました。
「欧米では個人の行動を把握することは民主主義とは相いれないという考え方が根付いている。 カメラに自分の行動をとられることは本来正常な状態ではない。子供達が撮られる状態に慣れること自体が問題ではないか」
まさに、この点から、私はビデオカメラの導入は若い教師の実力をつけさせるためではない、と思いました。

第二回の連載では大阪府箕面市で2017年から始まった「子供成長見守りシステム」のことが書いてありました。 困窮世帯のデータを入力し、貧困の連鎖を断ち切るというプロジェクトのことが書いてありました。 入力されるのは生活保護や児童手当、非課税階層といった経済情報のほか虐待相談システムなどに基づく養育情報が使われるそうです。  個人情報保護法は行政が持つ個人情報(生活保護など)の目的外利用を原則禁じていますが、大阪府箕面市は15年に条例を変え、市の個人情報保護制度審議会が認めた情報は本人同意なしで目的外利用できるようにしたそうです。 東京書籍との見守りシステムもこの条例改定を根拠にしているそうです。  困窮世帯の救済の為に困窮世帯の情報をコンピュータに入力するといえば、反対しづらいでしょう。  さらに12年から実施している「ステップアップ調査」の結果も加わったそうです。公立小学校のすべての子供を対象に学力、体力、生活状況を入力し、経年変化を調べているそうです。つまり毎年継続して個人情報を取っている。 目的は「将来、学力低下貧困状態に陥る可能性の高い子供を見守り対象に加えるためだといっているそうです」   つまり困窮世帯だけでなくすべての子供の情報をコンピュータに入力し始めた、ということです。 

この実証事業の結果が効果を上げたと判断されれば、全国の子供の情報がコンピュータに入力されることになるでしょう。 大阪府箕面市では教育委員会の担当部署が情報を管理しているそうですが、やがて文部科学省、政府がすべての子供の情報を保護者の同意なしに握ることが可能になります。 調査と見守りシステムはどちらも教科書会社大手・東京書籍との提携事業だそうです。  私は新井紀子氏が、学校を騙すテストを作った時の協力会社をよく覚えています。 2016年7月26日の国立情報学研究所所長喜連川優氏のニュースリリースを見るとそれには学校法人高宮学園代々木ゼミナール、株式会社ベネッセコーポレーション、東京書籍株式会社、日本電信電話株式会社、富士通株式会社、上記の企業団体に加えて株式会社野村総合研究所、未来創発センターが協賛します。と書かれていました。  「また東京書籍なんだ」と思いました。(新井氏は「子供を罠にかけるテスト問題」を「読解力を科学的に測るテスト」と学校を騙して自分が作ったテストを売っています。彼女が作ったアミラーゼの問題を見ると、新井氏は「書いてある文字や言葉をベタに取り込んで機械処理するロボット」と思考力を働かせて「何が重要か」を考えながら読んでいく人間の脳の違いを忘れてしまったのか、と思いました。人間とロボットの違いを忘れた人に教育は出来ません。 教育が育てるのはロボットにはない、人間の「思考力」だからです。   参考までに彼女の本「AI vs 教科書が読めない子どもたち」の92ページに書いてある東ロボの読解問題の解き方を引用しておきます。 「傍線のついている部分とその前の段落の文を取ってきて「『あ』という文字が何回、『山』という文字が何回」と同じ文字の数を数えて、選択肢のほうも同様に数えて、一番重複が多い選択肢を選ぶという方法を採用したのです。 文の意味どころか、単語の意味も調べません。無謀と思われるかもしれませんが、この方法で論説文の傍線問題は早々に正答率五割に達しました。」 以上引用。 これでロボットを東大に合格させて何か子供の読解指導に役立つ意味がありますか。 2016年8月21日の東京新聞で新井氏は「(子供たちは)内容や意味を理解すれば正解にたどり着くはずだが、それができず、AIと似た誤答を選んでいるように見える」とコメントして、新聞には「AIロボと似た誤答 研究チーム謎解きへ」となっています。 冗談じゃないです。人間はロボットと違って文字の数を数えるのも大変です。 そんなことやってるわけないでしょう。子供たちが間違えたのは新井氏が間違えるように問題を作ったからです。 子供達は新井氏の罠にはまっただけです。 人間がアミラーゼについて書いた文を読んだら、アミラーゼに関する情報をつかむのが大事だと思考力を働かせて読んでいくのです。 そこでセルロースとデンプンの形を聞くんですから、間違える子が出るに決まっているでしょう。 思考力を働かせて読んでいる子供達にフェイントをかけているのは新井さんの方でしょう。  人間は何が重要なのかも考えずに字数で処理するロボットとは頭の中身が違うんです。新井さんにはロボットと人間の脳の違いもわかりませんか。「何が重要かを考えながら文を読む」これこそが人間の脳にしかできないことなのです。 新井さんの作ったこの問題は「何が重要かを判断して文を読む」人間にしかない思考力を否定するものです。  私は新井氏のことを知るもっともっと前から、「AIに負けない子どもを育てる」などという言葉を聞くと非常に違和感を感じていました。 AIというのは電源を入れると数量的な処理をする機械のことですよね。  機械は「思考」もしないし、「感動」もしないし、「問題意識」を持つこともない。 機械はただの電気で動く「物」です。人間の持っている可能性は機械とは比べ物にならない。機械と人間は全く違うものです。  毎日「生きている人間(子供たち)」を見ている教育者は「電気で動く機械に負けない人間(子供)を育てる」なんて考えもしません。 教育とはその子(人間)が内に持っている力を引き出して、育てること。今も昔もそれは変わらない。 人間が内に持っているものを引き出そうと毎日努力している教育者は機械のすることなんか考えない。  なんで機械とは全然違う人間(子供達)を同じところに置いて比べるの?と思います。私には「AIに負けない子供を育てる」は「銀行ATM(機械)に負けない子供を育てる」くらい違和感があります。 そんなちゃちなこと見て教育なんかしていない。 教育原理の伊勢田先生も教育心理の仁科先生も「教育とは人間を育てること」それを一番最初に私の心に植え付けてくれました。 新井さんは人間の子供達と電源入れれば動く機械なんかをよく比べる気になりますね。)    彼女のツイッターのページにある「どんな文章でも頑健に読み解く汎用的読解力を診断するテストです」(このアミラーゼの問題がですか???)と言う宣伝文は明らかに嘘です。 150字の問題文を読むテストで「文学的文章を理解する読解力」や「本を読む読解力」が測れるわけないでしょう。 「汎用的読解力」どころか「”超”限定読解力」です。 テストの内容が詐欺だけでなく、最近はテストの広告も詐欺になりました。 「汎用」という言葉の意味も分からない人が作った読解テストなど「内容は推して知るべし」です。 新井紀子氏の本を売る東洋経済新報社は発行部数から見て、最も新井氏の詐欺に”貢献”しています。 「東洋経済新報社の社長駒橋憲一氏も彼女のテストが詐欺だとご存じなのでしょう?」 と書いた後から、彼らはいろんな人に、「新井氏の本の誰にも反論されない部分」だけに焦点を当ててブログを書かせて「嘘ではない」と言い張っているようでした。 はてなブログタグでそういうブログをたくさん見ても普通はスルーしますけど、傑作だったのは私が「子供たちは新しい仕事を生み出す能力がある」と書いたとき、「新しい仕事を生み出すのはAIに仕事を取られた子供達ではない」というブログが載った時でした。 どこまで行っても「AIに仕事を取られる」という考え方から抜けられない。AI(機械)と人間の子供を同列に置く。それじゃあ、「子供(人間)が内に持っている力を見ることは出来ない」と思いました。 嘘を隠そうとするから教育で一番大事なことも見失う。 新井氏と東洋経済新報社の茶番です。 東洋経済新報社はこんなに政治家の思惑通りに行動する。間違いを間違いとも言えない。新井氏は生徒に一人も教科書を読ませたデータは取っていない。 最近、文部科学省は学校を騙してテストを売る新井氏を表彰しました。文部科学省というのは、政治家とベネッセの金儲けのためなら何でもいいなりに国家権力で行う役所です。教育をする能力などありません。 なお、「国民を誘導する劇場型詐欺」については「新井紀子劇場」としてこちらのブログの冒頭、水色の大文字部分の下に小さな黒字で詳しく解説しました。 下村博文プロデュースです。     最後の方で述べますけれど、GIGAスクール構想で国民に言った、「個別最適化された学習」など、コンピュータを大量に買っただけで、実際の指導はどうするのかもわからない。 英語教育をどうすればいいのかもわからない。 だから下村博文の言う通り、教科書の音声が入ったCDさえ子供たちに与えない。 スピーキング能力を伸ばすことが緊急の課題だといっている国で、音声モデルのCDも学校で配布しないんですよ。 それで、高校入試や大学入試で、業者のスピーキングテストをしろという。英語教育のやり方も知らない。 テストでスピーキング能力などつくわけないでしょう。 学校で正しい発音を教えて、生徒が自分でお手本の音声を聞きながら練習しなければスピーキング能力などつきません。 文科省には子供の教育など全くする能力はなく、政治家と業者(英会話学校)の金儲けのためにしか仕事をする気がないのです。 次の時代の国民を育てる教育より政治家と業者の目先の金儲けのために働くのが文部科学省です。  だから、この後解説したように子供の虐待だって平気でやります。これもまた、業者と政治家の儲けが絡んでいるのでしょう) 

私は、困窮世帯の子供達に最も必要なのは、その子たちが困っている時や悩んでいるとき、それを話せる大人がそばにいることだと思います。  連載の3回目で、先生たちが機械で情報を取るのでなく子供達に直接話せる教師の存在が重要だとおっしゃっていたのはその通りだと思います。 「朝の点呼での声や顔の表情、顔に傷がふえていないか、昨日と同じ服を着ていないか、夏場に体臭がすればお風呂に入っていないかを心配する。そういう子供の状態変化に気づくことが教師の最大の仕事だ」という若い先生の言葉が載っていましたが、その通りです。 まさに「機械による行動解析やデータ」に勝る「人間による見守りシステム」こそが一番子供たちの助けになるでしょう。 先生方は機械に入力された情報はほとんど先生方が知っていることばかりだとおっしゃっています。 「問題行動を起こした子供のケース会議でも「みまもり判定」が話題になったことはない」とベテランの先生は言っています。  「(体力調査で授業がつぶれたり、学力調査の成果を上げるため授業で過去問をする学校もあったり大変なのに)その割に調査結果は役に立たず、活用もされていない」とベテランの先生は言っています。 

機械に入力された情報ではその子が困っていることや悩みはわかりません。 子供には、悩んだとき、困った時、それを話せる大人がそばにいることが最も助けになります。  以前私はこういう話を聞きました。  私にはある盲学校で教えている友人がいます。 その方から聞いた話です。  彼の友人は、寮で生活しながら学ぶ学校の先生をしています。  学期が終わって夏休みや冬休みに入るときは、生徒は自宅に帰ります。  その時、いつも長期休暇の前になると、おかしな行動をする女子生徒がいたそうです。 長期休暇の前になると、他人から見たら、持っているものを放り出したり、少しおかしな挙動をする生徒がいたそうです。  ある日、その方の友人である先生が、その子と話していたら、その子が「家に帰ると、お父さんが自分に変なことをする。 それが嫌だから帰りたくない」といったそうです。  それで、その先生は、驚いて、何が起こっているのか、調べなければいけないと思いその生徒から話を聞いたそうです。 でも、自分一人ではなんとも出来ない問題なので、校長先生や教頭先生にも相談しました。 教頭先生が、その子のお母さんと話をするなど、親身になって、問題解決に努力してくださったそうです。  お母さんは、再婚で、お父さんは義理のお父さんだったそうです。  お母さんは教頭先生と話した時に「確かにそのようなことを感じたことがあった」とおっしゃったそうです。  結局お母さんは離婚されて、その生徒は、おかしなことをすることもなくなり、今は目指していた国家試験に合格して、元気に働いているそうです。

子供の問題は、子供一人で解決できることはほとんどありません。  そういう時、そばで、その生徒の悩みに気づき、話を聞いてあげることのできる大人が必要だと思います。  それが学校では先生方でしょう。  コンピュータのデータでは、この場合も、ただ、「おかしな行動をする」という記録が入力されるだけでしょう。  私はこの結論を聞いて、先生方が一人の女子生徒の人生を救った、と思いました。 データで子供は救えない。 子供が困っている時、悩んでいる時、それを話せる大人がそばにいることが一番助けになります。  だから、子供の教育には、良い教師を育て、一人の教師が見る子供の数をなるべく少なくしていくことがもっとも大事だと思います。 教師の数を増やすことについて文部科学省は何もしない。 教師を増やすことを徹底的に無視している。 文部科学省は本気で子供を見守る気などありません。 同意なくデータを入力したいだけではないですか。

私は文部科学省が生活困窮世帯のデータを入力するようになった後、公立小学校すべての生徒の情報を入力するようになった。 と書いてあったので「やっぱり」と思いました。 大阪府箕面市は条例まで改定して、本人の同意なしに行政の生活保護のデータまで取っています。 それは、困窮世帯の支援のためといえば、個人データを入力することが比較的たやすく開始できるからでしょう。 そうやって、まず本人の同意なしに個人情報入力の突破口を作り、同意なく個人データを取ることを既成事実化しておいて、その延長として、「将来の見守りの為」と称して公立小学校全児童の個人情報を同意なく入力する。 これこそが、文部科学省がこのプロジェクトで行いたい本当の目的だったのではないですか。 困窮世帯の救済も、子供の見守りも同意なくデータを取る口実ではないですか。 その証拠にもっとも子供たちの身近にいて見守りをしてくださっている教師の数を増やすことについては徹底的に無視している。 これこそが文部科学省が本気で子供を見守る気がない何よりの証拠です。

この大阪府箕面市の実証事業は、公立小学校全児童の個人情報を保護者の同意なく取るのが目的ではないですか。 個人情報保護法で禁止されている行政の情報まで同意なく入力する手順を作る為に行っているのではないですか。 次は、「実証事業で成果があったから全国の公立学校の全児童の学力、体力、生活状況のデータを文部科学省(あるいは子ども家庭庁)が保護者の同意なく入力する」という筋書きがすでにできているのではないですか。 先生方のコメントを見る限り、データや見守りが機能しているとは思えませんが、「成果があった」と報告書に書くことがもう決まっているのではないですか。

文部科学省は困窮世帯の子供の救済をする気もない、子供の見守りをする気もない、本当は保護者の同意なく子供のデータを入力できるようにすることがこの実証事業の目的ではないですか。  本当に子供を見守りたいなら、先生方の見守りを増やすことに全く関心を示さないのはおかしいです。  文部科学省は教師を増やすことには全く関心を示さず、機械やデータに異様に執着してお金をつぎ込んで本当は何をしようとしているのですか。 
 

デジタル庁は生涯教育データを騙しとる犯罪集団だ、と私は書きました。  なぜならデータ入力が、個別最適な教育を実現することはないからです。  でも、文部科学省も、保護者の同意なく全生徒の個人情報を騙しとる犯罪集団であることに変わりはない、とこの記事を見て思いました。  文部科学省の本当の目的は公表していることとは違うところにあるのではないですか。 

ここで、情報管理についてもお聞きします。
コニカミノルタ大阪府箕面市教育委員会の担当部署はこの映像の流出を防ぐ手立ては万全なのでしょうか。  今までいろいろな所から情報は流出しました。  ベネッセからも流出しましたし、年金庁からも流出しました。 

近年のデータ流出を見ると 、映像を撮った会社から直接漏れることはなくても、そこで働いていた社員が辞めた時、データを持ち出して流出になったケースなど、いろいろな場合があります。  コニカミノルタはこれに対しても万全な対策をとっているのでしょうか。

データは教室内に設置されたサーバーで個人が特定できないよう自動的に画像処理され解析のためにコニカミノルタにわたりますと書いてありますが、子供をカメラで撮影するのなら、その利用目的を保護者にはお知らせして、同意を得るのが普通だと思います。 保護者全員の書面による同意は得ているのでしょうか。個人情報保護法では目的を公表すれば特に同意を必要としない事項もありますが、子供の場合は大人とは違う事情がありますので保護者の同意は必要だと思います。 

個人が特定されないように画像処理されているといっても、何かの事故やミスで処理前のデータが誤って流出しない可能性は絶対ないとは言えないと思います。  アメリカにいた時、学校からいつも「学校のニュースレターに子供達の行事等での写真を掲載する場合があります。 掲載を希望しない保護者は学校にご連絡ください。」というお知らせがどの学校でもありました。  なぜならアメリカでは特に低学年の子供の場合、離婚した親が親権を争っている場合などは、子供の通う学校をかくしていてもそれを調べて、すきをついて子供を離婚した配偶者が連れ去ってしまうという事件が時々起こりました。  それでそういう事件を未然に防ぐため、子供が通う学校では保護者の同意を求めています。 日本でも同じでしょう。 誤って流出したとき、問題が起きる場合があります。 家庭内暴力から逃れている子供などの場合は特に注意がいるでしょう。 市役所で職員のコンピュータ情報の扱いの不注意から、夫のDVから逃げていた女性が殺されてしまった事件がありました。 不幸な事件というのはみんなが「普通は起こらない」と思っていることが実際に起こったときに現実のものとなります。 大阪府箕面市教育委員会はそういう場合も想定して保護者の同意を得ているのでしょうか。

(私自身は、「個人が特定されないようにサーバーが画像処理」をしても、コニカミノルタはその映像から行動解析で出欠確認が可能だ、といっているとしたら、結局個人が特定できる映像を外部業者(コニカミノルタ)に送っていることと同じではないか、と思います)


20年近く前に読んだ本でNineteen Eighty-Four ( ナインティーンエイティフォー)という本があります。 「1984年」という本です。  イギリスの作家ジョージ・オーウェルの書いた小説です。 この本では全体主義の国で、人々がどのような生活を強いられるかリアルに描かれてあります。 そこでは思想や行動の自由はありません。 それぞれの市民の家には当局と双方向でつながる大きなスクリーンが設置され、市民はほぼすべての行動を監視されています。  小説の主人公はそういう体制に疑問を持ち、当局から禁止されている行動をして逮捕され拷問を受け、体制を受け入れるようになります。  私はアメリカにいた時、ライティングを教えてくれた高校のEnglish (国語)の先生に、「Nineteen Eighty-Four とこの主題を子供にもわかるようにやさしく書いたAnimal Farmという物語(同じくジョージ・オーウェルの作品)と合わせたら、大体どれくらいのアメリカ人が読んでいるのでしょうか?」と聞いたことがあります。  先生は統計を見たことはないけれど、半分くらいのアメリカ人は読んでいるのではないか、と言っていました。 ちなみに「1984年」は高校の課題図書でした。

前出の個人情報の動向に詳しい内田聖子さんは「欧米では個人の行動を把握することは民主主義とは相いれないという考え方が根付いている。 カメラに自分の行動をとられることは本来正常な状態ではない。子供達が撮られる状態に慣れること自体が問題ではないか」とおっしゃっています。  その通りだと思います。

教室に5台のカメラを設置して子供たちを撮影する。 インタビューに答えた教師は「子供達はすぐにカメラを意識しなくなった」と記事に書いてありました。  つまり、本来なら異常である、自分の姿をずっと撮影されることに小学生のころから疑問を持たないように慣れさせてしまう意図を私は感じました。

そして、コンピュータに公立学校で学ぶすべての子供の学力、体力、生活状況を毎年入力する。  つまり、これからこのやり方を使って日本全国の小学生の学力体力生活状況をすべて政府・文部科学省、が把握することが可能になる下地を今作っている、と私は思いました。 国家が自分達国民の個人情報を同意なくデータとして収集しても当たり前だと思う国民を作ろうとしていると私は感じました。

自分の体の映像をカメラで国家に取られるのも当たり前、自分の個人情報を同意なく国家に取られるのも当たり前、そういう国民を政府・文部科学省は今、作ろうとしているのではないかと私は感じました。

つまり、国民をカメラで監視し、国民の個人情報すべてを当局が握る日本版「1984年」計画はすでに、文部科学省によって始まっているのではないか、と私は感じました。 小説「1984年」では市民の各家に当局と双方向の大きなスクリーンが設置されています。  今、それを私たちがされたら、非常に抵抗がありますけれど、小さい頃からビデオカメラ5台に授業中ずっと撮影され続けた子供たちはもはや当局からのスクリーンによる映像取得には何ら違和感を感じないかもしれない。  そして、コンピュータによってすべての子供の学力体力生活状況は当局によって把握されるのが子供のころからあたり前になる。 ある意味これは子供たちが自分自身に対して持つ尊厳を失わせる行為、虐待だと私は思います。 「自分は他人が勝手に侵してはならない尊い存在だ」と思う心が育つ前に、自分の体の映像を他者に勝手に撮影され解析され、自分の個人情報を他者に勝手にとられることが当たり前だと思わせてしまう虐待だと私は思います。 子供はそんなことを他者から勝手にされてよい存在ではありません。 大人だったらある日会社に行ったら、上司が自分を撮影するカメラを取り付けていた。自分の個人情報を同意なく上司のコンピュータに入力していた、としたら、必ず、抗議しますよね。 大人は自分はそういうことをされてよい人間ではない、と知っているからです。 子供にとって何を「当たり前」として育つかは非常に重要だと私は思っています。
昔、オウム真理教の事件があった時、教団がある信者をいれていた部屋がテレビに映りました。  食事や水は、パイプのような管で部屋に送り入れて、信者はそのパイプに口をつけて送られてくる食事や水を飲むのだそうです。  一緒にテレビを見ていた夫が、「そういうことをされていると、人格を失ってしまうのだろうね」と言いました。(人格:道徳的行為の主体としての個人。 自律的意思を有し、自己決定的であるところの個人(広辞苑意味③) 自分がそうされてだんだん人格を失うことを想像して私は恐ろしくなりました。 人間だったら食事はきちんと器にいれていただきます。 それをパイプに口をつけて相手が送ってくるものを毎日食べているうちに、自分は人間としての尊敬をもって扱われるべき存在だという意識を失っていくということです。 毎日犬のように食べ物を与えられていたら、犬のように扱われることをなんとも思わない人間になるでしょう。 自分に対する人間の尊厳を失った人は他者に容易にコントロールされます。  この小学校で行われていることも同じです。  勝手に自分の体の映像を他者に撮影され、点や線をつけて他者に分析され、勝手に個人情報を取られ、知らない人間がそれを見て何かを決めて自分は指導と称して何かをされる。  こうして子供たちは、自分は「尊敬」をもって扱われるべき人間だという意識を失っていきます。 人間としての尊厳を失った人は容易に他者にコントロールされます。  これは子供に対する虐待です。  私はアメリカにいた時、家庭内暴力を取り締まる捜査官のインタビューを聞きました。 「道で誰かを殴れば、警察に逮捕される。 我々の基準はそれ以上でもそれ以下でもない」と言っていました。  大人がされたら抗議することを国家権力が勝手に子供にしていいはずないでしょう。  大阪府箕面市教育委員会のしていることは子供たちの「人間としての尊厳」を失わせる虐待です。 文科省は実証事業がうまくいったといって、今度は日本中の教室にカメラを取り付けて、日本中の子供の虐待を始めるつもりですか。文部科学省は、国民に本当のことを隠して、日本中の教室で子供を撮影する計画を密かに進めているのではないですか。政府はこども家庭庁を作っていかにも子供を大事にしているふりをしていますが、裏で文科省による児童虐待(カメラで子供達を撮影する)を進めているのではないですか。

欧米でのデジタル技術による個人情報収集の動向に詳しい内田聖子さんが「欧米では個人の行動を把握することは民主主義とは相いれないという考えが根付いている。カメラに自分の行動を撮られることは本来正常な状態ではない。」と述べていました。 多分それは、相手の行動をカメラで撮ることは相手に対して人間としての尊敬をもって接することではないからでしょう。 私はアメリカにいた時、娘の学校で配られた生徒の行動指針が書いてある冊子を全ページ読みました。 1ページ目には、教師と生徒、生徒と生徒は互いにrespect (尊敬)を持って接する。」と書かれていました。(こちらのブログにも書きましたね。) 尊敬をもって接する人間同士は、まるで監視するみたいに相手の行動をカメラで撮ることなどしないでしょう。 教師もコンピュータで生徒の画像解析されなければ、生徒が自分の授業に集中しているかどうかわからないようでは、何をしたって、教師として向上することはないでしょう。 「カメラで撮った映像で生徒が前を向いていたら発話を促す授業だ」など屁理屈もいい加減にしてほしいです。 カメラを教室に設置したいただの口実でしょう。  私を教えてくださったこちらの先生が、私が教師になる時に先生の書かれた論文のコピーを私にくださいました。  書き出しは、「おや、今日はなんだか生徒の様子がいつもと違う。」教師は、教室に入った瞬間、そう感じることがある。」という言葉で始まっていました。常に向上する目的をもって努力していけば、生徒のことをそこまで感じ取れる教師になれます。   カメラで撮らなければ、生徒の発話を促しているかわからないようでは、何をやっても無駄です。最初は新米で何もわからない先生でも、生徒の集中がわかるように努力していけばそれがわかるようになります。(というより、新米教師でも、生徒が集中して自分の話を聞いているかどうか、自分の聞いたことに生徒が答えようとしているかどうかはわかる、と私は思います。 だって、子供の目を見て授業をしているんでしょう? だったら、誰だってそのくらいのことわかりますよ。それは教室にカメラを入れる為のただの口実でしょう。  子供の目を見て話している教師が、自分の授業に生徒が集中しているか、授業に参加して生徒が発言したいと思っているか、分からないはずないでしょう。)「子供の人権を侵して子供の発話を促すよい授業か撮影する」言っていることがおかしいと思いませんか。  目的と手段が矛盾しているし、筋も通らないし、カメラで生徒を撮る本当の理由は若い教師の実力向上ではない、とすぐわかります。こういういい加減な理屈を文科省も、教育委員会もよく口にすると思います。

このデータに図書館での閲覧記録などを入れていけば思想傾向等も容易に把握できるでしょう。  この小学校でされている実証事業は、子供に対する虐待であり、日本版「1984年」計画がすでに始まっているということではないですか。  大阪府箕面市教育委員会文部科学省は学校での児童虐待を今すぐやめて下さい。


この実証事業は国家が国民を管理して統制するために行っているのではないですか。自己に対する尊厳をなくした人間は政治権力にとって扱いやすいです。  いったんすべての子供が自分の体の映像を撮影されることをなんとも思わなくなれば、ビデオカメラによる監視体制は導入しやすくなります。  すべての子供の個人情報を国家が入力するのが当たり前の社会になれば、政府がすべての個人情報を簡単に集め、国民を把握しやすくなります。 国家は体制に批判的な人間を選別する個人情報も当然容易に入手し、管理できます。 コンピュータでワンクリックすれば政権にとって要注意マークの付いた人物は即座にリストアップされます。

そして、もし10年後、ウクライナのような事件が日本のすぐ近くで勃発したとき、「国民が一致団結してこの危機を乗り越えなければならない」と言って政府が国家非常事態宣言を出したとします。その時、戦争に反対する人々がいて、当局が取り締まりを始めた時、この収集した映像やコンピュータデータをワンクリックすれば、そういう人々は、たやすく特定されつかまってしまうのではないですか。小説「1984年」の主人公のように。

私が、初めてこの文部科学省の実証事業について読んだ時感じた、呼吸が苦しくなるような恐ろしさ、頭が真っ白になって何も考えられなくなるような怖さは、やがてこうなるだろうというイメージが私の中に見えてきたからだと思います。 文部科学省の本当の目的は若い教師に実力をつけさせるためでもなく、貧困の連鎖を断ち切るためでもない。  国民をカメラで監視されることに慣れさせ、小さいころから同意なく個人情報を取られることが当たり前だと感じる国民を作るためではないですか。 

いったん、「生徒全員の情報を保護者の同意なく入力すること」を始めてしまえば、後はどんどん範囲を拡大していける。  ビデオで撮った生徒の体の映像だって、今は個人が特定できないようにサーバーが映像処理をしていても、そんな処理、戦争が起こった場合、「非常事態だ」といって、政府が「画像処理はしないで参考にする」と言えば、もう歯止めはきかなくなるでしょう。 そのころは、ほとんどすべての学校にカメラが設置されているでしょうから。 すべては、為政者が国民を統制しやすくするために行っているのではないですか。本当のことを言ったら、国民から反発されるから、若い教師の実力をつけるため、貧困の連鎖を断ち切るためと、国民を騙しているのではないですか。 若手教師の実力をつけるためといいながら、授業内容向上の為のアドバイスもない研究授業などありえません。 子供を見守るためといっても、一番近くで子供を見守っている教師の数を増やすことには目もくれない。 文部科学省は本当の目的を隠しています。  これは日本版「1984年」計画を国民に気づかれないように着々とデジタルを使って進めているのではないですか。記事には 「3年前から、コニカミノルタと提携して取り組む文部科学省の実証事業」と書いてありました。 3年前の文部科学大臣を調べましたら、萩生田光一氏でした。 見守りシステムが始まった2017年は今の外務大臣林芳正氏が文部科学大臣でした。  

文部科学省は本当の目的を説明してください。
政府はデジタル機器を使って国民を監視統制する実証実験をすでに始めたのではないですか。実態はうまくいった実績がなくても「それがうまくいった」という報告をして「今度は全国で導入する」という筋書きがもうできているのではないですか。 そうやって、全国の学校にビデオカメラを設置し、子供の「人間としての尊厳を失わせる虐待」を行う準備を着々と進めているのではないですか。 文部科学省大阪府箕面市での実証事業の本当の目的をひた隠しにして、着々と「全国の子供虐待」への準備を進めているのではないですか。



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私はこのブログを書いていてとても疲れました。
いつもこうやって生産的でないことを書いてとても疲れます。 あまりにも疲れたから、親友に電話して、「すっごく疲れちゃったの。  もう、年齢も年齢だし、もう何度もやめようと思ったんだけど、やめられなかったの。  だって子供たちが教室で5台のビデオカメラで撮られているの。」といったら、アメリカ生活20年の彼女は「えーっ!?  何それ!? そんなことしていいの!? それって犯罪じゃないの??」とすごく驚いていました。 彼女はいつも私を抑えるような発言をしますが、この時は、私より激しい衝撃を受けたようでした。  こういうことをして子供の人権を侵害している事にはならないのでしょうか。  法律の専門家は教えてください。 この新聞に載っている内田聖子さんのように海外の実情にも詳しい専門家の方の意見をお聞きしたいです。


私は、拡大鏡を使ってこの新聞記事に載っている子供達の写真をよく見ました。  子供達の体の映像の関節の部分に点をつけてそれを直線で結んで、その動きから、個人を特定する解析を行っているのですね。  こんな映像、いくら前を向いていたって教育とは何の関係もありません。  こんな映像を撮っても若い先生の実力は上がりませんし、子供達のその日の状態を把握する「朝の健康観察の時間」の代わりにもなりません。 文部科学省はデジタル、デジタルと騒いで、どさくさに紛れて本当は何をしようとしているのですか。 


文部科学省は本気で子供を見守る気などない。 本気で子供を見守る気があったら、最も身近で子供を見守れる教師の数を増やすことに全く努力しないのはおかしいです。 

朝の出欠確認は私が教師のころは「朝の健康観察の時間」だった、と書きました。
健康観察の時間は何をするのか大阪府箕面市の先生が教えてくれています。

「朝の点呼での声や顔の表情、顔に傷がふえていないか、昨日と同じ服を着ていないか、夏場に体臭がすればお風呂に入っていないかを心配する。そういう子供の状態変化に気づくことが教師の最大の仕事だ」

大阪府箕面市教育委員会は、
朝の出欠確認はビデオカメラで撮った生徒の映像の顔の部分を黒く塗りつぶして、コニカミノルタに外注し、骨格を直線で結んで本人を特定し、学校に来ているかいないかわかればよいとお考えですか。 それは、
教育者として間違っています。 大阪府箕面市教育委員会は間違っています。子供を人間として大切にする気持ちがみじんも感じられない。 子供はモノではありません。  小さくたって、一人の人間なんですよ。 なんてひどい教育委員会なのですか。

「教師の代わりはデジタル機器には出来ない」と文部科学省は理解する必要があります。 文部科学省や岸田首相がどれほど子供の見守りを強調しようと、教師を増やす努力をしないならそれが嘘だということは明白です。  デジタル庁の時と同じ。 子供の見守りを口実に、当事者の同意なく個人情報をだまし取りたいだけでしょう。 だから日本版「1984年」計画が進行していると私は思います。 


「人間は人間が教えなければだめなんだ」私がこう思ったのは40年前、津田塾大学教育心理学を教えてくださった仁科弥生先生の言葉でした。

セサミストリートは当初期待されたような成果を上げることはできなかった。 やっぱり一緒に番組を見て、~~なんだね。とか言ってくれる人がそばにいないと高い効果を上げるのは難しいようです。」

先生はそうおっしゃいました。 教師の代わりは機械には出来ないのです。  一方的に機械から送られる映像の前に座らせても、子供達の学力は上がらない。  だから竹中平蔵氏のように、一人の優秀な教師が遠隔で教えればいい、「究極的には通常の知識を教える教師は各教科に全国で一人いればよい」などと言っている人に教育は出来ないのです。竹中氏は安西祐一郎氏 と2017年7月1日に「教育改革推進協議会」を立ち上げてeポートフォリオを推進していました。 eポートフォリはベネッセの見込み顧客データを国家に収集させる極めて危険で悪質なやり方で中止になりました。 安西祐一郎氏はどんなに立派な肩書や経歴をお持ちでも、竹中平蔵氏と教育理念を共有しているようでは安西祐一郎氏に理想の教育を描くビジョンは持てません。
教師の代わりは機械には出来ません。 生徒の見守りだってデータ入力より毎日子供を見ている教師の方がずっとよくできます。 なのに「見守り、見守り」といいながら教師の数を増やすことについて何もしない文科省や岸田総理は明らかに子供の見守りなど真剣に考えていません。

GIGAスクール構想だって、コンピュータを大量に買い込んで生徒をその前に座らせるだけでしょう。 だったら全く成果はありません。 もし成果を上げたかったら、子供達がコンピュータの前に座っている間、先生が、その子供たち一人一人をよく見ていらっしゃることでしょう。  個別学習が終わった後一人一人に「どうだった? 難しかった? どこが難しかった?」 「この前よりずいぶんよくできたね。 家で勉強したの?」 「ちょっと早く難しい問題に進みすぎたのかな? もう一度この前の復習からやってみようか?」など一人一人とその結果を話し合えるような時間を持つことでしょうね。  そうすれば、子供は機械の前にただ座らされているんじゃない「先生が、僕のことをちゃんと見て、この練習問題が僕にはいいって決めてくれたんだ」「もし、僕ができなくても先生はそれならどうしたらいいかちゃんと言ってくれる」と同じコンピュータの問題をするのでも、気持ちは全然違うでしょう。 つまり、一人一人の生徒がちゃんと一人一人先生に指導してもらっていると感じることができるでしょう。 でもそれをするには、先生方にはコンピュータを使った一斉授業の準備もありますので、教師一人が40人の生徒を見る今の体制では無理でしょう。 この体制ではGIGAスクール構想は失敗します。何をどうやっても、先生一人に生徒40人ではGIGAスクール構想は失敗します。 もしそれを「個別最適化した教育」というなら、一人一人の生徒がみんな「自分は先生に個別に指導してもらっている」という気持ちになるはずです。 それがないならGIGAスクール構想はただコンピュータの前に子供を座らせて置くだけです。  少なくとも教師を今の2倍、20人学級にしなければ、個別学習の結果を生徒一人一人と教師が話し合う余裕はないでしょう。 つまり、コンピュータが生徒を個別にみるのではなく、コンピュータを使おうと何の機械を使おうと、やっぱり生徒を指導するのは先生だということです。一人で40人を見るのでは個別最適化した学習などできないです。 コンピュータを入れようと何の機械を入れようと一人一人の生徒を教育するのはやはり先生なのです。  だから今のままの40人学級では何をやってもGIGAスクール構想は失敗します。  ちなみに娘がアメリカにいた時は一クラス25人でした。   これで、GIGAスクール構想が失敗するとわかったからといって、GIGAスクール構想の目的をどんどん変えて、失敗したときの逃げ道を作るのはおやめください。 2019年12月9日に発表された萩生田文部科学大臣のメッセージにあった「多様な子供たちを誰一人取り残すことのない公正に個別最適化された学び」これが目的だったのですよね。だから国民だって、莫大なお金を使って一人一台コンピュータを購入することに反対しなかったのでしょう。少なくとも逃げる前に「多様な子供たちを誰一人取り残すことのない公正に個別最適化された学び」を実現する努力くらいしたらどうですか。  そうしなければ、国民を騙していたことと同じです。 「どんな子供でも理解度に合わせて学べる」とバラ色の未来を約束するようなことを言って莫大な予算を使っておいて、後で「そういう意味じゃなかった」というのは国民を騙すことと同じじゃないですか。少なくとも逃げる前に「多様な子供たちを誰一人取り残すことのない公正に個別最適化された学び」を実現する努力くらいしたらどうですか。 
人間は人間が教えるから人間に育ちます。 なぜなら機械が持っていないものを人間は膨大な量持っているからです。 何を教えても、それが必ず表れて子供達に伝わります。

良い教師をたくさん育てることに全く無関心な政権が、「見守り」だ「貧困世帯の子供の支援だ」と言っても嘘は丸見えなのです。 あの義理のお父さんから性的虐待を受けそうになっていた女子生徒だって、相手が毎日会っている先生だから悩んでいることを話せたのでしょう。 一番子供のそばで見守りをする教師の数を増やすことに目もくれないで、データを取ることや見守りの仕組みばっかり提案している文科省や岸田首相が真剣に子供の見守りを考えているとはとても思えません。 同意なく個人情報を取りたいだけでしょう。 そしてそうやって取った子供の体の映像を含む個人情報で政府は何をしようとしているのですか。

今まで個人情報が関係するものについては、安部首相の時のeポートフォリオ、デジタル庁の生涯教育データ、今回の大阪府箕面市の子供の体の映像を含む実証事業、この3つがありました。 この3つに共通するのは国家が国民の同意なく強制的に個人情報を入手することです。  何を言われてもやめることなく脈々と政府が続ける「同意なき個人情報入手」によって国家は何をしようとしているのですか。  日本版「1984年」計画ではないのですか。 そしてそういう政治家に加担するメディアがさらに「1984年」(全体主義)への変容を助長する。 私は新井紀子氏の嘘を証明した後から政治家の思惑とそれに加担するメディアを実際に見るようになりました。新井氏のツイッターを見ていてそれがわかりました。 政治家が巧妙に国民を操作できるのは加担するメディアがあるからだということを実際に見て知るようになりました。それは、今皆さんがはっきり「政権寄りだ」とわかっているメディアではありません。 むしろ私が見たのは、そうでないメディアがよく行っていました。 だから、今回の日本版「1984年」(全体主義)への道もそういう色がついていないと人々が思っているメディアが誘導するのでしょう。

学校を騙す詐欺師を表彰するし、子供を虐待するし、ここまで堕ちるって、文部科学省は相当ひどい役所ですね。もう英語教育を云々するレベルの役所ではないです。 GIGAスクール構想とか子供の見守りとか、教師の数も十分揃えないでよく言う。 文部科学省は政治家の思惑と金儲けのために子供を虐待しているだけじゃないですか。 大阪府箕面市教育委員会は生徒の体の映像を撮って顔を黒塗りしてコニカミノルタに外注して点と線で解析して出欠を確認しようとしているんですよ。 これのどこが子供を見守る教育なのですか。なぜ血の通った人間が生きている生徒の顔を見ない。 子供はモノじゃない。出欠確認は在庫管理じゃないんですよ。 そんなことも文科省や岸田総理はわからないのですか。 生徒の一番近くで見守りできる教師の数を増やさない限り、文科省と岸田総理の言うことは信用できない。子供の見守りを真剣に考えているなんて信用できない。    文部科学省の人って教育原理も学んだことないんでしょう? だから、政治家の思惑に沿って虐待だって平気でするんでしょう? 英語教育にしたって、音声学も英語教育法も学んだことないんでしょう?  だから「通じる発音で言いたいことをすらすら話せるようにする学校英語教育はどういうものか全く知らないんでしょう。こんな役所に英語教育などできるはずないでしょう。



川合式英語学習法

(多読の仕方については「3.大学生での大量の英語インプットについて」のところに青字で加筆しました。2022年5月12日)
私はこれまでのブログで、高い英語力を身に付けるためには、中学時代に何を練習し、高校時代に何を訓練し、大学時代に何を行ったらよいかを述べてきました。

日本人が、「発音、語順、語源、文字、文化」が全く違う英語を身に付けるのは大変な努力が要ります。  時間がかるのは仕方がないことです。  ヨーロッパの言語を母国語とする人のようなわけにはいきません。

けれども、そのための方法がありますので、それを地道に行っていくことが高い英語力を持つ方法だと述べてきました。  詳しくは下のブログをご覧ください。

1. 中学生の勉強法 (発音の習得)
2017年10月12日のブログ「文部科学省新中学校学習指導要領英語「4技能」は全く効果がない。(子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き)
2015年4月17日のブログ「わが子の英語力を上げたかったら、文部科学省がどのような方針を打ち出そうと、中学、高校の英語は日本語で学習させる(3)」

2. 高校生の勉強法 (語順の習得)
2015年8月2日のブログ「高校時代は「日本語頭」から「英語頭」へ切り替える練習をします。」
2015年9月28日のブログ「英語を語順の通り理解する練習」

【中学生の場合と高校生の場合の勉強の仕方は違います。】  中学生は限定された少ない基本を徹底的に。  高校生は「出来るだけ多くの文に接していく」(様々な文を構造を理解して意味を正確に取れるようにする)ことが目標になります。  ですから学習の終わったレッスンの音読も中学生は発音練習の後、70回くらいは音読してほしいです。(「そんなに出来ない」という生徒は10回でも20回でも結構です。上手になってくると自然とたくさん音読するようになる生徒もいますので、最初は「とにかく音読をする」という習慣が着けば結構です。)高校生は一つの教材を数回あるいは10回程度、音読したら、次に勉強した教材の音読に移ったほうがいいです。  それでなくても、高校生は複雑ないろいろなタイプの英文を読んで分かるようにしていかなければならないので、出来るだけたくさんの英文に接していってください。 高校生の音読の目的は発音練習というよりは、勉強した英文を語順の通り処理していくことに主眼が置かれます。つまりその英文を書いたネイティブが考えた単語の順番と同じ順番で理解していけるようにします。  高校生は中学で学んだ基本的な英文から大学入試で出題されるような大人の文章まで読めるようにしていきますので、語彙を増やすことも課題の一つになります。  実際には高校1,2年では日々の予習、復習や部活などで忙しいでしょうから、集中して語彙を増やすのは3年生になってから、という高校生が多いと思います。  私も集中的に語彙を増やしたのは高校3年生の時でした。 やはり大人の読むレベルの文章に出てくる語彙を習得していないと大人の文章は読めませんでした。 私は「大学受験のための語彙を増やしたから、それは無駄だった」と思ったことはありません。 大人の本を読んでいると、受験勉強で詰め込んだ語彙は結構役に立っていました。 

3.大学生で行う大量の英語インプットについて

私は今まで、多読について書くときは、様々な年齢層の方々を想定していました。  ですから、「挫折せずに英文読書を続ける」という点に重きを置いて書いていました。  けれども、大学生の方々に限って言えば、就職活動が始まる前に多読の成果を身に着けたいと思われるのが普通でしょう。  それで、短期間にその力を身に着けるためにちょっときついですが、私がアメリカで行ったのと同じ方法をやっていただくことにしました。

大学生で行う多読のやり方。

まず、「帰国子女に見る世界に通用する英語力の作り方」という本に書いてあるオリジナルセブンという読書プログラムを行ってください。アメリカ人の小学生が読むやさしい本から大人が読む本まで7冊が書いてあります。 順番通りに読んでいくことによって、大人の英語の本が読めるようになります。 7冊全部で1200ページあります。

オリジナルセブンを読み終わりましたら、夏休みや春休みのような長期休暇を使って、その内の一か月を英文読書に当ててください。これは疑似留学体験のようなものだと思ってください。 留学すれば一日のほとんどの時間を英語で過ごします。 それを日本で疑似的に行うものだと思ってください。

一か月間毎日5時間から7時間英語の本を読んでください。  何を読んだらいいかは「英語発音、日本人でもここまでできます。」という本の巻末に難易度別に書いてありますから、それを参考にしてください。 「5時間から7時間の英文読書」と驚かれるかもしれませんが、頭の中を変えていくためには起きている時間の半分くらいは英語を処理することを頭にさせていないと、頭の中が変わりません。  少しきついかもしれませんが、疑似留学体験だと思って一か月間毎日5時間から7時間の英文読書を行ってください。 冒頭にも書きましたが、私が大学生のころ、夏休みに一か月くらい合宿をして運転免許を取る生協のプログラムがありました。それを利用して免許を取った友人もいました。 「英語で言いたいことが頭に浮かんでくる合宿」のようなつもりで、一か月間英文読書に没頭してみてください。   毎日2時間くらい読書をして長く続ける方法もありますが、私も子育て中、そうやっていて、子供が病気になったり、家の都合で本が読めない日があったりすると、続けるのが難しくなりました。 そういう方は多いと思います。 そうやって間が開いてしまうとせっかく積み上げた英語の感覚がなくなり、また最初から積み上げなければならなくなります。  もちろん、そこでもう一度始めて継続していけば挫折にはならないし、少しずつ読む速度も速くなるし、英書にも慣れますが、英語が口から出てくるようになるには、また時間がかかります。それを繰り返していたら、効果を感じることができずにやめてしまう方が出るのではないか、と思いました。  そこで、短期間集中してその状態に持っていく方が挫折を防げると思いましたので、こういう方法を取りました。 私自身がやってみて、一日5時間から7時間英書を読んで一か月たった時、もっとも頭の中の変化を感じました。  最初の変化は言いたい文を表す動詞が頭の中でフレーザルバーブの形で出てくるようになりました。  go through とか look up to などという形で出てきました。これは私の生徒さんも同じでした。  そのあと、読書を続けて文の形で言いたいことが出てくるようになりました。

英文読書の際に特に注意したいのは以下の2点です。

1.読むときは、単語を飛ばして読まないでください。 全部単語は読んでください。
2.辞書は、その単語がわからないと、本全体の話が分からなくなる、という場合は引いてください。   英和辞典で結構です。  たくさん読んで英和辞典を引くと頭が日本語に引き戻されるような違和感を感じた時、英英辞典に変えてください。

なぜ単語を飛ばさないで読むか説明いたします。
単語を飛ばして読んでいたら、意味のある英文に構築せずに読んでいることになり、たとえ読書をしても、言いたいことが英語で頭に出てくるようにはならないからです。 英文読書を大量にした後、言いたいことが英語で頭に浮かんでくるのは、物言わず並んでいる単語を、意味のある英文に頭の中で構築しながら読んでいるから、その結果自分の言いたいことも英文に構築されて出てくると私は思っています。 ですから単語は全て目を通して読んでください。

オリジナルセブンを行う時はなるべく丁寧に読んでください。最初に丁寧に英文を読んでいると、後で楽に読めるようになります。  最初にいい加減に読んでしまうと、だんだん読むのがきつくなってくると思います。  最初は丁寧に読んでください。 オリジナルセブンは英文読書に慣れるために行いますので、どれだけ時間がかかって読んでも結構です。  速く読む必要はありません。 むしろ、楽しんで読めることが重要です。 皆さんが日本語で好きな本を読むときは速度は気にしませんね。  それと同じで、時間がどんなにかかっても、かまいません。私は多読をしていたときも、速読という読み方よりはいつも精読に近い読み方をしていました。  私の場合速読というのは、非常に難しい本を読んだ後、小中学生用の英書を飛ぶように読むことによって、やっていました。この時も単語は飛ばしませんでした。

以上が大学1,2年生で行う多読のやり方です。

ちょっときついですが、一か月留学したと思って、頭を英語漬けにしてください。 一日中英語のラジオをつけっぱなしにして聞くより、読むほうがずっと大変です。  私はアメリカにいた時、9月の新学期になってまた子供たちの宿題を手伝わなければならず、5時間も読書ができなくなった時、文学作品が収録されているテープをずっと聞いてみましたが、読んだときのような効果はありませんでした。 それで、英語が口から自然に出てこない、と感じた時は、子供の宿題がない日曜日に3時間くらい英文読書をして、その感覚を取り戻していました。  聞くことは一日中やっても、言いたいことが口から英語で出てくるようにはなりませんので、本を読むことで大量のインプットを行ってください。

(「帰国子女に見る世界に通用する英語力の作り方」の139ページに次のように書きました。

オリジナルセブン」終了後、自分の好きな本を読んでいけば、読むことに慣れて速度も自然に速くなっていきます。できれば、200ページくらいの英語の本を週に1冊読むことができるようになるまで続けてください。  以上が本からの引用です。

読書記録を見ると、私は多読を始めて言いたいことが英語で頭に浮かんでくるようになった年、約10700ページの英書を読んでいました。  これを52週間で割って、一週間に200ページくらいの本を1冊読むことができるようになるまで続けてください。と書きました。  この場合想定していたのは、様々な年齢層の方でした。 今回は就職活動前に多読の効果を身に着ける大学生の方々のためのやり方を書きました。

私はアメリカにいた時、子供の学校があるときは宿題を手伝うため自分の英文読書の時間はそんなに取れませんでした。  私が5時間から7時間の読書ができたのは子供たちが夏休みになった6月下旬から8月いっぱいの間でした。  その時、一日5時間から7時間読んで一か月たった時、最も頭の中の変化を感じました。  それで、今回大学生の方々のためにこういう練習を書きました。  学生の方々でしたら、一か月くらいなら、いろいろな用事に邪魔されずに本を読むことができるのではないか、と思いました。  帰国子女の本に書いてある方法と違う練習方法を提示した理由はそういうことですので、ご了承ください。) 




英語教育に携わる方々の中には「一日5時間から7時間の英文読書」と聞いて驚く方もいらっしゃると思いますが、このくらいやってようやく「英語で考えること」の入り口に立てます。 そのくらい自分の頭の中を変えていくのは大変なことです。  だから、中学や高校で、週5時間英語で授業をやったところで英語で考えるようにはなりません。全く英語量が足りません。 「英語で考える」というのは英語で「思考活動」をすることで、dog といわれて、「犬」と思わないで犬のイメージを思い浮かべることではありません。 ある言語で思考しようと思ったら、洪水のように大量にその言語をインプットしなければなりません。 週5時間の「英語で授業」をやって教室を出れば英語など全く聞くことはない。 その程度の英語量で生徒たちが英語に慣れることもありませんし、英語で考えるようにもなりません。理解があいまいになるだけです。  そんな「英語で授業」という方法を中学校でも高校でもやるように強要する文科省は「英語で授業」で生徒の英語力が上がる、という証拠をお持ちですか。「英語で授業」を提唱した有識者会議の座長吉田研作上智大学名誉教授、松本茂立教大学名誉教授、安河内哲也氏は「英語で授業」で生徒が英語で考えるようになる、という証拠をお持ちですか。 私はアメリカにいた当時、息子から「こんなもの(化学の授業)、いくら英語で説明されたってわかんないんだよ」といわれた経験しかありません。 子供にしてみたら当然ですね。 英語はこれから習う言語なのですから。   留学した方や帰国子女の人達と日本で英語を学ぶ生徒達の英語インプットの量は全く違います。1%と100%くらい違います。 それを同じだと思って英語教育法を提唱されるのはとても迷惑なんです。 私の子供達はアメリカにいても、最初の2年間は日本語に訳さなければ何もわかりませんでした。 


(言語と思考について:   人間の思考は言葉になる前に心の中に存在し、それに言葉をまとわせているだけだから言語で考えているわけではない。という意見があります。 しかし、人間は「Aさんの考えたことを言葉で聞いて、Aさんと同じ考えを言葉から頭に構築すること」ができますので、「人間は言葉によって思考する」といえると思います。 だから言葉による思考の伝達も可能になります。「伝達」は言葉の重要な役割ですね。 書物を読むときは、まさに書かれている言葉から思考を構築します。 学校教育もそうですね。 子供たちの心の中に三権分立という考え方は最初からありません。 言葉で教えてそれを理解します。 言語と思考についてはこちらのブログに書きました。)
 


今後は上の1,2,3、を一括して、「川合式英語学習法」という表現を使わせていただくことにしました。  各学年を一つ一つ書いていると、文章が長くなってわかりにくくなりますので、1.2.3.を一括してそう表現させていただくことにしました。

なお、大学教育を英語で行うことの問題点については2016年3月1日より、連載してあります。  シリーズの中で皆さんの関心が高かったのは、「大学教育を英語で行うと、教育を受ける権利の観点から、集団訴訟を起こされる可能性がある」と書いた2016年4月10日のブログでした。  日付をクリックするとそのブログに移動できます。

川合式英語学習法は、

発音習得を重視します。  また、
初期の英語学習には日本語での説明が不可欠である、という観点に立って、生徒に高い英語力の基礎を習得させることを目的とします。

川合式英語学習法と対極にあるのが、文部科学省方式の指導法です。 「中学、高校の英語の授業を英語で行う」という指導法です。  小学校においては、生徒が実際にカタカナ発音で話しているにもかかわらず、それを教科化するというものです。 

文部科学省方式の英語指導法は、生徒にカタカナ発音の定着をもたらし失敗します。  小学校の英語教育においては、すでにカタカナ発音が定着し、失敗が確定しています。

もう一つ川合式英語学習法の対極にあるのが、 「英語を英語で理解する」「英語で考える」という指導法を初心者にすることです。  提唱者は「日本人の英語力が伸びなかったのは日本語で英語を教えるからだ」(「英語で考える本」松本亨 英友社)という根拠に基づき日本語を使わずに英語を習得するよう勧めます。

けれども日本人の英語力が伸びなかったのは日本語を使って英語を教えるからではありません。  2002年、子供たちを連れて渡米した私は、毎晩、自分の右に息子を座らせ、自分の左に娘を座らせ、9年生の教科書と5年生の教科書を全文和訳しながら子供たちに教えました。  それは毎晩何時間も続きました。

もし英語を日本語で教えることが高い英語力の障害になるのなら、なぜ、彼らはバイリンガルになったのか。  つまり、私のこの体験は日本語で英語を教えることはなんら、高い英語力の障害にはならない、ということの証明です。  日本語訳は障害になるどころか、日本語訳なしには子供たちはまったく英語が理解できなかったという事実を私はこの目で見ました。 逆に言えば、5年生、中学生のレベルでは、日本語訳がなければ、英語が理解できないという証明でもあったわけです。

この私の経験から言えるのは、「英語で考える指導法」は根拠に「事実の誤認」があるということです。 何ら、客観的な証拠があるわけではなく、「松本亨氏が7年前、日本語訳で理解した英文を7年後英語のまま理解できたから、日本語訳を使って勉強するのは害があると思い込んだ」というだけのことです。 また、日本では日常生活で、アメリカのような大量の英語のインプットがありませんので、学習環境における英語のインプット量についても「事実の誤認」があります。(詳しくは2015年12月5日のブログセミの抜け殻」をお読みください。)

この2つの「事実の誤認」に基づいた、「英語で考える指導法」は結果として、日本の初級者には全く役に立たない指導法になっています。  詳しくは、7月7日のブログ「英語で考える」「英語を英語で理解する」という指導法は、日本でやっても効果はありません。  母国語並みの大量のインプットがありませんから。」をご覧ください。

私がなぜ、この点を明らかにするのか、というと、この点をあいまいにして置くから、文部科学省のような教育機関が、「英語で考える」という言葉に惑わされて、こういう指導法にひっかかるのです。

そうすると、迷惑するのは生徒なのです。  これ以上そういうことがないように、私は「英語で考える」「英語を英語で理解する」という指導法が、2つの事実誤認に基づいて提唱されたものであり、日本の英語学習初心者には全く役に立たない指導法であることを、明らかにしました。  

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先日私はシカゴで一緒だったお母さんたちと会いました。

「あと数年すると、中学校の英語の授業は英語で行われるようになるの」と私が言うと、向かい合って座っていたお母さんが、即座に「発音、どうするの?」と聞きました。

彼女は英語教育の専門家ではありません。  普通のお母さんです。  

普通のお母さんが聞いても即座にわかるようなことがなぜ、文部科学省の方々はお分かりにならないのだろう、と私は思いました。  また、文部科学省の方針を支持している英語教育の専門家の方々もなぜ、それがお分かりにならないのだろう、と思いました。  それがわからないようでは、もう英語教育の専門家とは言えない、と思いました。

「正しい発音とカタカナ発音の聞き分けもできない」「正しい発音を生徒に定着させる方法も知らない」これでは、英語教育はできません。  「英語で考える」「英語を英語で理解する」などという言葉に惑わされると、初心者に対して、こういう見当違いの指導をすることになってしまうのです。

子供に高い英語力をつけさせる方法はほかにあります。  地味な方法ですが、間違いなく、強固な英語力の基礎を作り上げる方法がほかにあるのです。  それについては上にあげた川合式英語学習法について書いたブログを参照してください。

どれも、私自身の発音習得の体験と、ゼロからバイリンガルになった子供たちの実際の英語習得の事実に基づいて、主張しているものです。

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高校入試で子供たちが親の収入によって差別されない為に以下のお知らせを書かせていただきます。

高校入試のスピーキングテストについて(大学入試のスピーキングテストについても同様です)

高校入試のスピーキングテストは本来文部科学省が学校教育で正しい発音を生徒に教えてから行うべきものです。  しかし、文部科学省が教科書にCDもつけず、正しい発音の仕方も学校で教えないまま、高校入試でスピーキングテストを実施する動きが都立高校などで始まっています。 (大学入試でもスピーキングテストが行われようとしています)  これは、スピーキングスキルの習得を塾や予備校、会話学校に丸投げするものです。  学校で教えていないスキルを入試でテストすることはあり得ません。

これでは経済的に余裕のない、塾や会話学校にいけない家庭の子供は誰にも正しい発音を教えてもらえず、練習するCD(音声モデル)も与えられないまま、高校入試でスピーキングテストをされることになり、明らかに親の収入による進路の差別が始まります。(詳しくは2018年3月8日のブログ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」をお読みください。)

皆さんの身近に教育関係者がいらっしゃいましたら、ぜひ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」であることをお伝えください。  (大学入試のスピーキングテストについても同じことです)  
15歳で親の収入のために進路を差別されるのでは子供たちがあまりにもかわいそうです。

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英語教育については、下のブログも併せてご参照ください。  日付をクリックすると移動できます。
2017年10月12日
文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない(子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き)





著書「帰国子女に見る世界に通用する英語力の作り方」の137ページに細江逸記先生の「英文法汎論」についてかきました。  現在は絶版ですが、私が持っている本の前から3分の1くらいまでの内容がネット上で見られます。

こちらです。(例文などが少しですが違うところもあります。)

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1138757

旧仮名づかいですが、私が最初に友人から借りて読んだものも旧仮名づかいで書かれた本でした。  それでも高校生の私にも読めましたので、皆さんにも読めると思います。  また、こちらの旧かなづかいの本には例文に日本語訳がついています。

昭和53年発行の私が今持っている現代仮名遣いの本には、例文の日本語訳は付いていません。  絶版になっている本ですが興味のある方はご覧ください。

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高校英語教育を文部科学省の誤解に基づいた方針から守るため、以下のご案内を書かせていただきます。

現在文部科学省が「グローバル化に対応した英語教育改革」の目玉として掲げているCAN-DO方式は、ヨーロッパの人々にはできますが、日本語を母国語とする人にはできない方式です。

文部科学省は「CAN-DO方式が日本人には不可能な方式である」と気づいておりません。  導入されれば教育現場は大変迷惑します。  中止する必要があります。  なぜCAN-DO方式が不可能なのかはこちらのブログをお読みください。

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何度もお願いをしているのですが、アマゾンのページで私の本のランキングを下げて妨害をしている人がやめてくれないので、(詳細はこちらです)しばらく以下の文章を掲載させていただくことにしました。

「本を出版する人は、他の著者の妨害をしない。  他の著者を妨害する人は自分の本も出版できない。」
出版社におかれましては、このことを出版の際、著者に理解していただいてください。

私のランキングを妨害している人は、たぶん、現実を受け入れられないのでしょう。
アマゾンの順位を1ペ―ジ目から2ページ目に下げられ、数日でまた2ページ目から3ページ目に下げられて、私は、この方の激しい妨害に驚いています。 

「学習者に正しい発音を習得してほしい」というのが自分の目標でしたら、他人を妨害する必要はありませんね。  他人を妨害してまで、何を手に入れたいのでしょうか。  ベストセラーの著者という名声ですか。  それなら、もうアマゾンで、ご自身の本はベストセラーに認定されているのですから、それで十分でしょう。  この上何が欲しくて私を妨害するのでしょうか?  もう英語教育とは関係ないことですか。  

私は、こちらに書いてある3つのことをするのが、目的です。  日本人が子音の日本語化を知っているか、いないかで、通じる英語で話せるか話せないかが、決まります。  ですから、このことを読者の皆さんに理解していただくのは、とても大事なことなのです。  私の仕事の妨害をしないでください。 

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クマさん、ウサギさん、ブタさん、それぞれが持っている旗に書かれたことの理由は、2017年7月30日のブログをご覧になるとわかります。