川合典子 ブログ

英語教育、英語学習、発音習得、帰国子女の言語習得について書いています。

7年前の出来事 (盗作したのは松澤喜好と上川一秋。二人とも私の40年の努力を一瞬で盗んでいった。「英語耳」松澤は出版で(出版社は後にKADOKAWA)、「英語喉」上川はネットで盗んだことを平然と提唱してた) 松澤と上川は本を売る為に盗みも平気でする。でも盗まれた方はどれだけ泣くか知ってる?松澤と上川は泥棒やりながら英語ビジネスしないで。私は英語喉のように発声しているアメリカ人に会ったことはない。みんな鼻腔への共鳴があった。だから音がきれいに響く。

2023年7月9日 角川歴彦氏らKADOKAWAの取締役の方々について覚えていることがありましたので、最後の部分に黒い太字で加筆しました。取締役の方々は無名の人間にはどんなひどいことをしてもいいと思っているように私には見えました。 無名の人間はつぶしてしまえば、どんなに酷いことをしても世間に知られることはないからでしょう。「悪いことも隠れてやればいい」それがKADOKAWAの体質のように見えました。 そういう意味では、こちらのブログに出てきた長谷部剛社長の日本経済新聞社も、国民に「英語教育は簡単にできる」と誤解を与える間違った記事を英語教育の専門家の指摘を徹底的に無視して掲載し続けるのは「無名の英語教師のいう事など日経は簡単につぶせる」と思っているからでしょう。KADOKAWAも日経も大手ですから「弱いものは力でつぶせばいい」  そういう出版社、ジャーナリズムの恐ろしさを私は身をもって知りました。  

(日にちをおいて書き足しましたので重複する部分が多々あります。その部分は飛ばして読んでください。すみません。)
私は英語喉のように発声しているアメリカ人に会ったことはありません。誰も英語喉のような発声はしていませんでした。(それに、少し下にスクロールした黄緑色の部分に書きましたが、私の周りの人たちには英語喉の発音はとても気持ち悪いそうです。喉だけでわざと声を低くした発音は気持ち悪くてぞっとするようです。盗作されなかったら他人の指導法に対してこんなことは書きません。上川は盗作しても謝罪もしない。悪いとも思っていないので私は非常に怒りを感じています) 私が会ったアメリカ人は鼻腔に共鳴があるのでもっと響きがきれいで声が強かったです。こんな感じに聞こえました。皆さんはCNNのキャスターの英語を聞いて、日本人が喉だけで声を低くした様な弱い音に聞こえますか。もっと大きな空間で固い部分に響かせた強い声に聞こえませんか? 私が最初の本を出版した後、上川が私の本を読んだ感想をブログに書いていました。「この本の出版は2010年なんだよね」と書いてました。自分の方が早かったと言うのですか。。私が2003年に初めて松澤氏の掲示板で英語の発声について書いたとき、真っ先に「発声法なんか関係ありませんよ」と反論してきたのは上川一秋だったではないですか。(私は1991年にシカゴの病院の受付の女性と話している時にこの発声法を身に着けました。著書にもそう書いてあります) 数年したら上川は「喉、喉」と騒いでいたから「自分の言ったことをもう忘れたの?」と思いました。それから、私が「アメリカ人と話しているうちに口の中の空間が勝手に変わった」と書いたことに対しては自分もそういう風でなければだめなのかなと思った、と書いていました。上川は「発声法なんか関係ない」と言っていた頃も「自分は全部聞き取れる」と言っていた。でも英語喉を出版したら「喉で発音すると聞き取れる」と変えた。その方が本が売れるからですか。 上川は聞き取りに悩む日本人を食い物にするのはやめて下さい。上川はHPに「喉発音できない音は聞き取れません」と書いていますがこれは明らかに嘘です。「英語耳」が「発音できない音は聞き取れない」で売れたから、真似してそういうキャッチフレーズにしたんですか? (人間の体は耳で聞いた音を口で発音する仕組みになっています。 まず耳で聞くことが先です。 私の娘はGirl という単語が発音できませんでした。 発音できなくても友達の話す Girl の音は聞き取っていました。だから「ママ、”ぐ~”みたいな発音はどうやるの?」と聞いてきました。 まず耳でたくさん聞かなければ正しい発音はできません。 私も中学1年生のころ、お手本の英文の音は聞くことはできましたが、同じに発音する事は練習しなければできませんでした。 よく聞いて練習するから同じに発音できるようになるのです。聞こえた通りに発音できるようになるのです。) 私は全部聞き取っている日本人はたくさん知っていますが、どなたも喉で発音なんかしてません。(聞き取るためには、自分の頭の英語処理のスピードも上げておかなければなりませんから(こちらのブログ)、低い声で話せばリスニングができるわけでもありません。) ニュージャージーにいた時、ネイチャーセンターの理事をしていた方は日本人でした。全部聞き取っていましたけれど喉で発音なんかしていません。シカゴにいた時大学の同窓会を主宰してくれた方も日本人でした。その方はアメリカ人と結婚されてアメリカに住んでいました。全部聞き取っていましたが喉で発音などしていません。声楽の萩原先生も全部聞き取っていますが喉発音などしていません。アメリカから帰国してすぐ先生の甥御さんが留学することになっていた大学から書類について問い合わせがあった時、甥御さんが電話の英語がわからなくて先生が代わりに対処されたそうです。後でレッスンの時「あの英語は日本人ではわからないわね」とおっしゃっていました。先生は20年アメリカで仕事されてましたから聞き取れたのでしょう。身近なところでは私の子供達も仕事での英語は全部聞き取っています。 でも二人とも喉で発音などしていません。「喉発音できない音は聞き取れません」は明らかに嘘です。 嘘を言って自分のレッスンを売り込んでお金を取るのは詐欺です。上川一秋は詐欺はやめて下さい。サプリメントだって「○○が治る」というと薬事法違反になるからとても気を付けて広告しています。広告は何を書いてもいいわけではありません。 嘘はやめて下さい。 詐欺はやめて下さい。  泥棒や詐欺をやってはいけないことくらいわかりますよね。
アメリカ人の英語の音質は喉だけで声を低くしている音質ではありません。声が共鳴する空間が違います。声楽を40年やってきた私には鼻腔への共鳴が聞こえます。鼻腔に共鳴させるとこういう音質になります。私が喉だけで声を低くしてもこういう声の響きも声の強さも生まれない。私が中学一年の時、英語発音に魅せられたのは、この声の響きだった。松澤喜好は声楽の発声法も英語の発声法もできなかった。なのに私の「英語の発声法と声楽の発声法には類似点がある」というアイデアだけ盗んでいった。だから「英語耳ボイトレ」でそれを読者に教えるのは無理だった。「声楽の発声法が関係する本を書く著者がイタリア歌曲も歌えない」ということは常識ではありえない。松澤はイタリア歌曲も歌えないのに声楽に手を出すからすぐに盗作だとわかってしまった。松澤は声楽の常識も知らない。 それで「英語と声楽の分野が合体した初めての本だ」などと「英語耳ボイトレ」を宣伝していたのですからひどいものです。(アイデア著作権はありません。だからと言って声楽の発声もできない人が、自分が主催している掲示板に書き込んだ人のアイデアを取って「声楽と英語の分野が合体した初めての本だ」などと本を出版してよいはずはありません。その上、アイデアを盗んだ被害者の本のランキングを妨害するようなことをしてよいわけがありません。 また、上川一秋のように、最初は「子音は英語も日本語も同じだ」と言っていたのに、私のネット上セミナーを見た直後から「日本人のMは突然始まる。これを音の○○という」などと他人のアイデアに勝手に名前を付けてネット上で提唱するのも道義的に許されないと思います。)      私には英語の声に響きも強さも聞こえる。 だから「英語喉」の言っていることは全然違うと初めて見た時からわかった。でも他人の指導法に何も言うつもりはなかった。ただ「私が40年練習して聞けるようになった子音の日本語化」を上川一秋が盗んで提唱しても悪いとも思っていない事に怒りを感じただけです。  どうして2回も盗作されるの?ブログを含めれば何回も盗作された。人のものを盗んではいけない事は小学生でも知っている。なのに松澤も上川も平気で盗んでいく。松澤も上川も「何にも悪いことしてません」という顔して、人が40年も努力してわかったことを平気で盗んでいく。松澤喜好(英語耳)も上川一秋(英語喉)も泥棒しながら英語ビジネスしないで。もう悪いことばかりされるのは嫌です。英語喉については今回、ネット上に随分いろいろなことを載せているのがわかりました。 これだけたくさん載せているから、ブログだけで書いている川合典子の言っていることを盗んでも、自分が提唱者になれると上川一秋は思ったのですね。(やっぱり読者の皆さんが上川の盗作をとめてくれなかったら、私一人では、とてもやめさせられなかっただろう、と思いました。) それは「英語耳」著者松澤喜好も同じだった。 「無名の一個人などつぶせる」、「英語耳ボイトレ」を出版した時それが露骨だった。毎朝、夫や子供が出勤、登校した後、一人で泣きながら朝ご飯を食べてた頃のことは忘れられないです。 松澤は自分が盗みをした上に、盗まれた被害者を葬(ほうむ)ろうとする。 あれから14年、私を葬ることばかりしてきたんですよね。本のランキングを下げたり、ブログの順位を操作したり。 でも14年だめだったら、もう葬れないでしょう。 葬れなかったら、どうするのが一番良いか、お考えになったらどうですか?   「自分が泥棒した被害者を葬ろうと14年妨害する」 人格を疑います。








(2019年2月7日) 英語教育と直接関係のない内容でしたので削除いたしました。もうこれ以上長期にわたってこの問題(盗作,隠ぺい,妨害の被害)を心の中に持ち続けることが出来ませんでした。

(2021年4月) このブログを削除した後も色々なことをされて来ました。盗作をした松澤喜好氏とKADOKAWA(松原眞樹社長)は被害者を葬るために妨害を続け被害者はその苦しさに耐えられずに忘れようとしなければならないのはおかしいと思いました。それでは盗作の被害者はどこまでも苦しめられるだけです。それで発端となった事実は書き残しておこうと思いました。

(私が盗作の被害にあったのは、松澤氏だけではありませんでした。 2016年「子音の日本語化」を皆さんに聞き取って頂くために行ったネット上セミナーが終わった後、「英語喉」著者上川一秋氏がその内容を盗んで、自分のホームページで「日本人のMの発音は突然始まる。これを音の○○という」と、盗んだものに自分で名前まで付けて提唱し始めました。ここまでするのは相当悪質です。  私は皆さんに「子音の日本語化」を聞き取ってもらうために練習プログラムを書き、実際に被験者になってくれる人を探し、何か月も毎日練習してもらい、その記録を取りながら指導法を考え、ネット上セミナーとして公開しました。子音の日本語化が聞き取れるようになるまで、40年の発音練習もしてきました。 上川一秋は金もうけのために、人の40年の努力を一瞬で盗んでいった。 ネット上で提唱者になりすまし堂々と提唱していた。  しかもご本人は私のセミナーが始まる前までは「子音は英語も日本語も同じ」と言っていましたので、2つの子音の長さの違いも聞き取れなかった。 数か月前まで自分も聞き取れなかったことを盗んで自分で名前まで付けて提唱者になりすました。  そうやって世間を騙して本を売るんですか。 今だって、これだけのことをしておきながら上川氏は悪いことをしたとも思っていない。(だから私は怒りを感じました)     私は、2度目の盗作被害で途方にくれましたが、読者の皆様が上川一秋氏の盗作をやめさせてくださいました。 読者の皆様には本当に感謝しています。 ありがとうございます。     提唱者が「自分の指導法には価値がある」と思っていたら、他の指導者が指導していることなど盗まないでしょう。これでは提唱者自身が自分の指導法には全く価値がないといっているのと同じです。 それはそうでしょうね。 発声に関しては日本語と同じ狭い口の空間で、日本語と同じ小さい息の量で声だけ低くすると聞きにくいです。(日本人は子音も極端に短いですし) 少しざわざわしているところでは聞き返されてしまいます。(私は、声楽も40年以上やっていますので、「声」「空間」「息の量」の関係もよく知っています。 これは今思いつきで言っているわけではありません。 上川氏の指導法を見てから、ずっとそう思っていました。 でも、私が他人の指導法について何も言う必要はありませんので、ずっと黙っていました。  でも、私はこれほどまでにひどいことをされましたので、書かせていただきました。  上川一秋氏に盗作されなかったら、ずっと黙っていたと思います。  私は誰の邪魔をするつもりもありません。だから自分も誰にも悪いことはされたくないです。盗作も妨害も。)       一方、鼻腔も含めた(固いところもある)大きな空間にたくさんの息を使って声を共鳴させるとこういう英語になります。(川合典子HP(Wの練習「音声を聞く」)より)これは、シカゴの病院の受付で私の口が勝手に形を変えて英語を話し始めた時に身についたものです。 私は川合メソッド2でこちらの方法を皆さんにお伝えしました。  私の生徒さんはニューヨークで「女優さんみたいな英語ね」といわれたこの方を始め皆さん、鼻腔への共鳴のある音を好まれました。                松澤喜好さんは「声楽の発声法と英語の発声法に類似点がある」という私の考えだけ盗んでいきましたが、ご本人が声楽の発声法も英語の発声法もできませんので、皆さんにそれを教えることはできませんでした。機械に発音を判定させていると発声法は身に着けられません。耳を使わないとできません。(当時、ご本人も「私は声楽の発声法については全く知りません」とHPでおっしゃっていました。「全く知らないことについて本を書く」というのも、よくそれで編集者が納得しましたね。声楽の発声法を甘く見ていたんですね。これは、軟口蓋を上にあげて鼻腔に共鳴させる日本人が普段したことのない発声法で外からは見えませんので知らなかったのですね。 プロの声楽家でも年配の方は、この鼻腔への共鳴の出来ていない方が多いです。私はコロナの前はコンサートやオペラ歌手の講座によく参加していましたから、プロの方の発声もたくさん聞きました。 年配の声楽家は鼻腔への通り道が開いていない方がほとんどでした。 若い声楽家の方は大きく開いてきれいに響かせている方が結構いらっしゃいます。 いつだったか音楽ホールで聞いた若手の声楽家のコンサートで、とても大きく、きれいに鼻腔に共鳴させていらっしゃるソプラノの方がいて感動しました。私は発声に特に興味がありました。 彼女の発声をもっと近くで見たくて彼女のディナーコンサートにまで行きました。間近で見られました。いかにも鼻腔や頬骨によく共鳴しそうな顔の骨格をしていらっしゃいました。 顔の骨格については声楽の萩原先生と一緒に、レナータ・スコット(イタリアのソプラノ歌手)のDVD(ラ・ボエーム)を見ていたときに、先生がスコットの頬骨を見て「顔のその部分に音を響かせているとその部分が発達してくるのだと思います」とおっしゃっていました。  この鼻腔への通り道を開ける発声法はそれほど簡単なことではないようで、 いつだったか萩原先生が、「川合さん、この鼻腔に響かせる発声の仕方、そんなに難しい?」とお聞きになったことがありました。 その時、音楽大学の生徒さんでもなかなかできない方がいらっしゃるのかなあ?と思いました。)声楽の発声法というのは松澤喜好さんが考えているほど簡単ではありません。 声楽も専門技術です。イタリア歌曲も歌えない松澤氏がなんで声楽の発声法などと思いつくのでしょう。 他人のアイデアを盗んで、全く知らないのに「声楽と英語の分野が合体した初めての本だ」などと世間を騙すから、盗作だとわかってしまうのです。 私は娘のピアノの発表会の時、先生が「川合さん、ステージで歌わない?」と声をかけて下さったので、萩原先生に伴奏していただいて、市民会館の大ホールのステージでプッチーニのオペラMADAMA BUTTERFLY(蝶々夫人)のUn bel di vedremo(「ある晴れた日に」こちらのアリアです)を歌ったこともあります。 藤原オペラのプリマの方が教えてくださるアリアの講座に参加した時、私はそのプリマの方から「あなたの歌は、人に聞かせられるレベルね。」と言われました。 オペラどころか歌曲も歌えない松澤氏と一緒にされたくありません。(なお、声楽の発声法と英語の発声法は最後の処理が違う、ということはネット上セミナーの中で説明しました。 声楽は最後まで開けたまま、英語は最後は蓋をする感じ、ですね。音を聞きながら練習していけば、そのあたりのことは考えなくても英語の音質になっていきます。 声楽の音質で歌いたかったら、声楽家の歌ったCDなどよく聞きながら歌の練習をすると声楽の発声になっていきます。 私は、ルネ・フレミングミレッラ・フレーニのCDをよく使いました。  萩原先生は「声楽の声の出し方は、基本的に男性も女性も同じです」とおっしゃいました。(パバロッティの声を聞いていると先生のおっしゃったことはよくわかりますよね)  ネット上セミナー中に私が沢さんに「アメリカ人の男性の声も鼻腔に共鳴しているのがわかりますか?」とお聞きしたら、即座に「はい、わかります。」とお答えになったので、それは皆さんにもお分かりになると思います。 私はアメリカ人の男性の声は喉だけで低い声を出しているとは感じません。 もっと大きい空間で、響きも強い、と感じます。  アメリカにいたころ、水道が壊れると修理に来てくれたおじさんは低い声の人でしたけれど、その人の英語を聞いていても、喉だけで低くしているとは感じませんでした。 他に鼻腔、胸腔にも共鳴している、と感じました。 つまり、喉だけでなく共鳴する空間がずっと大きく、共鳴の仕方が強い、つまり声が強いと感じました。いくら低くても声は強いです。  私の友人は20年くらいアメリカにいました。インターネットで「英語喉」の発音を聞いてもらいましたが、自分がアメリカで聞いていた英語と同じには聞こえなかったようです。  やはり、鼻腔への共鳴がなかったからでしょう。彼女には喉だけでわざと声を低くしただけの発音は英語の発音には聞こえなかったようです。 彼女は「英語喉」の発音を嫌がっていました。 彼女だけでなくネット上セミナーに参加してくださった相田さんも嫌がっていました。 このお二人は面識はありませんが、二人とも「英語喉」の発音を聞いて同じことを私におっしゃいました。 それをここに書くのは上川氏に大変失礼になりますので、致しませんが、「英語喉」の発音は彼女たちにはあまり気持ちのいい発音ではなかったようです。特に相田さんには「英語喉」の発音は相当気持ち悪い発音に聞こえたようです。聞いていただいた時、気持ち悪くてぞっとするという感じでした。英語喉みたいに発声しているアメリカ人はいませんし、気持ち悪くてぞっとする人もいるならわざわざそういう発音をしなくてもいいでしょう。(上川は人のものを盗んでも謝罪もしないので、私の周りにいる人々の反応をはっきり書かせてもらいました。 盗作されなかったら、他人の指導法に対してこんなことは書きません。40年練習してわかったことを一瞬で盗作されて、ネット上で提唱者に成りすまされた人間の苦悩が上川にわかりますか。)  私は声楽の経験から声の美しさは鼻腔に共鳴させることによって生まれる、と思っているので、彼女たちが、喉だけで低くしている声をきれいだと思わないのはわかります。 かっこいいと思ってやっている男性の方は、気持ち悪いと思う人もいると知っていらした方がいいかもしれないですね。 二人とも英語喉の発音を本当に気持ち悪がっていました。    女性の声ならわかりやすいと思いますが、私はアメリカ人の女性で「英語喉」のようにしゃべっている人に会ったことはありません。 喉だけで声を低くして、鼻腔に全く共鳴のない英語を話す女性にあったことはありません。 みんな鼻腔に共鳴がありました。 上川氏には鼻腔への共鳴は聞こえないかもしれませんけれど。 聞こえないでしょうね。 だから喉だけのしゃべり方を提唱しているのですよね。 今、CNNをつけてみましたけれど、女性は誰も「英語喉」のようにしゃべっていません。 喉だけで声を低くして、鼻腔に全然共鳴のない女性の話し方はどこに存在するのだろう、と思います。 上川さんが考え出したしゃべり方でしょう。女性と男性で声の高さは違いますけど、アメリカ人の男性と女性でしゃべり方が違うとは聞いたことはありません。(音声学のモデル発音は女性も男性も録音しています) ですから女性が誰も英語喉のように話していない、ということは男性も英語喉のように話していない、ということでしょう。「英語喉」のしゃべり方はだれもやっていないしゃべり方だった。 上川一秋氏が考え出したしゃべり方だった。  上川氏には、どの女性のしゃべり方にも鼻腔への共鳴は聞こえないかもしれませんけど私には聞こえます。        以上は私の個人的な意見ですから、反対意見を持っている方は、それはそれで結構です。 「この女性には鼻腔への共鳴がない」と例を挙げるのも結構です。 でも、多分私には聞こえると思います。私は40年声楽をやってきましたし、発音も13歳の時から耳で習得してきましたから。 英語の音質でしゃべる口腔、鼻腔の形も考えて作ったわけではありません。シカゴの病院で受け付けのアメリカ人と話していたときに、勝手に口が形を変えてそういう音質になっただけです。 作為的に何もしないのに、身に付きました。 私は13歳の時から「聞こえた通りに発音する」という練習をそれまでに30年以上繰り返していました。 その結果、耳はその時も聞こえてきた英語の音質で話すように私の口の中を変えたのだと思っています。   「英語喉」をやりたい人はやったらいいと思います。邪魔をするつもりはありません。  上川氏に盗作をされなかったら、こういうことは一切言いませんでした。  本来、私が言うことではありません。でも盗作をしても、いまだに悪いとも思っていない上川一秋氏に怒りが抑えられませんでした。 しかも盗作されたのは2度目です。 松澤氏も上川氏も私が40年練習してわかったことを一瞬で盗んでいきました。 そして「何も悪いことはしてません」という顔をして松澤氏は出版、上川氏はネットで堂々と提唱していました。 怒るな、という方が無理です。  松澤氏に至っては、その後私の本のランキングの妨害まで始めました。盗作がばれないように私を消したかったのでしょう。  (でも一年ほど前、私はある方にこう言われました。  「松澤さんの役目は川合先生を世に出すことだったのですよ」私は「えっ!?」と思いました。 確かにこちらのブログに出てきた外国人の方に私は、「2008年にだまされます。 仕事の最終的な段階で、困難と障害に会います」といわれました。 その方は別れるとき、心配そうに私のことを見ていました。 今思い返すと、まるで、この女性が「騙された後に次々される苦しいこと」に耐えられるだろうかと思っているようでした。 そして励ますように星のことを言ってくれました。私は「星??」全然意味が分かりませんでしたけど。 でも、だからといって、ベストセラー「英語耳」を書いた松澤氏の役目が私を世に出すことだったとは考えたこともありませんでした。 確かに松澤氏に盗作されなかったら、私は本を出版することもなかったでしょう。 それは、盗作されたから本を出版した、という意味ではありません。 このすぐ下の部分に書いてありますが、盗作されて泣いてばかりいたころ、自分はある人にどうしても会いに行かなければならない、という気がして会いに行ったら、彼女が私の発音を聞いて「本を出版しましょう」と言ったのでした)                                                                             英語の音質で話すことは、機械に発音を判定させて練習している間は身に着けられません。 私の口が勝手に形を変えて英語の音質になっていったのは(その時のことは私の本に書いてあります)私が耳を使って発音を習得したからでした。 ネット上セミナーのプログラム作成のため被験者になってくださった方も自分の耳で私の発声した声を聞いて英語の音質で話す口、軟口蓋、鼻腔の状態を体得していきました。 声楽の萩原先生が「生徒に発声を教えるとき一番いいのは、先生が一緒に発声してその声を聞いてもらうこと」とおっしゃっていました。 私もそうやって萩原先生の声を聞いて歌曲やオペラを歌う時の発声を身につけました。 娘も私の発声を聞いて声楽の発声ができるようになりました。 英語の発声も同じです。 耳で習得します。 機械に発音を判定させていると習得できません。 また、子音の日本語化も自分で聞けないと直せませんから、発音習得は自分の耳を使って行いましょう。

2003年から2008年まで私は、松澤喜好氏の掲示板で英語の発声法と声楽の発声法の類似点について、時々書き込んでいました。  私はそれが英語学習をする人の役に立てばいいと思っていました。
2008年10月、松澤喜好氏は、「英語の発声法」のために「声楽の発声法」が役に立つという内容の本を出版しました。  私はこの時、大きなショックを受けました。   松澤氏は声楽の発声法はまったく出来ない人でした。  ですから、英語の音質で話す口腔、鼻腔のポジションはその本には書いてありません。 私の発音の生徒さんで大学の先生がいるのですが、彼女はこの時非常に憤慨して「その人は、恥ずかしくないんですか」といいました。 そして書店で松澤氏の本の内容を見て、レッスンの時に、「本には英語の発声を習得するステップが全く書いてありませんでした」とおっしゃっていました。
(英語の音質で話す、口腔、鼻腔のポジションについては、2016年6月からブログで行いました「川合メソッド2」ネット上セミナー第2部で、皆さんにお伝えしました )

掲示板に参加していたみんなから「盗作だ」という批判が高まると、出版社アスキーメディアワークスは、一度出版した「ボイストレーニング」という本の題名を「英語耳ボイトレ」と変え、表紙を松澤氏の前作「英語耳」と色違いで同じデザインに変えて、2か月後にもう一度出版しなおしました。  そして、著者、出版社ともに、「英語耳ボイトレ」は松澤喜好氏の「英語耳」シリーズの中の1冊であり、松澤氏自身のアイデアで書かれたものだと強調しました。  つまり、「表紙を変える」「題名を変える」という操作をして、「盗作だ」という読者の批判をかわそうとしました。 

けれども、声楽をやったことのない人が、声楽と英語の発声法に類似点がある、と自分で気づくはずはない、ということは、読者にもわかります。  それで、表紙を変えても題名を変えても盗作だという批判はなくなりませんでした。

私は、あの頃はまだ、出版社と言うのは公共性の高い仕事をするものだと思っていましたから、盗作を隠ぺいして「英語耳ボイトレ」を売る アスキーメディアワークスの姿に、大きなショックを受けました。  

あの時、声楽の発声法と英語の発声法の類似点を何年も指摘して来た「一個人」がいたことなど、「英語耳ボイトレ」をたくさん売ってしまえば消えてなくなると松澤喜好氏もアスキーメディアワークスも思っているのがよくわかりました。 私は、まだ本も出版していませんでしたから、彼らが「松澤氏はベストセラー「英語耳」の著者だから一個人など簡単につぶせる」と思っているのがよくわかりました。  

「アイデア」に著作権はありません。  ですからアスキーメディアワークスは批判は徹底的に無視しました。  私の抗議も無視でした。  けれども、法律に書いていないから、著者や出版社は自分が「まったく出来ないこと」について、他人のアイデアをとって本を書いていいということではありません。  著者も出版社もそういうことをしてはいけない、というのは、出版において、最低限のルールでしょう。 
 
「編集長との対話」など、派手な企画をしながら、「英語耳ボイトレ」を売る アスキーメディアワークスと松澤喜好氏を私は黙って見ているだけでした。  みんなの批判を受けても、松澤喜好氏とアスキーメディアワークスは「英語耳ボイトレの出版に関して、批判らしきものは、一切存在しない」という姿勢を崩すことはありませんでした。  「著者も出版社も本を売るために、随分ひどいことをするんだな」と思いました。 あの頃、娘が見ていたテレビのミステリーで、小説や曲を盗作されて自殺する若い小説家や作曲家の話がありました。 あれはテレビの中の話だから自殺までするのだろうと思っていましたが、実際にされてみると本当に耐え難かったです。 一人になると、涙が止まらなかったです。
  
たぶん他人が見ても、アスキーメディアワークスと松澤喜好氏のしたことは随分ひどいことだったのだと思います。  出版後、松澤氏の掲示板は荒れに荒れて、閉鎖になりました。掲示板にはShame on you.(恥を知れ)と書いた方もいらっしゃいました。  2008年12月18日、松澤氏はホームページに掲示板を休止する理由を掲載して掲示板を閉じました。 その中に「松澤は盗作!というのはすごーい!と思いましたが、その少し前から、全部を読むことは断念していました。」という一文がありました。 ご本人も盗作ということはわかっていたのでしょう。


結婚してからずっと家庭に入って静かに暮らしていた私は、こんなことが自分に起こるなどとは思いもしませんでした。 突然のことで、最初はどう受け止めたらいいのかもわかりませんでした。 松澤氏が何も悪いことをしていないようなふりをして、英語耳ボイトレを「声楽と英語の分野が合体した、これまでにない本だ」と宣伝しているのを見ると、無名の一個人は何をされても何も出来ないのだと思いました。

あの頃の私は、一日一日を泣きながらやっと過ごしていたような状態でした。 朝は夫や子供たちが会社や学校に出かけた後、泣きながら朝ごはんを食べました。 夜は家族にはわからないように泣きながら眠りました。 「枕を濡らす」ってこういうことなんだと思いました。  抗議しても、松澤喜好氏も出版社も徹底的に無視するだけでした。あの頃は、私はブログも書いていませんでしたし、誰にも言えませんでした。

くらいトンネルの中にいるようなその時、私は心の中で「自分はある人に会いに行かなければならない」という気がしていました。 理由はわからないのですけれど、どうしても自分はその人に会いに行かなければいけない、という気がしました。 アメリカに行く前に2度程お会いした方でした。 どうしたらいいかわからなくて、泣いてばかりいましたけれど、「とにかく彼女に会いに行かなければいけない」そんな気がしました。  

私は、彼女に「アメリカから帰国しました」と葉書を出して、東京の彼女の仕事場を訪ねました。彼女は私よりかなり年上の人でした。 アメリカでの生活、学校に慣れるまでの子供たちのことなどいろんな話をしました。 「典子さんは今は何をしているの?」と聞かれたので、私がアメリカで声楽を習っていた萩原先生が帰国されたので、今は先生に英語の歌を指導していただいています、と話しました。 彼女が私の英語の歌を聞きたいというので、後日私は録音したものを彼女に送りました。   その中にはこちらの歌(No More Tears(Enough Is Enough)も入っていました。 この歌の1分50秒からのドラムが効いたアップテンポの部分を聞いた彼女は「音楽がよく流れている」と評価してくれました。(この1分50秒のところで「tear」という歌詞を32拍保って歌います。バーバラは苦も無く歌っていますけれど、普通の人間が32拍伸ばすのは大変です。)アメリカでバーバラ・ストライサンドのカラオケCDを買ってきていて、その中にこの曲も入っていました。 バックコーラスが入ったバンドの演奏で、まるでステージで歌っているような気分で歌えました。 カラオケはこのYoutubeの演奏より短く4分半くらいの演奏でした。(ディスコで踊る部分の演奏がカットされて、歌のみを聞かせる構成になっていました。)  私の歌を聞いた彼女は「今は英語が通じなくて苦労している人がたくさんいます。 川合さんの発音指導を生徒さんだけでなくもっと多くの人に知ってもらったらどうですか。」と言いました。 そして、彼女の紹介してくれた人に私が英語発音のレッスンをして効果があったら本を出版しましょう、という話になりました。「彼女に会いに行かなければならない」とは思っていましたが、こういう展開になるとは想像だにしませんでした。 それから一年間、その人に英語発音をお教えして効果がありましたので、本を出しましょう、という話になりました。  本ができるころまでには私が松澤氏に盗作されたことも彼女には話せるようになっていました。 彼女は純粋に日本の英語学習者に通じる発音を習得してもらいたい、という思いから私に出版を勧めてくれたのですけれど、私が松澤氏にされてきたことを聞くと、「まるで、魔界の大魔王に挑む小さな魔法使いのようね。」と私を見ておっしゃいました。  そうですね。 結婚後ずっと家庭に入っていた私は、この時、この外国人の方にお会いしていなければ、とても出版などという勇気は持てませんでした。 散々、無名の人間として無視されてうちのめされていましたから。そんな私に彼女は非常に冷静に「家庭に入っていたといっても、あなたは英語発音に関してはプロ以上のことをしてきたのですよ」そう言いました。 彼女は過去に女性のキャリア指導の仕事をしていました。 そのためか彼女には「その人の経験が持つ価値を仕事として測る」という視点がありました。彼女自身、留学の経験もありました。彼女は多くの人のキャリア指導を行ってきて、「ある分野で秀でる人間には、必ず成長の過程で(つまり子供の頃から)それにこだわってやってきたことがある」そう思っているようでした。 例えば、その頃、彼女はある若い芸術家の女性の支援をしていました。 私はその女性にお会いしたことはありませんが、彼女がその女性についてこんな風に話してくれたことがありました。 「あの子はね、お父さんが考古学者なの。 小さいころから発掘された土器などがいつも身の回りにあったの。あの子は本物の土器の破片で遊びながら育って来たの。だからそういうものに対する感覚は普通ではないの。」 子供のころに蓄積されたものを彼女はよく見ていました。 彼女は、「それをすればお金が儲かる」とか「高い地位につける」とかまったく知らない子供のころ、純粋にそのことが好きで没頭して身についた能力を特別な関心を持って見ていました。  私の英語の歌を聞いた彼女は、私の英語発音習得の方法を聞きました。 私がその発音を中学時代2年間毎日2時間発音練習を続けて身に着けたことを知って「それがまさに川合典子が成長の過程で(子供の頃から)こだわってやってきたことだ」と思ったようでした。(誰もが英語発音はネイティブか先生に教えてもらうものと信じていた時代に私は自分の耳を使って発音を習得しました。(20年後、自分の子供をアメリカに連れて行った時、自分がしていた耳を使う発音の習得方法は、帰国子女が発音を習得する過程と全く同じだと知りました。30年後、中学(娘)、高校(息子)の帰国子女がそうやって発音を習得する過程を私はずっと見ていました。)   私は、耳を使って発音を習得したから「日本人の子音の長さは英語の子音の長さとは違う」ということも聞き取れるようになりました。 もしかしたら、彼女は「私の話す英語の子音がほかの日本人の話す英語の子音とは違う」と気づいたのかもしれませんね。(彼女自身アメリカとカナダに留学の経験がありましたから、英語はかなり堪能でした) それが、あの若い芸術家のように「川合典子の英語の発音は普通の日本人の英語の発音とは違う」と感じさせたのかもしれません。 私の英語の歌を聞くなり、即座に「その人に教えて効果があったら本を出版しましょう」と言われて、私の方が、驚いてしまいました。 あの時の彼女には何の迷いもありませんでした。  ただ、その子音の長さの違いを皆さんに理解していただくのは「英語を日本語に訳してはいけない」が全くの間違いだと理解していただくのと同じくらい難しいことでした。 でもどちらも理解していただかないと、日本人の英語力は上がらないと思いましたから、何度もブログで一生懸命説明しました。発音習得に関して私が最も言いたかったのは「自分の耳を使って習得してください」ということです。 自分の耳を使わないで先生の言う通りしゃべっている英語はどんなにネイティブっぽく聞こえても、カタカナ発音と同じです。 なぜなら子音の言い方が日本語のカタカナと同じだからです。 短い子音は英語の子音ではなく日本語の子音だからです。) 彼女に「英語発音ではプロ以上のことをしてきた」といわれて私は自分と英語とのかかわりを思い返しました。 体の弱かった私は、中学時代も自分の将来はあまり明るく考えられませんでしたけれど、英語の練習をしている時だけは、なんだか英語が自分をとても広い世界に連れて行ってくれるような気がして夢が膨らみました。 大人になって英語の教師をし、外資系企業でアメリカ人と働き、シカゴでアメリカ人の親子のプレイグループに入りました。プレイグループでは週に一回2時間くらい子供を遊ばせながら、親は雑談しているだけですけれど、それでも、「Gulf Warについてどう思うか?」とか、普通に聞かれますので、結構緊張感はありました。 そういう時は、夫が毎晩テレビで見ていた時事問題の討論が役に立ちました。   ニュージャージーでは学校のクラス委員をして、学期末のパーティ―の準備や何度も雪でクラスの半数の保護者に緊急連絡をしたことなどが思いだされました。クラス委員は2人なので半分ずつ分担しました。 そういえば、地域でバザーなど日本人の活動の代表をしていた方から、「日本人のお母さんで学校でそこまでやる人はいませんよ」と言われたことがありました。私は英語のわからない娘を良く受け入れて下さった先生方や学校へのお礼の気持ちで引き受けました。図書のボランティアを引き受けたのも同じ理由でした。(その方は駐在ではなく永住されていました。高校のボランティアも一生懸命されていて、日本人が学校でそういうことをしないのは仕方ないことなのだともうあきらめていらしたようでした。) 子供の宿題を一緒にやり、時間を見つけては発音練習をしました。 息子に「家に帰ってきてまで英語を聞きたくない」といわれたら、ガレージの車の中に発音練習の教材とテープレコーダーを持ちこんで練習しました。 家族旅行の時は夫がお風呂に入っている間にやりました。(発音練習は一日も休みたくなかった。もっと上手になりたかった。息子に「お母さんはもう年なんだからそんなに勉強したってしょうがないんだよ。 といわれたこともありました。 そんなことはどうでもよかった。 私は発音を習得して何かに利用するためにやっていたのではありません。 「発音が上手になりたい」中学生の時に聞いたあの英語と同じにしゃべりたい。 理由はそれだけです。他人に褒められようが褒められまいがまったく関係なかった。お手本と同じに発音できた時、とてもうれしかった。 年齢なんかどうでもいいです。この先、年老いて死ぬだけでも、そんなことはどうでもいいです。聞こえた通りの発音で喋れた時はとてもうれしかった。それがうれしくて練習していました)  けれども自分が好きでやってきたことだから他人と比べたことはありませんでした。 彼女にそういわれて初めてそれが「プロ以上のこと」だったのだと知りました。 自分にとっては当たり前のことで、ちっとも特別なことだなどと思ったことはありませんでした。

(私がこちらのブログで、「お子さんが何をしている時、楽しそうか、いきいきしているか見てあげてください」と書いたのは、私自身が好きなことに熱中してやってきたら、それが、「プロ以上のことをやってきたのですよ」といわれるような結果になっていた。 そういう経験があったからでした。 こちらが、中学1年生から「英語が上手になりたい」と夢見て練習してきた私の発音です。32歳まで日本の外で暮らしたことはありません。 通じるためには各発音の特徴をきちんと音声として出せるように練習することが一番大事です。単語だけではなく文章を発音するときもその音の特徴をきちんと音声として出せることが必要です。 そのうえで、「英語の音質で話したい」と思う方は2016年6月からブログで行いましたネット上セミナー「川合メソッド2」の練習を行うと英語の音質で話せるようになります。 「英語の音質で話せば、基本の発音ができていなくても通じる」ということはありません。 どんなにネイティブっぽい声で話しても、基本の音の特徴が音声として相手に聞こえないと通じませんので、まず、正確な発音を練習して身に着けてください。)

私がテープで発音を学んだのは昭和40年代でした。 日常生活で、英語の発音など全く聞くことはありませんでした。 今のお子さんは生まれた時から周りに英語の音がたくさんあります。 中学生にCDを渡して耳を使って習得させれば当時の私よりずっと上手にスピーキングをするようになるでしょう。 文部科学省が早く中学生にCDを渡してくれるよう私はずっと言い続けてきました。 いまだに配ってくださらないのが残念でなりません。子供たちのスピーキング能力を上げる方法は今、私たちの手の届くところにあります。あとは学校でその教育と練習を始めればいいだけなのです。 文部科学省がする気になればいつでも始められることなのです。(赤い字で加筆した部分は政府に読まれたら、きっとまたきつい妨害が始まりますので、ブログトップには書きません。 皆さん、どうぞツイッターで拡散してください。子供たちをスピーキングの達人にする方法があることを、そしてそれは文部科学省がする気になれば今すぐにでも始められることを、周りの方々にお伝えください。「今年の新中学1年生もCDを配って、ネイティブ発音にしてあげられなかった」そう思うと私はいてもたってもいられないようないら立ちを感じます。(昔は4月になって「今年の新中学1年生もネイティブ発音にしてあげられなかった」と思うと気が滅入ってきましたが、最近はいら立ちを感じます。)いろいろな可能性をこれから広げて活躍できる年齢なのに、英語ですでにもう不利な条件を背負わされるようでかわいそうです。今すぐ日本の子供たちの英語を通じるようにしてやる方法があるのです。 文部科学省がやればいいだけなのです。 文部科学省が英語教育改革とかスピーキングの大学入試改革とかで提唱していることは全く的外れなのです。それは子供たちの発音をぼろぼろにするだけなのです。学校教育で子供たちをネイティブ発音で流ちょうに話せるようにしてやれば、日本の国際化は今までとは比較にならないほど進むでしょう。まさに子供達の持っている能力を引き出すことにより日本の将来も変わります。それが学校教育の本当の使命です。入試でスピーキングテストをするより、学校で実力をつけさせることによって国際社会で活躍できる日本人がたくさん育ちます。 どうぞこのことを皆さんの周りの方々にお伝えください。このことを日本の多くの人々が知るようになれば、下村博文何度効果を否定されても持ち出す「スピーキングテストばかりさせようとする今の教育行政」を変えることができると思います。 日本人は外国の真似をした英語教育ではだめなのです。 なぜかというと、ヨーロッパの言語は英語と親せき関係にあるので、発音も語順も母国語を話している段階である程度できています。 ところが日本語の子音は、常に母音と一緒に発音されるので極端に短く、その子音で英語を話すと子音が聞こえないので通じなくなります。 語順は日本人は主語の後すぐ、動詞や否定語をなかなか言えません。  ですからその2つ(発音と語順)が母国語の段階でできているヨーロッパの指導法を日本でしても効果がないのです。 日本人には日本人が英語習得で難しいと思うことを克服する指導法をしなければだめなのです。(4月13日22時40分)



ちょっと話が脱線してしまいますけれど、長くなったついでに小学校時代のことを書きます。 私は小学校6年生の時、子供用の雑誌で次のようなニュースを読みました。「ある小学校の6年生が池で見つけた生物を教室の水槽で飼うことにしました。何の生物だったかはっきり覚えていないのですが、オタマジャクシのように成長すると陸に上がる生物だったと記憶しています。 そんなに珍しい生物ではなかったと思います。生徒が学校の池で見つけたくらいですから。 子供たちは大変熱心に観察して、当番制で観察日誌を書きました。  その生物が成長して大人になった後、その観察日誌を見たら、専門家も知らない事実がいくつもわかった、というニュースでした。  それを読んだ私は「子供でも熱心に一つのことをずっと続けてやっていくと大人もわからないことがわかるんだ」と思いました。 (裏をかえせば、大人は何でも知っているような顔をしているけど、本当はそのもの自体を「よく知っている」というほど真剣に見ていないのではないか、とも思いました。弱虫な子だったのに、ちょっと生意気ですね)


同じようにずっと継続して観察することが大事だということは発音を勉強していて思いました。  Cut の/ア/(活字がないのでカタカナで代用します) や Foot の /u/ の発音はアメリカ人はリラックスして発音するという人がいます。  実際アメリカでそう書いてある本を読みました。 けれども日本人はリラックスして発音するとこの/ア/の鋭さは出ませんし/u/の母音を保持してしゃべることができません。 これは日本語がおなかを使って音を出したり、母音の長さを保持してしゃべったりすることがないことからくるものです。  英語や英語と親戚関係にある言語の人にはそういう解説でもいいでしょうが、日本語を母国語とする人には当てはまりません。  音声学を専門的に研究していらっしゃる方々でこのことを知っているのは、きっと、長い間自分で英語と同じ音を出そうと努力して来た方々だろうと思います。



そういうことを経験してきましたのでお子さんが熱中してやっていることがあったらそれを大事にしてあげてください、と先のブログに書きました。  私の子供たちが通った小学校の現在の校長先生のお話です。  ある日、職員会議の直前に窓をたたく男子生徒がいたので「何?」と聞いたら、「カマキリを捕まえたのでどうしても先生たちにカマキリについて話したい」という。 先生方は職員会議の時間を気にしていたけれど、その子を部屋に入れて話させたそうです。  そうしたら、カマキリについてとてもよく知っていて、先生方も舌を巻いたそうです。 たとえ職業にするのでなくても、熱中するものがあると子供はイキイキしていますね。 (私の住んでいるところは田舎なので鳥や昆虫もたくさんいます。 先週なんか、うちの裏の草むらにタヌキが3匹来ていました。大きさから親子だったみたいです。 夕方、雨戸を閉める6時20分ごろ、もう薄暗い頃でした。夫が写真を撮ったら、フラッシュが光ったせいか2匹は遠くへ逃げていきました。 一年くらい前には小学校の裏の通りでサルの目撃情報があったので、「危険ですからサルを見たら、目を合わせないでください」というお知らせが市役所から回ってきました。  サルとかタヌキとかまるで「にっぽんむかしばなし」の世界だ、と私は思いました。)     



(関係ないことをたくさん書いてしまってすみません。 eポートフォリオのブログを書いたころ、私のブログアクセスは本当に「7」とか「9」とか夜まで一桁でした。  でも、私が皆さんに「ツイッターで拡散をお願いいたします。」とお願いしたら、たくさんの方が読んでくださったようでした。  お願いして、皆さんにやっていただける、というのはありがたいことだとあの時身に染みて思いました。 政府からこんなにきつい妨害をされてもサポートしてくださる人々がいるというのは本当にありがたいことだと思いました。  私が皆さんに感謝の気持ちをちょっとでもお伝えできるのは、文章で書けることだけです。  それでこんなお話も書きました。(日常生活のことは書かないように夫から言われていますけど(多分何かトラブルに巻き込まれるのが心配なのでしょう。今だって政府に妨害されているくらいですから、十分なトラブルだと思っていると思います。子供たちがかわいそうだからやっていると知っていても出来ればやめてもらいたい、と思っているのがわかります)でも今日は特別だから。。。)  


夫は私がブログで何をしているのか、あまり知りません。  先日、夫がたまたま私の2021年1月14日のブログの題名を見ました。 そして「典子のブログは相当ひどい」といいました。   

2021年1月14日のブログの題名は下のようになっています。
政治家(下村博文)の悪だくみに科学的お墨付きを与えたのは国立情報学研究所所長喜連川優。詐欺の実行犯新井紀子は子供を罠にはめるテストを”読解力を科学的に測るテスト"と偽って、指導資格のない国語教育で子供を食い物にする。ベネッセは調査協力。詐欺は犯罪です。


私は夫に「典子のブログが相当ひどいのではなく「相当ひどいことをする人」のことを書くから、典子のブログが相当ひどくなるの」といいました。 そうしたら、夫は「どっちでもいいけど、くれぐれも名誉棄損にならないようにしてね。」といいました。  私は「はい。」と返事をしました。 でも心の中で(典子は嘘なんか書いてない。 中学生に一人も教科書を読ませてもいないのに「教科書がすらすら読める順に偏差値の高い高校に入学できていることがわかってしまったのです」と新井氏は嘘をついてテストを売っている。(しかも新井氏は令和3年6月15日より東京都の教育委員なんですよね。 教育委員が学校を騙していいんですか?) 国立情報学研究所喜連川所長は「文章を正確に読む力を科学的に測るテストを開発」とニュースリリースを出しているけど、アミラーゼについて書いた文を読ませてセルロースの形を問うテストは科学的なテストではない。(新井氏が作ったアミラーゼの問題を見た時、私はこう思いました。「新井氏は”書いてある文字や言葉をベタに取り込んで機械処理するロボット”と思考力を働かせて「何が重要か」を考えながら読んでいく人間の脳の違いを忘れてしまったのかしら」    人間とロボットの違いを忘れた人に教育は出来ません。教育が育てるのはロボットにはない人間の「思考力」だからです。 参考までに彼女の本「AI vs 教科書が読めない子どもたち」の92ページに書いてある東ロボの読解問題の解き方を引用しておきます。 「傍線のついている部分とその前の段落の文を取ってきて「『あ』という文字が何回、『山』という文字が何回」と同じ文字の数を数えて、選択肢のほうも同様に数えて、一番重複が多い選択肢を選ぶという方法を採用したのです。 文の意味どころか、単語の意味も調べません。無謀と思われるかもしれませんが、この方法で論説文の傍線問題は早々に正答率五割に達しました。」 以上引用。 これでロボットを東大に合格させて何か子供の読解指導に役立つ意味がありますか。 2016年8月21日の東京新聞で新井氏は「(子供たちは)内容や意味を理解すれば正解にたどり着くはずだが、それができず、AIと似た誤答を選んでいるように見える」とコメントして、新聞には「AIロボと似た誤答 研究チーム謎解きへ」となっています。 解くべき謎なんかありません。 人間はロボットと違って文字の数を数えるのも大変です。 そんなことやってるわけないでしょう。子供たちが間違えたのは新井氏が間違えるように問題を作ったからです。 子供たちは新井さんの罠にはまっただけです。 人間がアミラーゼについて書いた文を読んだら、アミラーゼに関する情報をつかむのが大事だと「思考力」を働かせて読んでいくのです。 そこでセルロースとデンプンの形を聞くんですから、間違える子が出るに決まっているでしょう。 思考力を働かせて読んでいる子供達にフェイントをかけているのは新井さんの方でしょう。 セルロースとデンプンの形の違いを子供たちに学んでほしいなら、それを説明した文を教育者は読ませるべきです。  人間は何が重要なのかも考えずに字数で処理するロボットとは頭の中身が違うんです。新井さんにはロボットと人間の脳の違いもわかりませんか。 「何が重要かを考えながら文を読む」それこそが人間の脳にしかできないことなのです。 新井さんの作ったこの問題は「何が重要かを判断して文を読む」人間にしかない思考力を否定するものです。  国立の研究所が詐欺の母体になっていいの?新井氏はそこに所属して詐欺のテストを作ったのでしょう? 新井氏に国語教育をする資格がないことは彼女の経歴を見れば明らかで、嘘ではない。 典子は嘘なんかついてない。)と思いました。  でも、もしそうなったら、法廷の証言台で、下村博文氏も国立情報学研究所喜連川所長も新井紀子氏も東洋経済新報社(駒橋憲一社長)も日本数学会もベネッセも証言してくれるのでしょう。 法廷で偽証をすると罪に問われますから本当のことを言ってくれるのでしょうね。 東洋経済新報社はこういう指摘をしても、「川合典子の言う事は違う」というためにいろんなブログをいろんな人に書かせていました。

私は2021年1月14日のブログで新井氏のことを批判しましたが、私は新井氏が子供のことを金儲けの道具のように粗末に扱うのがとても嫌でした。

以下の文は2021年1月14日のブログから転載したものです。

 私は今回新井氏のことを知るもっともっと前から、「AIに負けない子どもを育てる」などという言葉を聞くと非常に違和感を感じていました。 AIというのは電源を入れると数量的な処理をする機械のことですよね。  機械は「思考」もしないし、「感動」もしないし、「問題意識」を持つこともない。 機械はただの電気で動く「物」です。人間の持っている可能性は機械とは比べ物にならない。機械と人間は全く違うものです。 毎日「生きている人間(子供たち)」を見ている教育者は「電気で動く機械に負けない人間(子供)を育てる」なんて考えもしません。 教育とはその子(人間)が内に持っている力を引き出して、育てること。今も昔もそれは変わらない。 人間が内に持っているものを引き出そうと毎日努力している教育者は機械のすることなんか考えない。  なんで機械とは全然違う人間(子供達)を同じところに置いて比べるの?と思います。私には「AIに負けない子供を育てる」は「銀行ATM(機械)に負けない子供を育てる」くらい違和感があります。 そんなちゃちなこと見て教育なんかしていない。 教育原理の伊勢田先生も教育心理の仁科先生も「教育とは人間を育てること」それを一番最初に私の心に植え付けてくれました。 新井さんは人間の子供達と電源入れれば動く機械なんかをよく比べる気になりますね。     なお、「国民を誘導する劇場型詐欺」については「新井紀子劇場」としてこちらのブログの冒頭、水色の大文字部分の下に小さな黒字で詳しく解説しました。下村博文プロデュースです。

新井氏は、2021年1月15日のプレジデントオンラインに、「9割が教科書を読めていない」私立文系しか行けない子供たちの末路」という題で記事を書いています。(2022年10月28日、今日偶然この2021年1月15日のプレジデントオンラインの記事を見て驚きました。 私が2021年8月に見た時の文章が書き変えられていますね。あのひどい新井教授推奨「家でできる子供の読解力をアップする方法」も書き変えられていますね。 私がひどいといったところはみんな書き変えたのですか? 知らないうちにこういうことをして新井氏は本当にいつも汚いやり方をするのですね。)   こういう風に「あなたはダメな子」とレッテルを貼る教育者に子供が心を開くことはありません。 だからこういう教育者が私立文系に行く子供が内に持っている能力や可能性を見ることはできません。(彼女の視点でいくと国立理系の方は豊かな人生なのですか?)  自分のテストを売るためとはいえ、新井氏は子供に対して、随分ひどい言い方をしますね。 しかも言い方が非常に差別的です。 こんな風に子供を見ている新井氏が教育者とは私にはとても思えません。 私は新井氏が子供のことを金儲けの道具のように粗末に扱うのがとても嫌でした。 子供の成長を暖かく見守る気持ちがみじんも感じられません。新井さんは教育者には向きません。 神様は不幸になっていい子供など一人もおつくりになりません。新井氏は子供の命を軽視している。 私はそれが一番いやです。   (私はクリスチャンではないですけれど、20代の頃から現在もカール・ヒルティの著作が愛読書です。 だから神様は不幸になっていい子供など一人もおつくりにならない、と思っています。)

新井氏は教科書を読んでその内容を問うテストにこたえられる読解力が人生を左右すると考えているようですが、私は学校教育については新井氏と全く違う考え方をしています。 学校教育の目的は国家の未来を創る人間を育てることです。

例えば三権分立について教科書に書いてあったとします。 その説明と、権力を3つに分けて独立させる理由等が教科書に書いてあります。 その教科書の文を読んでテストの問いに答えられればそれでいいのか。 私はそうは思いません。 教科書を読んで理解することは必要ですけれど、学校教育の本当の目的は、それよりもっと上にあります。 教科書を読んだだけでは、何も子供の心には残りません。 子供の血となり肉となる教育は出来ません。 学校では先生の説明やお話もあり、子供たちはいろいろな学習活動をします。

例えば、子供はこんな風に考えます。

権力を分散しなかった時はどうなるの? その例はあるの?
昔だったら専制君主制があった。 今は独裁国家がある。
そういう権力が集中した社会では人々はどんな暮らしをするのだろうか?
法律はどう決めるの(立法)? その独裁者が都合のいいように決める。
日々の暮らしはどうなるの(行政)? 独裁者が決めたように行われる。独裁者がしてはいけないといったことは出来ない。 どんなにやりたくても出来ない。
裁判はどうするの(司法)? 独裁者が気に入らないことをした人は「国家反逆罪」とか言って逮捕されて、最悪の場合は死刑になる。 それが怖いから人々は独裁者に何も言えない。

こういう社会の様子を子供自身が自分の頭で考えると、子供はそういう社会では人々は安心して暮らせない、とわかってくる。 一人の独裁者のいいように国が動かされると、そのほかの多くの人々は、独裁者の気に入らないことは出来ない。 おびえて暮らすことになる、とわかってくる。 だから、権力はそれぞれ独立して判断して行使されることが人々が安心して自分の幸せを求めて暮らすためには大事なんだと自分で考えるようになる。  すると、自分がこれから生きていく社会はどうあるべきか、を子供は少しずつでも意識するようになる。 人々が幸せに暮らせる社会はどういう社会なのかを考える素地がその年齢なりに出来てきます。

これが国家が行う学校教育です。 なぜなら、国家は学校教育を行うことによって、その国の未来を創る国民を育てているからです。 多くの国民が幸せに生きていける国を作るその担い手を学校教育によって育てているからです。どういう国を作っていけば、みんなが幸せに暮らせるか、子供は子供なりに考えていきます。 これは何も文科系の科目ばかりに限ったことではありません。 高校時代「生物」を学ぶことによって生命の不思議さや尊さを学びました。 命の尊さはすべての人間の活動の基本です。  理科で天体を学んだ時、宇宙を研究する人たちが、なぜ「かけがえのない地球」というのかを教えてくれました。 現在のところ地球のような気候で人間の住める星はありません。 私は中学生の時、月の観察をして、夜、月を眺めた時、太陽と地球と月の位置の関係で、月が今こういう形に見えているんだ、と思ったとき、一瞬、畏怖のような感情に襲われました。 日々の生活では人間はその力でなんでもできそうな気がしますが、(私が若いころを過ごした時代の一時期、科学万能のような時代がありました。そのころだったのでしょう)もっともっと大きな力の中で生かされているにすぎないんだ、と肌で感じました。月を見ながら、本当に一瞬怖くなりました。

新井氏が言うように教科書を注意深く読んでテストの設問に間違いなくこたえて、高い偏差値を取っていい高校に行くことが国家が行う教育の目的ではありません。

学校教育は、この国の将来を作っていく子供たちを育てる教育です。
業者の金儲けしか頭にない人には学校教育は出来ません。(下村博文のように、公教育に業者を入れて金儲けしよう、などと考えている政治家が公教育を牛耳っている限り、日本の未来を担う子供たちを育てる学校教育は出来ません。だから政治は日本を国民が幸せに生きられる国にしたい、という高い理想を持った政治家が行わなければだめなのです。 総理大臣や文部科学大臣がそういう高い理想を持っていなかったら、日本を良い国にする教育などできません。 今の日本の教育は業者とつるんで金儲けをしようという下村博文がいいようにやっているだけではないですか。 総理大臣も一緒になってやっている。こちらは朝日新聞DIGITALに載った「教育再生実行会議担当室」が設置された時の下村氏と安倍総理の写真です。

私は気負ってこういうことを言っているわけではありません。 それは私が受けてきた教育がそういう教育だったからです。 先生方の授業の後ろに私はいつも「君たちにこういう大人になってほしい」という先生方の思いをおぼろげですけれど感じました。 私たちより先に生まれた先生方が次の時代を生きる私たちにこういう社会で生きてほしいと思っているのが、おぼろげながら何となくわかりました。 だから今もこんな風に考えるのでしょうね。(以上は2021年1月14日のブログから転載しました。)



ここから最初の話題に戻ります。




夫は目立つことが大嫌いな人でした。 出版が決まった時、娘が「よくパパがいいって言ったね」と目を丸くして驚いていました。 私も最後は夫の反対を押し切って出版することになるだろうと思っていましたので、ちょっと驚きました。 夫は「発音ならDVDは口の周りだけ映すように」といいましたが、私は「画面いっぱいにそれでは不気味だからとりあえず顔は全部映してもらいます」と言いました。本当は「発音するときは顔の筋肉の半分以上使うので、口だけで発音しているわけではない」といいたかったのですけれど、そんなことを言ってもわからないだろうと思ったので、そういいました。

2010年に本を出版し、ブログを書き始めて2016年7月3日のブログを書いた直後から、今度は松澤喜好氏による本のランキングの妨害が始まりました。 おそらくそこに書かれている「子音の長さ」が日本人の英語発音の習得に不可欠なことだと松澤氏も気づいたからでしょう。その後の妨害については最近のブログに書いてある通りです。  その発端が今ここに書いた松澤喜好氏の盗作でした。  (私を盗作したのは松澤喜好氏だけではありませんでした。 この後私は2016年に日本人の子音が短いことを皆さんに聞けるようになっていただくためにネット上セミナーをして、子音の日本語化を説明しました。 その時は、松澤氏の盗作のことを事前に皆さんにお話して盗作はしないでください、とお願いしていたのですが、セミナーが終わったらすぐにこちらの「英語喉」という本の著者上川一秋氏に盗作されました。 上川一秋氏はネット上セミナーをする前は「子音は英語も日本語も同じ」といっていたのに、セミナーが終わったら、私の言ったことを盗用して自分で名前まで付けて「これを”音の○○という”」と自分のHPで提唱し始めました。 上川一秋氏が「日本人のMの発音は突然始まる」と解説を始めた時、私は「また松澤氏の盗作の時と同じ思いをするのか」とつらかったですけれど、この時は読者の皆さんが、上川一秋氏の盗作を止めてくださいました。 感謝してもしきれないほどうれしかったです。 また盗作の被害者になって、あんなにつらい思いはしたくなかったですから。 それにしても、松澤喜好氏にしても上川一秋氏にしても他人にわからなければ盗みも平気でするという神経は私にはわからないです。 ブログも盗作されました。 中には一週間毎日私のブログを盗作していた人もいました。 こちらも読者の皆さんが止めさせてくださいました。あの時は、やっているのが誰なのかも特定できなくて私は本当に困りました。 読者の皆さんには本当に感謝しています。 盗作された事項はどれも私が40年も英語学習や声楽を勉強し続けてわかったことでした。 それを、自分は全く何もそのための研究はしていないのに、松澤喜好氏も上川一秋氏も知ったらすぐに平気で盗んでいく。 盗作された人間は毎日苦しみ、盗作した人間は知らんぷりで逃げとおす。ひどいものだと思います。 私は自分がよく精神的な病気にならなかったと思います。 きっと歌の練習に没頭するようにしていたからでしょうね。 一日6時間声楽の練習をした日もありました。 こんなひどいことをされても、相手がベストセラーの著者だから、私が何を言っても出版社も徹底的に無視でした。毎日泣きながら自分がつぶれてしまわないよう必死でした。 あの頃のことを思い出すと、今でも胸がつまるような思いがします。)
  
もし、私が本を出版することもなくブログも書くことがなかったら、私が松澤喜好氏とアスキーメディアワークスにされたことは誰にも知られないまま葬られてしまったのだろうと思います。 私は葬られて英語教育についてブログを書くこともなかっただろうと思います。 ベストセラーの著者は盗作をしても守って、無名の一個人は徹底的に無視してつぶしてしまえばいい。  世の中は不公平で理不尽だと思いました。 不公平で理不尽な扱いを受ける人のつらさが身に染みてわかりました。

盗作されてから5年たっても、私は松澤氏とKADOKAWA/アスキーメディアワークスにされたことを一瞬も忘れることができませんでした。 スーパーで買った野菜を袋に詰めている時も、自転車で信号待ちをしている時も、ほんの一瞬も、彼らにされたことを忘れることが出来ませんでした。 振り払っても振り払っても頭の隅に出てきて忘れられませんでした。 苦しい時は、私は自分が歌ったNo More Tears の録音を聞きました。 悲しさと無力感でつぶれてしまいそうなときは「私は発声法も発音もちゃんと自分でできる。 歌も歌えず、盗作した人とは違う」と自分に言い聞かせて自分で自分を支えました。 あまり泣かなくなったころ、自分が歌ったNo More Tears の再生回数を見たら5000回を超えていました。 本当に苦しかったです。 もう少しでつぶれてしまいそうでした。  松澤氏が「自分は何にも悪いことはしていない」という顔をして、その後、アマゾンのランキングの妨害を始めてからは、不当な扱いを当たり前のようにされる自分の気持ちをどのように処理して日常生活を維持したらよいか、必死で模索する日々でした。 そして松澤喜好氏だけでなく,
その後、KADOKAWA/ 松原眞樹社長からも妨害を受けることになりました。それについては最近のブログに書いてある通りです。  (松原眞樹氏は現在は社長を退かれたようです。)


例えば、2021年7月6日23時05分現在、私の「英語発音、日本人でもここまでできます。」という赤い本はアマゾンの「英語学習法」の「発音」の本のページの21ページ目にありました。 21ページ目では誰も見ないですね。 23時05分現在21ページ目は下のようになっていました。(昨日まで私の本の在庫数は(1)でしたから今日どなたか購入してくださったのですね。ありがとうございます)21ページ目では私の本は人の目に触れることはないでしょう。 私がこういうことをブログに書くとすぐに21ページ目の内容は変えられてしまいますので、皆さんがジャンプしてみるころには21ページ目は全く違う内容になっているかもしれません。 でも、本日(2021年7月6日)23時5分現在、21ページ目は下のようになっていました。(本の表紙のデザインには著作権があると思いますので、画像は削除してあります)

それと、私の中古の本の価格を1円にされたりします。 1か月くらいかけて毎日毎日下げられて最後1円にされたりします。 私は毎日それを見ていました。 ブログのどこかに書いてあります。 その間一か月くらい同じ価格にとどまった日は一日もなかった。 前の日よりも上がった日も一日もなかった。 一直線に下げられていきました。 最近では中古の私の本は同じ1円でも裁断済みで売られています。 amazon のこちらのページに行って、「中古1円より」をクリックしたら
「◆◆◆裁断済◆◆◆ 各ページがバラバラで製本されていない状態ですのでご留意ください。」と書いてありました。 私はとても悲しい気持ちになりました。本は自分の分身のようなものですから、著者としては胸がつぶれるような思いがします。 あちらは出版社ですから著者のそういう気持ちは十分わかってやっているのでしょうね。KADOKAWA松原眞樹氏は何年もこういうことばっかり私にしています。(友人が「中古の本をバラバラにして売るのはマンガの本なんかで見たことあるけど、お勉強の本であんまり見ないよ」と言っていました。) 「帰国子女に見る世界に通用する英語力の作り方」の本のレビューもなぜ2.5なのか私にはわかりません。 この本については私は4つのレビューしか見たことはありません。(5つのレビューと書いてありますけど) 二人の方が星5つ、一人の方が星3つ、一人の方が星一つ(しかもこの方は「本屋で立ち読みしていたら買わなかったと思います」というたった2行のレビュー。ほかの方は児童英語教育に長くかかわっている方や在米20年弱の方など、とても詳しくレビューを書いてくださっているのに、どうして総合評価が2.5になるのか私には理解できません。「単純平均ではない」とアマゾンは言っていますが、たった2行のこのレビューがどうしてそこまで重要視されているのですか? とても公正なレビューとは思えません。 アマゾンで私の本だけに「送料599円」と記載されていたこともありました。 ほかのページを見ても送料無料なので、「なぜ私の本だけ送料が記載されているのですか?」とブログで聞いたら、数時間後に送料無料に直っていたこともありました。その時のことは、どこかのブログに書いてあります。なぜアマゾンは私にそういうことをするのでしょうか。 誰かに金銭を貰って私の本にそういうことをするように頼まれたのですか? 自分の利益にならないことは普通はしないでしょう。 アマゾン自身が私にそういうことをしても何の利益もないでしょう。 だから私は「誰かから金銭をもらってそういうことをするのですか」とアマゾンに聞きました。 回答はありませんでした。 でも、これだけしつこく私を葬ろうとするのは、盗作の問題だけでなく、この金銭の問題を追及されると困る人がKADOKAWAの中にいるのだろうと私は思っています。 だからこれほどしつこく私を葬ろうとするのだろうと思っています。
2023年7月9日加筆
松原眞樹氏がまだKADOKAWAの社長だったころ、私は「社長というのはそういう不正行為をしてはいけないのではないか」と思いました。 それで夫に「社長の株主に対する責任について教えてほしい」と頼みました。  そうしたら、夫が「今、忙しいので、自分で取締役の善管注意義務について調べてみて」と言いました。それで、インターネットで取締役の善管注意義務について調べました。  

その時のことは2018年1月19日のブログの書いてあります。 そのブログで私が一番最初にリンクをつけた着けた「取締役の善管注意義務」について解説したページは、何か月かしたら、洋服の通販のようなページに変えられていました。 (私のブログにはそういう事がよく起こります) それで私はもう一度調べてリンクをつけなおしました。 (それがこちらのサイトです。)
「取締役の善管注意義務」についての解説があります。 「取締役の善管注意義務」はカルロス・ゴーン逮捕の時にも触れられていました。 解説は以下のように書かれていました。 (内容は最初にリンクをつけたページから引用してあります)
 会社法上、株式会社の取締役は会社から経営の委任を受けていると考えられており、その関係には、民法の委任に関する規定が適用されます(会社法330条)。民法は、委任を受けた者は「善良な管理者の注意をもって、委任事務を処理する義務を負う」(民法644条)と定めており、これを「善管注意義務」といいます。

会社に損害を与えた場合などが主に書かれてありましたけれど、「善良な管理者の注意をもって」ということは、 松原眞樹社長のやっているような他人を妨害する行為ももちろんしてはいけないことだと思います。

また、同じサイトに 「取締役が他の取締役の不適切な行為を監視・監督しなかったという、いわゆる「監視義務」の違反」についても書かれていました。
それで私は、角川歴彦氏をはじめとする他の取締役の方々にも「取締役の不適切な行為は他の取締役がやめさせなければいけないのではないですか」と書きました。 でも無視されました。 無名の一個人など、何をされてもかまわないという事でしょう。 角川歴彦氏ら他の取締役の方々は無名の一個人の人権などどうでもいいのでしょう。 けれども、小さな不正行為を日常的に毎日されて、長い年月が経つと、真綿で首を絞められるようなストレスと苦しさが心にたまってきます。 私は今はずいぶん体重が減りました。結婚して以来最低の41㎏になりました。(洋服を着て体重計に乗ったら41㎏だったので、実際は41キロもないのでしょうね) 角川歴彦氏らKADOKAWAの取締役の方々は無名の人間など何をされてもいいと思っているのでしょう。 無名の人間の人権なんか守る必要もないと思っているのでしょう。




(2021年7月6日 アマゾン21ページ目は下のようになっていました。)    

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