川合典子 ブログ

英語教育、英語学習、発音習得、帰国子女の言語習得について書いています。

無意識の思い込みを見直してください。「民間試験不要」を証明する川合典子のスピーキング能力習得過程(中学高校時代)

私のブログには為政者から激しく妨害されているものがいくつかあります。このブログと併せてお読みください。日付をクリックすると移動できます。
2020年3月17日 各大学はスピーキング試験(民間試験)をする必要はありません。大学の先生方は受験生を騙す詐欺(犯罪)に加担するよう強制されることはありません。いかなる団体においても犯罪を強要する方針は無効です。(民間試験は50年やっても4技能向上に効果はなかった。)

2020年2月29日 eポートフォリオはベネッセの見込み顧客(高校生)のデータを国家に集めさせる極めて危険で悪質な手段です。 下村博文議員と安倍総理大臣がすべての国民のIDと個人情報をベネッセに与えてよいのですか。

2017年11月2日 中学時代に、きちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか?


大学入試改革を担った鈴木寛教授が実際には英語教育に全く無知であった(カタカナ発音と英語発音の区別も出来ない)ことについては2020年4月23日のブログに書いてあります。 鈴木寛教授のことを書いたとたん文部科学省から激しい妨害が始まりました。


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子供たちは授業で継続して「評価」を行うとこういうスピーキングをするようになります。民間試験を受けてもこうはなりません。「教育再生実行会議」の委員は英語教育については何も知りません。スピーキング能力を上げる方法も知りません。2月11日の朝日新聞東京大学・慶応大学教授鈴木寛氏が「民間試験を使うことが現実的です」とおっしゃっていますが、教室で評価したほうがもっと現実的ではありませんか?民間試験を受けさせても子供たちのスピーキング能力は上がりません。生徒と保護者(国民)も、なんの役にも立たない高額な民間試験より「学校で評価」してもらってネイティブ発音になる方がいいに決まっています。スピーキング能力の上げ方も知らないで民間試験を薦めるのはおやめください。 
国会議員が勝手に「○○会議」を作って、勝手に委員を選んで、国民の知らないところで協議して、「会議の総意でこう決まった」と言って業者が儲かる方法を国民の反対を押し切って全国で実施する。これが子供を食い物にする「ハゲタカビジネスモデル」です。 民間試験導入はこうして決まりました。 「教育再生実行会議」の人々は誰一人、英語教育についてはご存じありません。知らない人に諮問して教育の何が良くなるのですか。 国会はハゲタカビジネスモデルの使用を禁止する法律を制定してください。  そして国会議員が「特定の事柄を行うよう文部官僚に強要することを禁止する」と明記してください。違反した場合は議員活動停止など、具体的な罰則事項を明記してください。「ハゲタカビジネスモデル」がはびこる前にどうしても止める必要があります。 もし、立法できなかったとしても、今後「○○会議」「○○委員会」が作られたらみんなで注視して、違反行為が行われていないか監視しましょう。もっともらしい名前に騙されないようにしましょう。 教育は「再生」するどころかハゲタカに食い荒らされて、もはや瀕死の状態です。 


2月11日 朝、パソコンを開けたら(9:00)、ブログアクセス数は「0」でした。 10年ブログを書いてきて初めてでした。 文部科学省の妨害は相当きついですけれども、皆さんに知っていただきたい内容だったので、つぶされることも覚悟で書きました。 ツイッターなどで多くの方々にお伝えください。  私のように肩書もない一英語教師は圧力をかけられればすぐにつぶされてしまうのでしょうから(ブログだって、簡単にアクセス「0」にされてしまうくらいですから)つぶされる前に(まだ皆さんがブログを読んでくださっている間に)、最後に言いたかったことをひとこと言わせていただきます。  文部科学省や一部の国会議員、一部の大学教授、一部の経済界で活躍する方々は、もっともらしい名前の「会議」や「委員会」を作ってそこで子供を食い物にする「お金儲けの話し合い」をするのはおやめください。子供を守るのが大人の仕事ですから。 どんな立派な名前を会議に付けようと「ハゲタカ会議」や「ハゲタカ委員会」は子供にはいらないです。 「○○委員会」や「○○会議」は違法なことを「合法的に行った」というための隠れ蓑(かくれみの)に使われている。 自分の意向に沿った人間をたくさん会議に送り込めば、自分の思う通りに事を運べます。「ハゲタカ委員会」だって、「ハゲタカ会議」だってそうやって人選したのでしょう。思い通りにしたかったら何でも「○○会議」を作ればいいんです。 本来、入試を民間の業者に委託するかどうかなどという問題は国会で協議してから与野党の合意のもとに導入されるべきではなかったのですか。それを○○会議が決めたと言うからもともとが少数の意思であったものが、まるで法律で決まったかのように導入できたのではないですか。 まるでマネーロンダリングのように「意見の出所を隠す」ために○○会議が使われたのではないですか。 「資金洗浄」ならぬ「意見の出所洗浄」に「○○会議」が使われたのではないですか。 これからは「○○会議や○○委員会で決まったことは、国会の承認を経てから実行される」というような規定を設けたほうがいいのではないですか。そうしないと、好き勝手に委員会や会議を作って好き勝手なことをされてしまいますね。 これだけみんなが反対しているのに文部科学省が民間試験を死守しようとするのは、言われた通りしないと、怖いからなんでしょう?          私のブログのアクセスが禁止にならないことを祈っています。(私を「妨害する」ということは文部科学省だって、私の言う通りにすれば子供たちのスピーキング能力が上がるとわかっているのでしょう。分かっていてもそうできないのよね。ボスハゲタカが怖いから。人事権も握られているし。私の言う通りにしたら、ボスハゲタカがやりたがっている民間試験ができなくなってしまうからね。  どうしてあげたらいいのかしらね。 せめて「○○会議、○○委員会の決定は実行の前に国会の承認が必要」という規定があったら、ボスハゲタカから文部科学省を守ってあげられるのに。)

文部科学省の中立性を守るための立法を検討されたほうがいいのではないでしょうか。ほかの省庁とは違って文部科学省がかかわるのは「子供たち」です。例えば、今回の入試制度や学校教育など、人の人生に大きくかかわる分野です。 お金儲けで決められてはならない分野です。 民間試験導入の経緯からわかってきたことに基づいて、今後、教育をお金儲けに利用されないように、法律で文部科学省の中立性を守れるよう、検討を始めたほうがいいと思います。文部官僚だって、人事権を握られている以上言われた通りせざるを得ないと思います。  組織の位置づけから言って、会計検査院のようなわけにはいかないでしょうけれど、いろいろなことを参考にして文部科学省の中立性を守る仕組みや立法を考え始めたほうがいいと思います。 先生方の公開してくださる資料を見ていると億単位のお金がこの件で動いているのですね。(だから関係者は民間試験を死守したいのですか?) こういうことがあった以上、我々はその対策を立てる必要があります。  文部科学省をおやめになった方の講演会を去年聞きに行きました。  一般的に「会議」の委員というのはどういう風に決められるのかな?と思っていましたら、その方のお話しの中で、さらっと触れられただけでしたが、「そういう委員は適当に決まるんです」とおっしゃったように記憶しています。(もちろん経歴や適切な人材かは書類などで審査されているのでしょうね。本当に適当に決まっているとは思いません。話のながれでそうおっしゃったのでしょう。ただ、明確な基準はないようでした。)スーパーコンピュータの詐欺の例もありますし、委員を選ぶときの基準も明確にする必要があると思います。例えば親族にそれに関連する事業を行っているものがいる、あるいは大株主がいる場合は委員にしないとか、厳格に決める必要があります。 委員の選出は「与野党同数の選考委員が合意によって選出する」など、非常に厳格な条件のもとに行われる必要があります。 「○○会議」は不正と腐敗の温床です。 インサイダー取引が厳しく規制されているように、委員としての職務で金儲けをしないことも誓約書などを書かせて厳格に規制する必要があります。もちろん違反した場合の罰則を明記します。           「どのようにすれば文部科学省の中立性を保てるか」私がお話しを聞きに行った元文部官僚の方は、内部の仕組みをよくご存じでしょうから、お知恵を貸していただけたらありがたいですね。  たとえ、初代ボスハゲタカが選挙で落ちても、こうやってお金儲けができるとわかった以上、第2、第3、のボスハゲタカが出てくるでしょう。そして一度そういうことで大儲けが出来ると知った業者が第2第3のボスハゲタカに群がるでしょう。 そうしたら、また同じ手法が使われます。 ハゲタカ会議、ハゲタカ委員会のオンパレードとなり、ボスハゲタカの金儲けの意思が「公に設置された会議の総意」として「意見の出所を洗浄」され今回の民間試験導入と同じことが起こってきます。 文部科学省は人事権を持つボスハゲタカの言う通り動くしかなくなってしまいます。  ハゲタカ会議のおいしい仕組みを発見した第2、第3のボスハゲタカに私達は先んじていかなければなりません。指をくわえてまた同じことを彼らがするのを見ているわけにはいきません。「会議の委員になるような人が悪いことをするはずはない」と私達は思ってきました。 しかし、これを逆手にとって、「○○会議」や「○○委員会」を作れば大儲けが出来ると考えて、実行している人たちがいるのです。 それを知った私達が指をくわえて見ていたら子供たちは食い物にされてしまいます。  この民間試験への執着は文部官僚から出ているものではないでしょう。 ボスハゲタカが民間試験に異様なまでに執着しているのでしょう。 この執着の仕方は常軌を逸しています。「検討する」と先生方を騙して、水面下で実施の準備をしていたのです。信頼を裏切ろうと先生方を騙そうと、ボスハゲタカは自分のもくろみを実行していたのです。   私の言う通りスピーキング評価をすれば子供たちのスピーキング能力が上がる、ということは彼も知っている。 だから私は民間試験導入に邪魔なんでしょう。 生徒だって、保護者だって、なんの役にも立たない高額の民間試験より、学校で評価してもらって、ネイティブ発音になる方がいいに決まっています。 だから、こんな無名の一英語教師に妨害までするのでしょう。私をつぶすのも民間試験導入の準備だったのですね。(今の私は文科省以外からもいろいろ妨害を受けていますので、かなりきついです。)     民間試験に異様なまでに執着するボスハゲタカの目的が、鈴木寛東大・慶大教授がおっしゃるような「20世紀型の教育を押し付け続けないための第一歩、世界中の大学が受ける英語民間試験の活用、そして一発勝負に限定されない複数回の実施」(2月11日付朝日新聞)と思っている人はほとんどいないでしょう。

今のままなら、第二、第三の「民間試験導入事件(「検討する」と言いながら裏で導入を進めていた)」は必ず起こります。不正が起こると知りながら放置するのは、子供たちが犠牲になると分かっていて何もしないのと同じです。  不正という点では「○○会議」「○○委員会」は、政治家と業者のインサイダー取引と同じです。  勝手に「○○会議」作って、勝手に委員選んで、国民の知らないところで協議して、「会議の総意でこう決まった」と言って業者が儲かる方法を国民の反対を押し切って全国で実施する。 2度とこんな手法に騙されたくない。 私達の子供たちがこんな政治家と業者の裏取引に従わされる根拠はありません。「子供を食い物にするな」と何回も言っているでしょう。スピーキング能力の上げ方も知らないで「4技能」「4技能」と言わないでください。本音は業者にもうけさせたいだけでしょう。民間試験をやったって子供のスピーキング能力は上がりません。そんなことも知らないで「4技能」「4技能」などと言わないでください。子供のスピーキング能力を上げたかったら、学校の授業でスピーキングに必要な文章の発音指導をし継続して評価していくことです。 立法府文部科学省の中立性を守れる法律を制定してください。 先生方が公開してくださる情報を見ていると現在、学習塾と政界の間に次々とパイプが構築されているような感じを受けます。「いくらパイプを作っても無駄なんだ」と彼らにわからせる法律を作ってください。(私が知っている英語教育の分野に関しては、子供たちは学校教育だけで、グローバルな世界で十分やっていける英語力を身につけられます。業者はいりません。)



民間試験導入のシナリオはすでに出来上がっている(2/1/2020)

文部科学省は、今は「民間試験導入に関して公平な議論をする」方針ではないのですか。 下のコメント(民間試験導入を主張する方々の中には、中学高校時代「学校の勉強の一環として」発音習得を行った人は一人もいない)と書いた日から、戻りつつあった私のブログのアクセスが再び激減しました。また同じ日から、いつも4つの検索ワードで検索すると2位に出てきていた「中学時代にきちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか」という2017年11月2日のブログが検索結果に全く出てこなくなりました。  文部科学省は今行っている、「検討会議」とか、調査とか、みんなただのポーズ(見せかけの態度)でやっていて、それが終わったら、「調査をやった」「検討した」「問題点を改善した。だから民間試験を導入する」というシナリオがもうすでに出来上がっているのではないですか? そうでなかったら、私のブログにこんな操作がされるのはおかしいでしょう。  上に上げたブログは1年以上毎朝同じ検索ワードで検索してきたものです。(昨年「英語教育改革は失敗した」と書いたとき一時検索結果に全く出てこなくなりましたけれど、その事をこのブログに書いた後、またいつもの順位に戻ってきていました)  いつもその検索では2位にあったものが、なぜおとといから突然、検索のどこにも出てこなくなったのですか?  また、同じ時から私のこのブログのアクセスが激減するのですか?(そういうことを専門に操作する機関がある、と昨年の7月知りました)  もしかして、文部科学省は民間試験に賛成する人たちが、「中学高校で学校の勉強の一環として、発音習得をやった経験がない」と私が書いたことを人々の目に触れさせたくないのではないですか? 私は文部科学省が公平な議論をしているようなふりをして、実は水面下で民間試験導入に向けて、情報操作をしている、とこの時、感じました。 だとしたら、今多くの先生方が一生懸命されている努力を踏みにじるものです。  この先に待っているのは、「検討した」「調査をした」「問題点を改善した」「だから民間試験を導入する」という文部科学省のシナリオではないのですか? 民間試験導入を「合法的に行っている」と主張するために「委員会」や調査をさせているだけではないのですか?  そういう視点から見ると、今、先生方が、疑問を呈している文部科学省の行動がよく説明できるのです。 私はこういうことをブログに書きましたので、この先、つぶされてしまうかもしれませんが、民間試験導入を生徒のためにやめさせようと努力されている先生方にお伝えしたかったので、怖かったですけれども書きました。 (2月2日)現在の私のブログアクセス数は「3」(11時現在)です。こんなことは今までありませんでした。 私はtwitterはやりませんけれども、皆さんはお持ちでしょうから、どうぞそれで、先生方にお伝えください。そうしないと、先生方の重要な指摘がみんな無駄になってしまいます。 それでは子供たちを守ってやることが出来ません。

(それから、著者としてよくわからないのでお聞きしたいのですが、アマゾンでなぜ私の赤い本だけが「配送料599円」なのでしょうか。(2月4日午前10時38分現在)ほかの本は「通常配送料無料」ですのに。(この時点で、ランキング5ページ目までの本の送料がすべて無料であることを確認しています。「アマゾンは送料無料」と宣伝しているのですから当然ですね。)理由があれば教えていただきたいです。 在庫数は減っても順位は昨日より1ページ分下がっていますし。(午後は10ページ目まで下がってますし。17時07分) アマゾンの表示は下のようになっていました。  (午後、送料は訂正されましたが「入荷時期は未定です。」という表示に変わりました。私は今朝、出版社に電話して、入荷をしていただくようお願いしたばかりです。アマゾンへの入荷はアマゾンが発注して行われるそうです。 アマゾンから私の本への発注がないそうです。 だから「入荷時期は未定です」という表示になっています。 アマゾンは私の本を発注してください。すべての書籍に対して公平な商取引を行ってください。  アマゾンは公正な商業活動を行ってください。私の本だけ送料を599円にしたのはどなたの依頼ですか。 アマゾンも何の見返りも無くそのようなことはしないでしょうから、依頼した人とアマゾンとの間に金銭の授受があったのですか。会社としてのアマゾンも承知の上でしたら、その経緯に問題はないのでしょうから、教えてください。アマゾンは贈収賄を伴う不正行為でないのなら、どなたの依頼だったのか明らかにしてください。 出版社経由で結構です。私はその本の著者ですから。)2月6日、本は入荷しました。
3日たっても依頼主を明らかに出来ない、ということはやはりアマゾンは金銭をもらって特定の著者を妨害していたのですね。それは犯罪ですよね。 世界ではGAFAなんて言ってますけど、アマゾンはお金をもらえば裏で犯罪もする相当悪質な企業ですね。 犯罪も平気でするようなモラルの低い企業が巨大化するのは社会にとって、脅威です。
英語発音、日本人でもここまでできます。―発声から変える川合メソッド
川合 典子 | 2010/12/1
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ちなみに2月4日の私のブログアクセス数は「4」(10時40分現在)です。 文部科学省はこのブログを読まれたくないからずっと妨害していくのでしょうね。これは、「検討する」と約束した文部科学省が生徒や保護者、先生方(つまり国民全体)を騙していたわけですから、知られたくないですよね。 覚悟はしていましたけれど、不正行為を受け続けるのは、なかなかつらいものがあります。  私はすでに11年間、2者から不正行為を受け続けていますが(下に書いてあります。)不正行為というのは新たにされるたびにつらいですね。心身共に疲弊しますから。 「現在の」文部官僚に教育を任せていたら、日本は滅びます。 彼らは魂を売りましたから。 子供の未来を売りました。 文部官僚は子供たちが食い物にされると知りながら売ったのです。  「東大に民間試験をやらせなければいけない」とすごむ国会議員下村博文の映像を見ました。こういう人が子供を食い物にするのですね。







民間試験導入を主張する方々の中には、中学高校時代「学校の勉強の一環として」発音習得を行った人は一人もいません。彼らは学校教育におけるスピーキングの指導と評価について何も知りません。彼らの言う通りにするとまた失敗します。



【2024年、再び民間試験導入の口実を作らせないために】  スピーキングのスキルは本来学校で教えるものです。学校で教えることを学校で評価できないはずはないでしょう。民間試験導入などと言う教師は学校教育におけるスピーキングの指導・評価の方法を全く知らない教師です。 発音を習得する中学、高校の時期には、学校で継続してスピーキング評価を行わないと、子供たちに正しい発音でスピーキングすることが定着しないのです。 学校でレッスンが終わるごとに継続して評価されるからこそ、子供たちは家庭学習でスピーキングの練習をしてくるのです。(基礎は最低中学2年間。長い文をスピードを上げてしゃべれるようにする高校時代は3年間。継続して学校でスピーキングを評価する必要があります。評価はその都度生徒に知らされます。 前より上がっていたら、励みにもなるでしょう。 下がってしまったら、「今度は頑張ろう」という気にもなるでしょう。このように「評価」は長い発音習得期間中、生徒のモティベーション維持にも重要な役割を果たします。 入試の際は3年間の総合評価を高校、大学に提出すればよいのです。)  中学生が学校教育だけでこういうスピーキングが出来るようになる「指導と評価の方法」はあります。高校生の「指導と評価の方法」もあります。(「中学生がこういうスピーキングが出来るようになる」と例示した音声はHP「通じない日本人の発音」より転載しました。私自身が50年前、学校教育だけでこういうスピーキング能力を習得しました。私のスピーキング能力習得過程は「スピーキングの指導と評価」に「民間試験は不要」「業者は不要」、「必要なのは授業での継続する評価」を証明するものです。 民間試験導入を主張する教師など「スピーキングの指導と評価」のやり方を全く知らない教師です



こちらで読みましたが、「英語教育の在り方に関する有識者会議」の座長吉田研作氏は小学校1年生から6年生までアメリカ、カナダで過ごされて、中学校1年生の時に帰国されたそうですね。  私の子供たちで言えば、小学校1年生の息子が日本語で何も説明されなくてもアメリカの日常生活の中で英語を身につけられたときから、小学校5,6年の娘が「天体」や「古代文明」など、頭の中だけで考えて物事を理解できるレベルの英語まで、英語圏で習得されて、帰国されたということですね。  そういう経験に基づいて、英語が全く話されていない日本で育った子供たちが英語を学ぶ方針を立案されるのは無理です。 吉田研作氏には、日本の子供たちが英語を学ぶ基本的な状況が体験として理解できません。 日本の子供たちは、アメリカの子供のように「話される英語」と「それが意味するもの」が結びつくのを一日中、見て、体験しているわけではありません。 アメリカにいれば発音練習も子供は必要ありません。つまり、英語習得の基本的な条件が吉田研作氏と日本の子供たちでは全く違うのです。「英語で授業」は間違った方針です。 初級者、中級者には全く効果はありません。   吉田研作氏のように、日本の子供たちが「英語で授業」で英語や発音を習得することは出来ません。  11月18日付朝日新聞上智大学言語教育研究センター長吉田研作さんのコメントが掲載されていました。「半数近くの高校はまだ英語による授業が行われていない」と書いてありました。 私は、18年間にわたって、日本とアメリカを往復して育つ子供たちがゼロからバイリンガルになる過程を小学校・中学校・高等学校、すべての段階で観察してきましたが、「英語で授業」は、日本の中学・高校の段階では全く効果はありません。 効果がないどころか日本語を母国語とする初級者・中級者には「英語力が上がらない」という実害をもたらす「指導法?」です。 また、「英語で授業」をすると子供たちの発音はボロボロになります。 吉田研作氏は中学時代、ご自分が学校の勉強の一環として、発音習得をされたことがないので、そういうこともご存じないと思います。(帰国子女でいらした吉田研作氏には発音を学ぶ必要はなかったと思いますが、日本で育った子供たちには、発音は学校で教え、練習させなければ身につけられません。) 「英語教育の在り方に関する有識者会議」の座長、吉田研作氏がいまだにこういう間違った認識をお持ちなのは非常に残念です。吉田研作氏は「子供たちの英語力向上を阻害する方法」「発音をボロボロにする方法」を高校生にさせようとするのは、おやめください。 「文部科学省が高校の指導要領で「(英語の授業)は英語で行うことを基本とする」と打ち出してから10年が過ぎた。」とこちらの新聞記事に書いてありますが、10年も子供たちの英語力向上を阻害し、発音をボロボロにする方法を提唱してきた「英語教育の在り方に関する有識者会議」委員の責任は極めて重いと思います。 税金が使われているのですから、「間違った方針「英語で授業」のせいで、日本の英語教育改革が失敗したこと」は国民に知らされるべきだと思います。 文部科学省は「英語教育改革は失敗した」と国民に知られたくないのでしょうが、有識者会議の委員が間違った方針を提唱したから英語教育改革が失敗したのは事実ですから、皆さん、どうぞこのことも英語教育関係者の方々に口コミでお伝えください。  今、多くの教育関係者の方々が民間試験導入の問題点を追及してくださっています。 次々明らかになる実態のひどさには、驚愕するばかりです。「もし、こういうことが明るみに出なかったら」と思うとおそろしいです。 この件を究明される方々の努力に本当に感謝しています。 私はそういう情報を得る立場にないので、教えていただくことばかりです。 私は英語教育における実際の指導手順については、自分と子供たちの英語習得の経験からわかりますので、自分の分かることで問題点を指摘してきました。  実際の指導手順について言えば、「4技能」の方針もすでに失敗しています。 学習指導要領の中には3技能の習得の仕方しか書いてありません。どうやってスピーキングの基礎を教えるか、文部科学省有識者会議の委員もご存じないからでしょう。私は中学時代、学校の勉強の一環として、自分自身で家庭学習で発音を習得しました。 当時は今のように教科書の音声モデルは入手できませんでしたから、親にテープの教材を買ってもらって一人で発音を習得しました。  ですから、中学生がどう勉強すれば、通じる発音を習得できるか知っています。 私の発音は上で聞いていただきました。  発音習得の極意は自分の耳を使うことです。それは帰国子女が発音を習得するのと原理的に同じです。  この音声は、HP「通じない日本人の発音」より転載しました。戦後70年日本人は日本語の短い子音で英語の子音を代用してしゃべってきたことを明らかにしています。ほとんどの日本人が話している英語の子音は日本語の子音です。英語の子音ではありません。 だから、日本人の英語は分かりにくいと言われるのです。)  私は32歳まで、英語圏で暮らしたことはありません。普通の日本の子供と同じように中学生になって初めて学校で英語を習いました。 新学習指導要領のように音声モデルも生徒に与えないで、スピーキングの基礎が習得できるわけがないでしょう。 子供たちが、アジアのトップレベルの発音で、言いたいことをスラスラ英語で話すようにする教育方法はあります。こちらのブログに書いてある通り学校教育をしていただければそれは可能です。 すべて私自身が、自分の体で行ってきたことですから「英語で授業」のように日本で誰も成功出来ない「机上の空論」とは違います。 川合式英語学習法の効果は、体験によって実証されています。 日本の子供たちは学校教育だけでグローバルな社会でやっていくのに十分な英語力を身につけることが出来ます。 文部科学省は、子供たちをアジアのトップレベルの発音で言いたいことをスラスラ英語でしゃべれる大人にしてあげてください。




民間試験なしに学校教育の中で、生徒のスピーキング能力を公平に評価する方法は、下の小さな字で書いてある部分を飛ばして、大きな赤い字で書いてある部分から始まっています。その部分からお読みください。 これは一つの例です。 現場の高校の先生方はどのような試験のやり方が適切だとお考えになっているのか、聞く必要があると思います。 高校の先生方は文部科学省が選んだ有識者会議の委員松本茂立教大学教授や安河内哲也氏の間違った方針(英語で授業)からずっと高校生を守って来てくれました。文部科学省が、常に「英語教育改革の蚊帳の外において」その意見(日本語で教えてもわからない生徒がいるのにどうやって英語で教えるのだ!!)を省みようともしなかった現場の先生方が、実は文部科学省の選んだ「英語教育の専門家?」の間違った方針から、子供たちの英語力をずっと守っていてくれたのです。 この新聞記事のように「英語で授業をしない」と批判されても、ずっと子供たちの英語力を守ってきてくれたのですよ。 松本茂立教大学教授と安河内哲也氏は間違った指導法を提唱して日本中の高校生に被害を与えてきた責任を取らないのですか。 でたらめな指導法を提唱したのに、謝罪もせず、責任も取らず、知らぬふりをするのですか。 お二人とも、生徒の前に立って教える教育者でいらっしゃいますのに、そういうことでいいのでしょうか。  文部科学省はこの件に関して責任はないのですか。英語で授業(詐欺指導法)に加担した文部科学省は国家公務員法違反です。(こちらのブログ)  また、子供たちが学校で教えられてもいないスピーキングの試験を受けなければならなくなったのは、スピーキングの習得の仕方を知らない(つまり4技能のうち3技能しか習得の仕方を知らない)安河内哲也氏が「4技能4技能」と提唱したからです。 英語教育の専門家が「4技能」を提唱するのであれば、まず最初にするべきことは、学校教育の中で生徒に発音・スピーキングの基礎を教えることです。 でも、それを知らない安河内哲也氏は学校教育に発音指導を導入することなく「4技能」「4技能」と提唱し続けたから、子供たちは学校で習ってもいないスピーキングテストを受けなければならなくなったのです。  もし学校でスピーキングの基礎を教えていたら、民間試験の必要性など、出てこなかったはずです。 学校教育の中で、生徒のスピーキングの評価をすることが当たり前になるからです。 スピーキング能力の評価が授業の一環として学校で行えるからです。 英語教育の専門家、実際に授業でスピーキングの評価をする先生方が「この方法でスピーキング能力を評価していますから、民間試験は必要ありません」と言い切れば、英語教育を専門的に知らない人がごり押しすることは阻止できます。 そして、実際に先生方はすべての生徒のスピーキングの評価を提出することが出来る、という事実を突きつければ、それ以上民間試験をごり押しすることはできないでしょう。  それでもまだ、民間試験にこだわる人の中には、「高校の先生方に発音のチェックが出来るのか」という疑問を呈する方がいるかもしれませんが、中学時代から、こちらのように指導していただければ、子供たちはアジアのトップレベルの発音でスピーキングをするようになります。 そして中学・高校のスピーキングは、筋肉の訓練という面が大きいですから、よく練習した生徒とあまり練習していない生徒の違いははっきり分かります。 ほかの3技能(聞く、読む、書く)よりも練習量の違いが一番よくわかるのが、スピーキングですので、練習した生徒と練習しなかった生徒の違いは先生方には、はっきりお分かりになります。 高校の先生方にスピーキングのチェックをしていただいて、全く問題ありません。 中学1年生の耳の力は非常に高いですから、中学時代に発音習得をさせれば、基本的なスピーキングの仕方は大人など、口出しできないほど、彼らはネイティブに近い発音で話し始めますので大丈夫です。 ここまで申し上げても「民間試験が必要だ」とおっしゃる方がいらしたら、その方はおそらく子供たちのスピーキング能力向上以外に何かほかの関心がおありなのでしょうから、そういう人たちに2024年、再び、民間試験導入の口実を与えないためには、学校の授業の中で「スピーキングの指導と評価」がきちんと行われていることを確立しておくことが重要だと思います。 文部科学省には学校教育の中で、「スピーキングの指導と評価」が出来る体制を整えていただきたいと思います。 そうしないと子供たちがまた、今と同じ問題にさらされます。 もし、故意に2024年まで、学校教育における「スピーキングの指導と評価」の体制を整えなくて民間試験導入になった場合、その時は、政治家ではなく文部科学省自身の責任だと思います。 文部科学省は英語教育改革で一つも有効な方針を実行することができませんでした。 文部科学省の英語教育改革は完敗です。 詐欺指導法(英語で授業)に騙(だま)されて中学・高校の英語教育を乗っ取られるところでしたし、民間試験(営利団体)に大学入試も乗っ取られるところでした。 民間の会社ならこんなに何回もプロジェクトに失敗していたら、とっくに倒産しています。 文部科学省は結果の出せる仕事をしてください。 「子供たちの発音を通じるようにすること」「子供たちの英語力を上げること」どちらもちゃんとやり方がありますので、仕事できちんと成果を出してください。英語教育を経済活性化に利用しようという人たちもいます。けれどもそれは、方向性が初めから間違っています。理にかなった英語教育を学校で行えば、学校教育だけで、子供たちは正しい発音を習得し(それもアジアでトップレベルの発音です)大学卒業時には自分の言いたいことをスラスラ英語でしゃべれるようになります。 学校教育だけでそこまでの英語力を付けさせることは十分可能です。 もちろん子供たちに「音声モデル」を与えたり、大学の図書館にやさしい英書をそろえたり環境を整える必要はありますが、基本的に、学校教育だけで、生徒はグローバル化に対応した英語力を身につけます。  英語教育に無知で、経済活性化の観点からしか英語教育を見られない人は、英語教育を飛んでもない方向に持って行きます。 文部科学省は「スピーキングの指導と評価」が学校教育で出来る体制を整えてください。 変な指導法に学校教育を乗っ取られないで、子供たちの英語力を本当に向上させる方針を実行してください。英語教育は学校教育だけで完結できます。 そのためには、文部科学省はもう少し省内で、各教科の専門性を高めたほうがいいです。 文部科学省省内で、各教科とも本当に子供たちの実力を上げる方法に熟知する専門家を育て、お金儲けの部外者を排除出来るよう、ガードを固くした方がいいです。 英語だけでなく、国語も相当ひどいですから。 こんなひどい試験をやすやすと実施させるようでは、文部科学省としての役割が全く果たせていません。 各教科に関して、ただのド素人集団にすぎません。 だから付け込まれるのです。 省内で各教科の専門家を育成して、お金儲けの部外者に対するガードを固くする必要があります。 私は以前、通訳学校の方とお話しをした時、「外務省は以前は民間の通訳の方を利用していましたが、今は省内で通訳の方を育成しています。」とお聞きしたことがありました。 通訳とは違いますけれど、こういう不都合が出てきたのですから、これから、また、いつなんどき、お金儲け目当ての人に、教育が乗っ取られるかわかりません。文部科学省も省内で、しっかり各教科の専門家の方々を育成されたらどうですか。 「基本的に、文部科学省が学校教育ですべてを行う」この原則にのっとって(そうすれば、その専門家の方々に近づいてくる営利団体もないでしょう)、それぞれの教科の専門家が方針を決定する方向でガードを固めたほうがいいと思います。もちろん、その専門家の方々は常に現場の先生方と密接な関係を保ち、先生方が今何の問題に直面し、どのように解決したいと思っているのか、知っている必要があります。専門家は現場で、生徒の様子を常に把握していること。 今までの英語教育改革のように「9割以上の先生方が反対していることを強権で導入することは絶対に行わない」と最初から明確にしておく必要があります。 これまでと、文部科学省をとりまく環境が変わってきたのですから、文部科学省もそれに備える必要があります。 子供たちが公正な教育を受けられるようにするためにしっかりガードしてください。 文部科学省がしっかりしないと、一部のお金儲けしたい人たちによって、日本全体の子供たちの学力がボロボロにされてしまいます。この国語の試験のひどさを見れば明らかでしょう。 このひどい試験のどこが子供たちの思考力や文章表現力を上げるというのですか。 もし、国語教育の専門家がいたら、子供たちに思考してそれを的確に文章で表現する力をつけさせるためには、生徒に本を読む習慣を定着させることや、文章を書く指導を授業の中でどのように行うか、など根本的に問題を解決する方法から考えてくれるでしょう。(私も文章を書く指導についてはアメリカで子供たちの教育を見て知ったことをこちらのブログに書いています。「思考力を高める」という漠然とした目標より「どういう思考をさせるのか」を明確に目標設定してから、その思考の仕方を鍛える文章表現の練習をさせるほうが成果が上がります。「どういう思考をさせるか」その目標は4つほどありました。(4つはこちらのブログに書いてあります)そういう訓練が高校生の息子の化学のレポートを書くときなどもベースになっていました。)] 学校教育で子供たちの能力を伸ばすために必要なのはそういう方針です。 テスト業者ではありません。 お金儲けの人はすきがあればすぐに入ってきます。 文部科学省は、無防備ではだめです。 無知だとすぐにすきを突かれます。 自分たちの専門性を高めてください。やたらに外部に頼らないことです。 「外部に頼る」それこそがお金儲けの人の狙いです。外部を頼ったところで、この国語の試験のひどさでは、やらないほうがましです。 差別を生むなら英語の民間試験もやらないほうがましです(これについてはもっと本質的な問題がありますけれど、ここでは割愛します) 今回、「外部に頼っても何も解決しない」ということがよくわかりました。「解決にならないどころか、もっと大きな問題を作り出す」ということがよくわかりました。今回の国語と英語の例をみると外部業者の参入は明らかに教育の質を劣化させます。 学校教育としてやらないほうがましなことをお金儲けの人は巧妙な理由をつけて、導入しようとします。 これに対抗するためには文部科学省は自らの専門性を高めて文部科学省がすべてを行う」原則を確立してください学校で教えることを学校で評価できないはずはないのです。お金儲け目当ての人が巧妙につけるまやかしの理屈に騙されないでください。 50万人が一斉にテスト出来ない。などというのは最も大事なポイントではありません。論点をすり替える「お金儲け目当て」の人の巧妙な理屈に騙されないでください。 「子供の教育にとって最も大事なことは何か」その一番大事なことを些末な理由ですり替える人に常に目を光らせてください。OL時代のブログに書いた上司のNさんが、「相手の人が何を欲しがっているのか」それを注意深く見ると相手の人がどんな人かわかる」といいました。お金儲け目当ての人に教育行政はできません。 現実に外部(営利団体)を頼ったときから、腐敗が始まりました。 「英語教育改革」「大学入試改革」いろいろな改革が言われますが、今、一番必要なのは「文部科学省改革」ではないでしょうか。文部科学省の専門性を高めることではないでしょうか。  (小さな字の部分は、私が11年間不正行為ばかり受けてきて、今も、毎日毎日、本のランキングやブログを妨害されるのを見ていることに耐えられなかったので書いたものです。英語教育とは直接関係ありませんので、飛ばして読んでいただいて、結構です。民間試験なしに学校教育で生徒のスピーキングの評価をする方法は赤い大きな字で書いてある部分からお読みください  私が11年前から何をされてきたかは中ほどの水色の文字の部分に書いてあります。妨害をしているのが、ベストセラーの著者(「英語耳」松澤喜好氏)と一部上場企業の社長(KADOKAWA松原眞樹社長)では、私はどうすることもできず、ただ耐えるだけでした。でも、もう耐えきれなくなりましたので、英語のことではありませんが、書かせていただきました。松澤喜好氏のランキングの妨害は英語教師としての私の仕事を妨害するものですから、犯罪行為です。KADOKAWAは盗作や妨害など、犯罪行為をする松澤喜好氏を11年間ずっと守ってきました。 「会社の利益のためには、無名の犯罪被害者など、葬(ほうむ)ってしまえばいい」というのが、KADOKAWA松原眞樹社長の方針のようです。「会社の利益のためには犯罪さえかばう」というのが、KADOKAWA松原眞樹社長の方針のようです。 KADOKAWA松原眞樹社長は、法律が定める「取締役の善管注意義務」に明らかに違反しています。 犯罪をかばうKADOKAWA松原眞樹社長に社長の資格はありません。  社会通念として、株式を公開して社会から集めたお金で仕事をしている企業の社長が犯罪をかばうことが許されるのですか。 KADOKAWAはまさに、社長が「組織の解体・消滅」という隠ぺい工作まで行って、「盗作、妨害という犯罪行為」を行う著者の本を売る悪質出版社です。  株式会社の取締役は、株価などに影響を与える場合もありますので、情報操作は禁じられています。  私はこの先、何年、松澤喜好氏の犯罪行為(妨害)に耐えていけばいいのですか。 「無名の犯罪被害者なんか、ベストセラーの著者の犯罪行為に10年でも20年でも耐えていろ」というのが、KADOKAWA松原眞樹社長の方針ですか。  実際、KADOKAWAのそういうやり方に、2008年の盗作以降、私はどれほど泣いてきたかわかりません。アスキーメディアワークスが、解体・消滅させられたことを知った日を含めて、一日に何時間泣いてきたかわからないです。「本を売るために」松澤喜好氏も松原眞樹氏も随分ひどいことをするのですね。あの頃の私は人格が崩壊する一歩手前のような状態でした。)

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10月18日(金曜日) 私は松原眞樹社長に松澤喜好氏の妨害をやめさせてください、とお願いしているのです。赤い本も緑の本も2冊ともです。 2冊とも順位をいじらないでください。 ゲームではあるまいし、他人の本の順位を一日に何回も松澤喜好氏にいじらせないでください。 4年も妨害されて私は非常に不快です。 私の本は松澤喜好氏の私物ではありません。  松原眞樹社長は公正な企業活動が出来ないのなら、公正な企業活動が出来る方に社長職を代わってもらってください。 なぜ松澤喜好氏の犯罪行為を野放しにするのですか。 盗作を守ったときのように彼がベストセラーの著者だからですか。 それはゆがんだビジネスのやり方です。  そんなやり方でしか仕事が出来ないのでしたら、社長など、おやめになることです。  それから、松原眞樹社長は私のブログの検索結果を操作するのもやめてください。3年前から毎朝、同じ検索ワードで検索して結果を見ていますので下げられる操作が入るとすぐにわかります。私のブログがいつもの位置にありませんから。  松原眞樹社長はなんでそういう汚い手段でしか問題に対処出来ないのですか。なんでも隠ぺいして処理をしようとする松原眞樹社長の隠ぺい体質はあの時とちっとも変わらないですね。 そんなに自分の名前に傷がつくのがこわいですか。 社長だったら、例えば、読者から盗作だ、と指摘される問題が起こったら、その問題を精査して、公正な判断と処置を行うのが、社長の仕事ではないのですか。最初にそのように対処していたら、組織を解体・消滅させて、隠ぺいを図ることもなかったはずです。 松澤氏の妨害が早い段階でやめさせられていたら、私は今になってこの問題を持ちだすことはなかったと思います。 でも、毎日毎日不正に動かされる自分の本のランキングを見ていることに耐えられなくなりました。不正に順位を動かされるのを見ると憤りが心の中に芽生えます。 一日に何回も不正に順位を動かす松澤氏の行為は、憤りの火に油を注ぎます。 それが毎日毎日繰り返されると体の中が憤りでいっぱいになります。 いっぱいになった憤りは、行き場をなくし、爆発します。 今の私のように。 問題には早く対処することです。 松原眞樹社長は行動が遅いです。 隠ぺいをするときのアクションは早いですけど、不正行為をやめさせる行動は非常に遅いです。 全く「しない」に等しいくらい遅いです。そして裏で処理する。不正行為をやめさせることは社長の大事な仕事です。 社長が社員と一緒になって盗作の隠ぺいやっていてどうするんですか。 自分の業績が傷つくのが怖いからいつも不祥事は隠ぺいしてなかったことにするのですか。    社長として無傷でいることが尊いことではなく、日々起こってくる問題に正面から解決を図ることが社長として価値あることではないのですか。盗作の処理も自分が傷つくのが怖くて出来ないなら、出版社の社長などおやめになることです。 公正に盗作の処理もできない社長がいるから、私は11年もこんなにひどい思いをさせられてきたのです。  

11年間も不正行為を受け続ける被害者の苦痛がどれほどのものか、KADOKAWA松原眞樹社長はお分かりになりますか。

盗作をされて、抗議を徹底的に無視されて、何年か過ぎたころ、私はそのつらさから周りの人々に固く心を閉ざした時期がありました。 「自分の苦しさは誰にもわからない」と思っていました。  娘が心配して、ある日、こう言いました。 「お母さんが、そんなにかたくなだと、そのうち、お母さんの味方は、由紀子とお父さんだけになっちゃうよ。」 娘の心配も素直に受け入れられない私は、「お母さんの味方が一人もいなくても、お母さんはかまわないわ。」と答えました。 「人の苦しみのわからない人なんか、そばにいてくれなくたっていい。」私はそうやって、ますます自分一人のからの中に閉じこもるようになりました。娘はもう何を言ってもだめだ、と思ったのでしょうね。 あとは何も言わなくなりました。  普通の人は盗作や妨害は小さな犯罪だと思うでしょう。今朝(2日)早く、ランキングの1ページ目に仲良く上下に並んで載っていた私の赤い本と緑の本は、もう、全く違う位置に置かれています。 本当にストーカーのようにしつこく、しつこく松澤喜好氏]は、私の妨害をするのですね。  でも、その盗作や妨害の標的にされた人間がどれほどつらいか。     「一個人など、自分の(会社の)利益のためなら、どうなろうとかまわない」というのが、松澤喜好氏やKADOKAWA松原眞樹社長の考え方のようです。 犯罪も、強制的にやめさせられないかぎり、やってしまえば、やり得だと思っているのでしょう。 私が何を言おうと、一切取り合わなければいい、そう思っているのでしょう。 だから、KADOKAWA松原眞樹社長は、最後は組織変更までして、盗作を行った出版社の解体・消滅を謀(はか)ったのでしょう。 組織の消滅は社長以外誰もできない究極の隠ぺい工作です。 株式を公開している会社の社長は、情報操作は禁止されています。 不祥事の隠ぺいを謀(はか)る松原眞樹社長の不正行為です。 こういう方は社長として不適格です。 法律で定められた「善良な管理者」の資格にも当てはまりません。 「善良な管理者」として職務を遂行できる取締役の方と社長職を交代してください。 11年も犯罪被害を受けてきて、この先も、毎日毎日、松澤喜好氏の犯罪行為(業務妨害)を受け続けるのでは、こちらもたまりませんから。 問題が起きた時、自分の保身のために、裏から汚い方法で解決しようとするような人は企業のトップには向きません。 盗作した組織を消滅させたり、ネット上から都合の悪いニュースを削除したり、盗作本を11年も売り続けたり、犯罪被害者を攻撃するベストセラーの著者を守ったり、私が見た松原眞樹社長のすることは汚いことばかりだった。 汚いことばかりされても、無名の人間は11年も泣くことしかできなかった。  もういい加減、松澤喜好氏の妨害をやめさせてください。犯罪まで松澤喜好氏にやりたい放題やらせないでください。悪いことをされるのは盗作だけでたくさんです。                     松澤喜好氏とKADOKAWA松原眞樹社長のすることは、その標的になった人間の心も体も生活もめちゃめちゃにします。 小さな犯罪を毎日毎日され続けるとストレスが少しずつ溜まって心や体が影響を受けます。 私は最近、「自分は、松澤喜好氏と、松原眞樹氏に基本的人権を侵されている」と感じることがあります。 小さな犯罪であっても、毎日毎日繰り返してされれば、ストレスで少しずつ私の心や体が蝕まれていく。そう感じています。 私はもう、以前のように元気ではありませんから。 私が不正行為をされているのは2008年からですから、もう私の中で何かが限界を超えた感じがします。最近、こういう状態で生きているのはつらいなあ、と思うことが多いです。  松澤喜好氏とKADOKAWA松原眞樹社長のすることは、小さな犯罪で毎日当事者を追い込んで、10年以上の長期にわたって、真綿で首を絞めるように、じわじわと人を殺すようなものです。 私の体も心もこれだけ長く受けた不正行為によって随分弱ってしまいました。 私は、もう疲れました。 11年というのは、生まれた赤ちゃんが5年生になるまでです。 私は出産後その子が5年生になるまで不正行為を受けているのと同じです。(それでは、性格も暗くなるし、体の具合も悪くなって当然でしょう。) 毎日毎日盗作や、ランキングの妨害やブログの妨害や、数々の不正行為を目の前に見せつけられながら、誰が、11年も心身ともに影響を受けずに生きられると思いますか。 松原眞樹社長、あなたがしているのは、精神的にじわじわと長期に渡って人を追い込んで、証拠を残さずその人の人生を奪う殺人と同じです。  動物に毎日ストレスを与えて、11年たって、生きているかどうか見て見たらいかがですか。 ほとんどの動物は、生きていないのではないですか。 松澤喜好氏と松原眞樹氏、お二人のすることは恐ろしいです。  自分のしている不正行為を隠すために証拠の残らないような小さな不正行為で、犯罪被害者を長期に渡って攻撃する。 私は長期に渡って、じわじわとストレスを受けて様々な体調不良を何年にも渡って経験しています。 松澤喜好氏と松原眞樹氏、お二人のすることは恐ろしいです。 自分にとって邪魔な人間は消せばいい、というのですから、恐ろしいです。 それを承知で犯罪をかばう社長も恐ろしいです。 松澤喜好氏と松原眞樹氏にとって、邪魔な人間でも、家族もいますし、健康に生きる権利もあります。 邪魔な人間だから攻撃して消せばいい、というのはあまりにも身勝手な理由ではありませんか。  私が松澤喜好氏と松原眞樹氏に何をしたというのですか。  事の発端は松澤喜好氏の盗作だったではありませんか。 松澤喜好氏ご自身が「松澤は盗作!というのはすごーい!」とお書きになっていらしたではありませんか。 松澤喜好氏が、盗作を隠したくて、私を攻撃するなら、私は松澤喜好氏がいる限り攻撃を受けていくということですね。 KADOKAWAの社長松原眞樹氏もそれをかばってやらせているわけですから、誰も松澤喜好氏の攻撃をやめさせる人はいないわけですね。 私はずっと攻撃されていくということですね。 本来そういうことは、してはいけないことです。


9月16日 民間試験に頼らない、生徒のスピーキング評価の一例を書きます。  まず、「スピーキングのスキルは学校で教えるもの」という原点に立ち返って、中学時代、生徒に正しい発音でスピーキングが出来るよう学校で指導します。(やり方はこちらのブログに書いてあります。) 次に高校時代は、こちらのブログ(2015年8月2日)に書いてあるように授業を行います。 その練習法の中のスピーキングの活動に関するものを次に転載します。
2015年8月2日のブログ「高校時代は「日本語頭」から「英語頭」に切り替える練習をします」より青字の部分転載)  。。。。ですから、高校生が、英語の語順のまま理解するスキルを身につけるのは、学習が終わって、意味、構造ともによくわかるようになった英文を音読して行っていきます。 これがパート2の練習です。 従来の訳読式授業でやめないで、ここまで行ってください。学校では時間の関係で数回しか音読できないと思いますが、あとは家庭学習で何回も音読してください。 高校時代の私は授業で学習が終わったレッスンを何回も家で音読していました。 日本語の枠組みで理解した英語が、だんだん英語本来の語順で理解できるようになります。 この段階(家庭学習で授業で習ったレッスンを何回も音読する)まで学習したレッスンなら、終了後、小さなグループに分けて、「このレッスンで読んだことについての感想」などを言わせてみてもほとんどの生徒が英語で言うことが出来ます。 よく、対立する意見でディスカッションさせる方法が高校生の授業で言われますが、私はあまりそれには賛成できません。 発音がまた乱れるからです。 学んで、練習して、文章がほぼ頭に入り、口で言うことも上手になったものを使ってしゃべらせるほうが正しい発音の定着には効果があります。 ディスカッションで出てきた新しい視点に基づいて自分で新たに文章を考えてしゃべるとどうしても発音は乱れてきますし、スピーキングはたどたどしくなります。  それよりは、自分が練習した文に近いもので、しゃべらせる機会を与えたほうが生徒は「スラスラしゃべれる」体験をしやすくなります。 また、レッスンの内容について、二人一組で、生徒が英語で質問し、相手が英語で答えるような練習もこの段階でしたら、スラスラ英語でしゃべれます。 スピーキングも練習の後は「スラスラしゃべれる」という「成功体験」を生徒に味わわせた方が効果的です。

こういうスピーキングの活動を授業でレッスンが終わるごとに学校で行って、先生が一人一人の生徒のスピーキングを見ながら評価します。 それを高校3年間継続して行います。 一時間でたとえクラスの半分しか先生がチェックできなくても、次のレッスンが終わったときには、残りの半分の生徒のスピーキングをチェックすることが出来ます。  高校3年間継続してスピーキングの活動とその評価を行うわけですから、決して偏(かたよ)った評価にはなりません。 その最終的な総合評価を大学に提出すればいいわけでしょう。  この場合、「生徒の発音がカタカナにならないか」と心配する方もいらっしゃると思いますが、中学時代にこちらのブログに書いてあるように発音習得させれば少なくとも宿題(家庭学習)をきちんと行った生徒はネイティブに近い発音になります。 なぜかと言えば、中学1年生の「音をよく聞き取れる耳」を使って発音を習得させるからです。 日本の子供たちはアジアのトップレベルの発音を習得します。 こちらのブログを見ていただけば、ネイティブの先生が授業をしたからと言って子供たちがネイティブ発音になるわけではないとお分かりになります。 それに、民間試験を受ければ生徒の発音がネイティブ並みになるわけでもありません。 学校でスピーキングをきちんと教えれば、不公平な試験を生徒が受けなければならないような事態にはなりません。     私が挙げた上の例についても、それでは学校間のレベルの差をどう考慮するのかとか問題がないわけではありません。 けれども、相対評価ではなく、絶対評価とし、その基準を文部科学省が定めるなど、いろいろな方策をとっていけば、改善できます。     学校できちんと発音を教えて、スピーキングの指導をすれば、不公平な試験を生徒に受けさせる必要もなくなります。  「生徒のスピーキングの能力を上げる」という目標の達成は学校教育で出来ます。 すべては、「学校でスピーキングを教える」という基本から考えていくと解決出来ます。 私は、経済的に恵まれない家庭の子でも平等に教育が受けられる仕組みを壊してはならないと思います。 学校が学校としての機能をきちんと果たして、教えるべきこと(スピーキングのスキル)を教えれば、民間試験など必要ありません。文部科学省が責任を持って学校教育を行えば、民間試験など必要ありません。

(以前、「大学の英語の教師になるための教職課程に音声学が必修になっていないのは問題ではないか」と指摘していらした先生がいらっしゃいました。 現在でも必修でないのなら、必修にする必要があると思います)






8月23日 金曜日

日本の英語教育改革は失敗しました。高校の先生方があれほど強く反対していた「英語で授業」を強引に導入したからです。 現場の先生方の意見を聞かない英語教育改革は失敗します。英語教育に関しては、40年前、私が大学生のころから、通じない日本人の英語を何とかしなければいけないと、改革の必要性が言われていました。けれどもいまだに日本人の英語は通じるようにはならないですね。理由は、文部科学省が英語習得に関して何も知らないからです。(下の(1)から(8)をご覧ください。)私はそういう議論を聞くたびに「そんなの簡単なのに。私みたいに中学時代に練習すればだれでも通じる発音で話せるようになるのに。」といつも思っていました。 日本人が高い英語力を持つために必要なのは「発音と語順」の訓練です。 文部科学省耳のいい中学時代に正しい発音でしゃべる訓練もしませんし 、複雑な英語を学び始める高校生に語順の通りスピードを上げて英文を処理する訓練も行いません。 だから日本人の英語力は上がらないのです。 高い英語力を持つために必要なことは、時間はかかりますが、することは簡単です。発音は2年で効果が出ます。(こちらのブログに書いたように中学校で2年間、家庭学習を指導すると、子供たちはアジアのトップレベルの発音で話し始めます。 それが可能なのは音を聞く力が高い中学1年生の耳の力を使って発音を習得させるからです。)語順は3年で効果が出ます。大量のインプットは2年で効果が出ます。子供たちは、大学卒業時には思ったことをスラスラ英語でしゃべれます。これは全部私が自分自身で行ったことですので、必ず効果があります。「英語で授業」のような何の効果もない指導法とは違います。文部科学省は間違った英語教育の方針からそろそろ抜け出してください。効果のない方針に翻弄される子供たちがかわいそうです。よくわからない英語で授業をしろと言われ、習ってもいないスピーキングのテストをされて、文部科学省の失敗のつけがみんな子供たちに回っています。しかも、文部科学省は失敗だとわかっているのに「面子をつぶしたくない」「責任を取りたくない」「だから続ける」という悪循環に陥っています。逃げ回って何と国民に言い訳をしようと、現実には逃げ回れば逃げ回るほど失敗の上に失敗が蓄積して、「英語力低下」「通じない発音から脱却できない」という失敗の証拠がどんどん明るみに出ます。いつまでも、「失敗する方針」を「効果がある方針」と国民に言いくるめられると思っていたら、大きな間違いです。    現在の英語教育改革では、子供たちの発音もよくならないし、英語力も上がらない。しかも、大学入試は不公平になる、と言ったら、これは失敗以外の何物でもないでしょう。 しかも、「スピーキングの基本も学校でおしえないで(練習のための音声モデルも与えないで)、4技能を試験する」など、ありえないです。 (「4技能」、「4技能」と提唱している有識者会議の委員(安河内哲也氏)が、正しい発音習得の仕方も知らないから、こういうことになるのです。) なんで最初から丸投げばかり考えているのですか。 丸投げで公平な大学入試が出来るのならそれでもいいです。 でも、出来ないのなら、他の方法を考えざるを得ないでしょう。 それは大変な仕事ですけど、世の中に楽して出来る仕事はありません。  どんな企業でも外国に工場を立ち上げる時は第一陣としていく人たちは非常に大変な思いをします。  初めて導入する試験ならばそれを作る人たちに生みの苦しみが伴うのは当然です。 それをしないで済ませようとするから「不公平な大学入試」などという問題が起こってくるのです。      

私自身は、もともとその目的が違ういろいろな種類の試験で、受験生を評価する、ということが理解できないです。 やはり同じ基準で評価するべきだと思います。(出題、採点、管理は公的機関が行うのは言うまでもありません。そうでなければ、問題が起こったとき、企業秘密の壁に阻まれて解明、改善ができません。) それが大変で、対応できないから、こういう方式にしたようですけれど、「それが大変だ。難しい」などというのは民間の会社に勤めていたら、いつだって起こってくる問題です。 一見、不可能に見える問題を解決するためにみんな必死に努力して仕事をしているわけです。 (何も50万人の受験生全部に同じ日の同じ時間にスピーキングテストをしなければならないわけではないでしょう。 そういう発想になるのは、スピーキングは学校の授業で教えるもの、という考えが全くないからです。) 私は昔、40代50代のビジネスマンの方とよく一緒に仕事をしました。(「OL時代」のブログに書いてあります)一見不可能に見えるような問題にも、慌てず騒がず、皆さん、全力で対応していらっしゃいましたね。 20代の私には、時に彼らの仕事の仕方は感動的でさえありました。 昔のNHKの「プロジェクトX」という番組に出てくるような仕事をするビジネスマンの方にあの頃の私は何人もお会いしました。 そういう人たちのする仕事を目の当たりにして、「これが仕事をするということなんだ」と20代の私は知りました。若くても、少しでもそういう人たちから学ぼうと私も必死でした。 だから毎日清水の舞台から飛び降りるような気持で、仕事をしていました。   結婚して、アメリカにいた時、「この人は本当にアメリカで仕事ができるのかなあ」と思うような方が、駐在員として赴任していらっしゃいました。 私は思わず、夫に「この方はアメリカで大丈夫なの?」と聞いてしまったことがありました。 そうしたら夫が、私の方を見ることもなく、「大丈夫であろうとなかろうとやるんだよ。仕事だからね。」と言いました。  民間の企業で働く人はみんな一見不可能に思えるようなことでも必死にやっていかなければならないのですよ。 文部科学省は何で、そういう必死の努力をしないのですか。 なんでいつも丸投げなんですか。なぜ「同じ基準でスピーキングの評価が出来る方法」を必死で作り上げようとしないのですか。 「同じ基準で評価が出来る方法」についてもっと多くの人のアドバイスを集めないのですか。まず、「スピーキングのスキルは学校で教えるもの」という原点に立ち返って、生徒にスピーキングを学校で教えることです。 そうやって、生徒がスピーキングの能力を日々の授業で向上させるのを見ていけば、おのずと、大学入試での生徒のスピーキング能力の評価の仕方も決まってきます。 先生方はそういうスピーキング能力向上の過程を全部見てくるわけですから。  スピーキングの基本は学校の授業で教えるべきことなのです。  学校の授業で教えるべきことを文部科学省が「評価」出来ない、というのはおかしいでしょう。  学校で教えることなら、民間試験なんかで評価しなくたって、文部科学省が評価できるでしょう。  先生方が評価できるでしょう。 「英語で授業」を持ち込んだときもそうでしたけれど、現場の先生の意見を無視したら、必ず失敗します。  文部科学省はすでに、一回失敗しているのですから、同じ過ちを繰り返さないことです。  はっきり言って、今、大学入試でスピーキングのテストをしても、子供たちのスピーキングの実力は上がりません。 スピーキングの能力は学校教育で正しい発音を教え、一定の期間(2年位)音声モデルを使って練習させることによって身につきます。 それをしないで、「テストをすればスピーキングが出来るようになる」と考えるのは、文部科学省が英語教育について何も知らないからです。  発音習得を学校で指導していない現段階で(音声モデルも与えられていない段階で)スピーキングテストをやっても無意味です。 英語の音声もほとんど聞いていない段階で子供たちに正しい発音など身についているはずないでしょう。 これは現段階ではなんの役にも立たないテストです。 教えていないことをテストするのですから。 日本中の教育関係者ほぼ全員が「問題がある」と言っているテストを強行したら、文部科学省の暴挙です。
学校の勉強の一環として発音習得をした経験がないのに、「4技能」「4技能」と提唱してきた有識者会議の委員、安河内哲也氏は、子供たちが今、学校で教えられてもいないスピーキングのテストを受けなければならない状況に立たされた責任を少しは感じてください。 自分がやってもいないこと(どうやって教えるのかも知らないこと)を提唱するから、こういうことになるのです。

文部科学省はスピーキングに関しては、
(1)正しい発音でしゃべることを学校で教えない。(つまり塾に丸投げ)
(2)入学試験は民間試験に丸投げ

つまり文部科学省はスピーキングに関しては、「教えること」も「テストすること」もすべて外部に丸投げしているわけです。 ひどくありませんか? あまりにも手を抜いていませんか。 スピーキングに関してはすべてを丸投げしています。 自分たちは何もやっていません。 そして、「難しい仕事はしたくない」というわがままのつけをみんな子供たちに押し付けています。 民間の企業の社員だったら、「自分の仕事をまじめにやれ」と言われます。  文部科学省が全部丸投げするから、子供たちがそのつけをかぶって不利益を受けてしまうのです。 先生方はそれが分かるから苦悩されているのです。 文部科学省は少しはまともに働いたらどうですか。いくらなんでも、全部丸投げはひどいです。



私は、1年くらい前から毎朝、ある4つの検索ワードで検索をしていました。 そうすると検索結果に私のブログ「文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない」(2017年10月12日)と「中学時代に、きちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか?」(2017年11月2日)という2つのブログが、1位と2位に出てくるのです。 最初は期間を限定して検索をしていたのですが、最近は期間を限定しなくても、この2つのブログが1位と2位に出てくるようになりました。 ところが、今週から、この2つのブログが全く検索結果に出てこなくなりました。 (「日本の英語教育改革は失敗した」とはっきり言いきったことが文部科学省の気に障ったのかもしれませんね。) 1位と2位でないのなら、下の方の順位で出ているのかと思って下がって見てみてもどこにも出てこなくなりました。 7月に知人から「そういうことを専門に操作している機関がある」と聞きましたけれど、「こういうことなんだな」と思いました。 私は文部科学省に都合の悪いブログばかり書いていますから。(でも、嘘は書いていません。 全部自分がやってきたことと、自分の子供がやってきたことに基づいて書いています) 私はアマゾンの本のランキングももう4年も松澤喜好氏(「英語耳」(KADOKAWA/アスキーメディアワークス刊)に、赤い本も緑の本も妨害されていますから、初めて妨害を受けるわけではありません。 ですから「今度はブログの妨害なのね」と思うだけです。 この11年、盗作、隠ぺい、妨害、たくさん不正行為はされてきました。 「やめてください」とお願いしてもやめてもらえず、11年前、最初に松澤喜好氏に盗作されたころは、毎朝、夫や子供が出かけた後、一人で泣きながら朝ご飯を食べていました。 眠る時は泣きながら眠りました。 けれども最近はなるべく考えないように、思い出さないようにしています。  でも、たまに、疲れた時など「なんでこんなに長い間、不正行為ばっかり受けなくてはならないのかな」と思うと涙がこぼれるときもあります。 あの頃、一番つらかったのは、「ベストセラーの著者を守るためなら、無名の人間など、つぶしてしまえばいい」というKADOKAWA/アスキーメディアワークスの露骨なやり方でした。 こういうやり方は、現在も、アマゾンのランキングの妨害をする松澤氏を黙ってやらせておく、KADOKAWA(松原眞樹社長)の姿勢にもつながることですね。 出版社がここまでひどいことをするということに私は非常にショックを受けました。  「相手が無名の人間なら、つぶしてしまえば、どんなにひどいことをしても世間に知られることはない」と思っていたのでしょうね。 彼らは、その標的になった人間がどれほどつらい思いをするかなんて、考える必要さえなかったのでしょう。 あの頃、娘がよくテレビで2時間ミステリーを見ていました。その中で、若い作家や作曲家志望の人が盗作されて自殺する話がありました。 それはドラマの中のことですけれど、現実にそういうことをされたときのつらさは、自殺はしませんでしたけれど、耐え難かったですね。 ここ4年は、妨害ですね。   この2つ前のブログに「子供たちの発音を学校教育によってアジアのトップレベルにする方法」を後から書き加えたときの妨害は特にひどかったですね。 一日に何回も「順位が上がっては下げられる」を2冊の本とも数日間繰り返しました。(2019年3月15日ごろのことです) さすがにその時は「ひどい」と思いました。 こんなにやりたい放題、妨害をさせておいていいのか、と思いました。 普通は盗作をしたり、他人の妨害をしていたら、社会人として受け入れられないのでしょうが、KADOKAWA/アスキーメディアワークスが必死に松澤喜好氏の盗作を守って来ました。 そのやり方は、最初は「ボイストレーニング」という題名で出版した本を、「盗作だ」と批判されると、出版2か月で、題名を「英語耳ボイトレ」と変え、表紙を松澤喜好氏の前作「英語耳」と色違いで同じデザインに変えて出版しなおしました。 そして、出版社著者ともに「これは松澤喜好氏の英語耳シリーズの一つだから、松澤喜好氏自身のアイデアで書かれたものだ」と強調しました。つまり、題名や表紙を変えるという手段まで使って、盗作の隠ぺいを図りました。 「盗作だ」という読者の批判は徹底的に無視でしたので、当時松澤氏の掲示板に書き込んだ読者の中にはコメントの最後に「Shame on you.」と書いた方もいました。 「恥を知れ」という意味です。 KADOKAWA(松原眞樹社長)は読者から「恥を知れ」と言われるような出版の仕方はおやめになったほうがいいと思います。 読者に盗作だと言われ、松澤喜好氏の掲示板は荒れに荒れて、閉鎖になりました。 KADOKAWA(松原眞樹社長)は松澤喜好氏の妨害も知っていても、黙ってやらせているだけですね。 そういうやり方は「ベストセラーの著者を守るためなら、どんな汚い手段を使っても邪魔な人間はつぶしてしまえばいい」という11年前の盗作隠ぺいの時と同じですね。 一応「営業妨害」は犯罪のようです。(業務妨害罪 松澤喜好氏は、ランキングを操作して、私の英語教師としての仕事を妨害しています。順位が下がれば、広告宣伝の効果も下がります。だからランキングを妨害するのでしょう。) KADOKAWA/アスキーメディアワークスは、11年前松澤喜好氏の犯罪(盗作)を必死で守りましたから、松澤喜好氏は、今回の犯罪(営業妨害)も出版社が守ってくれると思っているのでしょう。 その証拠にKADOKAWA(松原眞樹社長)は4年も松澤氏にやりたい放題妨害をさせています。 それは、KADOKAWA(松原眞樹社長)も松澤喜好氏の犯罪に加担していることと同じです。 東京証券取引所に一部上場している企業は普通は犯罪には加担しません。 ベストセラーの著者だから、営業妨害という犯罪を犯しても守る、というのは、11年前、ベストセラーの著者だから盗作という犯罪を犯しても守ったのと同じですね。 会社の利益のためなら、犯罪を犯す者さえ黙ってさせて守る、これがKADOKAWA(松原眞樹社長)がこの11年、私にやってきたことです。そしてKADOKAWA(松原眞樹社長)が現在も私に対してやっていることです。 こういう陰湿なやり方には、株主も眉(まゆ)を顰(ひそ)めるのではないですか。 その後、2018年、KADOKAWA(松原眞樹社長)は組織変更を行いアスキーメディアワークスを解体しました。(プレスリリースニュース)「もう、私が何を言おうと「昔あった会社がしたことですから」で片づけられてしまう」と分かった日は、11年前のように何時間も泣かずにはいられなかったですね。  私にとっては、当事者の消滅はKADOKAWA(松原眞樹社長)による究極の隠ぺいでした。(アマゾンに載っている「英語耳ボイトレ」は私がこの文章を書いた後、絶版にしたのですね。今日(9月17日)気が付きました。 私が初めてこの文章を書いて「英語耳ボイトレ」にリンクを付けた日は、普通に売られている本のように定価の価格表示でした。 11年間盗作本を、批判は徹底的に無視して売り続けてきたのですね。) 松澤喜好氏の盗作、妨害については、私は、その苦しさから、一度はこのことは忘れようと思いました。 「7年前の出来事」のブログを削除した日です。でも、一向にやめない松澤喜好氏の妨害を毎日見るうちに、犯罪被害者が、犯罪をされたまま黙って忘れて、犯罪者は妨害をし続けるなんておかしい。と思いました。なぜ、犯罪をする人がやめないで、犯罪被害者がその苦しさからのがれるために忘れなければいけないのか、それはおかしい、と思うようになりました。 KADOKAWA(松原眞樹社長)は、松澤喜好氏にやりたい放題、盗作や妨害の犯罪をやらせています。 犯罪者が犯罪被害者をつぶそうとするのを黙って見ています。 ついさっきまで「英語耳ボイトレ」も、普通に売られていました。KADOKAWA松原眞樹社長は、出版社の社長なのに、盗作が悪いとさえ思っていません。 KADOKAWA松原眞樹社長は松澤喜好氏の犯罪をやめさせてください。                     






(2019年7月7日、日曜日)

「英語で授業」の方式で成果を上げる為には一日7時間英語で授業をやって(帰宅後授業内容すべてを毎日全文和訳で生徒に理解させる。この家庭学習は最初の年は高校生で7時間、小学6年生で4時間)それを続けて、2年間かかることを最後の部分に付け加えました。有識者会議の委員松本茂氏に「ご自分が知らないことは提唱しないでください」とお願い致しました。「英語で授業」は詐欺です。全く効果のない詐欺です。騙(だま)すつもりがあろうとなかろうと、まったく効果のない方法を効果があると言って、学校教育にもちこみ税金を使わせているのですから、詐欺は詐欺です。騙(だま)すつもりでなければ、他人に損害を与えても罪にならないわけではありません。(大人は生徒が英語で授業をしているのを見ると、うれしいのでしょうね。子供たちが理解していようがいまいが、ネイティブと同じことをしているように見えますから。それで、簡単にだまされるんでしょうね。でも、その英語の授業を家に帰ってから日本語でわかるように説明してくれる人がいなかったら、子供たちの英語力はボロボロになります。子供にとっては使ったことのない言語で言われたことなんて、「何にも教えてもらっていない」のと同じことなんです。英語で教えたことなんて、そのあと日本語でよくわかるように説明してあげなかったら、ほぼ何にも定着しない、と思ったほうがいいです。 中学生も、高校生も、同じです。  これは私の経験から申し上げています。  分詞構文を日本語で教えることを批判する松本茂氏はこういうこともご存じないのでしょうね。華やかなプログラムを提示することより、もうちょっと子供の状態をよく見てあげてください。)文部科学省は学習指導要領(公文書)にまで詐欺指導法をいれるのですか。 有識者会議の委員、松本茂氏や安河内哲也氏が、「英語で授業」を提言したからですか。 けれども詐欺は犯罪です。間違っていたら、撤回するべきでしょう。 撤回しないのなら、学習指導要領は「文部科学省、詐欺」の証拠を示す公文書になりますね。 詐欺は犯罪です。他者に損害を与える犯罪です。  中学校英語教育、高校英語教育、その二つともを詐欺指導法で行うと方針を決めるなど、ありえないことです。 なぜ日本の英語教育が中学、高校とも詐欺指導法に乗っ取られなければならないのですか。学習指導要領(英語で授業)の間違いについてはこちらのブログに書いてあります。 文部科学省が行っている英語教育改革というのは何を目的に行っているのですか。生徒の英語力を壊す方針ばかりです。  私がそう思う理由を下記に8項目まとめました。(日本人の英語教育は生徒が理解できる日本語で教えて「発音」と「語順」を重点に訓練しないと、通じる発音でスラスラ話せるようにはなりません。的外れなことばっかりやっていないで、核心から手を付けなければなりません。時間はかかりますが、やり方は簡単です。)

(1)「英語で授業」のもとになった松本亨氏の「英語で考える指導法」は単なる松本亨氏の勘違いでした(こちらのブログ)。彼は7年前日本語訳で理解したテキストを7年後英語のまま理解できたので「日本語訳は害になる」と主張し、日本語訳を使わせない「英語を英語で理解する指導法」「英語で考える指導法」を日本中に広めました。(ひどい話です。英語をこれから学ぶ学習者が英語を英語で理解できるはずはありません。) その後は英語学校FORWARD石渡誠氏が、「英語を英語で理解する指導法」「英語で考える指導法」を主張してきました。石渡誠氏は「日本語訳は害になる」が間違いであると6年間指摘されても、決して認めません。生徒に20年以上嘘を教えてきたことを決して認めません。指摘されればされるほど動画で強く「英語で考える指導法は素晴らしい」と主張してきました。石渡誠氏はこれからも日本語訳を使わせない「英語で考える指導法」を継承していくとこちらのブログで述べています。(12月9日:最初に私がつけたリンクではこのブログにアクセスできないようになっていました。「該当するページはない」という表示が出てきました。けれどもURLを見て、そのリンク先が石渡誠氏の2019年7月15日のブログだとわかりましたので、石渡氏のブログリストに行って2019年7月15日のブログをクリックしたら、URLを変えて同じブログがアップされていました。 それで、そちらのURLにリンクを付け変えました。 ちなみに「来年で50周年」と書いてありますから、間違っている「英語で考える指導法」は50年も提唱されているのですね。) だますつもりがあろうとなかろうと虚偽の指導法で、生徒が車を売って払うほどの授業料を取ってきたのなら詐欺商法といわれても仕方ないでしょう。石渡誠氏はブログに「英語学習にはお金がかかる」(2011年7月2日のブログ)とか、「生徒はそのお金をどうやって作ればよいか」(2011年5月31日のブログ)書いていますが、お金がなくても英語学習は出来ます。(当時そのブログの内容を知った若い女性の知り合いから「川合先生、お金がなくても英語学習ができることをブログに書いて下さい。英語学習にお金をかけられない人はたくさんいます。」と強く頼まれましたので、私はこちらのブログを書きました。 「リスク回避を考えるのは甘い」と石渡誠氏は述べていますが(2011年6月6日のブログ「英語をモノにする心構え13)、詐欺指導法を20年以上も提唱して来て、訂正も謝罪もできない石渡氏の方がよほど甘いのではないですか。   石渡誠氏の2011年6月7日のブログ「英語をモノにする心構え14はひどいですね。「なぜ高校生のバイトを禁止している高校が多いのか」お分かりにならなかったら、近くの高校に行って、生活指導担当の先生から、お聞きになることですね。 (大学できちんと教職課程を学んでいれば、バイトをさせない理由もよくわかります。高校生は社会を知らない分、怖い思いをすることになる子もいるからです。世の中、良い大人ばかりではありませんから)こんなことまで生徒にさせて自分の英語学校にお金を持ってこさせたいですか。しかもやっているのは勘違いから生まれた詐欺指導法なのに。これだけ激しいことを生徒に言っておいて、先生方は詐欺指導法の責任はとらないのですか。「詐欺指導法のために生徒にバイトまでするように言って何十万という授業料を払わせる」松本亨氏の学校は随分ひどいやり方をしていたのですね。これでは自分のために生徒を働かせているようなもんでしょう。 「スクールで一番大切なのは、受講生です」と2019年7月15日のブログに書いてありますが、人は一番大切な人を騙(だま)したりはしません。 石渡誠氏は自分のビジネス存続のためなら、生徒に嘘もつくし、騙(だま)しもするということでしょう。そうでなかったら、なぜ「日本語訳は害になる」が間違いだと生徒に伝えないのですか。 なぜ本当のことを生徒に伝えないのですか。 なぜ嘘をつき通そうとするのですか。 明らかに自分の保身以外の何物でもないでしょう。「来年で50年」「これからも英語で考える指導法を継承していく」などとブログを書くくらいなら、50年「日本語訳は害になる」と間違った指導法を提唱してきたことをきちんと訂正、謝罪するべきでしょう。騙(だま)し通せると思うこと自体、石渡誠氏は心の中で英語学習者を馬鹿にしている。学習者に「嘘(うそ)だ」とわかりはしないと高をくくっている。 けれども、英語学習者は、石渡さんが考えているほど簡単に騙せる人たちではありません。 石渡さんが考えているより、はるかに鋭い人たちです。 石渡さんはうまくだましていると思っているかもしれませんが、英語学習者の方々は、騙されていません。本当のことをちゃんと知っています。  私のブログのアクセス状況から、わかりました。  「英語の思考活動」のブログは2017年2月4日に書いたものですが、私は2018年の終わりに、数回書き加えて「英語で考える指導法」は松本亨氏の「勘違い」だと明らかにしました。 書き加えていた間、このブログのアクセスは大変多かったようです。(はてなダイアリーのアクセスサービスが終わってしまっていたので、私は自分のブログで検索をして、そこに出てくるブログの順番でどのブログが読まれているのか見ていました)私のブログで検索をしたとき、最新のブログが、まずリストの一番上に出てくるのが普通です。けれども、あの時はそれを抜いて「英語の思考活動」のブログがしばらくの間、リストの一番上に出てきました。(今まで過去のブログに何回か加筆したことはありますけれどそういうことはありませんでした) 私は「現在「英語の思考活動」のブログに書き加えています」とは皆さんに一言もお知らせしていませんでしたが(黙って書き加えていました。 皆さんにそのブログに加筆したことをお知らせしたのは、数日間にわたる加筆が全部終わった時でした。)多くの人が読んでくださっていると知ってびっくりしました。 ブログの読者の皆さんは「英語学習に必要な情報はちゃんと入手される」と思いました。  加筆が終わったときは「書き加えました」と最新のブログに書きましたので、石渡氏も、それを読んで「英語で考える指導法」は松本亨氏の勘違いだとお分かりになったのでしょうね。  私が「英語の思考活動」のブログにそのことを書き加えてから数か月間、石渡誠氏のブログトップにデザインされた「石渡誠発 Language Teaching for a Better World FORWARD」の部分は削除されて真っ白でしたね。 石渡誠氏は一番上の部分が削除された真っ白な状態で数か月間ブログをアップされていましたね。(最近また戻ってきていますけれど) 私が嘘だと指摘した「英語で考える指導法」を提唱する自分の名前と自分の英語学校FORWARDの名前が結びつくと学校の経営に良くないと思われたのでしょうか。 また、最初のころ自分の英語学校は松本亨氏の「英語で考える指導法」に基づいていると大きく紹介していらっしゃいましたけれど、ホームページを改訂するたびにその部分は縮小され、今は数行で触れるだけですから、ご自身も松本亨氏の「英語で考える指導法」が彼の勘違いであったともうわかっているのでしょう。   もう一つ、「読者の方は鋭いな」と私が思うのは、2017年7月19日のブログのアクセス順位が結構高いからです。順位だけ見ていた時は理由が分からなかったのですが、読んでみてその理由が分かりました。  私が、「英語で考える指導法は間違っている」と解説したブログ21個がこのブログにリストされていました。  私が447個もブログを書いている中で、「読者の方はこういうブログをよく見つけられるな」と思いました。 すごいと思いました。  もう一つは、2016年にネット上セミナーを行い、皆さんに子音を長く発音する方法をご紹介しました。  ネット上セミナーが終わってもこちらのブログ(Rの練習)がずっと検索の上位に出てきました。  たぶん、日本の英語学習者の方々の中にはRを通じるように発音する練習を探している方が多いのだろうな、と思いました。  447個のブログの中からこれを見つけられるのもすごいな、と思いました。
石渡誠氏は自分の学校の生徒にも、どうせ「英語で考える指導法」が嘘(うそ)だとわかりはしないと思っているのでしょう。 そして「英語で考える指導法」が間違いだったと伝えると、生徒はもう授業料を払って受講しに来なくなるかもしれないと思っているのでしょう。 だから、このまま騙(だま)しておこうというのが石渡誠氏の方針でしょう。まさに詐欺です。 日本語に訳さないで英語のまま言っていたって意味もニュアンスもわかりません。 当然です。それを勉強するのが英語学習です。そういう勉強を母国語でしながら同時に英語を使っていくのが英語学習です。英語のまま使わせればわかるわけではありません。 生徒を騙(だま)せると思うこと自体、生徒を馬鹿にしています。 石渡氏の学校の生徒さんは、みんな日本語訳を使っています。日本語訳を知らないと初・中級者は思ったことを英語に出来ないからです。学業や仕事で使う英語は日本語訳なしに習得は出来ません。「Honey(蜂蜜)と「歯に~」のようになってしまうからです。 石渡誠氏も松本亨氏もかつて日本語訳を使って勉強しています。先生も生徒も学校中が日本語訳を使って勉強しているのに、「日本語訳を使わない英語で考える指導法」は素晴らしいと宣伝するのはおかしくありませんか。日本語訳を使わずに英語を習得した人など石渡さんの学校に一人もいないのに。 石渡さんの学校でやっているのは、「日本語訳で英語を学んで、学校で英語を話す練習をしている」そういうことでしょう。  私も息子が小学校1年生の時には何も教えませんでしたけれど、5年生以上で使う英語では英語のままでは理解できませんでした。 実際に見ているものではなく、頭の中で考える事項が入ってくると、母国語がないと理解はできません。 まさに「英語で考える指導法」は机上の空論です。全く日本語訳を使わず、学業や仕事で使うレベルの英語は習得できません。 英語教育を論じるときに、私の息子が1年生で飛び跳ねながらやっていた I'm jumping. のようなレベルの英語を想定していてもしょうがないでしょう。(子供の英語は自動的に大人の英語にはならないのです。)(こちら) 政府や経済界が想定している英語力は、抽象的な思考も英語で出来るレベルでしょう。 そういう「思考」を英語でするためには、英語による思考回路を頭の中に作らなければなりません。 そのためには膨大な量の英語の蓄積が必要です。 英語で授業を一日7時間受けて、家に帰ってから7時間日本語で英語の意味を理解して(小学5年生のレベルでしたら、4時間くらい)それを2年間続けるほど意味の分かった英語を蓄積させないと英語の思考回路は出来ません。 「英語で考える」は石渡さんが考えているほど簡単なことではありません。日本語に訳さないで英語を言っているくらいでは、とても英語の思考回路は頭の中にできません。 現在、学習者が唯一思考できる言語(日本語)でやっている思考活動を、その言語の後ろになんの経験も蓄積されていない英語で出来るようにするためには、膨大な量の英語の蓄積が必要です。 しかも、「意味の分かった英語」を蓄積させることが必要です。 (石渡さんの言うような「日本語に訳さないで英語を言う」つまり、意味の分からない英語をいくら言っても脳は働かないのです。) 「日本語に訳さないで英語を言う」くらいのことでは、頭の中に新しい英語の思考回路は出来ません。 そんなことで英語で考えるようにはならないのです。 「英語で考える指導法」を今後も提唱されるのでしたら、ご自分でフランス語だけでフランス語を習得して、その学習記録を公開してください。  それが出来ないのでしたら、石渡さんが主張した「日本語訳は害になる」これを訂正していただきたいと思います。    学業や仕事で使う英語は「習うより慣れろ」では習得できません。英語は「習ってから慣れないと習得できません」。その「習ってから」の部分に日本語がいるのです。  私の子供たちは全文和訳でバイリンガルになりましたので、「日本語訳は害になる」は明らかに間違いです。(2019年8月1日) 石渡氏は、ご自分の主張「日本語訳は害になる」が間違いであったと認め、訂正してください。石渡氏におかれましては、迅速に英語教育にかかわる人々に明確にわかる方法で、間違いの訂正を行ってくださいますようお願いいたします。 そうすれば、もう、中学生も、高校生も「英語で授業」の犠牲になることはありません。よろしくお願いいたします。   ちなみに、私は2011年から447個のブログを書いていますが、はてなブログについているアクセス解析を見ると最近は「英語の思考活動」の後に書いた「松本亨氏が提唱した「英語で考える指導法」はインプットをさせないでアウトプットだけをさせる方法 英語学習者が実際にはできない机上の空論でした」というブログが、アクセスの10位以内にいつも入っています。 石渡さんが思っているよりたくさんの人が松本亨氏の「英語で考える指導法」は間違っていた、と知っていると思います。 「英語学習者を簡単にだませる」と思わないほうがいいです。 自分は他人をうまくだましていると思っていても、実は、みんな本当のことを知っている場合もあります。「英語で考えるには そのヒケツと練習」(松本亨著)という赤い本も私が上記のブログを書いた後に絶版になっています。    私のブログはそんなにアクセス数が多いわけではありませんが、私が「この英語指導の方法はだめです。」と書いたことは、たいてい皆さん、もうおっしゃらなくなりますね。  以前は、「ヨーロッパの国でこういう英語の早期教育が行われている」(だから日本も参考にすべき)と書いている方はたくさんいらっしゃいましたけれど、今はほとんどいらっしゃいません。 また、CAN-DOリストを提唱する方も最近はあまり見ませんし。  文部科学省も、数年前「英語で授業」をあれだけ華々しく打ち上げましたけれど、あの華々しさはもうどこにもありませんね。(「英語で授業」は英語教育改革失敗の象徴です) 私は肩書もない、なんのお墨付きもない、一英語教師ですけど、私が「この指導法はだめです。」と書いたことは、たいていもう主張されなくなりましたね。(「2018年ごろまでにはそうなる」ということは、こちらのブログに書いた外国人の方から、1999年に言われていました。 「2018年ごろまでには仕事の分野で最も高い領域にいる」と言われました。 ただ、何の仕事の分野でそうなるのかは言ってくださらなかったのでわかりませんでした。 当時は子育てとご飯を作ることで忙しかったので、「将来、お料理の本でも書くのかなあ」と思いました。 英語教育の分野だったのですね。 私がそう思う理由は3つあります。(1)私が自分の子供たちが、ゼロからバイリンガルになる過程を小学校、中学校、高校、すべての段階で毎日見てきたことと、(2)私自身が中学時代、学校の勉強の一環として、自分で発音習得した経験があったことだと思います。 この2つをした経験のある英語教育の専門家は日本には一人もいないと思います。 私が特に、首をかしげたくなるのは、中学時代に学校の勉強の一環として発音習得をしたこともない人が、「日本人の英語を通じるようにする英語教育改革の方針を決めていること」でした。  これじゃあ、間違った方針が決められて、英語教育改革が失敗するのは当然だと思いました。 もう一つは(3)日本人の発音が通じない理由を私が自分の耳で聞き取れるようになったことだと思います。 私が、日本語の子音の長さと英語の子音の長さの違いが聞き取れるからだと思います。  英語教育の専門家でも、日本語の子音で英語の子音を代用して話している人はたくさんいます。 というか、ほとんどの方がそうですね。  この11年、盗作、隠ぺい、妨害など様々な不正行為を受けてきました。「やめてください」といくらお願いしてもやめてもらえず、つらくて、どうしようもないときは、2018年まで我慢してみよう、と思いました。 20年前に「2018年ごろまでには、仕事の分野で最も高い領域にいる」と聞いていなかったら、おそらく私は今日まで一人で持ちこたえることはできなかっただろうと思います。(10年以上にわたって、不正行為を受け続けるというのは、やはり、とてもつらいものがあります。Amazonでのランキングの妨害はもう4年目に入りました。やめていただきたいです。) その外国人の方は、別れるときに心配そうに私を見ていました。なんで、そんなに心配そうに私を見るのか、その時の私にはわかりませんでした。 でも、この10年を振り返ると「この女性がそれに耐えられるか」と思っていたのでしょうね。 この外国人の方が私に対していったことは、私には全く根拠が分からないことですので、多くの人が読むブログにこういうことを書くことがいいことかどうか、時々迷いました。 それで、アメリカにいた親友が日本に帰ってきたときに、「そういうことをブログに書くことをどう思う?」と聞いたことがありました。 そうしたら、彼女が「私は典子からその話はずっと前から聞いていたから、何とも思わないよ。普通。」と言いました。 彼女には1999年11月にそういわれた直後、そのことを話していました。  彼女がそう言ったので、「私が3つのことを繰り返し書く理由」というブログもアップしたまま、今日まで来ました。) 私が「この英語指導の方法はだめです。」とブログに書いたことはたいてい提唱されなくなるのは、きっと英語教育を真剣に考えている方々が読んでいるからだろうと思っています。 そういえば、「大学教育を英語で行うこと」も数年前までは、よく新聞で著名な方にインタビューする形で特集されていました(ノーベル賞を受賞した方で、大学教育は英語で行うべきだと力説していた方もいました)けれど、最近は全く言われなくなりましたね。 高校生まで、全く社会生活、家庭生活、その言語で何かを学んだことのない言語で、大学レベルの学問はできません。
 

石渡誠氏は、「日本語訳が害になる」が間違いだと結局認めることはしませんでした。(8月6日) 生徒に真実を伝えず騙し通すと決めている石渡氏が、「人の心を動かすスピーチの顔の表情やアイコンタクト、ボディーランゲージなどを学校で教える」  石渡氏の考えている教育というのはそういうものなのですね。生徒のこともスピーチを聞く人のことも馬鹿にしている。 石渡氏は「彼らは嘘にも気づかない人間」だと思っているのですね。 「英語で考える」 詐欺指導法をこれからも継承していくと公言してはばからない人は、もう教師というより詐欺師でしょう。 詐欺師が教える「人の心を動かすスピーチの仕方」とは何なのですか。騙しのテクニックですか。  裏で、文部科学省を騙して、日本中の高校生に詐欺指導法をさせていても、舞台の上で、両手を広げてスピーチをすれば、人を感動させられると、教えることですか。 随分スピーチを聞く人を馬鹿にしているのですね。 英語でしゃべれば、そんなことは分かりはしない、とでも思っているのですか。  50年も日本人を騙して、生徒から車を売るほどのお金を搾(しぼ)り取ってきて、まだ足りませんか。 石渡氏は、これ以上、日本人を騙してまだ、お金儲けをしたいですか。 石渡氏の詐欺指導法のせいで日本中の中学生、高校生が犠牲になっているのですよ。 50年も日本人を騙しておきながら、まだ足りないというのなら、石渡氏はどこまで厚顔無恥なんですか。 石渡氏は自分のお金儲けのために、子供達まで犠牲にしてもまだ平気なんですか。 子供は大人の決めたことに文句は言えません。 それをいいことにこれだけ子供たちを犠牲にしておきながら、「これからも詐欺指導法を続けていく」と公言するなど、何も言えない子供を踏みつけにする卑劣なやり方です。 おそらく「これからも嘘を教える」「これからも詐欺をしていく」と公言する教師は法律で教育活動をすることは許されないのではないですか。詐欺は犯罪ですから、石渡氏の言っていることは「これからも犯罪をしていく」ということです。 「犯罪をする意志」を明確にしている以上、石渡氏は教育界から退いて下さい。 「英語が上手になりたい」という人々の気持ちにつけ込んで詐欺商法をする石渡氏のしていることは公共の利益に反します。 日本の英語教育改革が失敗した原因は「英語で授業」です。 これを学校教育にもちこんだのは、石渡誠氏です。 「英語で授業」という詐欺指導法のせいで、日本中の高校生が何年にも渡って大きな被害を受けました。 これだけのマイナスを日本の社会にまき散らし、なおかつ「これからも詐欺指導法を提唱していく」と公言してはばからない石渡誠氏はもう、教育界から退いて下さい。 これ以上英語教育を詐欺の道具にしないでください。    日本人を50年も騙してきて、これからも騙して商売して行くと言いきる石渡氏には、もう「人を騙すことが悪いことだ」という意識もないのですね。20年以上、人を騙して生計を立ててきたから「悪いことだ」という意識もないのですね。「被害を受けたのが、大人に何も言えない子供たちだから、知らんぷりして続けよう」などというのは弱い立場の子供を踏みつけにする卑劣なやり方です。 (裏で、卑劣なことをやっていても、人の心を動かすスピーチのアイコンタクトやボディーランゲージは教えられるのですね。)   生徒のスピーチにやたら、「感動」「感動」と言ってますけど、石渡さんは、その生徒たちを今も騙(だま)しているんですよ。「英語で考える指導法をこれからも続けていく」と言って。  騙(だま)している生徒のスピーチを「感動」「感動」と言って自分の学校の宣伝に使う。「詐欺から出発している教育を顔色一つ変えずに生徒を使って宣伝する」「詐欺と分かっている指導法を顔色一つ変えずに舞台の上で英語をしゃべって宣伝する」 教育者として最低です。)  「日本中の中学生、高校生を犠牲にしても知らんぷり」「これからも詐欺指導法を提唱すると公言してはばからない」石渡氏のしていることは、教育者として最低です。 教師というより詐欺師でしょう。 詐欺師(犯罪者)が、教師として生徒の前に立つことなど、絶対に許されないことです。 石渡氏は教師として働きたいなら、まず、犯罪である詐欺指導法の提唱をやめるべきです。 犯罪者でありながら教師として生徒の前に立つことなど絶対に許されないことです。 私は中学生や高校生が、石渡氏の詐欺指導法(犯罪)の犠牲になるのを黙って見ていられませんでした。(もう数年前になりますけれど、私が初めて石渡氏のブログを読み始めたころ、高校を卒業した石渡氏が松本英語学校に入学を決めた時の話が載っていました。 「お金がない」と石渡氏が相談すると森先生から「働け」といわれた、という話でした。 それで、石渡氏は働きながら学校に通った、と書いてありました。  今、どこを探してもその個所は見つかりませんでした。 でも、確かにそういう話が書いてありました。 読んだとき、あまりの衝撃に忘れられませんでした。 「そんなことをさせるなんて未成年者を自分の学校の利益のために労働させているようなものだ」と思いました。 (今は18歳は大人の扱いですね) 今は書いていない、ということは削除されたのでしょうね。 教育者としてひどすぎますから。 松本亨さんの学校は随分ひどい学校経営をしていたのだと思いました。)

(2)文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 は全く効果がない。 (理由は2017年10月12日のブログ)
(3)現在、高校生が行っている「英語で授業」は効果がない。  (理由はこちら
(4)「CAN-DOリスト」は効果がない。 (理由はこちら
(5)「4技能」は効果がない。  (理由はこちらこちら
(6)入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの(理由はこちら
(7)現在、小学校の英語教育で子供たちが話しているのは、英語の発音ではない。 (理由はこちら

(8)大学教育を英語で行うと日本の学問は壊滅的な打撃を受ける。 (理由はこちら


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朝日新聞の記事「英語をたどって8:2「英語で授業」本当の意味は」に載っている松本茂氏の授業例は実際には高校生にはできない授業でした。 「実際にはできない授業」をあたかも出来るかのように新聞に掲載して日本語で授業をする高校の先生を批判するのは公平な新聞記事の書き方ではないと思います。 読んだ人は、高校の先生方が英語で授業をしないのが悪いと思ってしまいます。 記事の冒頭に「分詞構文がどうこう」と教師が日本語で説明する、従来型そのもの。同行の見学者が「これは日本語の授業か」とつぶやいた」と書いてありますが、日本の高校生が唯一理解できる言語は日本語なのですから、先生方が日本語で教えるのは当然です。 理解できない言葉で授業をしたら、どうなるのかもこの同行者はわからないのでしょうか。 こういう認識で英語教育改革をやっているから間違った方針ばかり出してくるのです。英語で授業をしていたら、今頃高校生の英語力はボロボロになっていたでしょう。 それを食い止めて下さったのが日本語で教えてくれていた高校の先生方です。 それなのに新聞記事でこういう批判をするのは公平ではないと思います。 「日本語で教えてもわからない生徒がいるのに、英語でどうやって教えるのだ」という現場の先生方の苦悩には一切触れず、いかにも「英語で授業」を提唱する松本茂氏が正しくて、日本語で授業をする高校の先生方が悪いような記事の書き方です。 これは公平な新聞記事の書き方ではありません。 松本茂氏は、ディベートのご指導もされていますね。でしたら自分もできない授業を根拠に先生方を批判するのは正当なやり方ではないとお分かりになるでしょう。 「英語で授業」が正しくて日本語で授業をする先生方が悪い」もう一度、このことが真実かどうか多くの人に考えていただきたいと思います。  無意識にそう信じていたら、子供たちの英語力を本当に上げる英語教育改革はできません。

だから私は、「英語で考える指導法」「英語を英語で理解する指導法」は単なる松本亨氏の勘違いであり、間違った指導法であったと英語学校FORWARD石渡誠氏が正式に認めることが必要だと思っています。  50年にも渡って、松本亨氏と石渡誠氏によって「日本語訳は害になる」「英語を英語で理解する(不可能)」などと提唱されてきたことによるマイナスは計り知れないです。松本亨氏と石渡誠氏によるこの提唱は日本の英語教育を現在も大きくゆがめています。  日本語が母国語である初級者中級者には、絶対に日本語訳が必要なのです。  日本語訳と一緒に英語を覚えないと、彼らは自分の言いたいことを英語にすることもできないのです。 初級者中級者に日本語訳を教えなかったら、彼らは自分の言いたいことを英語でしゃべることはできません。 それでもいいのですか。 「英語オンリーにすれば英語力が上がる」などという思い込みはもう一度見直していただきたいのです。 「英語で授業」が正しくて日本語で授業をするのが悪い」こういうことを提唱している方は、自分の言っていることが日本の英語教育の大きな障害になっている事を知ってください。  そういうことを提唱するなら、自分が日本語訳を一切使わず、ロシア語でもドイツ語でも結構ですから、習得してその学習記録を公開してください。  それが出来ない人は、一切「英語で授業」などと提唱することはやめてください。  一日一時間英語で授業をすれば生徒が英語が分かるようになる、などということはありません。  もし、その方式をとるのであれば、一日7時間英語で授業をやって2年たたないと生徒は英語のまま理解するようにはなりません。 松本茂氏はそういうこともご存じないですね。  しかも、その場合でも、帰宅したら、その日の授業内容は全部和訳して生徒に理解させなければ、生徒は2年後英語のまま理解できるようにはなりません。「英語で授業」は松本茂氏が頭の中で考えているほど簡単なことではありません。  子供にとっては、使ったことのない言語で言われたことなんて、「何にも教えてもらっていない」のと同じことなのです。 子供にはその時間だけ使われた言語(外国語)で言われたことなんて頭の中に深く入っていくことはできないのです。 子供にとっての言語というのは、コンピューターゲームの言語設定とは違います。  言語設定を「日本語」から「英語」に変えたら、その瞬間から英語が日本語(母国語)のように使えるわけではないのです。  使っていない言語で言われたことなんて、子供の頭の中深くに入っていきません。  当然でしょう。  生まれた時から自分の周りで使われてきた日本語とは違うのです。  英語は子供たちの体の中でまだ言語として機能していない言葉なのです。  「言語として機能する」とはどういうことかといえば、「英語を聞いた瞬間にイメージが広がる」とか「思考活動が始まる(英語で考え始める)」とか、そういう言葉になっていない、ということです。  だから英語で授業をやっても教えたことは何も定着しないのです。 松本茂氏はそういうこともご存じないですね。  ご存じないことを「英語教育改革」の方針として提唱するのはおやめになることです。     現場の先生方もお困りになりますし、授業を受ける生徒達もかわいそうです。 (今の英語教育改革は生徒がかわいそうなことばっかりです。よくわからない英語で授業をしろと言われ、学校で教えてもらってもいないスピーキングのテストをされて。本当に生徒がかわいそうです。  松本茂氏が頭の中で考えているほど日本での英語習得は簡単な話ではありません。松本茂氏がお書きになった本「生徒を変えるコミュニケーション活動」の中に書かれているとおり中学校でやっていたら、生徒の発音はボロボロになる - 現実の日本での英語習得はそういう世界です。 松本茂氏は中学時代に学校の勉強の一環として発音習得をした経験がないからお分かりにならないでしょう。 松本茂氏が頭の中で考えているほど日本での英語習得は簡単な話ではありません。  よくご存じでないことは提唱なさらないほうがいいと思います。  「英語で授業」が正しくて日本語で授業をするのが悪い」この思い込みをもう一度見直していただきたいと思います。



渡米して数か月たったころ、ESLクラス(英語が母国語でない子供のクラス。一日そのクラスにいるわけではなく多くの科目は自分のクラスに戻って授業を受けます。)にいた娘が言いました。「今日ね、5年生の女の子がESLクラスに入ってきたんだよ。マリアナちゃんっていうんだ。 おうちではスペイン語を話しているみたい。」同じ学年の女の子が入ってきて、うれしかったのでしょうね。  でも、それからしばらくして、娘が「今日、マリアナちゃん、泣いていた。」といいました。  またしばらくしたら、「マリアナちゃん、今日も泣いていた。」といっていました。  言葉が分からない、というのが大変なことは娘もわかっていましたから、心配していたのでしょうね。  それからしばらくして、「マリアナちゃん、学校に来なくなった。」といいました。 娘はさみしそうでした。  子供だから、英語だけの環境に入れられて、自然に英語が分かるようになるわけではありません。  日本で生活している子供たちには子供が分かるように日本語で教えるのが学校の授業でしょう。  「英語に慣れさせるために英語で授業をする」なんて言ってますけど、その程度の量の英語を聞いたって、英語に慣れはしません。  慣れさせるのなら、(中学生の場合だったら)毎日家庭学習で、典型的な文章を正しい発音で何十回も発音させることですね。 耳の中に音が残るくらい。 日本人の英語力が上がらなかったのは、日本語を使って英語を教えたからではありません。 それは、松本亨氏の単なる勘違いです。  本当の理由は大学生の段階で英語の大量のインプットをしなかったからです。  問題の原因を誤って特定すると、本当は最も学習者にとって必要なことが排除されるような教育方法が提唱されることになります。  そこをきちんと見抜いてください。  重ねて皆さんに、申し上げますね。  私の子供たちは全文和訳でバイリンガルになりました。  日本語訳は決して高い英語力を持つ障害にはなりません。  障害どころか学習者が分かる言葉できちんと基本を教えることが強固な英語力の基礎を作ります。  日本人がヨーロッパの人々のように簡単に英語を習得できないのは母国語の性質上仕方のないことです。 時間がかかっても生徒が困難だと感じることを一つ一つ教えて、正しい発音で言いたいことをスラスラ話せるようにして社会に送り出してあげればいいことです。 「日本語訳を使わないで」「英語で授業をすれば」その瞬間に子供の英語力が上がるわけではありません。そういうやり方では、現実には子供は何も習得していません。「英語学習の階段」の一番下にいる子供に、「英語学習の階段」の一番上にいる上級者と同じことをやらせても、子供たちは階段の一番下にいることに変わりはないのです。  その証拠にそういう授業をして、生徒が自分の言いたいことを正しい発音でスラスラ話しだしたことがありますか?  英語でしゃべっているのは教師だけでしょう。 松本茂氏の提唱する授業をして、高校生が開発か自然保護か正しい発音で英語でスラスラ意見を述べるようにはなりません。  日本語で英語を教えることを悪いことだと思わないでください。 松本亨氏や石渡誠氏が提唱する「英語を英語で理解する指導法」など、現実には全く存在しない指導法です。 だから詐欺指導法の提唱はおやめください、と言っているのです。



ちなみにこちらは小笠原諸島の貴重な自然について書かれたフランス語の記事です。 これを読んで、和訳しないで、意味が分かってフランス語で意見が言えますか。  皆さんは英語をすでに学んでいますから英語ならそれが出来ると思ってしまいますけど、子供にとってこれから学ぶ英語というのは、大人にとって、「まだ学んでいないフランス語」と同じです。 子供にとっては、よくわからない言語なのです。 理解できる母国語で文法事項(分詞構文など)も説明してもらえないで授業を受けている子供の気持ち(つまり、よくわからない言語で授業をされる子供の気持ち)が分からなかったら、フランス語でフランス語を教えるクラスに自分が出席しているところを想像すれば、わかります。
「英語で考える指導法」を提唱する人たちは、「学ぶ時に日本語を使ってはいけない」「和訳しないで英語(フランス語)のまま読んでいれば意味もニュアンスもわかる」といいますけれど、実際には、読んでも何もわからないのではないですか。(英語と似ている単語はわかりますけど)  言語の横列のところにあるフランス語の2つ隣にあるRusseをクリックするとロシア語が出てきます。  これはもう全然わかりませんね。  こういう言語で何を教えても全く子供の頭に定着しません。 例え、意味が分かったとしても、日常使っていない言葉で習ったことなど、子供の頭の中には全く定着しません。  

体になじんでいない言語で授業を受けなければならない子供の気持ちなんて、石渡誠氏にも有識者会議の松本茂氏にもわからないのでしょうね。