川合典子 ブログ

英語教育、英語学習、発音習得、帰国子女の言語習得について書いています。

各大学は、スピーキング試験(民間試験)をする必要はありません。 大学の先生方は「受験生をだます詐欺(犯罪)」に加担するよう強制されることはありません。いかなる団体においても犯罪を強要する方針は無効です。

テストでスピーキング能力は身につかない
==================
高校・大学入試でスピーキングテストをやってもスピーキング能力は身につかない。生徒にCDを与え生徒自身の口で正しい発音で文章を言えるよう教え、練習させなければ身につかない。日本人は、北米やヨーロッパと同じ英語教育をしても効果はない。 【理由】ヨーロッパの言語は英語と親せき関係にあるので、「発音」も「語順」も最初から大方できている。しかし日本語の子音は、常に母音と一緒に発音されるので極端に短く、英語として通じない。【語順】は、日本人は主語の直後に動詞や否定語がすぐ言えない。だからヨーロッパで行われている英語教育方法を日本でしても効果はない。(詳しくはこちら) 北米やヨーロッパの英語教育方法は日本では使えない。  日本人には日本語を母国語とする人の為の英語教育が必要です。      私は英語教育の専門家です。中学でこういう発音を身に着け、高校で英語の語順で理解し、大学で大量の読書を行い英語で考えるようにする。その英語教育のやり方はこちらです。

(2023年4月5日加筆)
余談ですけど、私はコロナが始まる前は、よくオペラ歌手の方が指導して下さるオペラの講座に参加しました。途中お休みした期間もありますけれど、トータルで3年くらい通ったと思います。 その時、隣で歌っていた方から「川合さんて、外国語をしゃべりなれているっていう感じがする」と言われました。 その講座で歌った歌はオペラですからイタリア語の歌でした。 私が何十年も発音練習をしてきたのは英語だけです。 でも、その私がイタリア語の歌を歌うのを聞いて「外国語をしゃべり慣れている」と隣の方が感じたという事は、やはり英語と同じグループに分類される言語は、言葉のつなげ方や口の動かし方が日本語よりは似ている、という事だと思いました。 例えば Puccini のオペラ La Boheme の中に出てくる Quando men vo' という歌(こちらで聞けます)の中には、traspira とか struggi という言葉がでてきますけれど、これなどは日本人は子音をつなげて言うことを練習していないとうまく歌えません。 でもこれが母国語のイタリア人は発音練習などしなくても子音が続く英単語はしゃべれるでしょう。 そういう意味ではやはり、英語と同じ言語グループが母国語のヨーロッパの人々がしている英語教育とは違う英語教育が日本人には必要なのだと思います。

(2022年3月4日)下村博文が教育行政にいることによって、日本の国際競争力は30%低下する。

「業者を儲けさせる為に、公教育の内容の一部を作為的に学校で教えないこと」によって、日本の国際競争力は30%低下する。

東京都は高校入試でスピーキングテストを実施することを決めています。 高校入試は本来中学校で習ったことを出題することが決まりですが、中学校でスピーキング教育は行われていません。 私がここで言っているスピーキング教育とは、「生徒が通じる正しい発音で英文を言えるようにする」教育です。 日本では現在、生徒に英語の教科書のCD(音声モデル)も持たせていませんので子供たちは発音練習するすべもありません。

学校で教えてくれないことが高校入試で出題されるとわかった時、保護者がすることは決まっています。 「塾や会話学校で教えてもらう」です。  けれども経済的な事情で塾にも会話学校にも行けない子供たちがいます。 以前塾に行っているのは生徒の7割くらい、と読んだ覚えがあります。 現在はどのような割合かわかりませんが、似たような割合だろうと思います。(そして、この高校入試でのスピーキングテストはやがて全国に広がっていくでしょう。 東京都に導入させた政治家は全国に広げるつもりでしょう。)

つまり3割の子供は必要なことを学校で教えてもらえなかったら、身に着けることはできません。 私は英語の教科書のCD(音声モデル)を生徒に与えてください、と言い続けてきました。  日本語と英語ではこれだけ音もリズムも違うのですから、それを身に着けようと思ったら、CDが必要だということは誰でもわかります。 コンピュータだって学校にあれだけ大量にそろえてくれるのですからCD一つ生徒に与えないのは、作為的に文科省がやっていると容易にわかります。  学校で、完璧なスピーキング能力を身に付けられれば、誰も会話学校に行きませんから。業者を儲けさせる為に公教育でするべき内容を作為的に教えないようにしています。 2020年「東大に英語民間試験をやらせろ」とすごんでいたのは下村博文でした。 教育行政で、業者が儲かるように方針を決めているのは下村博文です。

3割の子供は、スピーキング教育を受けられないまま高校受験に臨む。 本来なら学校でスピーキング教育を受け、学校から配布された教科書のCDで練習して、その努力に見合ったスピーキングテストの点数を取得して、自分が行きたい高校に入れるよう点数を取得できるはずなのに、学校で教えてくれないから、スピーキングテストの点数が取れないままの点数でいける高校に進学していきます。

つまり3割の子供たちは必要なことを教えてもらえない、そして自分にふさわしい教育を受ければ、本来の実力を発揮して進路を歩むことができたのに、不利をこうむった点数で進路を決めていくことになる。 つまり自分の本来の実力にあった教育を受けることが出来なくなる。 その子たちは自分の実力を十分に伸ばす機会を失います。

世界の国々では、業者が儲かるように公教育の内容の一部をわざと教えない、などという国はありません。  どこの国でも、国の未来を作る子供の教育では、教えるべきことはきちんと学校で生徒に教えています。  だから、例えば、外国では、10000人の子供に公教育を行えば、100人の各方面でリーダー的存在になる国民が育っていくとすると、日本では3割の子供が、公教育で充分な内容の教育を受けられないので、10000人の子供に公教育を行っても、70人しかリーダー的存在になる人間が育たない。ということになります。 

(大学入試でも、各大学はスピーキングテストをするよう文科省から求められていますが、自分の大学でスピーキングテストをする施設も人材もない大学がほとんどでしょうから、多くの大学が民間試験に頼ることになります。 その結果、経済的に複数回受けられない、あるいは住んでいる地域での受験が難しい、という理由で不利をこうむる受験生が何割か出てくるでしょう。 そうするとまた、受験料だけで済むはずの教育で、追加で課されるスピーキングテストのため、学力以外の要因によって自分の実力を充分に発揮して進路を選べない生徒が出てきます。 つまりここでも、何割かの生徒が充分に能力を伸ばす大学への入学が出来なくなり、人材の育成の割合が低下します。)

つまり、公教育の内容を「業者を儲けさせるために」作為的に取り除く下村博文のような政治家がいることによって、日本で育つ人材の数が低下するということです。

岸田首相が、日本の国際競争力を高める方針を懸命に実施しても人材が、他国より3割減少した人数しか育ちませんから、首相の努力は 0.7倍(3割減)しか機能しないことになります。 人材が育たない、というのはそういうことです。 政府がいくら良い政策を実行しようとしても人材が足りなかったら、効果は0.7倍(3割減)となります。

「公教育を浸食する」「業者が儲かるようにわざと公教育の内容の一部を子供に教えない」「公的なテストを業者に肩代わりしてやらせる」というのはそういう問題を引き起こします。  経済的に恵まれる、恵まれない、に関係なく能力や才能のある子はいます。 そのすべての子供の能力を伸ばそうとするのが、公教育の役割です。  ところが業者の利益のために、その公教育で本来教えるべきことをわざと教えない。 本来国がやるべきことをわざと業者に(例えば、スピーキングテストという形で)させる政治家がいると日本の人材は他国の0.7倍しか育ちません。 つまり3割少ない人数しか育たない、ということです。

公教育は国家の未来を創る人間を育成します。 公教育を浸食する政治家、下村博文がいるために、日本の国際競争力は30%低下します。
生徒全員に英語の教科書のCDを与え、学校で生徒全員にスピーキング教育をするべきです。
公教育を妨害し、日本の人材育成を妨害する下村博文は、首相の努力も政府の努力も妨げる。







「民間試験」は廃案です。 もう終わりました。「50年やっても4技能向上に効果がなかった」「年間500万人が受けても4技能向上に効果がなかった」こんなものはもう終わりです。「民間試験で4技能は上がらなかった」これが結論です。 (「なぜ、なんの効果もない民間試験が導入されようとしたのか」その解明は必要だと思います。私は警察の介入が今でも一番いいと思っています。 なぜなら、自民党WTの提言が詐欺だからです。)  本来の問題「話す」「書く」をどう教えるか。その話し合いを始めるときだと思います。(私がこういうことを書くのは多くの人の中に「民間試験は役に立たなかった」「終わった」という認識がないと、また、それをとんでもない理屈を持ってきて導入させようとする人、つまり民間試験の残党がまだいると警戒しているからです。ベネッセからもらうお金をあきらめきれない人がいると警戒するからです。「東大に民間試験をさせなければいけない」とすごんでいた国会議員の映像は今思い出しても異様で怖いです。) 
テストでスピーキング能力は上がらなかった(高校入試のスピーキングテストも同じです。 授業で教えもしないでテストをしても子供たちのスピーキング能力は上がりません。)

自民党ワーキングチーム:「生徒に音声モデルを渡すことさえ思いつかないで、「スピーキング能力」の向上を話し合う」その神経が私には理解できない。そんなこと、スピーキング能力向上を考えたら、一番先に気づくべきことでしょう。 あまりにもスピーキング習得について知らなすぎる(私は中学一年生の時に「教科書の音声がないとしゃべる練習はできない」と思いました。それで、「音声がないと英語をしゃべる練習ができないの」と言って親に買ってもらいました。13歳だって、本当にスピーキングを身に付けようと思ったらそのくらいのことはわかるんです。自民党WTは実際の英語習得を知らないにもほどがあります。それで、スピーキング能力向上について提言をするなど信じられないです。発音が通じなかったら、どんなにしゃべらせる練習をしたって無駄なんです。(現在でも新聞などで紹介されている英語の授業は生徒に正しい発音を習得させないで、勝手に話させているものがほとんどです。それではスピーキングを教えていることにはならないのです。「英語で授業」「オールイングリッシュ」なんかやっていたら、子供たちの発音はめちゃくちゃになり、何時まで経っても日本人の英語が通じるようにはなりません。)日本人は子音を単独で発音しない母国語だから、欧米の人と同じ「話す」練習は出来ないのです。この国会議員の方々は英語教育を専門的に勉強したことがあるのですか。この女性議員の方の大学でのご専攻は、保健衛生ですね。(この女性議員の方がHPのURLを変えてしまったので、別の資料にリンクしました) 自民党は英語教育を専門的に勉強したこともない人の提言をもとに日本の英語教育を決めるんですか。そんな提言、使えませんよ。ベネッセを儲けさせるために国民を騙(だま)す目的で作られた詐欺提言ですから。)


3月22日午後5時40分、冒頭の部分にさらに書き加えました。 それが、為政者の気に入らなかったのでしょうね。アクセス数はいまだに「5」です。 私はすでに、「英語耳」の松澤喜好氏KADOKAWA松原眞樹社長から、「盗作」「隠ぺい」「妨害」など様々な不正行為を11年受けていますから、新たに為政者からも妨害を受けるのはかなりきついですけれど、妨害されるというのは私の言っていることが為政者にとって「不都合な真実」だからだろうと思っています。 (不正行為をされ続けるというのは、身体的にも精神的にも、結構つらいものです。 11年前、松澤喜好氏に盗作されたときは、ショックが大きくて、どうやって立ち直ればいいかもわかりませんでした。ただ泣いていただけでした。 2年前、KADOKAWAが、盗作を行ったアスキーメディアワークスを解体・消滅させたことを知った日も、これでもう私が何を言っても「昔あった会社がやったことですから」で片づけられてしまう、と思って、何時間も泣いていました。  今でもアマゾンのランキングは2冊の本とも松澤氏に妨害されていますし。    ほかにもアマゾンで他の著者の本はみんな送料無料なのに、私の本だけ「送料599円」にされたり、不正行為ばかり、されています。(その時、ランキング5ページ目までの本の送料がすべて無料であったことは確認しました。 今月になって、送料有料の本をいくつかリストさせても、それは、KADOKAWA(松原眞樹社長)の隠ぺい工作でしょう。送料無料を売り物にするアマゾンが英語本の配送料に749円も取るのはおかしいですから。(4月20日8時10分現在)昨日は、KADOKAWAの「英語耳」の配送料は942円でした。 それでは誰もアマゾンから本など買わないでしょう。 だからほかの理由があるということです。  KADOKAWA松原眞樹社長が「川合典子の本の送料が599円になったのは不正行為ではない」とアピールしたいだけです。 配送料有料の本を後からどれだけリストしようと、著者である私と出版社が全く知らないうちに配送料が599円にされていたのですから、これは不正行為以外の何物でもないでしょう。 あの時私は、「なぜ私の本だけ送料が599円なのですか?」と聞いたのに、説明もなく3時間後に送料無料に表示が変わりました。 他人のランキングを4年も妨害する松澤喜好氏、アマゾンの送料を法外にしても自分のした不正行為を隠そうとするKADOKAWA松原眞樹社長。 お二人のすることは社会人として常軌を逸しています。 私の英語教師としての仕事を妨害するのは犯罪です。 KADOKAWA松原眞樹社長はこういうことをアマゾンに頼むのに会社のお金を使っているのですか。(見返りがなければ誰も言われた通りにはやりません。) もともとは、ご自分が盗作の処理を公正にできなかった、ご自身の失策が原因でしょう。 ご自分の失敗のしりぬぐいを会社にさせるのですか。 金額の大小にかかわらず、社長個人の不正行為を隠ぺいするために会社のお金を使うのは、会社にとって決して良い社長とは言えません。(「取締役の善管注意義務」取締役は「善良なる管理者の注意をもって会社から委任された事務を処理する義務を負う」と法律で定められています) そのお金の会計処理はどうしているのですか。 まさか本当のこと(妨害の依頼)は書けないでしょうから、 社長の指示で会計に虚偽の記載をさせるのですか。 虚偽の記載は税法上問題があります。 それとも社長の指示による「書類を残さない」アマゾンとの裏取引なのですか。 裏取引も税法上問題があります。 公正な企業活動はお金の流れからも裏付けされなければならないので、虚偽の記載は禁止されています。 社長の指示で税法違反をするのはよくないです。  また、「11年も自分の出版社の著者に犯罪被害者の攻撃をさせている」というイメージを作る社長は、会社にとって決して良い社長ではないと思います。 社内、社外の人間が「松原氏は社長として適任ではないのではないか」と思う前に、ご自身の不正行為をやめ、松澤喜好氏の妨害をやめさせてください。赤い本のみならず、緑の本に対するランキングの妨害もやめさせてください。つまり、松澤喜好氏の私に対する一切の妨害をやめさせてください。 松原眞樹社長と松澤喜好氏、お二人が現在、私に対して行っている一切の不正行為をやめてくだされば、私はもう何も言うことはありません。松原眞樹社長が現在行っている私のブログ(アスキーメディアワークスについて記載のあるブログ)に対する妨害もやめてください。(2020年4月22日)   こういう不正行為は、個人がアマゾンに頼めることではないでしょう。 ベストセラーの著者と一部上場企業の社長から不正行為を受け続けるのは、つらいものだ、といつも感じています。でも、それをやりたい放題やらせておく、というのは、理不尽だといつも感じています。本来やってはいけないことですから。KADOKAWAってすごい会社ですね。 社長自ら特定の一個人を妨害しにかかる。 著者(松澤喜好氏)出版社(KADOKAWA松原眞樹社長)ともに一切の不正行為をやめてください。 私はすべての不正行為を終わらせてくだされば、松澤喜好氏にもKADOKAWA松原眞樹社長にもそれ以上何も言うことはありません。 2020年3月25日)
2020年5月2日(14時48分)私の緑の本はランキング6ページ目の13番目にありました。 KADOKAWA松原眞樹社長は私に対する妨害をやめる気はないのですね。 わかりました。 もう結構です。。。。。。 私がこうやって怒った後(19時26分)、私の赤い本の中古本の価格が1600円に変わっていました。 アマゾンの中古本の価格って、そんなに簡単に変えられるんですね。 やっぱり私の本の中古本の価格を1円にしたのはKADOKAWA松原眞樹社長だったのですね。  (また、1円に戻されましたけど。)   「 KADOKAWA松原眞樹社長が不正行為をやめるつもりはない」ということは充分わかりました。(2020年5月6日) 


それにしても、英語教育を専門的に学んだこともない自民党ワーキングチームの提言なんか、なんで聞く必要があるんですか。この国会議員の方々は、英語教育法はおろか、音声学さえ勉強したことはないのでしょう? なんで英語教育(特にスピーキング)の方針を決めるのに、こんな人たちのいうことを聞かなければならないのですか。 発音習得に関しても、彼らは何も知らないではないですか。(先生方のツイッターこの女性議員の方のお名前がたかがい恵美子さんと出ていたので、HPで学歴を拝見いたしました。  HPのURLを変えられてしまったので、(別の資料にリンクします)大学の専攻は保健衛生で、英語教育とは全く関係ありませんでした。 【自民党役職】の欄には「教育再生実行本部 本部長代理」と書いてありました。    英語教育は専門分野です。 大学で専門的に学んでいない人が口を出せるほど容易な分野ではありません。 自民党ワーキングチームの方々は英語教育について全く学んでいないのに、ベネッセを儲けさせるために国民を騙(だま)す目的で詐欺提言をするのはおやめください。)

(3月22日)自民党の仕組んだ罠の土俵に上がってしまわないよう気を付けてください。 彼らは話し合いの枠もテストの土俵に限ってさせようとしている。 そうじゃない。「スピーキング能力を付けさせる」この原点に立って、話し合いをしなければ本当の道すじは見えてきません。自民党の仕組んだ罠にはまらないよう気を付けてください。   「話す」「書く」が問題なら、一つ一つ丁寧に議論していかなければならないのではないですか。もしかしたら、中学高校の英語授業の時間配分を変えなければならないほどの改革が必要になるかもしれないのですから。「テストありき」の罠に気を付けてください。 (私は「書く」については自分の経験から大学1,2年で大量の英書を読んでから(言いたいことが英語で頭に浮かんでくるようになってから)したほうが意味のあるライティングの指導が出来ると思っています。 書くことは、高校を卒業したころは習った文型を使うので、精一杯でした。こちらのブログの2年B組の生徒たちのように。 高校卒業時の私は、英語でエッセイが書けるほどの英語力はありませんでした。 多くの先生方のご意見をお聞きしたいです。 「話す」「書く」どちらも丁寧に議論したほうがいいと思います。2019年11月18日のAERAによれば、審議会の委員は「民間試験のことは話題にも上らなかった。」とおっしゃっています。けれども2015年1月16日、下村博文文科相(当時)が「高大接続改革実行プラン」として20年度スタートの新テスト導入の工程表を決定すると、導入の既成事実化が急速に進んだ。」と書いてありました。誰が決めたかもわからない民間試験など、やる必要ないです。(50年やっても日本人の4技能は上がらなかったし、500万人が受けても日本人の4技能は上がらなかったのですから。役に立たないとわかった民間試験は廃案にして、「話す」「書く」をどうするか、話し合うときではないですか。同じくAERAによると「中学高校6年間の英語教育で英語をしゃべれないのは大学入試に4技能がないからだ」こうした文脈で英語民間試験導入を強力に推進してきた下村元文科相」ということですが、6年間の英語教育で日本人がしゃべれないのは、スピーキングを学校で教えていないからです。大学入試でテストをしないからではありません。 原因の特定を下村博文議員は間違えています。 テストをすれば英語が話せるようになるほど、日本人が正しい発音で英語を話すのは容易なことではありません。 下村博文議員も英語教育を専門的に学ばれたことはないのでしょう。 全く効果のない民間試験は廃案にして、「話す」「書く」をどうするか、話し合うときでしょう。)


* * * ここから今日の本題に入ります * * *

民間試験がなぜ提唱されるようになったのかを知るために「英語力評価及び入学者選抜における英語の資格・検定試験の活用促進に関する連絡協議会」(第1回)議事録を読みました。 その冒頭で山中文部科学事務次官の次のような主旨の発言を読みました。 「平成10年から4つの能力、20年からは4技能と目標を掲げてやっているが、大学入試で評価されない事項は生徒は時間の制約もあり、勉強しないようだ。 だから大学入試で「話す」「書く」も評価すれば生徒が勉強するのではないか」ということで、4技能をテストする民間試験が導入されたようです。 (私はここで、スピーキングテストについてのみ書きます)

「大学入試でテストしないから生徒がスピーキングを勉強しない」ということも日本人がスピーキングが出来ないことの一つの理由かもしれませんが、一番大きな理由は学校でスピーキングを教えていないことです。教えられていなかったら、たとえ大学入試でスピーキングをテストされるようになっても、生徒は正しい勉強の仕方が分かりません。 それに生徒に音声モデルも与えていなかったら、生徒はどうやってスピーキングを練習したらよいのでしょうか。 自民党の文部科学部会の方々はそういうこともご存じないのですね。 それではスピーキング能力向上について提言をされるのは無理です。  どんなにもっともらしい理屈を言っても、その人たちが本当にそのことについて知っているかどうかはそういうところでわかります。

「学校でスピーキングを教えていない」というと、自民党の文部科学部会の人々は「いや、学習指導要領では、身の回りのことについて話すとか話す活動をたくさんとり入れている」と反論するでしょうが、「生徒に勝手にしゃべらせる」ことはスピーキング教育ではありません。 生徒に勝手に話させている時の発音は、日本語の発音です。英語の発音ではありません。

スピーキング教育のやり方は、2017年10月12日のブログに書いてあります。

文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない。 (子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き)

要点を言えば、まず、正しい発音を教え、正しい発音で文を最初から最後まで言えるようにするのが、スピーキング指導です。 まず、これを生徒が出来るようにしないで、どんな指導をしても全く無駄です。まず、通じる発音を身に付けさせないで、どんな指導をしても全く無駄です。  日本では今まで学校教育でこのような指導は一度も行われたことがありませんでした。現在でも、新聞などで、紹介される英語の授業を見て見ると、正しい発音を定着させることなく生徒に勝手に英語を話させる授業がほとんどです。 それではスピーキング教育にはならないのです。 

正しい発音を教えないで、生徒に勝手に英語をしゃべらせているとどういう問題が起こってくるか、というと日本人の生徒全員が、英語の子音を日本語の子音で代用してしゃべっている、という現象が起こります。 これが、日本人の英語が通じない原因です。 この問題を解決するためには学校で正しい発音を教えなければなりません。 (この子音の違いは、日本語の子音しか取り込めないようにすでに耳が慣らされてしまった人には聞くことが、出来ません。 耳が日本語にはない「子音の長さ」を取り込むことが出来ないからです。 2016年6月1日からブログで行いましたネット上セミナーで練習してくださった読者の方々は、この子音の違いが聞き取れるようになっています。 私のHP「通じない日本人の発音」のページにネット上セミナーの練習がまとめられています。)
また、一口に4技能といってもスピーキングは他の3技能と決定的に違うところがあります。 「読む」「書く」「聞く」は頭の活動だけで習得できますが、「しゃべる」は、「頭の活動」と「口の筋肉を動かす練習」2つをしないと習得できません。  口の筋肉を動かす練習は継続して行わないと身につきませんし、途中でやめてしまうとせっかく流ちょうにしゃべれるようになっても元に戻ってしまいます。 ですから、スピーキングの練習は中学高校と6年間継続して行わなければなりません。

もう一つ中学高校と6年間スピーキングの練習を継続して行う理由は、言葉というのは年齢相応の文や、語彙を使って話せなければならない、ということです。 中学から高校へと使う英語が高度になります。それに合わせてスピーキングの練習も変えていきます。

私はスピーキングの評価は学校ですればいいと言いました。 もし生徒が日本人の先生に評価されるのが不安だということであれば、週に一度ALT(Assistant Language Teacher)として来てくれるネイティブの先生に評価してもらえばいいと思います。  こちらの上智大学が行った「ALTの実態に関する大規模アンケート調査研究」を見ても英語圏から来ている先生は中学高校では多いので、その先生に評価してもらえばいいです。 もし発音などを「テスト」という形で特に時間を設けて評価してほしいなら学期が終わるごとに60語くらいの教科書の文を(中学では40語ぐらいですか。適切な量は現場の先生に聞いて下さい)一人ずつ音読してスピーキングの評価をしてもらえばいいと思います。  その時、テストで評価する事項を事前に生徒に渡して、ネイティブの先生がどういうところを評価するのか生徒に充分理解してもらいます。 例えば、(1)声が充分大きいか。 (2)スラスラ読めるか(Fluencyの問題 )。 (3)スラスラ読んでも子音がちゃんと聞こえているか。 例えばMy name のMy がちゃんと聞こえるか。(日本人の話す英語の「M」の子音には長さがありませんので、「M」の子音を長さを保って言えるように練習する必要があります。)等。 

テストの前にネイティブの先生がどういう点を評価するのか、その評価項目を生徒に伝えて、理解してもらい、(3)のような日本人が話したことのない子音については、授業でそのことを生徒が出来るまで先生が教えて、練習させておきます。

そうすると生徒は各学期末のスピーキングテストの前にはそのポイントが出来るように毎日一生懸命練習します。 いくら勉強しない生徒でも明日がスピーキングのテストなら、教科書を数回は音読するでしょう。(音声モデルは各生徒に学年の初めに渡してあります。)

中学
1年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
2年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
3年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
高校
1年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
2年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
3年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする

テストに向けて毎日、評価のポイントができるように一生懸命練習する。 これが子供たちのスピーキング能力を上げていきます。 しかも生徒には授業が終わったレッスンについては家でCDと同じように読めるよう練習してくる宿題が、いつも出されています。
これなら確実に子供たちは英語で話せるようになります。
大学受験の年に民間試験を数回受けるのとは天と地ほどの差があるスピーキング能力を子供たちは身につけます。 そして、日本の子供たちはアジアのトップレベルの発音でスピーキングをするようになります。 日本の子供たちにはその能力があります。 問題なのは指導の仕方だけです。

私がこういう評価の仕方を提唱するのは私自身がこうやって発音習得をしたこともありますが、もう一つの理由が、娘がプレゼンテーションのスキルを身に付ける過程をアメリカの学校教育で見てきたからです。

娘は小学校5年生まで日本で育ちましたので、プレゼンテーションなどしたことはありませんでした。  でも4年間アメリカで教育を受けて帰ってきたら、プレゼンは彼女の得意な分野になりました。 社会に出てからも友人から頼まれて、仕事のプレゼンを見てあげたりもしたようです。 彼女をそのように変えたプレゼンの教育方法がどういうものだったかこちらのブログに書いてあります。 アメリカ人が日本人よりプレゼンがうまいということはみんな知っています。 でもどうやってうまくなったのか、私はその教育方法をアメリカで見ました。 お読みになってみてください。この中でポイントとなるのは次の点です。

先生はプロジェクトを生徒に与え、完成させて発表する日を決めると、全員に評価表を渡します。 評価表には先生が生徒のプレゼンのどういう点を評価するか書いてあります。

教室の一番後ろの人まで声が聞こえるか。
みんなの目を見て話しているか。
図がわかりやすいか。
説明がわかりやすいか。
そのほか「良いプレゼンテーションのポイント」(例えば、聞く人の注意を引き付ける工夫がされているか等)がリストされています。  生徒はそのよいプレゼンテーションのポイントを見ながら毎日毎日家で練習します。  (娘は英語がよくできませんでしたから、プレゼンテーションをほとんど最初から最後まで丸暗記するまで練習しました。) 生徒はこうやってプレゼンテーションのスキルを上げていきます。 

プレゼンテーションは幼稚園、小学校、中学校、高校、大学まで行います。
幼稚園、小学校低学年では評価はしません。
高校以上はプレゼンテーションする内容に評価の重点が移ります。

こうやってアメリカ人は授業の中で「よいプレゼンをするにはどうすればよいのか」を先生から習い、自分で練習して、授業で評価されてプレゼンテーションが上手になっていきます。 もし、アメリカで、「大学入試の時にはプレゼンテーションの外部テストを受けてください」と決めただけで、学校教育で何もしなかったら、アメリカ人のプレゼンが上手にならないことは明白でしょう。  (日本でも、学校でこういう教育をすれば、子供たちはプレゼンテーションが上手になります。 でも、そのためには授業でプレゼンテーションをさせる時間が必要になりますね。 知識を教える時間を少し減らして、プレゼンテーションをする時間に使うことが必要になります。)

体を使う実技の能力というのは、検定試験を受けても上達しません。
授業で教えて
家で練習させて、
学校で評価をする
これを何年にもわたって繰り返します。

こうすることによって子供たちはその実技の能力が上がります。  
スピーキングも口の筋肉の練習ですので、繰り返して練習し、継続して評価していくと上達します。

中学
1年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
2年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
3年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
高校
1年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
2年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
3年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする

テストに向けて毎日、評価のポイントができるように一生懸命練習する。
これがスピーキングのスキルを上げる方法です。

音読で正しい発音かどうか見るのだけでは、会話としての評価が不十分であれば、二人一組で生徒が英問英答のような活動をするときの評価は英語科の教師が行えばいいと思います。  スピーキングの評価では多岐にわたる事柄について英問英答の評価をするのは大変ですが、「そのレッスンで習った単語を使い」「そのレッスンで習った文型を使って」「そのレッスンの内容について」英問英答する場合は日本人の先生でも、ちゃんと評価できます。  (1)積極的に英語で、相手に話そうとしているか。 (2)相手の目を見て英語を話しているか。(3)相手に充分聞こえる声でしゃべっているか。 (4)文法の間違いはないか。 例えば、What ~ ? で聞いているのにYes Noで答えていないか。こういうことは日本人の先生に評価してもらっても生徒に不安を与えることはないと思います。 中学3年、高校3年の受験の際にはネイティブの先生、英語科の先生、双方の評価を受験校に提出すればよいでしょう。  評価のポイントについては文部科学省が定めれば一律に評価できるでしょう。

授業でのスピーキング活動、学期末のスピーキングテスト、時間はとりますが、スピーキングを上手にする為にはスピーキング教育の時間を取らなければ出来ません。 今までこの時間は全くなかったのですから時間をとる必要が出てきます。 学期末のスピーキングテストには2時間分(つまり2日)くらいの授業時間が必要かもしれません。  でも、アメリカでは、プレゼンテーションも毎回クラス25人全員が行っていました。 そのために授業時間が何時間も使われました。 時間を取って実際にやらせなければ実技は身につかないとわかっているからでしょう。 今まで戦後75年、日本でスピーキング教育が行われたことは一度もありませんでした。  ここでスピーキング教育を始めないと、日本人はこの先もスピーキングのスキルを身につけることは出来ません。  私のホームページを作ってくれた方が、「私は大学まで英語を勉強しても全然話せません」とおっしゃっていました。 上に書いたような教育をすればそういうことはなくなります。

スピーキングスキルは、受験の時に民間試験をするくらいでは全然身につきません。 実技はとってつけたような,、その時だけの勉強では身につかないのです。 体にその動きを取り込んで自分のものとするためには6年かかります。中学校で基礎を習得し、高校で複雑な文もスピードを上げてしゃべれるようにしていきます。



もう一つ、民間試験が役に立たない証拠を皆さんにお話しします。

民間試験は過去50年以上に渡って日本で行われて来ました。(各試験 のサイトより)

実用英語技能検定は1963年より実施されて、2017年度の受験者数は366万146人でした。
ケンブリッジ英語検定は1939年横浜に初の試験センターが誕生し1941年に最初の合格者が出ています。
TOEFLは、1964年に作られ、日本では1990年代年間受験者数10万人を突破しました。
GTECについていくつかのサイトに行って調べようと思い、最初にウィキペディアを開いたら、


この記事は広告・宣伝活動のような記述内容になっています。
ウィキペディアの方針に沿った中立的な観点の記述内容に、この記事を修正してください。露骨な広告宣伝活動には{{即時削除}}を使用して、即時削除の対象とすることができます。(2019年11月)

と書いてあったので、そこは読まずに受験者数は126万人ということだけ調べました。

こうしてみてくると民間試験は今まで日本で50年以上行われています。  受験者も現在では各試験合わせて年間500万人くらいいます。 ここまで、たくさんの国民が受験しているのに、現在でもまだ日本人の4技能が上がっていないことが問題になっています。 つまり、50年民間試験をやっても、日本人の4技能は上がらなかったという証明です。

それなのに、また、大学入試で民間試験をさせても全く効果はありません。 50年の歴史が物語っている通りです。

自民党の文部科学部会の人々も、このことは知っています。 民間試験を導入しても子供たちの4技能は向上しない、と知っています。 なぜそれが分かるかというと、私の下の2つのブログのアクセスが1月の終わりからずっと妨害されているからです。 (ブログの妨害については2月1日「民間試験導入のシナリオはすでに出来上がっている」という題で書きました。)

(1)2017年10月12日 「文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない。 (子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き)」

(2)2017年11月2日 「中学時代に、きちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか?」

特に(2)のブログ「中学時代に、きちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか?」は、私が一年以上毎朝やっている4語を用いた検索結果に全く出てこなくなりました。1月中旬まではいつも2位に出てきていました。 (1)のブログは順位を下げられる、という妨害を受けています。上がってきても一日に何回も下げられる、ということを繰り返しています。

アクセスを妨害する、というのは人々にそのブログを読まれたら、困るということです。 上の(1)(2)のブログには私が今書いたことと同じことが書いてあります。  

人々が上の2つのブログを読めば「民間試験によって4技能を上げる」という自民党の文部科学部会の言っていることが嘘だとばれてしまいます。  だから上の2つのブログのアクセスを妨害しているのです。 自分たちが嘘をついているとばれてしまう都合の悪い情報は国民に読ませてはならないと思っているのです。

自民党の文部科学部会の人々が民間試験を導入する本当の理由は、ベネッセを儲けさせるためです。  献金もらっているのだから、「民間試験を導入して、ベネッセを儲けさせなければならない」それが、彼らの本当の理由です。  4技能の向上など彼らにとってはどうでもいいのです。 ベネッセを儲けさせることが彼らの本当の理由です。 だからスピーキング能力を本当に向上させる方法が書いてある私のブログのアクセスを妨害するのです。 4技能を習得させるには学校で継続して評価するのがベストだと人々に気づかれるのは彼らにとっては致命傷です。

(2021年7月1日加筆  こちらは東京都立高校のスピーキングテストを請け負ったベネッセがそれを彼らのビジネスの販売促進に利用していることを指摘された都議会のツイッターです。 東京都教育委員会藤田裕司教育長はベネッセが自らのビジネスに東京都のスピーキングテストを利用していることを全く知りませんでした。 藤田裕司教育長はベネッセが東京都教育委員会との実施協定を破っていたことを全く知りませんでした。 非常に無責任です。 指摘されなければベネッセが東京都のスピーキングテストを自分達のビジネスの販売促進に利用したい放題利用していたことになります。 ベネッセが協定を守っているかどうかを確認もしない藤田裕司教育長は非常に無責任です。)



私の提唱する方法で子供たちがスピーキング能力を身につけることは彼らも知っています。 私自身が中学時代このやり方で今のスピーキング能力を身につけたのですからこれ以上説得力のある方法はないでしょう。 もう一人私と同じ方法でスピーキング能力をつけた中学生のことは過去のブログにも書いてあります。 ですからこの方法が有効だったのは私一人ではないです。
民間試験が効果がないことは彼らも十分知っています。
それなのに、民間試験を受けることがあたかも子供たちのスピーキング能力が上がる方法のように偽って、高額の民間試験を生徒に受けさせようとしています。(やがてそれがベネッセの儲けになるのでしょう。)
嘘の情報で高額の受験料を払わせる。
自民党の文部科学部会が行っていることは詐欺です。
50年やってきたって、民間試験で日本人の4技能は上がらなかったではないですか。
1年に500万人もの日本人が民間試験を受けているのに、4技能はちっとも上がらないではないですか。
単純に計算したって、50万人の受験生が10年民間試験を受けたって、日本人の4技能など上がらないということです。 
詐欺は犯罪です。
受験生とその保護者に対して詐欺を働くのは教育者としてあるまじき行為です。
先生方は詐欺に協力する必要はありません。
犯罪に加担させようとする方針はいかなる団体においても無効です。
各大学は民間試験をする必要はありません。
詐欺(犯罪)に加担するよう強制されることはありません。
自民党の文部科学部会の言う通りにしなくても何の罰を受けることもありません。
懲罰を受けるとしたら、詐欺(犯罪)を行っている自民党の文部科学部会の方です。
自民党の文部科学部会の行っていることは詐欺(犯罪)です。
犯罪なのですから警察に介入してもらったほうがいいです。
そこで、なんでそこまでベネッセのいうことを聞くのか全容を解明してもらいましょう。
もうこの件に関してはいろいろな情報が出てきているのではないですか。


私はまた、為政者に「不都合な真実」を書きましたので、ブログの妨害を受けると思います。 お読みになった方はツイッターなどで先生方にお知らせください。
子供たちが正しい英語教育を受けられることを願っています。

(私は、すでに「英語耳」著者の松澤喜好氏とKADOKAWA松原眞樹社長から、「盗作」「隠ぺい」「妨害」などの不正行為を11年受けていますので、この上、為政者から妨害を受けるのは正直なところつらいものがあります。精神的にはかなりきついです。)



ここから先はいつも書いていることです。

2月11日の朝日新聞東京大学・慶応大学教授鈴木寛氏が「民間試験を使うことが現実的です」とおっしゃっていますが、教室で評価したほうがもっと現実的ではありませんか?民間試験を受けさせても子供たちのスピーキング能力は上がりません。生徒と保護者(国民)も、なんの役にも立たない高額な民間試験より「学校で評価」してもらってネイティブ発音になる方がいいに決まっています。スピーキング能力の上げ方も知らないで民間試験を薦めるのはおやめください。 

民間試験導入を主張する方々の中には、中学高校時代「学校の勉強の一環として」発音習得を行った人は一人もいません。彼らは学校教育におけるスピーキングの指導と評価について何も知りません。彼らの言う通りにするとまた失敗します。

【2024年、再び民間試験導入の口実を作らせないために】  スピーキングのスキルは本来学校で教えるものです。学校で教えることを学校で評価できないはずはないでしょう。民間試験導入などと言う教師は学校教育におけるスピーキングの指導・評価の方法を全く知らない教師です。 発音を習得する中学、高校の時期には、学校で継続してスピーキング評価を行わないと、子供たちに正しい発音でスピーキングすることが定着しないのです。 学校でレッスンが終わるごとに継続して評価されるからこそ、子供たちは家庭学習でスピーキングの練習をしてくるのです。(基礎は最低中学2年間。長い文をスピードを上げてしゃべれるようにする高校時代は3年間。継続して学校でスピーキングを評価する必要があります。評価はその都度生徒に知らされます。 前より上がっていたら、励みにもなるでしょう。 下がってしまったら、「今度は頑張ろう」という気にもなるでしょう。このように「評価」は長い発音習得期間中、生徒のモティベーション維持にも重要な役割を果たします。 入試の際は3年間の総合評価を高校、大学に提出すればよいのです。)  中学生が学校教育だけでこういうスピーキングが出来るようになる「指導と評価の方法」はあります。高校生の「指導と評価の方法」もあります。(「中学生がこういうスピーキングが出来るようになる」と例示した音声はHP「通じない日本人の発音」より転載しました。私自身が50年前、学校教育だけでこういうスピーキング能力を習得しました。私のスピーキング能力習得過程は「スピーキングの指導と評価」に「民間試験は不要」「業者は不要」、「必要なのは授業での継続する評価」を証明するものです。 民間試験導入を主張する教師など「スピーキングの指導と評価」のやり方を全く知らない教師です



================================
================================

3月31日、母が亡くなりました。
大正生まれの母は典型的な古風な日本女性でした。
母自身が体が弱いのに、病気がちの私を育てるのがとても大変だったようでした。

高校3年生の冬休み、世界史の現代史の勉強が終わらない私は、部屋の天井と壁に現代史の年表を書いた大きな紙を張り巡らせていました。 用があって入ってきた母がその中の一行を見て、「1945年、ポツダム宣言受諾。。。。。」と読み上げました。 遠い日を思い出すような目で、その一行を眺めていました。

私は母を見て、「私にとっては世界史の中の一つの出来事だけど、母にとっては人生の中の出来事だったのだなあ。」と思いました。  あの日から、日本中のあらゆるものが変わってしまったのですから。

まさに戦中、戦後の激動の時代を生きてきた人々の一人なんだ、と思いました。 戦争中のもののない時代、戦後の混乱の中で、必死に生きた時代、そういう時代を生きてきた人なのだ、と思いました。

結婚して、実家から遠くに離れて暮らしていた時、よく父と一緒に孫を見に来てくれました。 帰る時、「もう帰っちゃうの?」と寂しそうに言う私に、「あまり親を心配させないで。。。」と母自身もたまらないような顔をしていました。

両親が家を出て小学校の坂の下のバス停につくころ、私は2階に行って窓から、遠くに見えるバス停にいる父と母がバスに乗っていくのをずっと見ていました。

あの時もそうだし、アメリカに行くときもそうだったし、別れはいつだって、寂しいから嫌いです。
でも、必ずやってくるものだから、気持ちよく送り出してあげなければいけないのでしょうね。
私もこの年だから、「あまり親を心配させないで。。。」とは、母はもう言わないでしょうけれど。

お母さん、ありがとう。