川合典子 ブログ

英語教育、英語学習、発音習得、帰国子女の言語習得について書いています。

リーダーシップ

今日は英語と直接関係ない話題ですが、近頃よくこの言葉を聞きますので、これについて私の体験を書こうと思います。

私が大学2年生のとき、(もう30年以上前ですが。)体育の授業で、レクリエーション教育と言うのがありました。日本ではまだまだなじみのない分野で、指導してくださったのはアメリカでレクリエーション教育を学ばれた先生でした。

学生はいくつかのグループに分かれて、その中でリーダーを決め、それぞれ子ども会のレクリエーションプランを作成します。お誕生会を想定するグループもあれば、夏のキャンプファイヤーを想定するグループもありました。

そこで、どのように子供たちの活動を進行させるのか、その際の目標と注意点などを書いたプランを作成し、提出します。最後に各グループが実演し、先生のアドバイスをもらいました。

先生のアドバイスは具体的なことから基本的な考え方にいたるまで、とても幅広く行われました。

たとえば目の部分だけに、日食めがねのようなお面(左右のはしを羽のように上げて、目の部分は穴を開けて見えるようにしてあります。)をリーダーがつけて、劇のようなお話の世界で行われる子供達の活動を実演したグループに、(大変評価は高かったのですが、)最後に一つこんなアドバイスが言われました。

「目の部分の表情が隠れてしまうと、子供はリーダーに対してあまり親近感が持てなくなってしまいますので、なるべく顔はよく見えるようにしておきましょうね。」とおっしゃいました。

もう一つよく覚えているのはリーダーシップと言うことで、一言アドバイスされたときでした。このときは特定のグループへのアドバイスではなくクラス全体へのアドバイスでした。

「皆さん、リーダーシップと言うのは前に立って、みんなを率いていく人のすることだと思っているかもしれませんが、自分がリーダーでないとき、どうやったら、リーダーがやりやすいか、全体がうまくいくか、こういうことを考えて行動することも十分リーダーシップの勉強になるんですよ。」と言われました。多分リーダー役以外の学生の行動を見てそう思われたのでしょう。

この言葉は卒業して、仕事についたときも、ずっと私の中にありました。特にOL時代のブログ http://d.hatena.ne.jp/creato-k/20110925  に書いたような年齢のときは、私はどの仕事に参加してもいつも年齢は一番下でした。しかもいつもただ一人の女性でしたから、私がリーダーシップを取る仕事などまったくありませんでした。

けれども他の会社の人と同じプロジェクトで仕事をするときは私はいつも先生のこの言葉を思い出して、仕事をしていました。それで人に何かを言うというようなことはほとんどしませんでしたが、自分はそういう考えでなるべく動くようにしていました。

あるとき、新しいプロジェクトを始めることについての最初のミーティングが終了したとき、「これは早い段階で、話を持っていった先の相手の感触を持ち寄った方がいい。」と私は思ったときがありました。今でこそマニュアルがありますから期日を決めることなど、常識かもしれませんが、当時はベテランのセールスマンやOO支店長などと言う人が男性ばかり集まったミーティングで、「だれだれはいついつまでにこれをやる。」などと規定することはなかったです。皆さん阿吽の呼吸で決まるというような感じでした。

ただ、海のものとも山のものとも、まだ世間で騒がれるだけで、見当も付かないプロジェクトでしたので、早い段階でもう一度、それぞれの顧客の感触は持ち寄ったほうが全体の方向性が早く決まってみんなが動きやすいと私は思いました。

皆さんが自分のオフィスに戻るしたくをされているときに「来週また、スケジュールがあいているようでしたら、ミーティングを持ちませんか?」とOO支店長さんにお声をかけたら、「そうですね。それがいいかもしれませんね。」と言って、一週間後にミーティングがもてるようにしていただいたこともありました。

ただし、こういうときはいつも、自然な流れに沿って言うことにして、機会を逸したら、「それは私の言うべきことではなかったんだ」と、考えることにしていました。 当時は、まだまだ、若い女性が、差し出がましい口をきくのは認められていませんでしたから。

英語を勉強している人たちの中には若い方が多いと思います。おそらく仕事についたら、自分がリーダーシップをとることなどまったくないと思いますが、こんな風に、時々考えるようにしてみると、全体にかかわる仕事が回ってきたとき、少しは役に立つのではないかと思います。




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高校入試で子供たちが親の収入によって差別されない為に以下のお知らせを書かせていただきます。

高校入試のスピーキングテストについて(大学入試のスピーキングテストについても同様です)

高校入試のスピーキングテストは本来文部科学省が学校教育で正しい発音を生徒に教えてから行うべきものです。  しかし、文部科学省が教科書にCDもつけず、正しい発音の仕方も学校で教えないまま、高校入試でスピーキングテストを実施する動きが都立高校などで始まっています。 (大学入試でもスピーキングテストが行われようとしています)  これは、スピーキングスキルの習得を塾や予備校、会話学校に丸投げするものです。  学校で教えていないスキルを入試でテストすることはあり得ません。

これでは経済的に余裕のない、塾や会話学校にいけない家庭の子供は誰にも正しい発音を教えてもらえず、練習するCD(音声モデル)も与えられないまま、高校入試でスピーキングテストをされることになり、明らかに親の収入による進路の差別が始まります。(詳しくは2018年3月8日のブログ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」をお読みください。)

皆さんの身近に教育関係者がいらっしゃいましたら、ぜひ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」であることをお伝えください。  (大学入試のスピーキングテストについても同じことです)  
15歳で親の収入のために進路を差別されるのでは子供たちがあまりにもかわいそうです。

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英語教育については、下のブログも併せてご参照ください。  日付をクリックすると移動できます。
2017年10月12日
文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない(子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き)





高校英語教育を文部科学省の誤解に基づいた方針から守るため、以下のご案内を書かせていただきます。

現在文部科学省が「グローバル化に対応した英語教育改革」の目玉として掲げているCAN-DO方式は、ヨーロッパの人々にはできますが、日本語を母国語とする人にはできない方式です。

文部科学省は「CAN-DO方式が日本人には不可能な方式である」と気づいておりません。  導入されれば教育現場は大変迷惑します。  中止する必要があります。  なぜCAN-DO方式が不可能なのかはこちらのブログをお読みください。

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何度もお願いをしているのですが、アマゾンのページで私の本のランキングを下げて妨害をしている人がやめてくれないので、(詳細はこちらです)しばらく以下の文章を掲載させていただくことにしました。

「本を出版する人は、他の著者の妨害をしない。  他の著者を妨害する人は自分の本も出版できない。」
出版社におかれましては、このことを出版の際、著者に理解していただいてください。

私のランキングを妨害している人は、たぶん、現実を受け入れられないのでしょう。
アマゾンの順位を1ペ―ジ目から2ページ目に下げられ、数日でまた2ページ目から3ページ目に下げられて、私は、この方の激しい妨害に驚いています。 

「学習者に正しい発音を習得してほしい」というのが自分の目標でしたら、他人を妨害する必要はありませんね。  他人を妨害してまで、何を手に入れたいのでしょうか。  ベストセラーの著者という名声ですか。  それなら、もうアマゾンで、ご自身の本はベストセラーに認定されているのですから、それで十分でしょう。  この上何が欲しくて私を妨害するのでしょうか?  もう英語教育とは関係ないことですか。 私は、とても困っています。  

私は、こちらに書いてある3つのことをするのが、目的です。  日本人が子音の日本語化を知っているか、いないかで、通じる英語で話せるか話せないかが、決まります。  ですから、このことを読者の皆さんに理解していただくのは、とても大事なことなのです。  私の仕事の妨害をしないでください。 

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クマさん、ウサギさん、ブタさん、それぞれが持っている旗に書かれたことの理由は、2017年7月30日のブログをご覧になるとわかります。