川合典子 ブログ

英語教育、英語学習、発音習得、帰国子女の言語習得について書いています。

国にとって最も恐ろしいのは教育をはく奪することだ(日本は植民地でもないのに自国の国会議員(下村博文)のために子供たちからまともな教育がはく奪されようとしている)

政府による妨害が激しいのでツイッターをお持ちの方は拡散をお願い致します。  私の後ろには政治家も潤沢な資金を持つ業者もいません。 とても太刀打ち出来ません。 新井紀子氏は「教科書を読む」その学習行為自体については何のデータも取っていません。 研究者が実際にデータを取っていないことを研究の結論として提示すること(教科書がすらすら読める、教科書がほとんど読めない  こちらのビデオの14分36秒のところからの新井氏の発言)に問題はないのですか。 研究者の倫理としても問題はないのですか。データがない以上、新井紀子氏は結論を捏造(ねつぞう)しているといわれても仕方がないのではないですか。





2月26日文中水色の部分とそれに続く紫の部分に加筆しました。 新井紀子氏の作成したリーディングスキルテストは、下村博文氏、ベネッセ、新井紀子氏、3者による国民を騙す一大プロジェクトでした。  なぜ私にそのからくりがわかったのかは文中青字の部分(2月3日加筆部分)に書いてあります。eポートフォリオの時と同じだった。「おかしい」と思ったことを追っていったらそれがわかりました。  アマゾンのこのページにある彼女の書いた「AI vs. 教科書が読めない子供たち」の表紙にも「教科書が読めない」「読解力がない人間は仕事を奪われる」と大きく書いてありますが、これも、下村博文氏のたくらみ実現への布石ですか? アマゾンのこのページを見ると(2021年2月21日現在)「ベネッセは学校教育に導入できる可能性のあるテストを作るのに、お金に糸目をつけずにつぎ込んでいる」とわかります。(導入出来たら毎年回収できますから)これは下村博文氏、ベネッセ、新井紀子氏、3者による国民を騙すための大プロジェクトだったのですね。 ベネッセは研究費(?)として新井氏にもお金に糸目をつけずにつぎ込んできたのでしょう。 だから彼女はこれまでにツイッターで人々が読み間違えそうな文書をいろいろ例に出しては「読解力」「読解力」といって、自分の作成したテストに人々の関心を引こうとしたのですね。 それが彼女が下村氏、ベネッセから請け負った仕事だったのですね。 だから下村氏は数学者の新井紀子氏を読解力の権威にしたいのでしょうね。それを私によってつぶされそうになったから、あんなに激しく私のブログを妨害したのでしょう。 でも逆に政府から妨害されたことによって、本当のからくりが見えてしまいました。  新井紀子氏も相当な研究費(?)をもらってきたのだから、ここでやめるわけにはいかないのでしょう。 彼女はツイッターで「読解力」「読解力」といい続けて下村氏とベネッセから請け負った仕事をせっせと実現しています。                 
政府の妨害はきついです。 ツイッターをお持ちの方は拡散をお願いいたします。 

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アマゾンの話が出たのでついでに書きますけれど。


私の本「帰国子女に見る世界に通用する英語力の作り方」のアマゾンのレビューについて。
2月21日20時現在、この本には4つのレビューが書いてあります。(総数は5と書いてありますが私もこの4つのレビューしか読んだことはありません) 星1つを付けた方はたった一人ですが、棒グラフでは52%の人が星1つを付けたとあらわされています。  評価は単純平均ではなく信頼性を検証して書かれているということですが、星1つを付けた方はたった2行しかレビューを書いていません。 他の方は3人ともとても詳しく書いてくださっています。  星1つ=52%というのが、アマゾンが信頼性を検証した結果なのですか?(棒グラフは、星5つ:2人28% 星3つ:1人20% 星1つ:1人52%   総合評価2.5となっています。)

2月22日  中学高校時代 私にとっての教科書

中学高校時代、私にとっては、教科書の文章は読解力で理解するものではなく、それをもとに勉強するものでした。 

中学高校時代、私は「教科書の文章というのは、不思議な文章だ」といつも思っていました。 
勉強する前と勉強した後では同じ文を読んでいても頭の中に見えることが全然違うからでした。

教科書の文章は、大事なエッセンスだけが書いてあります。  細かいことは書いてありません。 そういうことは先生が説明してくださったり、自分で調べたたりしてわかってきます。 物理などは理解した後、実際に問題を計算したりしていくうちに、よりよく理解できるようになることもあります。 私の場合は、勉強していて疑問を持ったりすると、勉強部屋が同じだった姉によく聞きました。 姉は、絵にかいたり、私の知っている他の事にたとえたりして、よく教えてくれました。  そうすると、わからなかったことが「そういうことなのか」とわかってくることが多かったですね。

最初に教科書を読んだときには書いてある骨組みしかわからない。 まるで「樹木1本書いてある絵」にたとえれば、大きな幹(みき)しか書いていない絵のようなことしかわからない。  それが期末テストなどに向けて3週間くらい集中して勉強すると違ってきます。 歴史だったらおきた出来事どうしの関連や、そういう事件が引き起こされた社会状況、人々に浸透していた思想などを勉強して、そういういろいろな要素がつながってくると、同じ教科書を読んでも、今度は樹木の幹(みき)だけでなく、小さな枝や葉っぱも見えてきて完全な樹木の絵が自分の頭の中に浮かんでくるように、いろいろなことがわかるようになります。  読んでいる文章は勉強する前と同じ教科書の文章なのに、見えてくるものが勉強する前と勉強した後では全然違う。 教科書の文というのは不思議な文章だといつも思っていました。

私は教科書の文章は読解力で理解するものではなくて、それをもとに勉強する文章だと思っていました。  その例を自分の学校時代のことではもう思い出せないので、アメリカで子供の勉強を見た時のことでお話しようと思います。


下の絵は、娘が中学校で中世について学んだ時に授業で描いた中世の人々の着ていた洋服の塗り絵です。先生が、輪郭と洋服の説明を書いた言葉を配ってくださって、子供たちはそれがだれかを書き込み色を塗って、洋服の説明を貼り付けたようです。  
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一番上の絵は中世の貴族(Nobles)の着ている服です。男性と女性がいます。 横に描いてあるのは長いスカートをはいているMerchant(商人)の女性の服です。
2番目は、Vassal(家臣), Knight(騎士)、横にはKingの絵もあります。
一番下は茶色の簡単な服を着たSerfs農奴(Peasants農民)が書いてあります。  こうやって先生は、子供たちになじみのない時代を少しでも印象深くなるよう塗り絵をさせて、生徒の頭の中に中世のイメージを入れていこうとしたのでしょう。 こうして教科書に書いてあることをより鮮明に子供たちに印象付けたのだと思います。


植物の細胞を習ったときは、その週末、娘は大きな紙に絵をかいていました。 「何をかいているの?」と聞いたら、「細胞の中にあるいろいろなものを町の中にあるものにたとえて描く、という宿題をしているの」といいました。  細胞膜は町を外敵から守る城壁、光合成をしてでんぷんを作る葉緑体は食べ物を作る工場、絵の中に道路が書いてあって、フェデックスのトラックが走っていたので「それは何?」と聞いたら、食べ物工場で作られた食べ物をみんなに運ぶ役割をするものを宅急便のトラックにたとえて描いたといっていました。 

細胞は顕微鏡を使わないと見えません。  普段目にしたことのないものがどういうメカニズムで働いているかを子供たちがよく知っている町の機能にたとえて理解させようとする先生の方針なのだと思いました。 教科書だけ読んでいるよりも、もっと身近に細胞の働きが理解できるようになるのでしょう。

変わったところでは、中学で初めて元素を学んだ時の宿題も面白かったです。 生徒は初めて化学の周期表(the periodic table)を学びました。 先生は周期表の元素一つ一つを子供たちに割り当てました。  そして、生徒はその元素になったつもりで詩を書いてくる、という宿題が出ました。  娘に割り当てられた元素は希ガスのキセノン(Xe)でした。  そのころはもう私が宿題を手伝うことはなかったので、娘は自分で詩を書きました。 出来た時ちょっと見せてもらいました。 もう20年近く前のことなので、忘れてしまいましたけれど、最後の行はこんな感じでした。

私を熱さないで。
私は消えてしまうから。

私は希ガス、キセノンの性質を知りませんので、これが正しいのかどうかわかりませんが、もし違っていたら、きっと先生が赤字で何かコメントをお書きになって直してくださったと思います。

高校で周期表を学んだ息子は学問的なことを徹底的に暗記していましたけれど、中学校で初めて元素について学ぶ生徒には、元素というのはどんなものなのか、それをまず、生徒になじませるのが、先生の目的だったのでしょう。  キセノンの性質を暗記するだけなら、少しの時間で済みますが、詩を書くとなると、キセノンの性質をずっと考えながら、詩の文を作るわけですから、何時間もキセノンの性質を頭の中で考えることになりますね。  その考える時間が化学の元素を生徒により身近に感じさせるようになると先生がお考えになったのだろうと思いました。 「元素と一緒にいる時間を持つ」というような意図があったのだろうと思いました。

私にとってこの宿題が印象的だったのは、キセノンのような化学の理解に「詩」という文学的な方法を先生がお使いになったことでした。

新しく習ったことを子供たちに理解させるために先生方はいろいろな手法をお使いになっていらっしゃるのだなあ、と思いました。 多分、教科書を読むだけでは子供たちになかなか理解、定着させられないとお分かりになっていたのだろうと思いました。 繰り返し考えたり、よく知っている概念と照らし合わせたり、絵をかいたりしながら、学んだ事項を深く子供たちに理解させていこうとなさっていたのだと思いました。 そうしないと、教科書を読むだけではなかなか子供たちに習ったことが理解、定着させられなかったからだと思います。

私にとっても教科書は、読んで理解するというよりはそれをもとに勉強するものでした。  勉強すると、最初は、大きな幹しか見えない樹木の絵が、小枝や葉っぱもつけた青々とした大きな樹木の絵になってくる。 そんな感じがして、私は教科書の文章は不思議な文章だと中学、高校時代はいつも思っていました。

読解力だけでは学んだことは身に着けられません。 日本の先生方もアメリカの先生方もそのことは十分ご存じだと思います。 




1/24 新井紀子氏のことを書いていてふっと思ったのは、ベネッセが全学校に導入できるテストを作ろうとしているのではないか、ということです。新井紀子氏の勧めるこのテストは「テスト問題の設問を理解する力のテスト」です。でもそれでは学校教育に入れてもらえない。だから新井紀子氏はこれを「教科書を理解する読解力」と強調するのではないかと思いました。(実態とは違いますが)「教科書を理解する読解力」なら学校に導入するのに抵抗がなくなりますから。(ちなみに読解力とか思考力というのは文2,3個を読むような、こま切れの練習をしていても上がりません。それについてはこちらのブログの最初に書いてあります。)教育の乗っ取りを企む下村博文氏が今度はどこに自分の手下を配置するかわかりませんが、今度著名な教育者があるテストについて「このテストは非常に良い」と国立研究機関の名前を使って発表し始めたら新井紀子氏と同じことを疑ってみる必要があると思います。 第2、第3の「新井紀子氏」が現れて、悪だくみを隠して国民を誘導する可能性は十分あると思います。 「国立の研究機関(大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構 国立情報学研究所(NII、所長:喜連川 優)まで新井紀子氏と組んでやっている」という事実から、下村博文氏の教育の乗っ取りはかなり進行している、と思います。2016年から新井紀子氏のこの計画は始まったようです。私たちが全然気づかないうちにもう5年も経過している。 まさに国民の知らないところでひたひたと乗っ取りが進行する「This Present Darkness」です。   「憶測でものを言うことは厳に慎まねばならない」ということは十分承知しております。けれども、そういう可能性も含めて見ていかないと、後々大変なことになるのではないか、と危惧いたしましたので、書くことにしました。 杞憂(きゆう)であればいいと思っています。


1月19日 新井紀子氏の勧めるリーディングスキルテストの動画を見ました。その感想を書きます。  新井紀子氏はこのビデオの14分から15分の所で次のように述べています。

中学生の間で非常に幅広く分散している読める力、ほとんど教科書が読めない子からすらすら読める子まで、そのすらすら読める順に高い偏差値の高校に入学できているということがわかってしまったのです。  つまり教科書のような簡単な文が「読めるか読めないか」という基礎的な読解力が人生を左右するということがわかってしまったのです。 (この「研究」についての私の感想は下のピンクの文字の部分に書いてあります)

でも私は、新井紀子氏と真逆のことを思っています。私の考えは新井紀子氏とは正反対です。

私は、「習ったことを理解できるようになるまでたくさん勉強した生徒は偏差値も高くなるし、教科書もすらすら読めるようになる」と思っています。 新井紀子氏は「大変なことが分かってしまった」みたいな大げさな言い方をしていますが、それは人々をこのテストに誘導したいからでしょう。 「教科書がすらすら読める子が偏差値が高い」というのはただの相関関係です。

相関関係 = 因果関係   ではありません。



私は以前、こういうことをブログに書いたことがあります。 どこに書いたかは思い出せませんけど。(こちらのブログでした。

生まれてから学校に行かず、ずっとお母さんのそばにいて20歳になった人がどんなことを話すのか想像してみてください。  多分身の回りの話が主で、科学や歴史などの話はあまりしないでしょう。   子供たちは学校に行って各教科を学んでいますが、それは見方を変えると、各教科で使われる言葉を学んでいる、ということになります。

学校に行って理科の時間に化学反応式を習ったとします。  ここで子供たちは「化学反応式とは何を表しているのか」を学びます。  水素と酸素が反応して水ができることを表している、と知るわけです。  それを学ぶと化学反応式という言葉が出てくる文章も理解できるし、自分で書くこともできます。  それによって化学の反応に関する言葉の運用能力を身に着けます。

歴史で封建制度について習えば、封建制度とは何か。 また封建制度に関する言葉の意味や使われ方がわかって封建制度に関して書いてある文章も理解できますし(読解力)、それについて話すこともできるし、書くこともできます。 封建制度に関する言葉の運用能力が身に付きます。


つまり、そのことについて学ぶとそのことに対する言葉の運用能力は上がります。  もちろん読解力も上がります。

私はアメリカにいた時、子供たちが毎日学校に行って各教科を学びながら、学んだことを英語で言えるようになって行くのを見てそう思いました。 私の考え方は新井紀子氏とは全く逆です。正反対です。


もちろん新井さんが例に出しているように、問題に書いてある4つの選択肢から正解を選べない子もいるでしょう。  でも、子供を育てていて思うのはなじみのない名前や、アルファベットで書かれたものを一回や二回言われたくらいですぐ理解できない子もいます。  そういう子も時間をかけて深く学んでいくと、つまりその事柄が自分のなじんだものになってくるとわかるようになります。  だからそういう例をもって、読解力がないと成績が上がらない、というのは当たらない、と私は思っています。

成績が上がるのはあくまでそのことを本人が勉強したからです。


私には、彼女はこのテストを売ろうとして非常に無理な理屈をこじつけている。 勉強の本質を無視していると思います。  


このリーディングスキルテストは「テスト問題への答え方のテスト」です。 これを「基礎的な読解力の能力のテスト」という国語教育の専門家は一人もいないと思います。  

私がここでいう国語教育の専門家とは、中学、高校で実際に国語教育を行っている先生方です。  読解力に関しては説明文、論説文、小説、随筆などの指導をきちんとできる先生方です。

 この新井紀子氏お薦めの「リーディングスキルテスト」は「テストの設問に答える能力テスト」といったほうが適切だと思います。 いかにも学習塾が好きそうな教材だと思いました。 この下に出てくるプロの編集者の方は「そういうのは予備校で使えばいいのではないですか」と言っていました。 これを読解力のテストという人は、新井紀子氏同様、文学も国語教育も何も学んでいない人です。

それから、ビデオの中ではずっとテストの設問とその答えの正答率を解説してきて最後になったら、突然、これを「教科書をすらすら読める力」といい方に変えるんですね。 テストの設問を理解する力についてずっと述べてきたのに、(教科書の読み方など、全く触れていないのに)最後になると、「教科書を読む力」という言い方が突然出てくるんですね。 出題は教科書や新聞、辞書からということですが、「教科書の読み方」など全く触れないのに何で、突然最後にこれが「教科書をすらすら読める力」に変わるのだろうと思いました。

 こちらのニュースを見て  大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構 国立情報学研究所(NII、所長:喜連川 優、東京都千代田区) さえこれが読解力だと思っていると知って、驚きました。 150字程度の事実について書かれた文を読む力を読解力というのはいかがなものでしょうか。 しかも、それがテストの設問。 こういうのを国語教育の専門家が読解力というでしょうか。 「国立」ということは税金で運営されているのですよね。 でしたら、もう少し、所長の喜連川 優氏は「読解力」についてきちんとした研究をなさっていただきたいと思います。 冒頭にも書きましたように、新井紀子氏はこのビデオの14分から15分の所で次のように述べています。

中学生の間で非常に幅広く分散している読める力、ほとんど教科書が読めない子からすらすら読める子まで、そのすらすら読める順に高い偏差値の高校に入学できているということがわかってしまったのです。  つまり教科書のような簡単な文が「読めるか読めないか」という基礎的な読解力が人生を左右するということがわかってしまったのです。

これが、国立の研究機関が読解力について共同研究した結果なのですか。 研究対象はテストの設問、結論が読解力(?)と入学する高校の偏差値との関係。  これは学習塾の視点から行われた研究ではありませんか? 大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構 国立情報学研究所 (所長:喜連川 優)まで、ベネッセに乗っ取られましたか。      「読解力の研究」と称して、テスト問題のパターンを種類別に分けたり、高校の偏差値との関係を見たりすることは国語教育の専門家はしません。テスト問題を分析して7つのパターンに分けて、これが読解力の各側面だといって正解率を見る。 東大新入生でも52%しか正解できなかった問題もあるとデータをとる。 これはもう受験産業のすることではないですか。  国語教育の専門家のする「読解力の研究」ではありません。  新井紀子氏は「読解力」「読解力」と教育問題を話題にしているようで、本当はテストの分析や偏差値の研究をする受験産業の仕事をしているのではないですか。    1月18日の彼女のツイッターのコメント「あら、イメージ同定ど真ん中の問題。 全般的に、共通テストの地歴はRSTのイメージ同定と推論ができない受験生は厳しかったかと思う。」 というのは、読解力の研究をしている人のコメントというよりは、テスト問題を研究している予備校の人のコメントみたいだと思いました。 「いつもやっていること」「いつも考えていること」は、自然に出てきてしまいます。 このコメントを読んでいたら、下に出てきたプロの編集者の言葉を思い出しました。「こういうテストは予備校で使えばいいのではないですか」     受験産業はどこまで行っても受験産業。 いくら新井紀子氏が「教科書を読む読解力」という言葉を使っても学校教育には入れません。
(今、この曲 Bonnie Tyler - Holding Out For A Heroを聞きながら夕食の支度をしています。映像は見ません。銃を撃つ映像は嫌いですから。 いつもはもっと落ち着いた曲を聞いていますが。。。。自分の心の中に怒りがあるとき、強いビートに乗せて怒りをどこかに飛ばしてしまいたい。。。。。。怒りを感じていなかったら、こんなきつい文章は書かないです。 新井紀子氏は「読解力」「読解力」って、人を騙(だま)さないで。)
新井紀子氏は国語教育も文学も学んでいない(国語教育の素養がない、文学の素養もない)。 だから新井紀子氏が読解力に関していうことは薄っぺらです。 本物の国語の先生とは、蓄積されてきた教養や子供に与えようとするものが違います。 もし本当に子供たちに国語教育における「読解力」をつけさせたいのであれば、子供たちには「本物の国語の先生」の言葉に触れさせなければだめです。
受験産業と学校教育の違い。 学校教育では時間をかけて、文学の楽しさを知ったり、文章によってどういう表現ができるのか子供たちは学んでいきます。 「読解力」もそういう広くて深い教育の中で育てます。 受験産業はテストの点数に直結することが主眼です。新井氏のやっていることはまさに受験産業の仕事です。 学校教育というのは受験産業とは違いますから、国語教育の素養、文学の素養がなくては教えられません。 新井氏にはその素養、教養がありません。 だから新井紀子氏に国語教育は出来ません。 
2021年2月3日加筆
私が中学3年生の時、こういうことがありました。  中学3年生は高校受験のため模擬試験を受けます。  あるとき受けた模試の国語のテストで芥川龍之介の「鼻」の文章の一部が出ました。 「彼がおかしくておかしくてたまらなかったのはなぜですか」という問いがありました。  私は自分の思ったことを書きました。  試験後、模範解答を見たら、私の答えは間違っていました。  間違った箇所は正しく答えられるようにしなければいけないと思っていたので、模範解答を見ながらもう一度考えました。 けれども、どう考えてもなぜ正解がそうなるのか理解できませんでした。  それで、私は国語の先生にお聞きすることにしました。 
 
その時の国語の先生は、前の先生が産休の間だけ教えに来ていた先生でした。  授業を受けていて、その先生に聞いても私が納得できるような答えは出来ないだろうと思ったので、産休中の前の国語の先生にお手紙を書いてお聞きしました。  先生は出産後の大変お忙しい時期にも関わらず、下のようなお返事を下さいました。

あなたの手紙を読んで、私ももう一度芥川龍之介の「鼻」を読んでみました。  私もこの人がおかしくておかしくてたまらなかったのは、あなたと同じ理由だと思いました。  なぜ模範解答がそうなるのか私にもわかりません。

それに続けて先生は次のようにお書きになっていらっしゃいました。

あなたの手紙を読んで、今の国語教育が抱える問題を感じています。  文学作品の読み取りを画一化しようとすることなど決してしてはいけないことです。  あなたのような生徒までが、こんなことで悩まなければならないことに、この問題の深さを感じます。

私は、先生のお返事を読んで、非常に驚きました。  まず、模擬試験の模範解答が間違っているということ(50年前の模擬試験です)  それから国語教育に問題があるということ。  中学生の私は学校で行われることに問題があるなどと思ったことはありませんでした。  「学校で行われることは正しい」そう信じ切っていました。  お手紙は短かったけれど、15歳の少女には相当な衝撃がありました。 でも衝撃と同時にこの時知ったこともありました。  それは、先生方は教科書の知識をただ教えて下さっているだけではないのだ、ということでした。  私たちをどう教育することが一番良いことなのか、いつもお考えになっているのだ、そう思いました。

50年たった今でも、先生のお手紙に書かれていた言葉が忘れられないくらいですから、あの時の衝撃は相当なものでした。

先生方にもいろいろな方がいらっしゃいますので、全員がこの先生のようではないでしょうけれど、(実は、この先生の産休中に教えに来ていた先生に私は「本の世界に逃避するな」といわれました。  私はその先生があまり好きではありませんでした。  もし今、そういわれたら、私はこちらのブログに書いてあるミヒャエル・エンデの言葉を使って答えたいと思います。 「私はファンタジエンに行って生きる力をもらっていただけよ」と答えたいと思います)授業ではただ生徒が学ぶべきことを教えて下さるだけですけれど、先生方はいろいろなことを考えながら私たちを教えて下さっているんだ、と思いました。

私が中学、高校と習った国語の先生方はみんな国語科の教員免許状をお持ちの先生方です。  国語教育で教えることはすべて勉強し、教育についても学んでいる先生方です。  私はそういう先生方を「国語の先生」だと思ってきました。
 

新井紀子氏が国語教育で知っているのはたった一つです。 
「事実について書かれた150字くらいの文(テストの設問)が理解できるかどうかをテストした結果」
それだけです。(彼女が作ったこのテストの得点と生徒の読書量には全く相関関係はないそうです。(上記の本222ページより)彼女の作ったテストで高い点を取る生徒が必ずしも本を読んでいるわけではないし、本を読んでいない生徒の得点が必ずしも低いわけではないそうです。 彼女は「読解力は読書とは関係ない」と述べています。 この話を知人にしたら、「読書している生徒としていない生徒の差も表れないテストを読解力のテストというの?」と聞かれました。)
新井紀子氏が国語教育について知っているのはたったそれだけです。 国語教育で「読解力」といったときに含むものが後楽園球場の広さだとしたら、新井紀子氏が知っている「読解力」は、そこに落ちた1円玉くらいの広さのものです。


だから彼女の「読解指導」を読んで私が「薄っぺらだ」と感じるのは当然だと思います。 一円玉の範囲しか知らないのですから。 国語の先生方が勉強して持っているものを彼女は何も持っていない。 それは、「燃える太陽」という文学的な表現に、理科の読解指導と称して、「宇宙空間には酸素はありませんから太陽は燃えません」などと平気で言う「読解指導」に如実に表れています。 初めて聞いたとき、昔だったら、そんな言葉はコメディアンが言うジョークだったと思いました。 もし、国語の先生方ばかりの集まりで、こんな指導をしたら、とても顔を上げていられないくらい恥ずかしいことです。 国語教育に無知なこと丸出しです。 新井紀子氏はそれが恥ずかしいということもわからない。 150字といったら、ほぼツイッター(140文字)の文章と同じ分量でしょう。 それ一つ勉強したくらいで「読解力」「読解力」って、「読解力」の権威みたいな顔をしないでください。 1円玉くらいしか知らないのに読解力の権威みたいな顔をしないでください。 日本には地味だけれど、子供たちの読解力向上の為に努力している先生がたくさんいらっしゃいます。 始業前の10分間読書を習慣化させている中学校の先生方もいらっしゃるし、時間があると子供たちに本の読み聞かせをしてくださる小学校の先生方もいらっしゃいます。 先生方一人一人は特に新聞や雑誌で取り上げられるような方々ではなくても、そうやって、継続して地道に努力していらっしゃる先生方はたくさんいるんですよ。 そして最後は結局そういう先生方の地道な努力が子供たちの読解力を上げていくんです。 地道な努力をしている先生方を差し置いて、たかだか150語の文を一つ勉強したくらいで、1円玉くらいしか知らないで、「読解力」「読解力」って読解力の権威みたいな顔をしないでください。 しかもそれはテストの設問でしょう。「読解力」という言葉を人々を誘導するために使っているだけでしょう。 新井紀子氏は文学も学んだことはないのですよ。


国語の先生方が国語教育に関して持っているものが両手一杯にすくい上げられた色とりどりの花びらだとしたら、新井氏の持っているものは人差し指の先にのった、薄い梅の花びら一枚くらいのものです。  私が薄っぺらだと感じるのは当然です。

新井紀子氏はこれからも人々が正しく読めなかった文書を取り上げては、「読解力」「読解力」と騒いで自分の勧めるテストに人々を誘導するでしょう。  それが彼女が下村博文氏から請け負った仕事だからです。

私が彼女の読解指導を批判したら、政府から激しい妨害が始まりました。  政府から妨害を受けるというのは政治家が妨害しているということです。  教育に関する政治家といえば今更言うまでもありません。 (自分の選挙区(東京)の中学生さえ、都道府県の中で一番最初に「高校入試のスピーキングテスト」という形でベネッセに売った下村博文氏です。)  新井紀子氏は下村博文氏のたくらみの実行部隊です。  たくらみを隠して、人々をそこに誘導する実行部隊です。  「新井紀子氏のいるところ下村博文氏あり」です。 こういうことを書きましたので、私はまた、激しく妨害されるでしょう。  人々にこの情報が伝わらないように、政府には、政治家の言う通り、妨害を行うスタッフがいるんですよね。 ツイッターをお持ちの方は、拡散をお願いいたします。  新井紀子氏の読解指導を批判して、政府(政治家)から妨害を受けたのは私一人です。 私を葬ってしまえば、彼らは自分達の教育乗っ取りは安泰だと思っています。


もう5年も新井紀子氏はこのテストの計画を進めています。  ベネッセへの利益誘導だという批判には、そういわれることを準備していたかのように自信たっぷりに「妄想」とか「定款に対しての読解力」などという変な言葉を面白がるように使って答えています。 このように後ろにあるたくらみには全く気付かせず、人々をそちらに誘導するのが新井紀子氏の仕事です。 彼女は下村博文氏のたくらみの実行部隊ですから。   下村博文氏の教育の乗っ取りが新井紀子氏のような実行部隊を使ってひたひたと進行する。 まさに日本の教育は  「This Present Darkness」です。  新井紀子氏が下村博文氏の実行部隊だからこそ、私が彼女の「読解指導」を批判したとき、政府(政治家)はあれほど激しく私を妨害したのでしょう。 「読解指導」の批判一つに政府(政治家)が妨害に乗り出してくるなどありえないことです。 「英語民間試験」でもない。 「大学入試の記述式」でもない。  ただの朝日小学生新聞に載った彼女の「理科の読解力の指導」があまりにもひどかったから私はそれを指摘しただけです。 「燃える太陽」という文学的な表現に対して「宇宙空間には酸素はありませんから太陽は燃えません。」これ以上ひどい”読解指導”はないでしょう。 だからそうコメントを書いただけです。なのにどうして政府が私のブログを妨害するんですか。 おかしいでしょう。 なぜ、そこまでして、政府が新井紀子氏の「読解力の指導」を守るのですか。 しかも彼女は国語の教員免許状さえ持っていないのに。 それは彼女が下村博文氏のたくらみの実行部隊だからでしょう。 そしてそのたくらみは彼女の言う「読解力」に関係している。  私はそう思いました。 「おかしい」と思ったときにはその裏に必ず何か、人々に知らせないで彼らがやっている悪いことがあります。 eポートフォリオの時もそうだった。 では、彼女の言うこの読解力ってなんなの?  それは「テストの設問が理解できているかどうか」を調べるためにするテストのことだった。 まるで受験産業が作る「読解力?」のテストだった。 「受験産業」ってどこがするの? 学習塾、予備校? 彼女に関係している学習塾は? 彼女がツイッターで自信たっぷりにベネッセとは関係ありませんといっていた。 何か愉快そうにそう言っていた。。。。。しかも、テストの設問を理解するテストなのに、新井氏はそれをビデオの最後に「教科書の読解力」と言い換えていた。(私がなぜこれほど「教科書」という言葉に注意してみていたのかは下の(注1)をご覧ください。) 教科書といえば学校教育。  私はそうやって手元にある事実をつなげていきました。  そうしたら、下村博文氏(ベネッセ)が何をしようとしているのか、まるでぼやけていたカメラのピントがあってくるようにスーとわかってきました。(このテストを広めて学校教育にいれたいの? その時、ベネッセが出てくるの?あの愉快そうなツイッターの文。。。。) わかった時、ぞーっとした。 5年もかけてこんなことまでしようとしていたの?と思った。 新井紀子氏は全部知っている。 知っていて、小学生新聞で小学生までだましているの?と思った。こんな愚にもつかない「読解指導」して。 このうれしそうなツイッターの文。 国民を騙して下村博文氏の気に入るように誘導するのが、新井紀子氏はそんなにうれしいの?と思った。          私が出会った国語の先生は「生徒をどう教育することが一番良いことなのか」いつも考えている先生だった。 新井紀子氏が考えているのは、「下村博文氏(ベネッセ)のたくらみに人々を気づかせないで、どうやってたくさんの人にこのテストを受けさせるか」それだけですね。(それがうまくいったときは、新井紀子氏はとてもうれしいのでしょうね。 「ベネッセへの利益誘導だ」というみんなの批判にこたえるこのツイッターの文面からそれがわかります。 下村博文氏(ベネッセ)の気に入るように自分が事を運べた時、新井紀子氏はとてもうれしいのでしょうね。言い方がウキウキしている。  事実についての記述だけでなく、小説文の読解を学ぶこともとても大事なのですよ。 そうするとこのツイッターの文章から新井紀子氏が愉快そうなのがわかります。   (例えばこれが小説文の読解だったらこんな風に問われます。 「この文を書いた人はどんな気持ちだったと思いますか。」 答え「うれしくて得意な気持ち」 問い「どの言葉からそれがわかりますか」 答え「(その1)定款を正確に読める読解力を身に着けることをお勧めします。という言葉。 相手にあなた方は読解力を持っていないと指摘している。(私は定款が読める、つまり相手の能力の欠如を指摘することにより自分の方が能力が上だ、といっている。) (その2)妄想ともいう、という言葉。 「妄想とは根拠のない主観的な想像や信念、病的原因によっておこり、事実の経験や論理によっては容易に訂正されることがない 例誇大妄想、被害妄想(広辞苑)」相手に対して病的なまでにおかしいと指摘している。 1,2より、相手に対してかなり自分を優位に置いていることがわかるので、うれしくて得意な気持ちを表している。となるでしょうか。  前者に対しては「定款を読んでください」といえばいいし、後者に対しては「誤解です」といえば済むところです。。。。。 私はそう感じて、初めて読んだ時から「何か変だ」と思っていました。)  この文章を読んだときの違和感が「新井紀子氏、ベネッセ、下村博文氏」この構造をたどっていく引き金になりました。  そういえば彼女のこのテストには、小説文についての読解力は含まれていませんね。 論説文も随筆も含まれていません。 150字の読解力など量るくらいなら、成長期の子供にはたくさん文章を読ませて根本的な読解の能力、すなわち「読み取る量」を増し、「読み取れる深さ」を増す訓練をする方がはるかに有益です。 (小説文の読解は絶対にこのテストに入れた方がいいです。 こういう計画にだまされないためにも。)      悪だくみの隠れ蓑(みの)に国語教育を利用するのは「国語教育を冒涜している」と思います。

新井氏は「大学生数学基本調査」の下の問題の誤答をみて、「読解力がない」と思ったと上記の本の175ページで述べていますが、この問題に誤答するのは読解力の問題ではなく数学の学力の問題ではないのですか。  本当にこの問題の誤答(理由の誤答)を見て「論理的な読解と推論の力(同183ページ)がない」と思われたのですか。
問題 偶数と奇数を足すと、答えはどうなるでしょうか。 次の選択肢のうち正しいものに〇を記入し、そうなる理由を説明してください。
(a) いつも必ず偶数になる。
(b) いつも必ず奇数になる。
(c) 奇数になることも偶数になることもある。
答えは (b)  理由
偶数と奇数は、整数m, nを用いて、それぞれ2m, 2n+1 と表すことができる。そして、この2つの整数の和は、   2m+(2n+1)=2(m+n)+1   となる。 m+nが整数なので、これは奇数である。

私がこの文章をブログの一番上に書かなかったのは、都合の悪い内容が更新されているとわかったとたん、政府から妨害が始まるからです。 できれば、政府からの妨害が始まる前に皆さんに読んでいただきたいと思いました。  青字の部分の主旨は、新井紀子氏は下村博文氏のたくらみの実行部隊だということ。もし何かを決める会議の委員の中に新井紀子氏がいたら、会議の結論はすでに決まっています。 新井紀子氏が下村博文氏の意向に沿って議論を誘導し、下村氏の気に入るような結論になる。と決まっています。それが新井紀子氏の役割です。 下村氏の気に入る結論が出れば、新井紀子氏はベネッセの利益誘導を否定した時のようにうれしいのでしょう。
以上2021年2月3日加筆

(注1)
なぜ私がこれほど「教科書」という言葉に注意して彼女のHPにあるビデオを見ていたのか、その理由をお話します。

私の息子は小学校1年生の9月に日本の小学校に転入しました。冬休み前の12月の個人面談で担任の先生から次のように言われました
「太郎君は話している時の日本語には問題はないのですが、教科書を読ませるとどこで切ったらよいのかわからなくなってしまうようで、全然読めないんです。  あれ~、どうしちゃったの、太郎君って思いました。」

先生のお話の仕方から、他の子は読めるのに、太郎だけが読めないのだと私は思いました。 みんなが普通に読めるものが読めないというのは問題です。  その日から夕方5時に遊びから帰ってきた息子を夕食の支度をする私の横に立たせて毎日国語の教科書を音読させました。 それは中学3年生の9月に日本の中学校に転入した娘も同じでした。  志望高校の出題に作文がありました。 それで作文を書く練習をさせたのですが、作文がなんだかわからないから書けませんでした。 仕方ないので、全国作文コンクールの入賞作品集を買って、「これが作文よ。 毎日少しずつ読んでごらん」といったのですが、ちっとも読まないので、音読させたら、つっかえつっかえで全く読めませんでした。5文字ごとにつっかえるような感じでした。 「息子の時と同じ。 日本の子は読めるのに、うちの子は読めない」と思いました。  仕方ないので、私がその中の2,3個の作文を音読してテープに吹き込み、「毎日聞いてみて。 作文はどう書くのかわかってくるから」といいました。 (アメリカに行ったときは地理の用語集を英語と日本語でテープに吹き込んで聞かせ、日本に帰ってきたら作文を読んで聞かせ、使っていない言語の習得はどこに行っても大変なんだ、と思いました。)  
こういう経験がありましたので、新井氏のHPで「教科書がすらすら読める子」「ほとんど読めない子」という表現を見た時、日本で生れ育っても、教科書が読めない子がいる、ということに私は驚きました。  私は、新井氏が中学生に実際に教科書を読ませて、「教科書がすらすら読める子」と「ほとんど読めない子」がいることを調べたのだと思いました。  「すらすら読める」と書いてある、ということはきっと音読させたのだろうと思いました。 音読なら、すらすら読めても間違って読んでいないか後で必ずチェックする必要があるから、そのデータは保存されているはず。 「教科書がほとんど読めない子」の音読を聞きたいと思いました。 太郎と由紀子と同じくらい読めないのか聞きたいと思いました。  たとえ実際の音読がアップされていなくても一分間に何字くらいしか読めないのかくらいは話があるだろうと思っていました。  そうすれば、自分で再現してみればわかると思いました。  帰国後の私にはいつも「日本語が読めない」という問題が、重くのしかかっていましたからそれが私の一番の関心事でした。  

でも、ビデオにはそのデータはありませんでした。  新井氏は自分のテストがよくできた生徒を「教科書がすらすら読める子」と言い換えていただけでした。 彼女の「AI vs 教科書が読めない子供たち」という本にも、実際に中学生に教科書を読ませたことに関する記述は全くありませんでした。 彼女は実際に生徒に教科書を読ませていたわけではありませんでした。 研究者が実際にやっていないことをキャッチフレーズにしていいのですか。 新井紀子氏は「教科書を読む」その学習行為自体については、何のデータも取っていません。研究者が実際にデータを取っていないことを研究の結論として提示することに問題はないのですか。  (その後、彼女が「教科書」という言葉を使うことが非常に大事だった理由に私は気づくことになります)


彼女は前出の本の222ページで「読解力は読書量とは関係ない」と述べています(彼女のテストの得点は生徒の読書量との相関がないそうです)が、私は関係ないとは思わないので、私が読解力についてどう思っているか、書きたいと思います。

先にも書きましたように、息子は小学校1年生で教科書が読めませんでした。 読ませる練習をさせましたけれど、2年生になったら接続詞の使い方がよくわからないようだ、といわれました。 それで、接続詞も教えました。  でも4年生になったら、教科書も読めるしテストの問題も理解できるのに、ちっとも日本語の本を読まないことに気づきました。 日本語の本を読む、ということが大変だったのだろうと思います。 それで1年半かけて本が読めるようにしました。 教科書の音読や接続詞と違いこれだけ時間がかかったということは「本を読む」ということはいろいろな力がいることなのだろうと思いました。

そういう経験をして私は、読解力について次のように考えています。  

大きな船で海を渡ると海面にはたくさんの白い波が立っているのが見えます。  人間の持つ読解力というのは、この大きな海のようなものだと私は思います。海に立っているたくさんの白い波、その一つ一つがテスト問題を読む力であり、詩を理解する読解力であり、論説を理解する読解力なのだと思います。 そして本を読むことはこの海が持つ読解力そのものを作る力を持っているのだろう、と思います。  だから今までの日本の教育で読解力といえば本を読むことが言われてきたのだと思います。  そしてそれは間違っていないし、日本だけの考え方でもありません。

アメリカにいた時、娘のリーディングの授業の宿題を一緒にやりました。  一年間の授業で(今思い出せる範囲で)4さつの本を読みました。  最初は160ページの本、2冊目は260ページ、3冊目もそのくらいだったと思います。 最後は300ページの本でした。 ですから1年間の授業で1000ページくらい生徒は読むことになります。 そして授業では読んだ内容について勉強します。 新井氏のリーディングスキルは150字のテストの問題を読むことですが、リーディングクラスのメインの活動は本を読むことでした。  私の友人の子供は高校のEnglish (国語)のクラスの最初の授業でフィッツジェラルドのThe Great Gatsby を読んだといっていました。  つまり、日本だけでなくアメリカでも読解力の基礎をつけることに本を読むことは非常に重要だと考えられています。

私が最初に夫の赴任についてシカゴに住んでいたころ(今から30年前)、テレビ番組では「アメリカの子供たちの学力が低いのをどう解決すればよいか」という問題がよく取り上げられていました。 その問題を解決しようといろいろな取り組みを行っている先生方の活動が紹介されました。  やはり本を読むことを重点にした活動が多かったですね。  その根底には「本を読むことが学習の基礎を作る」という先生方の考え方があると強く感じました。

2度めの赴任の時はテレビでそういう話を聞くことはありませんでした。 けれども、私は「生徒にいかにして本を読む習慣を身に着けさせるか」を生徒と実践しながら研究した先生方のグループの活動をまとめた本を読みました。  読みながら、「本を読むことが学習の基礎を作る」という考え方が、すでに先生方の共通の認識になっていることを知りました。

私は日本の先生方が、子供たちに本を読めるように活動なさっていることは、学習の基礎を作るうえで非常に役に立っていると思っています。 新井氏は読解力に読書は関係ないと述べていますがそのようなことはないと思います。



そしてもう一つ、先生方の本を読む指導が重要だと思う理由があります。

国語教育は「読む」ことだけではありません。 「書く力」も育てなければなりません。 「書く力」は思考力を育てる、ということで今、非常に重要だといわれています。 「書く力」は、150字のテストの問題を読む力では決して育ちません。

「書く力」は「読む力」と密接に関係しています。  これは英語教育からわかったことです。  私自身高校卒業時には、英文エッセイ(小論文)は書けませんでした。  習った構文を使って文を書くことで精一杯でした。  私が英文でエッセイが書けるようになったのは大量の英文読書をした後でした。  つまり本を読んでいないと論旨を一貫させてまとまった文章を書くことはできませんでした。 150字のテストの問題を読む読解力では、「書く力」をはぐくむことはできません。

そういう意味で、先生方がなさっている読書指導は、「読む」ことによって育つ「書く力」もはぐくむという点でとても重要だと思います。 読むときに育った思考力が書くときの思考力に持ち込まれている、という気がします。 


私の後ろには、学校を動かせる政治家もいませんし、潤沢な資金を持つ業者もいません。  だから私が何を言おうと鎧兜で武装した人に素手で戦うようなものでしょう。  それでもこのブログを書いたのは、地道に子供たちに本を読む指導をしてくださっている先生方を応援したかったからです。  新井紀子氏は読解力は読書の習慣とは無関係といっていますが、そんなことはありません。日本だけでなく、本を読むことの重要性はアメリカの先生たちの間でも広く認識されています。

また、本を読むことが国語教育のもう一つの基礎、「書く力」を育てることは紛れもない事実です。 先生方がなさっている読書指導は、国語教育、子供の学力の基礎を作る上でとても重要です。  地味で、時間がかかるご指導ですけれど、「読む力」「書く力」「思考する力」の大きな海を育てる大事な指導ですので、ぜひ、続けていただきたいと思います。  

読解力の問題だけでなく、本を読むことによって子供たちはいろいろな世界を知るようになります。 「理想の社会はどんな社会か」コンピューターは考えないけれど、人間は考えます。 教育はその子(人間)が持っている能力を引き出すもの、伊勢田先生の教育原理の授業を受けて思ったことは今も変わらないです。

150字のテストの問題を読むことが読解力などと思っていたら、とてもアメリカには勝てないです。(アメリカだけでなく世界のいろいろな国に勝てないです。 子供たちに骨太の思考力は生まれませんから。) 彼らは読むことも書くことも日本とはけた違いに学校で教えています。  下村氏はとにかくテストを学校教育に導入する。 教育の中身よりテストのことばかり。 教育の中身は英語のスピーキングにしても「書く力」にしても具体的に学校でどう教えたらよいかについて先生方と話し合うこともしない。ほったらかしです。  こうやって教育をだめにして日本の国力はどんどん低下します。 下村氏は日本の国力をどんどん低下させています。 まるで日本は教育をはく奪された植民地のようです。 下村さんは、どうしてそこまでして日本の国力を低下させようとするのですか。



最後に一つ気になったことがありましたので書きます。

新井紀子氏の「AI vs 教科書が読めない子どもたち」という本の204ページに彼女の作ったテスト問題のサンプルが載っていました。 引用させていただきます。
* * *
次の文を読みなさい。

アミラーゼという酵素グルコースがつながってできたでんぷんを分解するが、同じグルコースからできていても、形が違うセルロースは分解できない。
この文脈において、 以下の文中の空欄に当てはまる最も適当なものを選択肢の内から一つ選びなさい。

セルロースは(   )と形が違う。

①でんぷん
②アミラーゼ
グルコース
酵素

* * *

もしこれを公立高校の入試で「教科書を読む読解力をはかるため」といって出題したら、教育委員会には保護者や中学校の先生方から抗議が殺到すると思います。  教科書を読む読解力をはかるなら、「問い」はアミラーゼに関するものであるべきだと保護者や先生方は当然考えると思います。 この問題が出来なかった生徒を「教科書を読む読解力がない」と断定するのは不当だと誰でも思うでしょう。 



私はブログを書くととても体力を消耗します。  ブログの中には書くのに1か月かかったものもありますし、原稿を何度も書き直して、プリントアウトした紙が100枚を超えたものもあります。  書き上げるまで、起きてから3時過ぎまで何も食べられなかったこともありました。

昔話の「つるの恩返し」に出てくる鶴が化身した娘は布を織るたびに痩せていきました。 私は鶴のように若くて美しい娘ではないですけれど、ブログを書くたびに体力が消耗するところが「つるの恩返し」みたいだ、といつも思っていました。 それでも、何とかして子供たちを守ってやりたいと思っていました。

12月の終わりから体調が悪くて、何もできませんでした。  しばらく休もうと思ったのですけれど、読書指導をしてくださっている先生方を応援したかったので、今日はこの部分を書き足しました。  先生方がなさっていることは子供たちにとって、とても大事なことです。  本を読むことは決して読解力と関係ないことではありません。  地味で大変な指導ですけれど、子供たちのためにぜひ続けていただきたいと思います。




これを読解力のテストだといわれて購入した場合、購入した人は表示と違うと感じると思います。
こういうテストを「読解力のテスト」として販売するのは誇大広告であり、不当表示です。 法律に違反しませんか。 消費者による「合理的な選択」を阻害する恐れがあります。  きちんと「テストの設問に答える能力テスト」とするべきです。

この程度のことで「読解力」「読解力」と騒がないでください。 だから新井紀子氏は「燃える太陽」という表現に「宇宙空間には酸素はありませんから太陽は燃えません」などという飛んでもない「読解指導」をするんです。 文学も知らないのに読解読解と騒がないことです。 これは学習塾が得意とするテストのための教材だと思います。

私は文学を学んだこともない新井紀子氏に国語教育に口を出す資格はないと思っています。
新井紀子氏は国語教育を冒とくしていると思っています。
新井紀子氏に読解力の指導をする能力はありません。

新井紀子氏がこのテストを広めたいのは子供たちの為ではないと私は感じています。 なぜならこんなものは子供たちの読解力の向上にはほとんど訳に立たないと思うからです。 テストに答える能力の練習にはなるかもしれませんけど、教育はテストの前によく理解させることの方が大事だと考えますので。一体何のためにそんなに熱心にこんなテストを宣伝するのだろう、という疑問を私は持っています。 それは学習塾の仕事ではないですか。


もう15年も昔になりますが、「This Present Darkness」という本を読みました。 ずいぶん昔に読んだので細かいことは忘れましたが、本の中で、ある町が邪悪な勢力に乗っ取られていきます。 人々が気づかないうちに大学の学生や警察署の警官が一人、二人、と洗脳されて、やがて町全体が乗っ取られていきます。 乗っ取りは、ひたひたと進行します。 家族を洗脳された人が、それに気づき、命がけで真相を探っていきます。  そして最後は良き人々と邪悪な勢力との戦いになります。 この戦いは人間だけではなく、善悪双方の人間についている霊的存在、わかりやすく言えば天使と悪魔のような存在の間でもはじまります。 2つの戦いは連動していて、最後の場面で良き霊的存在のリーダーがやられてしまいそうになった時人々の祈りが彼に力を与えて勝利します。  

私がこの小説を今も覚えているのは、最後の場面で町を救った天使たちが、「ここの町は救われた。 我々は次の土地に行って仕事をしなければならない」と旅立つ場面がとてもさわやかだったからです。

今の日本の教育を見ているとこの物語とよく似ていると思います。 邪悪な下村博文氏が新井紀子氏のような手下を使って、彼らをいろいろなところに配置し、計画をひた隠しにして悪だくみを浸透させ、ひたひたと乗っ取りを進めます。 新井紀子氏のような人は後ろに悪だくみがあることを知りながらそれをおくびにも出さず、人々をそちらに誘導する。 このビデオのように悪だくみに全く気付かれないように「これは子供に役立つものだ」と力説する。 そうやってひたひたと邪悪な勢力による乗っ取りが進行する。 まさに今の日本の教育は「This Present Darkness」だと思います。

新井紀子氏はツイッターのトップに「信頼が崩壊した社会は無駄にコストが高い。name callingはやめませう。」とかいています。name-callingというのは悪口です。

それは下世話な悪口もありますけれど、彼女がこう言うのはひたひた邪悪な勢力を人々の中に浸透させるときに、それに「おかしい」と気づいた人に声を挙げられるとみんなが気づいてしまうから困ると思っているのではないですか? 実際私は朝日小学生新聞に掲載された彼女の「読解力の指導」を「 何の薬にもならない文章」と批判している人のツイッターを読まなければ、新井紀子氏のことを知りませんでした。 何度か名前は聞いたけれど、数学者ですし私とは関係ない分野の人だと思っていました。  たまたま彼女の読解指導を見て、あまりのひどさに怒りが爆発しました。 国語教育を冒とくしていると思いました。 (冒とく: 神聖・尊厳なものをおかしけがすこと。(広辞苑)  いろいろなことを発信して教えてくださる方は貴重だと思います。

私は彼女のひどい「読解指導」を見て、2,3日、あまりよく眠れなかったので、昨日はすごく疲れていました。 そのせいか、昨夜、お布団に入った時、急に「なんで教育には下村博文氏とか新井紀子氏とか悪い人ばかりいるんだろう」と思ったら、ぽろぽろ涙が出てきました。相当疲れていたのでしょうね。 やさしい曲が聞きたくなって、イヤホンでこの曲を聞いていたら、泣いたままねむってしまったみたいで、気が付いたらもう朝になっていました。   「This Present Darkness」の物語ではないですけれど、最後は邪悪な下村博文に先生方が打ち勝つことを祈って私もブログを書いています。

乗っ取りはひたひたと進行します。 特にベネッセのいるところは「利益誘導はない」と新井紀子氏のように言う人がいても、注意を向けていた方がいいと思います。 今も、どんな悪だくみがひたひたと進行しているかわからないと思います。 この先も、第2、第3の「新井紀子氏」が現れて、悪だくみを隠して、何かに国民を誘導する可能性は十分あると思います。 




(1月18日)eポートフォリオのブログを書いたとき、「これは学習塾の市場データを国家に集めさせるものだ」と私は直感しました。新井紀子氏のこのサイトこちらのニュースのページを読んだとき、私には根拠はないけれど、「もしかしたらこうなのではないか」と思ったことがあるので書くことにしました。 おそらく「違う」と当事者は否定すると思います。 否定されたら否定されたでいいです。 本当はそうでないことを望んでいます。 でも心配だから書きます。
このリーディングスキルテストは、多くの学校に参加させてやがて学校教育(公教育)の中に取り入れさせて、その時に営利団体が出てくることになっているのではないですか。 民間試験のGTECと同じことが水面下で計画されているのではないですか。最初は全く営利団体の利益とは関係ない形で行って、学校教育(公教育)に導入させた時に、営利団体が出てくる筋書きなのではないですか。ベネッセとの関係を言われることをあらかじめ想定して準備していたように自信たっぷりにこう言う(妄想とか読解力(定款に対して)とか面白がっているように変な言い方をする)新井紀子氏のコメントがずっと引っかかっていました。彼女はこの筋書きを全部知っている。 その上で、教育関係者に「営利団体は関係ない」と信じ込ませてリーディングスキルテストを広めるのが彼女の役割ではないですか。
 でも一番、変だと思ったのは、私が「新井紀子氏が国語教育を冒とくしている」と書いたとき、「政治家とお金」のことを書いたときのようなきつい妨害が始まったこと。 何か「新井紀子氏の評判を落としてはならない」みたいな妨害する側(政府)の強い意図を感じました。確かに読解力を売り物にする彼女に私が「新井紀子氏は文学も学んでいない」「新井紀子氏の読解指導は国語教育を冒涜するものだ」などと言えば困るでしょう。 でも、それにしても「リーディングスキルテストを勧める彼女の評判をそこまでして政権が守る理由は何なの?と思いました。「彼女を守ることが政治家の利益につながるの?」って思いました。
 
私のブログは政府から激しく妨害されています。 出来れば、ツイッターをお持ちの方は拡散をお願いいたします。 文学さえ学んだことのない人がリーディングテストを分析するだけで、読解力の権威のようなつもりで発言されるのは社会にとって大変危険です。子供たちの国語力の向上の為に地道に時間をかけて努力していらっしゃる国語の先生方の存在は目立たないけれど、高く評価されるべきだと思います。そして結局、そういう努力が一番子供たちの国語力向上に役に立つと思います。

1/17 私のブログには、はてなブログタグ「#下村博文」(このブログの一番下にあります。その文字をクリックするとジャンプできます)というところからのアクセスが毎日「アクセス分析データ」にあったのに、3日くらい前から全然出てこなくなりました。 また政府がなにか操作したのですか? 

(1/16) 私は今日このブログの最後に国語教育を全く専門的に学んでいない新井紀子氏が「文学的文章を理科の事実であげつらう」のは国語教育に対する冒とくだと書きました。 国語教育の専門家は間違ってもそういう指導はしないからです。 ブログアクセスは一桁はこえましたけれど、かなりきつい政府からの妨害を受けています。  新井紀子氏が国語教育について全く専門的に学んでいないと言われると何か困ることがあるのでしょうか。 新井紀子氏の理科の読解力の付け方が、国語教育を冒とくするものだといわれると何か困ることがあるのでしょうか? あるいは困るのはベネッセなのでしょうか?  「テストの分析」=「国語教育」ではありませんよ。
私は中学一年生の時、先生がしてくれた、スタインベックの「赤い小馬」の朝食の描写の説明に驚いて、自分もそういう文章が書けるようになりたいと思って文章を書くことに興味を持ちました。誰に言われたわけでもないけれど、良い文章が書けるようになる努力をしました。 国語教育の道を歩いてきた「本物の国語の先生」のしてくれた授業にはそれだけ子供の心を動かす力がありました。  テストで生徒がどの問題を何割間違えてその原因は何か、とかそんなことばかり調べているのが国語教育ではないですよ。この先生の授業に比べたら、新井紀子氏の国語教育は底の浅い無免許運転の国語教育です。 文学的文章を理科の事実であげつらうなどレベルが低くて目も当てられない。 新井氏ご自身が文学もまともに学んでいないのだから子供を突き動かす力なんかない。 新井紀子氏は国語教育を専門的に学んでいないから、国語指導の材料も空っぽです。何も自分の中に持っていない。 だからこんなレベルの低いことしか言えない。 お粗末な国語指導です。(私はとても国語教育などと言える代物ではないと思っています) 国語の先生方は何もおっしゃらないけれど、内心あきれていらっしゃるのではないですか。 あるいはばかばかしくて反論する気にもならないのかもしれません。 「燃える太陽」という表現に「宇宙空間には酸素はなく、太陽は燃えません」では、この人とまともに文学の話など出来ないと思うのが普通ですね。 しかもご本人は国語教育さえまったく学んでいないのに「読解力の権威」気取りで臆面もなくそれを朝日小学生新聞に書いているのですから、国語教育の専門家からしたら「もう救いようがない」と思うのが当然ですね。       「読解力」「読解力」と騒がなくたってその子の興味に合った良い本に出合えば読書の楽しさを知って本を読むようになります。読解力も上がります。 その子が好きな本を探すのはテストの点を分析するより、ずっとずっと手間がかかって時間がかかって失敗もしますけど。 読む楽しさを知れば、子供はテストの分析で指導されるよりずっとずっと長く本を読むことで読解力もつけていきます。 新井紀子氏のやっていることは国語教育なんかじゃありません。 文学もまともに学んでいない人が生徒の心を動かす国語教育なんかできるわけないじゃないですか。 無資格者の底の浅い無免許運転の国語教育です。 点数上げたい子はよく聞くでしょうけど。 子供の心を突き動かす国語教育に文学さえ学んでいない偽物はいらない。

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ここからが今日のブログの本題です。

私がアメリカにいたころ、私の周りのニュージャージーの高校生は本当によく勉強していました。 学校の勉強はもちろん、論理的に思考を組み立てて書く練習もよく指導を受けて訓練していました。 下村博文の金儲けに都合のいいように学校教育を変えていたら、日本の子供たちはとてもそういう教育を受けた人たちに勝てないです。 この歴史の先生が授業中おっしゃった言葉で今でも忘れられない言葉があります。 それは、中学2年生の時、植民地について習った授業でした。 「その国にとって最もおそろしいことは、教育をはく奪することだ」先生はそうおっしゃいました。  中学生だった私は強制労働より主権がないことより「教育をはく奪することが一番恐ろしい」という意味をはっきりと感じることができませんでした。 言葉として理解できても実感としてわかりませんでした。 だから理解があいまいになると思いました。 それで、私は教育をはく奪されたら、どういうことが起こって恐ろしいことになるのか。 それを具体的に考えることにしました。 中学生の幼い頭で例を挙げて一つ一つ考えてみました。  その後、教育をはく奪されることについて、折に触れて考えました。 高校生になった時、ある国で政府への抗議が広まった時、それを見てきた人が、「彼らは教育を受けていないから、抗議行動の時、スクラムを組むことも知らない。 それぞれの人がばらばらに立って抗議の声を上げるだけなんです。」といっているのを聞いて、教育がないと抗議行動も強力に出来ないんだ、と思いました。 そうやって折に触れて、「教育をはく奪される恐ろしさ」を、自分で考えていました。 日本ではそういうことがないから、自分にはピンとこないのだろうな、と思っていました。 ところが今、下村博文のやっていることを見ながら、私は、下村博文のしていることは自分の金儲けのために日本の子供たちから「まともな教育」をはく奪することだと思いました。 また、大学入試で民間試験を必須とすることは経済的に恵まれない子供から教育をはく奪することだと思いました。(各大学が個別でスピーキングテストを実施できないと知ったうえで、スピーキングテストを実施しろ、というのは民間試験を必須とすることと同じです。 下村博文が「自分は言っていない、各大学が民間試験を選択しただけだ」と言い逃れできるなおさらあくどいやり方です。) 英語教育の専門家である私から見たら、下村博文のやっていることは、「正しい発音でスピーキングできるようにする教育」を子供たちからはく奪するものです。 テストをするだけでは子供たちは何のスピーキングスキルも習得しません。 記述式を見たって、下村博文のやっていることは、自分の金儲けのために子供たちから「真に思考力や判断力を養う教育」をはく奪して、ただテストをさせるだけです。  日本は植民地でもないのに、自国の国会議員によって「まともな教育」が子供たちからはく奪されようとしている。経済的に恵まれない子供達から教育がはく奪されようとしている。 私はそう思いました。 授業で教えもせずに、業者のテストをさせてスピーキングや記述式をやらせればいいなどと言っていたら、子供たちはグローバルな世界でとてもやっていけません。 大学入試を業者が儲かるように決めている国なんか世界にありませんよ。国会議員が業者とつるんで入試で儲けようとしている国などありません。少なくとも私は先進国の中でそういう国は知りません。 そんな教育では、とても子供たちに国際社会の中でやっていく実力はつけられません。 下村博文は日本の外をよく見るべきです。 下村博文アメリカやフランスなど海外の学校に行ってその教育をみてきたらいいです。 業者を儲けさせるような教育をしていたら、日本の子供たちはとても彼らに太刀打ちできないことがわかるでしょう。 ことは日本の中だけでやっていれば済むことではないんですよ。 子供たちはこれからそういう教育を受けた人たちがいるグローバルな社会でやっていかなければならないんですよ。 いつまでも通じない英語で話させているわけにはいかないんです。 いつまでも「自分の意見も説得力を持って言えない」ようでは困るのです。 そういう教育は日本人が本気で取り組んでも大変なことなのに、ましてや国会議員と業者がつるんで儲かる仕組みを作ることばかり考えていたら、とても出来ないことなのです。 日本は植民地でもないのに、自分の国の国会議員によって子供たちの「まともな教育」がはく奪されようとしている。 

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大人になってから私はこの「教育をはく奪することが最も恐ろしい」とおっしゃった先生(こちらのブログに出てきた先生)に「家永教科書裁判」についてお聞きしたことがありました。 (私は検閲の問題は重大だと思っています) そうしたら先生は次のようにお答えになりました。  「先生はどんな教科書を使おうと君たちに教えるべきことは教える」  きっと「教育をはく奪することが国にとって最も恐ろしい」ということもこの先生が私たちに教えておかなければいけないと思われたことなのだろうと思いました。  この先生の授業はいつも先生の信念で貫かれているような授業でした。 言葉の一つ一つが心に突き刺さるような授業でした。 大事なことをおっしゃるときは全身の力を込めて私たちに言葉を語っているようでした。 けれどもやさしく諭すような言い方をされることもありました。  あるとき「六法」とはどの法律を言うのかを習ったとき、少し早めに授業が終わってみんなが教科書とノートをしまったら、先生は「六法」とは何か言ってごらん」とおっしゃいました。 私たち生徒はみんなで次々法律の名前を言いました。 今日習ったばかりの難しい法律の名前も言えました。  でも、5つしか法律の名前を言えませんでした。 「あとはなんだっけ?」とみんなが考えていたら、先生が笑いながら「憲法だよ」とおっしゃったので、みんな笑ってしまいました。 ふいに言われたとは言え一番大事な法律が抜けていました。 すると先生は「まだまだみんな先生に頼っているぞ。 勉強は自分でするんだよ」とやさしくおっしゃいました。 「先生は、先生の授業を受けた君たちが大人になって社会に出ていく時を楽しみに教えている」そうおっしゃっていました。 これからの社会を生きる生徒に、先に生まれた人間として、どうしても伝えたいことがあり、それを伝えながら先生は私たちを教育してくださったのだと思います。

中学2年生の時から私は、「なぜ教育をはく奪されることが国にとって一番恐ろしいのか」考えてきました。  その答えの一つが国民がまともな教育を受けられなかった影響は社会のあらゆる分野におよぶということです。  思考力や判断力を育てるとか言いながらベネッセのアルバイトが採点するようなテストを導入していたら、社会のあらゆる面に影響を及ぼす国民の思考力や判断力は失われていきます。  もう一つ教育がはく奪されるのが恐ろしい理由は、教育をはく奪した結果はすぐには表れないということです。 その影響は人々が気づかないうちに徐々に進行し、時間がたってその結果が表れて国がガタガタになってきたときにはもう立て直すすべさえ知らない人が圧倒的に多くなってしまっている、ということです。 ある研究者の方が、(虐殺などで)多くの人材を失ったら100年やそこらでは社会は立て直せない、とおっしゃっていました。 今、一人の国会議員(下村博文)の金儲けのために、まともな教育をはく奪されたら、やがて日本は国際社会の中でやっていく力を失います。 

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こちらは数日前、羽藤由美先生がリツイートしていらした新井紀子氏の文章です。  これを読んで私が感じたことを書きます。 誰がどういう文章を書いても私がとやかく言うことではありませんが、新井紀子氏が「読解力の指導を子供たちにしている」と聞きましたので、私は書くことにしました。 結論から言うとこういう方に国語教育をされるのは困ります。文学的文章に科学的事実で突込みを入れるような国語教育(?)は本来ありません。 そんな文章は生徒に読ませるだけで害があります。 国語教育をきちんと学ばれた国語の先生方は決してそういうご指導はなさいません。 経歴を拝見すると、 新井紀子氏は国語教育を専門的に学ばれていません。 そういう素養のなさがこういう時に露呈します。 国語教育の専門家なら絶対に犯さないような基本的な間違いを犯します。 間違った国語教育をすると、国語教育の大事な目的の一つ、生徒の文学的文章を理解・鑑賞する力が失われます。「文学的文章を文学的文章として尊重する」という姿勢を生徒に育てるのも大事な国語教育です。 そういうことが自然にわかるのが国語教育者の素養です。 新井紀子氏はきちんと国語教育を学んでください。 「国語教育をきちんと学んでいない」というのは致命的な欠陥です。 指導の根幹に素養が欠如しているからです。



読書をしてたくさん文章を読んでくると文章には科学的な事実が書いてある科学的文章と、著者の感性や主観から書かれた文学的文章があるということを自然に体得します。 国語教育では指導する文章にいくつかジャンルがあります。  同じジャンルであっても、文学的文章と科学的文章は異なる種類の文章ですので、文学的文章と科学的文章には、それぞれ異なる文章の書き方があり、ことなる評価の仕方があります。 それが混ざりあうことはありません。  ですから、文学的文章に対して科学的事実での批判から始まるこの新井紀子氏の文章には、読み始めた時、私は大変違和感を感じました。  新井氏は読解力の指導をなさっているということですが、もう少し、ご自身が良い文章をたくさん読んでから、子供たちの読解力のご指導をされた方がよいのではないかと思いました。  なぜなら、科学的な文章も文学的な文章もごちゃ混ぜにしたような新井紀子氏の文を読んだ時の違和感が、帰国子女の私の娘に文章を書かせる練習をさせた時に感じた違和感と似ていたからです。 (経歴を見せていただくと、新井紀子氏は海外での学問のご経験も数年おありのようですけれど、成人されてからですから、娘のようにその影響があるわけではないと思います。 けれども「太陽がのぼる」という表現に対して「そもそも太陽は上りません」とか「まっすぐに続く水平線」という表現に対して「水平線はまっすぐではありません」とか「オレンジ色に燃える太陽」という表現に対して「宇宙空間に酸素はありませんから太陽は燃えません」とか「いまどき、文学的文章に対してこんな突込み入れないで。」と思うような、非常に稚拙な文章なのも娘の文によく似ていました。新井氏が子供たちに「この文章は理科として間違っているけれど気づいたかな?」といわれても、文学的文章というのはそんなことに気づきながら読むべき文章ではありません。 「書かれたイメージが浮かんでくるか」とか、文学的文章を読む場合の心構えは、科学的文章を読む場合とはまったく違います。 そういう読み方を訓練するのが文学的文章を読むときの国語教育です。 文学的文章を読んで理科の観点から間違いを探す、などというのは、間違った国語教育です。 いい加減な教え方をしないでください。生徒の国語力に害をもたらします。 こういう教え方は国語教育でせっかく培った子供たちの感性を壊します。   理科教育、国語教育、それぞれにあった教育の仕方があります。 こういう基本的なことも知らない方に国語教育(読解)をされるのは困ります。 子供の中には先生がこういうことをおっしゃると、本当に「科学的事実でないことは書いてはいけないんだ」と思ってしまう子もいるんですよ。  リツイートされた方が「何の薬にもならない文章」と書いていらしたのもそういう理由だと思います。 やはり子供たちに文章の指導(読解力の指導)をなさるのであれば、ご自身がもう少し、書物をお読みになって、良い文章にたくさん触れてからの方がよいと思います。  私は一応、プロの編集者の方にも新井紀子氏の文章を読んでもらいました。 彼女の返事は「川合先生の指摘に全く同感です。 この方は数学者なのに、なんで、読解力の権威みたいになっているのでしょうか。こんな人に何か言わせる前にすることがあるでしょう」とおっしゃっていました。  文学的文章と科学的文章の指導の違いもわからない方に国語指導(読解)を受けるのでは子供たちがかわいそうです。 読解力の指導と称して、文学的文章にこのような突込みを入れるような文章を読まされるのでは子供たちの国語教育としてはマイナス面の方が大きいです。 間違った国語教育はおやめください。  ご自身がもう少し文章の素養を身に着けてから、国語教育のご指導をなさってください。 子供たちのためにその方がよいと思います。 国語教育の基本(文学的文章と科学的文章の指導の仕方が違うこと)を知らない新井紀子氏の間違った国語教育では子供たちは文学を味わう能力を失います。 「国語教育の勉強が足りない」という点で、教育者として無責任です。 経歴を拝見いたしましたが、国語教育に関しては全く学んでいらっしゃいません。

(私自身は英語教育の専門家であり、国語教育の専門家ではありませんが、子供たちが帰国子女で国語力に問題がありましたので、国語教育についてはかなりの時間を割いて学びながら16年間行ってまいりました。 接続詞の説明(こちらのブログ)から読書(こちらのブログ)まで行いました。 ブログには書いてありませんが、娘が高校3年生の夏休みには毎日娘の書いた日本語の文章を二人で見ながら直しました。 文法的な間違いを直し、読み手にとって理解しにくい部分を読みやすいように書き直しながら、文章の書き方を教えました。 最初はひどい文章でしたけれど、40日間毎日書いては直していきましたら、9月には文法的に正しく、相手に理解されやすい文章を書くすべをだいぶ身に着けました。 私は中学生のころ「翻訳家になりたい」という作文を書いたこともあるくらい一時期興味がありました。 ですから、日本語の文章表現を特に注意して学んできました。(私が「文章を書く」ということに興味を持ったのは、こちらのブログに出てくる国語の先生がしてくださった「赤い仔馬」の解説を聞いた時の驚きからかもしれません。 「さりげない描写でこんなことまで表せるんだ」という驚きが、自分もそういう文章を書いてみたい、と思わせ、書くことに興味を持って行ったのかもしれません。)  良い文章を自分の中に蓄積させることについては私は中学時代から「本の世界に逃避するな」と教師に注意されるくらいたくさんの本を読んで良い文章に触れてきました。 高校時代以降は、この先生の影響もあって、いろんな本を読みました。国語の先生方のような専門性の高いご指導は出来ませんが、少しは文章の指導についても学んでいます。それで、国語教育の専門家ではありませんが、私の知っている範囲の国語教育の知識に基づいて書かせていただきました。 そうせざるを得ないほど、新井紀子氏の文章を読んだとき、強烈な違和感を感じました。新井紀子氏の文章(特に前半)はほとんどナンセンスです。 とてもまともな文章とは思えません。 国語教育においてこういう文章はありえません。 稚拙でまるで、お笑い番組の掛け合いのようです。 文学的表現を科学的事実で批判するような文章は、読むだけで子供たちの国語力に良くない影響を与えます。(文学的文章を文学的文章として尊重する姿勢を育てることは大事な国語教育です そういうことが自然にわかるのが国語教育者の素養です。) そんなことも知らない人が国語教育をするということが、大変な衝撃でした。 新井紀子氏は国語教育についてきちんと学んでください。国語教育をする人間が国語教育を学んでおくのは当然のことです。 文学的文章を理科の事実であげつらう文章など読んでいるだけで不快です。(私はTOEFLと英検の対照表を見た時、「自分が生きているうちにこんなものを見るとは思わなかった」と思いましたけれど、今回は、自分が生きているうちに、国語教育で文学的文章を理科の事実であげつらう文章など読むとは思いませんでした。 これを「数学者・新井紀子先生が、教科ごと(理科)に読解力の付け方を教えます。」(前出「朝日小学生新聞」)などと書いてあると「もう、やめて下さい」という感じです。) 上に書いたプロの編集者の方が「新井紀子さんが国語教育を学んでいないのに堂々と読解力について語ってしまう度胸は無知と想像力の欠如からくるのではないでしょうか。」とおっしゃっていました。 国語教育と称して新井紀子氏は本気でこんなものを書いているのでしょうか。こんなもの、国語教育を冒とくするものです。 考えれば考えるほど怒りがこみあげてきて昨夜は眠れませんでした。

文部科学省は、なぜ発音指導もCDも学校で生徒に与えないのか。英語教育産業を守るため。学校教育で発音完璧なスピーキングができれば誰も英会話学校へは行かない。

12/23公教育は利潤を追求するためにするものではありません。公教育の最も重要な事は社会的身分や経済的地位によって差別されることなく子供たちが教育を受けられるようにすることです。(教育基本法第4条)一方、学習塾や民間試験を行う企業は利潤を追求する団体です。同じ「教育」を仕事にしていてもこの2つの役割は明確に違います。物事は基本に帰ると明確に見えてくることがあります。この境を崩してしまったら、日本には、社会的身分や経済的地位によって差別されることなく子供たちが教育を受けられる場所がなくなるのです。 下村博文議員がもくろんでいるのは利潤を追求する企業を学校教育に入れることです。 それも「留学する生徒がTOEFLを受ける」などとは根本的に違う使い方をして「社会的身分や経済的地位によって差別されることなく子供たちが教育を受けられる権利」をはく奪するような使い方をすることです。 そういう使い方は絶対に許されないのです。 なぜならそういうことをしたら子供たちが社会的身分や経済的地位によって差別されることなく教育を受けられる場所が日本になくなるからです。 文部科学省下村博文議員からどれほど恫喝されても、子供たちのこの場所(学校教育)を死守してください。一人の国会議員が多くの子供たちの「教育を受ける権利」をはく奪することは許されません。 下村議員のすることは、明治以来、日本を支えてきた教育の基盤そのものを壊します。 戦後日本が目覚ましい復興を遂げたのは「すべての子供たちが教育を受けられた」という要因が大きかったと私はずっと思ってきました。お金持ちの子供だけが才能を持っているわけではありませんから。 それを可能にしたのが、日本の公教育だったと思っています。日本の公教育はある意味、日本の財産でした。 公教育と利潤を追求する教育は厳密に分けておかなければなりません。 下村博文議員のすることはこの公教育の基盤そのものを壊します。
昨日は夜の11時でもアクセス数は政府の妨害で「9」でした。 ツイッターをお持ちの方は、多くの方に上の内容を伝えてくださいますようお願い申し上げます。




12/17(木曜日)文部科学省は、正常な英語教育を行うために、英語教育に無知な人間に口出しさせないでください。 無知な人間とはどういう人か。
(1)カタカナ発音と英語発音の区別の出来ない人。
(2)英語教育の初歩から完成まで、どのくらいの期間がかかり、どのくらいの練習が必要か知らない人。
(3)英語教育を専門的に学んでいない人。
(1)(2)(3)に該当する人々が今まで、突拍子もない英語教育の方針を持ち込んで現場が混乱しました。(例:英語で授業、指導なしでのスピーキングテスト、その他) 経営学だの、歴史学だの、法学部出身者だの関係ない人が英語教育をめちゃくちゃにしました。過去の失敗から学び、二度と失敗を繰り返さない為には「英語教育に無知な人間に一切英語教育に口出しさせないこと」です。 これが過去の失敗から学ぶ教訓です。(ちなみに下村博文氏は社会科学がご専門のようですから、(1)(2)(3)すべてに該当します。従って、下村博文議員は明確に資格から外れます。だからこういう間違った発言をします。 生徒に音声モデルも渡さないでスピーキングテストをするなど、彼の目的が金儲けなのが露骨です。そんなテスト、何の効果もありませんから。(50年民間試験のスピーキングテストを受けても日本人のスピーキング能力は上がらなかった。年間500万人が民間試験のスピーキングテストを受けているのに日本人のスピーキング能力は上がらなかった。この上大学入試でスピーキングテストをしても日本人のスピーキング能力が上がらないのは明白です。英語教育を知らない下村議員はそういうこともわからない。) 無資格者に口を出させると、彼の金儲けと引き換えに日本の子供たちの「グローバルな世界でやっていけるスピーキング能力」が失われます。皆さんのお子さんのスピーキング能力が失われます。)蛇足ですけど、自民党WTも当然この資格から外れます。 従って自民党WTは英語教育に口を出す資格はありません。 保健衛生がご専門では英語教育は理解できません。
今日もパソコンの前に座って、私のブログのアクセスを妨害する人が政府にいるのですね。政治家の金儲けのために、子供たちに正しい英語教育をさせないよう、毎日パソコンの前に座ってブログの妨害をするのが、その人の仕事なのですね。  就職したときはまっさらな社会人だったのに、今は悪に加担するのがその人の毎日の業務なのですね。食べていくためには仕方ありませんか。 英語教師一人に随分ひどい妨害ですね。 言われた通り妨害をやっていればやめさせられることはないですからね。 今仕事を失ったら食べていけなくなるから、毎日政治家の言う通り妨害をするのですね。でもそうやって政治家の言うとおり、悪いことを毎日やっても、政治家のポケットに入ったお金は自分とは全く関係ないんですよね。 自分はただ政治家の金儲けのために、政治家に言われた通り、従順に「子供に正しい英語教育をしようとする人間」を妨害していればいいんですね。



12/15中学の「英語ごっこ学習指導要領」(ぼろぼろの発音で生徒に勝手にしゃべらせる)をそのままにして大学入試で各大学にスピーキングテストを義務付けても日本人のスピーキング能力は上がらない。下村博文氏が受験生にベネッセのテストをさせたい限り、どんな会議をしようと、どんな話し合いをしようと、どんな調査をしようと日本人のスピーキング能力は上がらない。下村博文氏がいる限り子供たちがグローバルな社会で活躍できる教育は出来ない。下村博文氏は皆さんのお子さんの未来を食い尽くす。下村博文氏は日本の教育を食い尽くす。下村博文氏がいなければ皆さんのお子さんは10年後(大学卒業時)ネイティブ発音で言いたいことをすらすら話しています。すべてを妨げているのは教育行政に下村博文氏がいることです。彼の金儲けと引き換えに子供たちの「グローバルな世界でやっていけるスピーキング能力」が失われます。



11/21昨日文中に「彼らが弱者を切り捨てるのは弱者は金にならないから」と書いたら、文部科学省の妨害がいっそう激しくなりました。ツイッターをお持ちの方は拡散をお願いいたします。

11/18現在、授業で教えないからぼろぼろの発音で生徒が英語を話しているのに「スピーキングテスト(高校・大学入試)をすれば4技能が上がる」というのは嘘です。自民党WTって母音も区別して発音できない人の集団ですよね。 文科省はなんでこんなド素人の意見を聞くのですか?(そう言えばこの人もド素人だった。なんでド素人のいうことばかり聞くの?それにしてもひどいコメントでした。 もう本文は削除されたようですけれど、最初のバージョンでは「失業者を量産します」という部分がありました。コロナでたくさんの企業が倒産している中、こういう言葉を平気で使うことにこの人の人間性に疑問を持ちました。誰が好きで失業なんかしますか? 羽藤由美先生がリツイートされたこの方もツイッターでこの言葉に怒っていらっしゃいました。同じく羽藤先生がリツイートされたこちらの方は「失業者」という言い方が差別的だと指摘されていました。 あまりにも無神経です。自分は失業などしない、と思っているからでしょう。 鈴木寛氏は強者の立場でしか教育を見られない。社会的弱者への視点はない。 こういう方は「公教育」に手を出すのはやめたほうがいいです。やめたほうがいいというより鈴木寛氏に「公教育」の立案は出来ません。 なぜなら、「教育の機会均等」を定めた教育基本法に違反するような政策を強引に進めようとしますから。事実それで大学入試改革は失敗しました。 鈴木寛氏には社会的弱者を切り捨てる発想しかありません。それで優れた教育が行われるかといえば、そうではなくて、全然効果のないスピーキングテストをやってベネッセを儲けさせたいだけなのですから、「強者」にとっても鈴木氏の方針は全く利益はありません。 「民間試験に効果がある」とだまされてお金を巻き上げられるだけでした。 彼はただの強欲な立案者にすぎません。鈴木寛氏が弱者を切り捨てる理由は「弱者を相手にしていたら金儲けができない」からです。 鈴木寛氏にとっても、下村博文氏にとっても弱者は金にならない。だから切り捨てる。そういうことです。でも公教育は金もうけのためにするものではないんですよ。 (生徒と保護者が一銭もお金を使うことなく子供たちをネイティブ発音でスピーキングさせる方法はこちらのブログに書いてあります。政府が私のブログを激しく妨害するのは、こういうことを言われると英語教育産業が儲からなくなるからです。業者が儲からなくなるから、不備を承知で子供にCDも与えない。それで「スピーキング能力向上の為、大学入試でスピーキングテストをしろ」という。何という政府・文部科学省なのでしょうね。スピーキングテストをやっても子供たちがスピーキング能力を習得することはありません。 学校で教えないのですから。 公教育をつかさどる政府・文部科学省は「社会的身分、経済的地位」にかかわらず、すべての子供が教育を受けられるようにする義務があります。(教育基本法第4条) 私たちはそのために税金を払っています。 政府内では下村博文さんが怖くてそんなこと言えませんか。確かに彼の「東大に民間試験をさせろ」という「恫喝発言」は異様で怖かったですね) こういう方(鈴木寛氏)は裕福な家庭の子女が通う私立学校の顧問でもなさっていたほうがいいのではないですか。  鈴木氏は英語教育の正しいやり方も知りません。(法学部出身ですから)   「書くこと」によって思考力をどう育てるのか。その方法も知りません。(立派なことを言っても具体的な教育の仕方は何も知らないのです。それにどのくらいの指導期間を要するのかも知りません。 それぞれ(発音)6年、(思考力を育てる書く練習)小学校4年くらいから高校卒業まで9年くらいの指導期間が必要です。(基本を教えた後、中学、高校と年齢相応の思考活動をさせて訓練していきます) 大学入試を変えるくらいでこれらの能力が子供に身につくほど教育は生易しい事業ではありません。子供たちの思考の仕方を変えていくには何年も継続して教えていく必要があります。 (大学入試のための勉強として「思考力を育てる書く練習」をさせるのでは、始める時期が遅すぎます。 そんなこと国語の先生だったらみんな知っているでしょう。(鈴木寛氏って総論は立派なこと言っているけれど、実際の教育については何にも知らないのですね。18歳まで思考を組み立てて書く指導もしないで、大学入試で記述式問題を出せば思考力が上がるとでも思っているのですか。 思考力を上げたかったら、思考の訓練をしなければだめなんですよ。) 文部科学省の言う大学入試改革って現場の先生の意見を最初から全く無視しているんですよね。 大学入試というのは高校3年生までに学んだことをテストするんでしょう? だったら、そこまでの教育をどうするのか、その教育を担当している先生方の意見をなぜ聞かないのですか? 英語に至っては「教師の指導力が問題だ」「英語で授業ができない教師が問題だ」とか言って、本当は学習指導要領が「英語ごっこ」のような役立たずなのを直そうともしない。) 18歳までスピーキングも「思考を組み立てて文章を書く指導」もしないで、大学入試でテストをすればこれらの能力が身につくと鈴木寛氏は主張する。18歳まで、英語も国語もその指導をしないでテストやればスピーキングも「思考力を使って組み立てた文章も書ける」というんですか。そんなの、国民を騙すただの詐欺です。鈴木寛氏の教育に対する見識なんてこの程度のものなんですよ。(鈴木氏も下村氏もベネッセのテストをさせるために理由が必要だから思考力だの判断力だのスピーキングだの国民に受けそうな理由を言っているだけです。 実際に思考力、判断力を上げる方法もスピーキング能力を上げる方法も全く知らない。とにかくテストをする理由が立派に聞こえればいい、それだけです。) 鈴木寛氏は実際の教育の手順は何も知らない。 そして弱者を切り捨て強者をだまし、業者に金儲けさせるプランを作っただけです。 結局、弱者も強者も生徒はみんな損害をこうむって、業者だけが儲かるプランを提唱しただけです。こんなプランは見送られて当然です。 彼は、舌先三寸で国民をだましていただけです。 ほぼ詐欺です。 英語教育、記述式を知っている人間から見たら、鈴木寛氏が実際の教育について何も知らないことは明白です。鈴木氏は時代の先端を行く言葉を使っていかにも立派な教育の総論を展開しますが、それを「どう教えるのか」については全く知らない。「英語教育」「記述式」を見る限り、実際の教育については知識も経験もないに等しい。「時代の先端を行く立派な総論」が「ベネッセのアルバイトが採点する記述式に帰結する」  それが鈴木寛氏の教育者としての「能力」です。18歳までの実際の教育法についての知識と経験は、彼は空っぽです。 「見栄えする立派なプランはいくらでも言えるけど、実際の教育法はしらないよ」ということです。 教育者としては致命傷です。 教育法を知らないのですから。)    「いまの高校普通科は、未来の失業者を量産する」って、子供たちの人格を無視するようなことを言わないでください。誰が子供の未来の失業なんか目指して教育していますか。こんな愛情のない言葉をよく子供に対して使えますね。「子供が失業者として量産される」などと言われると、子供たちがまるで、小さいころアニメで見た「ロボットを作る工場」で次々生産されるロボットみたいに聞こえます。 こういう目でしか子供を見られない方(鈴木寛氏)は教育者には向きません。 「英語も話せないのにスピーキング教育に口を出す」自民党WTは無免許で車を運転しているようなものです。 自民党WTは母音の区別もできない、英語教育法も知らない。なんで自民党WTが英語教育に口を出すのですか。 彼らは英語教育に関しては全くの素人ではないですか。 一国の文部行政を担当する文科省がなんでそんな素人に従っているんですか。そこまで文科省には英語教育の専門知識を持つ人がいないのですか。 自民党WTに従うのは文部科学省が本業(授業改革)ほったらかしで政治家に言われた学習塾の販売促進(テストの導入)に忙しいからですか。この政治家・下村博文議員は自分の支持者(東京都)の子供たちまで、都道府県の中で一番最初にベネッセに売ったんですよ。
11月16日(月曜日)3か所加筆しました
音声モデルも生徒に与えられない文科省英語教育は出来ない。ぼろぼろの発音で生徒に勝手にしゃべらせる「英語ごっこ」のような学習指導要領しか書けない。自分がスピーキング(発音習得)したことないから英語教育のやり方も知らない。(生徒に大きな口を開けて「た~ん」「た~ん」と言わせても、それを英語のTURNだと思ってくれる人は日本の外に出たらほとんどいない)それで「英語ごっこ」のような学習指導要領書いて日本中でやれという。その上授業でスピーキング(発音習得)を教えないのに入試でスピーキングテストをすれば4技能が向上すると平気でうそをつく。政治家(自民党WT)と文科省のこの「虚偽の主張」は、eポートフォリオで日本国民全員の個人情報を未成年のうちにだまし取って、ベネッセに売ろうとしたこの政治家の言っていることとそっくりです。 (この政治家は発音習得などしたことがないのに、よくこういう発言ができますね。また、この政治家はよく自分の選挙区(東京都)の子供たちを高校入試の機会をとらえて真っ先にベネッセに売れますね。やりやすい自分の選挙区(東京都)を手始めにして、次々と他県のスピーキングテストをベネッセに請け負わせるつもりだったのですか。 金儲けのためなら自分を当選させてくれた支持者の子供たちさえ真っ先にベネッセに売るのですね。「恩を仇(あだ)で返す」というのは、このことですね。 東京11区の支持者の方々(投票してくれた人々)は、まさか自分の子供(孫)にこういうことをされるとは思っていなかったでしょう。 当選してしまえば、自分に投票してくれた人にさえ何をしてもいいんですか。)だから文科省は国民から信用されない。子供を業者の金儲けの餌食(えじき)に平気で差し出す役所だから。 実技の習得というのはやったことのない人にわからないことがたくさんあるんですよ。政治家の方は知らないことに口を挟まないでください。詐欺だというのがあからさまにわかります。「学校で教えないのに、高校(大学)入試でテストすれば4技能が向上する」ってこれが詐欺でなくて何なのですか。少なくとも「英語教育の専門家」を名乗る教師はこういう主張に同意はしません。もし、政治家が「4技能を上げるために高校(大学)入試でスピーキングテストをする」と言っていたら、その政治家は英語教育については無知で無能(カタカナ発音と英語発音の区別もできない)と思って間違いないです。 スピーキング(発音習得)はそんなことで子供たちの身に付きませんから。 また、そういう政治家が国会議員になった理由は、国民を売って業者を儲けさせるためだと思って間違いないです。事実、「eポートフォリオ」のからくりで国民全員をベネッセに売ろうとしていました。 「国民全員を一業者に売る」など、相当お金に執着した政治家でなければ思いつきもしないことです。   英語教育の専門家で、こんな方針に賛成するのは時の権力者に重用されたい、「カタカナ発音と英語発音の区別もできない英語教師」だけです。 「音声学も学んでいない」まともな英語教育者ではありません。  日本人が通じる発音で仕事や学業で使う英語をすらすら話そうと思ったら、中学時代(学習目標:基礎・正確な発音の習得)、高校時代(学習目標:スピードを上げ複雑で長い文をしゃべる)にわたって、家庭学習として、生徒自身の口で正しい発音でしゃべる練習をさせていかなければ絶対に身に付きません。 やったこともない人がお金目当てにいい加減なことを言わないでください。高校入試・大学入試でテストするくらいで、大人のしゃべる英語が通じる発音ですらすらしゃべれたら、日本人は戦後70年も苦労してきませんよ。50年もスピーキング試験(民間試験)を受けても、年間500万人がスピーキング試験(民間試験)を受けても日本人が通じる発音を身に着けられなかったという事実を見れば、試験を受けるだけではスピーキング能力は身に着かないということが明らかにわかるはずです。スピーキング能力(発音)を習得したこともない政治家や文科省(東京都教育委員会)が知ったかぶりして声高に詐欺を主張しないでください。 英語の実技というのは正しい指導の下で、生徒が継続して練習していくことによって身に着くものです。 学習というのは本来そういうものでしょう。それを行うのが学校でしょう。 テストするだけで、学校で指導もしなかったら、正しい実技は身に着けられない。 この政治家に言われて、文部科学大臣や東京都教育委員会さえ、こういう学習の基本を忘れましたか。 学習の基本も知らないのなら、教育にかかわる仕事はおやめください。子供たちがかわいそうですから。 教育の基本を知っている方にその地位を代わってもらってください。本来身に着けられるはずだったネイティブ発音や高い英語力の基礎を犠牲にしてまで、業者の金儲けの道具にされるのでは子供たちがあまりにもかわいそうです。 文科省が 私のブログのアクセスを妨害してどんなに人々に読まれないようにしても、「学習の基本」「スピーキング能力の習得過程」は真実ですので変わることはありません。 妨害が激しいので(アクセス数は朝から止まったままです)、ツイッターをお持ちの方は周りの方にこのことをお伝えください。(パソコンの前に座って、政府に不都合なブログを妨害する。 その人件費は税金です。 政府は税金を私的目的に使っています) 中学校で教えてくれないスピーキングを高校入試でテストされるのでは、塾や会話学校にいけない子供たちがかわいそうです。ご協力をお願いいたします。 



中学で教えないのに入試でスピーキングテストをするというのは、東京都の高校入試のスピーキングテストは、税金をどぶに捨てているようなものです(このテストのために数年間で何億というお金が使われます)。 また、学校で教えないことをテストするのであれば、塾や会話学校にいけない子供を親の収入で差別することになります。 都民に不利益をもたらすことばかりです。 ひどい教育委員会ですね。しかも採点は「フィリピンのスタッフが行う」としかわかっていない」と6月11日のYAHOOニュースで読みました。(このYAHOOニュースは削除されてしまいました) これでよく都民の理解が得られますね。このテストは子供たちのスピーキング能力には何の役にも立ちません。少しはまじめに学校でスピーキング(正しい発音で文全体を言う)を教えたらどうですか。学習指導要領は通じない発音でしゃべらせることばっかり書いてあって、まるで「英語ごっご」をやらせているような方針です。文部科学省にスピーキング教育の専門家はいません。だからこういう「教えもしないでテストをする」というような「教育において考えられない方針」を出してくるのです。 文部科学省にカタカナ発音と英語発音の区別のできる人はいません。「日本人の発音がなぜわかりづらいのか」その理由を理解できる人もいません。(文科省もそのことはわかっているのでしょう。だからこちらのブログを非常に激しく妨害するのでしょう。) ですから文部科学省に英語教育は出来ません。とくにスピーキング教育は出来ません。だから何十年たっても英語教育の成果が上がらないのです。子供たちに日本の外に出たら通じない英語(?)でしゃべらせる学習指導要領など使えません。これでスピーキングテストをやって何の効果があるのですか。「教えていないものをテストする」文科省がスピーキング教育をどう行ったらよいか全然知らない証拠です。 
スピーキングは実技です。 自分の体を使って身につけなければならない実技です。やったことのない人には教えられません。
泳いだことのない人に泳ぎは教えられない。
ピアノを弾いたことのない人にピアノは教えられない。
発音習得(スピーキング)したことのない文科省にスピーキングは教えられない。実技の習得については実際にやった人間でないとわからないことがたくさんあります。






(10月26日) 公立高校の入試問題は「中学校で教えた内容を出題する」という明確な規定があります。もし中学校で教えていない問題が出題された場合は、その問題は採点の対象外となります。現在中学校でスピーキング教育は行われていません。スピーキング教育とは何か。スピーキング教育には基礎から応用までいくつかの段階がありますが基本の第一段階は正しい発音で文を最初から最後まで言えるようにすることです。現在日本の中学校では「正しい発音で文を最初から最後まで言えるようにする指導」は行われていません。生徒たちはそれを練習する音声モデルさえ与えられていません。
東京都教育委員会は高校入試にスピーキングテストを実施すると発表していますが、これは「中学校で教えた内容を試験する」という公立高校入試の規定に違反するものです。 違法なテストです。 高校入試までベネッセにお金儲けさせたい政治家の力が及んでいるのですね。 試験をおこなうのがベネッセで生徒にCDも与えずにスピーキングテストをするという間違った手法が大学入試の時と全く同じです。この政治家文科省のバックにいて日本中の子供たちを食い物にしています。 (テストをしているだけではスピーキング能力が上がらないことは明白なのに、最初から「東大にスピーキングテストをさせろ」とすごむくらいテストに固執している。子供達なんかこの政治家にとっては金儲けの道具にすぎないと自分で言っているようなものです。下村博文国会議員は英語教育など全く知りません。 今の状態で民間試験をしろというくらいですから、カタカナ発音と英語発音の区別もできません。)この政治家の選挙区は東京ですね。 自分の選挙区の中学校(義務教育)に「親の収入による子供の差別」を持ち込むような方針をさせて有権者の理解が得られるのでしょうか。「有権者の子供なんか金儲けの道具でしかない」と言わんばかりの方針ですよね。いくらベネッセを儲けさせたいからと言って、自分の選挙区の子供たちにまで教育基本法に違反するようなテストをさせて有権者の理解が得られるのでしょうか。 有権者の支持を失った国会議員は落選します。 私なら、自分の子供を食い物にする候補者には投票しません。親はみんなそうでしょう。子供に何されるかわかりませんから。  実際この政治家はポートフォリオの時は、国家権力を使って、高校生(未成年者)をだまして、ベネッセの見込み顧客データを国家に集めさせようとしていました。その時も、この政治家はそういう下心はおくびにも出さず、「学習に向かう主体性」を高めるためと日本中の教育関係者をだましていました。   この政治家は、国家権力を使って「学校の先生のおっしゃることを何の疑いもなく信じる高校生」をだまして学習に関する個人情報を入力させ、ベネッセに売ろうとしていたのです。(献金もらうのだから売るのと同じ) ほとんどの国民は高校時代を経験して大人になります。 ですから、やがて、ベネッセが全日本国民の学習に関する個人情報を握ることになるはずでした。(教育産業の会社にとっては喉から手が出るほど欲しい情報でしょう。)この政治家は、それ程悪質な上に、すごむと誰も反対できないくらい異様で怖いし。 あんまり露骨に有権者の子供を食い物にするのはおやめください。 下村博文国会議員は国民全員をだまして一私企業に売るなど、日本憲政史上まれにみる悪質な政治家です。 総理と一緒に国民全員を騙してベネッセに売る。」 「被害者が日本国民全員」という点において、下村博文国会議員の謀略は「ロッキード事件」よりひどいです。      誰が見たって「学校で教えもしない」、「生徒に音声見本を与えて練習もさせない」でいきなり高校入試で実技試験を行うのは義務教育中の子供たちに対して不当な試験のやり方です。 あまりにも「子供そっちのけ」の決定です。 試験を考えるとき、だれのことを一番考えなければいけないのか、東京都教育委員会はご存じですよね。 子供は学校でスピーキング教育を一切受けていないのにスピーキングテストをされるのですよ。 誰が考えてもおかしくありませんか。 テストの目的はベネッセを儲けさせることではありませんよ。 おかしくありませんか。 東京都教育委員会がそこまでして何のためにスピーキングテストをするのですか。ベネッセが儲かる以外何の利点があるんですか。子供達には何の利点もありません。親の収入による差別を教室に持ち込むだけです。

もし、学校でスピーキング教育をしないまま、スピーキングテストを実施すれば、塾や会話学校に通って、スピーキング指導を受けられる裕福な家庭の子だけが有利になる、大変不公平な公立高校入試を行うことになります。 これは、公立学校入試の公平性を大きく損なう違法な入学試験です。 テストを受ける前から経済的に恵まれない家庭の子供が不利になることはわかりきっています。(萩生田文部科学大臣の「身の丈発言」でこういうテストのやり方に激しい批判があったのを東京都教育委員会が知らないわけないでしょう。経済的に恵まれない子供が不利になるとわかっていてなぜ実施するのですか。東京都の教育委員会も「身の丈教育委員会」なのですか。) 義務教育期間中に親の収入によって子供を差別してはいけないのです。 教育基本法に違反しています。東京都教育委員会は違法なテストはおやめください。法律を侵す行為は公務員としての服務規律違反です。(リンク先は国家公務員の服務規律に関して書いてありますが、法律を遵守しなければいけないこと、仕事の公平性については国家公務員も地方公務員も基本は同じでしょう) 東京都教育委員会は違法行為を強行するなら、公務員としての資格を失います。 大人に抵抗できない未成年者に対する教育委員会の違法行為ですから決して許されることではありません。 

同じ教室で学びながら、自分は塾にも行けず会話学校にも行けず、隣の席の子は塾や会話学校に行って、スピーキングを学んでいる。 同じ教室で学びながら、子供は中学1年生の時から「自分は高校入試で始めから不利な立場になる」と毎日英語の授業のたびに思い知らされるわけです。13歳からこういうことを学校で子供にしていいのですか。 13歳はまだ義務教育中なのですよ。 中学校(義務教育)が「子供を差別する場」になってよいのですか。 東京都教育委員会はスピーキングテストを実施するなら、学校ですべての生徒にスピーキング教育を行い、すべての生徒に音声モデルを配布し、すべての生徒が正しい発音を習得する練習ができるようにしてから、実施してください。 (詳しくは下のブログに書いてあります。)
2018年3月8日 高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの
(このブログは一年くらいトップに掲載したいと思っていましたので、書き足すうちに非常に長くなってしまいました。  本題は終わりから4分の一位のところ、「それでは今日の本題、「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」に入ります」と赤字で書いてあるところから始まっています。)




(10月25日)文部科学省より言論の弾圧を受けています。ツイッターで拡散をお願いいたします。文部科学省がどんなに私を弾圧しても「文部科学省の方針では子供たちの英語力は上がらない」という事実に変わりはありません。何と言ったって音声モデルも持たせずに「スピーキングテストをしろ」という政治家が文科省のバックにいるくらいですから。レベルの低さがわかります。大学入試と同様、高校入試のスピーキングテストは政治家がベネッセを儲けさせるために導入した全く無意味なテストです。 音声モデルも生徒に与えないでぼろぼろの自己流発音で高校入試のスピーキングテストを受けさせたところで、子供たちのスピーキング能力は上がりません。 子供たちが、15歳(高校入試)の時から、ベネッセを儲けさせたい政治家の食い物にされるのは、あまりにもかわいそうです。 
英語教育失敗の原因・学習指導要領が間違っている。有識者会議(座長吉田研作上智大学教授)も間違っている吉田研作教授は小学校1年から中学1年まで英語圏にいらしたのなら日本人の英語習得で最も障害となる「発音」「語順」を自然に身に着けて帰国されたということです。日本人が最も努力を要する(発音・語順)を自然に身に着けた人に日本の英語教育は出来ません。日本の英語教育(特にスピーキング教育)は「発音」と「語順」をいかにスムーズにできるようにするか、それが最重要課題です。この二つを幼少のころ現地で自然に身に着けた吉田氏に日本の英語教育は出来ません。 吉田研作氏は自分と同じように「日本人にもこの二つ(発音・語順)が自然に身につく」と考えているから英語教育で下のような失敗をするのです。(あるいは自分が自然に身に着けたので吉田氏自身「発音・語順」を生徒に指導しなければならないと思ったことがないのでしょう。 それで「英語で授業」やって「生徒に勝手に英語をしゃべらせれば」英語教育はうまくいくと思っている。その結果、下のような失敗をする。 この方針は「日本人の英語力が上がらないのは何が困難だからか」全く知らない人が考えた稚拙な方針です。 生徒に「言語として機能していない言葉(英語)」で授業をして、「正しい発音」も教えないでしゃべらせる。 これでは、「教育」をしているとはとても言えません。 「教育」とは教えるべきことを生徒が理解できるように教え、できないことをできるように指導することです。 この方針は「何も教育していない」のと同じことです。10年もこんなことをしているから子供たちの英語力が上がらないのです。 吉田研作氏にとっては自然に身についたことかもしれませんけれど、日本人には、「発音」と「語順」はきちんと教えて練習させなければできるようにはなりません。 日本人がもっとも困難だと感じることを自然に身に着けた人には、「何が日本人の英語力向上を妨げているのか」理解できません。 だからこういう、何の役にも立たない方針を言い出すのです。 こういう人に日本の英語教育の方針を決めてもらうのは無理です。)  
失敗①「英語で授業」(生徒は理解できない) 
失敗②「4技能」(スピーキング指導)と言って生徒に勝手に英語をしゃべらせる。(通じない日本語発音になる) 
失敗③CDを与えない。文科省政治家が「子供を業者の金儲けの道具」としか思っていない証拠。音声モデルなしに生徒は通じる発音で「話す」練習はできない


文科省が学校でスピーキング教育の必需品である音声モデルも子供たちに与えない」まさにその事実が文科省政治家が「子供を業者の金儲けの道具」としか思っていない証拠です。政治家は日本の教育にとりついて食い尽くす。 食い荒らされた納税者の子供たちの学力、英語力はぼろぼろになります。残るのは肥えた政治家だけです。  英語教育など全く知らないのに、業者を儲けさせる「英語教育」をごり押しする政治家がいる限り、日本の子供たちの英語力は上がらない。

10月12日正しい発音でスピーキングする能力を習得したことのない政治家が「留学だ」「民間試験だ」とでたらめを言わないでください。 スピーキングは生徒が自分の口を動かして習得するものです。 日本人が民間試験を50年受け続けても日本人のスピーキング能力は上がらなかった。 その事実が学校での指導も練習もなく民間試験(あるいはスピーキング試験)を受けさせたところで生徒のスピーキング能力は上がらないという証明です。 それを指摘されても、民間試験をさせようとするのは、その政治家有権者の子供を金儲けの道具としか思っていない明白な証拠です。  発音もまともに習得したことのない政治家は英語教育に口を出さないでください。  また、そういう政治家の企みに乗る教育者はまともに英語教育法を学んだこともなく、カタカナ発音と英語発音の区別も出来ない無能な教育者です。 

10月9日文部科学大臣をはじめ教育行政にかかわる方々は「子供たちの英語力が上がらないのは先生方の英語力のせい。指導力のせい」というステレオタイプを捨ててください。
「先生方が全員帰国子女のようにペラペラ英語を話さなければ、子供たちの英語力が上がらない」などと思っていたら、永遠に子供たちの英語力を上げることは出来ません。

10月9日文部科学大臣は「英語教員の指導力を向上させるため、教員を目指す学生の教職課程に海外への留学の導入を検討したい 」ということですが、現在の子供たちのスピーキング能力および英語力が上がらないのは先生方の指導力のせいではありません。 本当の理由は文部科学省の指導の方針(つまり学習指導要領)が間違っているからです(間違い例①「英語で授業」(生徒は理解できない。教えたことが定着しない) 間違い例②「4技能」(スピーキングの練習)と言って勝手に英語をしゃべらせる。(通じない日本語発音になる) 間違い例③音声モデルを与えない(スピーキングの練習手段がない)。 その他) 今までは子供たちの英語力が上がらないのは「先生が英語が話せないから」「先生が英語で授業が出来ないから」といっていればよかったのですが、本当の理由はそうではないとわかった今、学習指導要領が間違っていると言われないために、「教師の指導力が問題だ」と暗に言いたいように私には思えます。 文部行政にかかわる方々はまるで習慣のように子供たちの英語力が上がらないのは先生方の指導力、英語力の問題だ、と決めてかかっています。高校の先生方に至っては濡れ衣を着せられて非難されていたのですよ。 そのステレオタイプをもう捨ててください。 本当の理由は、先生方の指導力ではなく文部科学省の方針(つまり学習指導要領)の間違いと有識者会議の委員の出した方針の間違いのせいです。  この期に及んでまで、自分の非から国民の目をそらすように「教師の指導力向上のため」などといっているのかと思ってしまいます。文部科学大臣は教師の指導力を問題にする前に文部科学省の間違った方針と有識者会議の間違った方針を正しい方針に変えたらどうですか。音声モデルも子供に与えない(つまり練習する手段も与えない)文部科学省の方針が子供たちのスピーキング能力向上を妨げている元凶なのですよ。  それを放置したまま、留学経験をもつ英語教師が教室に来て教えれば子供たちのスピーキング能力が上がるとでも思っているのですか。スピーキングは生徒が自分の口を動かして練習しなかったら、誰が教えたって習得など出来ません。音声モデルがなくてどうやって練習するのですか。 いつまでも、自分達の英語教育の失敗を先生方のせいにしないでください。(もっと突っ込んで言えば、日本の英語教師が全員帰国子女のように英語をしゃべらなければ、子供の英語力が上がらない、などというのなら永遠に子供たちの英語力は上がりません。 今、日本人が持っているもので子供たちの英語力を上げていく方法をとらなければ、永遠に子供の英語力など上がりません。 だから私は、子供達に音声モデルを配布して練習させてくださいと言っているのです。 先生方だって中学生の時に音声モデルを与えられてスピーキングの練習ができたわけではありませんでした。 先生方に音声モデルも与えなかったのは文部科学省でしょう。 文部科学省の不備な英語教育の結果を背負わされた先生方を非難して「英語教育がうまくいかないのは教師の指導力、英語力が問題だ」などといっているのはもってのほかです。 先生方は音声モデルも渡されなかったのですから、スピーキングを練習しようにも練習できなかったのです。文部科学省はその失敗を今も直そうとしないではありませんか。だから、子供達がスピーキングに対して先生方と同じ苦労をするようになるのは目に見えているのです。 もう何年も前になりますが、高橋尚子選手を育てた小出監督の講演を聞きに行ったことがありました。 小出監督は「大会が終わったグランドで選手を怒っている指導者は「自分が無能な指導者だ」と周囲に示しているようなものだ。」とおっしゃっていました。 指導者の指導の結果が選手の成績だからでしょう。 文部科学省もお決まりのパターンのように「教師の英語力が問題だ」ばかりおっしゃらないことです。そういう先生方の苦労を作り出したのが、音声モデルも与えなかった文部科学省なのですよ。  文部科学省が先生方の指導力、英語力が問題だというたびに、人々は文部科学省が自分で「学習指導要領は役に立たない」「学習指導要領は役に立たない」と言っているようだと思うでしょう。 音声モデルも生徒に与えない学習指導要領ですから実際まったく役に立ちませんけど。) 繰り返しになりますが、子供に勝手に英語をしゃべらせる授業で子供たちが正しい発音を習得することはありません。 子供が大きな口を開けて「たーん」「たーん」といっても、それを英語のTURNだと思ってくれる人は日本の外に出たらほとんどいませんから。
文科省は今日、今まで妨害していなかった私のブログも妨害するようになりましたね。例えば、松本茂氏に関連するブログなど。  私のブログを人々に読ませないようにしておいて、自分達の失敗から国民の目をそらさせるように華々しい留学の話を持ち出す。  問題の本質がどこにあるかわかっているのですか。 子供たちのスピーキング能力向上を妨げている元凶が文部科学省なのですよ。教師志望の学生に留学させたくらいで、この問題が解決するとでも思っているのですか。 自分の体を使う能力の習得はそんなに簡単なことではないのですよ。生徒のスピーキング能力は中学、高校と生徒が自分の口を動かして練習していかなければ身につかないものなのです。 そんなことも文部科学大臣が知らないのですか。 10年前、「英語で授業」などといわず、中学生に音声モデルを渡して地道に家庭学習をさせてきたら、来年の4月には、ネイティブ発音で教壇に立つ先生がたくさんいらしただろうと思います。企業にもネイティブ発音で自分の言いたいことをすらすら英語で話す学生が多数、就職していったことでしょう。 先生方を非難する前に、文科省は自分の作った学習指導要領の間違いを正すことです。 教師志望の学生に留学させたところで問題は何も解決しません。 もういい加減そのくらいのことに気付いて下さい。 英語教育産業を儲けさせるために生徒に本当に必要な英語教育をしないのですか。(留学関係の業者を儲けさせるためにまたこういうことを言いだしたのですか? 留学するお金のない学生は英語の教師になれないのですか? わざと効果のない英語教育を学校でやらせて、音声モデルも子供に与えないで、英語教育産業を儲けさせるのが、文部科学省(あるいは政治家)の仕事なのですか?) 文科省が間違った方針を正せば、留学や、民間試験などしなくても子供たちはスピーキング能力や高い英語力を習得するのです。時間はかかりますが、地道な指導と練習が子供たちのスピーキング能力と英語力を確実に上げるのです。 元凶は文部科学省が自分の間違いを正さないことです。文部科学省が間違いをただせば、留学も民間試験も必要ありません。)

今朝(10/9)もパソコンを開けた時のアクセスは(1)でした。 妨害は相変わらず、きついです。



10月8日(木曜日)(紫色の部分に加筆しました。 「加筆した」とわざわざ書くのもどうかと思ったのですけれど、リンクが切られていたり、検索してもこのブログが出てこないように画策されているとわかりましたので(数日前まで検索に出てきたのに今日、同じ言葉で検索してもこのブログは出てきませんでした)、やはり加筆したことをトップに書いておこう、と思ってしまいました。リンク先に「掲載期間が終わりました」と書かれてそのページが表示されなくされていても、私のブログから飛ぶのではなく直接そのURLに行けば同じページがまだちゃんと表示されていました。私はリンクする文字を変えて(同じ文字だとまた「掲載期間が終わりました」と出てきてしまうので)、そこにリンクを付け変えました。でも、また切られてしまうかもしれませんね。 今度は私も直せないようなやり方をするのかもしれませんね。 向後秀明氏の妨害は、非常に手が込んでいました。(私のブログからはジャンプしても「該当するページはありません」としか出てこないのに、そのページ自体はURLを変えて存続させて自分の英会話学校の生徒が見られるようにしておく、という手法は石渡誠氏も彼の2019年7月15日のブログに対して行っていました。  なぜ彼がそのようなことをしなければならなかったのかはこちらのブログの後半をご覧になると、お分かりになります。 私がそのブログで「間違っているとわかっていて「これからも英語で考える指導法を継承していく」などと2019年7月15日のブログに書いて生徒に詐欺指導法を信じ込ませるのは悪質だ」と石渡氏のブログにリンクをつけて指摘したからでしょう。 でも、本当に石渡氏の2019年7月15日のブログでの発言は悪質でした。 もう「英語で考える指導法」は松本亨氏の勘違いだったとわかっているのに、あえて、知らないふりをして生徒にこういうことを言うのは、石渡氏が生徒をだまして英語学校経営をしていることと同じです。しかもそうやって生徒をだましておきながら、「スクールで一番大切なのは、受講生です。」などというのも、ひどいと思います。 その一番大事な人を石渡氏は20年以上もだましているのですから。)   また「向後秀明」氏について期間を2020年8月1日から現在までの期間で区切って検索すると私のこのブログは数日前までずっと2番目か3番目に出てきていたのに今日は(12月3日)全くどこにも出てこなくなりました。 文科省か、向後氏かわかりませんが私のブログが検索に出てこないように操作したのですね。向後秀明氏の妨害は執拗ですね。 それで私も「向後秀明」というハッシュタグをつけることにしました。最初はそこまでするつもりはありませんでしたけれど、巧妙で執拗な妨害をされるのは嫌だと思いました。    私は根拠なく英語教育について間違いを指摘しているわけではありません。津田塾大学で、後に学長となられた大塚百合子先生に教えていただいた英語教育法の基礎に基づいて、また私自身の2年間にわたる発音習得で学んだこと、10年間のアメリカ生活で見た二人の子供達が小学校、中学校、高校、すべての段階でゼロからバイリンガルになる過程に照らし合わせて、生徒に害をもたらす方法については指摘しています。)文部科学省有識者会議の委員は「英語に慣れるために授業は英語で行う」と言っていますが、英語教育の場合「慣れる」という活動は、「生徒が十分理解している内容」を使って行っていきます。(英語教育の基本です。) ですから新しいことを習う授業を英語で行うのは、「慣れる」という活動にはなりません。 まず、「理解」をさせるのが目的ですから。  子供にとって「理解」は、普段使っていない言語では出来ません。特に高校生の場合は習うことが複雑です。 「英語に慣れるために英語の授業は英語で行う」という教師は、英語教育法をきちんと学んでいません。 文部科学省は、学習指導要領くらい、英語教育法をきちんと学んだ教育者に作成させてください。 
高校の先生方の「日本語で教えてもわからない生徒がいるのに、英語でどうやって教えるのだ」という意見はまさにこの点を指摘しています。 文部科学省有識者会議の委員は高校の先生方の言葉に謙虚に耳を傾けてください。  特に有識者会議の委員は「まだ英語で授業をしていない高校がある」(*)などと高飛車に構えないで、謙虚に高校の先生方の声に耳を傾けてください。今日も私のブログは激しく妨害されています。   文部科学省にしてみたら、「学習指導要領が英語教育の基本に則(のっと)っていない」といわれたら、面子まるつぶれなのでしょうね。 でも、間違いは誰にでもありますから、間違っていたら、直すしかないでしょう。 高校の先生方に迷惑をかけたことをきちんと謝罪して直すしかないでしょう。(高校の先生方にしてみれば、10年にも渡る大変な授業を思い出せば謝罪くらいでは済まないという気持ちは当然でしょうけれど。 文部科学省はそういう先生方の気持ちを充分理解してください) 私はこのブログを悩んでいる高校の先生に読んでいただきたいのですが、こんなに激しく妨害されてしまうと、それもできないのかな、と思います。 ツイッターをお持ちの方は、悩んでいる高校の先生がいらしたら、この内容をお伝えください。
(*)「半数近くの高校はまだ英語による授業が行われていない。」2019年11月18日朝日新聞記事「(揺れる大学入試)英語民間試験見送り、今後の課題は」吉田研作氏コメント




9月11日の朝日新聞「声」の欄に「すべて英語で授業」悩む指導助手」という投稿が載っていました。  英語教育に関する有識者会議の委員が「英語で授業」などというでたらめな方針を打ち出したから、いまだにこうやってすべて英語で授業をすることに悩む先生がいらっしゃるのですね。 私が「英語で授業」を提唱しているのを知っている有識者会議の委員は

吉田研作上智大学教授、
松本茂立教大学教授、
東進ハイスクール講師の安河内哲也氏です。  

この方々は「英語で授業」が間違った方針であると正式に認め撤回してください。  
文部科学省も「英語で授業」の方針を正式に撤回してください。 

それをしないから、現場の先生方が、こうして間違った方針で悩まなければならないのです。 投稿者の方は「授業で英語しか使ってはいけない理由とは何だろう」と問いかけていらっしゃいますが、そんな理由はありません。

皆さんは学校時代、期末テストがあると、日本語で習った物理や歴史でも、一度では理解できなくて、何度も教科書を読み、時には図解したり、問題を解いたり、たくさん勉強して理解したことと思います。  なのに、なぜ、英語は、授業で英語で聞けば、理解もできて、運用もできると思うのでしょうか。  アメリカの授業風景の一部を切り取って、同じことをしているのを見せられると、子供たちがアメリカ人のように英語を話し始めると錯覚するのでしょうか。  英語が全く話されていない日本で英語で授業をしても何の効果もありません。 効果がないどころか「英語で授業」をすると子供たちの発音はボロボロになります。

私はアメリカで、小学校5年生と中学3年生の娘と息子が全文和訳でバイリンガルになる過程をつぶさに見ました。 彼らは日本語に訳さなければ授業は何も理解できませんでした。  

有識者会議の委員
吉田研作上智大学教授、
松本茂立教大学教授、
東進ハイスクール講師安河内哲也氏は、「英語で授業」が間違った方針であると正式に認め撤回してください。 もし、教育者としての良心があるなら、間違いをきちんと認め、子供たちが正しい方法で英語を学べるようにしてください。  もし、私のいうことが間違っているとおっしゃるのでしたら、どうぞフランス語だけで、フランス語を習得してその学習記録を公開してください。(出来ないと思いますけれど)

こちらのブログに書いたように、この国では、政治家は子供をお金儲けの道具として食い物にするし(2020年大学入試改革では民間試験、ポートフォリオ、記述式、と文部科学省は政治家のために「ベネッセコーポレーション霞が関支店のようにされてしまいました)、有識者会議の委員や文部官僚は、保身のために、間違った方針を提唱しても、改めることもしてくれません。 大人のお金儲けと、保身のためにまともな英語教育さえ受けられないこの国の子供たちは本当にかわいそうです。 


(先日夫に「東京外国語大学学長は教育者として最低だとブログに書いた」といったら「そういうことを言ってはいけないよ」といわれました。 (こちらのブログの最後、4分の1くらいのところです) 「事実に基づいて間違いを指摘するのはいいが、非難をする感情的な言葉はいけない」といわれました。「間違いは何度も指摘している。論理的に説明もしている。それでも、平気で子供に悪いことをする政治家のたくらみに乗る教育者には黙っていられなかった」というと「炎上したらどうするんだ」といわれました。「私のブログは炎上はしないの。そういうことを書いたときはアクセスは9とか7とか夜まで一桁なの。 朝パソコンを開けたら、アクセスが「0」の日もあった。 アクセス0では炎上なんか出来ないの。そういう時は閑古鳥が鳴きにくるの」といいました。  今回も、また、閑古鳥が鳴きに来るんでしょうね。 文部科学省は私のブログは人々に絶対読ませたくないんですよね。 このほかにもいろんな私のブログのアクセスを妨害していますよね。 為政者がどんなに私のブログを人々の目に触れないようにしても、今の英語教育の方針では、子供たちの英語は通じるようにはなりません。 また、思っていることをスラスラ英語で言えるようにもなりません。  私のいうことを葬っても、文部科学省有識者会議の委員のいうことを聞いていたら、子供たちの英語はこの先何年たっても全く進歩しないという事実に変わりはありません。何より「英語で授業」などやっていたら、子供たちの発音はボロボロになります。 「英語で授業」という間違った方針をやめないのであれば、文部科学省は、子供たちの発音をボロボロにした責任をどうとるのか、覚悟はされているのですか。 こちらの新聞記事によると、もう10年も文部科学省は高校の指導要領で、「(英語の)授業は英語で行うことを基本とする」という間違った方針を高校に押し付けてきたのですね。10年たってもちっとも高校で「英語で授業」ができないなら、なぜできないのか、高校の先生方にきちんと聞き取り調査をしたらどうですか。 文部科学省が決めたことが現場で実行できるのかどうか把握するのも文部科学省の大事な仕事ではないのですか。 吉田研作教授、松本茂教授、安河内哲也氏も同じです。 10年たっても高校で英語の授業が出来ないなら、なぜできないのか高校の先生方にきちんとお聞きになったらどうですか。 「10年やってもできない」という事実が「英語で授業は出来ない」という真実を有識者会議の委員に突き付けているんですよ。 なんでその真実を直視しないのですか。 有識者会議の委員は事実を見ようともしないで高校の先生方ばかり非難しています。 こちらの新聞記事をご覧ください。 有識者会議の委員は、「間違った方針を押し付けられた高校の先生方の苦悩」も知らず、自分ができもしない華やかなティーチングプランを新聞に掲載させて、高校の先生方を批判しています。 初めて読んだとき、怒りで体が震えました。(この記事についてはこちらのブログに書いてあります)  10年の客観的な事実が「英語で授業は出来ない」といっているのですよ。   それとも、間違いを認めると自分の名前に傷がつくから認めないのですか。 そうやって、自分が傷つかないために日本中の学校で間違った指導をやらせておくのですか。 そんなことをして、子供たちに申し訳ないとは思わないのですか。 「ここは洪水のような英語のインプットがあるアメリカではない」ということくらいわからないのですか。私の子供たちはアメリカにいたって、「英語で授業」なんか全くだめでしたよ。  「英語で授業」を10年やってだめなら、他の方法を考えるのが当然でしょう。 「プランAがだめならプランBに移行する」吉田氏や松本氏には当たり前の考え方ではないのですか。文部科学省有識者会議の委員も、もう夢見る年ごろではないのですから、いつまでも「夢見る夢子」みたいなことをやっていないでください。 英語の時間だけアメリカ人の真似をさせれば、子供たちがアメリカ人のようになるわけではありません。もういい加減、夢から覚めてください。(「英語で授業」でアメリカ人のように英語が話せるようになるためには、うちに帰って髪の毛が抜けるほど日本語に訳して勉強しなければなりません。使ったこともない言語で授業をされて身につくはずないでしょう。) あなた方は「英語で授業」で子供たちがアメリカ人のようになる日を夢見ているだけです。 夢を見ている間は楽しいでしょうけれど(うまくいかなければ高校の先生方を非難していればいいだけですし)、けれども夢はどこまで信じてもただの夢、現実になる日は来ません。 現実にならなかったとき、もう、高校の先生方のせいにすることは出来ません。 「英語で授業」の方針そのものが間違っているのです。 10年やってもダメな方法にまだ頼ろうとするのは愚の骨頂です。 「その方法はだめだった」という事実をきちんと受け入れて新たな方法を考えてください。失敗は10年で十分です。これ以上、愚かな手法(英語で授業)にしがみつかないでください。 

吉田研作氏と松本茂氏は、アメリカ人がなぜ英語で授業をやっているか考えたことがありますか。彼らは生まれた時から英語を聞いて英語を話しています。  学校ではすべての教科・活動が英語で行われ、学校を一歩出ても一日中英語を使っています。 彼らにとって英語という言葉には「生まれた時からのすべての経験」が蓄積されています。 だから英語で授業をしているのです。 

日本では、英語が社会生活で使われているところを子供たちは一度も見たことはありません。  そういう国で、週日一日一時間だけ、いきなり英語で授業をして、子供たちがアメリカ人のように英語を使えるようになると思いますか。  日本人の生徒にとって、英語の言葉の後ろには何も蓄積されていません。 意味すら知らない単語の方が圧倒的に多いです。

吉田研作氏も松本茂氏も「日本では全く英語が話されていない」という事実に気づかず、アメリカで行われていることの一場面だけを切り取って一時間だけ、教室でさせれば生徒が「生まれた時から英語を話してきた生徒」と同じように英語を話せると思っています。  まるで夢のような話です。  白昼夢で、英語教育は出来ません。  「現実の世界」で日本人高校生に分詞構文を教えなければならない高校の先生方にはそんな方法で高校生に分詞構文を理解させられないとわかります。 だから、先生方は「現実の日本人高校生が理解できる言語」(日本語)で授業をしているのです。

「半数近くの高校はまだ英語による授業が行われていない」と吉田研作氏がいわれても現実の世界で高校生に英語を理解させなければならない先生方にとっては日本語を使うのが当たり前なのです。 高校生が日本語しか理解しませんから。

私はアメリカにいても全文和訳で小学校5年生とハイスクール1年生に英語を教えました。 超スピードで「訳読式授業」を毎晩行って英語を理解させました。  子供達は日本語で説明した時、最もよく英語を理解しました。 彼らにとって言語として機能している(つまり理解できる)のは日本語だけでしたから。 「訳読式授業」で英語の意味を正確に理解して二人ともバイリンガルになりました。

こういう経験があるから、私には、吉田研作氏と松本茂氏の提唱していることが間違っていて、高校の先生方のしている指導の方が正しいとわかります。 息子の「こんなもの、いくら英語で説明されたってわかんないんだよ」という言葉は強烈でした。息子がそう言えたのは相手が母親だったからです。 生徒が教室で先生にこんなことは言えませんね。 だから英語で授業をされても高校生は黙って授業を受けています。 それは生徒の理解を不十分にし、非常に効率が悪くて無駄だと思います。 その上、「英語で授業」は生徒の発音をボロボロにします。


(指導者に学校で本当のことが言えないのは子供だけではありません。  大人だって先生にそういうことは言えません。 例えばこちらの英語学校、 石渡誠氏が代表を務めるFORWARD英語学校。 石渡氏は松本亨氏の主張する「英語で考える指導法」を提唱しています。「英語を日本語に訳してはいけない」「日本語訳を使うから日本人の英語力は上がらない」という理由で、スクールの中では日本語は使わない決まりです。 けれども初級者中級者は日本語訳を知らなければ自分の言いたいことを英語に変えられないのです。だから、初級者、中級者がEnglish Only の学校で話している場合は全員その英単語の日本語訳を知っているわけです。それにも関わらず、生徒は教師にそのことは言えません。 「教師がいけないということをやっている」と生徒は教師には言えないのです。 だから石渡誠氏は「英語を英語で理解する指導法の成果で、生徒はスクール内English Only で話している」と思い込んでいるのです。 このように大人でも、指導者の意に反することは教室で言えないのです。)


生徒が生まれてから高校生になるまでの言語環境(日本語だけ)と、現在の日本の言語環境(日本語だけ)を充分考えれば、アメリカで行われていることを一場面だけ切り取って日本でさせても子供達はアメリカ人のように英語を使えるようにはならないということは誰にでも分かります。

2年くらい前でしたか、NHKで東南アジアから日本に来た子供たちのことを特集していました。 たぶんベトナムから来た小学生の男の子だったと思いますが、学校で日本語が分からなくて、そのことを話しているうちに涙がぽろぽろ頬を伝っていました。  テレビを見ていた私と夫は「日本に来て半年、といったら、子供にとっては一番つらい時期だね」と話しました。  

子供だから外国語の環境に入れられたら、自動的に外国語を習得するわけではないんですよ。  しかも、吉田研作氏も松本茂氏も高校の先生方の言葉を頭から受け付けない態度をとっています。 自分達の言葉を高校の先生方が聞くのは当たり前だという態度ですね。 現場が困っていることは一切聞こうとせず、「英語で授業をしない高校がある」と非難するだけです。 有識者会議の委員というのは、現場の先生方の意見を全く聞かなくていいほどえらいのですか? 

こちらのブログに書いたことを再掲載します。         こちらで読みましたが、「英語教育の在り方に関する有識者会議」の座長吉田研作氏は小学校1年生から6年生までアメリカ、カナダで過ごされて、中学校1年生の時に帰国されたそうですね。  私の子供たちで言えば、小学校1年生の息子が日本語で何も説明されなくてもアメリカの日常生活の中で英語を身につけられたときから、小学校5,6年の娘が「天体」や「古代文明」など、頭の中だけで考えて物事を理解できるレベルの英語まで、英語圏で習得されて、帰国されたということですね。  そういう経験に基づいて、英語が全く話されていない日本で育った子供たちが英語を学ぶ方針を立案されるのは無理です。 吉田研作氏には、日本の子供たちが英語を学ぶ基本的な状況が体験として理解できません。 日本の子供たちは、アメリカの子供のように「話される英語」と「それが意味するもの」が結びつくのを一日中、見て、体験しているわけではありません。 アメリカにいれば発音練習も子供は必要ありません。つまり、英語習得の基本的な条件が吉田研作氏と日本の子供たちでは全く違うのです。「英語で授業」は間違った方針です。 初級者、中級者には全く効果はありません。   日本の子供たちの言語環境は英語圏で育った吉田研作氏とは全く違います。  吉田研作氏のように「英語で授業」で日本の子供たちが英語や発音を習得することは出来ません。             松本茂氏についてはこちらのブログに書いた通り、彼は英語教育の専門家ではありません。英語教育法も音声学も学んでいません。 ご専門は経営学です。  こういう大学教授の提唱する方法に日本の高校の先生方が従えないのは当然です。 吉田研作氏も松本茂氏も日本語で授業をする高校の先生方を非難するのはおやめください。  こちらの新聞記事を見ると松本茂氏は英語教育改革が進まないことに心を痛めているようにはとても見えません。 松本茂氏はこの新聞記事によって「高校の先生方には英語で授業が出来ないけれど、自分には出来る」と言いたかったのですか。 だから朝日新聞の記者に自分から「英語教育改革はなかなか進まないですね。困ったものです。」とメールを送ったのですか。 有識者会議の委員は、自分をアピールするより、生徒の英語力を上げる方法を本気で考えている教育者に就任していただきたいです。  そういう方なら、高校での「英語で授業」がちっとも進まなかったら、「英語で授業という方針に何か問題があるはずだ」と考えて、高校の先生方を非難ばかりしていないで、詳しい調査をしてくださったと思います。  この新聞記事に書いてある松本茂氏の教案は日本のどこの高校でも出来ません。「文法事項はやさしいものから難しいものへ段階を踏んで教える。」「文法事項は一つずつ教える。(生徒が混乱するからです。例えば、まだ習っていない仮定法と現在完了2つが入っている文章を読ませるようなことはしません)」 こういう英語教育の基本的なことも知らないで、できもしない華やかな教案を新聞で披露されても、高校の先生方には何の参考にもなりません。 先生方には、「こんな教案、どこの高校でもできない」とすぐわかります。 ご本人もできない教案ですから当然でしょう。それに自分の意見を説得力を持って論理的に展開する指導も日本の学校ではまだ行われていません。 指導されていないことばかりですので、生徒たちに松本茂氏の主張する授業は出来ません。 やったとしても指導なしではなんのスキル向上にもなりません。  有識者会議の委員は「自分をアピールすること」より、生徒の英語力を本気で上げたいと思っている教育者に就任してもらってください。 高校の先生方への非難は全く的外れです。   このブログの後半、紫の文字の部分で「英語で授業」を当時勧めていた文部科学省の向後秀明教科調査官について書いてあります。  「泳ぎを習得するためには実際に泳がせなければならない」といって、彼は「英語で授業」をいろいろなところで講演して勧めていました。  「英語で授業」は間違った方針です。  向後秀明氏は、間違ったことを日本の英語教育者に提唱した責任をきちんととってください。   向後秀明氏は、英語教育法について肝心なところをきちんと押さえていません。   こちらのページの「2.これからの英語教育に求められることは何だと思いますか?」という大学側の問いに対する答えをみても、英語発音とカタカナ発音の区別がつかない向後秀明氏の主張する教育方法では、とても「話すこと」の発信力など子供たちにつけることは出来ません。 子供達にボロボロの発音で話させるような教育法(英語で授業)を主張しておいて、何が「話すこと」の発信力なのですか。  英語教育に口を出すなら、向後氏ご自身が音声学を少しは学ばれて、ご自分で英語発音とカタカナ発音の区別くらいできるようになってから口を出してください。 「英語で授業」など主張する人間は発音習得の指導に関して全く無知です。 こういう人が先生方に講演しても、子供たちのスピーキング能力は全く上がりません。 講演者に発音を聞き分ける能力がないのですから当然でしょう。





(英語学習者の方へ)自分の話す英語の子音が日本語化しているかどうか、おおざっぱにですが、簡単にわかる方法を2番目のパラグラフの最後に書きました。参考になさってみてください。ピンクの文字で書いてあります。(たとえ子音が日本語化していてもがっかりなさらないでくださいね。 練習さえすれば聞きやすい発音に変わりますから)(8月27日)

50万人の受験生にスピーキングテストをしようというほど日本人のスピーキング能力が低いことが問題になっているのに、文部科学省が教科書の音声モデル(CD)を生徒に配布しないのは、どう考えてもおかしいです。生徒に音声モデル(CD)を配布することに反対しているのはどなたですか。文部科学省の方ですか? それとも政治家ですか? それとも教育再生実行会議のメンバーですか? 通じない発音でどんなに素晴らしい授業をしようと全く無駄です。 「良いとか悪い」とかの問題ではなく、「楽しいとか楽しくない」とかの問題ではなく、「本当に言いたいことを言うとか言わない」とか以前の問題として、「通じる発音で話す」というのは、英語教育の大前提です。その能力を習得するために音声モデル(CD)がいるのです。 (文科省初等中等教育局視学官直山木綿子先生はご存じないかもしれませんが日本語で「たーん」「たーん」」と口を大きく開けて言って、それが英語の「TURN」だと理解してくれる人は日本の外に出たらほとんどいません)音声モデル配布に反対しているのはどなたなのですか? その方が、日本のスピーキング教育の障害になっています。 取り除いて下さい。 子供たちがこの発音のまま大きくなったら、英語の通じない日本人が増えるだけです。全く無駄な英語教育になります。「入試はベネッセで」「発音は英会話学校で」それでは学校教育は何のためにあるのかわかりませんね。 それが、その方の目的ですか。わざと学校で子供たちに正しい発音を習得させず、業者を儲けさせるのがその方の目的ですか。(もし、本当にそういう目的で、音声モデルを子供たちに与えることに反対している人がいるとしたら、その方は業者のお金儲けのために裏で画策して日本の英語教育をだめにする「業者の工作員」のようなものです。 排除してください。 英語民間試験やポートフォリオの経験から、文部行政に「教育者の皮をかぶった業者の工作員」はいりません。)子供たちは業者のお金儲けの道具ではありません。 必要なことは「学校で」きちんと教えてください。

文部科学省初等中等教育局視学官直山木綿子先生だけでなく、私が今まで拝見したすべての先生の英語教育の方針には発音習得の指導がすっぽり抜けていました。  おそらく日本で英語教育について発言する先生方はご自身が留学したり、帰国子女であったりして、発音習得の勉強をする必要がなかったからでしょう。  けれどもそれでは、日本の子供たちが通じる発音で話せるようにする英語教育は出来ません。「たーん」「たーん」をどうやって英語の「TURN」と発音してしゃべれるようにするか、その問題に正面から取り組んだ指導法でない限り、日本人の英語を通じるようにする英語教育は出来ません。 そしてその方法は、発音習得を全く知らない先生方が想像するよりはるかにたくさんの練習が必要になります。 一日一時間英語で授業をさせて、「子供達が英語に慣れるように英語で授業をする」などといっている先生方の想像をはるかに超えた長い期間の練習が必要になります。 そういうことを知らない人は英語教育に口を出さないでください。そういう教育をすれば子供たちは日本で勉強しても こういう発音で話すようになります。(川合典子Official Web Site 日本人の発音が通じない理由(子音の面から)のページより引用しました)  

録音をアップしたついでですので、英語学習者の方に自分が話す英語の子音が日本語化しているかどうか確かめる簡単な方法をお話し致します。 私のこの録音の後に、続けて(間を置かずに)自分のしゃべった英語の録音を流して聞いてみてください。聞き終わった瞬間「自分の話す英語の子音が聞きづらい」と感じたら、子音が日本語化している可能性があります。簡単に確かめられますので、やってみてください。 (これは私の発音の生徒さんから聞いたことですが、片方の録音をパソコンから聞いて、自分の発音をICレコーダーから聞くと、違いがわかりにくい場合は、私の録音も同じICレコーダーに入れて続けて聞くとよくわかる、ということでした。同じ機器で聞く方がよくわかるそうです。) 




(8月15日)アマゾンにお聞きします。私の2冊の本だけが、このページのランキングの中で配送料が470円となっています。 なぜですか。理由を聞かせてください。あるいはどなたかの依頼ですか。7ページ目まですべての本の配送料が無料であることを確認しています。(8月19日)私の緑の本の配送料は今も480円です。(10ページ目まで私の本以外すべての本の配送料は無料です)私の本だけ配送料を有料にされるのは今年2月4日と今回。もう二度目です。なぜですか。どなたかの依頼ですかKADOKAWA(松原眞樹社長)からの依頼ですか。もし違うのであれば「違う」とご回答ください。 その場合はこの部分の記述は直ちに削除いたします。  アマゾンも何もやましいことがないのでしたら明確にお答えください。「答えられないということは、表ざたにできないことをしている」と思われても仕方ないでしょう。 「アマゾンは公正なビジネスをしていない」と思われても仕方ないでしょう。 しかもこのことを書いた後、緑の本は、9ページ目まで下がっています。 これもKADOKAWA(松原眞樹社長)の依頼ですか。違うなら「違う」とご回答ください。(出版社経由で結構です)私は2度も私の本だけ配送料を有料にされた本の著者ですから、本当のことを知りたいです。

私は送料を有料にされる以外に、アマゾンのランキングを下げられたり、中古の本の価格を1円にされたり、いろいろな妨害や嫌がらせをKADOKAWA(松原眞樹社長)からされています。 最初に中古の本の価格を1円にされた時のことはこちらのブログの水色の文字の部分に書きました。 2度目に1円にされた時のことはこちらのブログの終わりのほうに書きました。 妨害をやめてくださるよう松原眞樹社長に何回もお願いしているのに、ちっともやめてくださらないので、まるで「いじめ」のように私には感じられました。
自分の書いた本は「自分の分身」のようなところがあります。 だからその本にこういうことをされると、とても悲しい気持ちになります。 我慢していても時々、アマゾンのページを見た瞬間に思わず、松原眞樹社長に「もうやめて下さい。」と心の中で叫んでいる時があります。 今年は2020年ですから、2008年に松澤喜好氏に盗作されて、アスキーメディアワークスに隠ぺい工作をされて、その後KADOKAWA(松原眞樹社長)に妨害されて、今年で12年の歳月が流れました。 一つの企業が、個人に対して、12年も不正行為をし続けているのですね。KADOKAWAには松原眞樹社長のほかに角川歴彦氏をはじめ何人も取締役の方々がいらっしゃいます。  取締役には他の取締役の不正行為を監視監督する義務があります。(取締役の善管注意義務)他の取締役の方々は私に対する松原眞樹社長の妨害をやめさせてください。

最近ではレビューにも疑問を持つようになりました。
私の本「帰国子女に見る世界に通用する英語力の作り方」のアマゾンのレビューについて。(こちらのページ)
2021年2月19日現在、この本には4つのレビューが書いてあります。(総数は5と書いてありますが私もこの4つのレビューしか読んだことはありません) 星1つを付けた方はたった一人ですが、棒グラフでは52%の人が星1つを付けたとあらわされています。  評価は「単純平均ではなく信頼性を検証して書かれている」ということですが、星1つを付けた方はたった2行しかレビューを書いていません。 他の方はとても詳しく書いてくださっています。  星1つ=52%というのが、信頼性を検証した結果なのでしょうか。(星5つ2人=28%、星3つ1人=20%、総合評価2.5)


12月8日加筆

3回目に私の中古の本が1円にされたのは今日(12月8日)でした。13時38分、確認しました。こういう時だけランキングの1ページ目や2ページ目に載るのですね。  先月360円くらいだった時から少しずつ下げられて今日は、1円になりました。 私はその過程を毎日見てきました。  最後の方は毎日2回ずつ下げられて、1円になりました。  価格が50円を切った時、また1円にされるとわかりましたので、心の中でKADOKAWA(松原眞樹社長)に「やめて下さい」と毎日お願いしていました。 もうそれしか私にできることはありませんでした。でも、当然、そんなことではやめてもらえませんでした。 英語教育以外のことであまり騒ぎたくなかったからハッシュタグも「英語教育関連事項しか付けない」と決めていました。 けれども、少しでも読んでくださる方がふえれば松原眞樹社長にも妨害をやめてもらえるかと思って、「KADOKAWA」というハッシュタグをその時につけました。 同じ理由で、今日「アマゾン」というタグもつけました。 でもあまり関係ないかもしれませんね。 (12月3日に「向後秀明」というハッシュタグをつけた理由は本文前半紫色の部分に書いてあります。 この方の妨害は巧妙で執拗でした) 
価格を下げられている間、本のランキングは7ページ目、8ページ目が当たりまえになるほど下げられていました。 前にも書きましたけれど、送料を私の本だけ有料にしたり、ランキングを下げたりするのはアマゾンに何らかの見返りをしなければやってもらえないでしょう。 そのお金はKADOKAWA(松原眞樹社長)は、どういう名目で支出しているのでしょうか。 「妨害の依頼」とは書けないでしょうから、虚偽の名目を会計書類に記載するのですか。 会計処理に虚偽の記載は税法上問題があります。 公正な企業活動はお金の流れの面からも裏付けられなければなりませんので、虚偽の記載は税法上禁止されています。

アマゾンもお金をもらえば、不正行為でも犯罪行為でもなんでもするというのはよくないと思います。(下に書いたような20億円もの不正行為をする企業ですから、アマゾンの事業方針にモラルなどないのかもしれませんね。) アマゾンもKADOKAWA(松原眞樹社長)の犯罪行為に加担していることと同じです。  私は、最近、「アマゾンもKADOKAWA(松原眞樹社長)と同じ犯罪を犯している」と思うようになりました。 下に書いた事件ではアマゾンが納入業者に不当に払わせた20億円を返金するから公正取引委員会はアマゾンに対して行政処分は行わない、ということですが、アマゾンは悪いことを平気でするモラルのない会社ですから、その罪に対して行政処分をきちんと行ってくださった方がよかったと思います。 納入業者に不当に支払わせたお金を返金するのは当たり前ですから。 20億円くらいアマゾンには何でもないでしょう。 (下が、今述べた中古本の価格の直近の推移です。 先月の360円くらいから1円まで、一直線に下がりました。 その間、価格が前の日よりわずかでも上昇した日は一日もありませんでした。 同じ価格に留まった日も一日もありませんでした。一直線に1円まで下がりました。下げられる割合が一定していましたので、12月の初めには、「1円にされるのは火曜日ごろかな」と思っていました。やっぱりそうでした。)

本は自分の分身のようなところがありますから、最後は毎日2回ずつ下げられるのを見ているだけで私自身は胸のつぶれるような思いがしました。 やっている人は著者にそういう思いをさせるためにやっているのでしょうが、体にも心にも毎日ボディブローを受けているようでした。 何週間も個人を痛めつける目的で、準備をされるのでは私は何も太刀打ちできませんでした。  KADOKAWA(松原眞樹社長)は著者をいたぶる目的でアマゾンのサイトを利用し、アマゾンはそれを十分承知でやらせている。 「一個人が一部上場企業(KADOKAWA(松原眞樹社長)に何を言おうと巨大企業(アマゾン)に何を言おうと誰も取り上げはしない」とわかっているからでしょう。無名の犯罪被害者など痛めつけておけばそのうちいなくなると思っているからでしょう。 KADOKAWA(松原眞樹社長)は、結婚後すぐに家庭に入ったような社会経験の少ない女性など痛めつけておけば、そのうち何も言わなくなると思っているからでしょう。

12月26日 KADOKAWA(松原眞樹社長)にお聞きします。12月26日21時28分現在私の赤い本はアマゾンのランキングの21ページ目にありました。 21ページ目というのはあまりにもひどくありませんか。 これはランキング最後のページです。(もう、この文を書いている今はリンク先のページも変えられてしまいました。) 

あの時の21ページ目は下のようになっていました。(この黒字の部分は26日から3日後に書いています)今私のブログのリンクからジャンプした21ページ目とは全然違う画面ですね。 今(29日22時49分現在)私のブログからジャンプした21ページ目にはスポンサー推薦の5,6冊の本しか載っていません。  そしてその一番下は松澤喜好氏の青い「英語耳」の本になっています。 あの後KADOKAWA(松原眞樹社長)がこの21ページ目の画像を作成されたのですか? (それに29日22時49分現在アマゾンのこのランキングに21ページ目はありません。20ページ目までしかありません。この後KADOKAWA(松原眞樹社長)がまた、21ページ目を入れるのかどうかはわかりませんけど。私はもう、追っていけませんから。)
それぞれの本の表紙もコピーしてあったのですが、表紙のデザインにはおそらく著作権があると思いましたので、表紙の画像は削除して、本の題名のみであの時の21ページ目を再現しました。  あの日(26日)私が「ひどい」と驚いた21ページ目は下のようになっていました。 2番目が私の本です。


無理なく続く英語学習法
ジェイソン・ダーキー、 古川 武士 | 2012/9/8
5つ星のうち3.7 5
単行本
¥1,650
17ポイント(1%)
通常配送料無料
一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です。
こちらからもご購入いただけます
¥1 (48点の中古品と新品)



英語発音、日本人でもここまでできます。―発声から変える川合メソッド
川合 典子 | 2010/12/1
3.6 out of 5 stars 14
単行本
¥2,640
26ポイント(1%)
通常配送料無料
一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です。
こちらからもご購入いただけます
¥1 (31点の中古品と新品)



田尻悟郎の楽しいフォニックス
田尻 悟郎 | 2010/4/1

3.2 out of 5 stars 4
単行本
¥1,760
18ポイント(1%)
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¥700 (16点の中古品と新品)


最短・最速で英語耳!8000ヘルツ英語聴覚セラピー(CD付)
篠原佳年 | 2010/5/27
5つ星のうち3.4 9
単行本
¥1,540
28ポイント(2%)
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一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です。
こちらからもご購入いただけます
¥1 (20点の中古品と新品)



キングで学ぶ英語のリズム (シリーズ 英語音声への挑戦)
寺島 隆吉 | 1998/7/1
単行本
¥1,834
18ポイント(1%)
通常配送料無料
一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です。
こちらからもご購入いただけます
¥518 (10点の中古品と新品)



ロックで広がる英語の世界――心とからだを解放する (シリーズ英語音声への挑戦1)
寺島隆吉 | 1997/6/17
単行本
¥1,980
20ポイント(1%)
通常配送料無料
一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です。
こちらからもご購入いただけます
¥653 (13点の中古品と新品)


場面別リスニング集中講座
実松 克義 , ジェフリー ケディ他 | 1996/2/10
単行本
¥1,210
22ポイント(2%)
通常配送料無料
一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です。



大判みいちゃんママのA4サイズフォニックスアルファベットフラッシュカード132枚入
妹尾佳江、 もぐらぽけっと | 2016/6/20
Stationery
¥13,037
130ポイント(1%)
通常配送料無料
一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です。
こちらからもご購入いただけます
¥12,543 (2点の新品)


共鳴と切れが良くなる!英語発音―音調CD付
重田 勲 | 2013/10/1
単行本
現在在庫切れです。


英語のXYZ
寺島 よしき、 大澤 紀博 | 2005/11/1
単行本
この本は現在お取り扱いできません。


てゆーかこれが英語。
寺島 よしき | 2001/9/1
単行本
この本は現在お取り扱いできません。



ボディガード・ワークブック
渡辺 幸俊 、 Bruce A. Perkins | 1995/3/1
単行本
この本は現在お取り扱いできません。

英語、好きですか フォニックスと発音 CD
松香洋子 | 1981/6/1
5つ星のうち4.0 1
CD
現在在庫切れです。
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   それから1時間後(同日22時27分)、私の赤い本はランキング19ページ目に掲載され、21ページ目、自体がなくなりました。(19ページ目というのも相当ひどいと思います。)  たまたま今夜見て自分の本が21ページ目にあるのを見つけましたけれど、もう、KADOKAWA(松原眞樹社長)に、いつ何時何をされるかわからない怖さと不安を感じます。 私の知らないところでされる嫌がらせはまるでストーカーのようで、怖いです。   23時1分、21ページ目がまた出てきましたけれど、私はもうこの動きをずっと追いかけていくことはできませんのでここまでの記述で終わりにいたします。 この後、KADOKAWA(松原眞樹社長)がアマゾンのページを私の言ったことと違うようにどんなに変えても、私はもうその動きについていけません。 (このランキングのページを私の言ったことと違うように素早く変えるのも、KADOKAWA(松原眞樹社長)の「自分は何もしていない」「川合典子の言っていることが間違っている」と思わせるための手法ですか。もう私個人ではKADOKAWA(松原眞樹社長)とアマゾンが結託して働く悪事にとても太刀打ちできません。KADOKAWA(松原眞樹社長)のように自分の言う通り動く社員がいるわけでもありませんから。)  私の知らないところで私に対して執拗に行われるKADOKAWA(松原眞樹社長)の妨害や嫌がらせは、ストーカーのようでとても怖いです。



中古の本の価格が1円まで下げられる様子(赤い字の部分)

(12月6日夜)
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昨夜(9月10日)7時のNHKニュースでアマゾンジャパンのことを報道していました。
アマゾンが販売した商品の値引き分を納入業者に補填させていた問題で、アマゾンが納入業者1400社に20億円返金する、というニュースでした。 これを受けて公正取引委員会はアマゾンジャパンに独占禁止法違反での行政処分は行わない。 アマゾンジャパンは「すべての取引先企業とのビジネス展開において、オープンかつ建設的な対話に取り組んでまいります。」というコメントを出しました。 ということでした。
アマゾンジャパンには、オープンで透明性の高いビジネスをしてほしいです。私はいまだに、なぜ私の本だけが送料有料にされたのかわからないままです。 オープンで建設的な対話に取り組んでいく姿勢があるのなら、私の本だけなぜ送料が有料なのか、きちんと説明してください。 巨大企業だから何でもやりたいようにやっていいわけではありませんよね。きちんと説明してください。 


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英語発音、日本人でもここまでできます。―発声から変える川合メソッド
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* * * それでは今日のブログに入ります * * *

文部科学省が作成した下の2つのビデオを拝見しました。 その感想を書きます。
(ビデオ1) なるほど!小学校外国語①言語活動  直山 木綿子 文部科学省初等中等教育局視学官 × 櫻木 瑶子 文部科学大臣報道官と小学校の外国語教育はこう変わる!
(ビデオ2) ③〜言語活動を行う動機付けのはかり方〜私が見たのは3時間目の授業の方です。

小学校の英語教育が始まったときのことを私はよく覚えています。文部科学省が率先して始めたわけではなくて、保護者の皆さんの「英語はもっと小さいときから教えたほうがいいのではないか」という強い要望があって、それに押される形で文部科学省が小学校からの英語教育を始めました。

私は英語を小学生の時から教えるメリットがあるとすれば、発音の分野だろうと思いましたので、その結果を注視していました。  Youtube にたくさんアップされていた小学校の英語の授業を見て私が思ったことはこちらのブログに書いてあります。

2015年8月30日 文部科学省の方針(小学校から英語の授業)を実施したので、小学生がカタカナ発音で話しています。(1)

小学校の英語の授業を見るとき、多くの方は先生がどう教えてるかをご覧になると思いますが、私の場合は授業を受ける生徒たちの発音をヘッドフォンを付けて一つ一つ聞いていました。  その結果思ったのは、やはり発音は学習者がたくさんの英語を自分の耳で聞いて同じ音で発音し始める過程を取らないと小学生といえどもネイティブ発音にはならないということでした。  週に数時間英語の授業をネイティブから受けてもカタカナ発音のままだ、ということが分かりました。  聞く量が圧倒的に足りないということです。  それではどのくらいの量の英語を聞けばネイティブ発音になるか、ということについては下のブログに書いてあります。

2015年6月1日 文部科学省の方針(中学校、高校の英語の授業を英語で行う)を実施すると、中学生、高校生が、カタカナ発音で話し始めます。

そのころ私は小学校の先生方が行う英語の授業にいくつか参加しました。  ただでさえ多忙なのに、その上に英語の授業を研究しようという先生方ですから、非常に熱心でどれも(ある一点を除けば)素晴らしい授業でした。  (その時の感想はこちらのブログに書いてあります)
このビデオの先生もそうですね。  児童教育の専門家として素晴らしい授業ですね。  もし、ヨーロッパの国でこういう英語の授業をしたら、申し分のない授業だと思います。  母国語が英語と似ている国で行われた授業だったら、これで申し分ない授業だと思います。  生き生きと授業に参加する子供たちを見れば、それがよくわかります。 ただ、これを日本語を母国語とする子供たちに行うと、一つ問題が起こって来ます。  私がこれから書くことは小学校の先生を批判するつもりで書いているわけではありませんので、その点は誤解なきようお願いいたします。

ある一点、私が気になったのは授業に参加する子供達の発音でした。  生徒の発音はカタカナ発音です。 子供たちが授業に慣れていけば、このカタカナ発音が正しい発音に変わるかというと、そういうことはありません。  このまま中学、高校、(大学)と英語の授業を進めて、子供たちが大人になって日本の外に出た時、「日本人の英語はよくわからない」という今の現象がそのまま続くことになります。 日本にいる外国人の方々は一生懸命日本人の英語を聞いてくれますので、日本にいるとわかりませんが、日本の外に出ると日本人の発音は非常に聞きにくいです。  通じない場合が多いです。   



文部科学省初等中等教育局視学官直山木綿子先生には、子供たちの発音がカタカナ発音であることや母音の区別がされていないということは聞き取れないようです。  先生方に英語の授業のアドバイスをするならば、少なくとも、子供たちの発音を聞いて、カタカナ発音か英語の発音かの区別が出来るようになってから、アドバイスを行っていただきたいと思います。

「英語の授業が楽しくないから子供たちは興味を失って英語を勉強しなくなる」その結果英語力が上がらない。 そう考えて、小さいときから楽しく授業をすれば子供たちは興味を持って英語を勉強するようになると文部科学省は考えているようです。  それで楽しい授業の工夫がされているようですけれど、小学校で楽しく学んだから中学生になって、関係代名詞や仮定法で躓くことがないかというと、そういうことではないと私は思っています。

やはり、文が複雑になってきたり、英語で表現される概念になじみのないものが入ってくるとそれが難しくてついていけなくなる子供たちは今と同じように出てくると思います。  そのくらいのレベルになるともう楽しいだけで、英語は勉強できなくなります。  そのハードルを乗り越えるために何をしたらよいか。  それはハードルを乗り越えるだけの英語の基礎体力を生徒に日々付けさせることだと私は思っています。  それが、私がこちらのブログに書いた中学生の勉強の仕方です。
2年ほど前、私は郵便局に用があっていきました。 そして用が終わった後、私を担当してくださった方とお茶をいただきながら、お話しをしました。  その方には中学1年生の息子さんがいらして、お母さんは息子さんをアメリカの学校に通わせようと思っていました。 お知り合いがアメリカにいて、そこに息子さんを預けてアメリカの学校に通わせたいようでした。 それで私は「どう思われますか」と聞かれました。

私「お子さんがアメリカに行きたいと言っているのですか?」
お母さん「いいえ。英語を身につけさせるために私が息子を一人でアメリカに行かせようと思っています。」
私「中学1年生で仲の良い友達と別れて言葉の通じない知らない子供ばかりの中に一人で入っていくのはお子さんにとってつらいと思います。  一人でアメリカに行ったら、学校から帰ってきて家族と日本語で話せるわけでもありませんし、食事も慣れた日本食は食べられなくて、毎日アメリカの食事では、最初はとてもきついのではないかと思います。」
このお母さんは息子さんの英語をとても心配されていたので、私は次のようにお聞きしました。「息子さんはI like music. を主語をHeにしたら、すぐにHe likes music. といえますか?(like がlikesに変わります)」
お母さん「今、そういうところがだんだんあやふやになってきています。」とおっしゃいました。
私「中学生の時は、いろいろなことをさせないでまず学校で習う基本的な文が考えなくても口をついて出てくるようになるまで言う練習をしてください。 基本的な文が考えなくても口から出てくるようにならないと次に新しいことを学ぶ土台が出来ませんから。言う練習をするときはCDを使ってください」と私は答えました。  習ったことについて常に考えなくても口から自然にその文章が出てくるようにしておくこと、これが英語の基礎体力だと私は思っています。

ヨーロッパの言語を母国語とする人たちは言いたいことを母国語から英語に直していけばある程度、英語を習得できる部分がありますけれど(言語に似通った部分がある)、日本人の場合は技術的な学習としてどうしても教えていかなければならない実技があります。それが発音です。  これは日本人が英語を通じるように話すためには避けて通れない事柄です。  具体的には各母音、子音の習得はもちろん、子音の日本語化とリズムです。  子音の日本語化はこちら(HP)で解説してありますが、多くの日本人の大人はすでに英語の子音の長さが聞き取れないように耳が出来上がっていますので、子供の英語を聞いてもその点に気づかない人が多いです。直山木綿子先生もお気づきにはならないようです。  直山先生は子音の長さが聞き取れないので、生徒の発音に違和感は感じないようです。  

もう一つのリズムは、このビデオの授業では文が短いので問題になりませんが、長い文になってくると相手の人に聞きにくいという問題を起こします。  アメリカに行ってしばらくして私の息子が英語に慣れ始めたころ、こういいました。  「僕はね、多少この言い方でいいのかな」と思うことがあっても文は途中で切らないで最後まで言い切ることにしている。  日本人の英語が通じないのは変なところで文を切るからだよ」といったことがありました。 変なところで文を切ると、アメリカ人が聞きなれている強弱のリズムとは違ってきますので、相手の人が聞きにくそうな顔をして聞いているのをよく見ました。

日本語でもそうですね。  どこかのブログに書いたと思いますが、空港でアメリカ人がしゃべった日本語のアナウンスを聞いているうちに文を切るところが日本人と違うので、私も途中で聞き取れなくなったことがあります。

各母音、子音の特徴と「子音の日本語化」とリズムはどうしても英語学習の最初から子供たちに訓練していかなければなりません。

日本人が英語を言語として使えるために最も大事なことは英語が通じることです。  相手が理解できる英語で話すということです。  私もシカゴに行くまでは日本人の英語が通じにくい(最悪の場合通じない)とは知りませんでした。  大学の英会話の授業でもアメリカ人の先生は生徒の多少おかしい発音でも全部理解してくれていましたから日本人の英語が通じないと思ったことはありませんでした。  ですからシカゴにいたころ、ある日テレビのニュースで、日本の経済界では英語が堪能で有名な方が英語で記者会見しているのに、テレビに英語字幕が出ているのを見た時は、驚いてしまいました。  1990年ごろでした。 この時初めて日本人の英語は通じていないのだと知りました。  それから注意してみていくと、日本人の英語が「通じていない」「非常に聞きにくそうに相手が聞いている」場合がたくさんあることに気付きました。  このビデオに出てくる子供たちが大人になったら、やはり通じない、非常に聞きにくい英語で話すようになります。 でも直山木綿子先生は児童の発音がカタカナ発音だということや母音が区別して発音されていない、ということにはお気づきにならないようです。  授業について先生方にアドバイスするなら、せめてカタカナ発音と英語の発音の区別くらいは出来るようになってからなさった方がいいと思います。  

留学した方々は日本人の英語が聞きにくいと言われたことはないと思います。  2度目の赴任で、ニュージャージーに住んでいたころ、私がイギリス英語に興味があって「学校でイギリス英語を話すお友達はいるの?」と娘に聞いたら、「お母さん、学校では誰々の英語は~~だ」とか言ってはいけないんだよ」といわれました。  学校では生徒心得マニュアルのようなものが、生徒一人一人に配られます。 私も全部読みましたけれど、その1ページ目に先生と生徒、生徒と生徒は互いにrespectをもって接すること。  という決まりが書かれていました。 一番始めのページに書かれているということはそれが学校生活で一番大事なことなのでしょう。 お互いにrespectをもって接するときに「あの子の英語は聞きにくい」などとは言いませんね。  ですから留学した方は日本人の英語が通じにくいということも気づいていないと思います。 長期に現地にいれば、中にはネイティブのように聞きやすい英語に変わっていく方もいらっしゃいます。
通じる英語を話すためには日本人にはどうしても発音練習が必要です。  それが楽しくても楽しくなくても通じる発音を身につけることは必要です。 「良い」とか「悪い」とかの問題ではなく、正しい発音を習得させないと言っていることが通じない、つまり、言語として使えない、ということなのです。 通じない英語を話している、ということは英語が全く話せないのと同じことなのです。

私の子供たちはバイリンガルですけれど、彼らが楽しい学習だけして、バイリンガルになったかというとそうではありませんでした。  彼らがした勉強の99%は本当はしたくない勉強でした。  娘はベッドの上で夜遅くまでブツブツ地理の用語とその意味を英語で書いた文章を暗記していましたし、息子は化学の元素記号の元素の名前を暗記していましたし、ロミオとジュリエットのロミオのセリフも暗記していたようです。 彼らにとって、やりたくない英語の勉強が日常の学習の99%を占めていました。

外国語を学ぶ以上、言いたいこと楽しいことだけやっていて、習得することは出来ません。 ただ、日本で外国語として英語を学ぶ場合、中学生のような若い時期だと初めてのものに対する好奇心もありますから、それほどの苦行にはならないと私には思えます。 それに若いと確かに口も滑らかに動きますし、耳もいいですから、早く上達しますので、大人がするほど大変ではないように思えます。 家庭学習として少しずつの学習を習慣化させればそれほど負担にはならないと思います。

文部科学省は私がどれほど言っても発音を学校で教えることを全く考えないで英語教育をしようとしています。 このことについて私はずっと考えていました。

何度も書いているように下の私のブログは為政者によってかなりひどい妨害を受けています。何年も前から、決まった4語の検索ワードで検索すると、毎日2位にでてきていたのに、今年1月末から突然どこにも出てこなくなりました。  
2017年11月2日 「中学時代に、きちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか?」

私はおかしいと思いました。  このブログよりもっと文部科学省に都合の悪いブログ(例えば4技能は役に立たない)を私は書いているのに、それは順位を下げられる程度の妨害を受けているだけなのに、なぜ、「中学時代に、きちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか?」のブログだけがこんなに激しい妨害を受けるのだろうか、と私はずっと考えていました。  考えていた時、ふっと、数年前の出来事が頭に浮かびました。

それは2015年6月1日のブログを私が書いたころだったように思います。

そのころ文部科学省は英語の授業を英語で行うことを盛んに国民に言っていました。 「泳げるようになるには泳ぎについて学ぶよりも実際に泳がせなければならない」と主張する文部科学省の向後秀明教科調査官がいろいろなところで講演を行っていました。 その時、そういうイベントを告知するページに、ある大手英会話学校の名前がそのイベントに協力する形でいつも出てきました。 それを見て、私はとても不思議な気がしました。なぜ公平であるべき文部科学省のすることに、いつも同じ英会話学校の名前が出てくるのだろうと思いました。

私の父は公務員でした。  第二次世界大戦後公務員として働き始めました。  若いころ軍国主義を叩き込まれた父と同じ年代の人々は戦後今まで経験したことのない新しい「民主主義」という国家の体制の中で働き始めました。  

新しい体制の中で手探りで多くのことを学んでいったのだと思います。  公務員としてどう働くべきか。  もちろん職場で研修もあったでしょうが、父はそれを一生懸命自分なりに考えて身に着けようとしてきたのだと思います。

私の実家は二つの道が交差する角に立っています。住宅地ですから車はほとんど入ってきませんが駅に近いので、いつも少しの人通りはありました。  それで、選挙の時期になると運動員の方が候補者のポスターを持ってよく家に来ました。 「お宅の塀にポスターを張らせてください」と頼まれると父はいつも次のように答えてお断りしていました。

「私は公務員ですので特定の政党を応援する活動をすることは出来ません。」

小学生の時からそういう父の姿を見ていたので、私は「こうむいんってそういうことをしてはいけないんだ」と子供ごごろに思いました。 まだ「公務員」がなにかもわからない頃からそう思っていました。  中学、高校になってからも父のそういう姿を見ていたので、「公務員って公平な立場で仕事をしなければいけないんだ」と当たり前のように思うようになりました。 一度、市議会議員の選挙で黙って塀にポスターを貼られたときは、その候補者を知っている方に電話をして取り外してもらいました。 普段はご近所の方に何も言わない父でしたが、選挙のポスターに関しては一度も受け入れたことはありませんでした。  

私は父のそういう姿をずっと見てきましたので、今から4年くらい前、文部科学省の向後秀明教科調査官と、いつも文部科学省のイベントのページに名前があった大手英会話学校(イーオン)の社長(三宅義和氏)の対談が、「イーオン社長とゆかいな仲間たち」という題でオンラインの雑誌(PRESIDENT Online)に載っているのを見た時、大変驚きました。  文部行政を決定する権限を持つ国家公務員が特定の英会話学校の社長と対談してそれが「英会話学校社長とゆかいな仲間たち」という題で、ネットに載っている。「そういうことをしていいの?」と思いました。文部科学省の教科調査官は、大手英会話学校イーオン社長の仲間なのですか。文部科学省の教科調査官は国民の税金で働いています。 向後秀明教科調査官の行いは非常に軽率で、国家公務員としての自覚に欠ける。 実際に何を与えなくてもその映像を見るだけで、この英会話学校のビジネスに文部科学省(国)がお墨付きを与えているような印象を人々に与えてしまう。 日本に英会話学校はたくさんある。 すべての英会話学校に対して文部科学省は、公平な扱いをするべきではないのか。 特定の事業者と密接な関係にあるようなことを公(おおやけ)に行ってよいのか、私はそう思いました。 人事院は公務員が公平な立場で仕事をしなければならないことについて、もう少し徹底させた方がいいのではないですか。 向後秀明氏の行動はこちらの義務違反防止ハンドブックにある国家公務員の服務規律違反ではないのですか。(日本国憲法第15条第2項、すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。) また「英語で授業」を提唱すること自体、向後秀明氏が英語発音とカタカナ発音の区別が出来ない、ということですので、向後秀明氏は英語音声学をきちんと学ぶ必要があります。 英語で授業、English Only 、日本でこういう環境に生徒を置くと、生徒の話す発音はボロボロになります。 英語とは全然違う子供たちの発音に気づかない指導者は英語発音とカタカナ発音の区別が出来ない、ということです。(それに子供は普段使っていない言語で授業なんかされても、まったく頭に残りません。)向後秀明氏は大学で音声学を履修されなかったのでしょうか。 先生方に講演するなら、最低限、英語発音とカタカナ発音の区別くらいできるようになってからにしてください。(現在、向後秀明氏はこちらの大学の教授だそうです専攻分野が「英語教育」「英語科指導法」「英語教育施策研究」と書いてありますが、カタカナ発音と英語発音の区別も出来ないようでは、正しい英語教育については全くご存じありませんね。向後氏が講演して回った「英語で授業」の方針のために、日本の英語教育がどれほどの損害を受けてきたと思っているのですか。 高校の先生方がどれほど苦悩されてきたと思っているのですか。その責任をどうお取りになるつもりですか。向後秀明氏は子供たちの発音をボロボロにするでたらめの指導法を各地で講演して勧めてきたんですよ。その責任をどう取るのですか。 それとも大学教授は間違ったことを提唱してもまた知らんぷりですか。) 2019年11月11日の羽藤由美先生のツイッターに向後秀明氏のことが載っているのを今日(9月5日)見つけました。そこには「向後秀明氏が、ベネッセ直下の天下り団体ともいえる進学基準研究機構(CEES)の理事をしていた」ということが書かれていました。また、「英語民間試験123億利権に群がった役人・教育者・企業たち」という記事が紹介されていて、向後秀明氏の名前もありました。   敬愛大学のHPで、「2.これからの英語教育に求められることは何だと思いますか?」という大学の質問に「授業は英語で行うことを基本とする」とか高校では言語活動が高度化してディベートやディスカッションを行う」とか、発音をボロボロにする授業形態をいまだに提唱していたり、アメリカでは、ディベートやディスカッションを行うために小学校からどういう指導をしているかも知らないで、高校でいきなりディベートを持ち出すなど、向後秀明氏は英語教育をもう少し緻密に勉強されたほうがいいです。 何でもアメリカの真似をすれば生徒の英語力が上がるというのは安易な英語教育論です。(結果は全く効果はありません。向後秀明氏は効果の検証をしたのですか。効果のない指導法を先生方に勧めるのは無責任です) 日本には、アメリカのような大量の英語のインプットはありません。英語教師は、英語教育におけるインプットの重要性を知っていてしかるべきです。   なぜ、カタカナ発音と英語の発音の区別をする能力のない向後秀明氏が、英語の先生方の指導をするのですか。 音声学もまともに身につけていない向後秀明氏に先生方を指導する能力はありません。 なぜ洪水のような大量の英語のインプットがあるアメリカと日本の言語環境の違いにも気づけない向後秀明氏が英語教育の指導に当たるのですか。 インプットの重要性を知らない向後秀明氏に英語の先生方を指導する資格はありません。 そんなことも知らない向後秀明氏が日本の英語教育の何を指導するのですか。 向後秀明氏の英語教育法に従っても、日本の子供たちの発音がボロボロになるだけです。向後秀明氏自身が英語発音とカタカナ発音の区別がつかないのですから当然です。 向後秀明氏には英語の先生方を指導する能力も資格もありません。 (向後秀明氏の問題点は、こちらのブログで指摘したことと同じです。  参考になさってください。2019年5月18日「立教大学教授松本茂氏の提唱する授業は高校生にはできない授業です。 やったとしてもなんの効果もありません。」)


文部科学省が盛んに「英語で授業を行う」と国民に言っていたころ、「英語で授業」とネットで検索するとその大手英会話学校(イーオン)のキャンペーンのページがいつも上位に挙がっていました。
「英語で授業を行う先生のための英会話レッスンを無料で行います」というキャンペーンでした。

けれども皆さんご承知のように2015年6月1日のブログを書いた後から、私は「英語で授業」は何の効果もない、と主張し、そのうち文部科学省も、「英語で授業」とはあまり、言わなくなりました。 そしてその大手英会話学校のキャンペーンも検索には出てこなくなりました。

私はその経過を見ていて、キャンペーンをつぶしてしまったみたいで悪いとは思いましたけれど、「英語で授業」なんて、ちっとも子供たちの英語力向上につながらないのだから、仕方ないわ。 と思いました。  今思うと私はこの時、いわばこの英会話学校の先行投資をだめにしたわけです。  この英会話学校は日本中の中学高校で「英語で授業」が始まれば、多くの先生方が顧客としてレッスンに来ると見込んでいたことでしょう。  だから、その方針を促進するための文部科学省の講演会にもいつも名を連ね、無料体験レッスンも用意したのでしょう。 その為の宣伝もしてきたのでしょう。  日本中の中学高校の先生が顧客となれば、その先行投資は、何倍もの利益となって返ってくるはずでした。 でも「英語で授業」がだめになったからそうはなりませんでした。 川合典子が余計なことを言うから、このビジネスはうまくいかなかったと思ったことでしょう。

もし、私の言う通り、中学校で生徒各自にCDを渡してスピーキング教育をしたら、生徒は中学卒業時にはネイティブに近い発音を習得しますので、大人になっても「発音習得」あるいは「発音矯正」のために英会話学校に行く人はほとんどいなくなると思います。  つまり、私が提示したようなスピーキング教育を学校ですると英会話学校に行く人の数は激減すると思います。  それでも「話す」という練習をしたい方で英会話学校に行く人はいるかもしれませんが、大学時代の大量の英文読書まで行えば言いたいことは自然に英語で頭の中に浮かんできますので、練習しなくても大学の活動などでしゃべっていればいいわけですから、会話学校に行って話す練習をする人も激減すると思います。

つまり、私の主張するような発音教育を学校ですると英会話学校のビジネスは大きな打撃を受けるということです。 少し前まで、文部科学省のイベントにあれだけ名前を出していた英会話学校。  その英会話学校の経営を守るために、文部科学省が故意に発音教育を学校の英語教育から排除しているということはないのだろうか、と私は思うようになりました。  「日本人の英語が通じない」これが一番改革しなければならないことなのに、文部科学省は発音ひとつ学校で教えようとはしない。 CD一つ子供に与えようとはしない。 それは、何かおかしい。と私は思いました。 誰だってスピーキングが上手になりたかったら、英会話のCDくらい買いますよね。 音声モデルがいることくらいわかりますよね。 日本で「英語を勉強する」といったらまず音声の教材が浮かんでくるくらい、英語学習と音声の教材は結びついています。 日本人の英語の問題点はスピーキングが出来ないことだとみんな知っている。大学入試で50万人の受験生にスピーキングテストまでしようとするくらいみんな知っています。 それなのに、学校でスピーキングの基礎である発音指導はしないし、生徒にCDも配布しない、それは何かおかしい、と私は思うようになりました。

一番最初に挙げた文部科学省のモデル授業のビデオを私は友人にも見てもらいました。  彼女は23年アメリカで暮らして今は日本にいます。  お子さん二人はバイリンガルです。  メールで送られていた彼女の感想は次のようなものでした。

授業の子供たちはとても楽しそうですね。
担当の先生も子供たちの好奇心をよく掴んで、テンポよく進めていらっしゃると思いました。

ですが、先生も子供たちもその発音は別問題です。日本語の発音と全く同じですもの。
発音、イントネーションには全く思慮が払われていないように感じました。
単純な文章と単語の段階ですから、徹底的に真似することを教えれば
もっと完璧に行けるはずだと思います。

これが彼女の感想でした。

私は、教師がネイティブと同じ発音が出来ないのは仕方ないことだと思っています。  先生だってそういう発音教育を受けてきたわけではありませんから。  ですから私は中学生の時、「日本人の先生が英語の発音を聞くことが出来ても同じように言うことが出来ないのは仕方ないわ。  だったら、ネイティブの音そのものから学べばいいんだわ」と思って英語のテープを親に買ってもらってスピーキングの練習(文章のまま発音を習得する練習)をしました。 

つまり生徒に正しい発音を習得させるには子供たちの(大人より)良い耳を使って英語の音そのものをダイレクトに取り込ませることが一番重要だということです。  その為には音声の教材は必ず必要です。  なのに、文部科学省は今までに、一度も音声の教材を子供に配ったことはありません。  なぜなのだろう。  そして過去には英会話学校と密接なつながりがあった。  そして私のブログ「中学時代に、きちんと発音習得をした英語教育の専門家はいないのでしょうか」が非常に激しく妨害されている。

それらを考えた時、文部科学省が音声モデルを生徒に配布しないことが、単なる偶然ではなく、意図的に行われているのではないか、と私は思うようになりました。

「スピーキングを何とかしたい」「通じる英語で話したい」と日本人が思ったとき、子供の親や、学習者本人が考え付くのはまず、英語の音声を手に入れて聞くこと(子供なら聞かせる事)だと思います。  何回も聞いて練習するでしょう。  

なのになぜ日本人の英語が通じないことが問題なのに、文部科学省は生徒に全く音声の教材CDを与えないのだろう、と私は思いました。

国会議員か、文部科学省のお役人かわかりませんが、故意に英会話学校のビジネスが痛手を受けないように、学校で発音指導をしない、音声モデル(CD)も渡さない教育方針にさせている可能性は充分あると思いました。  今までに何もなかったらそんなことも思わなかったかもしれませんが、ベネッセを儲けさせるために、彼らが様々な不正な手段を使っていたことを知った今は、そういうことも十分考えられると思いました。 ベネッセの金儲けのために大学入試で英語民間試験をさせようとしたり、「生徒の学習に向かう主体性を育てるため」と国民を騙して、ベネッセの見込み顧客(高校生)調査をしようとしていたり(ポートフォリオ)、生徒の思考力判断力を重視して記述式を導入すると言いながら採点はベネッセのアルバイトにさせようとしていた。これだけのことをする人たちなら、英会話学校の経営を守るために、学校でCDを配らないくらいは平気でするだろうと思いました。 大学入試全体をベネッセに金儲けさせるために変えてしまおうとするような人達なら、英会話学校の経営を守るために学校教育から発音指導や音声モデル(CD)を排除するくらいのことは平気でするだろうと思いました。

学校教育は無償です。  でも無料ではありません。 保護者の方々は税金という形でその費用を負担しています。

就職してしばらくたった時、私の娘が給与明細を見ながら、「お母さん、税金てこんなにたくさん取られているんだね。  私、選挙にもちゃんと行って投票しよう。」といったことがありました。

20代の女の子でも「こんなにたくさん」というほど税金を払っているのです。 ましてやお子さんをお持ちの40代50代のお父さんやお母さんはもっともっとたくさんの税金を払っているのではないですか。  保護者はそんなに税金を払っているのに、文部科学省は皆さんのお子さんに発音ひとつ学校で教えようとはしないのですよ。  基本を学ぶ中学一年生にだけでもCDの一つも与えようとはしないのですよ。 音声モデルがなくてどうやって子供は発音を習得するのですか。  こんな不備なスピーキング教育がありますか。 目標とする音声モデルも生徒に与えないで、ネイティブ発音など、習得できるはずがないでしょう。 週に一時間ネイティブの先生の授業を受けたくらいでは英語の音は耳に残りません。 音声モデル(CD)を与えなかったら何をお手本に子供達はスピーキングを練習したらいいのですか。 ネイティブ発音になりたかったら、英会話学校に行け、ということですか。 保護者はこれだけの税金を払っているのですから、それはないでしょう。 不十分だと承知で、英会話学校の経営が打撃を受けないために学校では発音も教えないし、CDも渡さないのですか。
文部行政にかかわる人の中に個人的にお金をもらっているのはベネッセからだけではなく、大手英会話学校も含まれているのではないですか。 もしそのために、故意に学校で子供たちに発音を教えないようにしているのだったら、国民はとても怒ると思います。

もし私が言うことが事実無根だというのであれば次の3つの質問に答えてください。
(1)日本人がスピーキングができないという問題点を知りながら、なぜ正しい発音で英文をしゃべる発音指導を学校の授業で行わないのですか。

(2)CDを作るコストはDVDに比べて格段に安いです。  基礎を学ぶ中学1年生だけにCDを配布するなら国民一人に対し、生涯1回だけの配布です。 コストはそれだけです。  ネイティブの先生を雇用するとその後、人件費は継続して発生しますから、かなりのコストがかかります。 それにも関わらず、なぜ基本を学ぶ中学一年生だけでもCDを配布しないのですか。

スピーキングを上達させようと思ったら、誰でもネイティブの音声をまず入手しようとします。 英語教育の専門家ではなくても、普通のお父さん、お母さんでも、子供のスピーキングを良くしようと思ったら、音声の教材を買い与えます。  それは普通のことです。 今や日本では「英語学習=音声の教材」は常識です。  なのに文部科学省はなぜ今まで子供たちにCD一枚与えないのですか。

(3)私のブログ「中学時代に、きちんと発音習得をした英語教育の専門家はいないのでしょうか」を、なぜこんなに激しく妨害するのですか。 

ブログの中にある「どの人の(英語教育に関する)意見も発音習得のプロセスが全く抜けていたのです。」これを人々に読まれるのが都合が悪いのですか。


確かに私の言う通りに学校教育をしたら業者は儲からないでしょう。 でも、必要がないのですから、わざわざ学校教育を不備にしてまで、業者を儲けさせることはないと思います。
私がブログに書く英語の教育方法は学校教育だけで、グローバルな世界で充分やっていけるだけの英語力を子供たちに身につけさせる方法です。 学校教育だけでそれができるのです。 なぜなら、「特に初期の英語力」というのは学習者本人がどれだけそれを練習するかにかかっているからです。こういうことを生徒に持続して練習させるには、学校教育が最も適しています。 家庭学習として、学校で支援できるからです。 私が提示した方法は中学、高校、大学と終了までに時間はかかりますが、中学でネイティブに近い発音を習得し、高校でネイティブが考えているのと同じ英語の語順で英文を理解するようにし、大学1,2年で大量の英文読書によって言いたいことが英語で頭に浮かんでくるようにするものです。  中学で音声モデルを生徒各自に配布することと、大学では、やさしい英書からアメリカやイギリスで高校生が課題図書として読むレベルの本までを図書館に揃えていただくような環境の充実を図っていただかなければならない面もありますが、このような学習計画に沿って生徒を指導していただけば、子供たちは学校教育だけで、グローバルな世界でやっていくのに十分な英語力を身につけます。 この指導法は「英語で授業」のように、日本では提唱者(松本亨氏石渡誠氏)でさえやっていないような机上の空論ではありません。  私自身が実際に全部やりましたし、18年に渡って日本とアメリカを往復した二人の子供たちが小学校、中学校、高校すべての段階でゼロからバイリンガルになる過程とも矛盾するところはありませんでした。

私は今まで、この方法で子供たちの英語力を上げることが出来ると、人々に納得していただくことを目指してブログを書いてきましたが、文部科学省には子供たちに英語力を付けさせる、という目的以外の裏の目的があるのではないかと今は思っています。  だから、私のブログをこんなにもひどく妨害するのだと思っています。

文部科学省のお役人か国会議員か、私にはわかりませんが、その中に学校教育で発音指導をしないで、英会話学校の経営を守ろうとしている人がいるのではないですか。

それが、私の単なる思い違いなら、どうぞ文部科学省は上の3つの質問に答えてください。 答えられないのであれば、私のいうことは真実だと人々は思うでしょう。  

英語が通じないという問題を抱えた国の文部科学省が、学校で生徒に発音指導もしない、CD一枚も与えないというのはどう見ても不自然でおかしいです。 英語学習に音声の教材(CD)がいるというのは今や日本では常識です。なのに、生徒にCD一枚与えない、というのは不自然でおかしいです。 

「不自然でおかしい」と思うことには必ず何か別の目的が隠されている、と私は感じます。  ポートフォリオの解説文を読んだとき「変だ」と思ったことを突き詰めていったら、それは生徒の学習に向かう主体性を高めることではなく、ベネッセの市場調査だという本当の目的が見えてきました。  今回は、「学校で発音指導もしないし、音声モデル(CD)も与えない」という事実から、文部科学省は本当に生徒のスピーキングを通じるものにしようとしているのだろうか、という疑問を持ちました。

もし、それが誤解だというのでしたら、文部科学省は上の3つの質問に答えてください。 

もし、それが誤解だというのでしたら、私のブログに対する妨害をやめてください。

もし、それが誤解だというのでしたら、子供たちに学校で発音を教え、音声モデル(CD)を与えてください。

文部科学省初等中等教育局視学官直山木綿子先生には申し訳ないですが、この子供たちの発音をそのままにして、

授業で何を教えようと
どのように教えるのか、そのやり方をどんなに工夫しようと

この子たちが大人になって日本の外に出たら通じない英語で話す、という事実に変わりはありません。  子供たちに通じない発音で話させるのは無駄な英語教育です。  それが無駄だとわからないことが今の日本の英語教育の問題点です。  留学した大学教授でさえ生徒の発音が通じないとわからないのが今の日本の英語教育の問題点です。  

例えば松本茂立教大学教授はその著書「子供を変えるコミュニケーション活動」という本の中で発音練習しないでいきなり授業で生徒に英語を話させることを勧めています。  帰国子女の上智大学教授吉田研作氏は発音を習得させることなく「英語で授業」を高校で行うことを提唱しています。  こういう通じない発音でいくら英語教育をしてもまったく無駄です。 それさえわからないのが、今の日本の英語教育の問題点です。  

大学教授でさえ、この授業を受けている子供たちの発音を聞いてこの発音で話させる練習をしても無駄だと気づかない。 (なぜ気づかないかは本文の赤字の部分に書きました) それが今の日本の英語教育の問題点です。  子供たちが話している英語の母音も子音も英語とは全く違う音なのに、それに気づく英語教育の専門家が一人もいない、ということが日本の英語教育の問題点です。  発音指導をせずに、勝手に子供にしゃべらせるのがスピーキング教育ではないと誰も気づかないのが今の日本の英語教育の問題点です。

このブログの原稿を先週の木曜日から書いていますが、こういうことを書いて、読者の皆さんに受け入れられるだろうか、と思うと毎晩床についても、夜中の2時3時までなかなか寝付けませんでした。  でも、これ以上無駄な英語教育を子供たちに受けさせられない、と思いました。  私もいつまでブログを書いていられるかわかりません。  今、あまり目の状態が良くないので、もし視野が欠けてきたら、もうパソコンの前にはあまり座っていられない。 夜中の2時3時までもあれこれ考えて、ブログの原稿を書くようなことは出来なくなると思いました。 それでなくても、為政者やベストセラーの著者(松澤喜好氏)、KADOKAWA(松原眞樹社長)から毎日妨害をうけていますから、ストレスの多い生活です。 健康に良いはずはありませんね。 原因もわかりませんし。 半年ごとの視野検査で、怖くて足が震えたまま受けていたこともありました。      2年位前でしたか、実際に左目の視野が欠けました。  検査の後、先生が「この部分が見えていません」といいながらペンで囲んだ部分の広さに私は衝撃を受けました。 目薬も出してくださったのですが、副作用で目が腫れて使えませんでした。 私は、子供たちが小さかったころ集めた自然療法の資料を取り出して、目に良いと書かれていたことは全部行いました。 (肝臓、腎臓の浄化、食事療法、ビワの葉のお灸、目の湿布、それこそ良いと書かれていたことは毎日行いました)  半年後、左目の視野は回復しましたが、今度は右目の視野が、半年前の左目と同じくらい欠けていました。  さすがに、あれだけやっても今度は右目の視野が欠けたことに大変ショックを受けて、落ち込みました。 医学的には一度欠けた視野は回復しないといわれていますので「もし目が見えなくなるとしたら、その前に自分は何をしておいたら良いか」考えました。  「娘に料理の作り方を教えておこう」と思いました。  娘がやがて家庭を持った時、それがきっと役に立つだろうと思いました。  それから、毎週末、娘に料理を教えました。 焼き色の目安など目が見えていればその通りに教えられました。 母親が突然「今日から由紀子にお料理を教えるから」と言い出したにも関わらず、娘は結構楽しそうに料理していました。「このお野菜はどう切るの?」とか興味深々でした。 「このまま目が見えなくならないといいなあ」と私も祈るような気持で、自然療法の手当てを続けました。(昨日(10月6日)偶然、娘と話していて、目のことが話題になりました。 「あの時、ママは、すごいショックを受けていたね。 いつまで教えられるかわからないけれど、といって料理を教えてくれたね。 あの時のママは”この世の終わり”みたいな顔をしてた」といわれました。) それでも半年後の検査では足が震えました。  両目とも視野が欠けていたらどうしようと思うと震えが止まりませんでした。(目は補う作用があるので、視野が欠けていても検査するまで気づかないことも多いです)  今もあの時の手当てをつづけていますので、両目ともほぼ視野は回復していますけれど、検査の時、見づらいと思うことがあって今も不安で、検査は怖いです。 もう、妨害ばっかり為政者からも、ベストセラーの著者からも、出版社からも受けたくないです。 

今年2月1日、「民間試験導入のシナリオはすでに出来上がっている」と書いたときも怖かったです。「更新する」(ブログを公開するときにクリックします)という文字をクリックするとき、手がこわばって一回目はクリック出来ませんでした。 「為政者から何をされるかわからない」という恐怖心から、為政者の意図に気づいても3日間は何も書けませんでした。 でも、2月1日の夕食前に用があって外に出た時、「黙っていてはだめよ」と大きくまたたいていた星に言われたような気がしました。(目が悪いせいか、あの日は星の光が二重、三重に重なって星がとても大きく見えました。たぶん、前方に見えたのはヴィーナス、左に振り返ったとき後方に見えたのはシリウスだと思います。 実はこちらのブログに出てきた外国人の方と別れるときに、星のことを言われました。別れるとき、その人は、とても心配そうに私のことを見ていました。 きっとこれから私が経験することに耐えていけるか心配していたのでしょうね。 最後に励ますように星のことを話してくれました。 それなのに、私はあの時、これから自分がそんなにつらい経験をするとは知らなかったので、「星??」とまったく理解できませんでした。 でも、気になってあれからずっと、夜空にひときわ大きく輝く星を見ると、調べたり、注意して見たりしてきました。 言われたのは20年以上前でしたからこれまでに何回もヴィーナスは見てきました。 けれども、あんなに大きく輝くヴィーナスを見たのは、あの日が初めてでした。 自分の目のせいだったかもしれませんけれど、その時、心に感じた言葉(典子、言わなければだめよ)という言葉を無視できないくらい大きかったです。光もすごく強かった。 「でも怖いの。そんな企(たくら)みがあることをみんなに知らせたら、文部科学省(下村博文国会議員)から何をされるかわからない」と私は言いました。 けれども、私がそう言っても、前方のヴィーナスも、後方のシリウスも、「典子、言わなければだめだよ」と言っているようで、私は怖くなりました。「星の言うことを聞かない方がもっと怖い」と思いました。 そのくらいヴィーナスもシリウスも大きかった。 だんだん体が緊張して来て、夕食の間もずっとドキドキしていました。もうその状態を続けられないと思ったので、食事が終わったらすぐにブログの原稿を書きました。 手がこわばって一回でアップできなかったのは最初に書いた通りです。 でも結果的には2月1日に「民間試験導入のシナリオはすでに出来上がっている」と勇気を出してブログに書いてよかったと思います。翌日、夜、雨戸を閉めるときに、窓から見えたヴィーナスとシリウスに「書いたよ。これでいいのね」といいました。心身共にほっとしていました。 (でもやっぱり、そのあとから為政者の強烈なブログの妨害が始まりました。 その後、アクセス数は夜まで「9」とか一桁になりました。 きつかったですね。 朝、パソコンをひらいて、アクセス数が「0」だった時、このままつぶされてしまうのかな、と思いました)

家族はこういう話をすると笑います。「ママって変なことばっかり言う」と夫と娘は二人でおかしそうに笑います。きっと読者の皆さんも、笑っていらっしゃるんだろうな、と思います。 こちらのブログも皆さんは笑っていらっしゃるかもしれませんね。 いつだったか、海外旅行から帰ってきた人から手のひらに乗るくらいの大きなきれいな石の置物を2ついただきました。 私は娘に「こっちの石のそばに行くと刺すような気が来て痛いけれど、こっちの石のそばに行くと、とても柔らかい、やさしい気が伝わって来て心地いいわ。」と言いました。ちょうどその時、夫がキッチンに入ってきました。 娘は「ママったら、石から何か出てるっていうんだよ」といって笑い出しました。 それを聞いて夫も一緒に笑い出しました。  二人で、「ママって変なことばっかり言う」と大笑いしていました。 いつもこうですね。(でも、最初に娘と夫に笑われた時、私はびっくりしてしまいました。 私にはこんなにはっきり感じられるものなのに、これを全く感じない人がいるのだ。ということが驚きでした。) でも、見かけのきっかけが、星であれ、何であれ、あのブログを書けてよかったと思います。 あの日、あんなに大きなヴィーナスとシリウスを見なかったら、私は怖くて「民間試験導入のシナリオはすでに出来上がっている」と2月1日にブログに書くことは出来なかったと思います。  そうしたらきっと、今も、下村博文国会議員や鈴木寛氏が英語民間試験導入を水面下で進めていたでしょう。 笑われても、子供たちが間違った教育を受けなくて済めば、それが一番いいことだと思っています。

ポートフォリオのブログを書いたときは、夫にまで「一体どうしたんだ。心ここにあらずという感じだ」としかられるほど毎日緊張していました。(夫は私のしていることはあまり知りません。知れば、心配するでしょうから) あのブログは最初からとんなに怖くても書かなければいけないと思っていました。 子供たちが本当に英語が上手になるような英語教育をしてもらいたいだけなのに、なんで、こんなことをするのかなあ、と妨害されるたびに思います。



文部科学省はやがてこの子たちが「発音が通じない」という問題に直面することを知っています。  その時に、この子たちが英会話学校に行けば、英会話学校は倒産することはない。  彼らはそれも知っています。

私のブログに対する為政者からの妨害がやまなかった場合、やはり、「文部科学省が生徒に発音指導もしないし、音声モデル(CD)も与えないのは英会話学校の経営を守るため」ということが分かります。

日本人にとっては、

英語学習(スピーキング学習)に音声の教材(CD)がいるということは今や常識です。 

学校が休校になっている時の英語の勉強の仕方(中学生の場合)

私は今日(7/24)このブログに書き足していて、自分がなんでこんなに妨害されるのか、その理由に気づきました。「川合式英語学習法」を解説した青字の部分に書いてあります。だから私は業者にお金儲けさせようとする国会議員にとってはものすごく邪魔な存在なのだと理解しました。たぶん下村博文国会議員がいる限り私がどんなに子供たちの英語力を上げる方法を訴えようと文部科学省は無視するのだろうと思いました。私は13歳の時に学校の勉強の一環としてスピーキング能力を習得した日本でただ一人の中学生でしたけれど、下村博文国会議員がいる限りその経験を今の中学生のために生かしてあげることは出来ないのだ、と思いました。 下村博文国会議員は日本の国民に選ばれた国会議員なのに、日本の子供たちのことなど全く考えていません。考えているのは献金をもらう業者(ベネッセ)のことだけ。「東大に(全く詐欺の)民間試験をさせなければいけない」とすごんでいたことが彼が日本の子供たちのことなど全く考えていない明白な証拠です。あれだけすごんで露骨に表した下村議員の本心(有権者の子供なんかただの金儲けの道具)はもう隠せません。今更とりつくろえないです。 下村博文議員は日本の教育にとりついて食い尽くし、だめにする日本の教育の癌(がん)です。自分の子供が国会議員の金儲けの道具としてしか使われないのは親として耐え難いです。 (下村氏が怖い顔ですごんでいた動画は削除されたのか今はどこにも見当たりません。私は先生方のツイッターで見ました。阿部公彦先生は「下村博文さんの「恫喝発言」と書いていらっしゃいました。下村氏が怖くて、まさにあれは「恫喝」でした。 (恫喝=脅して恐れさせること(広辞苑


2020年7月23日 グローバル化に対応した学校教育

為政者に都合の悪いことが書いてあるブログを税金(人件費)を使って妨害するのは違法です。そのような税金の使い方を納税者は認めていません。たった一日だけ(7/22)妨害の程度を軽くしても (軽くしただけです。 妨害をやめてはいません)、今日(7/23)はまたきつい妨害が始まっているではありませんか。為政者は税金を使って違法行為をするのはおやめください。「中学時代、学校の勉強の一環としてスピーキング能力を習得した教育者が日本には一人もいないから、一人もいない」と私はブログに書いただけです。 下村博文議員のたくらみに乗る教育関係者が誰一人スピーキング能力を習得した経験がないと人々に知られるのがまずいから、こんなに激しく妨害するんですか? 妨害したって、下村博文議員のたくらみに乗る教育者がスピーキング能力の習得に全く無知だ、という事実に変わりはないでしょう。 違法行為をしなければ賛成してもらえないようなお粗末な大学入試改革などやめることです。子供の実力を上げるのは「授業」です。授業を改革しないで入試を改革することを提唱するなど、教育の基本も知らない無知で無能な教育者がすることです。勉強が足りない。勉強もしていないそんな低い見識でよく人々の前に教育者として顔をさらせると思います。授業改革をしないで大学入試改革を提唱する教育者は全員大学に戻って、教育原理、教育法の授業を再履修してください。教育の基本も知らない人と教育の議論は出来ません。教育の基本は「授業」です。 生徒の実力を上げるのは「授業」です。 「試験」「試験」と金儲けのために人々を洗脳する政治家のたくらみに騙されないでください。大学入試改革をする前に、グローバル化に対応した教育が出来るよう、小学校、中学校、高等学校の授業内容を改革するべきでしょう。 「思考力」「判断力」「スピーキング能力」そういう力を付けさせたかったら、そういう力を付けさせる授業をまず考えるのが教育者でしょう。 そうしたら、漠然と「思考力」「判断力」とか言っていては、子供たちの「思考力」も「判断力」も上げられない。という現実に気づきます。 では具体的にどういう思考力を訓練するのか、どういう判断力を訓練するのか、そこから考えていくようになるでしょう。 今、大学入試改革を言う人はベネッセを儲けさせるために立派な理屈を言っているだけですから、どういう思考力を育てるか、どういう判断力を育てるか、など考えていません。 立派なことを言えば、それで、通ると思っているから思考力だの判断力だの言っているだけです。だから、下村博文議員が授業の改革に一切触れず、テストの話ばかり出してくるのでしょう。 すべては、入試を使ってベネッセに金儲けをさせたい下村博文国会議員の実作自演の筋書きです。「テストで子供たちの実力は上がらない」と先生方が最初からおっしゃっているではないですか。 下村博文議員は、教育の大原則「テストで生徒の実力は上がらない」も知らないのですから、教育に口を出さないでください。 テストで生徒の実力が上がると公言するような素人に教育に口を出す資格はありません。 子供たちの実力を上げるのは授業です。 下村博文議員のやっていることは生徒の実力を上げることとはまったく関係ありません。 

日本はグローバル化に向けた教育の段階がアメリカと違いますの日本独自の内容が必要でしょう。 けれども考えるときの参考にしていただけるブログを下に列挙しました。

2017年4月21日 グローバル化に対応した学校教育 小学校の場合
2018年1月18日 グローバル化に対応した学校教育 中学、高校の場合(2)

2018年1月17日 グローバル化に対応した学校教育 中学、高校の場合(1)




生徒自身に考えさせるための課題の例(生徒自身に考えさせることを目標にしても、「どのような思考をさせるのか」は教師が事前に「この活動を通じて、こういう思考を生徒にさせる」ときちんと設定しておきます。やみくもに「自分で考えなさい」ということではありません。)

2014年12月24日 プレゼンテーションの練習 




下のブログの中に海洋の自然保護を目的としたプロジェクト(自分で考えさせる課題)の例が載っています。

申し訳ありません。 引用するブログを間違えました。 海洋の自然保護を目的としたプロジェクトの例は2018年3月8日のブログに書いてあります。

2018年3月8日 高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの(大学入試も同じ)発音教育の塾への丸投げはやめてください(中学3年間で生徒がアジアのトップレベルの発音でスピーキングができるようにする方法をお話しします)

2019年5月18日のブログではありませんでした。(けれども、5月18日のブログにはアメリカ人の生徒が論理的に考えたり、自分の意見を述べるために小さいころからどのような活動を授業でしているのか、書いてあります。お時間があればお読みになってください。)
2019年5月18日 立教大学教授松本茂氏の提唱する授業(朝日新聞「英語をたどって8:2「英語で授業」本当の意味は)は高校生にはできない授業です。やったとしてもなんの効果もありません。




英語教育について 日本人は発音の仕組みが英語を含む言語グループとは異なりますので、欧米と同じ教育をしても結局通じません。 また、語順も甚だしく違いますので、欧米と同じ英語教育をしても効果は上がりません。 英語習得について不利な条件にある日本人が、アジアのトップレベルに躍り出るためには欧米の真似をしていてもだめです。 日本人の英語習得を最も妨げている2要素(発音と語順)を重点的に、克服していきます。 4技能をまんべんなく学ばせるよりよほど効率よく子供たちは英語力を上げていきます。 まず、中学で、CDを使って英語の発音そのものを文章のまま徹底的に子供たちの頭と口にコピーすることから入るのが有効です。発音と語順の強固な基礎をここで作ります。 無意識にでも、正しい発音と語順が口から出てくるよう徹底的に子供たちの頭と口にコピーします。 発想の転換が必要です。 4技能をまんべんなく教えるのではなく、日本人が英語を学ぶのを困難にしている要素を重点的に克服します。 そうすると、話す、聞く、読む、書く、4技能すべての能力が飛躍的に向上します。 「読む」「書く」が発音(イントネーション・リズムを含む)とは関係ない能力だと思わないでください。私のブログのどこかに書いたと思いますが、アメリカの高校の先生にライティングを習っていた時、先生は、私の文を直したとき、必ず、それを小声で読んで、英語のリズムで違和感なく読めるかどうか、確かめていました。 そうでないと読みにくい、ぎこちない文(スラスラ読めない文)になってしまうからでしょう。 詳しくは下のブログに書いてあります。 イメージとしては玉突きゲームのゲーム台を思い浮かべてください。 「話す」「聞く」「読む」「書く」4つの玉があるところに「発音・語順」の玉を当てると4つの玉がはじけて、次のレベルに素早く移動する、そんな感じです。 不利な条件を背負っている者がトップに躍り出たかったら、一つのことを勉強することで、何倍もの波及効果がある分野から、勉強していかないと追いつかないです。 すでに発音も語順も母国語を話している段階で出来ているヨーロッパの人々と同じことなどしていても日本人には何の効果もありません。 私達はヨーロッパの人が母国語を話している時点で出来ていること(発音・語順)を習得するのが一番大変なのですから。 その波及効果をもたらすポイントの勉強の仕方が下のブログに書いてあります。 こういう勉強の仕方を学校ですれば、皆さんのお子さんはどんな会話学校に行くよりも、良い発音で英語を話すようになります。 皆さんのお子さんは、例えばこういうスピーキングをするようになります。 理由は、中学一年生の良い耳を使って発音習得するからです。 生物学的に見て、中学一年生は大人より良く音が聞けるのですから、宿題をきちんとやるだけで、皆さんのお子さんは、中学、高校と良い発音を身につけます。学校教育ですからお金もかかりません。 (こういうことを言うから私は妨害されるのでしょうね。お金がかからないで何でも学校教育で習得できる方法をブログに書くから妨害されるのでしょうね。(でもね、発音は、練習を続けていかなければ絶対に習得できないスキルなのです。練習なくして発音の習得はありえなのです) 業者にお金儲けさせたい国会議員には私はとっても邪魔な存在なのですね。下村博文国会議員にとっては学校教育などむしろ全く機能しないで、なんでも学習塾に習いに行かせるほうが本当はいいのでしょう。下村博文国会議員は、日本の国民に選ばれた国会議員なのに、日本の子供たちのことなどどうでもいいのです。 考えているのは献金をもらう業者(ベネッセ)のことだけ。 「東大に(全く詐欺の)民間試験をさせなければいけない」とすごんでいたことが、彼が日本の子供たちのことなど全く考えていない明白な証拠です。下村博文議員は有権者の子供たちを食い物にして業者に金儲けさせるのがそのやり方です。 彼にとって、有権者の子供たちは金儲けの道具でしかありません。 下村博文国会議員は、日本の教育に取りついて、食い尽くし、だめにする、日本の教育の癌(がん)です。


2015年10月19日 川合式英語学習法







(7/17)大学入試改革は失敗します。立案者(鈴木寛氏)のレベルが低すぎる。 羽藤由美先生のツイッターで、鈴木寛氏が「大学入試改革の理論的支柱」だったと知りました。 こんなド素人(しろうと)が「理論的支柱」では失敗するのは当然です。

1.英語民間試験は詐欺ですし(テストでスピーキング能力は上がらない。スピーキング能力は学校教育(家庭学習を含む)で繰り返し練習させないと習得出来ません。)
2.ポートフォリオはベネッセのための市場調査ですし、
3.記述式はベネッセのアルバイトが採点するはずでした。(入試の記述式の例はこちら。鈴木寛氏が想定したものとは採点のレベルが違う

1~3の大学入試改革が失敗するのは当然です。立案者(鈴木寛氏)のレベルが低すぎる。 彼のこの案はおよそ「教育」と呼べる代物ではありません。福武財団理事鈴木寛氏が作ったベネッセ金儲けのためのボロボロの教育案(?)です。 日本の大学入試改革は失敗します。 


(7/9 ブログ「松本茂立教大学教授が高校の先生方を批判する新聞記事を書かせたことについて」加筆しました。松本茂立教大学教授は正式に高校の先生方に謝罪してください。 有識者会議の委員が新聞記事で先生方を虚偽の根拠を使って批判するのは放置できません)本来なら、ともに協力して子供たちの英語力を上げていくべき先生方に対してこういう敬意のない態度で接しているから英語教育改革がうまくいかないのです。 松本茂立教大学教授はこんなひどいことをしても「高校の先生方に謝罪する必要はない」と思うくらい高校の先生方を軽視しているのですね。 24年間、子供たちの英語力が上がらないのは先生のせいだと思っていたというのは、松本茂立教大学教授は、英語教育について、24年間何の勉強も研究もしないで、有識者会議の委員として発言してきたということですね。 そういういい加減な仕事をしているから、日本の英語教育は効果のある方法が採用できないのです。



英語教育に関しては鈴木寛氏(法学部出身英語教育とは無縁)は基礎知識もないし実技指導も知らない。実技指導する能力もない。 無資格者は黙っていてください。 資格のない鈴木寛教授が英語教育に誤った意見を言うから、子供達は正しいスピーキング教育を学校で受けられません。 日本の英語教育の大きな障害となりますので無資格者の鈴木寛教授は、英語教育に口を出さないでください。法学部出身者が英語教育に出る幕はないです。 当然でしょう。 知ったかぶりはやめてください。子供たちが迷惑しますから。 鈴木寛教授は「為政者がなぜスピーキング試験をさせたいか」その本当の理由をご存じですよね。 ベネッセを儲けさせるためですよね。(鈴木寛氏もベネッセグループの本体・福武財団の理事だそうですね。先生方のツイッターで知りました) 為政者は子供達のスピーキング能力向上のことなんか考えていませんよね。鈴木寛教授はそのことを充分ご存じですよね。 それなのに善良な教育者の仮面をかぶって、見え透いた大義名分を振りかざし、生徒、教師、保護者を騙すのはおやめください。インターネットや新聞で鈴木寛氏の民間試験に関するコメントを読むたびに、「この人はひどい人だな」と思いました。政治家のたくらみを充分知りながら、それをおくびにも出さず徹底して生徒や教師、保護者を騙そうとする。 鈴木寛氏には良心のかけらもない。 ご自身もベネッセグループの本体・福武財団の理事ですからそうするのでしょうけれど、本来こういう関係はおかしいですね。 決める人と選ばれる業者が同じ人というのは変ですね。これは鈴木寛氏と(政治家と)ベネッセの錬金術ではないのですか。 この人の民間試験を持ち上げるコメントを読むたびに、中学生のころ読んだ、自分の思い通りにするために悪魔の差し出す袋に自分の血を3滴入れる(悪魔に魂を売る)男の物語を思い出します。  この人は悪魔に子供達を売ってもなんとも思わないのでしょうね。 今後、マスコミに意見を求められたら、また善良な教育者の仮面をかぶって、時代を先取りした言葉と壮大な表現で、スピーキングテストをもち上げるのでしょうね。子供たちの発音をボロボロにするだけの民間試験実施を素晴らしいもののように国民に力説する。 錬金術のためとは言え、ここまでひどい教育者がいるのですね。こういう鈴木寛氏のような人が子供を食い物にして国を亡ばすのでしょうね。 英語教育に法学部出身者の出る幕はありません。国民を騙すためだったら、なおさら出る幕はありません。発音の聞き分けもできない鈴木寛教授の理屈なんか、スピーキング教育の専門家から見たら、「この人、英語教育のことを何にも知らない」というのが見え見えで、聞いていられないです。 スピーキング教育の専門家から見たら、戦後70年、日本で本当に通じるスピーキング教育など行われたことはありません。 また、日本人は世界と同じスピーキング教育なんかしてもだめなんですよ。 母国語の音の特徴が違うから。この音の違いは特別な訓練をしないと普通の日本人の耳にはとらえられません。 日本語の音だけ聞いてきた人の耳はこの音を「言語の音」として認識しないので、取り込まないのです。 鈴木寛教授はそういうこともご存じないですね。 英語教育の基本も知らない、実技も知らない法学部出身者のいうことなど、英語教育の専門家が聞けるわけないでしょう。 私達英語教育の専門家が大学4年間何を勉強してきたと思っているのですか。 法学部の鈴木寛教授とは全然違いますよ。私達英語教育の専門家は英語の音(発音)一つ一つについて勉強するんですよ。 その音で話す実技も習得するんですよ。 鈴木寛教授が英語教育について何を知っているというのですか。鈴木寛氏の英語教育に対する知識など、ただの素人レベルでしょう。生徒がカタカナ発音で話しているのもわからないくらいですから。  このカタカナ発音を放置して、スピーキングテストなんかやったって生徒のスピーキン能力が向上するわけないでしょう。 鈴木寛教授は発音を聞き分ける能力がないからそういうことが平気で言えるのです。 生徒のこの発音を聞いても英語民間試験(スピーキング試験)を勧めるというのは鈴木寛教授自身が「自分は英語教育に対して無知で無能(英語発音とカタカナ発音の区別もできない)」と公言しているようなものなのです。こんな「大学入試改革?」では絶対に成果は出ません。カタカナ発音で子供たちにペラペラ英語(?)をしゃべらせても何にもなりません。 けれども、こういう人に限って、カタカナ発音と英語の発音の区別ができないから、子供たちは「英語でしゃべっている」と喜ぶのですよね。「音が聞けない」ということはどうしようもないです。 こういう人とまともに英語教育の話は出来ません。 無知すぎる。法学部出身ではしょうがないですけれど、鈴木寛教授は黙っていてくれた方がよっぽど「まし」です。せめて「自分が何も知らない」ということを自覚してくれればいいのですが、その自覚もないし。 音も聞けないで、自信たっぷりに間違ったことを言う。こういう人が一番困ります。 この「大学入試改革(?)」は失敗します。 やる前からわかります。 子供たちのスピーキングは、今よりもっとボロボロになります。(自己流の発音でたくさん話させてしまったらなかなか矯正もできない) 一方ポートフォリオでは、日本の国家がベネッセのために(学習塾のために)高校生のマーケットデータを集めさせられるわけですから、失敗して当然です。 学校教育をベネッセの金儲けの道具にする「改革」ですから失敗して当然です。鈴木寛教授はベネッセが教育者の皮をかぶっているようなものです。これから彼の話を聞くときはそう思って聞くとよく理解できます。(7月9日のNHKニュースによると「文部科学省はeポートフォリオと呼ばれる大学入試の新システムの運営許可を取り消す方向で調整していることが分かった」とのことです。しかし自民党は民間試験だって、否定されても否定されても何度でも持ち出してきましたから、国家にベネッセのための見込み顧客(高校生)のデータを集めさせることだって、手を変え品を変え、また持ち出してくる可能性は充分あります。 決して安心できません。彼らがまた何かプランを出してきたら、十分警戒する必要があります。彼らが提示する表向きの理由と裏の理由は違いますから。 鈴木寛氏のような人物を使って国民を騙すことも彼らは平気でします) 鈴木寛氏のコメントは本当にひどいです。 問題の本質から人々の目をそらさせて、生徒、教師、保護者を騙すことだけ考えています。相当ひどいです。問題を認識して生徒を心配する高校の校長先生方や大学の先生方の心配を軽くひと言でかわして(まるでその問題は存在しないかのように追いやって)、言葉巧みに論点をすり替えて人々の関心を本質からそらさせる。そして魅力的な言葉で、本質以外のメリットに人々の注意を向けさせる。 相当ひどいです。 生徒、教師、保護者を騙すのが彼の目的だからです。私がこの人の名前を忘れられなかったのは、そのコメントのひどさだった。先生方がこれだけ心配しているのに、2月11日の朝日新聞のようなコメントを平気でする無神経さが忘れられなかった。子供のことは何も考えていないのが露骨だった。 これが教育者なら悪質以外の何物でもないと思った。 その時、中学時代に読んだ、悪魔の差し出す袋に自分の血を3滴入れる(悪魔に魂を売る)男の物語が頭をよぎりました。この人はひどい。

(6月27日)「記述式」についても、ベネッセのアルバイトが採点する「記述式」でいいと鈴木寛教授が考えていたとしたら、鈴木寛教授は「記述式」についても口を出す資格はありません。 「書くこと」によって、子供たちの思考力を訓練したいのなら、「どのような思考の仕方を訓練するのか」を指導者が明確に設定して、小学校高学年くらいから書かせる訓練をしていかないと「書くことによって思考力を育てること」は出来ません。 鈴木寛教授がベネッセのアルバイトの採点でいいと思っていたとしたら、記述式についても鈴木寛教授は口を出す資格はありません。訓練せずに記述式のテストなどやっても、書くことによって子供たちの思考力を育てることは出来ません。英語にしろ国語にしろ鈴木寛教授のおっしゃることは教育の専門家とは思えません。 どちらも、素人(しろうと)レベルです。鈴木寛教授はコメントを求められれば、時代を先取りした単語と壮大な表現でいかにも立派に聞こえる意見をおっしゃいます。(たぶん、それはいつもやっているから慣れているのでしょう)けれども、実際の教育を知らないから、中身は空っぽの素人(しろうと)レベルです。

私はこちらのブログで「日本人のスピーキング能力向上に全く効果のない民間試験を効果があると偽って高額な受験料を払わせるのは詐欺(犯罪)だ」と述べました。鈴木寛教授は2月11日の朝日新聞で「20世紀型の教育を押し付け続けないための第一歩が、世界中の大学が受ける英語民間試験の活用」と述べて英語民間試験を使うことを勧めています。 しかし、英語民間試験にスピーキング能力を向上させる機能はありません。 スピーキング能力向上に何の効果もない英語民間試験を高額の受験料を払わせて生徒に勧める鈴木寛教授の言っていることは詐欺(犯罪)です。 鈴木寛教授は生徒、教師、保護者を騙さないでください。英語教育について何もご存じないのに、いい加減なことを言わないでください。なぜ為政者が国民を騙してまでスピーキングテストをしたいのか。 鈴木寛教授はその本当の理由をご存じですよね善良な教育者の仮面をかぶって、生徒、教師、保護者を騙すのはおやめください。  実技に関しては、やったことのない人のコメントはどんなに立派なことをおっしゃっても使えません。参考にもなりません。専門的に学んだこともない、実技を習得したこともない英語教育に関してのご発言はひかえてください。法学部出身の方が英語教育になんで口を出すのか、私にはその理由がいまだにわかりません。英語教育について何の知識もないし、カタカナ発音と英語の発音の区別もつけられない鈴木寛教授はスピーキング教育に口を出す能力も資格もありません。子供たちが迷惑しますので英語教育への口出しはやめてください。英語教育に法学部出身者が出る幕はありません。


(6月12日)私は中学1年生と2年生の時、毎日2時間発音練習をしていました。 当時は一般家庭に冷房もない時代で、夏は発音練習が終わると、ヘッドフォンもヘッドフォンのあたっていたところの髪の毛も汗でびしょびしょでした。 それだけやっても一年以上発音は上手にはならなかった。だからテストするぐらいで生徒がスピーキング能力を身に付けられないことは身をもって知っています。(毎日の学校の宿題として練習していかないとだんだん高度になる筋肉と頭を使う実技は身につけられないのです。このことを知っていたら、入試のスピーキング試験など論じる前に、授業にスピーキングの指導を入れることの方がずっと大事だと気づくはずでしょう。そんなことも知らない人が英語教育を論じる資格はありません。多くの先生方が、テストでスピーキング能力は上がらない、テストを論じる前に授業で教えるべきだとおっしゃっているでしょう。) その後、大学で教職課程をとって、音声学を学んだ時、自分が中学時代に習得した発音の仕方が、当時原書で書かれた音声学の教科書とほぼ同じだったことを知りました。英語教育を何も勉強していない大学教授が下村博文議員のために一生懸命スピーキング試験を勧めているのを見ると、教育者としての良心をどこに忘れてきたのだろうと思います。 

鈴木寛氏は英語教育に口を出す資格も能力もありません。法学をご専攻されているのですから、英語教育に全く無知なのは当然です。 よくこれで英語教育に口出しなさいますね。 無責任です。 大学入試改革は、一国会議員がベネッセに金儲けさせたいけれど、それが自分のたくらみだというと国民に受け入れられないから教育再生実行会議を作り、その提言とした。 あとは自分の意のままに動く大学教授を使って、自分のたくらみを権威づけて大学入試改革として仕上げた。 意のままに動かない「大学教授」は排除した。(意のままに動く大学教授は利用価値があった) そういうことですね。  このプロセスの中で、「子供の教育」という観点は全く抜けている。 「大学入試改革」というより、「業者の金儲け改革(ビジネスチャンスの拡大)」といったほうが適切でしょう。 (鈴木寛教授はカタカナ発音と英語発音の区別も出来ませんし、中学生が正しい発音で英語をしゃべれるようになるためにどのくらいの期間を要するかも知りません。) 鈴木寛教授は為政者のたくらみ通りに教育を誘導し、子供たちが学校でスピーキング教育を受ける機会を奪っている。 「世界中の大学が受ける英語民間試験」がなんだというのですか。「国際基準の英語試験」がなんだというのですか。 そんなもの受けたくらいで子供のスピーキング能力が上がるほど日本人のスピーキング能力を上げるのは生易しい問題ではありません。 そういうことを言うこと自体、鈴木寛氏が英語教育(スピーキング教育)に全く無知な証拠です。  

(私がこの会社で働いていたころ、最後はイギリス本社の決定で日本のある会社がこの会社のManagementを引き継ぐことになりました。Nさんは会社を出ていきました。新しいManagement による販売の方針が示されました。 会社の休憩時間に「どう思う?」と聞かれた私は、「そのことを知らない人が何人集まろうと有効な方針は出せないと思います。」と答えました。(新しい経営者に対して、とても失礼な言い方ですね。若気の至りです。)「N氏は、なぜこんなにマーケットの数字を具体的に把握していたのか」とも聞かれました。Nさんがどこに行き、誰と会い、公的機関の何の資料を閲覧していたかなど知っていることもありましたけれど、私は何も言いませんでした。 (自分の手でそれをつかんだらいいでしょう。 それが、日本市場を任されたManagerの仕事でしょう)と思いました。   英語教育改革も同じです。 そのことを知らない人間が何人集まったって有効な方針は立てられません。(「英語で授業」がそのいい例でしょう。有識者会議の吉田研作教授も松本茂教授も安河内哲也氏も提唱していたのにただの詐欺指導法だったのですから。アメリカで毎晩子供たちに全文和訳で教科書を教えた私は、その事を身にしみて知っていました。でも、大学教授でない私のいうことは全然信じてもらえなかった。英語オンリーというのは子供に理解できない、発音もボロボロになる教育です。) 本当に有効な方法を知るためには、その方法を自分で追求していくことです。 肩書だけで自分が正しいと思わず、必要な情報を自分でつかむ努力をすることです。高校の先生方が英語で授業をしなかったら、なぜ英語で授業が出来ないのかその原因を自分で調べるべきでした。 高校の先生方を非難していたのは、高校の先生方より自分が絶対正しいと思っていたからでしょう。「高校の先生方が英語で授業がなぜできないのか」その理由を考えようともしなかったからでしょう。 自分の肩書に安住して目の前の事実を無視していたからでしょう。 (アメリカ滞在3年目から、私の子供たちは「英語で行われる授業」が理解できるようになりました。 その時、私は彼らに英文法も語の意味も教える必要はなくなりました。 つまり、日本人が英語で行われる授業が理解出来るようなら、もう英語教育はいらない、ということです。)   私が働いていた会社にいたChemistをみて、「彼は”自分がChemistだ”という事実だけに慢心している」と言った取引先の人がいました。見事な白髪の方で、業界でカリスマみたいな人でした。 会社では分からないことはみんなこのChemistに聞いていましたから(そして彼もそれによく答えてくれましたから)、その方の言葉に私もNさんも驚きました。 でも、それから、そういう視点でこのChemistの仕事を見ているうちにその白髪の方の言われた意味がだんだんわかってきました。 その時「心のどこかで肩書に慢心していたら、信頼される仕事は出来ない」と、20代の私は知りました。(それだと、隠れている重要なことに気付けない。 何かが突破できない。 ほんの小さな疑問でも、おかしいと思ったら、どこまでも追及していかないと時にはそれが問題の核心につながっていることがある。と分かってきました。そしてそうやって仕事をしていかないと、問題の本質を見抜く力も育たない、と分かってきました。)上記の3人の有識者会議の委員が、肩書に慢心せず、「なぜ高校の先生方が英語で授業が出来ないのか」真剣にその理由を追究していたら、「英語で授業」などという間違った方針を高校の先生方に押し付けることはなかったはずです。「高校生に英語で授業が出来ない」その事実が厳然として存在するのに、この3人の委員は自分の地位に慢心してその事実を見ようともしなかった。  肩書が立派だから、自分は高校の先生方よりよく知っていると思わないでください。 また、東京外国語大学学長林佳世子教授や鈴木寛教授のように、英語教育を学んでもいないのに肩書が立派だから英語教育に口を出すこともやめてください。少なくともカタカナ発音と英語発音の区別くらいできるようになってから発言してください。そんな人に英語教育の方針を決められるのでは子供たちがかわいそうですから。 私は20代の時、新しい経営者に「そのことを知らない人が何人集まろうと有効な方針は立てられない」といったことを忘れられませんでした。若かったとは言え、何ということを言ったのかと思います。 でも、英語教育改革を見ていると、同じことを思います。 生徒が発音習得にどのくらいの期間を要するのか、なぜ日本人の英語が通じないのか、そういうことを全く知らない人達が立派な肩書を持って発言する。 自分で50年発音練習をし、18年に渡って、子供たちがゼロからバイリンガルになるのを見てきた私のいうことは肩書がないから、全く信じてもらえない。(私は大学教授ではありませんけれども、私も大学で、英語教育を専門的に学んでいます。 英語教育法(大束百合子先生)も音声学(上田稔先生)も教育心理学仁科弥生先生)も教育原理(伊勢田耀子先生)も教師として必要な基本的な知識は学んでいます。 専門知識の上に立って、(1)自分の13歳からの発音習得と(2)アメリカで子供たちが小、中、高それぞれの段階でバイリンガルになった過程を教師として観察した結果を踏まえて発言しています。おそらく日本でこの2つの経験をした英語教育の専門家は私だけだと思います。駐在を経験されたお母様方は多いと思いますが、子供の英語習得過程を小、中、高、全学年で英語教育の専門家としてご覧になった方はいらっしゃらないと思います。) それで不利益をこうむるのが自分だったら、それはどうでもいいです。 でも不利益をこうむるのが子供たちだったら、黙っていてはいけないと思いました。 「こんなもん、英語でいくら説明されたってわかんないんだよ」といった息子のいらだった顔が「お母さん、黙っていないでそれは間違っているとちゃんと言ってよ」といっているようでした。 そのことを知らない、立派な肩書を持つ人々にどうわかってもらえばいいか、何度言っても信じてもらえないうちに私のブログの書き方は随分きつくなりました。 その上、ブログも本もこんなに激しく妨害されているのですから、きつくならざるを得ませんでした。 今日も為政者の税金を使った妨害(公費を使った妨害)は続いています。 一英語教師を為政者に妨害させて、大学教授は何を守っているのですか。 虚偽の教育理論ですか。 事実に反する教育理論ですか。   高校での「英語で授業」を提言した大学教授は責任をとってください。 高校の先生方が「英語で授業をしない」と非難した大学教授は謝罪してください。 立教大学の松本茂教授は自分から朝日新聞の記者にメールを送って、「高校の先生方が英語で授業をしていない」と記事を書かせて非難したのです。高校生に出来もしないモデル授業を掲載して。 きちんと謝罪してください。 もし誰かが新聞社にメールを送って嘘の根拠に基づいて、その人を非難する記事を書かせたら、知らんぷりでは済まないでしょう。 相手が個人でなく、高校の先生方(たくさんいらっしゃる人達)だから、知らんぷりしていていいということにはなりません。 高校の先生方は悪いこともしていないのに松本茂教授が無知だったから非難されたのです。 この新聞記事について、松本茂教授はきちんと謝罪してください。 自分も「自分が提唱した授業」が出来なかったではないですか。 しかも、その日の松本茂教授のブログを読んだ私は「間違っているのは自分なのに高校の先生方を批判しておいて、自分の責任はどう感じているのだ」と思いました。新聞に載った自分の写真が若く見えると喜んでいるようでは、本当に日本の英語教育を心配して新聞記者にメールを送ったわけではないですね。 先生方を批判して自分が目立ちたかっただけでしょう。 大学教授の自己顕示欲のために事実無根の罪で批判される高校の先生方はたまったものではありません。 立教大学教授松本茂氏はまじめに英語教育に関する有識者会議の仕事をしているのですか? 日本の英語教育には問題が山積しているのですよ。 それなのに、高校生ができない見た目華やかな授業プランを自分から新聞記者にメールして新聞に書かせるは、写真が若く見えると喜んでいるは、とても、いまの日本の英語教育を憂えて、そのために誠心誠意尽くして働いているとは思えません。  この政権が選んだ委員による英語教育に関する提言は、でたらめばかりです。 有識者会議の委員の言っていることもでたらめだし、教育再生実行会議の委員の言っていることもでたらめだし。 まともなものなんて何もないではないですか。 これでは子供たちの英語力が上がらないのも当然です。    「何を言っても何の責任も取らなくていい」こういう悪い慣習が英語教育をどんどん劣化させている。 大学教授は自分の発言に責任を持ってください。「大学教授」という肩書があれば何を言っても責任を取らなくていいわけではありません。 また、「大学教授」という肩書があっても専門外のことに口を出すのはおやめください。 少なくとも、歴史が専門なのに英語教育に口を出す東京外国語大学学長林佳世子氏のようなことはやめてください。 英語教育に口を出すなら、英語教育法と音声学は学んでください。カタカナ発音と英語発音の区別も出来ない「大学教授」が英語教育に口を出すのは迷惑です。  ご自分の専攻をわきまえて発言してください。 鈴木寛教授も同じです。    為政者も何かの情報を隠さなければ国民の理解を得られないような大学入試改革は止めることです。 自分で間違ったことをやっていると認めているようなものです。 人々に私のこのブログを読まれるのがそんなに都合が悪いですか。 為政者のたくらみに乗る教育者が発音習得について全く経験していないと人々にわかってしまうからですか。 だからこのブログをこんなに激しく妨害するのですか。 為政者はまた、下の私のブログに対する妨害もやめてください。 人々に何かを隠さなければ承認してもらえないような大学入試改革などおやめになることです。

2020年2月29日 ポートフォリオはベネッセの見込み顧客(高校生)のデータを国家に集めさせる極めて危険で悪質な手段です。下村博文議員と安倍総理大臣がすべての国民のIDと個人情報をベネッセに与えてよいのですすか。

2020年3月17日 各大学は、スピーキング試験(民間試験)をする必要はありません。 大学の先生方は「受験生をだます詐欺(犯罪)」に加担するよう強制されることはありません。いかなる団体においても犯罪を強要する方針は無効です。

2017年11月2日 中学時代に、きちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか?

2017年10月12日 文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない。(子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き) 

このほかにも、4月23日のこのブログを始め何回も私のブログのアクセス妨害をしていますよね。2020年2月1日に「民間試験導入のシナリオはすでに出来上がっている」というブログを書いたときは、その後何日もブログのアクセス数は夜まで9とか7とか一桁だった。 今までどれほど私のブログを妨害していたかわからないですよね。 私が初めて為政者のブログの妨害に気づいたのは、2016年4月10日のブログ「大学教育を英語で行うこと(5) 学問の世界で英語50%、日本語50% これで国際競争に勝てるか。」のブログを書いた時でした。 為政者は税金を使って、自分に都合の悪いことをいう人間を妨害している。為政者が税金を私的目的のために使うのは違法です。 公費で国民の言論を妨害するのは違法です。

為政者が税金を使って私のブログを妨害するという違法行為を続けるのは、「業者を儲けさせるため」という「大学入試改革の本当の目的」よこしまな目的を隠すためです。  このニュースこのニュースこのニュースもこれだけしつこく業者のテストをさせようとしていることからも明らかでしょう。 下村博文議員は、スピーキングテストをさせるためには、英語教育の基本も踏み倒し、全く種類の違う民間試験の対照表まで作らせ、英語教育の基本も知らない大学教授にスピーキングテストが必要だと言わせ、検討する会議も非公開にさせ、スピーキングテストをさせるために手段を選ばず、悪質なことをしてきた。 テストをするためなら「多方面の意見を聞いた」という偽装もした。 そういうことでしょう。(反対意見など最初から聞く気はない。 「広く意見を聞いた」という証拠だけ残せばいい。 スピーキングテストをさせる手順を完了させるために反対意見を言わせた(聞く気はない)。 そういうことでしょう。 この人は子供たちに本当に必要なスピーキング教育をする機会を奪っている。 それが日本の国際化にどれほど大きな打撃を与えるか、英語教育に全く無知な下村博文議員には全く分からない。 子供の教育を破壊することによって、日本の将来がどれほど打撃を受けるか、英語教育を全く知らない下村博文議員には全く理解できない。 自分の金儲けが日本の未来にどれほど大きな打撃を与えるか、この人は全く理解できない。 英語教育に無知だから。

(6月4日13時04分)鈴木寛東京大学・慶応大学教授について書いたこと(この下にありました水色の字の部分でしたが上記の内容と重複しましたのでこちらは削除しました)が為政者の逆鱗に触れたようです。また、きつい妨害が始まりました。このことを知られたら為政者が国民を騙せなくなるからです。 鈴木寛教授のしていることは時の権力者のたくらみの通りに教育を誘導し、子供たちが学校で正しいスピーキング教育(正しい発音教育)を受ける機会を奪うものです。 だから権力者は彼を守っている。  私は誰にも守られてはいませんけれど(だから妨害もいつだってやりたい放題されていますけれど)、必要なことは皆さんにお伝えしなければいけないと思っています。妨害なんか為政者からもKADOKAWA(松原眞樹社長)からも松澤喜好氏(「英語耳」著者)からも毎日されているから慣れているはずなのに、今日は珍しくボロボロ涙がこぼれます。カタカナ発音と英語発音の区別も出来ないのに英語教育に口を出し、「子供たちの学校でスピーキング教育を受ける機会を奪う」こんなひどいことをする鈴木寛氏に我慢がならないからでしょう。鈴木寛氏には英語教育に口を出す資格も能力もない。鈴木寛氏のしていることは「子供たちが学校で正しいスピーキング教育を受ける機会」を奪うものです。










為政者のたくらみにのる教師は勉強不足の英語教師ばかり。英語発音とカタカナ発音の区別も出来ない教師ばかり。) 両者結託して子供を売る。  この国の子供たちはかわいそうです。(5月9日 - 私がこういうきつい書き方をするのは、英語教師誰一人、子供を売るたくらみにのってもらいたくないからです。なんの抵抗もできない子供を食い物にしてお金儲けをしようなど、教育者としてひどすぎる。「赤子の手をひねる」とはよく使われるたとえですけれど、何をされてもなんの抵抗もできない子供たちを食い物にするなど教育者のすることではありません。東京外国語大学学長林佳世子氏は、なんの抵抗もできない子供達を売ってまで、時の権力者にとって重要な存在になりたいですか。 彼女が主張した「物理の力学」の理屈に彼女の浅ましさが如実に表れていた。 為政者に気に入られるためには歴史学者が物理のこんな理屈まで考えるのですね。 あいにく、英語教育には全く通用しない理屈だった。 彼女の現状認識の乏しさが露呈しただけだった。  何が「学んだことを入試で問わないのはおかしい」ですか。 日本のどこの公立学校でスピーキング教育をしているというのですか。  勝手にしゃべらせるのがスピーキング教育だとでも思っているのですか。 そんなことをしたら、子供たちの発音はボロボロですよ。林学長は無知にもほどがある。 英語教育を甘く見ないでください。 発音習得もしたことのない林学長が肩書だけで物を言って、スピーキング能力が上がるほど日本の英語教育は生易しい分野ではありません。日本人が70年も英語が通じなくて苦労してきたことを見ればわかりますでしょう。 林学長は問題の把握もできないのですか。この上、英語教育に全く無知な林佳世子学長の言う通りになんかしていたら、ますます日本人の英語は通じなくなります。歴史学者は黙っていてください。 彼女の理屈など聞く必要はない。 時の権力者に気に入られるために、日本中の子供たちを売る東京外国語大学学長林佳世子教授は教育者として最低です。  為政者は自分達に忠実な林佳世子学長を守るために、ここまで私のブログのアクセスを妨害するのですね。そうやって現政権に重用してもらえるから、英語教育に全く無知なのに、為政者の喜ぶ理屈をもっともらしくマスコミに発言する。 東京外国語大学学長林佳世子教授は教育者として最低です。)
2020年2月29日ブログポートフォリオはベネッセの見込み顧客(高校生)のデータを国家に集めさせる極めて危険で悪質な手段です。 下村博文議員と安倍総理大臣がすべての国民のIDと個人情報をベネッセに与えてよいのですか。」に加筆しました。  「国民全員を一私企業に売った総理大臣は日本憲政史上、安倍総理大臣が初めてです。」と書いてある下の部分に加筆しました。

(大学入試のスピーキング試験について、大事なことなのでただ加筆しただけなのですが、あまりにも妨害がひどいので、皆さんに読んでいただけないと思い、こちらに書きました。 「為政者が妨害をする」ということは私のいうことが真実だと為政者も知っているからでしょう。 本当のことが国民に知られたら、為政者が国民を騙せなくなるから妨害をするのでしょう。私はツイッターはやりませんが、お持ちの方は周りの方々にお伝えください。 「東大に民間試験をさせなければいけない」と怖い顔ですごんでいた下村博文議員は今もテストをあきらめていません。 どんなテストであろうと「テストでスピーキング能力は上がらない」ということは英語教育法を学んだ人ならだれでも知っています。 試験をすればスピーキング能力が上がると言って、試験を受けさせるのは詐欺(犯罪)です。(テスト実施はお金がかかります。税金であれ、大学側であれ、誰かがお金を出します。効果のないことを効果があると偽ってお金を払わせます。これは詐欺です。東京外国語大学学長林佳世子教授は、この犯罪に加担しているのと同じです。)  大学の先生方は犯罪に加担することを強要されることはありません。犯罪を強要する方針はいかなる団体においても無効です。 文部科学省の人々も犯罪に加担するのは国家公務員法違反です。   英語教育法を学んだことがない人(下村博文国会議員、林佳世子東京外国語大学学長、鈴木寛東京大学教授、松本茂立教大学教授等。 3人の大学教授のそれぞれのご専攻は、史学、法学、経営学です。 お三方とも英語教育に関しては全くの門外漢です。)が英語教育に口を出すから、日本の子供たちのスピーキング能力がいつまでたっても上がらないのです。 カタカナ発音と英語の発音の区別もできない人(音声学も学んでいない)、英語教育法も知らない人は英語教育に口を出すのはおやめください。専門的に学んでもいないことに口を出すのは無責任です。 英語のスピーキングは、物理の力学とは違います。 実技です。 日本のどこの公立学校で正しい発音で英語を話す実技の指導が行われているのですか。 日本のどこの公立学校で、母音を区別して英語を話している中学生がいますか。 日本のどこの公立学校で、英語本来の子音の長さを保って、英語を話している中学生がいますか。東京外国語大学学長林佳世子教授は、カタカナ発音と英語の発音の区別も出来ないでいい加減なことを言わないでください。 日本の公立学校で、英語のスピーキング指導など戦後70年、一度も行われたことはありません。 その証拠に英語の音声モデルなど学校で生徒に配られたことは一度もありません。 音声モデルもなくて子供たちがスピーキング教育を受けているなど、東京外国語大学学長林佳世子氏はいい加減なことを言わないでください。 音声モデルがなければスピーキング指導が出来ないことくらい、外国語大学学長なら当然知っていてしかるべきです。  林学長の大学にも音声の教育施設がありますでしょう。 それがなんのためにあるのかさえ林学長は考えたこともないのですか。 林学長ご自身がそんな不勉強な状態で、「小中高では話す力も含めた英語教育を進めている。物理で力学を出題しないのが変なように学んだことを入試で問わないのはおかしい。 可能ならば英語で話す力も測るべきだ。」という理屈は為政者は喜ぶでしょうけれど、私は怒りを抑えきれませんでした。歴史学がご専門の東京外国語大学学長林佳世子教授は英語教育について何も知らないではないですか。 今の子供たちの英語発音を聞いて、「スピーキングの指導も含めた英語教育が進められている」など、よく言えますね。 林学長はカタカナ発音と英語発音の区別も自分の耳で出来ないではないですか。林学長は英語教育に無知な上に実技指導の能力もない。 何が「物理の力学と同じだ」ですか。 全然違いますよ。 スピーキングは実技です。 林学長は歴史の専門家でいらっしゃいますから、実技の指導については全くご存じないのでしょう。 実技の指導の仕方も知らないで英語教育に口を出すのはおやめください。   東京外国語大学学長林佳世子教授は英語教育を専門的に学んでいない。 発音指導(スピーキング指導の実技)の能力もない。 英語教育は専門的な分野です。 専門的に学んでいない人が口を出せるほど生易しい分野ではありません。 東京外国語大学学長林佳世子氏に英語教育に口を出す資格はありません。 もしどうしても英語教育について発言したいのであれば、英語教育法を学び、実技を学び、生徒の発音を聞いて、きちんとスピーキング指導がなされているかどうかを自分の耳で判断できる実力を身に着けてからにしてください。 今の生徒のスピーキングを聞いて、「話す力も含めた英語教育を進めている」などと発言するようでは、とてもその実力があるとは認められない。東京外国語大学学長林佳世子氏は英語教育者ではない。 スピーキング指導(実技指導)の能力もない。 英語教育に口を出す資格はない。 ご発言はお控えください。 実技指導もできない歴史学者が英語教育の専門家に指図するのはおかしいでしょう。東京外国語大学学長林佳世子教授は時の権力者に気に入られるために日本中の子供たちを売らないでください。何をされても何の抵抗もできない子供たちを自分が権力者に気に入られるために売らないでください。 


ポートフォリオのブログの妨害が激しいのでこちらに書いたのですけれど、こちらもほとんどアクセス数が増えないほど妨害されています。 ツイッターなどで、なるべく多くの方にお伝えください。大学の先生方に何の効果もないテストを強要するのは許せないです。 私のブログのアクセスがどれほど妨害されようと、一人でも二人でも読んでくださった方が、大学の先生方に伝えてくだされば、と思っています。

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ここは個人的な疑問です。
一部上場企業の社長KADOKAWA松原眞樹社長は不正行為をしながらビジネスをやっていていいのですか。
(詳細は2019年5月24日のブログ「無意識の思い込みを見直してください。」に書いてあります。 松原眞樹社長が私の本の中古本の価格を1円にしていることについては「 各大学はスピーキング試験(民間試験)をする必要はありません」のブログ(2020年3月17日)に書いてあります。 )
私はずっと松原眞樹社長のすることに疑問を持っています。ほかの取締役の方も不正行為と充分知りながら「監視・監督義務を怠ること」は違法です。
(私は3月17日のブログで、「今妨害をやめてくだされば、今後、11年間受けてきた不正行為については一切触れない」と申し上げたのですが、妨害をおやめにならなかったので、仕方がありません。 松原眞樹社長は不正行為がやめられない心のご病気ですか。 あまりにもしつこいので、私をいじめていないと気が済まないのかと思ってしまいます。(数日間900円台で推移していた私の中古本の価格が、前の一文を書いたら(5月17日)また、1円にされてしまいました。もう好き勝手に私を妨害するのですね。(その為に会社のお金を会計処理を偽って使うのですか。) 社長にそういうことをやりたい放題させておくKADOKAWAのManagement は問題です。
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* * * それでは今日のブログに入ります * * *

コロナウイルスのために休校になっている学校が多いと思います。 家庭にいてもできる中学生の英語の勉強について書きます。

学校にいけないので新しいことは習えませんが、英語の場合は学んだことを自分の中に定着させていく練習の方がたくさん時間がかかります。 ですから、今は家庭で出来るその練習をするのがいいと思います。

中学3年生、中学2年生の方はお父さんやお母さんにお願いして、去年勉強した教科書のCDを買ってもらってください。 (インターネットで購入されれば家にいても入手できます。価格は2500円前後だと思います)  つまり、中学3年生の方は中学2年生の時に使った教科書のCDを、中学2年生の方は中学1年生の時に使った教科書のCDを買ってもらってください。 つまり、学習の終わった英文のCDを購入してください。

英語の場合は、(1)読んでその文章の意味が分かる。ということと、(2)実際に言いたいときにその文章が言える。 ということは、全く違う練習が必要になります。  学校に行けなくて新しいことを習えない時には(2)の「すでに学んだ文章を言えるようにする練習」をするのが実力アップにつながります。

言えるようにするためには何回も、自分の口を使って練習をしますので、言うたびに習った単語の意味や文の構造が自分の中に定着していくからです。


まず、CDを手元に揃えたら、教科書1ページ分くらいの英文を何度も聞いて下さい。 その時、「去年習ったのに、この単語の意味が分からない」「この文の意味や構造が分からない」というときは、もう一度調べて、わかるようにしておきます。 復習をしてください。

たくさん聞いたら、今度はCDと同じように言ってみる練習をしてください。  中学生の皆さんは耳がいいですから、じっと聞いて同じように言ってみてください。  中にはその時の授業の様子が思い出されるようなときもあるかもしれません。  同じようにいえるようになるまで口を動かして練習すると、実際にそういうことをしゃべりたいときには、ちゃんと口が動いてしゃべれるようになります。

中学1年生の方はまだ、授業で英語は習っていないでしょうね。  私の知り合いのお子さんは教科書はすでに配布されたようでした。 もし、配布されていたら、やはりその教科書のCDをお父さんやお母さんに買ってもらってください。  私は数年前の教科書しか見ていませんけれど、たぶん最初の1,2ページはあいさつや自分の名前などやさしい英文だろうと思います。 

英語というのは意味も分からない文を何度聞いても勉強にはなりませんけれど、もし挨拶などやさしい英文で意味が分かれば、その部分だけCDで音声を聞いてみてください。  英語では難しい文もやさしい文も発音するときの「音」は同じです。  ですからそのやさしい英語の音をよく聞くことは英語の学習に充分有効な勉強になります。  

私の発音の生徒さんで、一回で英語が通じないので、私のところに発音を習いに来た方がいました。 そして、「どんなに基礎からの勉強でもやりますから、一回で通じる発音を身に付けたいのです」とおっしゃいました。  私は発音の基礎は、難しい文からでは身につけられない、と知っていましたので、「それでは中学1年生の教材でもいいですか?」とお聞きしたら、それでいいとおっしゃったので、中学一年生の教科書で発音指導をしました。   今では、ニューヨークでアメリカ人からも「あなたの発音きれいね」といわれるような英語でしゃべっています。 

ある時、私が新しい生徒さんを教えるのに、教材を選んでいた時に、ちょうど彼女のレッスンがあったので、「英語力の高い方は中学1年生の教材で発音練習しても嫌だと思うことはありませんか。」と聞いてみたことがありました。 そうしたら、彼女は、「私はそういうことはありませんでした。 むしろ、 Good morning.  という発音を音声モデルと同じに言う練習でどれほど多くのことを学んだかわかりません。」とお答えになりました。(大人の生徒さんに対する私の教え方がそういう教え方でした。 音の特徴のとらえ方はもちろん、どんなに簡単な文でも唇の保持の仕方、次の音へのつなげ方など、お手本と同じに聞こえるようになるポイントを指導しました。これが文章をしゃべる時の発音指導です。 中学生の場合は耳がいいですから、そこまで指導しなくても同じように言う練習を継続していけばそういう言い方になってきます。口の筋肉も柔らかいですから。)  ですから、やさしい英語でも真剣に聞いて同じように言う練習をすればとても多くのことが学べます。 一年生の方はやってみてください。 ただし、意味のわからない文は、授業で学んでからにしてください。 


こちらのページで私は「中学校で教えていた時、生徒がMとNの発音を聞くと笑った」といいました。 そういう時はクラスの中にいるひょうきんな男の子がテープの発音を真似して頼みもしないのに「M」「N」と大きな声で発音するのです。 それを聞くとまた、クラス中が笑いました。 そういうひょうきんな子はそんなに熱心に勉強する子ではなかったですけれど、音声を真似するのはうまかったですね。  英語をしゃべる練習は、きっと勉強が好きとか嫌いとかには関係なく、興味があれば、誰でも上手になる分野なのだろうと思います。   

声を出すことは「発散」にもなります。  英文を声に出して言うことは、英語を定着させるためには良い練習になります。 「口で言って」「耳で聞いて」「頭で意味を感じる」いろいろなところを刺激するとても良い練習になります。  家庭でやってみてください。 学習が終了した英文をいつも聞いているのは英語力アップにはとても効果的です。 自然に復習と定着ができます。 効率の良い勉強の仕方です。 特に「勉強する」ということでなくても一日1レッスンただ聞くだけでも、学習が終わった英文なら、学習したことを思い出すきっかけになりますので、今まで学んだことを忘れないよい機会になります。  ぜひ、家庭で「勉強した英文」のCDを聞かせてください。

著作権の問題がありますので、非常に難しいこととは思いますけれど。。。。。この2か月の休校で、今までせっかく勉強してきたことを英語に触れないでいれば、子供たちはどんどん忘れてしまいます。(普通に生活していれば、日常英語に接することはありませんから) できれば学校で勉強した英語の音声を休校の間だけ(期間限定)でもいいですから聞けるようにしてもらえるとありがたい。と思います。 一日一レッスンだけでも毎日聞ければ、子供たちが英語を全く忘れてしまうことは防げます。子供たちがこの困難な状況で、今まで勉強したことを保持できるよう大人は助ける必要があると思います。 


コロナウィルスのことはとても心配です。 息子は現在、入国制限のある国にいますし、娘もコロナウィルスの感染者数がとても多い地方にいますので、いつも心配しています。  私自身もほとんど外には出ません。  収束して、子供たちが学校で勉強できる日が早く来るといいと思います。 

各大学は、スピーキング試験(民間試験)をする必要はありません。 大学の先生方は「受験生をだます詐欺(犯罪)」に加担するよう強制されることはありません。いかなる団体においても犯罪を強要する方針は無効です。

このブログでは大学入試のスピーキング試験について書いてありますが、高校入試のスピーキング試験にもここで指摘したことと同様の問題があります。教えていないことをいくらテストしても子供たちのスピーキング能力は上がりません。 高校入試のスピーキングテストについては2018年3月8日のブログ「 高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの(大学入試も同じ) 発音教育の塾への丸投げはやめてください(中学3年間で生徒がアジアのトップレベルの発音でスピーキングができるようにする方法をお話しします)」 の真ん中から後ろの部分をお読みください。(東京都の場合、スピーキング試験はベネッセが実施する予定。こちらのYAHOOニュース(6月11日)によると採点はフィリピンにいるスタッフが行うことになっているそうです。)  (10/27) 私がリンクを付けたページは削除されることが度々あって困ってしまいます。


2020年2月29日のブログも併せてお読みください。ポートフォリオはベネッセの見込み顧客(高校生)のデータを国家に集めさせる極めて危険で悪質な手段です。下村博文議員と安倍総理大臣がすべての国民のIDと個人情報をベネッセに与えてよいのですか
また、2020年11月2日のブログも為政者から激しく妨害されていますのでここに載せました。
中学時代にきちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか?
大学入試改革を担った鈴木寛教授が実際には英語教育に全く無知であった(カタカナ発音と英語発音の区別も出来ない)ことについては2020年4月23日のブログに書いてあります。 鈴木寛教授のことを書いたとたん為政者から激しい妨害が始まりました。



「民間試験」は廃案です。 もう終わりました。「50年やっても4技能向上に効果がなかった」「年間500万人が受けても4技能向上に効果がなかった」こんなものはもう終わりです。「民間試験で4技能は上がらなかった」これが結論です。 (「なぜ、なんの効果もない民間試験が導入されようとしたのか」その解明は必要だと思います。私は警察の介入が今でも一番いいと思っています。 なぜなら、自民党WTの提言が詐欺だからです。)  本来の問題「話す」「書く」をどう教えるか。その話し合いを始めるときだと思います。(私がこういうことを書くのは多くの人の中に「民間試験は役に立たなかった」「終わった」という認識がないと、また、それをとんでもない理屈を持ってきて導入させようとする人、つまり民間試験の残党がまだいると警戒しているからです。ベネッセからもらうお金をあきらめきれない人がいると警戒するからです。「東大に民間試験をさせなければいけない」とすごんでいた国会議員の映像は今思い出しても異様で怖いです。) 
テストでスピーキング能力は上がらなかった(高校入試のスピーキングテストも同じです。 授業で教えもしないでテストをしても子供たちのスピーキング能力は上がりません。)

自民党ワーキングチーム:「生徒に音声モデルを渡すことさえ思いつかないで、「スピーキング能力」の向上を話し合う」その神経が私には理解できない。そんなこと、スピーキング能力向上を考えたら、一番先に気づくべきことでしょう。 あまりにもスピーキング習得について知らなすぎる(私は中学一年生の時に「教科書の音声がないとしゃべる練習はできない」と思いましたよ。それで、「音声がないと英語をしゃべる練習ができないの」と言って親に買ってもらいました。13歳だって、本当にスピーキングを身に付けようと思ったらそのくらいのことはわかるんです。自民党WTは実際の英語習得を知らないにもほどがあります。それで、スピーキング能力向上について提言をするなど信じられないです。発音が通じなかったら、どんなにしゃべらせる練習をしたって無駄なんです。(現在でも新聞などで紹介されている英語の授業は生徒に正しい発音を習得させないで、勝手に話させているものがほとんどです。それではスピーキングを教えていることにはならないのです。「英語で授業」「オールイングリッシュ」なんかやっていたら、子供たちの発音はめちゃくちゃになり、何時まで経っても日本人の英語が通じるようにはなりません。)日本人は子音を単独で発音しない母国語だから、欧米の人と同じ「話す」練習は出来ないのです。この国会議員の方々は英語教育を専門的に勉強したことがあるのですか。この女性議員の方の大学でのご専攻は、保健衛生ですね。 自民党は英語教育を専門的に勉強したこともない人の提言をもとに日本の英語教育を決めるんですか。そんな提言、使えませんよ。ベネッセを儲けさせるために国民を騙(だま)す目的で作られた詐欺提言ですから。)


3月22日午後5時40分、冒頭の部分にさらに書き加えました。 それが、為政者の気に入らなかったのでしょうね。アクセス数はいまだに「5」です。 私はすでに、「英語耳」の松澤喜好氏KADOKAWA松原眞樹社長から、「盗作」「隠ぺい」「妨害」など様々な不正行為を11年受けていますから、新たに為政者からも妨害を受けるのはかなりきついですけれど、妨害されるというのは私の言っていることが為政者にとって「不都合な真実」だからだろうと思っています。 (不正行為をされ続けるというのは、身体的にも精神的にも、結構つらいものです。 11年前、松澤喜好氏に盗作されたときは、ショックが大きくて、どうやって立ち直ればいいかもわかりませんでした。ただ泣いていただけでした。 2年前、KADOKAWAが、盗作を行ったアスキーメディアワークスを解体・消滅させたことを知った日も、これでもう私が何を言っても「昔あった会社がやったことですから」で片づけられてしまう、と思って、何時間も泣いていました。  今でもアマゾンのランキングは2冊の本とも松澤氏に妨害されていますし。    ほかにもアマゾンで他の著者の本はみんな送料無料なのに、私の本だけ「送料599円」にされたり、不正行為ばかり、されています。(その時、ランキング5ページ目までの本の送料がすべて無料であったことは確認しました。 今月になって、送料有料の本をいくつかリストさせても、それは、KADOKAWA(松原眞樹社長)の隠ぺい工作でしょう。送料無料を売り物にするアマゾンが英語本の配送料に749円も取るのはおかしいですから。(4月20日8時10分現在)昨日は、KADOKAWAの「英語耳」の配送料は942円でした。 それでは誰もアマゾンから本など買わないでしょう。 だからほかの理由があるということです。  KADOKAWA松原眞樹社長が「川合典子の本の送料が599円になったのは不正行為ではない」とアピールしたいだけです。 配送料有料の本を後からどれだけリストしようと、著者である私と出版社が全く知らないうちに配送料が599円にされていたのですから、これは不正行為以外の何物でもないでしょう。 あの時私は、「なぜ私の本だけ送料が599円なのですか?」と聞いたのに、説明もなく3時間後に送料無料に表示が変わりました。 他人のランキングを4年も妨害する松澤喜好氏、アマゾンの送料を法外にしても自分のした不正行為を隠そうとするKADOKAWA松原眞樹社長。 お二人のすることは社会人として常軌を逸しています。 私の英語教師としての仕事を妨害するのは犯罪です。 KADOKAWA松原眞樹社長はこういうことをアマゾンに頼むのに会社のお金を使っているのですか。(見返りがなければ誰も言われた通りにはやりません。) もともとは、ご自分が盗作の処理を公正にできなかった、ご自身の失策が原因でしょう。 ご自分の失敗のしりぬぐいを会社にさせるのですか。 金額の大小にかかわらず、社長個人の不正行為を隠ぺいするために会社のお金を使うのは、会社にとって決して良い社長とは言えません。(「取締役の善管注意義務」取締役は「善良なる管理者の注意をもって会社から委任された事務を処理する義務を負う」と法律で定められています) そのお金の会計処理はどうしているのですか。 まさか本当のこと(妨害の依頼)は書けないでしょうから、 社長の指示で会計に虚偽の記載をさせるのですか。 虚偽の記載は税法上問題があります。 それとも社長の指示による「書類を残さない」アマゾンとの裏取引なのですか。 裏取引も税法上問題があります。 公正な企業活動はお金の流れからも裏付けされなければならないので、虚偽の記載は禁止されています。 社長の指示で税法違反をするのはよくないです。  また、「11年も自分の出版社の著者に犯罪被害者の攻撃をさせている」というイメージを作る社長は、会社にとって決して良い社長ではないと思います。 社内、社外の人間が「松原氏は社長として適任ではないのではないか」と思う前に、ご自身の不正行為をやめ、松澤喜好氏の妨害をやめさせてください。赤い本のみならず、緑の本に対するランキングの妨害もやめさせてください。つまり、松澤喜好氏の私に対する一切の妨害をやめさせてください。 松原眞樹社長と松澤喜好氏、お二人が現在、私に対して行っている一切の不正行為をやめてくだされば、私はもう何も言うことはありません。松原眞樹社長が現在行っている私のブログ(アスキーメディアワークスについて記載のあるブログ)に対する妨害もやめてください。(2020年4月22日)   こういう不正行為は、個人がアマゾンに頼めることではないでしょう。 ベストセラーの著者一部上場企業の社長から不正行為を受け続けるのは、つらいものだ、といつも感じています。でも、それをやりたい放題やらせておく、というのは、理不尽だといつも感じています。本来やってはいけないことですから。KADOKAWAってすごい会社ですね。 社長自ら特定の一個人を妨害しにかかる。 著者(松澤喜好氏)出版社(KADOKAWA松原眞樹社長)ともに一切の不正行為をやめてください。  KADOKAWA松原眞樹社長は新社会人にメッセージを送るなら、ご自身が不正行為をすべてきちんと終わらせてからでしょう。 私はすべての不正行為を終わらせてくだされば、松澤喜好氏にもKADOKAWA松原眞樹社長にもそれ以上何も言うことはありません。 2020年3月25日)
2020年5月2日(14時48分)私の緑の本はランキング6ページ目の13番目にありました。 KADOKAWA松原眞樹社長は私に対する妨害をやめる気はないのですね。 わかりました。 もう結構です。。。。。。 私がこうやって怒った後(19時26分)、私の赤い本の中古本の価格が1600円に変わっていました。 アマゾンの中古本の価格って、そんなに簡単に変えられるんですね。 やっぱり私の本の中古本の価格を1円にしたのはKADOKAWA松原眞樹社長だったのですね。  (また、1円に戻されましたけど。)   「 KADOKAWA松原眞樹社長が不正行為をやめるつもりはない」ということは充分わかりました。(2020年5月6日) 


それにしても、英語教育を専門的に学んだこともない自民党ワーキングチームの提言なんか、なんで聞く必要があるんですか。この国会議員の方々は、英語教育法はおろか、音声学さえ勉強したことはないのでしょう? なんで英語教育(特にスピーキング)の方針を決めるのに、こんな人たちのいうことを聞かなければならないのですか。 発音習得に関しても、彼らは何も知らないではないですか。(先生方のツイッターこの女性議員の方のお名前がたかがい恵美子さんと出ていたので、HPで学歴を拝見いたしました。 大学の専攻は保健衛生で、英語教育とは全く関係ありませんでした。 【自民党役職】の欄には「教育再生実行本部 本部長代理」と書いてありました。    英語教育は専門分野です。 大学で専門的に学んでいない人が口を出せるほど容易な分野ではありません。 自民党ワーキングチームの方々は英語教育について全く学んでいないのに、ベネッセを儲けさせるために国民を騙(だま)す目的で詐欺提言をするのはおやめください。)

(3月22日)自民党の仕組んだ罠の土俵に上がってしまわないよう気を付けてください。 彼らは話し合いの枠もテストの土俵に限ってさせようとしている。 そうじゃない。「スピーキング能力を付けさせる」この原点に立って、話し合いをしなければ本当の道すじは見えてきません。自民党の仕組んだ罠にはまらないよう気を付けてください。(招かれた専門家もテストの専門家ですか?)   「話す」「書く」が問題なら、一つ一つ丁寧に議論していかなければならないのではないですか。もしかしたら、中学高校の英語授業の時間配分を変えなければならないほどの改革が必要になるかもしれないのですから。「テストありき」の罠に気を付けてください。 (私は「書く」については自分の経験から大学1,2年で大量の英書を読んでから(言いたいことが英語で頭に浮かんでくるようになってから)したほうが意味のあるライティングの指導が出来ると思っています。 書くことは、高校を卒業したころは習った文型を使うので、精一杯でした。こちらのブログの2年B組の生徒たちのように。 高校卒業時の私は、英語でエッセイが書けるほどの英語力はありませんでした。 多くの先生方のご意見をお聞きしたいです。 「話す」「書く」どちらも丁寧に議論したほうがいいと思います。2019年11月18日のAERAによれば、審議会の委員は「民間試験のことは話題にも上らなかった。」とおっしゃっています。けれども2015年1月16日、下村博文文科相(当時)が「高大接続改革実行プラン」として20年度スタートの新テスト導入の工程表を決定すると、導入の既成事実化が急速に進んだ。」と書いてありました。誰が決めたかもわからない民間試験など、やる必要ないです。(50年やっても日本人の4技能は上がらなかったし、500万人が受けても日本人の4技能は上がらなかったのですから。役に立たないとわかった民間試験は廃案にして、「話す」「書く」をどうするか、話し合うときではないですか。同じくAERAによると「中学高校6年間の英語教育で英語をしゃべれないのは大学入試に4技能がないからだ」こうした文脈で英語民間試験導入を強力に推進してきた下村元文科相」ということですが、6年間の英語教育で日本人がしゃべれないのは、スピーキングを学校で教えていないからです。大学入試でテストをしないからではありません。 原因の特定を下村博文議員は間違えています。 テストをすれば英語が話せるようになるほど、日本人が正しい発音で英語を話すのは容易なことではありません。 下村博文議員も英語教育を専門的に学ばれたことはないのでしょう。 全く効果のない民間試験は廃案にして、「話す」「書く」をどうするか、話し合うときでしょう。)


* * * ここから今日の本題に入ります * * *

民間試験がなぜ提唱されるようになったのかを知るために「英語力評価及び入学者選抜における英語の資格・検定試験の活用促進に関する連絡協議会」(第1回)議事録を読みました。 その冒頭で山中文部科学事務次官の次のような主旨の発言を読みました。 「平成10年から4つの能力、20年からは4技能と目標を掲げてやっているが、大学入試で評価されない事項は生徒は時間の制約もあり、勉強しないようだ。 だから大学入試で「話す」「書く」も評価すれば生徒が勉強するのではないか」ということで、4技能をテストする民間試験が導入されたようです。 (私はここで、スピーキングテストについてのみ書きます)

「大学入試でテストしないから生徒がスピーキングを勉強しない」ということも日本人がスピーキングが出来ないことの一つの理由かもしれませんが、一番大きな理由は学校でスピーキングを教えていないことです。教えられていなかったら、たとえ大学入試でスピーキングをテストされるようになっても、生徒は正しい勉強の仕方が分かりません。 それに生徒に音声モデルも与えていなかったら、生徒はどうやってスピーキングを練習したらよいのでしょうか。 自民党の文部科学部会の方々はそういうこともご存じないのですね。 それではスピーキング能力向上について提言をされるのは無理です。  どんなにもっともらしい理屈を言っても、その人たちが本当にそのことについて知っているかどうかはそういうところでわかります。

「学校でスピーキングを教えていない」というと、自民党の文部科学部会の人々は「いや、学習指導要領では、身の回りのことについて話すとか話す活動をたくさんとり入れている」と反論するでしょうが、「生徒に勝手にしゃべらせる」ことはスピーキング教育ではありません。 生徒に勝手に話させている時の発音は、日本語の発音です。英語の発音ではありません。

スピーキング教育のやり方は、2017年10月12日のブログに書いてあります。

文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない。 (子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き)

要点を言えば、まず、正しい発音を教え、正しい発音で文を最初から最後まで言えるようにするのが、スピーキング指導です。 まず、これを生徒が出来るようにしないで、どんな指導をしても全く無駄です。まず、通じる発音を身に付けさせないで、どんな指導をしても全く無駄です。  日本では今まで学校教育でこのような指導は一度も行われたことがありませんでした。現在でも、新聞などで、紹介される英語の授業を見て見ると、正しい発音を定着させることなく生徒に勝手に英語を話させる授業がほとんどです。 それではスピーキング教育にはならないのです。 

正しい発音を教えないで、生徒に勝手に英語をしゃべらせているとどういう問題が起こってくるか、というと日本人の生徒全員が、英語の子音を日本語の子音で代用してしゃべっている、という現象が起こります。 これが、日本人の英語が通じない原因です。 この問題を解決するためには学校で正しい発音を教えなければなりません。 (この子音の違いは、日本語の子音しか取り込めないようにすでに耳が慣らされてしまった人には聞くことが、出来ません。 耳が日本語にはない「子音の長さ」を取り込むことが出来ないからです。 2016年6月1日からブログで行いましたネット上セミナーで練習してくださった読者の方々は、この子音の違いが聞き取れるようになっています。 私のHP「通じない日本人の発音」のページにネット上セミナーの練習がまとめられています。)
また、一口に4技能といってもスピーキングは他の3技能と決定的に違うところがあります。 「読む」「書く」「聞く」は頭の活動だけで習得できますが、「しゃべる」は、「頭の活動」と「口の筋肉を動かす練習」2つをしないと習得できません。  口の筋肉を動かす練習は継続して行わないと身につきませんし、途中でやめてしまうとせっかく流ちょうにしゃべれるようになっても元に戻ってしまいます。 ですから、スピーキングの練習は中学高校と6年間継続して行わなければなりません。

もう一つ中学高校と6年間スピーキングの練習を継続して行う理由は、言葉というのは年齢相応の文や、語彙を使って話せなければならない、ということです。 中学から高校へと使う英語が高度になります。それに合わせてスピーキングの練習も変えていきます。

私はスピーキングの評価は学校ですればいいと言いました。 もし生徒が日本人の先生に評価されるのが不安だということであれば、週に一度ALT(Assistant Language Teacher)として来てくれるネイティブの先生に評価してもらえばいいと思います。  こちらの上智大学が行った「ALTの実態に関する大規模アンケート調査研究」を見ても英語圏から来ている先生は中学高校では多いので、その先生に評価してもらえばいいです。 もし発音などを「テスト」という形で特に時間を設けて評価してほしいなら学期が終わるごとに60語くらいの教科書の文を(中学では40語ぐらいですか。適切な量は現場の先生に聞いて下さい)一人ずつ音読してスピーキングの評価をしてもらえばいいと思います。  その時、テストで評価する事項を事前に生徒に渡して、ネイティブの先生がどういうところを評価するのか生徒に充分理解してもらいます。 例えば、(1)声が充分大きいか。 (2)スラスラ読めるか(Fluencyの問題 )。 (3)スラスラ読んでも子音がちゃんと聞こえているか。 例えばMy name のMy がちゃんと聞こえるか。等。 

テストの前にネイティブの先生がどういう点を評価するのか、その評価項目を生徒に伝えて、理解してもらい、(3)のような日本人が話したことのない子音については、授業でそのことを生徒が出来るまで先生が教えて、練習させておきます。

そうすると生徒は各学期末のスピーキングテストの前にはそのポイントが出来るように毎日一生懸命練習します。 いくら勉強しない生徒でも明日がスピーキングのテストなら、教科書を数回は音読するでしょう。(音声モデルは各生徒に学年の初めに渡してあります。)

中学
1年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
2年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
3年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
高校
1年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
2年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
3年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする

テストに向けて毎日、評価のポイントができるように一生懸命練習する。 これが子供たちのスピーキング能力を上げていきます。 しかも生徒には授業が終わったレッスンについては家でCDと同じように読めるよう練習してくる宿題が、いつも出されています。
これなら確実に子供たちは英語で話せるようになります。
大学受験の年に民間試験を数回受けるのとは天と地ほどの差があるスピーキング能力を子供たちは身につけます。 そして、日本の子供たちはアジアのトップレベルの発音でスピーキングをするようになります。 日本の子供たちにはその能力があります。 問題なのは指導の仕方だけです。

私がこういう評価の仕方を提唱するのは私自身がこうやって発音習得をしたこともありますが、もう一つの理由が、娘がプレゼンテーションのスキルを身に付ける過程をアメリカの学校教育で見てきたからです。

娘は小学校5年生まで日本で育ちましたので、プレゼンテーションなどしたことはありませんでした。  でも4年間アメリカで教育を受けて帰ってきたら、プレゼンは彼女の得意な分野になりました。 社会に出てからも友人から頼まれて、仕事のプレゼンを見てあげたりもしたようです。 彼女をそのように変えたプレゼンの教育方法がどういうものだったかこちらのブログに書いてあります。 アメリカ人が日本人よりプレゼンがうまいということはみんな知っています。 でもどうやってうまくなったのか、私はその教育方法をアメリカで見ました。 お読みになってみてください。この中でポイントとなるのは次の点です。

先生はプロジェクトを生徒に与え、完成させて発表する日を決めると、全員に評価表を渡します。 評価表には先生が生徒のプレゼンのどういう点を評価するか書いてあります。

教室の一番後ろの人まで声が聞こえるか。
みんなの目を見て話しているか。
図がわかりやすいか。
説明がわかりやすいか。
そのほか「良いプレゼンテーションのポイント」(例えば、聞く人の注意を引き付ける工夫がされているか等)がリストされています。  生徒はそのよいプレゼンテーションのポイントを見ながら毎日毎日家で練習します。  (娘は英語がよくできませんでしたから、プレゼンテーションをほとんど最初から最後まで丸暗記するまで練習しました。) 生徒はこうやってプレゼンテーションのスキルを上げていきます。 

プレゼンテーションは幼稚園、小学校、中学校、高校、大学まで行います。
幼稚園、小学校低学年では評価はしません。
高校以上はプレゼンテーションする内容に評価の重点が移ります。

こうやってアメリカ人は授業の中で「よいプレゼンをするにはどうすればよいのか」を先生から習い、自分で練習して、授業で評価されてプレゼンテーションが上手になっていきます。 もし、アメリカで、「大学入試の時にはプレゼンテーションの外部テストを受けてください」と決めただけで、学校教育で何もしなかったら、アメリカ人のプレゼンが上手にならないことは明白でしょう。  (日本でも、学校でこういう教育をすれば、子供たちはプレゼンテーションが上手になります。 でも、そのためには授業でプレゼンテーションをさせる時間が必要になりますね。 知識を教える時間を少し減らして、プレゼンテーションをする時間に使うことが必要になります。)

体を使う実技の能力というのは、検定試験を受けても上達しません。
授業で教えて
家で練習させて、
学校で評価をする
これを何年にもわたって繰り返します。

こうすることによって子供たちはその実技の能力が上がります。  
スピーキングも口の筋肉の練習ですので、繰り返して練習し、継続して評価していくと上達します。

中学
1年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
2年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
3年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
高校
1年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
2年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
3年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする

テストに向けて毎日、評価のポイントができるように一生懸命練習する。
これがスピーキングのスキルを上げる方法です。

音読で正しい発音かどうか見るのだけでは、会話としての評価が不十分であれば、二人一組で生徒が英問英答のような活動をするときの評価は英語科の教師が行えばいいと思います。  スピーキングの評価では多岐にわたる事柄について英問英答の評価をするのは大変ですが、「そのレッスンで習った単語を使い」「そのレッスンで習った文型を使って」「そのレッスンの内容について」英問英答する場合は日本人の先生でも、ちゃんと評価できます。  (1)積極的に英語で、相手に話そうとしているか。 (2)相手の目を見て英語を話しているか。(3)相手に充分聞こえる声でしゃべっているか。 (4)文法の間違いはないか。 例えば、What ~ ? で聞いているのにYes Noで答えていないか。こういうことは日本人の先生に評価してもらっても生徒に不安を与えることはないと思います。 中学3年、高校3年の受験の際にはネイティブの先生、英語科の先生、双方の評価を受験校に提出すればよいでしょう。  評価のポイントについては文部科学省が定めれば一律に評価できるでしょう。

授業でのスピーキング活動、学期末のスピーキングテスト、時間はとりますが、スピーキングを上手にする為にはスピーキング教育の時間を取らなければ出来ません。 今までこの時間は全くなかったのですから時間をとる必要が出てきます。 学期末のスピーキングテストには2時間分(つまり2日)くらいの授業時間が必要かもしれません。  でも、アメリカでは、プレゼンテーションも毎回クラス25人全員が行っていました。 そのために授業時間が何時間も使われました。 時間を取って実際にやらせなければ実技は身につかないとわかっているからでしょう。 今まで戦後75年、日本でスピーキング教育が行われたことは一度もありませんでした。  ここでスピーキング教育を始めないと、日本人はこの先もスピーキングのスキルを身につけることは出来ません。  私のホームページを作ってくれた方が、「私は大学まで英語を勉強しても全然話せません」とおっしゃっていました。 上に書いたような教育をすればそういうことはなくなります。

スピーキングスキルは、受験の時に民間試験をするくらいでは全然身につきません。 実技はとってつけたような,、その時だけの勉強では身につかないのです。 体にその動きを取り込んで自分のものとするためには6年かかります。中学校で基礎を習得し、高校で複雑な文もスピードを上げてしゃべれるようにしていきます。



もう一つ、民間試験が役に立たない証拠を皆さんにお話しします。

民間試験は過去50年以上に渡って日本で行われて来ました。(各試験 のサイトより)

実用英語技能検定は1963年より実施されて、2017年度の受験者数は366万146人でした。
ケンブリッジ英語検定は1939年横浜に初の試験センターが誕生し1941年に最初の合格者が出ています。
TOEFLは、1964年に作られ、日本では1990年代年間受験者数10万人を突破しました。
GTECについていくつかのサイトに行って調べようと思い、最初にウィキペディアを開いたら、


この記事は広告・宣伝活動のような記述内容になっています。
ウィキペディアの方針に沿った中立的な観点の記述内容に、この記事を修正してください。露骨な広告宣伝活動には{{即時削除}}を使用して、即時削除の対象とすることができます。(2019年11月)

と書いてあったので、そこは読まずに受験者数は126万人ということだけ調べました。

こうしてみてくると民間試験は今まで日本で50年以上行われています。  受験者も現在では各試験合わせて年間500万人くらいいます。 ここまで、たくさんの国民が受験しているのに、現在でもまだ日本人の4技能が上がっていないことが問題になっています。 つまり、50年民間試験をやっても、日本人の4技能は上がらなかったという証明です。

それなのに、また、大学入試で民間試験をさせても全く効果はありません。 50年の歴史が物語っている通りです。

自民党の文部科学部会の人々も、このことは知っています。 民間試験を導入しても子供たちの4技能は向上しない、と知っています。 なぜそれが分かるかというと、私の下の2つのブログのアクセスが1月の終わりからずっと妨害されているからです。 (ブログの妨害については2月1日「民間試験導入のシナリオはすでに出来上がっている」という題で書きました。)

(1)2017年10月12日 「文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない。 (子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き)」

(2)2017年11月2日 「中学時代に、きちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか?」

特に(2)のブログ「中学時代に、きちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか?」は、私が一年以上毎朝やっている4語を用いた検索結果に全く出てこなくなりました。1月中旬まではいつも2位に出てきていました。 (1)のブログは順位を下げられる、という妨害を受けています。上がってきても一日に何回も下げられる、ということを繰り返しています。

アクセスを妨害する、というのは人々にそのブログを読まれたら、困るということです。 上の(1)(2)のブログには私が今書いたことと同じことが書いてあります。  

人々が上の2つのブログを読めば「民間試験によって4技能を上げる」という自民党の文部科学部会の言っていることが嘘だとばれてしまいます。  だから上の2つのブログのアクセスを妨害しているのです。 自分たちが嘘をついているとばれてしまう都合の悪い情報は国民に読ませてはならないと思っているのです。

自民党の文部科学部会の人々が民間試験を導入する本当の理由は、ベネッセを儲けさせるためです。  献金もらっているのだから、「民間試験を導入して、ベネッセを儲けさせなければならない」それが、彼らの本当の理由です。  4技能の向上など彼らにとってはどうでもいいのです。 ベネッセを儲けさせることが彼らの本当の理由です。 だからスピーキング能力を本当に向上させる方法が書いてある私のブログのアクセスを妨害するのです。 4技能を習得させるには学校で継続して評価するのがベストだと人々に気づかれるのは彼らにとっては致命傷です。

私の提唱する方法で子供たちがスピーキング能力を身につけることは彼らも知っています。 私自身が中学時代このやり方で今のスピーキング能力を身につけたのですからこれ以上説得力のある方法はないでしょう。 もう一人私と同じ方法でスピーキング能力をつけた中学生のことは過去のブログにも書いてあります。 ですからこの方法が有効だったのは私一人ではないです。
民間試験が効果がないことは彼らも十分知っています。
それなのに、民間試験を受けることがあたかも子供たちのスピーキング能力が上がる方法のように偽って、高額の民間試験を生徒に受けさせようとしています。(やがてそれがベネッセの儲けになるのでしょう。)
嘘の情報で高額の受験料を払わせる。
自民党の文部科学部会が行っていることは詐欺です。
50年やってきたって、民間試験で日本人の4技能は上がらなかったではないですか。
1年に500万人もの日本人が民間試験を受けているのに、4技能はちっとも上がらないではないですか。
単純に計算したって、50万人の受験生が10年民間試験を受けたって、日本人の4技能など上がらないということです。 
詐欺は犯罪です。
受験生とその保護者に対して詐欺を働くのは教育者としてあるまじき行為です。
先生方は詐欺に協力する必要はありません。
犯罪に加担させようとする方針はいかなる団体においても無効です。
各大学は民間試験をする必要はありません。
詐欺(犯罪)に加担するよう強制されることはありません。
自民党の文部科学部会の言う通りにしなくても何の罰を受けることもありません。
懲罰を受けるとしたら、詐欺(犯罪)を行っている自民党の文部科学部会の方です。
自民党の文部科学部会の行っていることは詐欺(犯罪)です。
犯罪なのですから警察に介入してもらったほうがいいです。
そこで、なんでそこまでベネッセのいうことを聞くのか全容を解明してもらいましょう。
もうこの件に関してはいろいろな情報が出てきているのではないですか。


私はまた、為政者に「不都合な真実」を書きましたので、ブログの妨害を受けると思います。 お読みになった方はツイッターなどで先生方にお知らせください。
子供たちが正しい英語教育を受けられることを願っています。

(私は、すでに「英語耳」著者の松澤喜好氏とKADOKAWA松原眞樹社長から、「盗作」「隠ぺい」「妨害」などの不正行為を11年受けていますので、この上、為政者から妨害を受けるのは正直なところつらいものがあります。精神的にはかなりきついです。)



ここから先はいつも書いていることです。

2月11日の朝日新聞東京大学・慶応大学教授鈴木寛氏が「民間試験を使うことが現実的です」とおっしゃっていますが、教室で評価したほうがもっと現実的ではありませんか?民間試験を受けさせても子供たちのスピーキング能力は上がりません。生徒と保護者(国民)も、なんの役にも立たない高額な民間試験より「学校で評価」してもらってネイティブ発音になる方がいいに決まっています。スピーキング能力の上げ方も知らないで民間試験を薦めるのはおやめください。 

民間試験導入を主張する方々の中には、中学高校時代「学校の勉強の一環として」発音習得を行った人は一人もいません。彼らは学校教育におけるスピーキングの指導と評価について何も知りません。彼らの言う通りにするとまた失敗します。

【2024年、再び民間試験導入の口実を作らせないために】  スピーキングのスキルは本来学校で教えるものです。学校で教えることを学校で評価できないはずはないでしょう。民間試験導入などと言う教師は学校教育におけるスピーキングの指導・評価の方法を全く知らない教師です。 発音を習得する中学、高校の時期には、学校で継続してスピーキング評価を行わないと、子供たちに正しい発音でスピーキングすることが定着しないのです。 学校でレッスンが終わるごとに継続して評価されるからこそ、子供たちは家庭学習でスピーキングの練習をしてくるのです。(基礎は最低中学2年間。長い文をスピードを上げてしゃべれるようにする高校時代は3年間。継続して学校でスピーキングを評価する必要があります。評価はその都度生徒に知らされます。 前より上がっていたら、励みにもなるでしょう。 下がってしまったら、「今度は頑張ろう」という気にもなるでしょう。このように「評価」は長い発音習得期間中、生徒のモティベーション維持にも重要な役割を果たします。 入試の際は3年間の総合評価を高校、大学に提出すればよいのです。)  中学生が学校教育だけでこういうスピーキングが出来るようになる「指導と評価の方法」はあります。高校生の「指導と評価の方法」もあります。(「中学生がこういうスピーキングが出来るようになる」と例示した音声はHP「通じない日本人の発音」より転載しました。私自身が50年前、学校教育だけでこういうスピーキング能力を習得しました。私のスピーキング能力習得過程は「スピーキングの指導と評価」に「民間試験は不要」「業者は不要」、「必要なのは授業での継続する評価」を証明するものです。 民間試験導入を主張する教師など「スピーキングの指導と評価」のやり方を全く知らない教師です



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3月31日、母が亡くなりました。
大正生まれの母は典型的な古風な日本女性でした。
母自身が体が弱いのに、病気がちの私を育てるのがとても大変だったようでした。

高校3年生の冬休み、世界史の現代史の勉強が終わらない私は、部屋の天井と壁に現代史の年表を書いた大きな紙を張り巡らせていました。 用があって入ってきた母がその中の一行を見て、「1945年、ポツダム宣言受諾。。。。。」と読み上げました。 遠い日を思い出すような目で、その一行を眺めていました。

私は母を見て、「私にとっては世界史の中の一つの出来事だけど、母にとっては人生の中の出来事だったのだなあ。」と思いました。  あの日から、日本中のあらゆるものが変わってしまったのですから。

まさに戦中、戦後の激動の時代を生きてきた人々の一人なんだ、と思いました。 戦争中のもののない時代、戦後の混乱の中で、必死に生きた時代、そういう時代を生きてきた人なのだ、と思いました。

結婚して、実家から遠くに離れて暮らしていた時、よく父と一緒に孫を見に来てくれました。 帰る時、「もう帰っちゃうの?」と寂しそうに言う私に、「あまり親を心配させないで。。。」と母自身もたまらないような顔をしていました。

両親が家を出て小学校の坂の下のバス停につくころ、私は2階に行って窓から、遠くに見えるバス停にいる父と母がバスに乗っていくのをずっと見ていました。

あの時もそうだし、アメリカに行くときもそうだったし、別れはいつだって、寂しいから嫌いです。
でも、必ずやってくるものだから、気持ちよく送り出してあげなければいけないのでしょうね。
私もこの年だから、「あまり親を心配させないで。。。」とは、母はもう言わないでしょうけれど。

お母さん、ありがとう。

eポートフォリオはベネッセの見込み顧客(高校生)のデータを国家に集めさせる極めて危険で悪質な手段です。下村博文議員と安倍総理大臣がすべての国民のIDと個人情報をベネッセに与えてよいのですか。

(2020年12月22日、本文真ん中あたりにピンクの文字で加筆しました。)


2020年7月9日 NHKニュースによると「文部科学省がe-ポートフォリオと呼ばれる大学入試の新システムの運営許可を取り消す方向で調整していることがわかりました」ということです。  けれどもまだ安心は出来ません。 自民党は、何度否定されても英語民間試験を導入させようとしてきました。今もスピーキング試験をやらせようと必死です。 「公平に議論をする」と先生方を騙して水面下で英語民間試験導入の準備を進めていました。  eポートフォリオの運営許可を取り消しても、彼らはベネッセから、献金をもらっているのですから、そんなに簡単にベネッセの金儲けをあきらめることはないでしょう。 今後、彼らが新しいプランを出したときは、その教育目的より、それによって、ベネッセがどういう金儲けをしようとしているのか、を考えたほうがいいと思います。 「学習に向かう主体性を育てる」という表向きの理由の下に「日本の国家にベネッセのマーケットデータを収集させる」という裏の目的がありました。 今後も自民党の出してくる教育プランの裏にどんなたくらみが隠されているのか、警戒し、見抜く必要があります。






私のブログは「民間試験」についても「ポートフォリオ」についても激しく妨害されています。 夜まで、アクセス数が一桁の日もあります。 けれども激しく妨害されるのは、私の書くことが、為政者にとって「不都合な真実」だからだと思っています。その計画の恐ろしさを知る人間が少なければ、反対運動も盛り上がらないと為政者が考えているためだと思います。私はツイッターはやりませんが、お持ちの方は出来るだけ多くの方にこの為政者のもくろみの恐ろしさをお伝えください。 教育関係者の方々はもちろんのこと、皆さんの趣味のお友達のネットワークで、仕事仲間のネットワークで、大学生のネットワークで、子を持つお父さん、お母さんのネットワークで、この計画の怖さをお知らせください。 ポートフォリオによって、やがて、ベネッセが全日本国民の「ID」と「個人情報」を握(にぎ)ることになります。 



2020年3月17日のブログも併せてご覧ください。「各大学は、スピーキング試験(民間試験)をする必要はありません。 大学の先生方は「受験生をだます詐欺(犯罪)」に加担するよう強制されることはありません。いかなる団体においても犯罪を強要する方針は無効です。」
また、2017年11月2日のブログも為政者から妨害されていますのでトップに載せました。「中学時代に、きちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか?」
大学入試改革を担った鈴木寛教授が実際には英語教育に全く無知であった(カタカナ発音と英語発音の区別も出来ない)ことについては2020年4月23日のブログに書いてあります。 鈴木寛教授のことを書いたとたん為政者から激しい妨害が始まりました。


* * * * *

それでは今日のブログに入ります。

先生方のツイッターで「eポートフォリオについてわからない方はこちらをお読みください」と読んだので、そこに紹介されていたサイト「高大接続ポータルサイト「JAPAN e-Portfolioの概要・活用の意義<前編><後編>を読みました。 お話しされていたのは関西学院大学の尾木義久氏です。 文部科学省の「大学入学者選抜改革推進委託事業 主体性等分野」の学長特命担当という立場からのお話しでした。(何がご専門の先生でいらっしゃるのかは調べてもわかりませんでした。実業界でのお仕事は載っていたのですが、それ以外のことがわかりませんでした。) プリントアウトしたら、<前編><後編>それぞれ9ページ(合計18ページ)となりました。 

以下は私が読んだ個人の感想です。 

先日、記述式の問題の作成にかかわった大学の先生が、記述式対策問題集を出版していたことが発覚しました。 しかし、「問題ない」ということで、こういうことが野放しになっている現状を目の当たりにしました。  この件からわかったのは、
機密情報を扱う人の行動規範が定められていない。徹底していない。 
その機密情報の管理を誰が責任を持って行うのか、明確に定められていない。  
機密情報漏洩を防ぐための手段が講じられていない。 
機密情報が漏洩しても誰も責任を取らない。 
機密情報を漏らした人は、やり得となる。  

こういう現状が明らかとなりました。 (私たちの中にある「委員をするような人は悪いことはしない」という前提は見直して、誰もが機密情報を悪用する可能性がある、という前提で、きちんと行動規範は明文化したほうがいいと思います。委員になった人は機密情報保護の規定を守ることを誓約書など書かせて徹底するべきだと思います。 誓約書に違反した場合は具体的にどのような処分を受けるのかも明確にしておきます。 日本中の受験生に対する公平性が損なわれるのですから厳罰は当然です。) こういう現状を踏まえてポートフォリオについて私が読んだ感想を書きます。

このポートフォリオには日本全国の高校生の学習の記録や活動の記録が入力されます。このデータをベネッセがビジネスに使う危険性はないのですか。<前編>3ページ目に「ベネッセさんのハイスクールオンラインというプラットフォームを間借りさせていただいております。」と書いてありますが、 <後編>3ページ目に 「委託事業が終わりましたら別の法人が運営主体となって管理していきますが、」と書いてあります。しかし、法人名だけ変えて、実質的にはその後もベネッセが運営することはないのですか。私がそれを心配するのは、民間試験導入の時に、ベネッセが名前だけ変えていろいろなところに入り込んでいたからです。 ベネッセは「そういうことはない」というでしょうが、その法人の発言が信用できるかどうかは、今までその法人がやってきたことによって判断できます。 ベネッセの発言は信用できません。

たとえデータをベネッセが流用する形でなくても、これだけ政治家や文部科学省に食い込んでいるベネッセですから、「文部科学省から、夏休みに短期留学した高校生の数はどのくらいか調べてほしい」という要請があったので調べた、と言ってその人数を調べ、「これなら短期留学向けの本を出版すれば売れる」などの判断をすることはないのか、と思いました。6ページ目に「今年一年、何をやった?どんな資格とった?」ということを提出させると思うんですね」と書いてあり、リストされている資格は600種類と書いてありました。  文部科学省から、「高校生がどのような資格を取っているか資料を出してほしい」と言われたから、という理由を付けてベネッセがそれを調べ、「この資格についての問題集を出せば売れそうだ」と判断することはないのでしょうか。 

ここに集められた高校生のデータは市場調査データの価値としては数百億円の価値があると思います。 まず、対象の多さ(日本中の高校生)、データの正確さ、信頼性(先生が書き込む部分と先生の指示で生徒が書き込む部分がある)、ターゲットが高校生と絞り込まれている。 何年にも渡ってデータがとれる。 これを市場調査員を使って行ったら、ものすごいお金がかかります。 いくらお金をかけても、答えてくれない高校生もいるでしょうから、普通はこんなデータは入手できないでしょうね。 もちろんベネッセも露骨に自分達の下心は出さないように入念な準備をしてこのポートフォリオを提出してきたのですから、カモフラージュ(相手を欺く偽装)も徹底しています。生徒会活動や部活の記録なども入っています。 容易にベネッセの下心に教育関係者が気づかないような配慮は各所にしてあります。

私もポートフォリオについては何も知らなかったので、白紙の気持ちで読み始めたのですが、学習についての記述がやたら多くて細かくていくら「学習についての主体性を高める」と言っても、こんな情報が学校で必要なのかな?と思い始めました。 それで、2回目は「学習塾が必要な情報を集めるためにこのシステムを作った」という前提で読んでみましたら、非常によく理解できました。
どういうことが理解できたかというと次の通りです。


<後編>2ページ目に次のように書いてあります。 
37年度入学のところであるのが、この学習指導要領の中の、確認すべき項目ですね。(中略)中教審の学習指導要領が目指す姿の部分をよりどころにしながらやってます。  主体性。主体的に学習に取り組む態度。 主体的に学習に取り組む態度も含めた学びに向かう力。

これに関連して、<前編>4ページ目に探求について述べてあります。  

「探求に関しては、参考文献、実験の内容、研究室の訪問の履歴、フィールドスタディや調査、論文、発表の記録、コンクール・コンテスト発表の結果と、現段階ではここまでにしています。」

と書かれていました。

現場の先生方が、「学習に取り組む主体性」を心配するのは、研究室の訪問までする生徒ではありません。 現場の先生方が、心配するのは、「もう少し頑張れば、授業が分かるようになるのに、そこで頑張れなくて、結局授業が分からなくなってしまう生徒」です。

私はこの部分を読んだとき、

先生方が生徒の「学びに向かう主体性」をなんとかしたい、と思う「生徒像」と、このポートフォリオが情報を入手しようとターゲットにしている生徒像は違うと思いました。 後者は比較的よく勉強し、親も教育費を出せる生徒です。

それでは、このポートフォリオによって集められる情報が欲しいのは誰か。 これを「学習塾」と解釈して読んでいくと、集める情報の種類がとてもよく理解できました。  もちろんそれは露骨には表れていません。 他の情報(生徒会、部活動など)で上手に気づけなくしてあります。

このポートフォリオは学校で「学習に対する主体性を付けさせる」ことが目的で考えられたものではなく、学習塾が、顧客として想定している高校生の個人情報を集めるために作られたものです。 それを文部科学省によって導入させ、ベネッセのビジネスに必要な情報を国家に集めさせるものです。(「生徒も教師もベネッセのIDを取得しなければログインできない。」とこちらに書いてありました。)

以上の理由で、このポートフォリオは非常に危険だと思います。 導入はやめるべきです。 <後編>3ページ目に「委託事業が終わりましたら、別の法人が運営主体となって、管理していきますが、」と書いてあります。 まだ管理する主体も決まっていないのに高校生の個人情報を入力することは学校側は絶対に避けるべきです。


一連の教育再生実行会議の提言を見てきて思うことを書きます。

今後、下村博文議員と安倍首相が教育について、何かの会議や委員会やプロジェクトを立ち上げた時、その内容を精査するには教育関係者だけでなく、マーケティングの専門家、教育産業の動向をよく知る人にもチェックしてもらったほうがいいと思います。  下村博文議員と安倍首相は営利団体と相談してそういう教育案を出してきます。 ですから、私達もその教育案の下に隠された、営利団体の意図したお金儲けの仕組みを理解してから、対処したほうがいいと思います。 表向きに掲げられた教育案(例えば、民間試験、記述式、主体性)はお金儲けの意図を隠すために利用されたにすぎません。ですから、その教育目的について議論しても、彼らにとっては教育目的はどうでもいいのです。先生方が教育者として正当な反対理由を述べても、ベネッセを儲けさせるためなら彼らは強行突破するのです。「民間試験導入は検討する」と言って先生方をだまして、水面下で導入を進めていたことが何よりの証拠です。 まさに彼らは裏に隠れて強行突破の準備を進めているのです。 この方たちがこんなことを言うのも強行突破してベネッセを儲けさせる道筋を現在も作っているからでしょう。 彼らはそのために英検、TOEFLその他、全く違うテストの対照表まで作らせたのです。 お金儲けのためなら、英語指導の基本も常識もどうにでも捻じ曲げるのです。 普通だったら、「目的が違う英検、TOEFL、その他の試験を、同じ尺度で比較できない」「生徒に違うテストを受けさせて評価できない」ということでこの案は見送られるのが、正当な英語教育の見解です。 「これに対照表まで作らせる」もうここから、狂気の沙汰が始まっている。これでは、どんな正論も彼らを止めさせることは出来ないです。(でも、もしかしたら、その事は充分承知で、そのうちベネッセの試験一つに収束させるつもりだったのかもしれませんね。導入されてしばらくたったら、「やはり、皆さんの言う通り、目的が違うテストを同じ尺度で測れない」「違うテストで生徒を評価できない」「だから利用者の多いものに統一する」などと言ってベネッセのテストに統一するつもりだったのでしょう。とにかくベネッセが儲かるようにしなければならないのだから(それで献金もらっているのだから)、まず最初は、その意図に気づかれないために、公平を装って何種類でもいいから民間試験を導入する必要があったのでしょう。ベネッセ一つにするのはそのあとでいい。 そういう計画だったのでしょう。 「違うテストで生徒を比べられない」も「対照表を作って多種類のテストを導入する」も彼らにとっては「ベネッセが儲かるために」状況によって使い分ければいいわけです。どっちの理屈でも権威のある先生に言ってもらえば通るから。「権威」って何なんでしょうね。 日本にスピーキング教育の権威がいるのでしょうか。 学校の勉強の一環として発音習得をした英語教育の専門家に私はお会いしたことはありませんし、一人も存じ上げません。)
「民間試験」「記述式」「ポートフォリオ」すべてベネッセを儲けさせる手段でした。 私は先のブログで「教育再生実行会議」は「教育に業者を参入させる会議」と言いましたけれど、ポートフォリオ<前編><後編>を読んだ後は「教育再生実行会議」は「ベネッセを儲けさせる会議」だと思いました。(国民にベネッセのテストをさせて、国家にベネッセの見込み顧客のデータを取らせる)けれどもこの看板を「ベネッセを儲けさせる実行会議」としたら、国民から批判されるから「教育再生実行会議」としたのでしょう。本当は会議なんか作らなくたって、やることは決まっていたのです。 「ベネッセが金儲けに必要なことを学校教育に導入する」 それをストレートにやれば、国民から批判されるから、会議を作ってその提言だと言って実行すればいい。 それが会議を作った本当の理由でしょう。 最初から「国民を騙(だま)す」目的で、この会議は設立されました。 今後、首相が何かの諮問委員会や会議を作ったら、委員の半数は野党からの推薦者も入れることにしたほうがいいと思います。 本来なら実行できないことを、「会議の提言」として実行されることを防ぐ仕組みが必要だと思います  

今後は、下村博文議員と安倍首相が、教育の会議や委員会、プロジェクトを立ち上げた時は、どういうお金儲けの意図があるのか、それを指摘できるマーケティングの専門家、教育産業の動向に詳しい人々にもチェックに入ってもらって、下村博文議員と安倍首相が「業者のどういう金儲けを導入しようとしているのか」を充分理解したうえで議論したほうがいいと思います。表向きに掲げられた理由で議論しても彼らは何を指摘されようと強行突破するでしょう。 

それから、高校生は未成年です。 未成年の個人情報を国会議員が、一営利団体に売る(献金をもらうのだから売ることと同じ)ことが、国会議員の倫理規定に違反しないのか、法律の専門家にお聞きしたいです。 漏洩を防止する厳格な方策も講じることなく行うのですから、業者がその情報を流用することは、現時点でも容易に想像できます。 また、民間試験、記述式、という一連の流れで、ベネッセがとってきた行動を見ると、全く信用できない法人だということは明白です。 それを承知で、ベネッセに未成年のデータを集めさせる行為が国会議員の倫理規定に違反しないのか、知りたいです。しかも、未成年に個人情報を提出させる時には「学習に向かう主体性を高めるため」と目的を偽って入力させます。 国会議員が未成年者をだまして、個人情報を提出させ、一私企業に多額の献金と引き換えに渡します。これは国会議員の倫理規定に違反しないのですか。

会社の社長には特別背任のような罪が規定されています。
ほとんどの国民は高校時代を送って、大人になります。  ということはこのポートフォリオを何年も実施した場合、国民全員の個人情報が一私企業の手に渡ることになります。  国民を企業に売る(献金をもらうのだから売ることです)総理大臣には特別背任のような罪が規定されていないのか、法律の専門家にお聞きしたいと思います。総理大臣がかかわった犯罪としては田中角栄元首相が逮捕されたロッキード事件がありますが、あの事件には、数社の企業がかかわっただけでした。 今回は日本国民全員の個人情報が一私企業に売られるわけです。 ポートフォリオを導入し何年も続けた場合、国民全体が総理大臣の犯罪の被害者になるわけです。 しかも、国民が未成年の時に、「個人情報を入力させる目的は主体性を高めるため」とだまして入力させるのです。騙して集めた全国民の個人情報を一私企業に売る。 下村博文議員と安倍首相の罪は極めて重いと思います。国会議員と総理大臣の犯罪「ベネッセ事件」です。

(2020年12月21日加筆  eポートフォリオは参加する学校が少なく採算が取れないという理由で中止になりましたが、本当の理由は採算ではないと思っています。  安倍首相と下村博文議員がロッキード事件の時のような東京地検の取り調べを後々受けることになったらまずいと思ったからではないですか。 国会議員の権限を利用して「日本国民ほぼ全員を未成年の時にだまして、個人情報をとってベネッセに売る(献金もらうのだから売るのと同じ)」というのは相当罪は重いですから。   本当にeポートフォリオをやりたかったら、いくらでも学校にincentive(奨励金やその制度を受け入れた時にそれ相応の便宜や融通を図ってもらえる利点などを与える)をばらまいて参加校など増やそうと思えばこれからいくらでも増やしていけたのではないですか。 私の友人は、「eポートフォリオ引っ込めるの早かったね~」と驚いていました。  英語のスピーキングテストだって、効果を否定されても、白紙に戻されても、何回も何回も繰り返し提出してくるではありませんか。  本当にeポートフォリオをやりたかったら、incentiveを使って、これからいくらでも参加校を増やしていけたのではないですか。 それをやめた本当の理由は、安部首相と下村博文議員が後々ロッキード事件の時のような東京地検の取り調べを受けたくなかったからではないですか。 「ベネッセの市場調査を国家にやらせる」という本当の目的がばれてしまった以上、実施したらただでは済まないと、お二人がお考えになったのではないですか。 友人の「eポートフォリオ引っ込めるの早かったね~」という言葉を聞きながら、私は「やめた理由は採算ではない」と思いました。 「採算」が理由でベネッセの金儲けをあきらめるような人たちではない、と思いました。補助金を出したって、業者に儲けさせようとする国会議員はたくさんいますから。採算ではなくて、彼らが「国会議員の権限で、未成年の国民を騙して個人情報を提出させ、業者の金儲けに利用させ、その見返りに献金をもらったなどとわかったら、ただでは済まない」と思ったからでしょう。「ベネッセのために東京地検の取り調べなんて冗談じゃない」と思ったからでしょう。 国会議員の権限で、こんな卑劣なことをした国会議員は今までいませんでした。「被害者が日本国民ほぼ全員」というところが罪の大きさを示しています。 「eポートフォリオはベネッセの市場調査」とばれた以上、これを反対を押し切って実施させたら、自分達が間違いなく糾弾されると思ったのでしょう。 さすがにベネッセより、自分たちの地位が大事でしょう。 国会議員でなくなったら元も子もありませんから(もう、儲け話はなくなってしまう)。  けれども私は、この計画が未遂に終わったからといって、無罪放免で済む問題ではないと思っています。 実際にプランは稼働し、いくつかの学校は高校生の個人情報を入力したのです。少なからぬ数の高校生の個人情報はIDを登録したベネッセにわたってしまっています。 ベネッセは市場調査データの一部をすでに受け取ったのです。  詐欺はお金をだまし取ろうと思っても途中でやめてお金をだましとらなかったら詐欺として立件されません。  今回は、eポートフォリオは現実に稼働し、「学習に向かう主体性を高めるため」と騙された高校生が入力し個人情報はすでにベネッセにわたりました。  その後「eポートフォリオはベネッセの市場調査を国家にやらせるもの」と、ばれてしまったから今になって中止してもすでに一部の高校生の個人情報がベネッセにわたっています。 被害は発生しています。 詐欺で言えば、お金は全額ではないけれど、全額の一部がだまし取られたのと同じ状態です。たとえて言えば、1億円だましとるつもりだったが、1千万円だまし取ったところだった、という状態です。  ここでeポートフォリオをやめたからといって、下村博文氏は全く無罪放免になっていいのですか。     下村博文議員が文部科学大臣になってから急激に業者が学校教育に入り込んできましたが、未成年者(高校生全員)をだまして業者に金儲けさせる仕組みを学校教育にまで導入した卑劣な国会議員は下村博文が初めてです。国民はここまで子供たちにひどいことをされても下村博文を罰することが出来ないのですか。これだけではない。下村博文がこれだけ力説したスピーキングテストも、効果の点では詐欺だったのですよ。(スピーキング指導なしのスピ―キングテストが子供たちのスピーキング能力を上げることがないことは英語教育の専門家ならみんな知っている。 指導なしのテストが有効だという人は、自社が作るテストを売り込むための営業トークを言っているにすぎません。そういう人は日本人は母国語の特徴が欧米とは違うため、欧米と同じ発音教育(スピーキング教育)をしても効果がないことを知らない。 つまり、発音を聞き取る耳の能力がない) こんなにひどいことを子供たちに繰り返しされているのに、国民は下村博文を罰することも出来ないのですか。 これは子供たちに対して行われた犯罪ではないですか。 子供は金もうけの道具ではない。  下村博文のやったことは未成年者に対する国会議員の犯罪です。  もし、eポートフォリオの本当の目的(ベネッセの市場調査を国家にやらせる)がばれなかったら、これから毎年、16歳になった子供たちが高校に入学してくるたびに未成年者の個人情報がベネッセに渡っていたでしょう。 途中でやめたからといって下村博文は無罪放免でいいのですか。 下村博文は子供が16歳になったら、自動的に業者に売られる仕組みを作り学校教育で実施した。 今回は少なくとも詐欺師が1億円のうち1千万円をだまし取った時と同じ状況です。 アメリカでは未成年者は法律ではMINORと呼ばれて、MINORに対する犯罪は厳しく罰せられます。(どこの国でもそうでしょう。 未成年者は保護されるべき存在ですから。) 下村博文のしていることは日本中の高校生、つまり未成年者に対して行われた国会議員の権限を悪用した犯罪です。 厳しく罰せられるのが当然だと思います。 国会議員にも倫理規定はあるはずです。 国会議員の権限を悪用して未成年者に対する犯罪を犯すことは当然、国会議員の倫理規定に違反します。     政治家の中には、道路建設補助金をめぐって悪い金儲けをする国会議員がたくさんいます。 でも下村博文は私たち生きている国民を自分の私物のようにベネッセに売って金儲けしている。 生きている子供たちをベネッセに売って金儲けしている。「悪さ」の度合いが違う。  毎年生まれてくる子供たちをベネッセに売って金儲けしているんですよ。 一度制度を作っておけば毎年受験生からお金をとれる(あるいは国家に支払わせる)。 毎年高校に入学してくる未成年から個人情報をだまし取れる(はずだった。) 下村博文は「悪さ」の度合いが違う。 道路や鶏卵でなく、人間(毎年生まれる子供たち)を売って金儲けする。 だから儲けは尽きることがない。 下村博文は「悪さ」の度合いが違う。 未成年者を食い物にする。    以上12月22日加筆しました。青字部分は12月29日加筆) 


国民全員を一私企業に売った総理大臣は日本憲政史上、安倍総理大臣が初めてです。  未成年の国民を騙して一私企業に売った総理大臣は安倍総理大臣が初めてです。 「国民」など、安倍総理にとってはそのくらいの価値しかないのでしょうね。 また、下村博文国会議員にとっても国民などそのくらいの価値しかないのは明白です。彼は、「有権者の子供など、ただの金儲けの道具」としか考えていません。 「東大に(全く詐欺の)民間試験をさせなければいけない」とすごんでいたことが、彼が、「有権者の子供などただの金儲けの道具」としか思っていない明白な証拠です。 ベネッセからの大金が目の前にちらついていたから、思わず、本心が出てしまったのでしょう。 口でどんなに立派なことを言っても、彼の本心(有権者の子供などただの金儲けの道具)はもうは隠せません。 まさに下村氏が、ベネッセから大金がもらえるかもらえないかは、東大が民間試験をするかしないかにかかっていたから、「東大に民間試験をさせろ」とすごんでしまったのでしょうね。 彼のベネッセから大金をもらいたいという願望はものすごいものですね。 阿部公彦先生が「下村さんの「恫喝発言」と書いていらしたように、あの時の下村氏の顔は本当に異様で怖かったです。 【恫喝=脅して恐れさせること(広辞苑)】

(この下の部分は2020年5月2日加筆しました。)

羽藤由美先生のツイッターで紹介された2020年4月30日の高知新聞を読むと、政府がいまだに、大学入試でスピーキングテストをさせようと考えているのではないかという気がいたします。  なぜそう感じたかといいますと、この新聞記事で東京外国語大学の林佳世子学長が「小中高では話す力も含めた英語教育を進めている。物理で力学を出題しないのが変なように学んだことを入試で問わないのはおかしい。 可能ならば英語で話す力も測るべきだ。」と発言されていたからです。  

今の日本の子供達の発音を聞いて「スピーキング教育がされている」とおっしゃるのは変だと思い林学長の学歴を拝見しました。  大学時代のご専門は教育学部史学科、大学院でのご専攻は人文科学東洋史学でした。 林学長は歴史を学ばれてきたのですね。 ということは林学長は英語教育は専門的に学んだことはないのですね。

林学長は音声学も学んでいない。  だから、子供たちのこの発音を聞いても、「小中高では話す力も含めた英語教育を進めている」というご発言をされるのですね。 林学長は子供たちの英語を聞いて、カタカナ発音と英語の発音の区別もできないのですね。 私は個人的には英語教育を専門的に学んでいない人が英語教育(特にスピーキング教育)に口を出す資格はないと思っています。 どんなにご立派な肩書をお持ちでも、一英語教師の私はご発言の内容で判断するしかありません。 英語教育は専門分野です。 専門的に学んでいない人が口を出せるほどやさしい分野ではありません。 英語教育の指導者は実技の習得など、指導者として最低限出来なければならないことがあります。 歴史を専門に学ばれてきた林学長は英語教育の指導者としての実技の習得もされていませんね。英語の発音とカタカナ発音の区別もできない方が、英語教育に口を出す資格はありません。 英語教育を専門的に学ばれていない方が英語教育に口を出す資格はありません。 東京外国語大学林佳世子学長は歴史学がご専門ですので、英語教育に口を出す資格はありません。

授業で教えていなかったら、大学入試でスピーキングテストをしても、子供たちのスピーキング能力は上がりません。「教えていないことをテストしても子供たちは出来るようにはならない」ということは英語教育法を学んでいたら、当然知っているはずのことです。林学長は英語教育法も学んでいません。 

(私の学生時代、教師になる学生は音声学が必修でした。  先輩から、「音声学は必修なのに、単位を落とす学生が多いから気を付けなさい」といわれました。  大学側が音声学をきちんと勉強することは英語教師として非常に大事だと考えていたのだろうと私は思っています。)

安倍総理は、今はもう、「スピーキングを授業で教えることなく」テストをしても、子供たちのスピーキング能力が上がらないと知っているでしょう。  知っていても国民を騙すことなどたやすいと思っているのでしょうか。

日本の子供たちはかわいそうです。  高校生(未成年)の時に騙されて個人情報を取られて、大学入試で教えられてもいないスピーキングテストをされて、この国の子供たちは本当にかわいそうです。  たかが献金と引き換えに、首相にまで売られてしまった。   国民全員を一私企業に売った総理大臣は日本憲政史上、安倍総理大臣が初めてです。  (以上の部分は2020年5月2日加筆しました。)




「民間試験」「記述式」「ポートフォリオ」、何が一番危険かと言えば、ポートフォリオです。 これは 「ベネッセの見込み顧客(高校生)のデータを国家に集めさせる」極めて危険で悪質な手段です。 子供たちの個人情報を守らなければなりません。

私はこういうことをブログに書きましたので、つぶされてしまう可能性もありますので、その時は、たとえ、おひとりでも、このブログを読んでくださった方はツイッターなどで先生方にお伝えください。(国会議員とお金の関係について書くと、妨害はとてもきつくなるようです。この時間(夜10時30分)でもアクセスは一桁です。妨害されているとしか考えられないです。)


最後に子育ての経験からひとこと(ちょっと昔聞いた話も入っています):

データを入力させれば、子供が「主体的に?」学習するのだったら、世の中の親は苦労しません。こんなもの入力したって、子供は「主体的に?」勉強なんかやらないの。 親は身にしみて知っています。(記入を面倒くさいと思う子も多いのではないですか。) 子供の主体性はその子の好きなことによっていろいろな分野で発揮されます。(勉強の分野だけではありません) だから社会は多様な方面で発展していけるのだと思います。 広辞苑の「主体的」の定義を見て、そう思いました。なぜなら、定義には「学習の」という制限がなかったからです。 基本にかえると見えてくるものがあります。 ニュージャージーにいたころ、その年、プリンストン大学アインシュタインが研究していた大学です)に合格した高校生の話を聞きました。 その子は車いすにもっと使いやすくする機能を研究して、実際に使えるようにした生徒だったそうです。日本の大学だって、資格や検定で小さくまとまった生徒でなく、多方面に主体性を持ついろいろな学生が欲しいのではないですか。(子供の主体性(時にはそれが才能と同じ意味を持ちます)は世の中のあらゆるところで発揮されます。大人が考え付かないようなところにも発揮されます。  それが社会を様々な方面で発展させます。 たとえて言えば、子供の主体性は視野360度、全方位で発揮されるのに、大人が学校生活で「学習に向かう主体性」しか評価しなかったら、それは視野360度のうち15度くらいしか見ていない、ということでしょう。) 「いくら指導要領に書いてあると言ったって、学習することに「主体性」を求めてここまでするのはなんか変だな~と私がポートフォリオ<前編><後編>を読みながら思ったのはそういうことだと思います。子供を育てていると子供の生活を全部見ますから、学習だけ取り上げてここまで細かく子供を評価するのは何かとても変だと思うわけです。 「学習に向かう主体性」など、テストの結果でわかるのですから、新たに評価なんかいらないのではないですか。



主体性を数値化なんかしようとするから。 子供の主体性って、そんなことで測れないの。 子供にはこの表にリストされていない学習以外の”主体性”だってたくさんあります。大人に見えない、子供のそういうものが、社会を新たな方向に発展させていくのではないですか。 それに数値化してしまったら、その子が音楽が好きなのか、スポーツが好きなのか、鳥を観察するのが好きなのか、植物に関心があるのか、わからなくなってしまいます。これ以上数値化して「子供自身を見ない」方向へ入試を持って行かないほうがいいと思います。

娘は帰国子女の受験でしたから、数の多い受験生には出来ないことだとわかっていますが、面接の時、娘は「ロバート・フロストの詩が好きだ」と言ったそうです。 そうしたら、面接官の先生が興味を持ってそのことを聞いてくれたと言っていました。きっと数値化したら、「詩が好きだ」なんて言うことは何の点数にもならないでしょう。 娘は、自分の好きな詩の話を面接官の先生が聞いてくれて、うれしそうでした。

私は高校生の時、通学途中の駅で倒れたりして、自分の体が弱いのがとても重荷でした。 それで、高校3年生の時、電車で40分くらいのところにある公営の運動施設に通うことにしました。電車を乗り換えるので、ちょっと面倒でしたけれど、使用料は公営なので安かったです。 午後は学校の授業が全部選択授業になるので、とらないようにして、週3回、その運動施設に通いました。 体を丈夫にすることが今の自分には一番大事だと思ったので、高校3年生の4月から3月まで1年間、通いました。(受験日の前の日、雪が降って「もし転んでけがをしたら試験が受けられなくなる」と思ったので、その日だけは休みました) もちろん、受験生でしたから、勉強をないがしろにしていたわけではありません。 毎回2時間運動していましたが、秋ぐらいから、さすがに2時間は出来なくて1時間に短縮して運動に通いました。 親は私が体が弱いことが負担なのを知っていたので、何も言いませんでした。 でも、もしあの時、こうやって資格や検定を取らないと主体性が評価されなかったら、運動施設に通うことが出来たかどうかわかりませんね。(受験のために資格を取るなら、それを主体性というのかどうかわかりませんけど) 私のしたことは、「学習に向かう主体性」ではなかったけれど、私が主体的に決めたことでした。 このポートフォリオの形式では、私の主体性は点数になりませんね。    なんだかこうやって子供たちが「学習」「学習に向かう主体性」って「学習」「学習」とがんじがらめにされてかわいそうな気がします。学習に対する主体性だけ取り出して、こうやって大学受験の点数に加算されるのなら、受験生は、その事に必死になるでしょう。だって、受験生は1点でも多く点数がほしいでしょうから。 そうしたら、子供の「そのほかのことに向かう主体性」は、失われてしまうと思います。 詩を味わうことも、車いすを使いやすくすることに興味を持つことも、自分の体を健康にすることも。 高校生が目の前の点数の方に必死になるのは当然のことですから。 これは社会にとって大きなマイナスだと思います。  そのうち、ベネッセのリストした「主体性???」しか持たない子ばかりになってしまうでしょう。 資格の教本や問題集はよく売れるようになるでしょうけれど、主体性を点数化して入試の点数に加算するのは止めた方がいいです。子供のそのほかの主体性が育たなくなります。 社会にとってマイナスです。  その子の主体性を評価するときというのは、高校3年間その子がその子の内に持っている興味に沿って育ててきたものを見るのが、「評価」ではないのですか。 だから歌の好きな子がコンクールで優勝したりしたら、そこまで頑張ったものを評価するのでしょう。 それを最初からコンクールに出たら何点、それが国際レベルなら何点、都道府県レベルなら何点、とか決めてそれを子供の前にぶら下げてやらせるものではないでしょう。 それぞれの子がうちに持っているものを一生懸命に育てた結果を見るようにするものでしょう。 だから、それが多岐の分野にわたるのは当然だと思います。 本来なら、そういうものを大学が見ていける方法を模索するのが先でしょう。 受験生が多くていちいち見ている暇がないから「学習に対する主体性」だけ数値化するというのは、本末転倒の気がします。 子供を大事にする気持ちがみじんも感じられません。 大人が「主体性」で何を評価するかを決め、点数を付けることによって、子供の真の主体性がなくなる、そういう気がします。社会にとってマイナスです。 この時期の子供に必要なのは、リストされた「主体性」を高める資格を取ることではなく、自分の心の中で育ってくるものを大事に育てることでしょう。それが何かは生徒によってみんな違います。 この先生が私にこういったのも、私の心の中にあるものを自分で育てさせたかったからでしょう。  ベネッセを儲けさせるために教育行政をやっていると、国が滅亡してしまいます。 教育再生実行会議は、まさに国をほろぼす「亡国会議」です。


この表の例を見るとコンクールとか大会に出ない子はスコアをもらえないようですね。 資格を取れない子もスコアをもらえない。 部活動できない子もスコアをもらえないようですね。 お金のない家の子はスコアをもらえませんね。 もう20年も前のことですけれど、息子が中学生になったとき、部活のユニフォームをそろえるのに3万円もかかったので、「公立中学なのに、お金がないと部活も出来ないのね。」と私が仲のいいお母さんに言ったら、彼女が「うちの娘は吹奏楽部に入部したんだけど、娘のフルートは70万円だった」といわれて、思わず笑ってしまったことがありました。そのお母さんは音楽家でしたから、楽器もよいものを選ばれたのでしょうね。家に帰って夫に「まどかちゃんのフルートは70万円だって」と言ったら、夫もびっくりでした。 民間試験もそうですけれど、経済的に恵まれない家庭の子がどんどん切り捨てられていくような気がします。お金を使える家庭の子ばかりを優遇する仕組みがどんどん取り入れられようとしているのを感じます。 今のような格差社会文部科学省の大きな役割の一つが教育の公平性を守る、ということだと私は思います。文部科学省のほかに、それをやってくれるところはありませんから。





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ここから先はいつも書いていることです。

2月11日の朝日新聞東京大学・慶応大学教授鈴木寛氏が「民間試験を使うことが現実的です」とおっしゃっていますが、教室で評価したほうがもっと現実的ではありませんか?民間試験を受けさせても子供たちのスピーキング能力は上がりません。生徒と保護者(国民)も、なんの役にも立たない高額な民間試験より「学校で評価」してもらってネイティブ発音になる方がいいに決まっています。スピーキング能力の上げ方も知らないで民間試験を薦めるのはおやめください。 

民間試験導入を主張する方々の中には、中学高校時代「学校の勉強の一環として」発音習得を行った人は一人もいません。彼らは学校教育におけるスピーキングの指導と評価について何も知りません。彼らの言う通りにするとまた失敗します。

【2024年、再び民間試験導入の口実を作らせないために】  スピーキングのスキルは本来学校で教えるものです。学校で教えることを学校で評価できないはずはないでしょう。民間試験導入などと言う教師は学校教育におけるスピーキングの指導・評価の方法を全く知らない教師です。 発音を習得する中学、高校の時期には、学校で継続してスピーキング評価を行わないと、子供たちに正しい発音でスピーキングすることが定着しないのです。 学校でレッスンが終わるごとに継続して評価されるからこそ、子供たちは家庭学習でスピーキングの練習をしてくるのです。(基礎は最低中学2年間。長い文をスピードを上げてしゃべれるようにする高校時代は3年間。継続して学校でスピーキングを評価する必要があります。評価はその都度生徒に知らされます。 前より上がっていたら、励みにもなるでしょう。 下がってしまったら、「今度は頑張ろう」という気にもなるでしょう。このように「評価」は長い発音習得期間中、生徒のモティベーション維持にも重要な役割を果たします。 入試の際は3年間の総合評価を高校、大学に提出すればよいのです。)  中学生が学校教育だけでこういうスピーキングが出来るようになる「指導と評価の方法」はあります。高校生の「指導と評価の方法」もあります。(「中学生がこういうスピーキングが出来るようになる」と例示した音声はHP「通じない日本人の発音」より転載しました。私自身が50年前、学校教育だけでこういうスピーキング能力を習得しました。私のスピーキング能力習得過程は「スピーキングの指導と評価」に「民間試験は不要」「業者は不要」、「必要なのは授業での継続する評価」を証明するものです。 民間試験導入を主張する教師など「スピーキングの指導と評価」のやり方を全く知らない教師です

大学入試は各大学が行う入学試験だけで充分です(40年前の津田塾大学入試世界史は記述式でした)

(中ほど* * *の部分から今日のブログが始まります)そこに、私が受験したときの津田塾大学の記述式試験について書いてあります。

(2月27日木曜日教育再生実行会議の本当の目的)
私のブログアクセス数はどこからかの妨害によって見るも哀れな状態ですけれども、多くの方が読んでくださることを願っています。一応、親しい友人には、「私のブログへのアクセスができなくなったときには教えてね。」と2月1日(「民間試験導入へのシナリオはすでに出来上がっている」と書いた日)に頼んであります。

子供たちは授業で継続して「評価」を行うとこういうスピーキングをするようになります。民間試験を受けてもこうはなりません。「教育再生実行会議」の委員は英語教育については何も知りません。スピーキング能力を上げる方法も知りません。   今日(2月26日)先生方のツイッターこちらを見ました。ここまでしつこく民間試験に執着するということは「教育再生実行会議」の目的は教育の分野に業者を参入させることだったのですね。 また、こちらのポートフォリオというのも「ベネッセさんのシステムではなくあくまでも委託事業のシステム」と書いてありますが、業者が関係してくることは同じですね。 だったら、こんな回りくどい名前にしないで「教育に業者を参入させる会議」とはっきり命名したほうがわかりやすくてよかったと思います。 業者を参入させるために「4技能」「記述式」「主体性」と随分もっともらしい教育目標を考えたのですね。(でも、ベネッセのアルバイトに文章を採点させるとか、英検とTOEFLの対照表を作るとか、お粗末なものでしたけど。とにかく業者の参入が優先だから、こういうお粗末なものになるのですね。TOEFLと英検の対照表なんて、私の中では前代未聞の珍事だった。取り扱う英語が全然違うでしょう。)どんな理屈をつけても教育に業者を参入させるのが、この会議の目的だったのですね。(本当のことを言ったら、国民に受け入れられない、と命名した人は分かっていたんですね。つまり、「教育再生実行会議」という名前は最初から国民を騙すつもりで付けた名前ですね。) 教育の目的はビジネスの拡大とは違います。もし、本当に、「4技能」「記述式」「主体性」を子供たちに身に付けさせたいのであれば、まず、授業でそれにどう取り組むか、を考えるべきでしょう。それが、学校教育です。それこそが文部科学省がすることです。 まず、「評価」を持ってくるのは、「授業」では業者は入れられないけれど「評価」なら、業者を入れられるからですね。 このからくりでこの教育再生実行会議はずっと先生方を騙してきたのですね。 だましたのも一度ではないです。「民間試験を検討する」と言いながら、水面下で導入を目指し、ここでも、先生方を騙してきました。 人をだまして何かを教育の現場に導入させようとするこの会議は即刻解散するべきですし、この会議の決定も即刻白紙に戻すべきです。信頼のないところに教育などありえないです。(蛇足ですけれど、広辞苑によると「主体的」というのは、ある活動や思考などをなす時、その主体となって働きかけるさま。他のものによって導かれるのでなく、自己の純粋な立場に置いて行うさま。例「主体的な判断」「主体的に行動する」と書いてありますので、生徒に主体性を身に着けさせるには、まず、学校生活や社会生活で、自分から何をしていくかを考えさせて実践させることから始めたほうが良いのではないですか。そのほうが生徒の主体性を育てられると思います。教育では、「指導せずに評価する」などありえないです。 こんなに政治家に何度も騙されるなら、国民は自衛として、ベネッセの不買運動でもするしかないのでしょうか。でも、こどもちゃれんじとかやっているお子さんは多いですから、それも難しいのでしょうかね。だけど、これだけ悪質な企業も珍しいと思います。子供を食い物にするそのやり方が私はとても嫌です。ベネッセはそうやって儲かったお金で、献金するんでしょう。それでまた、ベネッセに有利な仕組みを作ってもらうのでしょう。皆さんが、教材など、もし選択肢がほかにあるなら、ベネッセ以外を選んでくださればいいなあ、と個人的には思います。)2月11日の朝日新聞東京大学・慶応大学教授鈴木寛氏が「民間試験を使うことが現実的です」とおっしゃっていますが、教室で評価したほうがもっと現実的ではありませんか?民間試験を受けさせても子供たちのスピーキング能力は上がりません。生徒と保護者(国民)も、なんの役にも立たない高額な民間試験より「学校で評価」してもらってネイティブ発音になる方がいいに決まっています。生徒は学校の勉強と家庭学習をしていれば、ネイティブ発音でスピーキングできるようになるのですから、お金もかかりません。 スピーキング能力の上げ方も知らないで民間試験を薦めるのはおやめください。 


国会議員が勝手に「○○会議」を作って、勝手に委員を選んで、国民の知らないところで協議して、「会議の総意でこう決まった」と言って業者が儲かる方法を国民の反対を押し切って全国で実施する。これが子供を食い物にする「ハゲタカビジネスモデル」です。 民間試験導入はこうして決まりました。 「教育再生実行会議」の人々は誰一人英語教育についてはご存じありません。知らない人に諮問して、知らない人の提言を実行して、教育の何が良くなるのですか。 国会はハゲタカビジネスモデルの使用を禁止する法律を制定してください。  そして国会議員が「特定の事柄を行うよう文部官僚に強要することを禁止する」と明記してください。違反した場合は議員活動停止など、具体的な罰則事項を明記してください。「ハゲタカビジネスモデル」がはびこる前にどうしても止める必要があります。 もし立法できなかったとしても、今後「○○会議」「○○委員会」が作られたらみんなで注視して、違反行為が行われていないか監視しましょう。もっともらしい名前に騙されないようにしましょう。教育は「再生」するどころか、もはやハゲタカに食い荒らされて、瀕死の状態です。 「再生」していないのなら看板に偽りありですから、この会議は解散したほうがいいと思います。  逆に教育を食い物にした人の問題集はよく売れて儲かる。 まさに「教育再生実行会議」は「ハゲタカビジネスモデル」ですね。百害あって一利なし。即刻解散したほうがいいです。当然ですが、この会議が決めたことはすべて白紙に戻したほうがいいです。もちろん民間試験導入も。  

2月11日 朝、パソコンを開けたら(9:00)、ブログアクセス数は「0」でした。 10年ブログを書いてきて初めてでした。 文部科学省の妨害は相当きついですけれども、皆さんに知っていただきたい内容だったので、つぶされることも覚悟で書きました。 ツイッターなどで多くの方々にお伝えください。  私のように肩書もない一英語教師は圧力をかけられればすぐにつぶされてしまうのでしょうから(ブログだって、簡単にアクセス「0」にされてしまうくらいですから)つぶされる前に(まだ皆さんがブログを読んでくださっている間に)、最後に言いたかったことをひとこと言わせていただきます。  文部科学省や一部の国会議員、一部の大学教授、一部の経済界で活躍する方々は、もっともらしい名前の「会議」や「委員会」を作ってそこで子供を食い物にする「お金儲けの話し合い」をするのはおやめください。子供を守るのが大人の仕事ですから。 どんな立派な名前を会議に付けようと「ハゲタカ会議」や「ハゲタカ委員会」は子供にはいらないです。 「○○委員会」や「○○会議」は違法なことを「合法的に行った」というための隠れ蓑(かくれみの)に使われている。 自分の意向に沿った人間をたくさん会議に送り込めば、自分の思う通りに事を運べます。「ハゲタカ委員会」だって、「ハゲタカ会議」だってそうやって人選したのでしょう。思い通りにしたかったら何でも「○○会議」を作ればいいんです。 本来、入試を民間の業者に委託するかどうかなどという問題は国会で協議してから与野党の合意のもとに導入されるべきではなかったのですか。それを○○会議が決めたと言うからもともとが少数の意思であったものが(あるいは国会議員一人の意思であったものが)、まるで法律で決まったかのように導入できたのではないですか。 まるでマネーロンダリングのように「意見の出所を隠す」ために○○会議が使われたのではないですか。「資金洗浄」ならぬ「意見の出所洗浄」に「○○会議」が使われたのではないですか。 これからは「○○会議や○○委員会で決まったことは、国会の承認を経てから実行される」というような規定を設けたほうがいいのではないですか。そうしないと、好き勝手に委員会や会議を作って好き勝手なことをされてしまいますね。 これだけみんなが反対しているのに文部科学省が民間試験を死守しようとするのは、言われた通りしないと、怖いからなんでしょう?          私のブログのアクセスが禁止にならないことを祈っています。(私を「妨害する」ということは文部科学省だって、私の言う通りにすれば子供たちのスピーキング能力が上がるとわかっているのでしょう。分かっていてもそうできないのよね。ボスハゲタカが怖いから。人事権も握られているし。私の言う通りにしたら、ボスハゲタカがやりたがっている民間試験ができなくなってしまうからね。) 


民間試験導入のシナリオはすでに出来上がっている(2/1/2020)

文部科学省は、今は「民間試験導入に関して公平な議論をする」方針ではないのですか。 下のコメント(民間試験導入を主張する方々の中には、中学高校時代「学校の勉強の一環として」発音習得を行った人は一人もいない)と書いた日から、戻りつつあった私のブログのアクセスが再び激減しました。また同じ日から、いつも4つの検索ワードで検索すると2位に出てきていた「中学時代にきちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか」という2017年11月2日のブログが検索結果に全く出てこなくなりました。  文部科学省は今行っている、「検討会議」とか、調査とか、みんなただのポーズ(見せかけの態度)でやっていて、それが終わったら、「調査をやった」「検討した」「問題点を改善した。だから民間試験を導入する」というシナリオがもうすでに出来上がっているのではないですか? そうでなかったら、私のブログにこんな操作がされるのはおかしいでしょう。  上に上げたブログは1年以上毎朝同じ検索ワードで検索してきたものです。(昨年「英語教育改革は失敗した」と書いたとき一時検索結果に全く出てこなくなりましたけれど、その事をこのブログに書いた後、またいつもの順位に戻ってきていました)  いつもその検索では2位にあったものが、なぜおとといから突然、検索のどこにも出てこなくなったのですか?  また、同じ時から私のこのブログのアクセスが激減するのですか?(そういうことを専門に操作する機関がある、と昨年の7月知りました)  もしかして、文部科学省は民間試験に賛成する人たちが、「中学高校で学校の勉強の一環として、発音習得をやった経験がない」と私が書いたことを人々の目に触れさせたくないのではないですか? 私は文部科学省が公平な議論をしているようなふりをして、実は水面下で民間試験導入に向けて、情報操作をしている、とこの時、感じました。 だとしたら、今多くの先生方が一生懸命されている努力を踏みにじるものです。  この先に待っているのは、「検討した」「調査をした」「問題点を改善した」「だから民間試験を導入する」という文部科学省のシナリオではないのですか? 民間試験導入を「合法的に行っている」と主張するために「委員会」や調査をさせているだけではないのですか?  そういう視点から見ると、今、先生方が、疑問を呈している文部科学省の行動がよく説明できるのです。 私はこういうことをブログに書きましたので、この先、つぶされてしまうかもしれませんが、民間試験導入を生徒のためにやめさせようと努力されている先生方にお伝えしたかったので、怖かったですけれども書きました。 

民間試験導入を主張する方々の中には、中学高校時代「学校の勉強の一環として」発音習得を行った人は一人もいません。彼らは学校教育におけるスピーキングの指導と評価について何も知りません。彼らの言う通りにするとまた失敗します。

【2024年、再び民間試験導入の口実を作らせないために】  スピーキングのスキルは本来学校で教えるものです。学校で教えることを学校で評価できないはずはないでしょう。民間試験導入などと言う教師は学校教育におけるスピーキングの指導・評価の方法を全く知らない教師です。 発音を習得する中学、高校の時期には、学校で継続してスピーキング評価を行わないと、子供たちに正しい発音でスピーキングすることが定着しないのです。 学校でレッスンが終わるごとに継続して評価されるからこそ、子供たちは家庭学習でスピーキングの練習をしてくるのです。(基礎は最低中学2年間。長い文をスピードを上げてしゃべれるようにする高校時代は3年間。継続して学校でスピーキングを評価する必要があります。評価はその都度生徒に知らされます。 前より上がっていたら、励みにもなるでしょう。 下がってしまったら、「今度は頑張ろう」という気にもなるでしょう。このように「評価」は長い発音習得期間中、生徒のモティベーション維持にも重要な役割を果たします。 入試の際は3年間の総合評価を高校、大学に提出すればよいのです。)  中学生が学校教育だけでこういうスピーキングが出来るようになる「指導と評価の方法」はあります。高校生の「指導と評価の方法」もあります。(「中学生がこういうスピーキングが出来るようになる」と例示した音声はHP「通じない日本人の発音」より転載しました。私自身が50年前、学校教育だけでこういうスピーキング能力を習得しました。私のスピーキング能力習得過程は「スピーキングの指導と評価」に「民間試験は不要」「業者は不要」、「必要なのは授業での継続する評価」を証明するものです。 民間試験導入を主張する教師など「スピーキングの指導と評価」のやり方を全く知らない教師です

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大学入試は各大学が行う入学試験だけで充分です(40年前に思ったこと)
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私が大学生になるころまで、大学入試は各大学が行う入学試験だけでおこなわれていました。 そこへ突然、各大学が行う試験以外に「全受験生が受ける共通一次試験を行う」という案が起こってきました。  「各大学が試験をしているのだから共通テストなどいらないだろう」というのが当時の多くの人の意見でした。 特に私立大学はそれぞれ特色のある教育をしているのだから共通テストを学生に課する必要はない、というのが多くの私立大学の考え方でした。

ところがこの方針はなかなか取りやめになりませんでした。 当時、自分の大学受験が終わっていた私は、その問題を深く考えることもしませんでした。  たぶんそれが政府の方針で、すでに実行の方向は確定していたのでしょう。 そんなある日、教育原理の授業で伊勢田耀子先生が授業の合間にこういうお話をされました。 


共通一次試験を行うかどうかを話し合う方々の中に、自分が国立二期校出身の先生がいらして、その方が国立一期校と二期校の区別をなくしたいという強い思いを持っていらっしゃるのです。 それで、全大学共通の試験を実施しようと大変熱心なのです。」とおっしゃいました。  当時国立大学には一期校と二期校の区別があり、人々の間では「二期校は一期校より劣る」という認識がありました。ですから、その先生は自分が世間で劣ると思われている二期校出身だという事実をなくそうと共通一次試験の導入に一生懸命だったのだろうと学生だった私は思いました。(もちろんそれは政府の方針でその先生がどう思っているかなど関係ないことだったと思います。でも学生だった私は、「共通一次試験を行うかどうか、国の制度を変えるような大変なことが、個人の劣等感を強い動機に動かされるというのは、驚きだなあ」と思いました。今の民間試験もお金儲けが動機でしょうから、国の制度も非常に原始的な動機で動いているというのもあながち間違いではないかもしれませんね。) その時、講堂で授業を受けていた学生全体がどよめくようでしたから、私のように思った学生はたくさんいたと思います。  教育原理の授業は、数学、英語、社会科、すべての教師になる学生の必修科目でしたから、大きな講堂のような教室で行われていました。 その学生たちが一瞬どよめくようでした。 そして、共通一次試験実施によって、国立一期校、二期校の区別はなくなりました。  共通一次試験は、その後大学入試センター試験に変わり、今年で最後となり2020年度からは大学入学共通テストが実施されるそうですね。

私は、全受験生に共通のテストを受けさせることなど、もともと必要ないものであると今でも40年前と同様に思っています。 夫は私より少し年上の世代ですが、先日「お父さんは当時共通一次試験についてどう思った?」と聞いたら、「大学が入学試験をするんだから2回もいらないと思った。」と言っていました。当時はそれが、普通の反応でした。 なぜあの頃、共通一次試験という案が出てきたのか、すでに自分の大学受験が終わってしまった私は深く調べることもしませんでした。たとえ、調べても、今ツイッターで情報を公開してくださる先生方のような情報は分からなかったと思います。



伊勢田先生は教育原理の最初の授業で、次のようなお話をされました。「教育とは何か」  先生は教育の「教」という字の左側の部分の成り立ちを説明しながら、(教の字の左側半分の下の部分は「子」という字ですね。)この部分を「弱い子を抱きとる」というようにおっしゃいました。 つまり教育とは「弱い子を抱きとって育てる」とおっしゃいました。(インターネットで調べたら、これとは違う解説でしたが、私は伊勢田先生がこう教えてくださってよかったと思います) 

なぜ「教育」が「弱い子を抱きとって育てる」という意味なのか、それ以来、ときどき私は考えました。 弱い子と言うのは大事に育てないと死んでしまいます。  弱い子と言うのはやさしく手をかけて育てないと死んでしまいます。  たぶん教育というのは大事に手をかけて子供を育てることなのだろうと思いました。



私が大学受験をした年の津田塾大学国際関係学科の世界史の試験は記述式でした。  ただ一問「1870年以降の世界の情勢について述べなさい。」という問題だったと思います。(40年以上前のことなので、西暦が正確かどうか定かではありませんが)    私の答案の書き出しは、「世界はこのころから帝国主義的傾向を強める。」だったように記憶しています。

「自分の書く文章を自分が入学して学びたい大学の先生が読んでくださる」そう思って、試験時間内、一生懸命書いたのを覚えています。  入学して、私の担任になってくださったのは藤村瞬一先生でした。  藤村先生はある時、学生との親睦の食事をしていた時に、「僕は世界史の答案を採点したんだけど、目にじんましんが出来るようだった」と笑いながらおっしゃいました。 大学の先生方は、どんなに採点が大変でも、「自分の大学に、こういう学生が欲しい」という強い思いを持っていらっしゃるから、目にじんましんが出来るような採点でも、一生懸命してくださるのだろう、と思いました。自分が入学したい大学の先生が読んでくださると思うから私も一生懸命答案を書きました。  藤村先生がそうおっしゃったとき、 「この先生が、私の答案を読んでくださったのだな」と思いました。 その時、自分の書いた答案の書き出しが頭に浮かびました。 大学の先生方は、「自分の大学にはこういう学生が欲しい」「こういう学生を教えて、育てたい」という強い思いを持っていらっしゃるから、一つ一つの答案をどんなに大変でも読んでくださるのでしょうね。 

藤村先生は、一年生全員が履修する国際関係概論を教えていらっしゃいました。  前期後期の試験は記述式でした。 先生は「テストには何を持ち込んでもよい」とおっしゃいました。 学生はいつも数冊の本を持ち込んでいました。 私は、大学の先生というのは、学生の書いた文章を読めば、その生徒が、どのくらいそのことについて考え、勉強し、調べ、本を読んでいるか、よくわかるのだろうと思っています。  それは、その分野を研究し、教えてきた大学の先生だからこそわかることなのだろうと思っています。(ベネッセのアルバイトにはこういうことはわかりません。) 受験生の小論文を読んで、その生徒がそのことについてどれくらい考え、勉強しているか、判断できるのは大学の先生のほかにはいないと私は思っています。 私は今まで、大学の先生をとても尊敬してきました。 大学時代講義を受けた国際関係学科の先生も英文学科の先生も今でもそのお顔が鮮明に思い出せるほど、授業の印象は強く心に残っています。 おっしゃった言葉を時々思い出すこともあります。 でも今回、大学の先生にも尊敬できる先生と尊敬できない先生がいるのだということを目の当たりにしました。

物事というのは大きくなってくると大きなお金が動きます。  大きなお金が動くところには必ず、悪い人が入ってきます。  大学入試も各大学が個別に行っている分にはそれほど大きなお金が動くこともないし、それでお金儲けができると先生方は考えないでしょう。 生徒が多くなれば受験料も大きな収入でしょうけれど、「50万人」とは規模が違います。

ところが一回に受験生全体、50万人というと(複数回受験するとそれ以上)民間試験のような場合には、受験料の合計だけで、億というお金が動くことになります。  こうなると各大学の先生が受験生の採点の時に持つ「自分の学校にはこういう学生が欲しい」という思いとはかけ離れた思いを持つ人たちが入り込んできます。  もはや学生を「大事に育てたい」という思いのない人がたくさんそこに入り込んできます。  これが質の高い教育をどんどん壊していくと思います。(スピーキングの評価なら民間試験はいらないと何度も私は申し上げていますし、その証拠も音声で載せてあります。)

一連の試験の中で、先生方が自分の学校にとりたい生徒を選ぶときのような気持を持っていたら、それほど不正は生まれないでしょう。   各大学が入学試験をするのだから、共通試験などいらないのではないですか。 もともと共通一次試験などなぜ必要なの?とあの頃(40年前)みんな思っていました。 共通一次の話がでると、みんな「もう試験は大学がやっているんだからなんでそんなものいるの?」「??????」という感じでした。  

「基本的な部分は共通テストではかれて、個別試験で限られた層に適した問題を出すことが出来る」という意見もありますけれど、例えば、東京大学の試験を受ける人が、基本的な部分を勉強していないことがあるのでしょうか。当然、基本的なことは勉強しているでしょう。 基本的なことを勉強していなかったら、どんな層に適した問題だって解けないのではないですか。  共通テストをやめたって、本当に基本ができている生徒がとりたいと思えば、自分の大学の入試で、基本的な問題を出せばいいでしょう。 英語に関して言えば、基本ができていなければ、どんなテストも出来ません。   読解も出来ませんし、英作文も出来ません。 (単語を意味が通るような語順に並べることが出来ませんから)  だから、基本と各層に適した問題などと2度に分けてテストする必要はないと思っています。 (個人的なことを言えば、津田塾大学の世界史の試験は記述式一問でしたけれど、私は世界史は文明の起源から、第二次世界大戦後の世界まで、まんべんなく勉強しました。 受験生はみんなそうではないですか。 共通一次試験がなくたって、受験生はみんな基本は学んでいます。 あの時の津田塾大学の入試で「1870年以降の出来事」だけ山をかけて学んで、その他の世界史の重要事項は何も勉強していない、などという受験生は一人もいなかったと思います。 基本を勉強するのは、勉強の手順として当たり前です。誰でも学習の一番最初にすることです。 基本を勉強していなかったら、どんな問題も解けません。)



文部科学省がこれからは記述式問題を増やす方向で出題してほしいと思うのであれば、そのような要請を各大学にすればいいでしょう。  各大学はそれに沿った出題をするでしょう。  立教大学のように民間試験をしたい大学にはしてもらえばいいでしょう。 「規模の大きい大学はどうするか」それはその大学の先生方に考えていただけばいいでしょう。 先のブログで、民間企業の人たちは一見不可能に見える問題にも挑戦していかなければならない、と書きました。 先生方が挑戦したら、今まで誰も考えもしなかった良い方法が見つかるかもしれません。 最初から出来ないと思うことなどありません。 「学生に未知のものに挑戦して」というのなら、先生方も挑戦してみてください。

教育は「こういう学生を育てたい」という思いを持つ人々だけがかかわれるような規模で行えるようにしておくほうが、教育の質は保持できます。 大学教育というのは入学試験で「うちの大学にはこういう学生がほしい」と先生方が選ぶところからもう始まっているのではありませんか? だから各大学が行う入学試験だけで十分だと思います。

共通テストに記述式を入れてベネッセの学生アルバイトに採点させる、という話を、先生方のツイッターで読んだとき、「もう、だめだなあ。こんなことでは学力は上がらない」と思いました。 私はアメリカにいたと言ってもニュージャージー州の私の周りの高校生のことしか知りませんけど、アメリカ人は本当に書くことをよく鍛えていました。 中学生はリーディングの授業で本を何冊も読んでいました。 プロジェクトで考えることもたくさんさせられていました。 ベネッセのアルバイトに採点させる記述式ではもう、とてもとても太刀打ちできないと思いました。中止になったとはいえ、その程度の認識で考えていたのですよね。 子供を変えたいのなら、授業を変えなければなりません。 テストの話ばかりするのは「テストなら、業者を入れられる」 「授業には業者は入れられない」だからでしょう。 でもね、子供の実力をつけるのは授業、子供を変えるのも授業。 学校教育は授業なんです。 先生方が「テストを変えれば高校生の実力が変わるというのは考え方が間違ってる」と何度も指摘されています。 その通りです。 でも、民間試験を推進しようとする方たちはすべて承知でおっしゃっているのです。 なぜなら「テストなら、業者を入れられる」「授業には業者はいれられない」からです。 「民間試験を導入したい」と主張する方のお話しを聞くときは「テスト業者を参加させるのが最も大事」「テスト業者を儲けさせるのが最も大事」という前提で聞いていると、その方のお話しがよく理解できます。    一部の政治家の皆さん、お金儲けのために子供を売らないでください。 これはやがて、国を没落させることになります。 一時のお金儲けのために国を滅ぼさないでください。

悪い人を強制的に排除したかったら、共通テストをやめればいいです。 大きなお金が入ってこなければ、不正も減るし、業者も入ってこないでしょう。 40年前、「もう各大学が入学試験をやっているんだから、どうして、もう一つ試験をしなければいけないの?」と思ったその思いは今も同じです。 

繰り返しになりますけれど、もう一度掲載しておきます。
「基本的な部分は共通テストではかれて、個別試験で限られた層に適した問題を出すことが出来る」という意見もありますけれど、例えば、東京大学の試験を受ける人が、基本的な部分を勉強していないことがあるのでしょうか。当然、基本的なことは勉強しているでしょう。 基本的なことを勉強していなかったら、どんな層に適した問題だって解けないのではないですか。 共通テストをやめたって、本当に基本ができている生徒がとりたいと思えば、自分の大学の入試で、基本的な問題を出せばいいでしょう。    英語に関して言えば、基本ができていなければ、どんなテストも出来ません。  読解も出来ませんし、英作文も出来ません。 (単語を意味が通るような語順に並べることが出来ませんから)  だから、基本と各層に適した問題などと分けて2回もテストすることはないと思っています。  (個人的なことを言えば、津田塾大学の世界史の試験は記述式一問でしたけれど、私は世界史は文明の起源から、第二次世界大戦後の世界まで、まんべんなく勉強しました。 受験生はみんなそうではないですか。 共通一次試験がなくたって、受験生はみんな基本は学んでいます。 あの時の津田塾大学の入試で、「1870年以降の出来事」だけ山をかけて学んで、その他の世界史の重要事項は何も勉強していない、などという受験生は一人もいなかったと思います。  基本を勉強するのは、勉強の手順として当たり前です。 誰でも学習の一番最初にすることです。 基本を勉強していなかったら、どんな問題も解けません。)





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40年前、なぜ共通一次試験が導入されたのかわかりませんが、今の民間試験導入の問題を見ていると、受験生全体が必ず受ける共通一次試験の問題集でも出してお金儲けしたい人がいたのか、と勘繰ってしまいます。 その大学を受験する生徒の学力を一番真剣に判断するのはその大学の先生方です。 「こういう学生を取りたい」「こういう学生を育てたい」と思っている大学の先生方です。 それ以上真剣に判断する人はほかにいません。 だったら大学の先生方にお任せすればいいでしょう。  何で、50万人も一度に試験をやって機械で処理したものを使わなければいけないのですか。 そこには大学入試で一番大事な「こういう学生を取りたい、育てたい」という思いはかけらも存在しません。 共通試験をする理由を教えてください。 高校3年生の学力を客観的に判断する資料が欲しいなら、問題を配って高校でやってもらえばいいでしょう。 同じ日に50万人にテストを受けさせる。このために日本中が相当無駄なエネルギーを使っていると思います。監督の先生方、大きな会場。 共通テストは何のためにやっているのですか?  必要ありませんからやめてください。 そうすれば、不正も減るし、業者も入ってこないでしょう。 もちろん民間試験なんか必要ありません。「ベネッセのアルバイト」などという発想が出てくるような人が「教育再生実行会議」にかかわっているようでは、もう日本の教育は落ちるところまで落ちていきます。奈落の底まで堕ちていきます。 そこには「こういう学生を育てたい」という理想がないからです。 各大学に入学試験を任せたら、質が落ちることはありません。 大学の先生方は真剣ですから。 藤村先生が目にじんましんができそうなくらい大変でも見てくださったのは、「自分の大学にはこういう学生を取りたい」「こういう学生を育てたい」という強い気持ちがあったからでしょう。それに、大学の先生方というのは生徒の書いた文章を読めば、日常その生徒がどのくらい物事について考えているか、本を読んでいるか、いろんなことがお分かりになるのではないですか。 こういうところが、「大学の先生が評価してもベネッセのアルバイトが評価しても同じだ」としか思わない人たちとは先生方の見識が違うところなのです。 教育者には教育者しか持っていない感覚や物の見方があります。 教師をしていたころ、2年生を担任しているベテランの数学の先生と帰り道が一緒になったときがありました。 いろんなことを話していた時、その先生が、「電車の中で、中学生が4人並んでいたら、顔を見ただけで、その子たちの学校の成績もだいたいわかります」とおっしゃいました。  長いご経験からそうおっしゃったのでしょうね。 大学の先生方が生徒の文章を見て、感じることは、テスト業者が雇った人が感じることとは違います。 これが、同じだと思うような人が、共通テストなどに手を出すから教育が瀕死の状態になるのです。 共通テストに使うお金を各大学の入学試験に使ってもらったほうが、よほど良い問題を先生方が作ってださると思います。教育者が判断すれば済むものをなんでそこに業者を入れるのですか。 (英語に関しては「評価自体」学校で出来ます。業者は不要です。)

大学時代、仁科弥生先生の教育心理学の授業でこういう話を聞きました。  「アメリカの教育番組「セサミストリート」は当初期待されたほどの成果を上げることはできなかった。」 セサミストリートは良心的に作られた教育番組ですし、ゲストに話題性もあって、長く続いていますが、当初期待されていたほどの効果はなかった。ということでした。 ある程度の成果はあるのでしょうから、最初の期待がとても大きかったのかもしれませんね。  それに続けて仁科先生がおっしゃったのは、「やっぱり、その番組を子供と一緒に見て、~~なんだね。とかそばで言ってくれる人がいないと、高い効果を上げるのは難しいようです。」ということでした。 高い教育効果を上げるのは、その子をこういう風に育てたい、と思う指導者なんですね。 (あるいは、この子の興味を大切に育てたいと思う大人でしょう)

「こういう学生を育てたい」そういう思いのない、共通試験なんかやらなくていいのです。  そのうえ大学入試がベネッセのアルバイトで出来ると思っているような人がかかわってくるなら、共通試験など、やめることです。 共通試験に使うお金は各大学に良い問題を作ってもらうために使ってもらったほうがいいです。  

大学教育改革とかもっともらしいことを言っているけれど、大学入試のようなスタートのところで、大学の先生方と、受験生双方のやる気をそぐようなことばかりしているから、ちっとも効果が上がらないのです。 問題集を売って儲けたい人が作ったような問題、ベネッセのアルバイトが採点する文章、経済的に苦しい家の子供が最初からあきらめなければならない高額の民間試験、こんなことをやっているから、教育がハゲタカビジネスモデルで瀕死の状態になってしまうんです。  各大学が「こういう学生を育てたい」という志のもとに責任を持って入学試験を行うなら、こういうことは起こりません。(現在、○○大学の入試問題をつくっている先生が○○大学合格対策問題集を出しているなどと知ったら、大学当局が放っておかないでしょう。 学校の信用にかかわりますから。つまり公正な入試ということに対してもきちんとコントロールが行われるということです。今みたいに、野放しになるようなことはありません。)

誰も止めなかったら、子供たちはベネッセのアルバイトが採点するテストを受けさせられていたのですよね。こちらのお二人は、本当にベネッセのアルバイトの採点なんかで子供たちの学力が上がるとでも思っていたのですか。教育再生実行会議など、即刻解散させるべきでしょう。 彼らの決めたことは即刻白紙に戻すべきです。 英語教育に関しても彼らは何も知りません。

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先生方のツイッターで初めて「ベネッセのアルバイトが受験生の文章を採点する」という話を読んだ時、なんとも言えない悲しい気持ちになりました。  この国の子供たちはかわいそうです。 首相にまで売られてしまった。 と思いました。  昨日もそのことを考えていたら、いつの間にかぽたぽたと涙が落ちました。  安倍さん、業者にお金儲けの機会を与えたいなら、子供と関係ないところでやってください。 「その国の最高学府で勉強したいと思う子供たちの実力を採点するのが学生アルバイトで良い」そんな首相ではもう日本は終わりです。 

無意識の思い込みを見直してください。「民間試験不要」を証明する川合典子のスピーキング能力習得過程(中学高校時代)

私のブログには為政者から激しく妨害されているものがいくつかあります。このブログと併せてお読みください。日付をクリックすると移動できます。
2020年3月17日 各大学はスピーキング試験(民間試験)をする必要はありません。大学の先生方は受験生を騙す詐欺(犯罪)に加担するよう強制されることはありません。いかなる団体においても犯罪を強要する方針は無効です。(民間試験は50年やっても4技能向上に効果はなかった。)

2020年2月29日 eポートフォリオはベネッセの見込み顧客(高校生)のデータを国家に集めさせる極めて危険で悪質な手段です。 下村博文議員と安倍総理大臣がすべての国民のIDと個人情報をベネッセに与えてよいのですか。

2017年11月2日 中学時代に、きちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか?


大学入試改革を担った鈴木寛教授が実際には英語教育に全く無知であった(カタカナ発音と英語発音の区別も出来ない)ことについては2020年4月23日のブログに書いてあります。 鈴木寛教授のことを書いたとたん文部科学省から激しい妨害が始まりました。


* * * それでは今日のブログに入ります * * *


子供たちは授業で継続して「評価」を行うとこういうスピーキングをするようになります。民間試験を受けてもこうはなりません。「教育再生実行会議」の委員は英語教育については何も知りません。スピーキング能力を上げる方法も知りません。2月11日の朝日新聞東京大学・慶応大学教授鈴木寛氏が「民間試験を使うことが現実的です」とおっしゃっていますが、教室で評価したほうがもっと現実的ではありませんか?民間試験を受けさせても子供たちのスピーキング能力は上がりません。生徒と保護者(国民)も、なんの役にも立たない高額な民間試験より「学校で評価」してもらってネイティブ発音になる方がいいに決まっています。スピーキング能力の上げ方も知らないで民間試験を薦めるのはおやめください。 
国会議員が勝手に「○○会議」を作って、勝手に委員を選んで、国民の知らないところで協議して、「会議の総意でこう決まった」と言って業者が儲かる方法を国民の反対を押し切って全国で実施する。これが子供を食い物にする「ハゲタカビジネスモデル」です。 民間試験導入はこうして決まりました。 「教育再生実行会議」の人々は誰一人、英語教育についてはご存じありません。知らない人に諮問して教育の何が良くなるのですか。 国会はハゲタカビジネスモデルの使用を禁止する法律を制定してください。  そして国会議員が「特定の事柄を行うよう文部官僚に強要することを禁止する」と明記してください。違反した場合は議員活動停止など、具体的な罰則事項を明記してください。「ハゲタカビジネスモデル」がはびこる前にどうしても止める必要があります。 もし、立法できなかったとしても、今後「○○会議」「○○委員会」が作られたらみんなで注視して、違反行為が行われていないか監視しましょう。もっともらしい名前に騙されないようにしましょう。 教育は「再生」するどころかハゲタカに食い荒らされて、もはや瀕死の状態です。 


2月11日 朝、パソコンを開けたら(9:00)、ブログアクセス数は「0」でした。 10年ブログを書いてきて初めてでした。 文部科学省の妨害は相当きついですけれども、皆さんに知っていただきたい内容だったので、つぶされることも覚悟で書きました。 ツイッターなどで多くの方々にお伝えください。  私のように肩書もない一英語教師は圧力をかけられればすぐにつぶされてしまうのでしょうから(ブログだって、簡単にアクセス「0」にされてしまうくらいですから)つぶされる前に(まだ皆さんがブログを読んでくださっている間に)、最後に言いたかったことをひとこと言わせていただきます。  文部科学省や一部の国会議員、一部の大学教授、一部の経済界で活躍する方々は、もっともらしい名前の「会議」や「委員会」を作ってそこで子供を食い物にする「お金儲けの話し合い」をするのはおやめください。子供を守るのが大人の仕事ですから。 どんな立派な名前を会議に付けようと「ハゲタカ会議」や「ハゲタカ委員会」は子供にはいらないです。 「○○委員会」や「○○会議」は違法なことを「合法的に行った」というための隠れ蓑(かくれみの)に使われている。 自分の意向に沿った人間をたくさん会議に送り込めば、自分の思う通りに事を運べます。「ハゲタカ委員会」だって、「ハゲタカ会議」だってそうやって人選したのでしょう。思い通りにしたかったら何でも「○○会議」を作ればいいんです。 本来、入試を民間の業者に委託するかどうかなどという問題は国会で協議してから与野党の合意のもとに導入されるべきではなかったのですか。それを○○会議が決めたと言うからもともとが少数の意思であったものが、まるで法律で決まったかのように導入できたのではないですか。 まるでマネーロンダリングのように「意見の出所を隠す」ために○○会議が使われたのではないですか。 「資金洗浄」ならぬ「意見の出所洗浄」に「○○会議」が使われたのではないですか。 これからは「○○会議や○○委員会で決まったことは、国会の承認を経てから実行される」というような規定を設けたほうがいいのではないですか。そうしないと、好き勝手に委員会や会議を作って好き勝手なことをされてしまいますね。 これだけみんなが反対しているのに文部科学省が民間試験を死守しようとするのは、言われた通りしないと、怖いからなんでしょう?          私のブログのアクセスが禁止にならないことを祈っています。(私を「妨害する」ということは文部科学省だって、私の言う通りにすれば子供たちのスピーキング能力が上がるとわかっているのでしょう。分かっていてもそうできないのよね。ボスハゲタカが怖いから。人事権も握られているし。私の言う通りにしたら、ボスハゲタカがやりたがっている民間試験ができなくなってしまうからね。  どうしてあげたらいいのかしらね。 せめて「○○会議、○○委員会の決定は実行の前に国会の承認が必要」という規定があったら、ボスハゲタカから文部科学省を守ってあげられるのに。)

文部科学省の中立性を守るための立法を検討されたほうがいいのではないでしょうか。ほかの省庁とは違って文部科学省がかかわるのは「子供たち」です。例えば、今回の入試制度や学校教育など、人の人生に大きくかかわる分野です。 お金儲けで決められてはならない分野です。 民間試験導入の経緯からわかってきたことに基づいて、今後、教育をお金儲けに利用されないように、法律で文部科学省の中立性を守れるよう、検討を始めたほうがいいと思います。文部官僚だって、人事権を握られている以上言われた通りせざるを得ないと思います。  組織の位置づけから言って、会計検査院のようなわけにはいかないでしょうけれど、いろいろなことを参考にして文部科学省の中立性を守る仕組みや立法を考え始めたほうがいいと思います。 先生方の公開してくださる資料を見ていると億単位のお金がこの件で動いているのですね。(だから関係者は民間試験を死守したいのですか?) こういうことがあった以上、我々はその対策を立てる必要があります。  文部科学省をおやめになった方の講演会を去年聞きに行きました。  一般的に「会議」の委員というのはどういう風に決められるのかな?と思っていましたら、その方のお話しの中で、さらっと触れられただけでしたが、「そういう委員は適当に決まるんです」とおっしゃったように記憶しています。(もちろん経歴や適切な人材かは書類などで審査されているのでしょうね。本当に適当に決まっているとは思いません。話のながれでそうおっしゃったのでしょう。ただ、明確な基準はないようでした。)スーパーコンピュータの詐欺の例もありますし、委員を選ぶときの基準も明確にする必要があると思います。例えば親族にそれに関連する事業を行っているものがいる、あるいは大株主がいる場合は委員にしないとか、厳格に決める必要があります。 委員の選出は「与野党同数の選考委員が合意によって選出する」など、非常に厳格な条件のもとに行われる必要があります。 「○○会議」は不正と腐敗の温床です。 インサイダー取引が厳しく規制されているように、委員としての職務で金儲けをしないことも誓約書などを書かせて厳格に規制する必要があります。もちろん違反した場合の罰則を明記します。           「どのようにすれば文部科学省の中立性を保てるか」私がお話しを聞きに行った元文部官僚の方は、内部の仕組みをよくご存じでしょうから、お知恵を貸していただけたらありがたいですね。  たとえ、初代ボスハゲタカが選挙で落ちても、こうやってお金儲けができるとわかった以上、第2、第3、のボスハゲタカが出てくるでしょう。そして一度そういうことで大儲けが出来ると知った業者が第2第3のボスハゲタカに群がるでしょう。 そうしたら、また同じ手法が使われます。 ハゲタカ会議、ハゲタカ委員会のオンパレードとなり、ボスハゲタカの金儲けの意思が「公に設置された会議の総意」として「意見の出所を洗浄」され今回の民間試験導入と同じことが起こってきます。 文部科学省は人事権を持つボスハゲタカの言う通り動くしかなくなってしまいます。  ハゲタカ会議のおいしい仕組みを発見した第2、第3のボスハゲタカに私達は先んじていかなければなりません。指をくわえてまた同じことを彼らがするのを見ているわけにはいきません。「会議の委員になるような人が悪いことをするはずはない」と私達は思ってきました。 しかし、これを逆手にとって、「○○会議」や「○○委員会」を作れば大儲けが出来ると考えて、実行している人たちがいるのです。 それを知った私達が指をくわえて見ていたら子供たちは食い物にされてしまいます。  この民間試験への執着は文部官僚から出ているものではないでしょう。 ボスハゲタカが民間試験に異様なまでに執着しているのでしょう。 この執着の仕方は常軌を逸しています。「検討する」と先生方を騙して、水面下で実施の準備をしていたのです。信頼を裏切ろうと先生方を騙そうと、ボスハゲタカは自分のもくろみを実行していたのです。   私の言う通りスピーキング評価をすれば子供たちのスピーキング能力が上がる、ということは彼も知っている。 だから私は民間試験導入に邪魔なんでしょう。 生徒だって、保護者だって、なんの役にも立たない高額の民間試験より、学校で評価してもらって、ネイティブ発音になる方がいいに決まっています。 だから、こんな無名の一英語教師に妨害までするのでしょう。私をつぶすのも民間試験導入の準備だったのですね。(今の私は文科省以外からもいろいろ妨害を受けていますので、かなりきついです。)     民間試験に異様なまでに執着するボスハゲタカの目的が、鈴木寛東大・慶大教授がおっしゃるような「20世紀型の教育を押し付け続けないための第一歩、世界中の大学が受ける英語民間試験の活用、そして一発勝負に限定されない複数回の実施」(2月11日付朝日新聞)と思っている人はほとんどいないでしょう。

今のままなら、第二、第三の「民間試験導入事件(「検討する」と言いながら裏で導入を進めていた)」は必ず起こります。不正が起こると知りながら放置するのは、子供たちが犠牲になると分かっていて何もしないのと同じです。  不正という点では「○○会議」「○○委員会」は、政治家と業者のインサイダー取引と同じです。  勝手に「○○会議」作って、勝手に委員選んで、国民の知らないところで協議して、「会議の総意でこう決まった」と言って業者が儲かる方法を国民の反対を押し切って全国で実施する。 2度とこんな手法に騙されたくない。 私達の子供たちがこんな政治家と業者の裏取引に従わされる根拠はありません。「子供を食い物にするな」と何回も言っているでしょう。スピーキング能力の上げ方も知らないで「4技能」「4技能」と言わないでください。本音は業者にもうけさせたいだけでしょう。民間試験をやったって子供のスピーキング能力は上がりません。そんなことも知らないで「4技能」「4技能」などと言わないでください。子供のスピーキング能力を上げたかったら、学校で継続して評価していくことです。 立法府文部科学省の中立性を守れる法律を制定してください。 先生方が公開してくださる情報を見ていると現在、学習塾と政界の間に次々とパイプが構築されているような感じを受けます。「いくらパイプを作っても無駄なんだ」と彼らにわからせる法律を作ってください。(私が知っている英語教育の分野に関しては、子供たちは学校教育だけで、グローバルな世界で十分やっていける英語力を身につけられます。業者はいりません。)



民間試験導入のシナリオはすでに出来上がっている(2/1/2020)

文部科学省は、今は「民間試験導入に関して公平な議論をする」方針ではないのですか。 下のコメント(民間試験導入を主張する方々の中には、中学高校時代「学校の勉強の一環として」発音習得を行った人は一人もいない)と書いた日から、戻りつつあった私のブログのアクセスが再び激減しました。また同じ日から、いつも4つの検索ワードで検索すると2位に出てきていた「中学時代にきちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか」という2017年11月2日のブログが検索結果に全く出てこなくなりました。  文部科学省は今行っている、「検討会議」とか、調査とか、みんなただのポーズ(見せかけの態度)でやっていて、それが終わったら、「調査をやった」「検討した」「問題点を改善した。だから民間試験を導入する」というシナリオがもうすでに出来上がっているのではないですか? そうでなかったら、私のブログにこんな操作がされるのはおかしいでしょう。  上に上げたブログは1年以上毎朝同じ検索ワードで検索してきたものです。(昨年「英語教育改革は失敗した」と書いたとき一時検索結果に全く出てこなくなりましたけれど、その事をこのブログに書いた後、またいつもの順位に戻ってきていました)  いつもその検索では2位にあったものが、なぜおとといから突然、検索のどこにも出てこなくなったのですか?  また、同じ時から私のこのブログのアクセスが激減するのですか?(そういうことを専門に操作する機関がある、と昨年の7月知りました)  もしかして、文部科学省は民間試験に賛成する人たちが、「中学高校で学校の勉強の一環として、発音習得をやった経験がない」と私が書いたことを人々の目に触れさせたくないのではないですか? 私は文部科学省が公平な議論をしているようなふりをして、実は水面下で民間試験導入に向けて、情報操作をしている、とこの時、感じました。 だとしたら、今多くの先生方が一生懸命されている努力を踏みにじるものです。  この先に待っているのは、「検討した」「調査をした」「問題点を改善した」「だから民間試験を導入する」という文部科学省のシナリオではないのですか? 民間試験導入を「合法的に行っている」と主張するために「委員会」や調査をさせているだけではないのですか?  そういう視点から見ると、今、先生方が、疑問を呈している文部科学省の行動がよく説明できるのです。 私はこういうことをブログに書きましたので、この先、つぶされてしまうかもしれませんが、民間試験導入を生徒のためにやめさせようと努力されている先生方にお伝えしたかったので、怖かったですけれども書きました。 (2月2日)現在の私のブログアクセス数は「3」(11時現在)です。こんなことは今までありませんでした。 私はtwitterはやりませんけれども、皆さんはお持ちでしょうから、どうぞそれで、先生方にお伝えください。そうしないと、先生方の重要な指摘がみんな無駄になってしまいます。 それでは子供たちを守ってやることが出来ません。

(それから、著者としてよくわからないのでお聞きしたいのですが、アマゾンでなぜ私の赤い本だけが「配送料599円」なのでしょうか。(2月4日午前10時38分現在)ほかの本は「通常配送料無料」ですのに。(この時点で、ランキング5ページ目までの本の送料がすべて無料であることを確認しています。「アマゾンは送料無料」と宣伝しているのですから当然ですね。)理由があれば教えていただきたいです。 在庫数は減っても順位は昨日より1ページ分下がっていますし。(午後は10ページ目まで下がってますし。17時07分) アマゾンの表示は下のようになっていました。  (午後、送料は訂正されましたが「入荷時期は未定です。」という表示に変わりました。私は今朝、出版社に電話して、入荷をしていただくようお願いしたばかりです。アマゾンへの入荷はアマゾンが発注して行われるそうです。 アマゾンから私の本への発注がないそうです。 だから「入荷時期は未定です」という表示になっています。 アマゾンは私の本を発注してください。すべての書籍に対して公平な商取引を行ってください。  アマゾンは公正な商業活動を行ってください。私の本だけ送料を599円にしたのはどなたの依頼ですか。 アマゾンも何の見返りも無くそのようなことはしないでしょうから、依頼した人とアマゾンとの間に金銭の授受があったのですか。会社としてのアマゾンも承知の上でしたら、その経緯に問題はないのでしょうから、教えてください。アマゾンは贈収賄を伴う不正行為でないのなら、どなたの依頼だったのか明らかにしてください。 出版社経由で結構です。私はその本の著者ですから。)2月6日、本は入荷しました。
3日たっても依頼主を明らかに出来ない、ということはやはりアマゾンは金銭をもらって特定の著者を妨害していたのですね。それは犯罪ですよね。 世界ではGAFAなんて言ってますけど、アマゾンはお金をもらえば裏で犯罪もする相当悪質な企業ですね。 犯罪も平気でするようなモラルの低い企業が巨大化するのは社会にとって、脅威です。
英語発音、日本人でもここまでできます。―発声から変える川合メソッド
川合 典子 | 2010/12/1
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ちなみに2月4日の私のブログアクセス数は「4」(10時40分現在)です。 文部科学省はこのブログを読まれたくないからずっと妨害していくのでしょうね。これは、「検討する」と約束した文部科学省が生徒や保護者、先生方(つまり国民全体)を騙していたわけですから、知られたくないですよね。 覚悟はしていましたけれど、不正行為を受け続けるのは、なかなかつらいものがあります。  私はすでに11年間、2者から不正行為を受け続けていますが(下に書いてあります。)不正行為というのは新たにされるたびにつらいですね。心身共に疲弊しますから。 「現在の」文部官僚に教育を任せていたら、日本は滅びます。 彼らは魂を売りましたから。 子供の未来を売りました。 文部官僚は子供たちが食い物にされると知りながら売ったのです。  「東大に民間試験をやらせなければいけない」とすごむ国会議員の映像を見ました。こういう人が子供を食い物にするのですね。







民間試験導入を主張する方々の中には、中学高校時代「学校の勉強の一環として」発音習得を行った人は一人もいません。彼らは学校教育におけるスピーキングの指導と評価について何も知りません。彼らの言う通りにするとまた失敗します。



【2024年、再び民間試験導入の口実を作らせないために】  スピーキングのスキルは本来学校で教えるものです。学校で教えることを学校で評価できないはずはないでしょう。民間試験導入などと言う教師は学校教育におけるスピーキングの指導・評価の方法を全く知らない教師です。 発音を習得する中学、高校の時期には、学校で継続してスピーキング評価を行わないと、子供たちに正しい発音でスピーキングすることが定着しないのです。 学校でレッスンが終わるごとに継続して評価されるからこそ、子供たちは家庭学習でスピーキングの練習をしてくるのです。(基礎は最低中学2年間。長い文をスピードを上げてしゃべれるようにする高校時代は3年間。継続して学校でスピーキングを評価する必要があります。評価はその都度生徒に知らされます。 前より上がっていたら、励みにもなるでしょう。 下がってしまったら、「今度は頑張ろう」という気にもなるでしょう。このように「評価」は長い発音習得期間中、生徒のモティベーション維持にも重要な役割を果たします。 入試の際は3年間の総合評価を高校、大学に提出すればよいのです。)  中学生が学校教育だけでこういうスピーキングが出来るようになる「指導と評価の方法」はあります。高校生の「指導と評価の方法」もあります。(「中学生がこういうスピーキングが出来るようになる」と例示した音声はHP「通じない日本人の発音」より転載しました。私自身が50年前、学校教育だけでこういうスピーキング能力を習得しました。私のスピーキング能力習得過程は「スピーキングの指導と評価」に「民間試験は不要」「業者は不要」、「必要なのは授業での継続する評価」を証明するものです。 民間試験導入を主張する教師など「スピーキングの指導と評価」のやり方を全く知らない教師です



こちらで読みましたが、「英語教育の在り方に関する有識者会議」の座長吉田研作氏は小学校1年生から6年生までアメリカ、カナダで過ごされて、中学校1年生の時に帰国されたそうですね。  私の子供たちで言えば、小学校1年生の息子が日本語で何も説明されなくてもアメリカの日常生活の中で英語を身につけられたときから、小学校5,6年の娘が「天体」や「古代文明」など、頭の中だけで考えて物事を理解できるレベルの英語まで、英語圏で習得されて、帰国されたということですね。  そういう経験に基づいて、英語が全く話されていない日本で育った子供たちが英語を学ぶ方針を立案されるのは無理です。 吉田研作氏には、日本の子供たちが英語を学ぶ基本的な状況が体験として理解できません。 日本の子供たちは、アメリカの子供のように「話される英語」と「それが意味するもの」が結びつくのを一日中、見て、体験しているわけではありません。 アメリカにいれば発音練習も子供は必要ありません。つまり、英語習得の基本的な条件が吉田研作氏と日本の子供たちでは全く違うのです。「英語で授業」は間違った方針です。 初級者、中級者には全く効果はありません。   吉田研作氏のように、日本の子供たちが「英語で授業」で英語や発音を習得することは出来ません。  11月18日付朝日新聞上智大学言語教育研究センター長吉田研作さんのコメントが掲載されていました。「半数近くの高校はまだ英語による授業が行われていない」と書いてありました。 私は、18年間にわたって、日本とアメリカを往復して育つ子供たちがゼロからバイリンガルになる過程を小学校・中学校・高等学校、すべての段階で観察してきましたが、「英語で授業」は、日本の中学・高校の段階では全く効果はありません。 効果がないどころか日本語を母国語とする初級者・中級者には「英語力が上がらない」という実害をもたらす「指導法?」です。 また、「英語で授業」をすると子供たちの発音はボロボロになります。 吉田研作氏は中学時代、ご自分が学校の勉強の一環として、発音習得をされたことがないので、そういうこともご存じないと思います。(帰国子女でいらした吉田研作氏には発音を学ぶ必要はなかったと思いますが、日本で育った子供たちには、発音は学校で教え、練習させなければ身につけられません。) 「英語教育の在り方に関する有識者会議」の座長、吉田研作氏がいまだにこういう間違った認識をお持ちなのは非常に残念です。吉田研作氏は「子供たちの英語力向上を阻害する方法」「発音をボロボロにする方法」を高校生にさせようとするのは、おやめください。 「文部科学省が高校の指導要領で「(英語の授業)は英語で行うことを基本とする」と打ち出してから10年が過ぎた。」とこちらの新聞記事に書いてありますが、10年も子供たちの英語力向上を阻害し、発音をボロボロにする方法を提唱してきた「英語教育の在り方に関する有識者会議」委員の責任は極めて重いと思います。 税金が使われているのですから、「間違った方針「英語で授業」のせいで、日本の英語教育改革が失敗したこと」は国民に知らされるべきだと思います。 文部科学省は「英語教育改革は失敗した」と国民に知られたくないのでしょうが、有識者会議の委員が間違った方針を提唱したから英語教育改革が失敗したのは事実ですから、皆さん、このことも英語教育関係者の方々に口コミでお伝えください。  今、多くの教育関係者の方々が民間試験導入の問題点を追及してくださっています。 次々明らかになる実態のひどさには、驚愕するばかりです。「もし、こういうことが明るみに出なかったら」と思うとおそろしいです。 この件を究明される方々の努力に本当に感謝しています。 私はそういう情報を得る立場にないので、教えていただくことばかりです。 私は英語教育における実際の指導手順については、自分と子供たちの英語習得の経験からわかりますので、自分の分かることで問題点を指摘してきました。  実際の指導手順について言えば、「4技能」の方針もすでに失敗しています。 学習指導要領の中には3技能の習得の仕方しか書いてありません。どうやってスピーキングの基礎を教えるか、文部科学省有識者会議の委員もご存じないからでしょう。私は中学時代、学校の勉強の一環として、自分自身で家庭学習で発音を習得しました。 当時は今のように教科書の音声モデルは入手できませんでしたから、親にテープの教材を買ってもらって一人で発音を習得しました。  ですから、中学生がどう勉強すれば、通じる発音を習得できるか知っています。 私の発音は上で聞いていただきました。  発音習得の極意は自分の耳を使うことです。それは帰国子女が発音を習得するのと原理的に同じです。  この音声は、HP「通じない日本人の発音」より転載しました。戦後70年日本人は日本語の短い子音で英語の子音を代用してしゃべってきたことを明らかにしています。ほとんどの日本人が話している英語の子音は日本語の子音です。英語の子音ではありません。 だから、日本人の英語は分かりにくいと言われるのです。)  私は32歳まで、英語圏で暮らしたことはありません。普通の日本の子供と同じように中学生になって初めて学校で英語を習いました。 新学習指導要領のように音声モデルも生徒に与えないで、スピーキングの基礎が習得できるわけがないでしょう。 子供たちが、アジアのトップレベルの発音で、言いたいことをスラスラ英語で話すようにする教育方法はあります。こちらのブログに書いてある通り学校教育をしていただければそれは可能です。 すべて私自身が、自分の体で行ってきたことですから「英語で授業」のように日本で誰も成功出来ない「机上の空論」とは違います。 川合式英語学習法の効果は、体験によって実証されています。 日本の子供たちは学校教育だけでグローバルな社会でやっていくのに十分な英語力を身につけることが出来ます。 文部科学省は、子供たちをアジアのトップレベルの発音で言いたいことをスラスラ英語でしゃべれる大人にしてあげてください。




民間試験なしに学校教育の中で、生徒のスピーキング能力を公平に評価する方法は、下の小さな字で書いてある部分を飛ばして、大きな赤い字で書いてある部分から始まっています。その部分からお読みください。 これは一つの例です。 現場の高校の先生方はどのような試験のやり方が適切だとお考えになっているのか、聞く必要があると思います。 高校の先生方は文部科学省が選んだ有識者会議の委員松本茂立教大学教授や安河内哲也氏の間違った方針(英語で授業)からずっと高校生を守って来てくれました。文部科学省が、常に「英語教育改革の蚊帳の外において」その意見(日本語で教えてもわからない生徒がいるのにどうやって英語で教えるのだ!!)を省みようともしなかった現場の先生方が、実は文部科学省の選んだ「英語教育の専門家?」の間違った方針から、子供たちの英語力をずっと守っていてくれたのです。 この新聞記事のように「英語で授業をしない」と批判されても、ずっと子供たちの英語力を守ってきてくれたのですよ。 松本茂立教大学教授と安河内哲也氏は間違った指導法を提唱して日本中の高校生に被害を与えてきた責任を取らないのですか。 でたらめな指導法を提唱したのに、謝罪もせず、責任も取らず、知らぬふりをするのですか。 お二人とも、生徒の前に立って教える教育者でいらっしゃいますのに、そういうことでいいのでしょうか。  文部科学省はこの件に関して責任はないのですか。英語で授業(詐欺指導法)に加担した文部科学省は国家公務員法違反です。(こちらのブログ)  また、子供たちが学校で教えられてもいないスピーキングの試験を受けなければならなくなったのは、スピーキングの習得の仕方を知らない(つまり4技能のうち3技能しか習得の仕方を知らない)安河内哲也氏が「4技能4技能」と提唱したからです。 英語教育の専門家が「4技能」を提唱するのであれば、まず最初にするべきことは、学校教育の中で生徒に発音・スピーキングの基礎を教えることです。 でも、それを知らない安河内哲也氏は学校教育に発音指導を導入することなく「4技能」「4技能」と提唱し続けたから、子供たちは学校で習ってもいないスピーキングテストを受けなければならなくなったのです。  もし学校でスピーキングの基礎を教えていたら、民間試験の必要性など、出てこなかったはずです。 学校教育の中で、生徒のスピーキングの評価をすることが当たり前になるからです。 スピーキング能力の評価が授業の一環として学校で行えるからです。 英語教育の専門家、実際に授業でスピーキングの評価をする先生方が「この方法でスピーキング能力を評価していますから、民間試験は必要ありません」と言い切れば、英語教育を専門的に知らない人がごり押しすることは阻止できます。 そして、実際に先生方はすべての生徒のスピーキングの評価を提出することが出来る、という事実を突きつければ、それ以上民間試験をごり押しすることはできないでしょう。  それでもまだ、民間試験にこだわる人の中には、「高校の先生方に発音のチェックが出来るのか」という疑問を呈する方がいるかもしれませんが、中学時代から、こちらのように指導していただければ、子供たちはアジアのトップレベルの発音でスピーキングをするようになります。 そして中学・高校のスピーキングは、筋肉の訓練という面が大きいですから、よく練習した生徒とあまり練習していない生徒の違いははっきり分かります。 ほかの3技能(聞く、読む、書く)よりも練習量の違いが一番よくわかるのが、スピーキングですので、練習した生徒と練習しなかった生徒の違いは先生方には、はっきりお分かりになります。 高校の先生方にスピーキングのチェックをしていただいて、全く問題ありません。 中学1年生の耳の力は非常に高いですから、中学時代に発音習得をさせれば、基本的なスピーキングの仕方は大人など、口出しできないほど、彼らはネイティブに近い発音で話し始めますので大丈夫です。 ここまで申し上げても「民間試験が必要だ」とおっしゃる方がいらしたら、その方はおそらく子供たちのスピーキング能力向上以外に何かほかの関心がおありなのでしょうから、そういう人たちに2024年、再び、民間試験導入の口実を与えないためには、学校の授業の中で「スピーキングの指導と評価」がきちんと行われていることを確立しておくことが重要だと思います。 文部科学省には学校教育の中で、「スピーキングの指導と評価」が出来る体制を整えていただきたいと思います。 そうしないと子供たちがまた、今と同じ問題にさらされます。 もし、故意に2024年まで、学校教育における「スピーキングの指導と評価」の体制を整えなくて民間試験導入になった場合、その時は、政治家ではなく文部科学省自身の責任だと思います。 文部科学省は英語教育改革で一つも有効な方針を実行することができませんでした。 文部科学省の英語教育改革は完敗です。 詐欺指導法(英語で授業)に騙(だま)されて中学・高校の英語教育を乗っ取られるところでしたし、民間試験(営利団体)に大学入試も乗っ取られるところでした。 民間の会社ならこんなに何回もプロジェクトに失敗していたら、とっくに倒産しています。 文部科学省は結果の出せる仕事をしてください。 「子供たちの発音を通じるようにすること」「子供たちの英語力を上げること」どちらもちゃんとやり方がありますので、仕事できちんと成果を出してください。英語教育を経済活性化に利用しようという人たちもいます。けれどもそれは、方向性が初めから間違っています。理にかなった英語教育を学校で行えば、学校教育だけで、子供たちは正しい発音を習得し(それもアジアでトップレベルの発音です)大学卒業時には自分の言いたいことをスラスラ英語でしゃべれるようになります。 学校教育だけでそこまでの英語力を付けさせることは十分可能です。 もちろん子供たちに「音声モデル」を与えたり、大学の図書館にやさしい英書をそろえたり環境を整える必要はありますが、基本的に、学校教育だけで、生徒はグローバル化に対応した英語力を身につけます。  英語教育に無知で、経済活性化の観点からしか英語教育を見られない人は、英語教育を飛んでもない方向に持って行きます。 文部科学省は「スピーキングの指導と評価」が学校教育で出来る体制を整えてください。 変な指導法に学校教育を乗っ取られないで、子供たちの英語力を本当に向上させる方針を実行してください。英語教育は学校教育だけで完結できます。 そのためには、文部科学省はもう少し省内で、各教科の専門性を高めたほうがいいです。 文部科学省省内で、各教科とも本当に子供たちの実力を上げる方法に熟知する専門家を育て、お金儲けの部外者を排除出来るよう、ガードを固くした方がいいです。 英語だけでなく、国語も相当ひどいですから。 こんなひどい試験をやすやすと実施させるようでは、文部科学省としての役割が全く果たせていません。 各教科に関して、ただのド素人集団にすぎません。 だから付け込まれるのです。 省内で各教科の専門家を育成して、お金儲けの部外者に対するガードを固くする必要があります。 私は以前、通訳学校の方とお話しをした時、「外務省は以前は民間の通訳の方を利用していましたが、今は省内で通訳の方を育成しています。」とお聞きしたことがありました。 通訳とは違いますけれど、こういう不都合が出てきたのですから、これから、また、いつなんどき、お金儲け目当ての人に、教育が乗っ取られるかわかりません。文部科学省も省内で、しっかり各教科の専門家の方々を育成されたらどうですか。 「基本的に、文部科学省が学校教育ですべてを行う」この原則にのっとって(そうすれば、その専門家の方々に近づいてくる営利団体もないでしょう)、それぞれの教科の専門家が方針を決定する方向でガードを固めたほうがいいと思います。もちろん、その専門家の方々は常に現場の先生方と密接な関係を保ち、先生方が今何の問題に直面し、どのように解決したいと思っているのか、知っている必要があります。専門家は現場で、生徒の様子を常に把握していること。 今までの英語教育改革のように「9割以上の先生方が反対していることを強権で導入することは絶対に行わない」と最初から明確にしておく必要があります。 これまでと、文部科学省をとりまく環境が変わってきたのですから、文部科学省もそれに備える必要があります。 子供たちが公正な教育を受けられるようにするためにしっかりガードしてください。 文部科学省がしっかりしないと、一部のお金儲けしたい人たちによって、日本全体の子供たちの学力がボロボロにされてしまいます。この国語の試験のひどさを見れば明らかでしょう。 このひどい試験のどこが子供たちの思考力や文章表現力を上げるというのですか。 もし、国語教育の専門家がいたら、子供たちに思考してそれを的確に文章で表現する力をつけさせるためには、生徒に本を読む習慣を定着させることや、文章を書く指導を授業の中でどのように行うか、など根本的に問題を解決する方法から考えてくれるでしょう。(私も文章を書く指導についてはアメリカで子供たちの教育を見て知ったことをこちらのブログに書いています。「思考力を高める」という漠然とした目標より「どういう思考をさせるのか」を明確に目標設定してから、その思考の仕方を鍛える文章表現の練習をさせるほうが成果が上がります。「どういう思考をさせるか」その目標は4つほどありました。そういう訓練が高校生の息子の化学のレポートを書くときなどもベースになっていました。) 学校教育で子供たちの能力を伸ばすために必要なのはそういう方針です。 テスト業者ではありません。 お金儲けの人はすきがあればすぐに入ってきます。 文部科学省は、無防備ではだめです。 無知だとすぐにすきを突かれます。 自分たちの専門性を高めてください。やたらに外部に頼らないことです。 「外部に頼る」それこそがお金儲けの人の狙いです。外部を頼ったところで、この国語の試験のひどさでは、やらないほうがましです。 差別を生むなら英語の民間試験もやらないほうがましです(これについてはもっと本質的な問題がありますけれど、ここでは割愛します) 今回、「外部に頼っても何も解決しない」ということがよくわかりました。「解決にならないどころか、もっと大きな問題を作り出す」ということがよくわかりました。今回の国語と英語の例をみると外部業者の参入は明らかに教育の質を劣化させます。 学校教育としてやらないほうがましなことをお金儲けの人は巧妙な理由をつけて、導入しようとします。 これに対抗するためには文部科学省は自らの専門性を高めて文部科学省がすべてを行う」原則を確立してください学校で教えることを学校で評価できないはずはないのです。お金儲け目当ての人が巧妙につけるまやかしの理屈に騙されないでください。 50万人が一斉にテスト出来ない。などというのは最も大事なポイントではありません。論点をすり替える「お金儲け目当て」の人の巧妙な理屈に騙されないでください。 「子供の教育にとって最も大事なことは何か」その一番大事なことを些末な理由ですり替える人に常に目を光らせてください。OL時代のブログに書いた上司のNさんが、「相手の人が何を欲しがっているのか」それを注意深く見ると相手の人がどんな人かわかる」といいました。お金儲け目当ての人に教育行政はできません。 現実に外部(営利団体)を頼ったときから、腐敗が始まりました。 「英語教育改革」「大学入試改革」いろいろな改革が言われますが、今、一番必要なのは「文部科学省改革」ではないでしょうか。文部科学省の専門性を高めることではないでしょうか。  (小さな字の部分は、私が11年間不正行為ばかり受けてきて、今も、毎日毎日、本のランキングやブログを妨害されるのを見ていることに耐えられなかったので書いたものです。英語教育とは直接関係ありませんので、飛ばして読んでいただいて、結構です。民間試験なしに学校教育で生徒のスピーキングの評価をする方法は赤い大きな字で書いてある部分からお読みください  私が11年前から何をされてきたかは中ほどの水色の文字の部分に書いてあります。妨害をしているのが、ベストセラーの著者(「英語耳」松澤喜好氏)と一部上場企業の社長(KADOKAWA松原眞樹社長)では、私はどうすることもできず、ただ耐えるだけでした。でも、もう耐えきれなくなりましたので、英語のことではありませんが、書かせていただきました。松澤喜好氏のランキングの妨害は英語教師としての私の仕事を妨害するものですから、犯罪行為です。KADOKAWAは盗作や妨害など、犯罪行為をする松澤喜好氏を11年間ずっと守ってきました。 「会社の利益のためには、無名の犯罪被害者など、葬(ほうむ)ってしまえばいい」というのが、KADOKAWA松原眞樹社長の方針のようです。「会社の利益のためには犯罪さえかばう」というのが、KADOKAWA松原眞樹社長の方針のようです。 KADOKAWA松原眞樹社長は、法律が定める「取締役の善管注意義務」に明らかに違反しています。 犯罪をかばうKADOKAWA松原眞樹社長に社長の資格はありません。  社会通念として、株式を公開して社会から集めたお金で仕事をしている企業の社長が犯罪をかばうことが許されるのですか。 KADOKAWAはまさに、社長が「組織の解体・消滅」という隠ぺい工作まで行って、「盗作、妨害という犯罪行為」を行う著者の本を売る悪質出版社です。  株式会社の取締役は、株価などに影響を与える場合もありますので、情報操作は禁じられています。  私はこの先、何年、松澤喜好氏の犯罪行為(妨害)に耐えていけばいいのですか。 「無名の犯罪被害者なんか、ベストセラーの著者の犯罪行為に10年でも20年でも耐えていろ」というのが、KADOKAWA松原眞樹社長の方針ですか。  実際、KADOKAWAのそういうやり方に、2008年の盗作以降、私はどれほど泣いてきたかわかりません。アスキーメディアワークスが、解体・消滅させられたことを知った日を含めて、一日に何時間泣いてきたかわからないです。「本を売るために」松澤喜好氏も松原眞樹氏も随分ひどいことをするのですね。あの頃の私は人格が崩壊する一歩手前のような状態でした。)

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10月18日(金曜日) 私は松原眞樹社長に松澤喜好氏の妨害をやめさせてください、とお願いしているのです。赤い本も緑の本も2冊ともです。 2冊とも順位をいじらないでください。 ゲームではあるまいし、他人の本の順位を一日に何回も松澤喜好氏にいじらせないでください。 4年も妨害されて私は非常に不快です。 私の本は松澤喜好氏の私物ではありません。  松原眞樹社長は公正な企業活動が出来ないのなら、公正な企業活動が出来る方に社長職を代わってもらってください。 なぜ松澤喜好氏の犯罪行為を野放しにするのですか。 盗作を守ったときのように彼がベストセラーの著者だからですか。 それはゆがんだビジネスのやり方です。  そんなやり方でしか仕事が出来ないのでしたら、社長など、おやめになることです。  それから、松原眞樹社長は私のブログの検索結果を操作するのもやめてください。3年前から毎朝、同じ検索ワードで検索して結果を見ていますので下げられる操作が入るとすぐにわかります。私のブログがいつもの位置にありませんから。  松原眞樹社長はなんでそういう汚い手段でしか問題に対処出来ないのですか。なんでも隠ぺいして処理をしようとする松原眞樹社長の隠ぺい体質はあの時とちっとも変わらないですね。 そんなに自分の名前に傷がつくのがこわいですか。 社長だったら、例えば、読者から盗作だ、と指摘される問題が起こったら、その問題を精査して、公正な判断と処置を行うのが、社長の仕事ではないのですか。最初にそのように対処していたら、組織を解体・消滅させて、隠ぺいを図ることもなかったはずです。 松澤氏の妨害が早い段階でやめさせられていたら、私は今になってこの問題を持ちだすことはなかったと思います。 でも、毎日毎日不正に動かされる自分の本のランキングを見ていることに耐えられなくなりました。不正に順位を動かされるのを見ると憤りが心の中に芽生えます。 一日に何回も不正に順位を動かす松澤氏の行為は、憤りの火に油を注ぎます。 それが毎日毎日繰り返されると体の中が憤りでいっぱいになります。 いっぱいになった憤りは、行き場をなくし、爆発します。 今の私のように。 問題には早く対処することです。 松原眞樹社長は行動が遅いです。 隠ぺいをするときのアクションは早いですけど、不正行為をやめさせる行動は非常に遅いです。 全く「しない」に等しいくらい遅いです。そして裏で処理する。不正行為をやめさせることは社長の大事な仕事です。 社長が社員と一緒になって盗作の隠ぺいやっていてどうするんですか。 自分の業績が傷つくのが怖いからいつも不祥事は隠ぺいしてなかったことにするのですか。    社長として無傷でいることが尊いことではなく、日々起こってくる問題に正面から解決を図ることが社長として価値あることではないのですか。盗作の処理も自分が傷つくのが怖くて出来ないなら、出版社の社長などおやめになることです。 公正に盗作の処理もできない社長がいるから、私は11年もこんなにひどい思いをさせられてきたのです。  

11年間も不正行為を受け続ける被害者の苦痛がどれほどのものか、KADOKAWA松原眞樹社長はお分かりになりますか。

盗作をされて、抗議を徹底的に無視されて、何年か過ぎたころ、私はそのつらさから周りの人々に固く心を閉ざした時期がありました。 「自分の苦しさは誰にもわからない」と思っていました。  娘が心配して、ある日、こう言いました。 「お母さんが、そんなにかたくなだと、そのうち、お母さんの味方は、由紀子とお父さんだけになっちゃうよ。」 娘の心配も素直に受け入れられない私は、「お母さんの味方が一人もいなくても、お母さんはかまわないわ。」と答えました。 「人の苦しみのわからない人なんか、そばにいてくれなくたっていい。」私はそうやって、ますます自分一人のからの中に閉じこもるようになりました。娘はもう何を言ってもだめだ、と思ったのでしょうね。 あとは何も言わなくなりました。  普通の人は盗作や妨害は小さな犯罪だと思うでしょう。今朝(2日)早く、ランキングの1ページ目に仲良く上下に並んで載っていた私の赤い本と緑の本は、もう、全く違う位置に置かれています。 本当にストーカーのようにしつこく、しつこく松澤喜好氏]は、私の妨害をするのですね。  でも、その盗作や妨害の標的にされた人間がどれほどつらいか。     「一個人など、自分の(会社の)利益のためなら、どうなろうとかまわない」というのが、松澤喜好氏やKADOKAWA松原眞樹社長の考え方のようです。 犯罪も、強制的にやめさせられないかぎり、やってしまえば、やり得だと思っているのでしょう。 私が何を言おうと、一切取り合わなければいい、そう思っているのでしょう。 だから、KADOKAWA松原眞樹社長は、最後は組織変更までして、盗作を行った出版社の解体・消滅を謀(はか)ったのでしょう。 組織の消滅は社長以外誰もできない究極の隠ぺい工作です。 株式を公開している会社の社長は、情報操作は禁止されています。 不祥事の隠ぺいを謀(はか)る松原眞樹社長の不正行為です。 こういう方は社長として不適格です。 法律で定められた「善良な管理者」の資格にも当てはまりません。 「善良な管理者」として職務を遂行できる取締役の方と社長職を交代してください。 11年も犯罪被害を受けてきて、この先も、毎日毎日、松澤喜好氏の犯罪行為(業務妨害)を受け続けるのでは、こちらもたまりませんから。 問題が起きた時、自分の保身のために、裏から汚い方法で解決しようとするような人は企業のトップには向きません。 盗作した組織を消滅させたり、ネット上から都合の悪いニュースを削除したり、盗作本を11年も売り続けたり、犯罪被害者を攻撃するベストセラーの著者を守ったり、私が見た松原眞樹社長のすることは汚いことばかりだった。 汚いことばかりされても、無名の人間は11年も泣くことしかできなかった。  もういい加減、松澤喜好氏の妨害をやめさせてください。犯罪まで松澤喜好氏にやりたい放題やらせないでください。悪いことをされるのは盗作だけでたくさんです。                     松澤喜好氏とKADOKAWA松原眞樹社長のすることは、その標的になった人間の心も体も生活もめちゃめちゃにします。 小さな犯罪を毎日毎日され続けるとストレスが少しずつ溜まって心や体が影響を受けます。 私は最近、「自分は、松澤喜好氏と、松原眞樹氏に基本的人権を侵されている」と感じることがあります。 小さな犯罪であっても、毎日毎日繰り返してされれば、ストレスで少しずつ私の心や体が蝕まれていく。そう感じています。 私はもう、以前のように元気ではありませんから。 私が不正行為をされているのは2008年からですから、もう私の中で何かが限界を超えた感じがします。最近、こういう状態で生きているのはつらいなあ、と思うことが多いです。  松澤喜好氏とKADOKAWA松原眞樹社長のすることは、小さな犯罪で毎日当事者を追い込んで、10年以上の長期にわたって、真綿で首を絞めるように、じわじわと人を殺すようなものです。 私の体も心もこれだけ長く受けた不正行為によって随分弱ってしまいました。 私は、もう疲れました。 11年というのは、生まれた赤ちゃんが5年生になるまでです。 私は出産後その子が5年生になるまで不正行為を受けているのと同じです。(それでは、性格も暗くなるし、体の具合も悪くなって当然でしょう。) 毎日毎日盗作や、ランキングの妨害やブログの妨害や、数々の不正行為を目の前に見せつけられながら、誰が、11年も心身ともに影響を受けずに生きられると思いますか。 松原眞樹社長、あなたがしているのは、精神的にじわじわと長期に渡って人を追い込んで、証拠を残さずその人の人生を奪う殺人と同じです。  動物に毎日ストレスを与えて、11年たって、生きているかどうか見て見たらいかがですか。 ほとんどの動物は、生きていないのではないですか。 松澤喜好氏と松原眞樹氏、お二人のすることは恐ろしいです。  自分のしている不正行為を隠すために証拠の残らないような小さな不正行為で、犯罪被害者を長期に渡って攻撃する。 私は長期に渡って、じわじわとストレスを受けて様々な体調不良を何年にも渡って経験しています。 松澤喜好氏と松原眞樹氏、お二人のすることは恐ろしいです。 自分にとって邪魔な人間は消せばいい、というのですから、恐ろしいです。 それを承知で犯罪をかばう社長も恐ろしいです。 松澤喜好氏と松原眞樹氏にとって、邪魔な人間でも、家族もいますし、健康に生きる権利もあります。 邪魔な人間だから攻撃して消せばいい、というのはあまりにも身勝手な理由ではありませんか。  私が松澤喜好氏と松原眞樹氏に何をしたというのですか。  事の発端は松澤喜好氏の盗作だったではありませんか。 松澤喜好氏ご自身が「松澤は盗作!というのはすごーい!」とお書きになっていらしたではありませんか。 松澤喜好氏が、盗作を隠したくて、私を攻撃するなら、私は松澤喜好氏がいる限り攻撃を受けていくということですね。 KADOKAWAの社長松原眞樹氏もそれをかばってやらせているわけですから、誰も松澤喜好氏の攻撃をやめさせる人はいないわけですね。 私はずっと攻撃されていくということですね。 本来そういうことは、してはいけないことです。


9月16日 民間試験に頼らない、生徒のスピーキング評価の一例を書きます。  まず、「スピーキングのスキルは学校で教えるもの」という原点に立ち返って、中学時代、生徒に正しい発音でスピーキングが出来るよう学校で指導します。(やり方はこちらのブログに書いてあります。) 次に高校時代は、こちらのブログ(2015年8月2日)に書いてあるように授業を行います。 その練習法の中のスピーキングの活動に関するものを次に転載します。
2015年8月2日のブログ「高校時代は「日本語頭」から「英語頭」に切り替える練習をします」より青字の部分転載)  。。。。ですから、高校生が、英語の語順のまま理解するスキルを身につけるのは、学習が終わって、意味、構造ともによくわかるようになった英文を音読して行っていきます。 これがパート2の練習です。 従来の訳読式授業でやめないで、ここまで行ってください。学校では時間の関係で数回しか音読できないと思いますが、あとは家庭学習で何回も音読してください。 高校時代の私は授業で学習が終わったレッスンを何回も家で音読していました。 日本語の枠組みで理解した英語が、だんだん英語本来の語順で理解できるようになります。 この段階(家庭学習で授業で習ったレッスンを何回も音読する)まで学習したレッスンなら、終了後、小さなグループに分けて、「このレッスンで読んだことについての感想」などを言わせてみてもほとんどの生徒が英語で言うことが出来ます。 よく、対立する意見でディスカッションさせる方法が高校生の授業で言われますが、私はあまりそれには賛成できません。 発音がまた乱れるからです。 学んで、練習して、文章がほぼ頭に入り、口で言うことも上手になったものを使ってしゃべらせるほうが正しい発音の定着には効果があります。 ディスカッションで出てきた新しい視点に基づいて自分で新たに文章を考えてしゃべるとどうしても発音は乱れてきますし、スピーキングはたどたどしくなります。  それよりは、自分が練習した文に近いもので、しゃべらせる機会を与えたほうが生徒は「スラスラしゃべれる」体験をしやすくなります。 また、レッスンの内容について、二人一組で、生徒が英語で質問し、相手が英語で答えるような練習もこの段階でしたら、スラスラ英語でしゃべれます。 スピーキングも練習の後は「スラスラしゃべれる」という「成功体験」を生徒に味わわせた方が効果的です。

こういうスピーキングの活動を授業でレッスンが終わるごとに学校で行って、先生が一人一人の生徒のスピーキングを見ながら評価します。 それを高校3年間継続して行います。 一時間でたとえクラスの半分しか先生がチェックできなくても、次のレッスンが終わったときには、残りの半分の生徒のスピーキングをチェックすることが出来ます。  高校3年間継続してスピーキングの活動とその評価を行うわけですから、決して偏(かたよ)った評価にはなりません。 その最終的な総合評価を大学に提出すればいいわけでしょう。  この場合、「生徒の発音がカタカナにならないか」と心配する方もいらっしゃると思いますが、中学時代にこちらのブログに書いてあるように発音習得させれば少なくとも宿題(家庭学習)をきちんと行った生徒はネイティブに近い発音になります。 なぜかと言えば、中学1年生の「音をよく聞き取れる耳」を使って発音を習得させるからです。 日本の子供たちはアジアのトップレベルの発音を習得します。 こちらのブログを見ていただけば、ネイティブの先生が授業をしたからと言って子供たちがネイティブ発音になるわけではないとお分かりになります。 それに、民間試験を受ければ生徒の発音がネイティブ並みになるわけでもありません。 学校でスピーキングをきちんと教えれば、不公平な試験を生徒が受けなければならないような事態にはなりません。     私が挙げた上の例についても、それでは学校間のレベルの差をどう考慮するのかとか問題がないわけではありません。 けれども、相対評価ではなく、絶対評価とし、その基準を文部科学省が定めるなど、いろいろな方策をとっていけば、改善できます。     学校できちんと発音を教えて、スピーキングの指導をすれば、不公平な試験を生徒に受けさせる必要もなくなります。  「生徒のスピーキングの能力を上げる」という目標の達成は学校教育で出来ます。 すべては、「学校でスピーキングを教える」という基本から考えていくと解決出来ます。 私は、経済的に恵まれない家庭の子でも平等に教育が受けられる仕組みを壊してはならないと思います。 学校が学校としての機能をきちんと果たして、教えるべきこと(スピーキングのスキル)を教えれば、民間試験など必要ありません。文部科学省が責任を持って学校教育を行えば、民間試験など必要ありません。

(以前、「大学の英語の教師になるための教職課程に音声学が必修になっていないのは問題ではないか」と指摘していらした先生がいらっしゃいました。 現在でも必修でないのなら、必修にする必要があると思います)






8月23日 金曜日

日本の英語教育改革は失敗しました。高校の先生方があれほど強く反対していた「英語で授業」を強引に導入したからです。 現場の先生方の意見を聞かない英語教育改革は失敗します。英語教育に関しては、40年前、私が大学生のころから、通じない日本人の英語を何とかしなければいけないと、改革の必要性が言われていました。けれどもいまだに日本人の英語は通じるようにはならないですね。理由は、文部科学省が英語習得に関して何も知らないからです。(下の(1)から(8)をご覧ください。)私はそういう議論を聞くたびに「そんなの簡単なのに。私みたいに中学時代に練習すればだれでも通じる発音で話せるようになるのに。」といつも思っていました。 日本人が高い英語力を持つために必要なのは「発音と語順」の訓練です。 文部科学省耳のいい中学時代に正しい発音でしゃべる訓練もしませんし 、複雑な英語を学び始める高校生に語順の通りスピードを上げて英文を処理する訓練も行いません。 だから日本人の英語力は上がらないのです。 高い英語力を持つために必要なことは、時間はかかりますが、することは簡単です。発音は2年で効果が出ます。(こちらのブログに書いたように中学校で2年間、家庭学習を指導すると、子供たちはアジアのトップレベルの発音で話し始めます。 それが可能なのは音を聞く力が高い中学1年生の耳の力を使って発音を習得させるからです。)語順は3年で効果が出ます。大量のインプットは2年で効果が出ます。子供たちは、大学卒業時には思ったことをスラスラ英語でしゃべれます。これは全部私が自分自身で行ったことですので、必ず効果があります。「英語で授業」のような何の効果もない指導法とは違います。文部科学省は間違った英語教育の方針からそろそろ抜け出してください。効果のない方針に翻弄される子供たちがかわいそうです。よくわからない英語で授業をしろと言われ、習ってもいないスピーキングのテストをされて、文部科学省の失敗のつけがみんな子供たちに回っています。しかも、文部科学省は失敗だとわかっているのに「面子をつぶしたくない」「責任を取りたくない」「だから続ける」という悪循環に陥っています。逃げ回って何と国民に言い訳をしようと、現実には逃げ回れば逃げ回るほど失敗の上に失敗が蓄積して、「英語力低下」「通じない発音から脱却できない」という失敗の証拠がどんどん明るみに出ます。いつまでも、「失敗する方針」を「効果がある方針」と国民に言いくるめられると思っていたら、大きな間違いです。    現在の英語教育改革では、子供たちの発音もよくならないし、英語力も上がらない。しかも、大学入試は不公平になる、と言ったら、これは失敗以外の何物でもないでしょう。 しかも、「スピーキングの基本も学校でおしえないで(練習のための音声モデルも与えないで)、4技能を試験する」など、ありえないです。 (「4技能」、「4技能」と提唱している有識者会議の委員が、正しい発音習得の仕方も知らないから、こういうことになるのです。) なんで最初から丸投げばかり考えているのですか。 丸投げで公平な大学入試が出来るのならそれでもいいです。 でも、出来ないのなら、他の方法を考えざるを得ないでしょう。 それは大変な仕事ですけど、世の中に楽して出来る仕事はありません。  どんな企業でも外国に工場を立ち上げる時は第一陣としていく人たちは非常に大変な思いをします。  初めて導入する試験ならばそれを作る人たちに生みの苦しみが伴うのは当然です。 それをしないで済ませようとするから「不公平な大学入試」などという問題が起こってくるのです。      

私自身は、もともとその目的が違ういろいろな種類の試験で、受験生を評価する、ということが理解できないです。 やはり同じ基準で評価するべきだと思います。(出題、採点、管理は公的機関が行うのは言うまでもありません。そうでなければ、問題が起こったとき、企業秘密の壁に阻まれて解明、改善ができません。) それが大変で、対応できないから、こういう方式にしたようですけれど、「それが大変だ。難しい」などというのは民間の会社に勤めていたら、いつだって起こってくる問題です。 一見、不可能に見える問題を解決するためにみんな必死に努力して仕事をしているわけです。 (何も50万人の受験生全部に同じ日の同じ時間にスピーキングテストをしなければならないわけではないでしょう。 そういう発想になるのは、スピーキングは学校の授業で教えるもの、という考えが全くないからです。) 私は昔、40代50代のビジネスマンの方とよく一緒に仕事をしました。(「OL時代」のブログに書いてあります)一見不可能に見えるような問題にも、慌てず騒がず、皆さん、全力で対応していらっしゃいましたね。 20代の私には、時に彼らの仕事の仕方は感動的でさえありました。 昔のNHKの「プロジェクトX」という番組に出てくるような仕事をするビジネスマンの方にあの頃の私は何人もお会いしました。 そういう人たちのする仕事を目の当たりにして、「これが仕事をするということなんだ」と20代の私は知りました。若くても、少しでもそういう人たちから学ぼうと私も必死でした。 だから毎日清水の舞台から飛び降りるような気持で、仕事をしていました。   結婚して、アメリカにいた時、「この人は本当にアメリカで仕事ができるのかなあ」と思うような方が、駐在員として赴任していらっしゃいました。 私は思わず、夫に「この方はアメリカで大丈夫なの?」と聞いてしまったことがありました。 そうしたら夫が、私の方を見ることもなく、「大丈夫であろうとなかろうとやるんだよ。仕事だからね。」と言いました。  民間の企業で働く人はみんな一見不可能に思えるようなことでも必死にやっていかなければならないのですよ。 文部科学省は何で、そういう必死の努力をしないのですか。 なんでいつも丸投げなんですか。なぜ「同じ基準でスピーキングの評価が出来る方法」を必死で作り上げようとしないのですか。 「同じ基準で評価が出来る方法」についてもっと多くの人のアドバイスを集めないのですか。まず、「スピーキングのスキルは学校で教えるもの」という原点に立ち返って、生徒にスピーキングを学校で教えることです。 そうやって、生徒がスピーキングの能力を日々の授業で向上させるのを見ていけば、おのずと、大学入試での生徒のスピーキング能力の評価の仕方も決まってきます。 先生方はそういうスピーキング能力向上の過程を全部見てくるわけですから。  スピーキングの基本は学校の授業で教えるべきことなのです。  学校の授業で教えるべきことを文部科学省が「評価」出来ない、というのはおかしいでしょう。  学校で教えることなら、民間試験なんかで評価しなくたって、文部科学省が評価できるでしょう。  先生方が評価できるでしょう。 「英語で授業」を持ち込んだときもそうでしたけれど、現場の先生の意見を無視したら、必ず失敗します。  文部科学省はすでに、一回失敗しているのですから、同じ過ちを繰り返さないことです。  はっきり言って、今、大学入試でスピーキングのテストをしても、子供たちのスピーキングの実力は上がりません。 スピーキングの能力は学校教育で正しい発音を教え、一定の期間(2年位)音声モデルを使って練習させることによって身につきます。 それをしないで、「テストをすればスピーキングが出来るようになる」と考えるのは、文部科学省が英語教育について何も知らないからです。  発音習得を学校で指導していない現段階で(音声モデルも与えられていない段階で)スピーキングテストをやっても無意味です。 英語の音声もほとんど聞いていない段階で子供たちに正しい発音など身についているはずないでしょう。 これは現段階ではなんの役にも立たないテストです。 教えていないことをテストするのですから。 日本中の教育関係者ほぼ全員が「問題がある」と言っているテストを強行したら、文部科学省の暴挙です。
学校の勉強の一環として発音習得をした経験がないのに、「4技能」「4技能」と提唱してきた有識者会議の委員、安河内哲也氏は、子供たちが今、学校で教えられてもいないスピーキングのテストを受けなければならない状況に立たされた責任を少しは感じてください。 自分がやってもいないこと(どうやって教えるのかも知らないこと)を提唱するから、こういうことになるのです。

文部科学省はスピーキングに関しては、
(1)正しい発音でしゃべることを学校で教えない。(つまり塾に丸投げ)
(2)入学試験は民間試験に丸投げ

つまり文部科学省はスピーキングに関しては、「教えること」も「テストすること」もすべて外部に丸投げしているわけです。 ひどくありませんか? あまりにも手を抜いていませんか。 スピーキングに関してはすべてを丸投げしています。 自分たちは何もやっていません。 そして、「難しい仕事はしたくない」というわがままのつけをみんな子供たちに押し付けています。 民間の企業の社員だったら、「自分の仕事をまじめにやれ」と言われます。  文部科学省が全部丸投げするから、子供たちがそのつけをかぶって不利益を受けてしまうのです。 先生方はそれが分かるから苦悩されているのです。 文部科学省は少しはまともに働いたらどうですか。いくらなんでも、全部丸投げはひどいです。



私は、1年くらい前から毎朝、ある4つの検索ワードで検索をしていました。 そうすると検索結果に私のブログ「文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない」(2017年10月12日)と「中学時代に、きちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか?」(2017年11月2日)という2つのブログが、1位と2位に出てくるのです。 最初は期間を限定して検索をしていたのですが、最近は期間を限定しなくても、この2つのブログが1位と2位に出てくるようになりました。 ところが、今週から、この2つのブログが全く検索結果に出てこなくなりました。 (「日本の英語教育改革は失敗した」とはっきり言いきったことが文部科学省の気に障ったのかもしれませんね。) 1位と2位でないのなら、下の方の順位で出ているのかと思って下がって見てみてもどこにも出てこなくなりました。 7月に知人から「そういうことを専門に操作している機関がある」と聞きましたけれど、「こういうことなんだな」と思いました。 私は文部科学省に都合の悪いブログばかり書いていますから。(でも、嘘は書いていません。 全部自分がやってきたことと、自分の子供がやってきたことに基づいて書いています) 私はアマゾンの本のランキングももう4年も松澤喜好氏(「英語耳」(KADOKAWA/アスキーメディアワークス刊)に、赤い本も緑の本も妨害されていますから、初めて妨害を受けるわけではありません。 ですから「今度はブログの妨害なのね」と思うだけです。 この11年、盗作、隠ぺい、妨害、たくさん不正行為はされてきました。 「やめてください」とお願いしてもやめてもらえず、11年前、最初に松澤喜好氏に盗作されたころは、毎朝、夫や子供が出かけた後、一人で泣きながら朝ご飯を食べていました。 眠る時は泣きながら眠りました。 けれども最近はなるべく考えないように、思い出さないようにしています。  でも、たまに、疲れた時など「なんでこんなに長い間、不正行為ばっかり受けなくてはならないのかな」と思うと涙がこぼれるときもあります。 あの頃、一番つらかったのは、「ベストセラーの著者を守るためなら、無名の人間など、つぶしてしまえばいい」というKADOKAWA/アスキーメディアワークスの露骨なやり方でした。 こういうやり方は、現在も、アマゾンのランキングの妨害をする松澤氏を黙ってやらせておく、KADOKAWA(松原眞樹社長)の姿勢にもつながることですね。 出版社がここまでひどいことをするということに私は非常にショックを受けました。  「相手が無名の人間なら、つぶしてしまえば、どんなにひどいことをしても世間に知られることはない」と思っていたのでしょうね。 彼らは、その標的になった人間がどれほどつらい思いをするかなんて、考える必要さえなかったのでしょう。 あの頃、娘がよくテレビで2時間ミステリーを見ていました。その中で、若い作家や作曲家志望の人が盗作されて自殺する話がありました。 それはドラマの中のことですけれど、現実にそういうことをされたときのつらさは、自殺はしませんでしたけれど、耐え難かったですね。 ここ4年は、妨害ですね。   この2つ前のブログに「子供たちの発音を学校教育によってアジアのトップレベルにする方法」を後から書き加えたときの妨害は特にひどかったですね。 一日に何回も「順位が上がっては下げられる」を2冊の本とも数日間繰り返しました。(2019年3月15日ごろのことです) さすがにその時は「ひどい」と思いました。 こんなにやりたい放題、妨害をさせておいていいのか、と思いました。 普通は盗作をしたり、他人の妨害をしていたら、社会人として受け入れられないのでしょうが、KADOKAWA/アスキーメディアワークスが必死に松澤喜好氏の盗作を守って来ました。 そのやり方は、最初は「ボイストレーニング」という題名で出版した本を、「盗作だ」と批判されると、出版2か月で、題名を「英語耳ボイトレ」と変え、表紙を松澤喜好氏の前作「英語耳」と色違いで同じデザインに変えて出版しなおしました。 そして、出版社著者ともに「これは松澤喜好氏の英語耳シリーズの一つだから、松澤喜好氏自身のアイデアで書かれたものだ」と強調しました。つまり、題名や表紙を変えるという手段まで使って、盗作の隠ぺいを図りました。 「盗作だ」という読者の批判は徹底的に無視でしたので、当時松澤氏の掲示板に書き込んだ読者の中にはコメントの最後に「Shame on you.」と書いた方もいました。 「恥を知れ」という意味です。 KADOKAWA(松原眞樹社長)は読者から「恥を知れ」と言われるような出版の仕方はおやめになったほうがいいと思います。 読者に盗作だと言われ、松澤喜好氏の掲示板は荒れに荒れて、閉鎖になりました。 KADOKAWA(松原眞樹社長)は松澤喜好氏の妨害も知っていても、黙ってやらせているだけですね。 そういうやり方は「ベストセラーの著者を守るためなら、どんな汚い手段を使っても邪魔な人間はつぶしてしまえばいい」という11年前の盗作隠ぺいの時と同じですね。 一応「営業妨害」は犯罪のようです。(業務妨害罪 松澤喜好氏は、ランキングを操作して、私の英語教師としての仕事を妨害しています。順位が下がれば、広告宣伝の効果も下がります。だからランキングを妨害するのでしょう。) KADOKAWA/アスキーメディアワークスは、11年前松澤喜好氏の犯罪(盗作)を必死で守りましたから、松澤喜好氏は、今回の犯罪(営業妨害)も出版社が守ってくれると思っているのでしょう。 その証拠にKADOKAWA(松原眞樹社長)は4年も松澤氏にやりたい放題妨害をさせています。 それは、KADOKAWA(松原眞樹社長)も松澤喜好氏の犯罪に加担していることと同じです。 東京証券取引所に一部上場している企業は普通は犯罪には加担しません。 ベストセラーの著者だから、営業妨害という犯罪を犯しても守る、というのは、11年前、ベストセラーの著者だから盗作という犯罪を犯しても守ったのと同じですね。 会社の利益のためなら、犯罪を犯す者さえ黙ってさせて守る、これがKADOKAWA(松原眞樹社長)がこの11年、私にやってきたことです。そしてKADOKAWA(松原眞樹社長)が現在も私に対してやっていることです。 こういう陰湿なやり方には、株主も眉(まゆ)を顰(ひそ)めるのではないですか。 その後、2018年、KADOKAWA(松原眞樹社長)は組織変更を行いアスキーメディアワークスを解体しました。(プレスリリースニュース)「もう、私が何を言おうと「昔あった会社がしたことですから」で片づけられてしまう」と分かった日は、11年前のように何時間も泣かずにはいられなかったですね。  私にとっては、当事者の消滅はKADOKAWA(松原眞樹社長)による究極の隠ぺいでした。(アマゾンに載っている「英語耳ボイトレ」は私がこの文章を書いた後、絶版にしたのですね。今日(9月17日)気が付きました。 私が初めてこの文章を書いて「英語耳ボイトレ」にリンクを付けた日は、普通に売られている本のように定価の価格表示でした。 11年間盗作本を、批判は徹底的に無視して売り続けてきたのですね。) 松澤喜好氏の盗作、妨害については、私は、その苦しさから、一度はこのことは忘れようと思いました。 「7年前の出来事」のブログを削除した日です。でも、一向にやめない松澤喜好氏の妨害を毎日見るうちに、犯罪被害者が、犯罪をされたまま黙って忘れて、犯罪者は妨害をし続けるなんておかしい。と思いました。なぜ、犯罪をする人がやめないで、犯罪被害者がその苦しさからのがれるために忘れなければいけないのか、それはおかしい、と思うようになりました。 KADOKAWA(松原眞樹社長)は、松澤喜好氏にやりたい放題、盗作や妨害の犯罪をやらせています。 犯罪者が犯罪被害者をつぶそうとするのを黙って見ています。 ついさっきまで「英語耳ボイトレ」も、普通に売られていました。KADOKAWA松原眞樹社長は、出版社の社長なのに、盗作が悪いとさえ思っていません。 KADOKAWA松原眞樹社長は松澤喜好氏の犯罪をやめさせてください。                     






(2019年7月7日、日曜日)

「英語で授業」の方式で成果を上げる為には一日7時間英語で授業をやって(帰宅後授業内容すべてを毎日全文和訳で生徒に理解させる。この家庭学習は最初の年は高校生で7時間、小学6年生で4時間)それを続けて、2年間かかることを最後の部分に付け加えました。有識者会議の委員松本茂氏に「ご自分が知らないことは提唱しないでください」とお願い致しました。「英語で授業」は詐欺です。全く効果のない詐欺です。騙(だま)すつもりがあろうとなかろうと、まったく効果のない方法を効果があると言って、学校教育にもちこみ税金を使わせているのですから、詐欺は詐欺です。騙(だま)すつもりでなければ、他人に損害を与えても罪にならないわけではありません。(大人は生徒が英語で授業をしているのを見ると、うれしいのでしょうね。子供たちが理解していようがいまいが、ネイティブと同じことをしているように見えますから。それで、簡単にだまされるんでしょうね。でも、その英語の授業を家に帰ってから日本語でわかるように説明してくれる人がいなかったら、子供たちの英語力はボロボロになります。子供にとっては使ったことのない言語で言われたことなんて、「何にも教えてもらっていない」のと同じことなんです。英語で教えたことなんて、そのあと日本語でよくわかるように説明してあげなかったら、ほぼ何にも定着しない、と思ったほうがいいです。 中学生も、高校生も、同じです。  これは私の経験から申し上げています。  分詞構文を日本語で教えることを批判する松本茂氏はこういうこともご存じないのでしょうね。華やかなプログラムを提示することより、もうちょっと子供の状態をよく見てあげてください。)文部科学省は学習指導要領(公文書)にまで詐欺指導法をいれるのですか。 有識者会議の委員、松本茂氏や安河内哲也氏が、「英語で授業」を提言したからですか。 けれども詐欺は犯罪です。間違っていたら、撤回するべきでしょう。 撤回しないのなら、学習指導要領は「文部科学省、詐欺」の証拠を示す公文書になりますね。 詐欺は犯罪です。他者に損害を与える犯罪です。  中学校英語教育、高校英語教育、その二つともを詐欺指導法で行うと方針を決めるなど、ありえないことです。 なぜ日本の英語教育が中学、高校とも詐欺指導法に乗っ取られなければならないのですか。学習指導要領(英語で授業)の間違いについてはこちらのブログに書いてあります。 文部科学省が行っている英語教育改革というのは何を目的に行っているのですか。生徒の英語力を壊す方針ばかりです。  私がそう思う理由を下記に8項目まとめました。(日本人の英語教育は生徒が理解できる日本語で教えて「発音」と「語順」を重点に訓練しないと、通じる発音でスラスラ話せるようにはなりません。的外れなことばっかりやっていないで、核心から手を付けなければなりません。時間はかかりますが、やり方は簡単です。)

(1)「英語で授業」のもとになった松本亨氏の「英語で考える指導法」は単なる松本亨氏の勘違いでした(こちらのブログ)。彼は7年前日本語訳で理解したテキストを7年後英語のまま理解できたので「日本語訳は害になる」と主張し、日本語訳を使わせない「英語を英語で理解する指導法」「英語で考える指導法」を日本中に広めました。(ひどい話です。英語をこれから学ぶ学習者が英語を英語で理解できるはずはありません。) その後は英語学校FORWARD石渡誠氏が、「英語を英語で理解する指導法」「英語で考える指導法」を主張してきました。石渡誠氏は「日本語訳は害になる」が間違いであると6年間指摘されても、決して認めません。生徒に20年以上嘘を教えてきたことを決して認めません。指摘されればされるほど動画で強く「英語で考える指導法は素晴らしい」と主張してきました。石渡誠氏はこれからも日本語訳を使わせない「英語で考える指導法」を継承していくとこちらのブログで述べています。(12月9日:最初に私がつけたリンクではこのブログにアクセスできないようになっていました。「該当するページはない」という表示が出てきました。けれどもURLを見て、そのリンク先が石渡誠氏の2019年7月15日のブログだとわかりましたので、石渡氏のブログリストに行って2019年7月15日のブログをクリックしたら、URLを変えて同じブログがアップされていました。 それで、そちらのURLにリンクを付け変えました。 ちなみに「来年で50周年」と書いてありますから、間違っている「英語で考える指導法」は50年も提唱されているのですね。) だますつもりがあろうとなかろうと虚偽の指導法で、生徒が車を売って払うほどの授業料を取ってきたのなら詐欺商法といわれても仕方ないでしょう。石渡誠氏はブログに「英語学習にはお金がかかる」(2011年7月2日のブログ)とか、「生徒はそのお金をどうやって作ればよいか」(2011年5月31日のブログ)書いていますが、お金がなくても英語学習は出来ます。(当時そのブログの内容を知った若い女性の知り合いから「川合先生、お金がなくても英語学習ができることをブログに書いて下さい。英語学習にお金をかけられない人はたくさんいます。」と強く頼まれましたので、私はこちらのブログを書きました。 「リスク回避を考えるのは甘い」と石渡誠氏は述べていますが(2011年6月6日のブログ「英語をモノにする心構え13)、詐欺指導法を20年以上も提唱して来て、訂正も謝罪もできない石渡氏の方がよほど甘いのではないですか。   石渡誠氏の2011年6月7日のブログ「英語をモノにする心構え14はひどいですね。「なぜ高校生のバイトを禁止している高校が多いのか」お分かりにならなかったら、近くの高校に行って、生活指導担当の先生から、お聞きになることですね。 (大学できちんと教職課程を学んでいれば、バイトをさせない理由もよくわかります。高校生は社会を知らない分、怖い思いをすることになる子もいるからです。世の中、良い大人ばかりではありませんから)こんなことまで生徒にさせて自分の英語学校にお金を持ってこさせたいですか。しかもやっているのは勘違いから生まれた詐欺指導法なのに。これだけ激しいことを生徒に言っておいて、先生方は詐欺指導法の責任はとらないのですか。「詐欺指導法のために生徒にバイトまでするように言って何十万という授業料を払わせる」松本亨氏の学校は随分ひどいやり方をしていたのですね。これでは自分のために生徒を働かせているようなもんでしょう。 「スクールで一番大切なのは、受講生です」と2019年7月15日のブログに書いてありますが、人は一番大切な人を騙(だま)したりはしません。 石渡誠氏は自分のビジネス存続のためなら、生徒に嘘もつくし、騙(だま)しもするということでしょう。そうでなかったら、なぜ「日本語訳は害になる」が間違いだと生徒に伝えないのですか。 なぜ本当のことを生徒に伝えないのですか。 なぜ嘘をつき通そうとするのですか。 明らかに自分の保身以外の何物でもないでしょう。「来年で50年」「これからも英語で考える指導法を継承していく」などとブログを書くくらいなら、50年「日本語訳は害になる」と間違った指導法を提唱してきたことをきちんと訂正、謝罪するべきでしょう。騙(だま)し通せると思うこと自体、石渡誠氏は心の中で英語学習者を馬鹿にしている。学習者に「嘘(うそ)だ」とわかりはしないと高をくくっている。 けれども、英語学習者は、石渡さんが考えているほど簡単に騙せる人たちではありません。 石渡さんが考えているより、はるかに鋭い人たちです。 石渡さんはうまくだましていると思っているかもしれませんが、英語学習者の方々は、騙されていません。本当のことをちゃんと知っています。  私のブログのアクセス状況から、わかりました。  「英語の思考活動」のブログは2017年2月4日に書いたものですが、私は2018年の終わりに、数回書き加えて「英語で考える指導法」は松本亨氏の「勘違い」だと明らかにしました。 書き加えていた間、このブログのアクセスは大変多かったようです。(はてなダイアリーのアクセスサービスが終わってしまっていたので、私は自分のブログで検索をして、そこに出てくるブログの順番でどのブログが読まれているのか見ていました)私のブログで検索をしたとき、最新のブログが、まずリストの一番上に出てくるのが普通です。けれども、あの時はそれを抜いて「英語の思考活動」のブログがしばらくの間、リストの一番上に出てきました。(今まで過去のブログに何回か加筆したことはありますけれどそういうことはありませんでした) 私は「現在「英語の思考活動」のブログに書き加えています」とは皆さんに一言もお知らせしていませんでしたが(黙って書き加えていました。 皆さんにそのブログに加筆したことをお知らせしたのは、数日間にわたる加筆が全部終わった時でした。)多くの人が読んでくださっていると知ってびっくりしました。 ブログの読者の皆さんは「英語学習に必要な情報はちゃんと入手される」と思いました。  加筆が終わったときは「書き加えました」と最新のブログに書きましたので、石渡氏も、それを読んで「英語で考える指導法」は松本亨氏の勘違いだとお分かりになったのでしょうね。  私が「英語の思考活動」のブログにそのことを書き加えてから数か月間、石渡誠氏のブログトップにデザインされた「石渡誠発 Language Teaching for a Better World FORWARD」の部分は削除されて真っ白でしたね。 石渡誠氏は一番上の部分が削除された真っ白な状態で数か月間ブログをアップされていましたね。(最近また戻ってきていますけれど) 私が嘘だと指摘した「英語で考える指導法」を提唱する自分の名前と自分の英語学校FORWARDの名前が結びつくと学校の経営に良くないと思われたのでしょうか。 また、最初のころ自分の英語学校は松本亨氏の「英語で考える指導法」に基づいていると大きく紹介していらっしゃいましたけれど、ホームページを改訂するたびにその部分は縮小され、今は数行で触れるだけですから、ご自身も松本亨氏の「英語で考える指導法」が彼の勘違いであったともうわかっているのでしょう。   もう一つ、「読者の方は鋭いな」と私が思うのは、2017年7月19日のブログのアクセス順位が結構高いからです。順位だけ見ていた時は理由が分からなかったのですが、読んでみてその理由が分かりました。  私が、「英語で考える指導法は間違っている」と解説したブログ21個がこのブログにリストされていました。  私が447個もブログを書いている中で、「読者の方はこういうブログをよく見つけられるな」と思いました。 すごいと思いました。  もう一つは、2016年にネット上セミナーを行い、皆さんに子音を長く発音する方法をご紹介しました。  ネット上セミナーが終わってもこちらのブログ(Rの練習)がずっと検索の上位に出てきました。  たぶん、日本の英語学習者の方々の中にはRを通じるように発音する練習を探している方が多いのだろうな、と思いました。  447個のブログの中からこれを見つけられるのもすごいな、と思いました。
石渡誠氏は自分の学校の生徒にも、どうせ「英語で考える指導法」が嘘(うそ)だとわかりはしないと思っているのでしょう。 そして「英語で考える指導法」が間違いだったと伝えると、生徒はもう授業料を払って受講しに来なくなるかもしれないと思っているのでしょう。 だから、このまま騙(だま)しておこうというのが石渡誠氏の方針でしょう。まさに詐欺です。 日本語に訳さないで英語のまま言っていたって意味もニュアンスもわかりません。 当然です。それを勉強するのが英語学習です。そういう勉強を母国語でしながら同時に英語を使っていくのが英語学習です。英語のまま使わせればわかるわけではありません。 生徒を騙(だま)せると思うこと自体、生徒を馬鹿にしています。 石渡氏の学校の生徒さんは、みんな日本語訳を使っています。日本語訳を知らないと初・中級者は思ったことを英語に出来ないからです。学業や仕事で使う英語は日本語訳なしに習得は出来ません。「Honey(蜂蜜)と「歯に~」のようになってしまうからです。 石渡誠氏も松本亨氏もかつて日本語訳を使って勉強しています。先生も生徒も学校中が日本語訳を使って勉強しているのに、「日本語訳を使わない英語で考える指導法」は素晴らしいと宣伝するのはおかしくありませんか。日本語訳を使わずに英語を習得した人など石渡さんの学校に一人もいないのに。 石渡さんの学校でやっているのは、「日本語訳で英語を学んで、学校で英語を話す練習をしている」そういうことでしょう。  私も息子が小学校1年生の時には何も教えませんでしたけれど、5年生以上で使う英語では英語のままでは理解できませんでした。 実際に見ているものではなく、頭の中で考える事項が入ってくると、母国語がないと理解はできません。 まさに「英語で考える指導法」は机上の空論です。全く日本語訳を使わず、学業や仕事で使うレベルの英語は習得できません。 英語教育を論じるときに、私の息子が1年生で飛び跳ねながらやっていた I'm jumping. のようなレベルの英語を想定していてもしょうがないでしょう。(子供の英語は自動的に大人の英語にはならないのです。)(こちら) 政府や経済界が想定している英語力は、抽象的な思考も英語で出来るレベルでしょう。 そういう「思考」を英語でするためには、英語による思考回路を頭の中に作らなければなりません。 そのためには膨大な量の英語の蓄積が必要です。 英語で授業を一日7時間受けて、家に帰ってから7時間日本語で英語の意味を理解して(小学5年生のレベルでしたら、4時間くらい)それを2年間続けるほど意味の分かった英語を蓄積させないと英語の思考回路は出来ません。 「英語で考える」は石渡さんが考えているほど簡単なことではありません。日本語に訳さないで英語を言っているくらいでは、とても英語の思考回路は頭の中にできません。 現在、学習者が唯一思考できる言語(日本語)でやっている思考活動を、その言語の後ろになんの経験も蓄積されていない英語で出来るようにするためには、膨大な量の英語の蓄積が必要です。 しかも、「意味の分かった英語」を蓄積させることが必要です。 (石渡さんの言うような「日本語に訳さないで英語を言う」つまり、意味の分からない英語をいくら言っても脳は働かないのです。) 「日本語に訳さないで英語を言う」くらいのことでは、頭の中に新しい英語の思考回路は出来ません。 そんなことで英語で考えるようにはならないのです。 「英語で考える指導法」を今後も提唱されるのでしたら、ご自分でフランス語だけでフランス語を習得して、その学習記録を公開してください。  それが出来ないのでしたら、石渡さんが主張した「日本語訳は害になる」これを訂正していただきたいと思います。    学業や仕事で使う英語は「習うより慣れろ」では習得できません。英語は「習ってから慣れないと習得できません」。その「習ってから」の部分に日本語がいるのです。  私の子供たちは全文和訳でバイリンガルになりましたので、「日本語訳は害になる」は明らかに間違いです。(2019年8月1日) 石渡氏は、ご自分の主張「日本語訳は害になる」が間違いであったと認め、訂正してください。石渡氏におかれましては、迅速に英語教育にかかわる人々に明確にわかる方法で、間違いの訂正を行ってくださいますようお願いいたします。 そうすれば、もう、中学生も、高校生も「英語で授業」の犠牲になることはありません。よろしくお願いいたします。   ちなみに、私は2011年から447個のブログを書いていますが、はてなブログについているアクセス解析を見ると最近は「英語の思考活動」の後に書いた「松本亨氏が提唱した「英語で考える指導法」はインプットをさせないでアウトプットだけをさせる方法 英語学習者が実際にはできない机上の空論でした」というブログが、アクセスの10位以内にいつも入っています。 石渡さんが思っているよりたくさんの人が松本亨氏の「英語で考える指導法」は間違っていた、と知っていると思います。 「英語学習者を簡単にだませる」と思わないほうがいいです。 自分は他人をうまくだましていると思っていても、実は、みんな本当のことを知っている場合もあります。「英語で考えるには そのヒケツと練習」(松本亨著)という赤い本も私が上記のブログを書いた後に絶版になっています。    私のブログはそんなにアクセス数が多いわけではありませんが、私が「この英語指導の方法はだめです。」と書いたことは、たいてい皆さん、もうおっしゃらなくなりますね。  以前は、「ヨーロッパの国でこういう英語の早期教育が行われている」(だから日本も参考にすべき)と書いている方はたくさんいらっしゃいましたけれど、今はほとんどいらっしゃいません。 また、CAN-DOリストを提唱する方も最近はあまり見ませんし。  文部科学省も、数年前「英語で授業」をあれだけ華々しく打ち上げましたけれど、あの華々しさはもうどこにもありませんね。(「英語で授業」は英語教育改革失敗の象徴です) 私は肩書もない、なんのお墨付きもない、一英語教師ですけど、私が「この指導法はだめです。」と書いたことは、たいていもう主張されなくなりましたね。(「2018年ごろまでにはそうなる」ということは、こちらのブログに書いた外国人の方から、1999年に言われていました。 「2018年ごろまでには仕事の分野で最も高い領域にいる」と言われました。 ただ、何の仕事の分野でそうなるのかは言ってくださらなかったのでわかりませんでした。 当時は子育てとご飯を作ることで忙しかったので、「将来、お料理の本でも書くのかなあ」と思いました。 英語教育の分野だったのですね。 私がそう思う理由は3つあります。(1)私が自分の子供たちが、ゼロからバイリンガルになる過程を小学校、中学校、高校、すべての段階で毎日見てきたことと、(2)私自身が中学時代、学校の勉強の一環として、自分で発音習得した経験があったことだと思います。 この2つをした経験のある英語教育の専門家は日本には一人もいないと思います。 私が特に、首をかしげたくなるのは、中学時代に学校の勉強の一環として発音習得をしたこともない人が、「日本人の英語を通じるようにする英語教育改革の方針を決めていること」でした。  これじゃあ、間違った方針が決められて、英語教育改革が失敗するのは当然だと思いました。 もう一つは(3)日本人の発音が通じない理由を私が自分の耳で聞き取れるようになったことだと思います。 私が、日本語の子音の長さと英語の子音の長さの違いが聞き取れるからだと思います。  英語教育の専門家でも、日本語の子音で英語の子音を代用して話している人はたくさんいます。 というか、ほとんどの方がそうですね。  この11年、盗作、隠ぺい、妨害など様々な不正行為を受けてきました。「やめてください」といくらお願いしてもやめてもらえず、つらくて、どうしようもないときは、2018年まで我慢してみよう、と思いました。 20年前に「2018年ごろまでには、仕事の分野で最も高い領域にいる」と聞いていなかったら、おそらく私は今日まで一人で持ちこたえることはできなかっただろうと思います。(10年以上にわたって、不正行為を受け続けるというのは、やはり、とてもつらいものがあります。Amazonでのランキングの妨害はもう4年目に入りました。やめていただきたいです。) その外国人の方は、別れるときに心配そうに私を見ていました。なんで、そんなに心配そうに私を見るのか、その時の私にはわかりませんでした。 でも、この10年を振り返ると「この女性がそれに耐えられるか」と思っていたのでしょうね。 この外国人の方が私に対していったことは、私には全く根拠が分からないことですので、多くの人が読むブログにこういうことを書くことがいいことかどうか、時々迷いました。 それで、アメリカにいた親友が日本に帰ってきたときに、「そういうことをブログに書くことをどう思う?」と聞いたことがありました。 そうしたら、彼女が「私は典子からその話はずっと前から聞いていたから、何とも思わないよ。普通。」と言いました。 彼女には1999年11月にそういわれた直後、そのことを話していました。  彼女がそう言ったので、「私が3つのことを繰り返し書く理由」というブログもアップしたまま、今日まで来ました。) 私が「この英語指導の方法はだめです。」とブログに書いたことはたいてい提唱されなくなるのは、きっと英語教育を真剣に考えている方々が読んでいるからだろうと思っています。 そういえば、「大学教育を英語で行うこと」も数年前までは、よく新聞で著名な方にインタビューする形で特集されていました(ノーベル賞を受賞した方で、大学教育は英語で行うべきだと力説していた方もいました)けれど、最近は全く言われなくなりましたね。 高校生まで、全く社会生活、家庭生活、その言語で何かを学んだことのない言語で、大学レベルの学問はできません。
 

石渡誠氏は、「日本語訳が害になる」が間違いだと結局認めることはしませんでした。(8月6日) 生徒に真実を伝えず騙し通すと決めている石渡氏が、「人の心を動かすスピーチの顔の表情やアイコンタクト、ボディーランゲージなどを学校で教える」  石渡氏の考えている教育というのはそういうものなのですね。生徒のこともスピーチを聞く人のことも馬鹿にしている。 石渡氏は「彼らは嘘にも気づかない人間」だと思っているのですね。 「英語で考える」 詐欺指導法をこれからも継承していくと公言してはばからない人は、もう教師というより詐欺師でしょう。 詐欺師が教える「人の心を動かすスピーチの仕方」とは何なのですか。騙しのテクニックですか。  裏で、文部科学省を騙して、日本中の高校生に詐欺指導法をさせていても、舞台の上で、両手を広げてスピーチをすれば、人を感動させられると、教えることですか。 随分スピーチを聞く人を馬鹿にしているのですね。 英語でしゃべれば、そんなことは分かりはしない、とでも思っているのですか。  50年も日本人を騙して、生徒から車を売るほどのお金を搾(しぼ)り取ってきて、まだ足りませんか。 石渡氏は、これ以上、日本人を騙してまだ、お金儲けをしたいですか。 石渡氏の詐欺指導法のせいで日本中の中学生、高校生が犠牲になっているのですよ。 50年も日本人を騙しておきながら、まだ足りないというのなら、石渡氏はどこまで厚顔無恥なんですか。 石渡氏は自分のお金儲けのために、子供達まで犠牲にしてもまだ平気なんですか。 子供は大人の決めたことに文句は言えません。 それをいいことにこれだけ子供たちを犠牲にしておきながら、「これからも詐欺指導法を続けていく」と公言するなど、何も言えない子供を踏みつけにする卑劣なやり方です。 おそらく「これからも嘘を教える」「これからも詐欺をしていく」と公言する教師は法律で教育活動をすることは許されないのではないですか。詐欺は犯罪ですから、石渡氏の言っていることは「これからも犯罪をしていく」ということです。 「犯罪をする意志」を明確にしている以上、石渡氏は教育界から退いて下さい。 「英語が上手になりたい」という人々の気持ちにつけ込んで詐欺商法をする石渡氏のしていることは公共の利益に反します。 日本の英語教育改革が失敗した原因は「英語で授業」です。 これを学校教育にもちこんだのは、石渡誠氏です。 「英語で授業」という詐欺指導法のせいで、日本中の高校生が何年にも渡って大きな被害を受けました。 これだけのマイナスを日本の社会にまき散らし、なおかつ「これからも詐欺指導法を提唱していく」と公言してはばからない石渡誠氏はもう、教育界から退いて下さい。 これ以上英語教育を詐欺の道具にしないでください。    日本人を50年も騙してきて、これからも騙して商売して行くと言いきる石渡氏には、もう「人を騙すことが悪いことだ」という意識もないのですね。20年以上、人を騙して生計を立ててきたから「悪いことだ」という意識もないのですね。「被害を受けたのが、大人に何も言えない子供たちだから、知らんぷりして続けよう」などというのは弱い立場の子供を踏みつけにする卑劣なやり方です。 (裏で、卑劣なことをやっていても、人の心を動かすスピーチのアイコンタクトやボディーランゲージは教えられるのですね。)   生徒のスピーチにやたら、「感動」「感動」と言ってますけど、石渡さんは、その生徒たちを今も騙(だま)しているんですよ。「英語で考える指導法をこれからも続けていく」と言って。  騙(だま)している生徒のスピーチを「感動」「感動」と言って自分の学校の宣伝に使う。「詐欺から出発している教育を顔色一つ変えずに生徒を使って宣伝する」「詐欺と分かっている指導法を顔色一つ変えずに舞台の上で英語をしゃべって宣伝する」 教育者として最低です。)  「日本中の中学生、高校生を犠牲にしても知らんぷり」「これからも詐欺指導法を提唱すると公言してはばからない」石渡氏のしていることは、教育者として最低です。 教師というより詐欺師でしょう。 詐欺師(犯罪者)が、教師として生徒の前に立つことなど、絶対に許されないことです。 石渡氏は教師として働きたいなら、まず、犯罪である詐欺指導法の提唱をやめるべきです。 犯罪者でありながら教師として生徒の前に立つことなど絶対に許されないことです。 私は中学生や高校生が、石渡氏の詐欺指導法(犯罪)の犠牲になるのを黙って見ていられませんでした。(もう数年前になりますけれど、私が初めて石渡氏のブログを読み始めたころ、高校を卒業した石渡氏が松本英語学校に入学を決めた時の話が載っていました。 「お金がない」と石渡氏が相談すると森先生から「働け」といわれた、という話でした。 それで、石渡氏は働きながら学校に通った、と書いてありました。  今、どこを探してもその個所は見つかりませんでした。 でも、確かにそういう話が書いてありました。 読んだとき、あまりの衝撃に忘れられませんでした。 「そんなことをさせるなんて未成年者を自分の学校の利益のために労働させているようなものだ」と思いました。 (今は18歳は大人の扱いですね) 今は書いていない、ということは削除されたのでしょうね。 教育者としてひどすぎますから。 松本亨さんの学校は随分ひどい学校経営をしていたのだと思いました。)

(2)文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 は全く効果がない。 (理由は2017年10月12日のブログ)
(3)現在、高校生が行っている「英語で授業」は効果がない。  (理由はこちら
(4)「CAN-DOリスト」は効果がない。 (理由はこちら
(5)「4技能」は効果がない。  (理由はこちらこちら
(6)入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの(理由はこちら
(7)現在、小学校の英語教育で子供たちが話しているのは、英語の発音ではない。 (理由はこちら

(8)大学教育を英語で行うと日本の学問は壊滅的な打撃を受ける。 (理由はこちら


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朝日新聞の記事「英語をたどって8:2「英語で授業」本当の意味は」に載っている松本茂氏の授業例は実際には高校生にはできない授業でした。 「実際にはできない授業」をあたかも出来るかのように新聞に掲載して日本語で授業をする高校の先生を批判するのは公平な新聞記事の書き方ではないと思います。 読んだ人は、高校の先生方が英語で授業をしないのが悪いと思ってしまいます。 記事の冒頭に「分詞構文がどうこう」と教師が日本語で説明する、従来型そのもの。同行の見学者が「これは日本語の授業か」とつぶやいた」と書いてありますが、日本の高校生が唯一理解できる言語は日本語なのですから、先生方が日本語で教えるのは当然です。 理解できない言葉で授業をしたら、どうなるのかもこの同行者はわからないのでしょうか。 こういう認識で英語教育改革をやっているから間違った方針ばかり出してくるのです。英語で授業をしていたら、今頃高校生の英語力はボロボロになっていたでしょう。 それを食い止めて下さったのが日本語で教えてくれていた高校の先生方です。 それなのに新聞記事でこういう批判をするのは公平ではないと思います。 「日本語で教えてもわからない生徒がいるのに、英語でどうやって教えるのだ」という現場の先生方の苦悩には一切触れず、いかにも「英語で授業」を提唱する松本茂氏が正しくて、日本語で授業をする高校の先生方が悪いような記事の書き方です。 これは公平な新聞記事の書き方ではありません。 松本茂氏は、ディベートのご指導もされていますね。でしたら自分もできない授業を根拠に先生方を批判するのは正当なやり方ではないとお分かりになるでしょう。 「英語で授業」が正しくて日本語で授業をする先生方が悪い」もう一度、このことが真実かどうか多くの人に考えていただきたいと思います。  無意識にそう信じていたら、子供たちの英語力を本当に上げる英語教育改革はできません。

だから私は、「英語で考える指導法」「英語を英語で理解する指導法」は単なる松本亨氏の勘違いであり、間違った指導法であったと英語学校FORWARD石渡誠氏が正式に認めることが必要だと思っています。  50年にも渡って、松本亨氏と石渡誠氏によって「日本語訳は害になる」「英語を英語で理解する(不可能)」などと提唱されてきたことによるマイナスは計り知れないです。松本亨氏と石渡誠氏によるこの提唱は日本の英語教育を現在も大きくゆがめています。  日本語が母国語である初級者中級者には、絶対に日本語訳が必要なのです。  日本語訳と一緒に英語を覚えないと、彼らは自分の言いたいことを英語にすることもできないのです。 初級者中級者に日本語訳を教えなかったら、彼らは自分の言いたいことを英語でしゃべることはできません。 それでもいいのですか。 「英語オンリーにすれば英語力が上がる」などという思い込みはもう一度見直していただきたいのです。 「英語で授業」が正しくて日本語で授業をするのが悪い」こういうことを提唱している方は、自分の言っていることが日本の英語教育の大きな障害になっている事を知ってください。  そういうことを提唱するなら、自分が日本語訳を一切使わず、ロシア語でもドイツ語でも結構ですから、習得してその学習記録を公開してください。  それが出来ない人は、一切「英語で授業」などと提唱することはやめてください。  一日一時間英語で授業をすれば生徒が英語が分かるようになる、などということはありません。  もし、その方式をとるのであれば、一日7時間英語で授業をやって2年たたないと生徒は英語のまま理解するようにはなりません。 松本茂氏はそういうこともご存じないですね。  しかも、その場合でも、帰宅したら、その日の授業内容は全部和訳して生徒に理解させなければ、生徒は2年後英語のまま理解できるようにはなりません。「英語で授業」は松本茂氏が頭の中で考えているほど簡単なことではありません。  子供にとっては、使ったことのない言語で言われたことなんて、「何にも教えてもらっていない」のと同じことなのです。 子供にはその時間だけ使われた言語(外国語)で言われたことなんて頭の中に深く入っていくことはできないのです。 子供にとっての言語というのは、コンピューターゲームの言語設定とは違います。  言語設定を「日本語」から「英語」に変えたら、その瞬間から英語が日本語(母国語)のように使えるわけではないのです。  使っていない言語で言われたことなんて、子供の頭の中深くに入っていきません。  当然でしょう。  生まれた時から自分の周りで使われてきた日本語とは違うのです。  英語は子供たちの体の中でまだ言語として機能していない言葉なのです。  「言語として機能する」とはどういうことかといえば、「英語を聞いた瞬間にイメージが広がる」とか「思考活動が始まる(英語で考え始める)」とか、そういう言葉になっていない、ということです。  だから英語で授業をやっても教えたことは何も定着しないのです。 松本茂氏はそういうこともご存じないですね。  ご存じないことを「英語教育改革」の方針として提唱するのはおやめになることです。     現場の先生方もお困りになりますし、授業を受ける生徒達もかわいそうです。 (今の英語教育改革は生徒がかわいそうなことばっかりです。よくわからない英語で授業をしろと言われ、学校で教えてもらってもいないスピーキングのテストをされて。本当に生徒がかわいそうです。  松本茂氏が頭の中で考えているほど日本での英語習得は簡単な話ではありません。松本茂氏がお書きになった本「生徒を変えるコミュニケーション活動」の中に書かれているとおり中学校でやっていたら、生徒の発音はボロボロになる - 現実の日本での英語習得はそういう世界です。 松本茂氏は中学時代に学校の勉強の一環として発音習得をした経験がないからお分かりにならないでしょう。 松本茂氏が頭の中で考えているほど日本での英語習得は簡単な話ではありません。  よくご存じでないことは提唱なさらないほうがいいと思います。  「英語で授業」が正しくて日本語で授業をするのが悪い」この思い込みをもう一度見直していただきたいと思います。



渡米して数か月たったころ、ESLクラス(英語が母国語でない子供のクラス。一日そのクラスにいるわけではなく多くの科目は自分のクラスに戻って授業を受けます。)にいた娘が言いました。「今日ね、5年生の女の子がESLクラスに入ってきたんだよ。マリアナちゃんっていうんだ。 おうちではスペイン語を話しているみたい。」同じ学年の女の子が入ってきて、うれしかったのでしょうね。  でも、それからしばらくして、娘が「今日、マリアナちゃん、泣いていた。」といいました。  またしばらくしたら、「マリアナちゃん、今日も泣いていた。」といっていました。  言葉が分からない、というのが大変なことは娘もわかっていましたから、心配していたのでしょうね。  それからしばらくして、「マリアナちゃん、学校に来なくなった。」といいました。 娘はさみしそうでした。  子供だから、英語だけの環境に入れられて、自然に英語が分かるようになるわけではありません。  日本で生活している子供たちには子供が分かるように日本語で教えるのが学校の授業でしょう。  「英語に慣れさせるために英語で授業をする」なんて言ってますけど、その程度の量の英語を聞いたって、英語に慣れはしません。  慣れさせるのなら、(中学生の場合だったら)毎日家庭学習で、典型的な文章を正しい発音で何十回も発音させることですね。 耳の中に音が残るくらい。 日本人の英語力が上がらなかったのは、日本語を使って英語を教えたからではありません。 それは、松本亨氏の単なる勘違いです。  本当の理由は大学生の段階で英語の大量のインプットをしなかったからです。  問題の原因を誤って特定すると、本当は最も学習者にとって必要なことが排除されるような教育方法が提唱されることになります。  そこをきちんと見抜いてください。  重ねて皆さんに、申し上げますね。  私の子供たちは全文和訳でバイリンガルになりました。  日本語訳は決して高い英語力を持つ障害にはなりません。  障害どころか学習者が分かる言葉できちんと基本を教えることが強固な英語力の基礎を作ります。  日本人がヨーロッパの人々のように簡単に英語を習得できないのは母国語の性質上仕方のないことです。 時間がかかっても生徒が困難だと感じることを一つ一つ教えて、正しい発音で言いたいことをスラスラ話せるようにして社会に送り出してあげればいいことです。 「日本語訳を使わないで」「英語で授業をすれば」その瞬間に子供の英語力が上がるわけではありません。そういうやり方では、現実には子供は何も習得していません。「英語学習の階段」の一番下にいる子供に、「英語学習の階段」の一番上にいる上級者と同じことをやらせても、子供たちは階段の一番下にいることに変わりはないのです。  その証拠にそういう授業をして、生徒が自分の言いたいことを正しい発音でスラスラ話しだしたことがありますか?  英語でしゃべっているのは教師だけでしょう。 松本茂氏の提唱する授業をして、高校生が開発か自然保護か正しい発音で英語でスラスラ意見を述べるようにはなりません。  日本語で英語を教えることを悪いことだと思わないでください。 松本亨氏や石渡誠氏が提唱する「英語を英語で理解する指導法」など、現実には全く存在しない指導法です。 だから詐欺指導法の提唱はおやめください、と言っているのです。



ちなみにこちらは小笠原諸島の貴重な自然について書かれたフランス語の記事です。 これを読んで、和訳しないで、意味が分かってフランス語で意見が言えますか。  皆さんは英語をすでに学んでいますから英語ならそれが出来ると思ってしまいますけど、子供にとってこれから学ぶ英語というのは、大人にとって、「まだ学んでいないフランス語」と同じです。 子供にとっては、よくわからない言語なのです。 理解できる母国語で文法事項(分詞構文など)も説明してもらえないで授業を受けている子供の気持ち(つまり、よくわからない言語で授業をされる子供の気持ち)が分からなかったら、フランス語でフランス語を教えるクラスに自分が出席しているところを想像すれば、わかります。
「英語で考える指導法」を提唱する人たちは、「学ぶ時に日本語を使ってはいけない」「和訳しないで英語(フランス語)のまま読んでいれば意味もニュアンスもわかる」といいますけれど、実際には、読んでも何もわからないのではないですか。(英語と似ている単語はわかりますけど)  言語の横列のところにあるフランス語の2つ隣にあるRusseをクリックするとロシア語が出てきます。  これはもう全然わかりませんね。  こういう言語で何を教えても全く子供の頭に定着しません。 例え、意味が分かったとしても、日常使っていない言葉で習ったことなど、子供の頭の中には全く定着しません。  

体になじんでいない言語で授業を受けなければならない子供の気持ちなんて、石渡誠氏にも有識者会議の松本茂氏にもわからないのでしょうね。