川合典子 ブログ

英語教育、英語学習、発音習得、帰国子女の言語習得について書いています。

「長谷部剛社長の日本経済新聞社」は啓蒙を装い生成AIを間違った記事の正当化に使う。国立情報学研究所(所長喜連川優)は下村博文制作「新井紀子の劇場型詐欺」の母体(本文水色の下に記載):東京都教育委員新井紀子は子供を罠にはめるテストを読解力を科学的に測るテストと学校を騙して売る:文科省は新井紀子を表彰:ベネッセは調査協力。東洋経済新報社出版の新井氏の本は詐欺の道具:騙された新聞テレビが話題にする:こうして政治家と業者は嘘の情報で国民を取り囲み誘導する

1/29私のDVDを教室で発音指導に使いたいという先生はどうぞ無料でお使い下さい。中学生でもわかるやさしい説明です(私のDVDは図書館で貸し出しも出来ます)私は中学時代「学校の勉強の一環として」英語発音を習得した日本で唯一人の英語教育の専門家です。
吉田研作教授(資料文中座長は吉田研作:現英検会長)、松本茂教授東進ハイスクール安河内哲也氏は「日本で「英語で授業」を何年やったらどういう効果が出るか」そのデータをお持ちですか?日本で「英語で授業」は効果がないのでデータはないでしょう。実証データもなく日本中にやらせて教育現場に莫大な損失を与えた責任を彼らは取らないのですか?私が2023年10月1日にこのブログの紫色部分に書いた指導法は開始から2年で生徒は正しい発音で基本の英文をすらすら言える様になります。中学3年間続けると生徒の4技能の基礎は確立します。相当な練習量ですから。「発音・文の形」の基礎が習得できていない状態で何をやらせても無駄です。 英語は相当練習しないとしゃべれません(英語学習の常識)。吉田氏松本氏安河内氏はご存じありませんか?
(次の部分は私事ですので、興味のない方はこの下の赤い字の部分「生成AIを間違った記事の正当化に使う長谷部剛社長の日本経済新聞社」の部分に進んでください)
私は心臓に問題が見つかり休養します。松澤喜好の盗作を隠す為にKADOKAWAと松澤が私にしてきた事は、15年間真綿で私の首を絞めてきた事と同じです。松澤とKADOKAWAは盗作の被害者に危害を加えているのと同じです。 15年もそんなことをされたら、誰だって心身にダメージを受けるでしょう。   松澤に盗作された頃、娘がよくテレビのサスペンスを見ていました。その中に、作家志望や作曲家志望の若い人が作品を盗作されて自殺する話がありました。私は2つの話とも「あれはドラマだから自殺までするのだろう」と思っていました。でも、実際に自分が盗作されて、盗作した松澤がイタリア歌曲も歌えないのに「英語と声楽の分野が合体した初めての本だ」などと宣伝しているのを見ると耐え難かったです。 金になるベストセラーの著者なら出版社はアイデアを盗んだ事も承知で本を出版する。プロモーションもする。それを見ながら、私は「ドラマだから盗作の被害者は自殺するんじゃない」とわかりました。平気で英語耳ボイトレを売る松澤に現実の世界の汚い部分を見せつけられるようでした。「世の中に真実なんか関係ない。金が儲かるように強いものがいいようにする。邪魔(じゃま)な弱い者はつぶせばいい」(これがKADOKAWAの【企業倫理】ですね)そんな事を毎日見せつけられたら、盗作された被害者は自殺だってするでしょう。それでなくても被害者は悲しみに打ちひしがれて夜もよく眠れないし、食事も満足に食べられないし、普通の精神状態じゃないですから。今でこそこうやってブログに書けば読んでくださる方もいるけど、当時、結婚して家庭に入っていた私には何もできなかった。 泣いて、泣いて、泣き寝入りのまま自分には二度と心の底から笑える日なんか来ないんだと思った。 エンターテインメントの会社だっていうけど、人を死に押しやる企業(KADOKAWA)なんか存在自体が害悪だ。私は娘が高校生だったから死ぬわけにはいかなかったけれど、もう二度と心から笑える日なんか自分にはこないと思っていた。 あまりにも理不尽だった。私が何をしたっていうの? 金が儲かるベストセラーの著者が盗作したのを隠すためなら、何の関係もない私の人生はめちゃくちゃにしていいの?そんな身勝手な理由で15年も私の人生をめちゃくちゃにするの? 出版社なんだから盗作の始末のつけ方くらい知ってるでしょう。著作権法に「アイデアは盗んではいけない」と書いてないから松澤のしたことは悪くない」と思っているなら、私を妨害する必要はないでしょう。社会に対しても「アイデアは盗んだけど、著作権法では罰せられない」とはっきり言えばいいでしょう。(それを社会が受け入れるかどうか知りませんけど)  アイデアを盗んだことが悪いことだと思っているから私を妨害するんでしょう。 盗みは悪いにきまっているでしょう。みんなが他人のアイデア盗んで本を出していたら、世の中はめちゃくちゃになります。KADOKAWAは盗んではいけないもののリストがないと、盗みをしていいか悪いかもわかりませんか? 2008年、みんなから「盗作だ」と批判された松澤はHPでこう言っていた。(著作権法ではアイデアを盗むのは盗作の規定にないから)「私も自信を持とう」って。 私は迷惑な自信だと思ったけれど、自信を持っているなら盗まれた被害者の妨害なんかしなければいいでしょう。 堂々と「自信をもって」「アイデアは盗んだけれど著作権法では罪にならない」といえばいいでしょう。何も陰で15年も自分が盗作した被害者を妨害しなくたっていいでしょう。    (イタリア歌曲も歌えない、つまり声楽の発声法も知らない松澤が「声楽の発声と英語の発声に類似点がある」などという本を出版すること自体、アイデアを他人から盗んだと言っているようなものです。 声楽は専門技術です。歌えない人間に指導法がわかる分野ではありません。私は、声楽は高校生の時から始め、40年以上指導を受けて歌ってきました。娘のピアノの発表会の時に、先生が「川合さん、舞台で歌わない?」と声をかけてくださったので、プッチーニのオペラ「蝶々夫人」(Madama Butterfly)の「ある晴れた日に」(Un bel di vedremo)(こちらのアリアです)を市民会館の大ホールで歌ったこともあります。声楽を趣味でする人は多いけれど、大ホールに十分響く「蝶々夫人」の「ある晴れた日に」を歌える人はそんなにいません。 藤原歌劇団のプリマの方が教えてくださるアマチュアの講座に出席した時、「あなたの歌は人に聞かせられるレベルね」と言われました。イタリア歌曲も歌えない松澤とは私の声楽のキャリア(職業ではないけれど、積み重ねてきた技能という意味)は全然違います。子供たちが学校に行っていたころはとてもピアノの前で練習している時間はなかったから、オペラのCDを買って、料理しながら、洗い物をしながら、朝から晩まで曲を聞いて、歌を覚えて練習しました。まさに寸暇を惜しんで練習して40年声楽を続けてきました。その結果わかったことを何の努力もしていない松澤が横から来て盗んで本を出版し、「声楽と英語の分野が合体した初めての本だ」と宣伝していた。出版社も盗作だと承知でベストセラーの著者だから出版し、本当の提唱者が邪魔だから15年たった今も妨害する。ひどいと思いませんか。      英語発音に関しても私は40年練習してきました。中学時代一日2時間、音声モデルと自分の発音を聞き比べて直すという方法で、2年間毎日練習して英語発音を身に着けました。その後津田塾大学で英語教育を学び、中学校の英語教師、外資系勤務を経て、夫の赴任で合計10年のアメリカ生活も経験しました。その時は自分の子供たちが小学校、中学校、高校のすべての段階でゼロからバイリンガルになる過程を宿題を一緒にしながらつぶさに観察しました。 具体的にどのように英語の授業内容を子供たちに理解させたかは化学と地理や地学の例を挙げてこちらのブログに書いてあります。 その間、自分の英語学習も続けてきました。 発音練習も 「家に帰ってきてまで英語を聞きたくない」と息子が言ったので、日曜日はガレージの車の中でしました。 こういう40年の声楽と英語の経験があるから2つの発声法の類似点もわかるようになりました。オペラどころかイタリア歌曲も歌えない松澤とは私の声楽のキャリアは全然違います。英語教育を大学で学んでいない松澤とは私の英語教育者としての専門性も全然違います。松澤とKADOKAWAは、寸暇を惜しんで40年努力してきた人が分かったことを盗んで本を出版する自分たちをあさましいとは思いませんか。その上、盗んだもので「濡れ手で粟」のような楽な金儲けの邪魔になるから被害者を妨害する自分たちをひどいとは思いませんか。(40年の努力を盗んでいったのは松澤だけではありませんでした。「英語喉」の上川一秋も「子音の日本語化」を盗んでネット上で提唱していました。こちらは読者の皆さんがやめさせてくださいました。とてもありがたかったです。著作権法に規定がなくても二人の盗作者がそれぞれ「まったく悪いことはしてません」という顔で盗んだことを提唱するので、信じられなかったです。ブログもよく盗作されました。Yahooに削除を2度も求めたって、無名の人間の要請なんか、まったく聞いてもらえなかった。私はまるで、ネットの世界でハゲタカに食い尽くされる動物の子供みたいだった。 二度目の盗作被害は助けてくれる人がいたから、私は救われました。私のブログをいくつも盗作していた人のブログは「書いている人も特定できず困っています」と私が言った後、読者の皆さんがやめさせてくださいました。とてもありがたかったです。また「川合典子さんに学ぶ~~」のようなタイトルのブログもありました。私は検索に出てくるその人が書く一つ一つのブログの題名を見ていただけですが、松澤喜好の名前が題名にあって、その学習法を紹介する内容のようなブログもありましたので、「私の名前は使わないでほしい」と思っていたら、そのうちそのブログもなくなりました。たぶん、これも読者の皆さんがやめさせてくださったのだと思っています。私の名前で検索するとすぐ松澤喜好の名前と指導法が出てくるって、あまりにも露骨で不自然だった。(この人のページは前に私のブログを盗作していた人とデザインが酷似していましたので、私はいやな感じがして一度しか見ませんでした。) 私は松澤が勧めるように歌で発音を学んだのではありませんから私と松澤の指導法は無関係です。私は【普通の文】で発音を学びました。歌う時の口の形は制約を受けますので、文をしゃべるときとは少し違った形になります。基本の発音は文で学びます。それならイントネーションやリズムも身に着けられます。子音の日本語化も直せます。歌ですと一曲の時間が長いですから、私のように200回も300回も録音して自分の発音をチェックする人はいないでしょう。その結果、子音の日本語化にも気づけません) KADOKAWAが「盗作」「妨害」とこれほど被害者を苦しめても平然としているのは「アイデアの盗作は著作権法では絶対に罰せられない」と高を括っているからでしょう。でも、KADOKAWAは読者や世の中の人々の目をそんなに馬鹿にしていいんでしょうか? そういう人たちはKADOKAWAのビジネスを支えてくれる顧客でしょう? 一般の人は汚い手段を嫌います。人の40年の努力の成果を盗んで本を出版して、それがばれないように盗んだ被害者を妨害する人を見て、爽快な気分になる人はいないでしょう。それから「アイデアの盗作」は「著作権法で罪にならない」と逃げても、その後の妨害は正当化できません。 それも証拠がないと逃げますか? あの時なぜ私の本だけ送料を有料(599円)にしたのかアマゾンに聞いたって、アマゾンが答えるわけありませんから。 アイデアを盗んでも著作権法では罰せられない、妨害をしても物的証拠がないから知らぬふり。 「不正行為は世の中の人にわからないようにやればいい」これもKADOKAWAの【企業倫理】ですね。普通、「倫理」というのは「人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な基準となるもの(大辞泉)」を言いますけれど、KADOKAWAでは、会社に都合のいいことが【企業倫理】のように見えます。「不正行為は世の中の人にわからないようにやればいい」「邪魔な弱いものはつぶせばいい」は、まるで反社会的勢力の【企業倫理】みたいですけど。)一番いいのは、松澤が自分のホームページに「英語の発声法」と「声楽の発声法」を自分でやって、公開することです。 その2つの音声を公開できたら、私を妨害する必要はないです。 Nessun dormaを歌ってみれば?パバロッティほどうまく歌えなくてもいいから。(1分7秒経過したところのメロディーは素敵ですから)ただし、実技はその実技をやっていない者には絶対できません。 松澤には「英語の発声法」も「声楽の発声法」もできない。 だからホームページで公開することもできないでしょう。「公開できない」と言うその事実そのものが、「松澤はアイデアを盗んで本を書いた」という証明です。 松澤は「英語の発声法」も「声楽の発声法」もできない。

もしあの時、女性のキャリア指導をしていた方から出版を勧められなかったら私は精神的に立ち直れなかったと思います。朝ごはんだって、家族が出勤(登校)した後一人で泣きながら食べていました。(泣くばっかりでほとんど食べられなかったけど)夜も泣いたまま寝るからよく眠れなかった。そんなときも松澤は「声楽と英語の分野が合体した初めての本だ」と「英語耳ボイトレ」を堂々と宣伝していた。出版社も「編集長との対話」とかいろんな企画をしてベストセラーの著者の新しい本を華々しく宣伝していた。ベストセラーの著者と出版社相手に、盗作された主婦に何ができる? そういうのを見せつけられるたびに「これが世の中の本当の姿なんだ」と私は頭を殴られるようだった。「あれは40年寸暇を惜しんで声楽と英語を勉強してきた私が気づいたことだった。それを2003年に松澤の掲示板に書いたら、松澤がそれを盗んで本を出版したの。それなのにこの宣伝の仕方は何なの? 松澤はオペラはおろかイタリア歌曲も歌えないのに。松澤は「英語の発声法」も「声楽の発声法」もできないのにこの宣伝の仕方は何なの? 出版社ってこういう事を平気でするの?」これじゃあ盗んだ著者と一緒に出版社も泥棒やっているのと同じでしょ? すごくショックだった。。。あの頃は、出版社って公共性の高い仕事をする会社だと思っていたから。まさか出版社が盗作を承知で本を出すなんて思わなかった。でも、読者から盗作だと批判されて、出版社が出版2ヶ月後に本の題名を「ボイストレーニング」から「英語耳ボイトレ」に変え、表紙を「英語耳」と色違いで同じデザインに変えて「この本は英語耳シリーズの一つで英語耳の著者、松澤喜好のアイデアで書かれたものだ」と強調するのを見た時、出版社は盗作だと知っていると確信した。本当の提唱者が無名の主婦だから簡単につぶせると思っているのも露骨ですぐ分かった。 でも読者の方々はそんな隠ぺい工作には騙されなかった。私が無名の主婦でも、ちゃんと事実を見てくださいました。 松澤と出版社のあれだけの宣伝活動があっても事実をきちんと見てくださいました。 松澤と出版社が思っているより読者の方々は「英語」そのものについてよく知っています(例えば音質の違いは聞けばお分かりになりますし)、「英語学習」についても相当よく知っています。松澤と出版社は読者を相当見くびっていました。もう誰も松澤の掲示板には書き込まなくなり、掲示板は荒れに荒れて閉鎖になりました。当時のコピーを見ると松澤に「恥を知れ(Shame on you.)」と書き込んだ人もいました。出版社は読者から「恥を知れ」と言われるような出版の仕方はおやめになることです。盗んだアイデアで本を出版したり、本当のことを隠すため無名の人間をつぶそうとしたりしないことです。今もやっていますよね。 私はこれだけしつこく私を葬ろうとする、という事は盗作以外に何か理由があるのだろうか、と思う事があります。 例えば、以前私はアマゾンで私の本だけ送料を有料(599円)にされたことがあります。 誰でも自分の利益にならないことはやりません。アマゾンが私の本の送料を有料にしても何の利益もありません。 それで私は「誰かから金銭をもらって私の本の送料を有料にするよう頼まれたのですか?」とアマゾンにブログで聞いたことがあります。 アマゾンの回答はありませんでした。(その数時間後送料は無料にもどりました) でも、そういうことを追求されると困る人がKADOKAWAの中にいるのだろうか、と思う事があります。なぜなら、もしそうならこれは帳簿に載らない裏金だからです。 会計書類に虚偽の記載をすることは、私の「盗作の被害」とは全然次元の違う犯罪になります。企業はお金の使い方については株主に対する責任もありますので。 「裏金」だけでも問題なのに、もし、これがプライム上場企業の内部の人間が裏金を「盗作の隠蔽」に使っていたのだとしたら、さらに問題でしょう。もしそうなら、その裏金を使った人は自分の地位を守るため、何が何でも裏金を使った事実などなかったことにしたいでしょう。私がいなかったら裏金など使わなかったことにできる。 私がいなくなるようにする為には私の本を極力人々の目にさらさない。松澤の英語耳のプロモーションをもっと活発にして「盗作」などなかったことにする。それが自分の地位を守る唯一の方法だと信じているでしょう。もしそうなら、KADOKAWAは裏金まで使って、会計に虚偽の記載までしてこういうことをする人を野放しにしているわけです。「企業に求められるコンプライアンスなんてKADOKAWAにはまったくない」という事です。「上の人間が違法行為をしても誰も止められない」東京オリンピックのスポンサーの問題もそういうKADOKAWAの体質から生まれたものですよね。そういう体質は今も変わらない。KADOKAWAでは、取締役の「善管注意義務」も全く守られていない。取締役が他の取締役の不適切な行為を監視・監督するいわゆる監視義務についても全く行わない。企業として「公正なビジネスを行う」という意識もない。  これまでもここに松澤のことを書いてから妨害をされていましたけれど、「裏金」のことを書いた途端、非常に激しい妨害に変わりましたので、やはり私が書いた通りのことが過去私に対して行われ、それが現在も続いているのですね。 もうその人が私を妨害する理由は「松澤の盗作」の問題ではなく、今まで私に自分がしてきた不正行為を隠ぺいする為にやっているのですね。その為にKADOKAWAのできることやKADOKAWAが持っているものを使っているわけです。松澤の英語耳を売れば売るほど盗作の話はかすむわけですから、英語耳を売ることがこの人の不正行為を隠ぺいして地位を守るためには、何よりも重要なことなんですね。この人は、KADOKAWAの社長の時に、「松澤が私を盗作した時の出版社」アスキーメディアワークスを組織変更で解体、消滅させた人ですね。 私は社長というのはきちんと盗作の責任を取らせる前に、そういう手法で「盗作した出版社の存在そのものを消す」のは、社長としてしてはいけない事ではないですか、とブログに書きました。なぜならアスキーメディアワークスは盗作本出版の2か月後に「本の表紙と題名を変える」という盗作の隠ぺい工作まで行っているわけですから非常に悪質だと私は思いました。 でも私がそう指摘して以来、ずっと私に対する妨害が続いています。もし、妨害しているのがKADOKAWAの前社長でないなら、「自分ではない」と公に、また出版社を通じて私にはっきりおっしゃればいいです。黙っているのであれば私の言った通りなのだと私は解釈致します。 その時は、ここにはっきりお名前を書かせていただくかもしれませんがご了承ください。              松澤喜好に盗作された2008年から16年たった今あの時と違うのは、あの時自分を「無名の主婦だ」と思い込んでいた私は、実は「中学時代、学校の勉強の一環として英語発音を習得した日本でただ一人の英語教育の専門家だった」という事が分かった事です。また「小学校中学校高校で子供がゼロからバイリンガルになる過程を毎日そばで2年間観察した日本で唯一人の英語教育の専門家だった」という事が分かった事です。そして大学教授たちが提唱した「英語で授業」はインド・ヨーロッパ語族とは異質な言語を話す日本の子供たちの英語力向上にはまったく役に立たないと証明したことです。欧米の英語教育法の受け売りは日本では何の役にも立たないと証明したことです。根拠(1) (2) (3) (4)はアメリカのESLの生徒には大量の英語インプットがあることです。 (余談ですが、松澤の掲示板に2003年英語の発声法のことを書いた時、真っ先に反論してきたのは後の「英語喉」提唱者上川一秋だった。「発声法なんか関係ありませんよ」って。でも上川は数年したら「喉」「喉」と騒いでいた。おまけに、私の本の出版が2010年だったから「発声法を言ったのは自分の方が早かった」みたいにブログに書いていた。「この本の出版は2010年なんだよね」って書いていた。上川はその6年後私の「子音の日本語化」を盗作する)  
あの時、私が彼女に会いに行った理由はわかりません。 ただ「どうしても私は彼女に会いに行かなければならない」と思って会いに行ったら「帰国して典子さんは今何をしているの?」と聞かれました。「アメリカで声楽を教えてくださった萩原先生が帰国されたので英語の歌を指導していただいています」とこたえたら、私の歌を聞いた彼女が「今は英語発音で苦労している方が多いので、川合さんの発音指導の本を出版しましょう」と言いました。その時のことはこちらのブログのピンクの部分に書いてあります。 2008年に盗作されたこともその後起こったことも1999年この外国人の方に言われたとおりでした。 もしこの先もこの外国人の方が言った通りになるのなら、うれしいですけど、それは未来のことだからわかりません。 でも、もし、そうなった時は、この妨害されてほとんどアクセスのないかわいそうなブログもたくさんの人に読んでもらえるでしょう。
(松澤喜好が私を盗作した時のことを書いたブログは毎日見ていた検索に突然出てこなくなりました。このブログは「松澤喜好とは」というはてなブログタグでは一番下に下げられています。ほかに3つのブログも下げられていますから、松澤喜好とKADOKAWAはその3つのブログも人々に読まれたくなかったのでしょうね。その3つのブログというのは①「無断引用」「無断使用」に関するお願い」。②「私が3つの事を繰り返し書く理由」。③「結末」はてなブログタグ「アスキー・メディアワークス」でも「7年前の出来事」と「無断引用」「無断使用」に関するお願い」のブログは一番下に下げられていますので、松澤とKADOKAWAはよほどこのブログを皆さんに読まれたくないのでしょうね。)

「自分にとって都合の悪いものはつぶせばいい」というのは日経もKADOKAWAと同じです。この記事は日経の英語教育に対する無知を証明する。生成AIをこじつけに使って日経は間違いを正当化する。人々がまだ生成AIをよく知らないという弱点に付け込んで、啓蒙のふりをして「生成AI出現で従来の指導法の見直しは不可避だ」と間違った記事を正当化する。指導法の間違いと生成AIは関係ない。何が出現しても間違った指導法(島田優子記者の記事)は間違っている。「英語の発音が耳に蓄積されていなければ正しい発音で話せない」という事は生成AIがあろうとなかろうと変わらない事実です。島田優子記者のお子さんは一年間アメリカの学校に通っていたのでしょう? だったら、一年間、毎日7時間学校で英語学習をしていたことと同じです。目の前に起こっていることを見ながら英語を聞いているわけですから。 一日7時間英語学習をしていた子供と日本にいる子供が同じ英語力になるわけないでしょう? 日経の長谷部剛社長はそれでも記事の間違いを認めない。「社長も承知で間違った記事を掲載する」長谷部剛社長の日経はいい加減な記事を掲載します。【こじつける=関係のない物事を無理に理由をつけ関係づける】(大辞泉
11/28/2023 日本の英語教育は文科省/大学教授の「欧米コンプレックス」(欧米の指導法は絶対正しい)、「日本人教師を蔑(さげす)む方針」で永遠に失敗する。欧米の教育団体は日本人の英語習得の研究はしていない(英語で授業?)中学卒業レベルで完璧な英語力のつけ方は10/1/2023記載分(紫色)「中学生のスピーキングテストは教科書を正しい発音で言えるように練習した生徒は全員100点が取れるテストでなければだめなの」をご覧下さい(生徒が自分の口で英文を言う量は「英語で授業」の何十倍、何百倍。「自分の口を動かして相当な回数英語を言わなければ英語は正しい発音で話せない」そんなこと世間にたくさんいらっしゃる「英語オタク」の方々でもよく知っているのに、なんで吉田研作教授(現英検会長)や松本茂教授や東進ハイスクール安河内哲也氏が「ろくに生徒に口の練習もさせない英語で授業」なんか提唱するの?外国の受け売り教育法は日本では何の役にも立たないよ。それなのに3人とも間違った教育法を提唱した責任は取らない。知らんぷりして逃げているだけ。どれだけ日本の英語教育に損失を与えたと思っているの?失われた10年?) 紫色部分に書いた練習は自己流でなく正しい発音で行うので【発音/基本の文】が定着する。 英語教育はこの土台なしに何をやっても無駄。中学生はこの方法で4技能全ての基礎を習得する。中学生としてしゃべれるべき文は全部しゃべれます(正しい発音で) アメリカやイギリスに留学した大学教授や、帰国子女の大学教授が経験した洪水のような英語インプットは日本の中学生、高校生にはありません。それで、英語で授業をしようと意見を英語で言わせようと生徒は発音も文の形も何も身に着けません。 大学教授がアメリカやイギリスで経験した膨大な【発音・文の形】の蓄積は日本の中学生、高校生にはないからです。 大学教授はそのことに気づいてください。 現場の先生方は日本の子供たちに英語の大量のインプットがないとご存じですから「英語で授業」に反対されたのです。 「日本語で教えてもわからない生徒がいるのに、英語でどうやって教えるのだ」これほどまっとうな意見はないでしょう。 始めから日本人教師を蔑(さげす)んで、真剣に言っていることを聞かないから、文科省/大学教授には自分の間違いがわからないの。日米(英)の英語インプット量の差(0と100くらい違う)にも気づかないで英語教育法を提唱されると、教育現場は混乱しますので、そういう大学教授は英語教育に口を出さない方がいいと思います。欧米の子供たちが出来ても、日本の子供たちが出来なかったら、そこには必ず理由があります。例えば日本語はインド・ヨーロッパ語族の仲間ではありません。 大学教授は大上段に構えて、先生方を非難していないで、その理由を先生方の意見を聞いて考えてください。  (中学、高校、大学の勉強の仕方についてはHPをご覧下さい。大学生については学生自身が行う学習「思ったことが自然に英語で口に出てくるようにする勉強の仕方」のみ書いてあります。大人の方でもやり方は参考になると思います。時間的には学生さんでないとちょっと難しいかもしれませんが。。。一か月もできなくても、日曜日に3時間続けて英語の本を読むだけでも、ぐっと英語は言いやすくなります。本を読むときは、ただ並んでいるだけの英単語を意味を成す英文に構築する力をずっと頭の中で使っているからでしょうね。







日本の英語の先生方のいう事を聞こうとしない【文科省/大学教授】 欧米コンプレックスの英語教育で万年失敗。 文科省/大学教授は「舶来英語教育は絶対正しい」「日本人英語教師の言う事は誤りで聞く必要なし」こんな差別とも言える激しい偏見つまり「舶来英語教育礼賛/日本人英語教師劣等コンプレックス」を持つ人達に日本人の英語教育は出来ない。有識者会議の座長吉田研作教授(現英検会長)は先生方に理由も聞かず「半数近くの高校は英語で授業をしていない」と批判していた。(朝日新聞デジタルの記事)(ついでに言わせてもらえば、こちらの記事を読むと、有識者会議で「小委員会まで作って英語民間試験を導入しようとした三木谷氏」とそれに反論した大津教授が対立した時、座長の吉田研作が三木谷の意見を重視したため、英語民間試験の導入を前提とした協議会の設置へと話は進んだのですから吉田研作は「下村博文の悪だくみに十分手を貸していた」と言えるでしょう。吉田研作はここでも「不公平な民間試験を実施しないでほしい」という高校の校長先生方の要望を全く聞こうとしなかった。吉田研作は日本人教師のいう事は鼻からバカにしている。 民間試験を議論していた政府の有識者会議の座長吉田研作は今は民間試験の業者「英検」の会長です。吉田研作は「公正な仕事の仕方」も知らないの?)(赤字の偏見は図星でしょ?でも先生方はこの新聞記事にあるように非難されても日本語で教えて生徒の英語力を守ってくれた。文科省/大学教授は先生方に感謝すべきです。私はこの新聞記事を読んだ時、怒りで体が震えました。日本語で分詞構文を教える先生に対して「これは日本語の授業か」とつぶやいたと書いてありました。そんなことを言うなら自分が、英語で分詞構文を高校生に教えてみれば?英語で説明されたって高校生は何も理解できません日本人には日本語を母国語とする人の為の英語教育が必要です。敗戦直後の日本ではないのですから文科省/大学教授は舶来信仰はやめてください。特に大学教授は学問、研究が仕事なんでしょう? だったら海外の教育法の受け売りばっかりやってないで、少しは自分で日本の子供たちの英語習得を見て、少しは自分の頭で日本人の為の英語教育を考えたらどうですか。 はっきり言って、欧米の英語教育の受け売りは日本では何の役にも立たないの。 理由はヨーロッパの場合はこちら(日本語はインド・ヨーロッパ語族の仲間ではありません)アメリカの場合は朝から晩まで聞く英語量の違いです。大学教授は学問、研究が仕事なのですから日本語がインド・ヨーロッパ語族の仲間でないことくらい知っていますよね。なぜその知識を日本の英語教育を考えるときに役立てないのですか。 大学教授は英語習得にインプット量が非常に重要なことも知っていますよね。 なぜその知識を日本の英語教育を考えるときに自分の頭で考慮しないのですか。 自分の知識を自分で問題解決を図るときに使ってください。外国の指導法が絶対正しいと妄信しているから自分の頭で考えることもしなくなってしまうのです。 まさに大学教授は欧米コンプレックスで思考力が停止している。 私がそのブログを書く前は、大学教授は「イタリアではこうやって英語教育をやっている」「ドイツではこうやって英語教育をやっている」そんなことばっかり言っていた。大学教授は外国のことを言えば評価が上がるのですか? でもそんなの日本では何の役にも立たないの。 外国の英語教育の受け売りでなく、自分の頭で考えてください。文科省/大学教授は自国の英語教師を蔑(さげす)むのはおやめください。「自分のいう事は絶対正しい(根拠は「欧米の英語教育だから」)」「日本人英語教師の言う事は最初から無視していい(彼らは欧米の英語教育を知らないから)」という態度ではなく、respect(尊敬)をもって接するのが社会の基本です。大学教授はアメリカやイギリスに行ったから先生方より偉いわけではありません。自分で考えないただの受け売りなんか偉くもなんともない。 日々生徒に接している先生方は「英語で授業」なんかやっていたら生徒は何にも理解できないとすぐにわかります。 先生方が海外経験がないからと蔑(さげす)んで無視するのはおやめください。文科省もです。(文科省/大学教授が先生方を無視するのは本当のところそういう理由でしょう? 文科省も大学教授も欧米コンプレックスだから。 「自分は外国に行ったから、行かない人を蔑(さげす)む」というのは情けないです。それに無視の仕方が露骨だ) 先生方は「生徒が何ができて何ができないか」大学教授よりずっとよくご存じです。 先生方に意欲をもって指導していただかなければ、日本人の生徒の英語力を上げることはできません。 
文科省と大学教授は欧米コンプレックスだからとにかく欧米の真似をして「生徒に英語をしゃべらせろ」「しゃべらせろ」ばっかり。 しゃべるための英語教育の手順なんか何にも知らない。 この後文部科学省がどんな英語教育の方針を出して来ても、欧米コンプレックスで作った方針じゃあ、日本で暮らす生徒たちには何の役にも立たないの。 「英語で○○する」っていう見かけ立派で何の役にも立たない方針ばっかり。(「英語で○○する」実力はどこでつけるのよ? 発音は? 文の形は? 学校で身につけさせなかったら身につかないよ。大学教授が留学で当たり前に体験した「朝から晩まで続く洪水のような英語インプット」は日本の中学生にはないの。 「言語習得にインプット量がどれほど影響を与えるか」英語教育に口を出すなら、そんな基本的なことくらい理解してからにしてください) だから日本の英語教育は永遠に失敗を繰り返すんだよね。  この国の子供たちはかわいそうです。こんなに一生懸命英語を勉強しているのに。









2023/10/1紫色で「中学生のスピーキングテストは教科書を正しい発音で言えるように練習した生徒は全員100点が取れるテストでなければだめなの」を加筆。その中に黄緑色で「大学教授/文科省:舶来英語教育への劣等コンプレックス」を加筆8/7/2023長谷部剛社長の日本経済新聞社は今迄の日経への信頼を悪用し「読者に嘘の記事も信じさせられる」「政治家の詐欺の手伝いもする」驕(おご)る日経。生成AIの啓蒙を装い、間違いの隠ぺいを図る。日経は「生成AIに言及すれば英語教育で何を書いてもいいの?」 どんなに「生成AIで英語学習の見直し不可避」という記事を書かせても、「生成AIで柔軟な教え方が重要」という記事を書かせても、島田優子記者のこの記事の間違いを正当化することはできない。島田優子記者の記事は「柔軟な教え方」でも「従来の教育法を見直した教育」でもない。ただの間違いです。耳に英語の音が蓄積されない限り、日本の子供たちが正しい発音で英語を話し始めることはない。英語教育の常識。 私は英語教育の専門家です。このような日経の記事でごまかされることはない。8/15終戦の日戦前戦中治安維持法の日本を生きた両親の言葉追加




文科省は英語の原型(基本の文)を定着させない限り永遠に英語教育に失敗する。英語の原型を持っていなかったら言いたい文はつくれない。 8/7 2023年5月19日付のこの記事は事実誤認。5月24日間違いを指摘 しかし日本経済新聞社(長谷部剛社長)は指摘を無視して力で間違いを押し通す。「日経の記事なら間違いないだろう」という人々の信頼を悪用する。その上「生成AIについてまだよくわからない」という人々の弱点につけ込んで「啓蒙」を装って間違った記事を正当化する。日本経済新聞は「新聞」なんだから「明らかな間違い」くらいきちんと認めればいいでしょう。「耳に英語の発音が蓄積されなければ生徒は正しい発音で話せない」というのは発音指導の常識です。そんな常識も知らないで記事を書いて専門家から間違いを指摘されると、専門家を妨害して、間違いを押し通す。 それじゃあ日経の記事は根拠のないでたらめな記事じゃないですか。新聞が「英語教育にド素人(しろうと)の記者が書いたでたらめな情報」を流してどうするの? 日経の編集者はそんな事も知らないで、英語教育の記事を書いているんですか。 私は英語教育の専門家です。こんなでたらめを放置することはできません。島田優子記者のお子さんは毎日7時間学校でアメリカ人の子供と生活していたんでしょう? そんな事、隠してもすぐわかるのに、なんで日本経済新聞社はいつまでも間違った記事を掲載しているの? 専門家のいう事より、間違った記事だって日経が力で押し通す方が強いのだと自分たちの力を誇示したいの? 長谷部剛社長の日本経済新聞社ってそんなに偉いの? 戦争中の上官みたいに白を黒と言っても押し通すくらい長谷部剛社長の日本経済新聞社って偉いの? まるで「新聞軍国主義」だね。父がよく言ってた。「上官の命令は絶対だった」って。「上官が黒といえば白いものも黒だった」って。 「戦争中は上官のいう事は絶対だった」って。戦争中の上官みたいに長谷部剛社長の日経はえらいんだ。専門家の「間違っている」という指摘より、日経が言い張ることが正しいんだ。 (今日は終戦の日。「戦争の体験を風化させてはならない」という人々によって一般の人々の受けた被害について語られている。けれども軍隊の中がどんなにひどかったか、一般の人に語られることはない。相当ひどかったみたい。父はいつだったか戦争の悲惨さを描いた映画を見ていて、上の人が兵士に「生きて帰ってくるんだよ」という場面を見て「あんなこと言わなかった。みんな「死んで来い」「死んで来い」って言われた」と言っていた。母は母で軍に統制された社会を「ちょっとでも政府に不審な行動をする人は憲兵が「おい、こら、ちょっと来い」と言ってすぐ引っ張っていった」(つまり当局に連行された)「憲兵終戦後、なかなか再就職口がないくらい、ものすごく威張って人々から怖がられ恨みをかっていた」と言っていた。父が通った学校で、先生が天皇陛下のお話をしている時にあくびをした生徒がいたら、先生がスリッパみたいな履物でその生徒の体中をたたいた、と言っていた。「からだじゅう、すごいたたき方だったよ」と首を振って言っていた。 戦後生まれの私は、「人間宣言」をされて「日本国の象徴」として(「日本国民統合の象徴として」憲法第一条)いつも「国民の幸せを願う」というやさしいお言葉をおっしゃる天皇陛下の姿しか見たことはありません。生まれた時からそうでしたから天皇制も自然になじんでいるという感じです。ですからそういう時代があったと想像するのも難しいです。 でも軍国主義治安維持法の世の中は恐ろしい世の中だったみたいです。私の父と母のような末端の庶民までその恐ろしさが滲み通っていました。小さいころから父と母の話を聞きながら「恐ろしい時代だったのだ」と思いました。長谷部剛社長の日経みたいに真実を捻じ曲げるメディアが政府のそういう方針の尻馬に乗って人々をそういう方向に誘導する。今だって間違ったことを平気で記事にして人々に読ませているじゃない。間違いを指摘した英語教育の専門家を妨害してまで「英語教育は簡単だ」と間違った情報を流しているじゃない。英語教育の専門家を妨害してまで間違った記事を書くなど、日経の英語教育に対する見識はゼロだ。 劇場型詐欺だって、「私が新井氏は詐欺だ」といった途端、新井氏を日経の教育のコメンテーターにして政治家の劇場型詐欺を後押ししてるじゃない。 政治家や日経は、無名の英語教師のいう事より、「教授」や「東京都教育委員」という肩書のある人、ネームバリューのある新聞のいう事の方を人々は信用すると思っているかもしれないけれど、「自分で事実を確かめて自分で判断をする人」だってたくさんいると思う。だから日経は人々を簡単に操作できると思ったらいけないと思う。日経だって今までの信頼の上にあぐらをかいて間違った記事を押し通したり、政治家の劇場型詐欺に協力したりしていたら、きっと人々の信頼を失っていくと思う。 そういう意味では今の社長、長谷部剛氏は歴代社長が長い時間をかけて築いてきた日本経済新聞社の信頼を悪用して、間違った記事を押し通している。「日経の書くことなら信頼できるだろう」という読者の信頼を悪用して、間違った記事を押し通している。歴代社長が築いた日経の信頼を長谷部剛社長一代で壊している。 私が「日経は政府の都合のいいように人々を誘導する」と思うのは、政治家がもくろんだ「新井紀子の劇場型詐欺を後押しした」という”前科”があるから。理由なく言っているわけじゃない。(その事実は大きな水色の文字の下、小さい黒字で書いてあります)  長谷部剛社長の日本経済新聞社は戦争中の「上官」みたいに絶対で、偉いんだね。 「間違い」も「正しい」と押し通す。日経が言えば「黒」も「白」なんだ。でたらめな記事も日経が言えば「真実」になるんだ。 日本経済新聞社の民主主義はどこにあるの? 長谷部剛社長の日本経済新聞社は「新聞軍国主義」なんだね。これを書いたら私のブログアクセスを政府に必死に妨害させているけど(だから私は政府と日本経済新聞社は一体だと思うわけ)、日本経済新聞社が「黒」を「白」だと押し通しているのは事実でしょう。 悪いけど日本経済新聞より私の方が英語教育はよく知っています。 私は英語教育の専門家ですから。(これを読んだ友人からメールが来ました。「新聞軍国主義。 日経は間違いなく、旗振って戦争賛美するようになりますね」って。それは極端な連想ですけど、私は日経を見ていて、父がよく言っていた軍国主義を思い出しました。日経の強硬なやり方が父がよく言っていた軍国主義に似ていた) 編集局長も社長も社内では偉くても対外的には間違いを認める勇気もない。  生成AIの出現をあげて「英語学習の見直し不可避」とか「柔軟な教え方が重要」とか言う記事を大学の准教授に書かせて、あたかも今までと違う英語教育を書いた島田優子記者の記事はミスではないと人々に思わせて正当化する。(私が最初に見た時は、それらの記事の「関連リンク」や「英語学習」の欄に島田優子記者の記事がリストされていた。) 人々がまだ、生成AIについてよくわかっていないことをいいことに、「生成AI」を引用して人々をけむに巻いてミスをミスだとわからないように誘導する。人々にとってまだ未知の「生成AI」をミスを隠す目的で使う「ゆがんだ報道の仕方」です。「日経は生成AIに言及すれば、英語学習では何を書いてもいいんだ」と思った。だからこの記事の意味がよく理解できなかった。 「責任ある報道」とか「公正で偏りのない解説」とかいうのなら、明らかな間違いくらいきちんと認めればいいでしょう。島田優子記者のお子さんは毎日7時間学校でアメリカ人の生徒と生活していたんですよ。日本の子供達にはない「毎日7時間の英語インプット」があったのです。この事実を誰が否定できるの? 「人々がまだよく生成AIのことがわからない」という弱みにつけ込んで、准教授に記事を書かせて啓蒙するふりをして誘導する。そうやって間違った記事を正当化する。 卑劣な手法だ。 間違いを指摘したのが肩書のない英語教師だからですか? 「大学教授」の肩書はどれほどのものなんですか? 吉田研作上智大学名誉教授も、松本茂立教大学名誉教授も、鈴木寛東大教授も、「英語で授業」だ、「民間試験」だと日本の英語教育を混乱させただけだった。(アメリカやヨーロッパで行われている方法が日本で効果があるかどうか、彼らは自分で考えようともしなかった。日本の生徒が英語習得の何を困難と感じているか、自分で考えようともしなかった。彼らには目の前で英語習得に苦労している日本の子供達の英語習得の本当の困難を解決しようという気は全くなかった。あったら、「なぜ英語で授業ができないのか」くらい先生方に聞いたでしょう。ところが彼らは先生方を非難するだけだった。 自分が外国で学んだ「理論」と「方法」だけが正しいと信じ込んでいる大学教授に何ができるんですか。そういう大学教授が何人いたって日本の子供たちの英語力は上がりません。アメリカやヨーロッパで行っている英語教育は日本では使えませんよ。そんなことインプットの量(アメリカ)や言語の特徴(ヨーロッパ)を考えればすぐわかるでしょう。)         「生成AIについてまだよくわからない」という人々の弱みにつけ込んで、間違った記事を正当化する日本経済新聞社に真実の報道はできない。    日本経済新聞社の「悪事の痕跡を残さず、人々を巧みに操作するやり方」は新井紀子氏のコメンテーターの時と似ている。そのことについては、このずっと下のとても大きなみずいろの文字で書いてあるすぐ下の小さい黒字の部分(あらゆるメディアを使って人々を嘘の情報で取り囲む「劇場型詐欺」)に書いてあります。  


 この記事を配信する日本経済新聞社は英語教育に無知です。 しかも日本経済新聞社は、ChatGPTの出現を間違った記事の正当化に使う。 自分の間違いが日本の英語教育に悪影響を与えても正しいと押し通す。面子・体面の為に決して間違いを認めない。こういう間違った記事を軽々しく新聞で広めるから日本の英語教育がめちゃくちゃになるのです。  しかも、記者の事実誤認を指摘されたら「正しい」と押し通し、間違いを指摘した人間のブログのアクセスを裏で邪魔させる。 報道のメディアが正確な事実も把握しないで記事を書いて、間違いを指摘した人間のブログアクセスを裏で邪魔させるなど相当悪質です。実際に妨害しているのは政府かもしれませんけど、私は先回と今回、実際にアクセス数をこんなに妨害されるまで、日本経済新聞社が裏で悪いことをする会社だとは思っていませんでした。だからちょっとショックでした。 「表では公正に仕事をしているという顔をして裏で悪いことをする人がここにもいたんだ」と思った。 私は15年前から、「何も悪いことはしていません」という顔をして裏で悪いことをする人達にずっと不正行為をされてきました。だから、もうそういう人を見るのは嫌だった。世の中ってそうやって動いているんだ、と思うのが嫌だった。 でも実際には、自分がした悪いことや間違っていることを指摘されると、自分の持っている力を使って、弱い立場の人間をつぶそうとする人達ばかりだった。  特に今回は、相当な妨害です。 先回は新井紀子氏のコメンテーターの件ですけど、今回は新聞の本来の使命、記事における間違いですから、これほどひどい妨害をするんでしょうね。  日本経済新聞社は間違いを指摘した人間を葬ってまで体面を守りたいですか? 立派な新聞社だと言われたいですか?     あなたたちがこういういい加減な記事を書くから、先生方が学校でどんなに苦労して英語を教えているか世の中の人々にわからなくなるんです。実際にその言語でコミュニケーションをしているところを見ることも聞くこともない国で、その言語を子供たちに定着させるのは大変なことなんですよ。英語の「発音」や「語順」がヨーロッパの人々のように母国語と似ているわけではないですから。  なのに、文科省まで教師の指導力がどうの、こうのって、言う。 それに便乗して、わざわざ新聞社にメールまで送って先生方を非難する記事を書かせる大学教授までいる。日本で自然に身に着く英語のスキルなんか一つもないんだ。発音だって自然には身につかないんだ。分詞構文一つだって、生徒は自然に身に着けることはないんだ。 それなのにあなたたちがこういういい加減な記事で「簡単に英語は身に着く」と書くから、先生方に非難が向けられ、とんでもないアメリカと同じ英語教育が導入されて日本の英語教育がめちゃくちゃになるんだ。 新聞記事の影響力はあなたたちが一番よく知っているでしょう。 日本で子供たちにしっかり英語力をつけさせたかったら、教えるべきことはきちんと生徒が理解できる日本語で教える。練習させなければいけないことはきちんと練習できる場(家庭学習)とCD(音声のお手本なら何でもいいです)を与えて練習させる。 それなしに、子供達に高い英語力をつける方法はありません。日本にいて自然に英語が身に着く方法はありません。 ChatGPTの狂騒に紛れて蜃気楼を見ていたら、どんどん子供たちの英語力は劣化する。ChatGPTができても、子供たちは自分の唇や舌を自分で動かして発音しなければならないし、文法を自分の頭で理解しなければならないことに変わりはありません。(文法はきちんと学んでくださいね。 そうしないとその後ずっと苦労することになります。ブログ「高校生の皆さんへ」) 発音だって機械に直してもらっても駄目です。口とつながっている耳で聞くから発音は上手になっていくんです。(ブログ「機械に発音の判定をさせるということ」) 人間の体は聞いた発音と同じ発音をするように練習していくと発声器官が同じ音を出すように動くようになります。それは耳と口が人間の体の中でつながっているからです。 聞くことを機械に任せてしまったら、使われなくなった耳の能力は落ちていくだけです。こういうことはやったことのない人にはわからないのですよね。(私の生徒さんで50歳を過ぎた方に、この方法で発音習得してもらいましたら、ニューヨークのエステティシャンの学校に通っていた時にアメリカ人に「女優さんのようにきれいな英語ね」と言われた方がいました。ブログ「ネイティブも美しいと思う英語」)耳を使うと体になじんだ滑らかな発音になります)子供達をそういう発音でしゃべれるようにすることもできるんですよ。やり方自体は「家庭学習を継続する」という単純な方法です。(「単純な方法」の意味は「複雑な方法ではない」という意味です) ただ、この「単純な方法」を「発音習得の基本にのっとって」継続しなければなりません。 期間は2年かかりますけれど宿題さえちゃんとやってくれればできるようになります。最初、正しい発音で音読する事を体得するまでがちょっと大変ですけれど、中学1年生は耳がよく、口の筋肉も柔らかいですから、それも一年半くらいでできるようになります。 残念なことに文科省がそれをさせてくれないだけです。(やり方は、HPの「中学生の勉強の仕方」のところに書いてあります)基本を身に着ける中学時代はいろんなことをやらせてはだめです。 「いろんなことをやらせる」という事は「結局何にも身につかない」という事と同じです。 この時期は基本に限って徹底的に身に着ける。 それが最も効果的です。中学3年間に習った英文を「全文正しい発音で何も見ないですらすら言えたら」15歳のレベルで完璧な英語コミュニケーション能力を身に着けたという事です。これは英語を話す時の「基礎体力」のようなものです。 自分でここまで練習したうえで会話の練習に入ればスピーキングの実力も上がっていくでしょう。 けれども、これを自分でやらないで、会話の練習だけやっても、正しい発音が身につくことはありません。また、英文が頭に定着することもありません。 会話の練習だけでは口を動かして発音を定着させる回数が圧倒的に足りないのです。また、文の形が頭の中に定着するにも足りません。 よく「英会話学校に行ったけど実力がつかなかった」という方がいますけれど、それと同じです。 まず自分で自分の口や頭に発音と英文を定着させるほど練習をしないと、ただ会話をしているだけでは発音も英文も自分の中に定着しない、という事です。 英文は自分の口で何回言ったかによって、定着の度合いが違います。 教科書を1回音読した生徒と10回音読した生徒では、基礎の定着が全然違います。(文の形(構文)も発音も) 会話でその英文を一回しか言わなかったら、構文も発音も定着しません。 初級者の英語習得は「基本の文を自分の口で何回言ったか」回数で決まります。中学生は基本が定着するまで何回も教科書を音読させなければ基礎(発音、構文)は絶対に定着しません。教科書を見なくても教科書で習った英文を正しい発音ですらすら言える。この状態まで練習するとそれを会話にも使う事ができます。 これが英語習得の基本です。 (昔から英語学習者は何回も口に出して英文を言っていました。だから普通の人は何回も言って英文を定着させる重要性を知っています。 単語だって皆さんそうやって覚えましたでしょう? 新しく出てきた単語を英会話で一回使ったら覚えましたか? 覚えませんよね。 何回も発音して、何回も書いて覚えましたよね。 英文だって、発音だって身に着けて使えるようにするためには何回も自分の口で言って覚えます。 文部科学省の英語教育が何をやっても失敗するのは、この基礎の定着を生徒にまったくさせないからです。文科省は音読や発音練習のような勉強を「悪い英語教育」だと思っているのでしょう。「英語で意見を言う」「英語で討論する」「英語でディベートをする」それが「よい英語教育」だと思っているのでしょう。 でもね、教科書の英文も、何も見ないで正しい発音ですらすら言えない生徒が自分の意見を正しい発音で言えるわけないでしょう。 生徒は教科書の英文を毎日の練習で教科書を見なくても正しい発音ですらすら言えるようにして、それを「持ち駒」のようにたくさん自分の中に蓄積させるから、その文を使って会話もできるのです。中学3年間教科書の英文を練習して正しい発音で何も見ないですらすら言える英文をたくさん自分の中に蓄積させるから、それを自由に使って会話ができるのです。 文科省はその練習を生徒にさせないから生徒の「正しい発音で言える英文の持ち駒」はいつも空っぽ。言おうと思ったって練習していないから「正しい発音で言える英文」なんか一つもない。だから文科省の方針は何をやっても失敗するのです。 昔、「英作文」のことを冗談で「英借文」(えいしゃくぶん)とみんな言っていました。 出題された日本語に対応する英文を作るには、まず、自分が学んだ「それと似た内容を表す英文」を「借りて」きて、それを少し直して作文するとうまくできるからです。 同じように、しゃべるときもしゃべりたいことを表現するのに近い文章をたくさん自分の中に持っていると、それを部分的に直してほかのことも言えるようになるのです。(日本語は英語とは同じ言語グループではありませんので、日本語文から英文を類推することはできません。それがヨーロッパの人々とは異なるところです。日本人はどうしても最初に「英語の基本形」を頭に蓄積しなければなりません。こちらのブログ) この「借りて」来れる基本的な文章、(それも練習して正しい発音で言える英文)をたくさん自分の中に蓄積させておくことがまず、初級の生徒にとって最も重要なことなのです。それこそが「英語」では基礎の確立なんです。 今みたいに文科省が教科書の文を覚えることの重要性も認識していない教育では、子供たちの頭には正しい発音で言える教科書の文なんか一つも蓄積されていない。 これでは何もしゃべれないですよ。暗記は初期の学習者にとって必要なことです。強固な英語力の基礎を作るために必要なことです。 帰国子女だってアメリカでテストや発表の前は暗記ばっかりでしたよ(こちらのブログ緑の部分。初級者の英語教育で重要なのはオリジナルな英文を作ることではないの。 自分が使える基本的な英文をたくさん自分の中に蓄積することなの。私の場合は授業が終わった教科書を70回音読していました。そうすると英文は何も見なくてもすらすら言えました。発音は自分で努力できる一番正しい発音で音読しました。完全に正しい発音で言えるようになるには1年以上かかりました。 それまでは「できる範囲で正しい発音でよい」と思っていました。それから、学校でスピーキングのテストをする場合には、生徒が練習した文を使って答えられるような質問をすることが重要です。 そのテストに良い発音ですらすらこたえられると、生徒の「やる気」が上がるからです。 いたずらに、難しいことなど中学生に答えさせなくていいのです。 テストは優劣をつけるのが目的ではなく、「生徒が自分の努力が報われる瞬間を体験する」のが目的だからです。それがあるからこそ、こういう地味な練習(教科書の英文を何も見なくても正しい発音ですらすら言えるようにすること)を生徒は3年間も続けていけるのです。 生徒のモティベーション(やる気)の維持にテストも重要な役割を果たすわけです。(英語が話されていない日本では「モティベーションの維持」というのはいつも英語教師を悩ませる問題です。) 中学生の目標は、この後積み上げる英語力の基礎の確立です。 テストは基礎ができているかどうかわかる問題で十分です。 そうやって、中学3年間、生徒に高い意欲を維持させてスピーキング能力を高めていくことが生徒に実力をつけさせる方法です。 中学時代は基礎さえ身に着けてくれたらそれで十分なんです。中学英語の目的は「基礎の確立」です。 高校生になったらいくらでも難しいことを言う練習はできます。 それを行うために中学では基本を徹底的に身に着けてくれれば十分なんです。英語力の完成までは長いのです。 やる気を維持するのは大事なことです。 いたずらに難しいことなんか質問して「勉強したって駄目なんだ」などと生徒に思わせてはいけないのです。 生徒は練習する意欲を失ってしまいます。 優劣をつけるのが目的でなく、「練習すれば誰でもできる必要最低限の基礎」をどの生徒にも徹底的に身に着けさせるのが、中学英語の目的だからです。 中学英語と高校英語では英語教育の目標が全然違うのです。   











(上のピンクの部分に書いてある「英借文」(えいしゃくぶん)の部分をご理解のうえ、下の文章をお読みください。「英語の原型」(教科書の文)を頭に蓄積させる重要性がお分かりになります)
2023年10月1日加筆
2023年10月1日加筆
2023年10月1日加筆
2023年10月1日加筆 「日本の中学生が受けるスピーキングテストは教科書の文章を正しい発音ですらすら言えるように練習した生徒は全員100点が取れるテストでなければだめなの」

8月のある日、夜7時のNHKニュースで中学生のスピーキングテストの結果を放送していました。 その中で正答率24%の問題が紹介されました。 (2ヶ月前の事ですので、記憶が定かでないので「24%」が正確な数字だったかどうかわかりませんが、とにかくとても低い数字でした) それを聞いた私は「基本を習得する中学生のスピーキングテストでそんな問題出してちゃだめよ。そんなことしたら中学生は「どうせ、練習したってできないんだ」と思ってしまうじゃない。 中学のスピーキングテストは「教科書の文がすらすら言えるように練習した生徒は全員100点が取れるテストでなければだめなの」と思いました。 私が知る限り、中学時代に学校の勉強の一環として発音習得をした英語教育の専門家は日本に一人もいません。だから私がなぜこういうことをいうのかお分かりになる方はいないと思います。 それでその理由を説明するためにこのブログを書きました。  日本の英語教育を主導する大学教授の方々はご自身が留学をしたり、帰国子女だったりするので、発音習得を全く考慮に入れない英語教育の方法を提唱します。 それでは日本の子供達は通じる発音で英語を話すことはできないのです。
まず、理解していただきたいのは日本の子供達はスピーキング習得においてヨーロッパやアメリカのESLで学ぶ子供達に比べて大きなハンディキャップを背負っているという事です。 ヨーロッパの子供たちは母国語が英語と親戚関係にありますので、母国語の語順が英語と似ています。 また子音を単独で発音できます。 「語順が似ている」「子音が単独で言える」という事は英語でしゃべるとき、比較的困難が少ないということです。  日本の子供たちはヨーロッパの子供たちが母国語でできていること(語順、発音)を習得するのも大変です。 
またアメリカのESL(母国語が英語でない生徒)のクラスで学ぶ生徒は現地で朝から晩まで英語の大量のインプットがあります。 大量のインプットがあれば学んだ言語はよく定着します。 しかし、日本にいる子供たちは英語で人々がコミュニケーションをするところを見ることも聞くこともありません。そのため学んだ言語を定着させるのも大変です。  

このように日本の子供たちは英語習得の最初から大きなハンディキャップを背負っています。 こういう子供たちにスピーキングを習得させるためには教育者は時に子供たちの応援団となって子供達の英語習得をサポートしていかなければなりません。 スピーキングテストも子供達の英語習得の「応援」のために使います。

私はこちらのブログで多くのヨーロッパの言語は文章の型が英語と似ているため母国語を英語に「変換」してしゃべれる部分が多いと述べました。ところが日本語を母国語とする子供たちはそれができませんので、「英語の原型」(基本の文の形)をまず、頭の中に入れておかないと英語はしゃべれない、と言いました。この「英語の原型」(基本の文の形)は中学時代に習います。中学時代に習う英文を全て、何も見ないですらすら正しい発音で言えないと日本人の英語学習は始まらないのです。 「基本の文の形を」を頭の中に蓄積させて、それを「正しい発音」でしゃべれないとその後の英語学習は何もできないのです。 

文科省は発音練習や文章の音読は悪い英語学習だと思っているようです。それで、「自分の意見を英語で言う」だとか「英語でディベート」だとか言ってますけど、基本の文も正しい発音ですらすら言えない生徒が自分の意見を通じる発音(正しい発音)で言えるわけないでしょう。 英語教育を提唱される大学教授の方々の多くはご自身は留学して流ちょうに英語をしゃべっていますから、全く発音習得を除外した英語教育を提唱されますが、発音は教えなければ、日本の生徒はできるようにはなりません。 留学して洪水のような英語を聞いていた大学教授とは、日本の中学生は違うのです。 まず、その点が、大学教授が提唱する英語教育がまったく役に立たない理由です。 英語の基本スキル、発音は学校で教えなければ、日本の子供達には身につきません。 生徒に勝手にしゃべらせても発音は身に付きません。 (新聞がケアレスにこういう記事を載せるから、あたかも日本でそういうことができるかのように人々が錯覚するのです。帰国子女が発音練習しなくても通じる英語が話せるのはアメリカで洪水のような大量の英語の音声を聞いているから、それが耳に蓄積されて同じ発音で話せるようになるのです。日本経済新聞社(長谷部剛社長)は何度間違っていると指摘されても敢えて間違った記事を掲載し続けます)


もし日本人の英語力を上げたかったら、できるだけ多くの生徒(可能なら生徒全員)が中学校で習う基本の英文を「正しい発音で」「すらすら言える」ようにするという教育目標を中学時代に達成しなければなりません。 英語学習において「基本の文がすらすら言える」という事は、人間の発達段階で言えば「赤ちゃんがハイハイから立つことができるまで」に相当します。 これができなかったら、それ以降の英語習得は何もできないのです。 だから、何としても、一人でも多くの生徒(できれば全員)がこれができるようにするのが、中学校英語教育の目標です。 一人でも多くの生徒が自分の足で立てるようにしてやること。 それが中学校英語教育の目標です。 そうしなかったら、英語習得において生徒は前に進むことができないのです。 難しいことはどうでもいいから「基本の文だけは正しい発音ですらすら言える」これを中学時代にどうしても身につけさせなければなりません。 それが中学校英語教育の役割です。
中学3年間は長いです。その長い3年間、生徒がコンスタントにスピーキングを練習していける態勢を作らなければなりません。 そのためにテストも一役買ってもらいます。

「学習した教科書のレッスンの英文を発音練習し、すらすら言えるようになった生徒は全員100点が取れる」 スピーキングテストはそういうテストにしないとなかなか子供たちのやる気にはつながらないでしょう。 練習した生徒が100点をとれる、つまり課題をきちんと練習した生徒は必ず100点が取れるというテストが悪いとは私は思いません。 なぜなら教科書の英文(英語の原型、英語の基本の文)がすらすら言えることが中学校英語教育の目標なら、それをきちんと練習してきた生徒全員に100点をあげても悪いことではないでしょう。 生徒はその努力をしてきたのです。 だから練習していない英文が答えになるような質問はしないことです。 教科書で練習してきた英文が答えになるようなテストをすればいいのです。 自分が練習して言えるようになった英文をテストですらすら答える。 これは生徒にとって快感です。 自分の努力が報われる瞬間だからです。こういう経験をたくさんさせることは決して悪いことではないと思います。 何も学校のテストは優劣をつけるためばかりに行わなくてもいいでしょう。 自分が体を使って練習してきた文を自信をもって答えてテストで100点もらえるなら、生徒はとてもうれしいと思います。

ここが「応援団」がテストをするメリットです。
私は大学生のころからアメリカのセルフヘルプの本を読むのが好きでした。 その中に面白い話がありました。 アメリカでチャンピオンになったプロボウラーの話でした。 彼はインタビューの中でこう言っていました。「私が子供のころボウルを転がしてピンを倒して遊んでいると父は私の球が行くところにピンを置いてくれた。 だから私は自分の球がピンから外れると思う事はなかった」 面白いなあと思いました。このチャンピオンは子供のころ自分のころがした球がピンに当たるたびに快感だったでしょうね。 お父さんはその「快感」をたくさん我が子に味わわせてくれたのでしょう。

だったら、私たちもそれでなくても英語習得で大きなハンディキャップを背負っている子供たちに「基礎の習得の段階」(中学時代)くらい、英語学習でたくさん「快感」を味わわせてあげたらいい、と思います。 私は中学校の英語の教科書は授業が終了するたびに70回ずつ音読しました。 そうやって英文を音読練習するのを習慣にするには教育者の方でもできる限りの応援をした方がいいと思います。練習しても24%の生徒しか答えられないような問題を出して、「勉強したってどうせできないんだ」などと生徒に思わせるより、「練習したら、必ず100点が取れる」と生徒に思ってもらった方が、ずっと良いテストだと私は思います。 中学、高校、大学と英語教育の目標は違います。 難しいことは高校生になったら言わせればいい。 中学生は基礎ができたら、スピーキングは100点でいいのです。


私は高校入試の日だけに行うテストではこの役割は果たせないと思います。 まず、1ページ分くらいの教科書の英文の授業が終わった時に、CDについて正しい発音で、文が言えるように練習してくる宿題を3年間日常的に生徒にやってもらいます。1回の分量があまり多くない方がやりやすいと思います。 テストはALTの先生の協力を得て各学期末に行えばいいでしょう。(こちらのブログに書いてあります。)日本の子供たちが英語を学ぶ場合、中学校で習う基本的な文を頭に蓄積させないと、その後の英語教育はできません。 私たちはこの基本の英文をできるだけ多くの生徒(できれば全員)が習得できるよう、努力していかなければならないと思います。 どこかの団体に入試で一回テストをしてもらうのではなく、生徒が基本の文を習得できるようにするために、学期ごとのテストで丁寧に習得を助けていくことが重要だと思います。このスピーキングテストは生徒が中学で習う基本の文を正しい発音ですらすら言えるようにするのを支援するために用いるのが、最も生徒の役に立つ、「スピーキングテスト」の使い方だと思います。 「各学期ごと」に行うのも、テストのためのスピーキングの練習範囲を負担の少ない分量にして生徒に練習してもらうためです。 このスピーキングテストをする教育者は「評価をする」という目的よりも、生徒たちが3年間基本の英文を正しい発音で言えるようにするのを「支援する」ためにテストを行う、という意味合いが強くなります。


毎回教科書で習った英文を正しい発音で言えるようにするのは中学生にとって、とても大変なことです。  4つの「ア」を区別して英文をしゃべること、2つの「イ」「イー」の(長さでなく)音質を区別してしゃべること、こういうことを口を開いて英語をしゃべり始める瞬間からできるようにしていくのは中学生にとって、とても大変なことです。 教科書の文だけでも正しく発音してすらすら言えるようにするのは大変なことです。 日本には中学時代、学校の勉強の一環として発音習得をした大学教授は私が知る限り一人もいません。 だから正しい発音を保って教科書の英文を読むことが中学生にとってどんなに大変なことかわかる大学の先生はいないのでしょう。 あのNHKニュースのテストの解説のところで「音読くらいしかできない」というコメントがありました。 それを聞いたとき、教科書の文をすべて正しい発音で(つまり私の最初の本についているDVDで解説した通りの発音で)音読できるようにすることがどれほど大変なことか、わかっていない教育者がたくさんいるんだと思いました。 だから文科省は音読練習や発音練習を悪い英語教育だと思っているのでしょう。 でも、それじゃあ、この解説の文を書いた人や文部科学省の方々は私がDVDで解説した基本の発音で教科書1ページでも音読できるんですか? 4つの「ア」を区別して英語が喋れますか? Good. という時、「ウ」の音を「オ」の口で「ウ」というように発音して、しかも一瞬ですが、その口の形を保持して発音していますか? This is ~~. を発音するとき、「ディス イズ」の「イ」を、「イ」と「エ」の中間の音で常に発音していますか? おそらく英語をしゃべるとき(音読する時)全ての音を正しい発音でしゃべってはいないでしょう。 それでは音読練習にならないのです。 発音習得の練習にはならないのです。 正しい発音で教科書全文を音読することがどれほどたくさんの練習がいることかあなたたちは全然知らない。 こういう説明を聞くと多分文科省の方々は「そんなことやってられない」と思うでしょう。 これだけだったら、「やってられない」と思います。 でもここで音声のお手本(CDなど)を生徒に与えてその通り言えるようにする練習をすると音声モデルの音と近い発音で生徒は英語が話せるようになります。 私も中学生の時「テープの発音と同じように言ってみましょう」という教材で勉強しました。 けれども、発音を聞いたとき、この音はどうやったら出せるのかわからない音がありました。 そういう時、最初に発音の仕方を一通り教えておくと効率よく練習ができます。(私がDenver のNの音がお手本と同じに発音できなくて、舌を上の歯茎に着けることを確認した話はこちらのブログに書いてあります。They are coming from Denver. という文を発音して録音し、お手本と比べたら、私の「Denver」 のNがお手本とは違って聞こえました。 私の「Denver」 のNは日本語で「ワンワン」と言った時と同じ、舌の先が上の歯茎についていない音だったので、お手本とは違って聞こえたのでした。) 

こうやって教科書の文が正しい発音で音読できなかったら、とてもじゃありませんけれど、自分の意見なんか正しい発音で言えませんよ。 そういう事も知らない人が英語教育の方針を決めているから、教科書も正しい発音で音読できないまま、「自分の意見を言わせる」だの「ディベート」だのと言うんでしょう。 だから生徒は何にも正しい発音で話せないんです。(しかも、教科書の基本の文も頭に蓄積させていないのですから何にもしゃべれませんよ。) 私のレッスンにいらした方ですが、非常に英語力は高いのですが、発音が一回で通じない、という事で2年くらいお教えしました。習得が終わった時、感想を聞きましたら、「Good morning一つ、正しい発音で言えるようにする練習でどれほどたくさんのことを発音について学んだかわかりません」とおっしゃいました。 英語学習の最初に正しい発音を身に着けるのは大変なことですが、大事なことです。 発音を身に着けるためには教科書を音読するときは、習った発音の仕方以外の音で、発音することは一切しません。 そうしないと、新しく習った「英語の発音」は定着しません。 自己流のカタカナ発音をしていたら、その方が楽ですから正しい発音は全く定着しません。

でも、それをコンスタントに3年間続ける、つまり習慣化するには学校が子供の努力を応援しないと無理だろうと私は思います。 教育者である大人が子供達のその努力を応援してあげないと、とても生徒は3年間教科書の音読練習を続けていくことはできないでしょう。 

24%の生徒しかできない問題を出して、生徒のやる気をそいで、何のメリットがありますか? 日本で英語を学ぶ生徒には励みになることを与えることこそ必要ですが、やる気をそぐようなテストは不要です。

難しいことなら高校生になってから言わせればいいでしょう。


中学、高校、大学、それぞれの段階で英語教育の目標が違いますので(それについては私のHPをご覧ください)、中学生は基礎の習得ができた時点で100点をつけるのは何ら問題はないと私は思います。

私が実際に中学時代発音習得をしてわかったことに基づいて、私が日本人の中学生のスピーキングテストについて希望することを以下に書きます。

1.正しい発音を習得するまで一年半くらいはかかりますので、2年生の半ばくらいまで発音の不十分なところは少しおおめに見てあげてください。特に一年生のころ。

2.発音習得開始から8ヶ月くらいまではあまり速くしゃべることはできないので、ゆっくりしゃべる生徒がいてもこれも速度を理由に減点するのは最初のうちはしないでいただきたいと思います。

ただし、「英文を話しているときに文の途中で止まることはしてはいけない」という指導は徹底してください。 文の途中で止まると通じにくくなるというのも理由ですが一番大きな理由は英文を何度も言う練習をしない生徒でも、途中で止まっていいのなら頭の中で英文を作ってしゃべることができるからです。 それではスピーキングの「実技」(実際に自分の口の筋肉を動かして練習し、口の筋肉にその動きを覚えこませる)を練習してきたことにはなりません。「考えて文を組み立てる」のではなく自分の口が自然に動いて文の最初から最後まですらすら言えるように何回も言う練習を積み重ねないとスピーキングの練習にはなりませんので「英文の途中で止まらないで言える」ことは徹底してください。 ゆっくりしか言えなくてもいいですが、途中で止まることはしない、と徹底してください。 自分でやってみるとわかります。質問されて頭で英作文して答えると、文の途中で、止まる英文になります。 一方、ちゃんと自分の口で何回も言って練習してきた生徒は一文を最初から最後まで止まらないで言えます。 これは実技の練習ですので、止まらないで言えるようになるまで練習して来ることを生徒に宿題でやってもらってください。 生徒には「頭の中で英文を考えながら言うのではなくて、考えなくても文の最初から最後まで通して言えるように練習するんだよ。 ゆっくりでもいいから文の最初から最後まで考えなくても言えるように練習するんだよ。」と指導してください。

こういう実際の指導のポイントは、自分が中学時代、発音習得をした人間でないとわかりません。 発音習得をまったく考慮に入れない英語教育を提唱する大学教授にはわからないと思いますが、重要な点ですので、おさえておいてください。

文部科学省、大学教授にはびこる【舶来英語教育信仰】【欧米英語教育コンプレックス】(特に劣等コンプレックス。「日本人の英語教育者が言う事、やっていることはまちがっている。 欧米の英語教育方法は優れている。絶対正しい」)

以前鈴木寛東京大学教授が英語民間試験を勧めるために「世界の国々で活用されている英語民間試験」と言っていました。 それを聞いたとき、私は「世界で使っているからなんなの?」と思いました。 例えば世界で有名な英語教育機関は日本人が英語習得するとき、何が一番難しいか知っているの?  日本人の英語がなぜ通じないか知っているの? 日本語の子音が短くてそれを英語に持ち込むからわかりにくいと知っているの? 何年も日本人の英語習得の問題点を研究した実績があるの? と思いました。 2023/11/21「日本人の英語力は過去最低」という記事。この調査をした企業の広告には日本人の英語力を上げる為「英語で教えた方がいい」「スウェーデンでは教室に入った途端すべて英語」と書いてありました。(広告は2019年3月15日掲載のようでした)日本で「英語で授業」は失敗した。赴任中息子は「こんなもの、英語で説明されたってわかんないんだよ」と言った。これが日本人生徒の正直な気持ちです。日本人の為の英語教育のやり方を世界で有名な教育団体が知っているわけではない。彼らは日本人の英語習得の研究はしていない。文科省は欧米の英語教育に盲目的に従うのはやめた方がいい。彼らは「何が日本人の英語習得の障害か」「なぜ日本人の話す英語がわかりにくいか」知らない。日本語の子音の言い方など彼らは知らないでしょう。この記事を送ってきた友人のメールには「さもありなんですね」と書いてありました。「当然ですね」という意味です。「英語で授業」では日本人の生徒は何もわかりません。生徒に発音も基本の文の形も身につけさせないでやれスピーチだ、やれディベートだ、言ったって生徒は何もできるようにはならないの。華やかな活動ばっかり唱えても発音も文の形も身に着けていなかったら、何も英語で言えないの。文科省の方針は何十年も、ずっとそうだったのではないですか? 欧米信仰はもうやめた方がいいです。   イギリスやアメリカに留学して、英語教育を学んだ大学教授は、そこで学んだ英語指導だけが絶対正しいと妄信して、それに疑問を呈する現場の先生方の意見を絶対に受け付けない。 でも、アメリカやヨーロッパの英語教育は、日本でやっても何の役にも立ちません。日本人が生まれてからずっと話してきた母国語(日本語)の性質が違うからです。 「英語で授業」が効果がありましたか? 「CAN-DOリスト」が日本人の英語力を上げましたか? 留学した大学教授は自分は留学で、英語がペラペラ話せるようになったかもしれないけれど、日本で学ぶ子供達にはあなた達が経験した洪水のような英語インプットはありません。 それなのに、「どうやって生徒に発音習得をさせたらよいか」その方法さえ大学教授は自分の頭で考えようとはしない。 大学教授は、アメリカやヨーロッパの英語教育の受け売りばかりで、「目の前にいる日本の生徒たちが英語習得の何を難しいと感じているか」「それをどうやって解決したらよいか」について、自分の目で見ようともしないし、自分の頭で考えようともしない。 先生方が「日本語で教えても理解できない生徒がいるのに、英語でどうやって教えるのだ」と疑問を呈しても、それを真剣に聞いて一緒に生徒の英語力を上げる方法を考えようともしない。有識者会議の委員だった松本茂氏や吉田研作氏のような大学教授は「欧米の英語教育は絶対正しい」「自分が言った通りやらない日本の教師が悪い」と非難するだけです。 それでは日本人の生徒に対する英語教育はできません。 先生方が呈した疑問に真剣に答える努力をしていたら、自分が間違っていることに気づいたはずです。「自分が言った通りやらない教師が悪い」と言っているだけでは何の解決にもならないのです。 外国の英語教育だけが唯一絶対正しい方法ではありません。大学教授は自分の目で日本の子供たちの問題を見て、それを解決する方法を自分の頭で考えてください。 私は、新聞で特集されたり、雑誌などに掲載された大学教授が勧める英語教育の方法を何十年も前から読んできました。 でも、それらは全部、発音を定着させることなく生徒に英語をしゃべらせる教育方法ばかりでした。ここはあなた達が留学したアメリカやイギリスではないのです。洪水のような英語インプットはありません。 生徒に勝手に英語をしゃべらせても、正しい発音でしゃべれるようにはなりません。(私は日本人の大人の発音に関してとやかく言っているのではありません。中学時代に文科省が音声のお手本となるCDを与えなかった犠牲者だと思うからです。犠牲者を責める人はいません)    「英語で授業」を全国の中学、高校に勧め、先生方や生徒達に莫大な損害(時間、努力、教育に使われた税金)を与えた吉田研作氏、松本茂氏、向後秀明氏、東進ハイスクールの安河内哲也氏はその責任を取らないのですか。 あなた達のせいで、先生方や生徒達は、取り返しのつかない損害を何年にもわたって被ったのですよ。 生徒たちはもう、中学、高校時代に戻ることはできません。  もし、外国の英語教育の押し付けでなく、日本の子供たちに合う方法で、一つ一つの英語のスキルを丁寧に習得させていたら、今頃、日本の生徒達は通じる発音で英語を話していたでしょう。「英語の原型」(基本の文の形)をたくさん習得していたでしょう。 その機会を生徒から奪ったのは、「英語で授業」を提唱した吉田研作、松本茂、向後秀明、の各大学教授と東進ハイスクール安河内哲也氏です。 卒業していった生徒達は二度と中学、高校時代には戻れません。大学教授と東進ハイスクール安河内哲也氏の罪は非常に重いと思います。取返しのつかない損害を生徒に与えました。 昭和20年代の敗戦直後の日本ではないのですから、大学教授は英語教育にまで、【舶来信仰】を持ち込まないでください。外国の英語教育なら、なんでもありがたがるようなことはやめて、自分で考えてください。
世界で英語教育で有名な団体だから日本人にとってよい英語教育をするとは限りません。文部科学省、大学教授は【舶来英語教育信仰】にどっぷりつかっている。 日本人の英語教師の言う事は「間違っている」と決めつけて聞く耳も持たない。 外国の英語教育の方法なら、「絶対正しい」と現場の反対を押し切ってまで学校でやらせる。 外国の英語教育法なら何でもありがたがる【舶来信仰】はもうやめて、日本語を母国語とする子供達にはどういう英語教育が適しているのか、自分で考えてください。文部科学省や大学教授は日本人なのに、日本人の英語教師のいう事は信用できませんか。そんなに欧米の教授法というだけで「すばらしい」と思うのですか? そういう思い込みは欧米の英語教育に対する「劣等コンプレックス」ではないですか。日本の最高学府で教える大学教授が「劣等コンプレックス」でバイアスがかかった(偏見に満ちた)態度でしか日本の英語の先生方の意見を聞けないのは情けないです。外国の教育法の受け売りだけで自分で何も考えないんだから、そんなのただの「外国かぶれ」と同じです。【かぶれ】語の解説(大辞泉):(接尾語的に用いて)その影響を強く受けて悪く感化されること) 欧米の英語教育に対する「劣等コンプレックス」で決めた英語教育では、日本の子供たちの英語力は上がらない。     (ちなみに「英語で授業」を提唱する指導者の中で私が、最も悪質だと思うのは「英語で考える指導法」を提唱する石渡誠です。 間違っていると指摘されても徹底的に無視して、間違った指導法を生徒に押し通しているからです。しかも何十年も。 保身のために間違いを承知で押し通すのは、教育者として非常に悪質です。「教育」は信頼の上に成り立つ仕事ですから。 間違いに気づいた時点できちんと生徒に訂正するのが教師の責任です。 石渡誠の「英語で考える指導法」の間違いはこちらのブログで証明しました。 書き出しからわずか10行で証明できるほど明白な間違いです。これを正しいと押し通すのは相当無理があります。 石渡誠は「間違いだとわかっていて生徒に訂正もしない」最も悪質な教師です。  自分の学校の生徒だけでなくこういう動画で見る学習者もいますし、本で読む学習者もいますので、間違いだとわかった時点で公に(つまり誰でもわかるように)訂正するべきでしょう。)

私は文科省が生徒に教科書の英語音声が入っているCDも配らないことを批判してきました。でも、文科省自体がだめな英語教育をしたいわけではないと思っています。 CDを配らせないのは教育で金儲けしたい政治家でしょう。 官僚は人事も政治家に握られているから言われたとおりにするしかないのだろうと思います。 どこかのブログに「どうしてあげたらいいのかしらね」と書いたこともありましたね。(どうにもしてあげられませんでしたけれど。)
中学校のスピーキングテストには応用編の問題はいりません。 正答率24%の問題なんかいりません。 中学生には基本を徹底的に習得してもらえばそれで十分です。 文科省や英語教育を提唱する大学教授は「英語嫌いを作らないように」と言っていますよね。 だったら、「基礎習得の段階」(中学時代)くらい生徒に「英語をしゃべるのは快感だ」と思わせるようなテストでいいんじゃないですか? 「テストが快感」なんて、多分、中学のスピーキングテストだけ。 一生に一度の経験になるでしょうけど。


中学校で、教科書にある基本の文をすらすら正しい発音で言えることを習得して、日本の子供達はやっと「語順」「発音」の習得においてヨーロッパの子供達と同じスタートラインに立てます。 私たちは、ヨーロッパの子供たちが母国語で普通にやっていることもできない子供達に英語を話せるように教えていくのです。 アメリカのESLやヨーロッパの子供たちと同じことをやっていても日本の子供たちに効果はありません。

不利な条件を背負った子供たちに世界で互角にやっていける実力をつけさせようと思ったら、有利な条件を持っている子供達と同じ教育をしてもだめです。 不利な点を克服できる教育をしないと互角にはなれないでしょう。
アメリカやイギリスなどヨーロッパの国々で行われている方法が最善だと妄信して英語教育を行うのはもうやめた方がいいと思います。 日本の子供たちにそんなことをしても何の役にも立ちません。


【参考】   私の発音指導は「音の着地ベース」
私の発音指導は「音の着地ベース」だな、と思う事があります。どういうことかというと、発音の仕方を解説するとき、「どういう口の形で発音するか」それについて書くのが普通ですね。 発音する人の口の形や舌の位置などについて解説するのが普通です。 私が大学で学んだ音声学の教科書もそういう内容の原書でした。 つまり「音が発進する」ときの口の形を説明するのが普通です。  私の発音の本はそれも書いてありますが、「発進された音」が相手の人に届いた時、つまり音が相手に「着地した時」どう聞こえるか、それにも重点をおいて説明しています。 例えばcut の「ア」は暗く鋭く聞こえるように発音してください、とか、「Fの摩擦の音が持続して聞こえるように発音してください」というように、相手の人にどう聞こえたら通じるかも含めて解説しています。 発音を学ぶ方の中には「音声学の教科書と同じ説明でないとおかしい」と感じる方もいらっしゃるようですが、聞こえた時の音の特徴を私が重視するのは、私が13歳の時からテープで聞いたお手本の発音と自分の発音を比べて直す、という習得の仕方をしてきたからだと思います。中学1年生から2年間、私は毎日2時間、テープの発音をまねて英文を言えるように練習し、録音した自分の発音をお手本と比べて直すという英語学習を行いました。 その後教材はアメリカ議会の公聴会の録画や「名探偵コナン」の英語版など基本の教材以外も使うようになりましたが、勉強の仕方は基本的に中学生の時と同じです。(「名探偵コナン」のシリーズを何か月もやっていた時は息子に「お母さんがそんなに漫画が好きだとは知らなかった」と言われました)40年以上そうやって「発音した音が相手にどう聞こえた時に通じるか」私はそれを重点に練習してきました。だからブログに「この音はアメリカの発音の本ではリラックスして発音するとかいてありますが、日本人は力を抜いて発音するとこの音の特徴は出ません」などと書くようなことも起こります。 「子音の日本語化」などというのはまさに「音の着地ベース」の指導です。 「音の発進の段階」では、日本人はほとんど正しい口の形で「音の発進」をしているのに、その子音が「着地」の時は短くなって、英語の子音とは違う音になっています。 ちょっと聞きなれない解説をする私の発音指導も、「音の着地ベース」の解説だから、と考えていただくと皆さんにご理解頂けるのではないかと思います。      私が、「Wを発音するときは、唇に力を入れて唇をすぼめてください」というと、「ネイティブは唇に力なんか入れていない」という方がいます。ネイティブは力を入れていないのではなく、小さい時からWの音が聞こえるように発音していますから唇に力を入れて発音するのが当たり前に自然にできているという事です。 でも「小さいときから英語を話していない日本人」が「小さいときから英語を話しているネイティブ」と同じに「W」の音を出そうとしたら、唇に力を入れて話すことが必要になるという事です。 それで私はそういう発音指導を日本人の英語学習者にします。 いつも「ネイティブはそんなことやっていない」という言葉を聞くと、「そういう方は、日本人の話す「W」の音がアメリカ人の話す「W」の音に比べて短くて弱くて聞きにくい、という事実を自分の耳で聞きとれないのだなあ」と思います。 耳が「子音の日本語化」を聞き取れないのだと思います。あまり聞く練習をしたことがないのでしょうね。        私は音声学の専門家の方が「日本語を母国語とする人が英語の発音をする」という事を考慮に入れて、英語の発音の仕方を説明して下さらないかな、と思う事があります。 日本語は発音の根本的なところで英語とは違う発音の仕方をします。 例えば、唇の形を保持して発音することはありませんし、子音の長さを保って発音することもありません。 生まれてからずっと、発音の根本的なところで、英語とは違う発音をしています。 それを考慮して、音声学の専門家の方々が「日本人が英語を発音するときのやり方」を説明して下さらないかな、と思う事があります。そうしたら、日本人はもうちょっと通じやすい発音ができるのではないかと思います。

余談ですけど、今まで日本人が好んで行ってきた英語の演説やシャドウイングばっかりやっていると「子音の日本語化」に気づくことはありません。 演説は全ての音が比較的はっきり発音されますし、シャドウイングは速さに追われて日本語の癖が前面に出ますが、自分の発音を録音しておかないと本人にはそれが全くわからないからです。  「子音の日本語化」に気づいて直すのに一番適しているのは普通の会話文です。 演説の練習やシャドウイングの練習は、「日本語の癖を直さなくてよい」つまり、「日本人にとって、やりにくいことをしなくてよい練習方法」です。ですから、たくさんの練習量をこなしてもあまり疲れることなく、楽にできるのでしょう。 それで「たくさん練習した」感が十分味わえるので、日本人に人気の練習方法です。ただ、それでは「子音の日本語化」は直すことができません。 通じにくい英語のままになります。やりにくくても、努力が必要でも、「英語を話すときは、日本語の子音の言い方を持ち込まず、英語の子音の言い方に直した方がいい」と思います。 通じやすさが格段に違ってきますから。 日本人にとって楽にできる練習ばかりやっていると、日本人が本当に直さなければいけないスピーキングの問題点を直すことができません。 そういう理由で私はシャドウイングや演説でスピーキングの練習をすることを学習者に勧めません。どんなに楽(らく)で、楽しくても。 特にシャドウイングの発音は私が聞く限り、めちゃくちゃです。ご自分でシャドウイングしているときの発音を録音してみるとお分かりになると思います。

以上、2023年10月1日加筆しました。






7/21 10:30日経のこの記事3行読んで「だったら間違いはきちんと認めたら?」と思った。「責任ある報道」は人が担う、と書いてあるけど、間違いを押し通す人が担うのでは嘘の報道ばっかりになるのではないですか? 山崎浩志編集局長、下の記事は間違っています。何が「責任ある報道」なの?ChatGPTが出来たから英語教育で何を書いてもいいわけじゃない。ChatGPTを間違いの正当化に使っていいわけじゃない。私は英語教育の専門家です。真実よりメンツが大事な日本経済新聞社に真実の報道はできない。どんなに政府に私を妨害させても真実は変わらない。間違いは正当化できない。川合典子は英語教育の専門家です。間違いを指摘した専門家の意見を無視して間違いを押し通す新聞が真実を報道できるわけがない。 間違った記事を承知で配信する日本経済新聞社に報道を担うメディアの資格はない。
7/18 「米国で生活して実感した「英語学習」のオワコン化」という記事は日本経済新聞が英語教育に全く無知な証明(この7行下に何が無知か赤字で解説) 詳細はこちら
2023年7月9日角川歴彦氏らKADOKAWAの取締役の事で体験した事をこちらに加筆しました。KADOKAWAの取締役は無名の人間にはどんな酷い事をしてもいいと思っているように私には見えました。無名の人間は潰してしまえば悪事も世間に知られる事はないからでしょう。「悪い事も隠れてやればいい」それがKADOKAWAの体質のように見えました。
2023年6月4日 こちらのブログに2冊目の本を出版した時のことを加筆しました。子音の日本語化は聞ける人がいないからお墓まで自分の胸に納めて持って行く事になるだろうと私は思っていました。2023年7月18日 この記事日本経済新聞が英語教育に全く無知な証明です。彼らは「発音習得にはまず英語の発音が耳に蓄積される事が必要だ」という基本も知りません。基本も知らずに英語教育を論じるのは無理です。 この記事日本経済新聞が「私達は英語教育についてまったく無知です」と言っていることと同じです。 この記事を多くの人々に読んでいただいて、英語教育の基本も知らないで英語教育の記事を書いている日本経済新聞の実態を多くの方々に知っていただいた方がいいかもしれないですね。島田優子記者のこの記事を読めば、日本経済新聞が無知であるがゆえに、非常に安易に英語教育を考えている実態がよくわかります。 

7月13日 日本経済新聞社間違った記事の配信はおやめ下さい。私が間違いを指摘した後も、ほかの記事の下に「関連記事」として、この間違った記事をリストして勧めていることに驚愕しました(6月8日)。 「間違い」を力で「正しい」と押し切る。報道のメディアとして相当悪質です。 「ChatGPTができたから今までの英語学習の見直しは不可避だ」と言う事を根拠にして、この間違った記事を正当化したいようですけれど(日経のそういう記事を読みました(6月6日)、読後あまり記事と題があっていないなあ、と思っていたら、同じ記事の表題が3時間後に「柔軟な教え方が重要に」と変えられていました。私のように感じた人がほかにもいたのか、そこには編集委員の解説までついていました。 でもいくら柔軟に教えても)島田優子記者の記事を正当化するのは無理です。 いくらChatGPTでも子供達の唇や舌を自動的に動かして正しい発音で英語を喋らせる事はできません。そんなこと誰だってわかるでしょう。 日本経済新聞の編集者にはわかりませんか。お分かりにならないなら、英語教育の記事を掲載するのはおやめになった方がいいと思います。発音は英語教育の基底となるスキルですから、それなしに何をしても結局英語は通じません。(通じなかったらChatGPTを使えばいい、と言われればそれまでですけど。教育次第で自分で通じる英語が話せるようになるのなら、話せるようにしてあげたいと私は思います。)新聞記事というのは素人が憶測で書くものではないでしょう。 専門家が冷静に分析、判断して書くものでしょう。 島田優子記者は英語教育に関しては何も知らない。発音の習得に関しても何にも知らない。聞いた発音が耳に蓄積されて同じ音で発音できるようになるという発音習得の基本も知らない。 ChatGPTの狂騒に紛れて新聞は何を書いてもいいわけではありません。ChatGPTを理由に間違った記事を正当化していいわけではありません。 ChatGPTは子供の口の筋肉を自動的に動かしません。 そういうことを冷静に判断して記事を書くのが新聞社の見識でしょう。  間違えている個所はこちらのブログで指摘しました。 読者の皆さんに私がお伝えしたいことは、アメリカ(あるいはイギリス)から帰ってきた人が英語教育について発言した時は、「日本とアメリカの英語インプット量の差をきちんと考慮して、教育法を提唱しているのかどうかを考えてください」という事です。 古くは、初心者が出来ない「英語で考える指導法」を提唱した故松本亨氏、松本氏没後44年たってもその間違いを認めない石渡誠氏、(石渡誠氏はまちがった教育法を提唱して20年以上授業料を取ってきましたが、損害賠償を求められても払えないので、生涯、間違いを認めることはないでしょう。 でも生徒の方は、先生には知られないように、みんな日本語訳を使って勉強していたようです。 日本語訳を知らないと初級、中級者は英語を喋れないのです。)   最近では「英語で授業」を学校でさせようとした松本茂立教大学名誉教授、吉田研作上智大学名誉教授(2人とも間違いを指摘されたら、誤りを正すこともなく大学をやめた)、今回の島田優子記者、みんな日米の英語インプット量の違いをまったく考慮しないで、アメリカでやっていることをそのまま日本でやらせようとしました。それで、学校英語教育は何年も犠牲になりました。 だから、日本経済新聞社アメリカで行っていることをそのまま日本でやらせようとする記事を安易に読者に広めるのはやめてください。 しかも、この記事はまちがっているのです。 日本経済新聞社には、この記事の間違いを見抜ける編集者もいないのですか? それで、英語教育の記事を書くのは無理です。「発音習得にはまず英語の発音が耳に蓄積されることが必要だ」という事すら知らないで、英語教育を論じるのは無理です。今までそんなことも知らないで、英語教育の記事を書いてきたのですか? 日本経済新聞社の英語教育に対する見識は島田優子記者の見識と同じで、まったくないのですね。だから必死に島田優子記者の記事を「正しい」として「関連記事」で読者に勧めるんですね。 そうやって、間違ったことを本当のように報道するから、日本で効果のないアメリカと同じ方法が学校教育で成果を上げると大学教授まで誤解するのです。 その結果、犠牲になるのは子供達なのです。 
5月25日8時25分 この島田優子記者の記事は日経クロステックの編集長のチェックを通り、日本経済新聞社の責任ある方のチェックを通ったものと考えてよろしいのでしょうか。 日本で、英語の授業で、文法も教えずに英語習得ができるというのはあまりにもいい加減な記事だと思います。 日経クロステックの編集長や日本経済新聞の責任ある方々がなぜその点に気づかずに掲載されたのでしょうか。 しかもこの記事は 有料会員限定の記事です。お金を払って読者は読んでいるわけです。何らかの誠意ある対応が日本経済新聞からなされて当然ではないですか。 英語教育をまったく学んでいない島田優子記者が書いた間違った記事をそのまま掲載した責任は重いと思います。 島田優子記者がまったく英語教育を学んでいないことは彼女の経歴を知る日本経済新聞社(あるいは彼女が所属する日経クロステック)ならわかっているはずです。 採用の時、誰でも履歴書は提出しますから。 そういう人間が書いた英語教育の記事をきちんとチェックもしないで掲載するというのは随分ずさんな編集の仕方だと思います。 日本経済新聞はこのようなまちがった記事を掲載したことについて、読者にお詫びもしないのですか。 しかも、この記事は有料会員限定の記事です。 お金を払って間違った記事を読まされた読者に少なくとも新聞社として誠意ある対応をするのが当然ではないですか。 私はあの記事を見た時、あまりのひどさに2日間くらい頭が真っ白になって何も考えられなかったです。 ただ娘のエッセイの出来事だけが頭に浮かんできました。 私は自分が何をしたいのかもわからずにあの娘のエッセイの話だけをパソコンに書きました。本当にあまりのひどさに何も考えられなかった。全身の神経が麻痺したように感覚がなくなりました。ひどいと思った。ひどすぎると思った。 英語教育を知らないにもほどがあると思った。この記事を読めば「英語で授業」とか理不尽なことを文科省から言われながら、日本の先生方が分詞構文一つ教えるにも大変な苦労をされていることがわかるでしょう。日本でまったく使われていない言語を教えて、その上、生徒が自分で使えるようにするんですよ。簡単にできるはずないでしょう。 日本経済新聞社はド素人にいい加減な記事を書かせて日本中に配信しないでください。 それで読者に訂正もお詫びもしない。 新聞社としていい加減で無責任です。 間違った記事を配信して訂正も謝罪もしないでお金を取るのは公正な企業活動ではありません。 日本経済新聞社は公正な企業活動をしてください。 今日みたいに政府に私を妨害させておくから、ド素人の書いたいい加減な記事を掲載しても知らんぷりしていれば大丈夫だと思っているのですか? このことを書いた後、政府からこんなに激しい妨害を受けるという事は、政府と日本経済新聞社は本当に一体なのですね。(せっかく池上彰さんが「右でも左でもなく真ん中の記事だ」と解説したのに)日本経済新聞社(長谷部剛社長)は国家権力を使って、間違った記事を指摘した人間を抹殺する。日本経済新聞社は国家権力と結託して「間違った記事の隠ぺいを謀る」近年まれに見る悪質な新聞社です。新聞社が記事の間違いをなぜ正さないのですか? 日本で子ども達に勝手に英語をしゃべらせて正しい発音で話せるわけないでしょう。(ぼろぼろのカタカナ発音になります。音声学を学んだ人はその事を知っています) 間違いを指摘した人を国家権力に弾圧させて、自社の間違った記事を正しいと押し通すのは新聞社としてひどすぎます。 社会的に弱い立場の人間を国家権力に妨害させて自分達は間違った記事を正しいと押し通す、新聞社としてあまりにもひどいやり方です。 この日本経済新聞の記事は明らかに間違っているのです。こんな嘘を書くから英語教育が混乱するんです。  ド素人の書いた嘘の記事を国家権力による妨害まで使って、「正しい」と押し通して自分たちが英語教育に精通しているとでも言いたいのですか。 「一個人と日本経済新聞では、自分たちの方が優位だから弱者は国家権力に妨害させて、日本経済新聞は嘘さえ正しいと人々に信じ込ませることができる」そう思っているのですか。記事もひどいけど、それを正しいと押し通す日本経済新聞社の隠ぺいの仕方はもっとひどいです。(私がこの記事の感想を書いて間違いだと指摘した直後、この記事にアクセスすると、記事の表題が隠れてしまう大きな横長の動画が画面で始まりました。私は、夫が新聞が好きで、いろんな記事をメールで知らせてくるので読みますが、こんな動画で始まる日経の記事の画面は初めて見ました。(今はもう動画はありません。読者に何か言われたのですか? 記事の表題が見えなくなっていましたからね)  こういうことを書くと、また何か違ったことをして「川合典子のいう事は違う」とアピールするんですよね。 私を妨害する人ってみんなそうです。言われたことと違う事をして「自分はそんなことはしていない」ってアピールするんですよね。だから疲れます。画面の動画については6月3日午後1時35分現在の状態で書きました。 それ以降の画面の変化については私は知りません。 その動画を初めて見た時「日本経済新聞社ともあろう新聞社がこんなことをするなんて、姑息(こそく)だなあ」と思いました。大辞泉で「姑息」をひくと、意味は「その場しのぎ」 しかし近年、「その場だけの間に合わせ」であることから、「ひきょうなさま、正々堂々と取り組まないさま」の意で用いられることがある。」と書いてありました。文化庁の調査ではそちらの意味で使う人が70.9%だそうです。 私も「正々堂々と取り組まないさま」という意味で使いました。間違った記事の表題を動画で隠すって、今の日本経済新聞社は相当劣化している。)    この記事を読んだのは私だけではありません。 多くの方がお金を払ってこの記事を読んでいます。日本経済新聞社はまちがった記事を掲載したことに全く責任は感じませんか?
2023年5月24日 こちらの日本経済新聞に掲載された記事の感想をこちらのブログに書きました。
間違った新聞記事は英語教育を混乱させますので、記者の方はもう少し英語教育を勉強された方がいいのではないでしょうか。



妨害がひどいのでご協力いただける方は拡散をお願いいたします。(9:40pm ご協力ありがとうございます。感謝しています)   中学校教諭37%過労死ライン越え(厚生労働省基準)     
岸田首相は先生方を死ぬまで働かせる事に慣れきっている/まるで奴隷商人/非人道的な岸田首相。一国の首相が、「国民を育てる教師達」に奴隷商人と同じ事をしていて、国が良くなるわけないじゃない。政府は先生方から何百億円何千億円搾取しながら、先生方の命まで搾取する。非人道的な「教師の奴隷商人」岸田文雄。先生方を死ぬまで働かせておいて賃金も払わないなど、ひどすぎる。
日本政府による教師搾取の構造(人権蹂躙)。   まず教師を「ただ働き」させて政府が不当な利益を得る。(コンピュータ業者には政府自ら決定し莫大なお金を払うのに)教師には労働相応の賃金は払わない。先生方の負担を軽減する30人学級の予算も認めない。政治家の利益にならない人間は安くこき使って切り捨てる。むしり取るだけむしり取ってそうやって得た金は見返りのある業者に使う。これが日本政府による教師搾取の構造です。(政府が使っているお金は教師が払った税金です)こちらの資料を見ると2020年では小、中、高の公立学校の先生は70万人弱いらっしゃるようですので、全員にただ働きさせて、相当な不当利益を政府は得ているわけです。(お給料は年齢によって違いますから一概には言えませんけど、単純に計算して一か月一人一万円労働に対して不払いしたって、70億円ですから、年間休みを除いて10か月とすれば、政府は毎年700億円先生方を搾取して不当利益を得ているわけです。いくら何でもそれは先生方に返さなければいけないのではないですか。知らんぷりしてこれからも搾取し続けるんですか? 先生方は地方公務員ですけれど、超過勤務に関しては国が報酬の規定を決めています。 緊急に必要なことなのですから(現時点で地方公共団体は予算を取っていないでしょうから)超過勤務の費用は国が負担しなければ誰も先生方に適正な報酬を払えないでしょう。 なのに国は業者に払うお金は出すけど、先生方の為のお金は出さないのよね。だから私は「搾取」と思うわけです。 30人学級の実現だって、国の予算折衝で認めてもらえなかった、と以前、読んだことがあります。一学級30人だったら先生方の負担もここまで大きくならなかったでしょう) 4月28日の朝日新聞Digitalには一か月あたりの時間外勤務は中学校で77%、小学校で64%の教諭が文科省の定める上限基準(45時間)に達していると書いてありました。Yahooニュースには「中学教員37%が過労死ライン超え」(厚生労働省が定める「過労死ライン」一か月の残業時間が80時間以上)と書いてありました。 「文科省は教員の待遇改善のあり方について今夏にも中央教育審議会文科相の諮問機関)に諮問し、議論を始める方針」と書いてありましたけど、過労死ラインを超える先生が目の前に4割近くいるのに何をそんな悠長なことを言っているんですか。死にそうに働いているのをわかっていて夏まで放っておくんですか。あなたたちは教師を死ぬまで働かせることに慣れきってしまったのではないですか。 私がGIGAスクール構想では過労死する先生も出るだろうと言ったら、文科省は「働き方改革に則って仕事をし」とか言ってましたけど、働き方改革に則ってやっていたら仕事が終わらないからいまだに先生方は過労死ラインを超えるほど働いているんでしょう。先生の人数も足りないのでしょう。 私は文科省GIGAスクール構想のページを読みながら、40人の生徒を個別にコンピュータに向かわせて「誰一人取り残さない」個別最適化した学習を行うこのプランで効果を上げるためには、先生方に最低でも助手一人つけないと無理だ、と思いました。 これは純粋に「労働問題」です。 労働量に無理があり、労働時間に対して正当な報酬が支払われていないという問題です。 「中央教育審議会」がこの問題を解決できるんですか?  文部官僚は厚生労働省に行って労働問題の専門家からご教授いただいた方がいいんじゃないですか? もし厚生労働省が管轄する職場で過労死ラインを越えて37%の職員が働かされていたら、直ちに厚生労働省が改善を指示するんじゃないですか? 「中教審に諮問して議論を始める」って、やっぱり政府はこの問題を本気で解決する気はないのですね。 中央教育審議会が賃金不払いに対して何ができるのよ。 これは行政が即刻解決しなければいけない問題でしょう。やっぱり政府は「教師は安く使って切り捨てる」つもりなんでしょう。政府は「中教審で待遇改善の議論を始める」と言葉でだまして時間稼ぎして、いつまでも教員を搾取するつもりなんでしょう。 この問題を抜本的に解決しようと思ったら、「教師増員プロジェクト」でも立ち上げて、今の先生方の待遇改善と同時に若い人たちに教師が報酬の面でも報われ、やりがいのある魅力的な仕事だと思ってもらえるような各方面の改革をしなければとても解決できない問題だとわかるでしょう。搾取されるとわかっている職業に若い人が魅力を感じないのは当然です。 4割近くが過労死ラインを越えて働いている職業に若い人が魅力を感じないのは当然です。 それを改善するのは行政の責任でしょう。 何が「中教審に諮問する」なのよ。 そんなことも誰かに諮問しなければわからないんですか?  あなたたちが賃金払ってないのが問題なんです。 あなたたちが先生が一人でできる以上の仕事を押し付けているのが問題なんです。 当事者は教育行政を行っているあなたたちなんです。  政府がやっている不法行為に政府/文科省の諮問機関が何ができるのよ。 諮問ばっかりやってないで、少しは自分で考えなさいよ。当事者なんだから。わからなかったらまず30人学級を実現しなさいよ。 「予算がない」なんてもう言えないでしょう。今まで何百億円、何千億円と先生方を搾取してきたんだから。 あなたたちが不法行為をやめればいいの。解決法はそれ以外にないの。 それをしたくないから中教審に諮問するんでしょう。つまり中教審は政府の逃げ道でしょう。 あなたたちのやっていることは自分が泥棒やっておきながら、中央教育審議会に「防犯対策を諮問する」みたいなもんなの。自分が泥棒やめればいいだけなの。政府が教員に対する搾取をやめればいいだけなの。 私の友人、あの藤田さんは、「政府が決めて地方公共団体が払うシステム自体が搾取だよ」って言ってました。誰も教師の仕事をそばで見て適正な報酬が支払われているか確認する責任を負わないからでしょう。 事実、政府/文部科学省は「中央教育審議会に諮問する」って他人事みたいな対応じゃないですか。 超過勤務の賃金を決めたのはあなたたちなんだよ。30人学級を認めないのもあなたたちなんだよ。 中教審に諮問するなんてただの時間稼ぎでしょう。中学校では4割近くの先生が過労死ラインを越えているんだよ。だから私は政府は教師を死ぬまで働かせることに慣れきっているんだと思うわけ。命に関しても反応が鈍(にぶ)すぎる。 あなたたちは先生方から何百億、何千億と搾取しておきながら命まで搾取するつもりなの? 教育に従事する人々をないがしろにして教育がよくなるわけない。子供がよく成長するわけない。どんな機器を入れようと、どんな省庁作ろうと。
4/20政府/文部科学省GIGAだのAIだの新しい省庁(こども家庭庁)だの作るお金があったら、その前に先生方への借金を返済して下さい。借金踏み倒しはよくないです。「教師はお金払わなくても安く働かせられる」などと思っていたら大間違いです。4/19国の借金は国債だけではありません。国は先生方にも何年にも渡って借金をしてきた事と同じです。借金ですから利子まで耳をそろえて直ちに先生方に返済してください。コンピュータは一人一台買ったんでしょう?お金がないなんて言わせない。払う気がないだけよ。業者と違って先生方では政治家に見返りがないから。先生方は不当な待遇をこれ以上我慢する必要はないです。その分、政府/文部科学省が不当利益を得ているのです。政府/文部科学省は不当に得た利益を今すぐ先生方に返還して下さい。 (以前ネット上で「担任のいない学校もある」と読んだことがあります。真偽はわかりませんが、もし本当なら生徒数に対して規定数の教師を配置していないという事です。そういう学校では少ない数の先生が「一人の教師として定められた以上の労働を負担している」という事です。それも不当な待遇です)
搾取(さくしゅ)4月17日
文部科学省による先生方に対する賃金不払いについては下の青字の部分に書いてあります。 生徒一人一台コンピュータを買う時には莫大な予算を国民が何も言わなくても出したのに先生方には労働相応の賃金さえ支払わないというのは、文部科学省は先生方に故意に賃金不払いをしているのではないですか。 コンピュータを買う時のように、政権が必要だと思えばどんなにたくさんのお金でも出すわけですよね。 予算を決める政治家(政府)も、業者に払えば見返りがあるけれど、先生方に払っても見返りがないから先生方のための予算は出さない、という事ではないですか。  これは階級社会や南北問題とは関係ありませんから「搾取」とは言わないかもしれないけれど、問題の構図から見れば、「文部科学省」と「予算を決める政治家(政府)」が先生方をいいようにただ働きさせて不当利益を得ている、という事だと思います。(支出するべきお金を支出せず、自分たちのものとして他のことに使っている) 私には先生方が文部科学省や政治家(政府)にいいように「搾取」されているように見えます。 だから私にはこれは先生方の人権問題に見えるのです。 文部科学省と政治家(政府)が優越的立場を利用して先生方に賃金を払わず、不当な利益を得ている」私にはそう見えます。 文部科学省と政治家(政府)が先生方を搾取しているのです。 だから私は先生方のただ働きは先生方の人権問題だと思うのです。
「よい教師は報酬など気にしない」などという理屈は搾取を偽装するまやかしです。 労働に対する正当な報酬を受け取ることは全ての人間の権利です。 よい教師ほどよい報酬を支払われてしかるべきです。 クオリティー(質)の高い仕事をしている人はそれに見合った報酬を支払われて当然です。 人間は霞(かすみ)を食べて生きることはできません。 政府/文部科学省は今すぐ先生方に労働相応の賃金を支払ってください。 今すぐです。 政府/文部科学省は先生方をこれ以上搾取して不当な利益を得るのはやめてください。支払われるべきものは支払ってください。 それを支払わないのは先生方に対する政府の人権蹂躙(人権侵害)です。  (人権蹂躙じんけんじゅうりん:人権を踏みにじること。特に、国家権力が憲法の保障する基本的人権を侵犯すること。 大辞泉
トップ部分に黄緑色で加筆しました。文科省の「子供に対する理解」は相当お粗末です。私は戦後の教育を受けました。だから教育原理を教えてくださった伊勢田先生は戦前の反省から「教育の主体は生徒である」と教えてくださいました。 生徒そっちのけの教育ばっかり言っている文科省は戦前、つまり昭和20年より前の教育みたい。
4/14 2:27教育に従事する人をないがしろにして教育がうまくいくわけないでしょ。思考力があったらそんな事すぐにわかるの。
4月15日 0:12 青字(賃金不払い)部分加筆 政府/文部科学省で働く人達は偏差値は高いかもしれないけれど、思考力はゼロだね。 でも毎日「思考する練習」をすれば少しは思考力も育つかもしれないよ。 そうすれば人間である子供達が「学びたい」という気持ちを持って生き生きと学校生活を送れるようにするには「生きている人間の指導者」つまり十分な数の良い教師を育成するしかないとわかるようになるよ。(学習塾だってわかっている事なんだから)いくら今は思考力がゼロでも練習すれば少しは思考力が育つから。 そうしたら多くの良い人材が教師になりたいと思えるようにする為には、いつまでも先生方に「ただ働き」させる時間があったらだめだとわかってくるよ。(これって普通の会社だったら、賃金不払いで訴えられるんじゃないの? いろいろな場合があるから一概に言えないだろうけれど、厚生労働省や、法務省経済産業省やいろんなお役所がこの問題には結構真剣に取り組んでいるのに、文部科学省は全国の先生たちに「ただ働き」させているのに何にもしないの?  どうしてこれが人権問題にならないの? 先生はこき使っていいわけ? 文部科学省は先生の人権は無視して、大量のコンピュータ購入には莫大なお金を使うわけ? それって狂ってない? 文部科学省の職員は厚生労働省法務省経済産業省に行って、きちんとした労働の基準を勉強してくれば? 文部科学省は違法に先生方を働かせているんじゃないの? これって文部科学省不法行為じゃないの? 大辞泉不法行為を調べると「故意または過失によって他人の権利を侵害し、その結果他人に損害を与える行為。 加害者は、その損害を賠償する責任を負う」と書いてある。 私は法律の専門家ではないから役所と公務員の関係にこれが適応されるのかどうか知らないけど、「ただ働き」は文部科学省がやっていけないことだけは確かじゃないの?) そのぐらいの思考力は育つと思う。今みたいに政府/文部科学省の思考力がゼロでは何をやっても教育はよくならない。担任もいない学校なんかあったらダメだってわかってくるよ。 思考する練習をすれば少なくとも先生方にただ働きさせる時間があっていいとは考えなくなると思う。 そのくらいの思考力は思考力ゼロからでも育つと思う。 それでも「AIでデータ取って。。。  コンピュータの前に座らせて。。。 ビデオで授業を撮影して。。。(つまり教師抜きの学校だけ考える)」とか言って来たら、もう政府/文部科学省の頭は不毛で思考力も育たないという事だね。 まさに思考力も育たない「狂気の文部行政」の証明です。 政府/文部科学省は私のことを嫌味なおばさんだと思っているでしょうね。 別になんて思われてもいいです。 私は先生方がこんな待遇を受けているのが教育問題の根本だと思っているから。その仕事に従事する人をないがしろにして、その仕事がうまくいくわけないでしょう。 思考力があったらそんな事すぐにわかるの。たぶん、先生方の待遇をこのままにしておいたら、そしてよい教師をたくさん育成する努力を政府/文部科学省がしなかったら、どんなにAIを使ったって、どんなにコンピュータを使ったって、どんなにビデオカメラを使ったって教育はよくならないよ。 子供ってそんなことじゃ育たないから。 いくら私を妨害したって、真実は変わらないよ。 子供はそんなことじゃ育たないから。

政府/文部科学省は「データ取って素晴らしい教育ができた」と思っているところが救いようがないくらいおめでたい。教育の分野で「最新のデータ取り」だけ自慢しないで。現場の先生の苦労も知らないで非常に不快だ。「教育とは何か」を知らない証拠です。現場の先生の苦労を少しは知って下さい。「教育」をしているのは先生方なんですよ。データ取りにばっかりお金使ってないで、少しは先生方の待遇改善の為に予算を使って下さい。二度とデータ取りだけ自慢しないで。非常に不快です。そんなの生徒そっちのけの昭和20年の教育と同じです。学習塾だって「AIで苦手分野を分析」が目玉じゃ生徒は誰も来ないって知ってますよ。学習塾はどれだけ最新のAIで子供を分析しているかなんて自慢するより、自分の塾の先生がどれほど生徒を理解し、親身になってその子に適した教育をしているかをアピールする。文科省は「先生は足りないけど」AIの分析で指導の個別最適化を「実現」しましたっていうの。文科省は「実現」したんじゃなくて「データ取った」だけじゃない。「先生は足りない」けど「データは取った」と言ってるだけでしょ。こういうのは「教育」って言わないの。データは教育はしない。データはしゃべりません。どこでデータが子供に教育しているの? 2度とデータ取りの自慢しないで。人間の子供の教育は人間である先生方しかできないの。教育現場では先生が足りなくて困っているのにデータ取りの自慢ばっかりする政府/文部科学省は非常に不快だ。「データ取ったから指導の個別最適化を実現した」というなんて教育に対して想像を絶する無知だ。 緊急の教師不足の解決に目もくれないんだから、裏で「子供以外のことを目的に教育行政やっている」と思われても仕方ないでしょう。子供そっちのけの狂ったことばっかりやっているから「狂気の文部行政」って言われるの。
(加筆はこの下です)
4/11政府/文部科学省の「狂気の文部行政」
政府/文部科学省が子供を「物」だと思っている証拠はこの画像生徒一人一人が大事な人間だと思っていたらこんなビデオ解析で出欠を取ろうなどと考えないでしょう。 だから虐待だって言ってるの。生徒に人間の扱いしてないじゃない。「生徒は物だから生きてる教師はいらない」「物」には機械や分析をせっせと発注。教師不足は徹底無視。政府/文科省は狂っている。狂気の文部行政 機械とデータだけじゃ子供は育たないんだよ。教育はできないんだよ。それを育つと思っているから「狂気」だって言ってるの。「人間を育てる」という意識のない教育は、どれほどお金を使おうとどれほど最新の技術を使おうと子供を幸福にすることはない。「人間を育てる」という意識を持って教育にあたれるのは学校教育の場合、教師だけです。
こちらの資料大阪府箕面市教育委員会コニカミノルタと「教育現場に人工知能(AI)を導入し、児童生徒の成績予測や苦手分野を分析することにより、指導の個別最適化を実現しました。」と書いてありますが、データを取るだけでは個別最適化した教育はできませんよ。 そのことは「デジタル庁は犯罪集団」のブログに書いた通りです。 文科省はAIを駆使してビデオカメラで分析すれば生徒の能力は伸びると思っているんですか?機械とデータで子供が勉強する気になると思っているんですか? 子供について考える方向が相当違うと思います。学習塾のパンフレットだって、どれだけ苦手科目を先生がサポートしてくれるか、成績が伸びなくて困ったとき先生がどんなヘルプをしてくれるか宣伝していますよ。学習塾はAIで分析するだけでは子供の成績は上がらない。そのあと、先生がどういう指導をするかが重要だと知っているのでしょう。学習塾は文部科学省よりずっと子供のことをよく知っています。 「子供に対する理解」については文科省は相当お粗末です。 最新の技術を前面に押し出しているのに「子供がどういう時、学びたいと思うようになるか。」つまり「子供に対する理解」については文科省はかなり時代遅れです。私の大学時代、40年前でもここまで「子供の心理」に疎い教育論はなかったです。 最新の機械や技術を入れれば子供が自動的に勉強すると思っているところが相当時代遅れでお粗末です。子供を知らなすぎる。想像を絶する無知です。 それで子供が勉強する気になったら、現場の先生方は苦労しないです。文科省は「どうしたら子供が学びたいと思うようになるか」考えているのではなくて、最新の機械と業者を入れることを目的に学校教育を主導しているのではないですか? だって子供の心理はそっちのけですから。私が大学生の時もこんなに子供そっちのけの教育論はありませんでした。文科省はお粗末です。 最新機器を入れて分析すれば子供は成長するの? データ並べてそのあとどうするの?  そこから先が教育の要(かなめ)なの。 機械でデータ取っただけで教育したつもりにならないで。データ分析=教育 ではありません。 学習塾だって「AIで苦手分野を分析」だけじゃ生徒はだれも来ないって知ってますよ。文科省はそんなことも知らないの。「データとって自動的に教育ができた」と思っているところが救いようがないくらいおめでたい。 (虐待がばれた2か月後、コニカミノルタとどんな見た目立派な契約を結ぼうと政府/文部科学省の本音(生徒は「物」)は隠せないです。) そういえば、中学校で教えてもいないスピーキングを高校入試でテストするのだって正気の沙汰ではありません。これも東京都教育委員会の「狂気の文部行政」。

(この部分は私事ですので、下の赤字の部分に飛んでください。そこからが本文です)
2023年4月10日  昼間にブログをアップするといつもきつい妨害が始まるので、昨日は深夜午前0時にブログをアップするつもりでした。(知人にそう言ったら「それは勤務時間内に仕事として妨害しているのね」と言われました。私はそういうことはわかりません) でも途中で今まで見ていなかった資料などが見つかって原稿を変更しているうちに、終わったのは今朝午前4時50分でした。 玄関のガラスの向こうが少し明るくなっていました。 今朝は職人さんが窓の寸法を測りに来ることになっていたのでお寝坊はできませんでした。 やっぱり20XX年まで教育にかかわっていく事だけでもきついなあと思いました。 狂気の文部行政に翻弄される子供たちがかわいそうですけれど仕方ありません。
政府/文部科学省の「狂気の学校省力化計画」 政府/文部科学省が子供を「物」だと思っている証拠はこの画像です。政府/文部科学省が「川合典子の言う事は違う」とアピールする為に報道資料などいろんな手段を使っても、政府文部科学省が子供を「物」だと思っていることはこういう所でわかります。(だから国家権力を相手にすると疲れるのよね。国家権力は使える手段はマスコミをはじめたくさんあって、それを書く人間もたくさん使える。 私が問題点を指摘した後から、今までとは違うことをやって、私の指摘を否定しにかかる。ブログのリンクは切られるし、アクセスはほとんどないようにされる。 大学入試の英語民間試験について書いた時もそうだった。学習指導要領について書いた時もそうだった。文部科学省のアクションプランについて書いた時も、新井紀子の劇場型詐欺を書いた時も、eポートフォリオのことを書いたときも、国立情報学研究所の事を書いた時も、日本経済新聞社の事を書いた時も、東洋経済新報社の事を書いた時もそうだった。 デジタル庁は個人情報をだまし取る犯罪集団だと書いた時もGIGAスクール構想は失敗すると書いたときもそうだった。そして今回の大阪府箕面市教育委員会コニカミノルタについて「虐待だ」と書いたときも2か月後にこういう資料を出して「AIで児童生徒の苦手分野を分析して指導の個別最適化を実現しました」と私のいう事を否定しにかかった。言っときますけど、データ取ることが教育じゃないんだよ。取ったデータ並べておけば、子供たちの苦手分野がなくなるの?) 生徒一人一人を大事な人間だと思っていたら、決してこんな画像処理で出欠を確認しない。 教師が生徒の顔を見て出欠を確認するでしょう。私達国民は高い税金を払っているのに政府/文部科学省は「教師が大量に退職するのに備えて、大阪府箕面市で子供を「物」と同じ方法で処理する実証実験」を行っている。政府文部科学省の「狂気の学校省力化計画」。 政府/文部科学省は「子供は「物」だから教師(人間)を増やす必要はない。 「物」の処理に教師(人間)はいらない。子供は機械で処理して機械で教えればいい」と思っている。これが日本の文部行政を行う政府/文部科学省の正体です。 この画像がその証拠です。「子供がよい教師に指導されること」これは、機械に置き換えることの出来ない価値を持ちます。子供の一生を通じてよい影響を与えていきます。だからよい教師を育成することは教育において重要です。 機械やデータは教師が適切に使った時効果を上げるでしょう。 子供は一人で機械に向かっても学力を向上させることはありません。どんなにデータをとっても「勉強したい」と思わせることはできません。子供自身が「学びたい。勉強したい」と思うことは教育において最も大事なことです。機械を使う事やデータを取ることしか頭にない政府文部科学省はそんな「教育で一番大事なこと」も知らないでしょう。 教育心理学の仁科弥生先生が「セサミストリートは当初期待されたような効果を上げることはできなかった」とおっしゃったことはこちらのブログに書きました。先生は「やはり高い効果を上げるには、誰かがそばにいて~~なんだね。とか言ってあげないと難しい」とおっしゃいました。 機械で「正解」と言われるより、信頼する先生に「がんばったね」と言われる方が子供はずっとうれしいのです。  業者を使うことも機械を使うことも結構です。(この報道資料の作成は私が児童虐待を指摘した2か月後ですね。「虐待じゃない」と言いたかったのでしょうね。新井さんの時も東洋経済新報社の時も私が何か指摘すると、「そうじゃない」と言いたいことばっかりやっていましたね。) でも、よい教師の育成なしによい教育ができないことを知らなければ業者も機械も何にもなりません 教育において教師の重要性を徹底的に無視して予算を使わず、機械や業者やデータに異様に執着する政府/文部科学省は教育の本質も知らず、狂っている。まさに「狂気の文部行政」です。 あれだけコンピュータをそろえたGIGAスクール構想だって、私がこのブログを書いた後、あなたたちは失敗した時の言い訳をもう言い始めていたではないですか。何をそろえようとよい教師を育成する重要性を無視した教育方針は決して子供たちに利益をもたらしません。なぜなら、それは子供たちが人間だからです。子供は「物」ではないからです。そんなこともわからない政府文部科学省は本当に狂っている。 まさに狂気の文部行政です。

センサーで物品を選り分けるように子供の出欠確認を行う政府/文部科学省に子供の教育を担う能力はない。資格もない。こんなひどい画像を教育の資料として平気で公開する政府/文部科学省は狂っている。子供の出欠確認は在庫管理か?教師不足は機械で解決すればいいのか?子供は物じゃない。こんなひどい子供の画像を平気で公開する政府/文部科学省は狂っている。政府文部科学省は「子供は物」だと思っているから、教師(人間)を増やさないで子供は機械で処理して機械で教えればいいと思っている。政府/文部科学省は狂っている。 
4月7日(金曜日) 私は昨日改めてこのブログ(川合式英語学習法)を読み直してユニクロのレジを思い出しました。 ユニクロでは人手を省くために、購入する品物をかごに入れて、レジの決められた場所に置くと、センサーが値札をキャッチして「何点、いくら」と自動的に計算してくれます。 後はクレジットカード(またはスマホ)を入れれば会計は終了し、店員さんの手を煩わせる事はありません。 省力化されています。 文科省大阪府箕面市教育委員会の発想も同じですね。 教師が足りないからカメラに子供の映像を撮らせて出欠を自動的に確認する。教師が登校してきた生徒の顔も見ないで、出欠を確認する方法をコニカミノルタと共同で研究している。つまり、政府/文部科学省の教師不足に対応する政策は「子供をユニクロのズボンと同じに考える発想」から生まれている。政府/文部科学省に「教育」をする資格も能力もありません。「センサーで物品をより分けるのと同じ発想」で子供を見ていたら、人間の子供の教育はできません。この段階で政府/文部科学省はアウトです。「教育」をする資格も能力もない。 だから政府/文部科学省は「よい教師を育成する重要性」もわからない。なぜよい教師を育成することが大事なのか。それは生徒が人間だからです。ユニクロのズボンと同じではないからです。(毎日違う、一人ひとり違う。今受ける刺激に基づいて成長する)そこから教育を見れば日常的に超過勤務の状態になっている先生方の負担を軽減し、待遇を改善することがどれほど重要かわかるはずです。政府/文部科学省がどんなに「子供は大事だ」と言おうと本心では「ユニクロのズボンと同じ」くらいにしか思っていないから「よい教師を増やす政策」も行わないのでしょう。 本心というのはそういうところでわかってしまいます。(新井紀子のアミラーゼの問題と同じです。子供を罠にかけてわざと間違えさせて「読解力が大事、大事」と騒いでも嘘は丸見えです) 政府は子供なんかユニクロのズボンと同じくらいにしか思っていないのになぜ「こども家庭庁」を作ったのか。 本当の目的は何か。 業者の金儲け? 個人情報の騙し取り? 特定の「家庭像」(道徳観)の押し付け?(わざわざ「家庭」という言葉が入っていたので、初めて聞いた時、ふっとそう思いました。最初はソフトに装って、決して「家父長制」なんて言わないでしょうけど。政府の目論見の根底に何があるのかまだわからない。今まで何回も国民をだましてきたから) その他考えられることには私たちは目を光らせていた方がいいと思います。 おかしいと感じた人は声をあげてくれれば、みんなでその点を注意して見ていけます。デジタル庁発足の時がそうでしたから。 彼らは生涯教育の支援と言って、国民の個人情報を国家権力で騙し取る犯罪集団だった。

2023年4月5日  このブログ(川合式英語学習法)のトップの部分にある画像のリンクが私が知らない間に切られていました。(リンクを飛んだら「お探しのページはありません」と出てきました。私のブログにつけたリンクには後からそういう操作をされることが今まで何回もあります) リンクが切断されただけでそのページ自体は今も存在していますので、付け直しましたけれど、政府もこれがどれほどひどい画像かわかったのでしょう。 ひどいはずです。子供の人間としての尊厳を失わせる「児童虐待」ですから。 子供たちの出欠確認が荷物の在庫管理のように扱われている。政府も恥ずかしくてとてもアップに堪えられなかったのでしょう。子供を平気で虐待する政府が作ったこども家庭庁は本当に子供のことを考える人が担ってくれているのでしょうか。牧島かれん大臣の時のデジタル庁のように犯罪集団でないことを祈ります。 こども家庭庁を作る前に、子供の一番そばで子供達を見守る学校の先生方の待遇を改善し、「教師がやりがいがあり、仕事に対して十分報酬が支払われる仕事である」と若い人たちに思ってもらえるよう政府は行動を起こし予算を使ってください。「予算を使った」という証拠作りの為に雀の涙ほど使うのではなく、先生方の待遇を実際に改善できるくらい予算を使ってください。防衛費ほどはかからないでしょう。子供の教育を充実させることは兵器で国を守ることとは違いますが、日本の将来を守る大事な仕事です。教育をないがしろにして発展した国はありません。 国の将来を守りたかったら、子供たちの能力を引き出せるよい教師をもっとたくさん養成する為に、十分な予算を使ってください。

2023年3月13日 非科学的な事が嫌いな方は無理にお読みにならなくて結構です。 私の夫も非科学的なことが嫌いです。普段は笑ってすんでしまうことが多いですが、いつだったか「星が言うからブログに書いた」と言ったら、怖い顔をして「またそういうことを言う」と叱られたことがありました。 ですから非科学的なことが嫌いな方は無理してお読みにならなくて結構です。


政府は「結末」のブログに書いてあることを怖がって妨害しているなら、もし私が、1999年にこの外国人の方に言われたことを全部書いたら、きっと卒倒してしまうでしょうね。 私は2022年5月28日に自分のホームページを改訂すると決めました。 もう体が大変でこれ以上英語教育で、子供達を守ってやることはできないからホームページに子供たちの英語力(スピーキング能力を含む)を上げる学校教育の方法を書いて皆さんに読んでいただこうと思いました。 昔こちらの先生からこういわれました。「川合、なんでも一人でしなくていいんだよ。 いろんな人がいろんな努力をしてそれらが積み重なって何かが達成される。」 先生はそうおっしゃって周りにあった小さなものを塔のように積み上げていきました。 そして、「川合はこの積み上げる石の一つになればいい」とおっしゃいました。 

その言葉はずっと覚えていました。 だから私は、正しい英語教育の仕方を皆さんにお知らせできればそれでいいんだ、と思いました。 

実はこの1999年にお会いした外国人の方から私が仕事を引退する日付も言われていました。20XX年3月25日でした。 でもそんな先までとても私は頑張れない、と思いました。 それでホームページ完成時に「健康上の理由でもうこれ以上できませんので、子供達の英語力(スピーキングも含めて)を上げる方法はホームページに書きましたので、適切な英語教育が学校で行われるようどなたか方針を作って下さい」とお願いして私は引退するつもりでおりました。 (今まで政府や東洋経済新報社が「私の言う事は間違っている」と言う為に色々な人に色々なブログを書かせてネット上にアップしているのを見ました。(デジタル庁の個人情報だまし取りについても大阪府箕面市文科省児童虐待についてもそういうブログを書かせていましたね)でも私はそういうブログを見るたびに「20XX年まで時がたったら、こういうのはすべてネット上から消えてなくなっているのだろうな」と思って見ていました。逆に、「生徒に【音声見本】【学校での発音指導】【家庭での継続した発音練習】なしに発音を習得させる方法」は政府は永遠に見つけられないだろう、とも思っていました。 政府はたとえ私を葬っても「発音習得の真実」は葬ることはできないでしょう。 (真実:本当のこと『大辞泉』)

そう決めて2,3日たった頃、朝起きた時に私は寝ていた間に誰かにこう言われたような気がしました。
「20XX年3月25日まで私が連れていく」
典子 「連れて行ってくれるの? 典子はもう頑張れないよ。」
「20XX年3月25日まで私が連れていく」
典子 「典子はもう何もできないよ。 連れて行ってくれるなら、典子はただついて行けばいいのね?」

それで、私は引退の事は書かないことにしました。 20XX年3月25日まで、連れて行ってくれるのなら、私は何もしないでただついていけばいい、そう思いました。それが5月の終わりでした。
そのあと、安倍元首相が亡くなられて、あれだけ教育をいいようにしていた人たちのお立場が少し変わりました。  「5月の終わり典子に”20XX年3月25日まで私が連れていく”と言った人は、安倍元首相が亡くなられることもわかっていたのだろうか」と思いました。

だからと言って1999年あの外国人の方が私に言ったとおりになるのかどうか、私にはわかりません。(確かに、今まではあの外国人の方が言ったとおりになりました。 けれども、その方から「20XX年3月25日」と初めて聞いた時、「そんな年齢まで私は何の仕事をしているの?」と思いました。聞いたのは1999年ですから、「その年齢まで自分が生きるかどうかもわからないのに」と思いました。 引退の日付だけはその方がおっしゃった通りになるのかどうか私にもわかりません。人の寿命は神様にしかわかりませんから。) 今はもう私は元気ではないので、「連れて行ってくれるなら連れて行って。 もし、「20XX年3月25日まで連れていく」と言われたことが私の思い違いなら、正しい英語教育の仕方はもうホームページで皆さんにお知らせしたので、私はいついなくなっても大丈夫だから」今は、そう思っています。  その時は、どうぞどなたか、適切な英語教育が学校で行われるようにしてください。 お願いいたします。  私の上にどなたか石を積み上げてください。   (ブログは、「子音の日本語化」について多くの方に知って頂きたいので(ネット上セミナーの記載もありますので)、「ママがいなくなっても10年ぐらいはブログはそのまま掲載しておいてね」と頭を打った時、娘に言ってあります。



2023年3月10日 政府は今までも「結末」というブログを妨害していましたけれど、昨日から一段と妨害を強化しましたね。政府はこのブログをなぜそんなに怖がっているのですか。
日本経済新聞社は国民が劇場型詐欺に騙された方がいいのですか。 サブリミナルではないですが、日本経済新聞社は「日経に対する国民の信頼」を逆に利用して、国民が劇場型詐欺を信じるように知らないうちに誘導する。 (人は信頼し馴染んだ物には警戒しない)日本経済新聞社は、国民が劇場型詐欺に騙されるよう後押しする。【その理由】パソコンの画面を半分にしてこのリンクに飛ぶと画面一杯に新井紀子氏の大きな顔が出てきます。劇場型詐欺師に画面いっぱいの日経のお墨付きを与えている。信頼されている日経のサイトに載る新井氏の顔はまるで「国民よ、劇場型詐欺ではないよ。日経のコメンテーターに詐欺をする人などいませんよ。(実際には劇場型詐欺をやっている)だから疑わなくて大丈夫ですよ」と無言で勧める日本経済新聞社のメッセージのようです。「劇場型詐欺を行う人間を新聞のコメンテーターとして日経のサイトで国民に見せる」  サブリミナルではありませんが、意識下で「”日本経済新聞”という普段信頼されている新聞で「劇場型詐欺を行う人物」を見せて国民に受け入れさせる」という一定の効果はあると思います。人は普段から信頼して馴染んでいるものに警戒はしない。 これは日本経済新聞社が「自社の新聞に対する国民の信頼」を逆に利用して、国民が劇場型詐欺を信じるように知らないうちに誘導していることと同じです。(リンク先画像2/26現在)私は「劇場型詐欺を指摘する事」は国民の利益を守る事だと思っています。日本経済新聞社は国民が劇場型詐欺に騙された方がいいのですか。日経は私の「劇場型詐欺という指摘」を否定するのに一役買った。権力者が私をつぶすのに手を貸した。日本経済新聞社は国民を劇場型詐欺でだまして権力者の利益を守るのですか。(2023年3月2日) 
2/24 政府は私を葬ろうと妨害するけど私はこちらのブログに書いた外国人の方から「妨害されていなくなる」とは言われなかった。 私がその方にあったのは1999年11月のことでした。その時その方から「あなたは2018年には仕事で最も高い領域にいる」と言われました。(こちらのブログ)当時子育てに追われていた私は「この人は何を言っているのだろう」と思いました。でも、2008年「英語耳」の松澤喜好氏に盗作されて泣いてばかりいた時、理由はわからないけど、「自分はある人にどうしても会いに行かなければならない」と思って会いに行ったら、その人から「発音の本を出版しましょう」と言われました。(こちらのブログ) 2008年に盗作されることも1999年11月にその外国人の方から言われていました。(上と同じブログ)その時、その外国人の方は私に「感情的にならず正しく行動しなさい」と言いました。妨害や上川一秋氏の2度目の盗作に加えてブログもいろいろ盗作されて苦しかったときはその方から「2018年には、あなたは仕事で最も高い領域にいる」と言われたことを思い出して、2018年まで我慢しようと思いました。(こちらのブログの終わりの方の赤い大きな字の部分に書いてあります。そこには「そういうことをブログに書くことをどう思う?」と親友に聞いた時のことも書いてあります。)  だからたぶん、その方が「私は妨害されていなくなる」とはおっしゃらなかったので、私は「妨害されてもいなくならないのだろう」と漠然と思っています。もちろんそれは、妨害されてもツイッターなどで助けてくださる方や上川一秋氏に盗作された時のようにそれをやめさせて下さる方々がいたから私はつぶれてしまわなかったのだろうと思っています。私一人ではとっくにつぶされていたと思っています。2008年から15年間も次から次にベストセラー「英語耳」の著者から政府にまで妨害されて一人でやってこれるほど私は強くないです。でも、学校の子供達は守ってやりたかった。  ブログを書くときはいつも、「私のいう事が必要でなくなった時(私が無用のことを書いた時)、神様は私からすべてを取り上げていかれるのだろう」と思っています。 その覚悟はいつもできています。   (でも、もし私がいなくならなかったら、今はどんなに妨害されても、やがてこれが事実として多くの人が知る日が来るのだろうと漠然と思っています。 それにしても今日はひどい妨害です。いつもより格段にひどい妨害です。)
2月22日トップ部分の終わりに黄緑色の文字で加筆しました。
2/20 東京書籍は新井紀子の詐欺に参加したり大阪府箕面市/文科省の個人情報だまし取りに参加したりする暇があったら、本来の仕事をもう少し真剣になさったらどうですか。地図の位置が違うなんてありえません。上層部が政府に食い込む事ばかりに熱心になると本来の仕事がお留守になるのでしょうね。

2/24 日本経済新聞社は、せいぜい政府に私のブログを妨害させて、政府に守ってもらえばいいでしょう。 政府に守ってもらう新聞社など最低な御用新聞社。(御用:宮中・政府などの公の用務・用命(大辞泉)    政府と日本経済新聞社は一体。詐欺まで一緒にやる仲間。日本経済新聞社(長谷部剛社長)にモラルはない。どんな三流新聞でもここまでひどくない。政府とは詐欺まで手伝うほど深いつながりがある。でも「日本経済新聞社を(他の新聞社と比較して)中立な新聞社だ(左、右、真ん中に「日経」がある、という池上彰氏の解説はこちら)」という人がいるから国民の誘導も簡単にできる。日本経済新聞社は劇場型詐欺には最も適した新聞社。国民を誘導したい政府には強い味方。 普段の記事では政府の片棒担いでいるなんておくびにも出さない。 政府が国民を誘導したい要のところで知らん顔して誘導する。 まさに策士的な「国民誘導新聞社」(策士:術士と同義。 術士:はかりごとの巧みな人(大辞泉 私が日本経済新聞を読んでいたのは20代の頃でした。 ある年の春闘の時読んだ記事が今でも忘れられないです。 あの頃の春闘は今と違ってすごかったです。 その年、労使交渉が夜を徹して行われてやっと妥結した時のニュースでした。 金額の何百円というところでなかなか労使の折り合いがつかなかったのでしょう。 新聞やテレビがいろいろな報じ方をしていました。 日本経済新聞の朝刊は「100円玉でもめて~~」みたいな表題でした。 私はそれを見た瞬間「なんてひどい新聞社なのだろう」と思いました。労働側は労働者の生活をよくしようと懸命に交渉したのでしょう。 何百円という単位だって、労働者にとっては大事です。 交渉なのですから、双方が自分の要求を主張するのは当然のことです。それを「100円玉で~~」というのはひどい、と私はその時思いました。この表現の仕方を読んだ人は、決して労働側に良い印象は持たないだろうなあ、と思いました。(日経が労使どちらの立場になるかは言わなくてもわかりますし、そういう立場が政権に批判的な立場になるとも思えませんから、そういうものだと思って読めばいいだけの話ですけど。もともとこういう下地があるのに「日経は中立」と言い切る人がいる、というのが私にはよくわからないです。主婦の私でも、そういう下地は知っています。  当時、職場にアルバイトに来ていた中年のおばさんが「日経新聞? 読まないわ。 金持ちの読む新聞だと思っているから」と言ってました。 株式のこととか詳しいから、お金のない人を読者に想定した新聞ではないですね。 お金持ちが政権に批判的な例はあまりないです。 あのおばさんだってそういうことは知っていたのに、これを中立って言い切る?)新聞の立場は年月が経てば変わる場合もあるでしょうけれど、うちは夫が新聞が好きで紙の新聞やインターネットだけで読める新聞を含めるといくつか取っていますが、私はいまだに日本経済新聞が中立だと思ったことはありません。 私はニュース解説で有名な方が日経を(左、右ではなく)「真ん中に「日経」があるといった構図」と分類されているのをネット上のページで見ました。(こちらが池上彰さんの解説です) もちろん、日経が憲法改正特定秘密保護法、沖縄の基地問題などに特定の立場から論ずることはないでしょう。 でも上に書いたような特徴が日経にあることは常に心にとどめておく必要があると、私自身は思っています。だから、今回のように、政治家は劇場型詐欺を正当化するために、日経の力を借りたのでしょう。「見たところ「真ん中」そうで、国民に信頼されているといえる新聞。でも政府と阿吽(あうん)の呼吸でつながっている。だから政治家も日経に話を持って行ったのでしょう。  新聞の読者層、政財界との距離(例えば「わたしの履歴書」に取り上げられた経営者はうれしいんじゃないですか。日経新聞からもらった勲章みたいなものでしょう)、その他気づくことは心にとどめておく必要があると私自身は思っています。なぜなら、根底にそういう体質があると今回みたいな時に出てくるからです。「日経は真ん中」なんて言っていられるほどかわいい問題ではないと思っています。 そういう体質があるといつ何時「本性」が出てくるかわからない。今回みたいに。 普段「真ん中」そうに見える新聞社が平気な顔して詐欺の片棒担ぐんですよ。恐ろしいですよ。 指摘した私のブログは、ほぼ自分以外のアクセスはないに等しいほど政府から妨害される。  ちなみに、そのニュース解説の方、池上彰氏は日経にたくさん記事やコメントを書いていました。 双方持ちつ持たれつのようにも見えました。(知人にそう言ったら「池上彰を”風見鶏”っていう人は多いよ」って言われました。「川合さんが言わなくたって池上彰がうまいことやってるのみんな知ってるよ」と言われ、驚きました。 私よりずっとそういうことをよく知っている彼女は2011年10月17日のブログ2017年8月13日のブログに出てきた藤田さんです。 彼女のいう事には私は時々驚いてしまいます。 この二つのブログの最後の方(黄緑の文字の部分)にも、彼女のびっくりするようなコメントが載っています。)  日経は、「池上彰が(右でも左でもなく)中立と言ってくれた」、池上彰は日経からたくさん書く場所を提供される。 でも、実際の日経は政治家が絡んだ劇場型詐欺に力を貸した。 現実はそういう事です。(阿吽の呼吸:二人以上で一緒に物事を行う時の、互いの微妙な気持ち。またそれが一致すること。 大辞泉
私が社会人になったころは「日経新聞が政府寄り」なんてみんな知っていた。そんなこと常識だった。紙面を見ればわかるでしょう。そういう人たちが必要な情報が満載だもの。(朝日新聞の記者は日銀の次期総裁の名前をスクープしようなんて思わないでしょう。またそういう情報が得られる中枢とのつながりもないでしょう。「新聞が政府に近いかどうか」自分で紙面を読んで自分で考えるのがいいでしょう。) これをニュース解説の池上彰に「真ん中に日経」と言ってもらうことで日経はずいぶん得していると思います。 表面上の記事はそうでしょうけど、そういう表面上の見方だけでいいかと私は思います。 そういう表面上のことだけ見ていたら、「現実」は何にもわからないと私は思っています。実際今回だって政府に私を妨害させて、日経は政府に守ってもらっているじゃないですか。政府は詐欺で日経使って、今度は日経守ってる。 これが現実です。 でも「日経は真ん中」という言い方を聞かされると、この政府と日経の一体感はなくなりますから、池上彰にそういう言い方をしてもらって日経は得していると思います。 


2023年2月16日午後6時50分 知人からメールが来ました。「日経も産経と同じなのね」 それは私にはわかりません。「報道の仕方」の問題ではなく日本経済新聞社が当事者としてやっている事に私は衝撃を受けました。「日本経済新聞社が劇場型詐欺師をコメンテーターにしている」という事実に衝撃を受けました。これは日本経済新聞社が人々に向けて劇場型詐欺師新井紀子日本経済新聞社のお墨付きを与えているという事です。当然彼女がしている劇場型詐欺にもお墨付きを与えることになります。この劇場型詐欺は国立情報学研究所が主体です。国立の機関が主体という事は予算も必要ですし国政に関わる人間(政治家)が関係者の中にいるという事です。日本経済新聞社はその国民を誘導する詐欺に自社のお墨付きを与えているということです。 もう「報道が政府寄り」とかいうレベルではなくて、国民を誘導する劇場型詐欺に一役買っているという事です。私は「日本経済新聞社は「新聞社」(報道のメディア)として超えてはならない一線を越えた」と思っています。 「コメンテーター」という「報道の手段」を使って劇場型詐欺の片棒を担ぐ日本経済新聞社に「報道のメディア」としてのモラルはありません。劇場型詐欺で国民を騙す人と同じ穴のムジナではそう言われても仕方ないでしょう。   今回の日本経済新聞社のひどさは、「報道が政府寄りだ」と批判される産経新聞社の比ではありません。 日本経済新聞社に「報道のメディア」としてのモラルはありません。  長谷部剛社長が業務におけるモラルを軽視しているのですか? 詐欺は犯罪です。「新聞社」が犯罪の片棒担いでどうするんですか。 「新聞社」が国民を騙す詐欺の片棒担いで社長は知らんぷりですか。 新聞社が、政府に私を妨害させて政府に守ってもらってどうするんですか。  長谷部剛社長率いる日本経済新聞社にモラルはない。
2月11日 政府は私のブログの妨害をなぜきつくするんですか。 ここ数日政府が困るような事は何も書いていません。書いているのは日本経済新聞社の事だけです。政府に関係ないでしょう。 やっぱり関係があるんですね。 日本経済新聞社は国民の信頼を劇場型詐欺に利用していいんですか。日本経済新聞社はすべて承知で劇場型詐欺師をコメンテーターにして「今日は日経のこの記事にコメントしました」と言わせているんですね。今もコメンテーターを使って日本経済新聞社は日本で最も劇場型詐欺に”貢献”しています。(貢献という言葉は詐欺に使う言葉ではありません。だから””マーク) 日本経済新聞社は自社の知名度と信頼性(いかにも「政府寄り」の新聞とは違うと人々に思われている点)を利用しているのですね。 日本経済新聞社は国民の信頼を劇場型詐欺に利用していいんですか。
2月10日 結果として、図らずも日本経済新聞社は間接的に、国民を誘導する劇場型詐欺に最も”貢献”しました。(劇場型詐欺をやっている人を自社のコメンテーターにして全力で応援する新聞社というのは珍しいですね。社長の方針ですか。一時は何回も「今日は日経のこの記事にコメントしました」と劇場型詐欺師が言うので「日本”経済”新聞」ならぬ「日本”誘導”新聞」のように見えました。詐欺をする人を応援するのは社長の方針ですか。「劇場型詐欺」は教育史上まれにみる大型詐欺です)2月6日 水色の大きな文字で書かれた部分の下の小さい黒字の部分に加筆しました。劇場型詐欺の解説の部分で「自社のコメンテーターですから日本経済新聞社が劇場型詐欺新井紀子を全力で応援するのは当たり前ですね」と書いてある部分です。    

昨日(8日)国会の岸田首相の答弁を聞いていたら「教師を増やす為にお金も使っている」と言っていました。でも先生方の待遇が改善されたとは聞いていません。「お金を使っている」という証拠に雀の涙ほど使うのではなく本当に先生方の待遇を改善して下さい。GIGAスクール構想であれ程お金を使ったのですから。税金は政治家のポケットマネーではありません。国民の為に使って先生方の待遇を改善し、多くの良い教師を育成して下さい。

私は英語教育の専門家です(こちらHP)。中学時代、学校の勉強の一環として英語発音を習得した日本で唯一人の英語教師です(こちらに記載)。アメリカで自分の子供達が小中高全ての段階でゼロからバイリンガルになる過程を観察した日本で唯一人の英語教師です。しかし政治家/業者/省庁の悪だくみから子供達を守る為次の項目も書いています。(政府の妨害で読んでもらえないかもしれないけど)①「デジタル庁の個人情報騙し取り」②大阪府箕面市と文科省の児童虐待(ビデオ撮影コニカミノルタ)文科省のeポートフォリオ(ベネッセの見込み顧客(高校生)データを国家に収集させる)④「新井紀子の劇場型詐欺」(他に⑤GIGAスクール構想失敗文科省の英語教育は万年失敗理由はこちら新井紀子の「劇場型詐欺」は特殊詐欺の用語ではなく「まるで劇場に入れられたように国民の周りを嘘の情報で取り囲んで騙す」という意味です。この新井紀子の本を取り上げたメディアの全領域を見て「入場したら騙される詐欺の殿堂・新井紀子劇場」だと思いました。国会議員が劇場型詐欺で国民を騙す目的はベネッセをテスト業者として学校教育に入れる為。私は皆さんに「国会議員がこういう手法を使って国民を騙す」と伝えたかった。国民は誘導されているとさえ気づかない。出版部数から見てこの「劇場型詐欺」を成り立たせているのが東洋経済新報社。 私が「アミラーゼの問題」を教育者として不適切だと指摘したら、新井氏の本の誰にも批判されない部分(例えば「AIに仕事を奪われるは嘘か」その他)についてブログを書かせて、「はてなブログタグ」に載せて必死に新井紀子の詐欺を正当化しようとしていた。(もし、詐欺を正当化しようとしたのが東洋経済新報社でないなら、公に否定されればいいでしょう) そして「東洋経済新報社」のはてなブログタグにあった私のブログはある日突然、ほとんど人の目に触れない最下位の部分に下げられました。なんで出版社がそんなことまでして詐欺の小道具を売ろうとするんですか。  私はそういう操作をされるのが嫌いです。 東洋経済新報社は社長が変わっても、やっていることは前と同じ。詐欺の小道具出版社。 東洋経済新報社がブログを書かせたり、操作をしたりしなければ私だって、出版社に対してこんな言い方はしませんでした。 でもどんな策を弄そうと、自分のしたことを後からしなかったことにはできないのです。 策を弄すれば弄するほど、東洋経済新報社は政治家の悪だくみに加担していると思われても仕方ないでしょう。むしろ懲りもせずそれを続けるところが前社長よりひどい。政治家の思惑に沿って行動し、それを指摘した人間を裏で操作して消そうとする、そういう出版社に公正な経済記事など書けるんですか。      デジタル庁の個人情報騙し取り/大阪府箕面市と文科省の児童虐待(ビデオ撮影コニカミノルタ)/文科省のeポートフォリオ(ベネッセの見込み顧客(高校生)データを国家に収集させる)、政府は誰かの金儲けの為に国民の不利益になる事を国民を騙して導入しようとする。政府のやり方は巧妙です。この新井紀子の劇場型詐欺では国民は誘導されているとさえ気づきません。あらゆる領域のメディアと「権威」を使っているから(「教育委員」という肩書、「日本数学会」という名称、「国立情報学研究所」という研究機関、文部科学省の表彰、「山本七平賞」その他の出版界の賞)  おかしいと気づいた人は声を上げた方がいいと思います。 新聞やテレビが騙されていないとは限らないです。    例によって私は声を上げても政府に妨害されて、皆さんに読んで頂けるかどうかもわかりませんけれど。 政府は私を葬れば劇場型詐欺もうまくいくと思っているのでしょう。 でも、教育の原点に立ち返れば、①「デジタル庁の個人情報騙し取り」も②「大阪府箕面市/文科省児童虐待(ビデオ撮影コニカミノルタ)」も③「文科省のeポートフォリオ(ベネッセの見込み顧客(高校生)データを国家に収集させる)」も④「新井紀子の劇場型詐欺」も「何一つ国民の利益にならないこと」は明白で、誰かの金儲けのために政府が国民を騙しているのが分かります。私がそれを分かった理由は①は「データが教育するのではない」②は「授業内容向上にビデオ解析はいらない(生徒が何分前を見ていたか)。勝手に他人を撮影してはいけない」③は「先生方が生徒の主体性について考えることとeポートフォリオが集めようとしている情報が違う」④は「読解力だけで生徒に学問を理解させられない。アメリカの先生方は化学の授業で初めて周期表を習った時、「自分が元素になったつもりで」生徒に詩を書かせたり(娘に割り当てられた元素は希ガスキセノンでした)、顕微鏡でしか見ることができない細胞の機能を子供たちがよく知っている町の機能に例えて絵を描かせたり(生物)して生徒の理解を深めていた(娘がアメリカで受けた授業についてはブログ内に書いてあります) 私が(50年以上前のことだから)覚えていないだけで、日本の先生方も様々な工夫をして私たちを教えてくださったのだと思っています。(こちらの例でも先生は実際にやって見せてくださいました) それと新井紀子の読解指導が想像を絶するひどさだった。新井紀子が作ったテスト問題が子供を罠にかけるひどい問題だった。(新井氏の東ロボは読解問題を解くとき「傍線のついている部分とその前の段落の文を取ってきて「『あ』という文字が何回、『山』という文字が何回」と同じ文字の数を数えて、選択肢のほうも同様に数えて、一番重複が多い選択肢を選ぶ」という方法で解くのだそうです。 こんな研究している数学者に読解指導ができますか。「ロボットを東大に合格させる」というといかにも「学習の研究」をしているように聞こえますが、実際にやっていることは「コンピュータにどういう処理をさせるか」検討しているだけでしょう。子供達の「学習」や「読解力」とは全く関係ありません。  話がそれますが、私はロボットの研究というのは災害救助や介護の現場などで役に立つ重要な研究だと思いますが、こういう手法でロボットを大学入試に合格させて何か意味がありますか? 東ロボも今回の読解力のテストも新井氏の本も(MARCH合格とか)非常に「入試」を意識していますね。学校の教師は「入試だけ」を意識して教育を考えることはありません。4月から学校行事もありますし、毎日、生徒指導もありますから。 学習塾の方は「入試」が主眼でしょうね。 2016年8月21日の東京新聞には「新井氏は新井氏のチームが作ったリーディングスキルテストの中学・高校生の誤答を見て「誤答の仕方が東ロボくんと似ている」と指摘。」と書いてありますが、アミラーゼについて書いた文を読ませてセルロースの形を聞くのでは子供達は間違えて当然ではないですか? 新井氏の指摘も分析も関係ないと思うけど。私は「わざと子供達を間違えさせる問題」を作る新井紀子が教育者だとは思っていません。  このプロジェクトには教科書会社、東京書籍(株)も参加していますね。教科書の執筆者はセルロースとでんぷんの形が違うことを生徒に理解させたい時、「アミラーゼ」について書いた文を生徒に読ませるのですか。そして、その文の中からセルロースとでんぷんについて書いてある部分を生徒に探させるのですか? そんなことしないでしょう。 きちんとセルロースとでんぷんを主題にした文を書くでしょう。 教科書会社がこんなテストを作って何をしようとしているのですか。生徒の読解力向上なんか何にも考えてませんよね。喜連川優のこのニュースリリースの言い方を借りれば、「産学共同で国民をだまして、業者(ベネッセ)に金儲けさせるプロジェクト」ですか。 東京書籍(株)は他にも私が「児童虐待」だと指摘した大阪府箕面市文部科学省のプロジェクトにも入っていますね。 こちらは「将来の見守りのため」と言って全生徒の個人情報をだまし取るプロジェクトですね。(大阪府箕面市個人情報保護法が目的外使用を禁止している行政が持つ個人情報(生活保護など)まで条例でとれるように変えて生徒の情報として入力しているんですよね。 政府は、子供家庭庁ができたら、「見守りの為」と言って個人情報保護法で禁止されている情報まで、日本中の子供の個人情報をだまし取るつもりですか。 お金をかけてそんな情報をだまし取るより、毎日子供の一番近くで子供を見ている教師の待遇を改善して、多くの良い教師の育成にお金をかけたらどうですか。若い人に教師という仕事がやりがいがあり、やった分は十分報酬として報われる職業だと認識してもらえるよう変えていく努力をしたらどうですか。業者のコンピュータは一人一台も買うけれど、よい教師を育成するためには、びた一文お金を使わない政府によい教育なんかできませんよ。そういうところで政府は子供を金儲けの道具としか見ていないとわかるんです。教師の待遇も改善する気のない政府が子供の見守りなんか本気で考えていないのは見え見えでしょう。子ども家庭庁を作って今度は何の個人情報をだまし取って、誰に金儲けさせようとしているのか、考えてしまいますね。デジタル庁がそうでしたから。発足早々全国民の一生分の教育データをだまし取ろうとしましたね。生涯教育の支援と嘘を言って。牧島かれん大臣の時のデジタル庁は国家規模で国民の個人情報をだまし取る犯罪集団だった。子供家庭庁が犯罪集団でないことを願っています。 「教師が定員割れしている」「担任のいない学校がある」そんな情報が日常目に入ってくるのに、政府は子供の一番近くで見守りできる教師の不足には知らんぷり。そんな政府が子供家庭庁を作る本当の理由は子供のためでないことは容易に想像できます。子ども家庭庁がデジタル庁みたいに犯罪集団でないことを願っています。)      東京新聞には「AIと似た誤答 研究チーム謎解きへ」と副題がついていますけど、新井氏はわざと間違えるように問題を作っておいて、何の研究しているんですか? ベネッセの為に国民を騙(だま)して誘導する研究ですか? だってそれでこれだけのメディアを騙しているから。) でも、私が「教科書の読解力が人生を左右する」という新井氏の主張(教科書の読解力があればテストでよい点が取れて偏差値の高い学校に行ける)を嘘だと証明したら、これだけ騒いだ読解力のテストから、「今度はリテラシーのテストを作ります」と言い出したのですから、とにかく「ベネッセが学校に持ち込めるテストを作ろうとした」という事でしょう。 でもリテラシーのテストはだめになったようですね。 読解力のテストの嘘を証明した私は「もう終わりです」とだけ書きました。しかし、それに懲りず、新井氏が「今度はリテラシーのテストを作る」といったのを聞いて怒りを抑えられませんでした。それで「新井紀子は子供を食い物にしないで。日本数学会の教育委員長が国語教育にまで手を出して詐欺をしないで。日本の国語教育に詐欺師はいらない」と言いました。もうこれ以上テストで国民を誘導するのをやめてもらいたかった。喜連川所長には「研究者にはきちんと自分の専門分野の研究をさせてください」と、このブログではありませんがお願いしました。所長だったら、こんな詐欺の小道具(ニュースリリース)作ってないで、研究所の運営を適切に行ってください、とも書きました。(新井氏の主張が嘘だという証明はこのブログの2021年3月25日分に記載してあります) 国立の情報学研究所が税金を劇場型詐欺の為に使うことに賛成する国民は一人もいません。所長喜連川優はこのプロジェクトに使った研究費を国庫に返してください。国民は劇場型詐欺の企画・制作のために税金を払っているのではありません。   ①から④まで、みんな当たり前の理由で私はおかしいと思いました。 政府は当たり前の理由を捻じ曲げて国民をだましてまで、誰に金儲けをさせようとしているのですか? 国民を騙して小学生の時からビデオ撮影(②)までして、国民に何をしようとしているのですか? 国民の映像までだまし取って政府は何をしようとしているのですか。 ①から④まで、政府や劇場型詐欺師新井紀子喜連川優)が国民に言っていた表向きの理由(目的)は全部嘘ですね。政府は国民を騙して何をしようとしているのですか。 12/19/2022)
英語教育に関してはこちらをご覧ください。 今のままでは100年たっても日本人のスピーキングは通じるようにはなりません。ここに書いてある方法を行えば、日本人は中学卒業時、「教科書で習ったすべての英文を正しい発音で言える」わけですから、中学3年生のレベルで完璧なスピーキング能力を身につけます。


11月17日 私は教師になった時、「生徒の安全は学校教育において最優先事項だ」と教えられました。学校は生徒の命を預かっています。預かった命を東京都教育委員会が好き勝手に業者(ベネッセ)に売って危険にさらすようなことは決して許されません。学校では生徒を危険にさらしてまでやる学校行事はありません。少しでも「危険がある」と察知した時点でストップをかけるのが教育委員会の責任です。(都内全域のすべての3年生が受けるテストでしたら、学校でするのが原則です。それでは機器が足りませんか? でしたらする必要はありません。 テストでスピーキング能力は付きませんから。学校で教えてもいないことをテストしてもスピーキング能力はつきません。 スピーキング能力は授業で教え、生徒が家で練習する事によって身に付きます。それが実技の習得の仕方です。 テストの5億円で教科書のCDを生徒に与えてCDと同じにしゃべる練習をすればこんなテストを受けるより何倍も子供たちのスピーキング能力は上がります。しかも、一度正しい発音でしゃべれるようになれば生涯、二度と正しい発音を学びなおす必要はありません。  浜佳葉子教育長はスピーキング教育に関してまったく無知です。東京都教育委員会もスピーキング教育に関してまったく無知です。 無知な教育長と無知な教育委員会が無駄なテストをやって生徒を危険にさらしているだけです。   「学校の外に生徒だけで行かせる」という事だけでも重大なのに、決まったばかりの知らない学校に行かせるなどありえないです。 もし教師の時、こんな活動を申し出たら、校長がいいと言うわけないです。その前に学年主任からストップがかかります。今ベネッセがやっていることはそのくらい無謀でひどいことなのですよ。 学校外に生徒を行かせるとき、こんな無計画で安全に配慮のないやり方を学校がすることはありません。 教育委員会が言うから先生方は従うしかないのだと思います。これだけ保護者や先生方や議員さんから安全性の問題を指摘されても何のアクションもとろうとしない教育委員会。子供の安全に関して徹底的に無関心を決め込む教育委員会。東京都教育委員会は自らの責務を放棄しています。 もはや教育委員会としての仕事を放棄しています。子供の安全は学校教育の根幹にかかわる問題です。 ベネッセにスピーキングテストをさせるために、子供も見殺しですか。なぜ、最後の最後まで子供たちの安全を確保するために手を尽くさないのですか。 当日の混乱を避けるためにできる限りの努力をしないのですか。職務怠慢というにはあまりにもひどすぎる。 本当の都立高校入試の日に、生徒は2、3週間前に知らされた学校に行く、試験監督も決まっていない、こんな事態になっていたら、本来の東京都教育委員会なら青くなって生徒の安全確保や当日の試験の混乱を避けるために奔走しているでしょう。)そう考えたら「生徒の安全」が明記されている法律があるはずだと思いました。 教育委員会の職務を定めた法律の中にも「生徒の安全を守る」規定があると思いました。 今日「学校教育法 生徒の安全」で検索していて下の法律を読みました。URLはこちらでした。  今回のベネッセのテストはこの法律に違反しているのではないですか。(太字は私がつけました。)2,3週間の短いお知らせで、行ったことのない知らない学校へ子供だけで行かせるなど、安全と言い切れないことは最初からわかります。試験会場から相当遠い生徒もいるようですし、生徒の安全に十分配慮しているとは言えないと思います。でも私は法律の専門家ではありませんので、法律の運用の面でのことはわかりません。法律に詳しい方はこの件について調べていただけませんでしょうか。教育委員会の職務についても「子供の安全を守る」ことがあるのではないでしょうか。 もし法律違反なら、訴えれば東京都教育委員会とベネッセは必ず敗訴しますよね。 私のブログは私が文を書き足して更新した時にカウントされるアクセス数を除けばほとんどありません。 でも、どうしても法律に詳しい方にこのブログを読んでいただきたいのです。どうぞ、ツイッターをお持ちの方は拡散をお願いいたします。子供達のためにお願いいたします。もう時間がないのでお願いいたします。法律に詳しい方に「生徒の安全」と教育委員会や学校の責務について調べていただければと思います。

学校保健安全法(抄)
(昭和三十三年法律第五十六号)
第一章 総則
(目的)
第一条 この法律は、学校における児童生徒等及び職員の健康の保持増進を図
るため、学校における保健管理に関し必要な事項を定めるとともに、学校に
おける教育活動が安全な環境において実施され、児童生徒等の安全の確保が
図られるよう、
学校における安全管理に関し必要な事項を定め、もつて学校
教育の円滑な実施とその成果の確保に資することを目的とする。



第三章 学校安全
(略)
(学校安全に関する学校の設置者の責務)
第二十六条 学校の設置者は、児童生徒等の安全の確保を図るため、その設置
する学校において、事故、加害行為、災害等(以下この条及び第二十九条第
三項において「事故等」という。)により児童生徒等に生ずる危険を防止し、及び事故等により児童生徒等に危険又は危害が現に生じた場合(同条第一項及び第二項において「危険等発生時」という。)において適切に対処することができるよう、当該学校の施設及び設備並びに管理運営体制の整備充実その他の必要な措置を講ずるよう努めるものとする。


生徒だけでテスト会場に行かせるのは第30条を見てもおかしいと思います。


第三十条 学校においては、児童生徒等の安全の確保を図るため、児童生徒等
保護者との連携を図るとともに、当該学校が所在する地域の実情に応じて、
当該地域を管轄する警察署その他の関係機関、地域の安全を確保するための
活動を行う団体その他の関係団体、当該地域の住民その他の関係者との連携を図るよう努めるものとする。

11月17日 こんな時に申し訳ありませんが、5人の大学の先生方の要望書を「適切に処理した」と議会で3回聞かれて3回ともそう答えた東京都の職員のお名前を教えてください。ツイッターで言っていただければ、私はそれを見ますから。こんな時に申し訳ありませんがよろしくお願いします。
皆さんが個人は特定されなくてもよいと思われるのであれば、それはそれでいいです。  (これを読んだ方から、「個人の責任をあいまいにすることにおいては日本人が飛びぬけているのではないでしょうか。」というメールをいただきました。その方の意見ですね。皆さんがどのようにお考えになるか、私にはわかりませんけど。)    
私が「劇場型詐欺」を知ったのは新井紀子が「読解力」「読解力」と騒いでリーディングスキルテストを売るために下村博文とベネッセがかかわって起こした「劇場型詐欺」でした。 これについては下の水色のパートの下の小さい黒字の部分に書いてあります。皆さんになるべくわかりやすく説明するために劇場型詐欺の構造を、監督:下村博文、脚本:ベネッセ、主演:新井紀子、に例えて、書いてあります。 劇場型詐欺が成り立つのは、それに手を貸す、教育者や出版社や新聞社などのメディアがいるからです。 このメディアの数をご覧になれば「まるで劇場に入れられたように国民の周りを嘘の情報で取り囲む」と私が思った理由も皆さんにご理解いただけると思います。
私が教育者名、出版社名、新聞社名などを明確に書くのは、「自分の言ったこと、やったことに対して責任を取らなければならない」という覚悟があれば、政治家の悪だくみに手を貸す教育者や出版社や新聞社などのメディアが少しでも減ると思うからです。 



生徒を危険にさらすことを承知で強行する浜教育長の罪は重い。ベネッセ:安全対策の不備を承知で強行。浜佳葉子教育長:中学生の安全対策取らず放置。学校教育では生徒の安全は最優先事項です。学校の全ての活動はその上に成り立ちます。浜教育長はそれも知りませんか。基本です。生徒の安全を犠牲にしてテストを受けさせるなどありえない。生徒を危険にさらす可能性があった場合学校ではその活動は行いません。生徒を危険にさらすことを承知で強行する浜教育長の罪は重い。 しかも生徒は学校外で試験を受けるのにその場所の通知は2,3週間前。これではそこに行くまでの安全指導も学校側はできません。 浜佳葉子教育長はここまで生徒の命を軽視しているのですか。 教育長がこういう基本的なことを知らないのは困ります。 不適格者は降りてください。
教師は新しい活動を子供にさせるときは、十分な準備期間をとって、子供たちに理解をさせ、何回も練習させ、当日は事故が起きないよう注意しながら見守ってやらせます。 浜教育長は「十分な準備期間」「どの生徒も十分な理解」「何回も練習」「当日の注意深い見守り」すべて万全に行い、手配したんですね? 自信をもってそう言い切れるのですね? そうでないのにスピーキングテストにゴーサインを出したのなら今すぐ辞任するべきです。 子供が事故にあってから教育長が辞任したって子どもは戻ってきませんから。 即刻辞任して「子供の安全について万全の準備をした」と自信をもって言える教育長に代わってください。 浜教育長にとってはたかが8万人の中学3年生なのでしょう。ベネッセにとっては5億円の金もうけの道具に過ぎない中学生でしょう。一人や二人が事故にあおうとお悔やみの一つも言っておけばいいと思っているのでしょう。でもね、その一人一人の子供は親にとってはかけがえのない子供なんですよ。「子供の安全のため万全の準備をした」と自信をもって言えない教育長ってなんの仕事やっているの?浜教育長の仕事はベネッセがテストしやすいようにすることなの? だから子供の安全はどうでもいいの? 子供に何かあってから教育長が辞任したって子供は戻ってこないから今すぐ子供の安全を守れる教育長に代わってください。浜さんのような教育長は親は誰も望んでいません。当然でしょう。子供の安全の位置づけはベネッセの利益のずっと下だもの。
教育長が逃げ回るテストなどなぜ子供たちに受けさせる?(こちら)浜佳葉子教育長は15歳の子供達を守るよりベネッセに気に入られる方が大事ですか。子供の命よりベネッセに気に入られる事が大事ですか。(こちら) と (こちら中3生の中には帰国子女もいるかもしれませんね。うちの子は受験する高校が自宅から電車を一つ乗り換えて3つ目で降りる駅だったけど、一人でいけませんでした。違う駅で降りようとするからついていた私が止めました。(それでドキドキして怖くなってしまったようで(アメリカではいつも車で移動でしたので電車の移動に慣れていません)高校に到着して私が「ママはここで帰るからね。」と言ったら、「ママ帰っちゃうの?」ととても不安そうに言いました。それが聞こえたのでしょうね、校門にいた係の先生が「保護者の控室がありますから」と教えてくれました。「ママはそこにいるから何かあったらそこに来なさいね」と言ったら安心して校舎に入っていきました。また中3の時、こう言ったことがありました。「駅で携帯落としちゃったの。線路に降りて取ろうとしたら、線路に降りると電車来た時逃げるところないんだね。それに気づいたから駅員さんのところに行ってそういったら、マジックハンドみたいなので取ってくれた。」聞いていて私は線路に降りたら大変なことになっていた、と思いました。日本にいる子はそういう事故があることを知っていますけれど、帰国したばかりの子はそういう事も知りません。本当に命に係わる事故が起きないとは言えません。もし、テスト会場への行き帰りで事故にあって死んだ子がいたら教育長はその子のご両親になんと申し開きするんですか。浜教育長がベネッセの無理な実施を承知で子供の安全も考えず泥縄で準備してテストをしたから子供が命を落としたといえますか。 安全に関しては万全すぎるくらい万全でなければ義務教育の子供を参加させることは許されないんですよ。それが教育者の義務であり責任なんですよ。中学校の先生方は教師全員が連れていく遠足だって一人の事故もないように事前に下見をしたり、子供たちをグループ単位で何度も話し合いをさせたり、安全に関しては相当の準備と努力をするんですよ。  また、高校を受験するときは、学園祭の時にその高校を見に行ったり、願書提出の時はその高校を受験する生徒がグループになっていったり、生徒は数回その学校に行っています。 今回は、たかだか、2,3週間前に通知があった知らない学校に子供だけで行かせるのですよね。 こんな泥縄で準備したテストを強行して子供たちの安全も考えずに受験させるのはすべて浜教育長の責任です。浜教育長は15歳の子供がどういう時に不安を感じ、不安を感じた子供に何が起こるか、きちんと考えたことがありますか? そんなことは親身になって子供のことを考えれば誰でもわかります。わからなかったら中学校の先生に聞いてください。 そうやって、きめ細かに子供達の安全を守り、当日子供たちが安心して受験できるよう準備をするのが浜教育長の仕事なんですよ。浜教育長は子供の命を軽視している。浜教育長にとっては子供の命より、今準備もまともにできていないベネッセのテストをさせる方が大事ですか。そんなにベネッセに気に入られたいですか。子供の命と引き換えにしても。 教育者として終わっている。   私は今まで「たとえ」で「ベネッセは子供を食い物にしている」と書きました。 でも、今回のことで、ベネッセは本当に子供を食い殺してもなんとも思わない業者なんだ、とわかりました。テストで金さえ入って来れば。  
先生方の要望書さえ教育委員に渡さなかった。これは公務員の職務規定違反です。なぜその方は職務怠慢で処分されないのですか。要望書を握りつぶしたんでしょう?公務員が特定の意見を握りつぶしたのですから民主主義の根幹を揺るがす大罪です。その方は「要望書は適切に処理をした」と議会で偽証(嘘の証言)もしていた。渡さなかった正当な理由の説明はなく自分の「意にそわない要望書」だから握り潰したのでしょう。教育委員会では要望書の握りつぶしや嘘の答弁などの服務規程違反が日常的に行われているのですか。テストよりこの方の更迭の方が先ではないですか? そうでないというなら、先生方の要望書を渡さなかった正当な理由と、何をもって「適切に処理した」と答えたのかその理由を説明してください。東京都職員服務規程です。(私は個人的には事の重大性(民主主義の根幹を壊す)と影響の大きさ(8万人の15歳の義務教育の生徒が被害を被る)において懲戒免職でもいいと思っています。ご本人は全く反省もしていませんし。) テスト決定の過程で公務員が服務規定違反をして、特定の意見を握りつぶしていたのですからテスト導入について公平、公正な議論がまだなされていないという事です。不正な手段で都の職員が自分の意に沿わない意見を握りつぶして決めたテストなど実施できません。しかもその都の職員は議会で偽証をしてそれを隠していた。この都の職員が自分の意に沿わない意見を握りつぶして自分がやりたいように東京都の方針を決めたという事でしょう。テストは公平、公正な議論をして自治体(東京都)が決めるものです。都の職員が不正行為をして自分のやりたいように決めるものではありません。都の職員が不正によって決めたテストなど無効です。)先生方が監査請求や要望書や、公に定められた手順で反対しているのに対し、彼らは詭弁で逃げる。事故なく公平にテストを実行できる根拠がなくてもとにかく詭弁で逃げて、どんな汚い手(要望書の握りつぶしや偽証もその具体例)を使ってでもテストを強行する。彼らは自分たちが「事故なく公平にテストができる」と言い張れば誰もテストを止められないと知っています。誰も彼らにとどめはさせないと知っています。中身はベネッセの手先でも一応地位は教育委員会ですから。(詭弁(きべん):道理に合わないことを強引に正当化しようとする弁論(大辞泉) 東京都のスピーキングテストの酷さは先生方の説明でよくわかりました。私は英語教育の専門家としての意見を書きます。東京都の公立中学校で「ア」に聞こえる英語の4つの母音を区別して発音している生徒はいないでしょう。中学校で発音、スピーキング指導が行われていない証拠です。生徒達はスピーキングの練習をする教科書の音声も与えられていません。学校で教えていない事が高校入試でテストされるとなれば親は塾で子供に発音やスピーキングを教えてもらうでしょう。けれども塾に行けない生徒は誰にもスピーキングを教えてもらえず親の収入によって高校入試で差別を受けます。教育基本法第4条は経済的地位による教育の差別を禁止しています。行政の誤りは司法でとめてもらうしかないと思います。テストの差し止めを求めて地裁に提訴するしかないと思います。
どんな汚い手でも使う東京都が”改心”することはありません。彼らは公務員ではありません。ベネッセの手先です。彼らは詭弁で逃げていれば誰も自分たちにとどめはさせないと知っています。中身はどうであれ、一応彼らは教育委員会ですから、彼らが大丈夫だと言い張る限りテストは強行できると知っています。費用が掛かりますがクラウドファンディングのような形で協力を仰げば、協力して下さる方は全国にいらっしゃると思います。業者はやがてこのテストを全国に持ち込むでしょうから。詳しくはこちらのブログの②をご覧ください。 同じ教室で学びながら「隣の席の子は塾で発音を習って、自分は何も教えてもらえない」そんな思いを義務教育の子にさせてはならないと思います。2018年3月8日のブログもお時間があればお読みください。 「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの(大学入試も同じ)発音教育の塾への丸投げはやめてください(中学3年間で生徒がアジアのトップレベルの発音でスピーキングができるようにする方法をお話しします)」本題のブログは後ろから1/4くらいのところから始まっています。  そのこと以外に興味のない方は上から3/4くらいの部分は飛ばしてください。 星印と赤い字で「それでは今日の本題、「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」に入ります」と書いてあるところからお読みください。 上の英語音声は私のHPより取っています。私は32歳までずっと日本で暮らしていました。32歳の時、夫の赴任について行き、初めてアメリカで暮らしました。

2022年10月8日 私が水色の文字の部分のような激しい文章を書いた理由をこちらのブログの冒頭に書きました。(私事ですので興味のある方のみお読みください。政府から弾圧されながら負傷して命がけで抵抗する市民の姿が目の前にちらちらしていました。)
 9/11こちらのブログに①②➂加筆しました。➂の内容の一部を次に転載しました。英語教育産業の市場は何兆円とも言われています。この何兆円ともいわれる市場が成り立つのは、それだけのお金を払う「英語で困っている日本人」がいるからです。 この「英語で困る日本人」を学校教育で大量に作っているのが文部科学省です。 必要な発音教育をわざとしない。練習に必要な英語音声もわざと与えない。そうやってわざと英語で困る日本人を大量に作っているのが文部科学省です。(詳しくはこちらのブログに書いてあります) 英語音声を生徒に与えない文科省は永遠に子供を英語教育産業の食い物にするのか。なぜ即刻やめない。永岡桂子文部科学大臣もなぜやめさせない。文科省が本気で英語発信力を強化するなんて信じる国民はもういませんよ。「英語音声を絶対に生徒に与えない」という証拠まであるんだ。「子供食い物省」など国民の誰が信用するか。   文科省は卑劣だ。国家権力を使ってわざと国民を英会話学校の食い物にさせ何兆円も国民から巻き上げる。 権力を乱用する犯罪集団なんか解体消滅させればいい。永岡桂子文部科学大臣は、文部科学省国家公務員法に違反する行為をしているのに何もしない。無責任だ。文部科学省は害悪にしかならない。2031年まで文科省が何をやっても生徒の発音はぼろぼろ。日本で「英語で授業」なんかやっていたら生徒の発音はぼろぼろですよ。(「英語で授業をしない」と高校の先生方を非難した松本茂と吉田研作。日本の英語教育に無知なのは松本茂と吉田研作じゃないですか。日本で「英語で授業」なんかやっていたら発音はぼろぼろなんですよ。生徒は英語がわからないから「理解」もぼろぼろなんですよ。吉田研作と松本茂はそんなことも知らないで「英語で授業」を提唱して日本の英語教育をぼろぼろにした。高校の先生方は非難されながらも日本語で教えて生徒の英語力を守ってくれた。 それなのに吉田研作と松本茂は謝罪もしない。何が有識者だ。日本の英語教育をぼろぼろにして、責任も取らずに逃げただけじゃないか。吉田研作と松本茂は「間違った学校英語教育をさせた」という事実で自分の名前に傷をつけたくないから先生や生徒達をどんなに犠牲にしても知らんぷり。卑怯だ。なぜ二人とも非難した高校の先生方に謝罪をしない。なぜ間違いを認めない。吉田研作は日本の英語教育をぼろぼろにして逃げて今は英検の会長。吉田研作の間違った方針のせいで正しい英語教育を受けられなかった高校生はどうなるんですか。彼らはもう二度と高校時代には戻れないのですよ。吉田研作は自分さえよければそれでいいんですか。日本の英語教育をぼろぼろにして責任も取らずに逃げて、自分が英検の会長に収まっていればそれでいいんですか。吉田研作は「利己主義」以外の何物でもない。「自分さえよければいい」の典型です。 松本茂は新聞記者にメールまで送って2019年3月25日の朝日新聞夕刊で高校の先生方を批判した。記事を読んだ時、私は怒りで体が震えた。これが日本の英語教育の有識者ですか。有識者どころか全く無知じゃないですか。吉田研作と松本茂は高校の英語指導について何も知らない。全く英語を聞くことがない日本で、うわべだけアメリカの真似をさせて「英語で授業」をしたって英語が習得できるわけないでしょう。英語習得の根底となる「インプット」が大量にある国とない国の違いも判らない”有識者”に日本の英語教育などできるわけがない。 英語教育の基本も知らない吉田研作だの、松本茂だのが英語教育の方針を決めているから日本人のスピーキング能力は上がらない。それを指摘されたからって逃げだすばかりでなく、その前に自分の間違いを認めて非難した高校の先生方にきちんと謝罪をしてください。 自分の間違いで他人を新聞紙上で非難したら謝罪するのが社会の決まりです。(安河内哲也や向後秀明も「英語で授業」を日本中に提唱して回っていた。今はどちらも責任は取らないで知らんぷりしている。石渡誠も「英語で考える指導法」が誤りだったと認めない。生徒を騙し通している。 今まで30年以上も彼の間違った「英語で考える指導法」に高額の学費を払ってきた英語学校の生徒に謝罪も損害賠償もしない。どんなに立派なことを言おうと今も平然と生徒を騙す石渡誠に教師として生徒の前に立つ資格はない。私が指導法の誤りを指摘するたびに、石渡氏は他の先生と一緒になって「英語で考える指導法は素晴らしい」と動画で何回も生徒に力説していたのを忘れたのですか。生徒を騙しながら顔色一つ変えずに立派なことを言う石渡誠に人としての倫理はない。 教師を続けたかったら「英語で考える指導法は間違いであった」ときちんと認めてからにしてください。生徒には「本気で取り組むことが重要だ」とか言いながら自分は間違いを認める勇気もありませんか。保身しか考えない卑劣な教師だ。「学校で一番大事なのは生徒だ」とか言っていましたけれど、本当に生徒が大事だと思っている教師は、自分の指導法が嘘だと分かった後も生徒をだましたりはしません。石渡氏の教師人生は最初から最後まで嘘で通すのですね。どんな立派なことを言おうと詐欺師は教育者にはなれません。)   吉田研作も2019年11月18日の朝日新聞DIGITALで「半数近くの高校はまだ英語による授業が行われていない」と非難していました。日本で「英語で授業」は百害あって一利なしです。そんな「亡霊」のような授業方法にしがみついて日本の英語教育を決められたら先生も生徒も大迷惑です) 文科省がいるだけで国民は何兆円も巻き上げられて不幸になる。文部科学大臣と岸田首相は見て見ぬふりをしないで下さい。永岡文部科学大臣と岸田総理が文科省背信行為をやらせている。私は中学時代、学校の勉強の一環として、毎日2時間発音練習して英語発音を身に着けた日本で唯一人の英語教師です。夫の赴任の為アメリカで10年暮らし、子供がバイリンガルになる過程を小学校、中学校、高校、全ての段階でつぶさに観察した日本で唯一人の英語教師です。私自身が50年発音練習をやっているから、文科省の計画表は見た瞬間に役に立たないとわかります。どんなに立派な「英語で○○」が書いてあっても、生徒の発音がぼろぼろではそんなのただのクズだ。2031年まで発音ぼろぼろのクズのような計画表を作っている役所なんかいらない。文科省は国民から何兆円も巻き上げる犯罪集団。国民を食い物にする役所だから学校を騙してテストを売る新井紀子(著書は東洋経済新報社)だって平気で表彰する。文科省だってやっている事は詐欺師と同じ。新井紀子の詐欺に最も”貢献”しているのは東洋経済新報社(発行部数より。ニュースで(新社長)東洋経済新報社 田北浩章氏と見ました。) 私が最初に新井氏とかかわったのは朝日小学生新聞(2021年1月8日)に載った新井氏の「理科の読解指導」でした。新井氏は「理科の読解指導」と称して「燃える太陽」という表現に「宇宙空間に酸素はありませんから太陽は燃えません」と小学生に読解指導していました。「まっすぐな水平線」という表現に「地球は丸いので水平線はまっすぐではありません。と小学生に読解指導していました。「太陽がのぼってくる」という表現に「太陽は「のぼり」ません。地球が回転しているのでのぼるように見えるだけです」と小学生に読解指導していました。これが新井紀子の「理科の読解指導」の”実力″です。 国語の先生の勉強会なら顔を上げていられないくらい恥ずかしい「読解指導」です。文学的文章を科学的事実であげつらうのが科学的文章の読解指導ではありません。「理科の読解指導」つまり科学的文章の読解指導は、「時間の経過をおって、事物や現象の変化を把握したり」「その現象が引き起こされた原因を読み取ったり」(つまり原因と結果を把握)するのが、科学的文章の読解指導です。文学的表現を科学的事実であげつらうのが科学的文章の読解指導ではありません。 新井氏には国語教育に対する素養も教養もありません。 見事なほどばかばかしい読解指導です。 新井氏は今までに一度も国語教育を学んだことがありません。 ですから国語教育の基本も知りません。(でも本をたくさん読んでいれば文学的文章と科学的文章の読解指導の違いくらい分かると思いますけど)  私は英語教育が専門ですが(こちらがHPです)、日本に帰国後の娘と息子が文章がよく読めなかったので(本も読めませんでした)国語指導については自分で実践しながら勉強しました。 息子は接続詞の意味も分かりませんでした。 本が読めなかったら「その言語が使われる社会」で生きていくのに足かせとなるのは目に見えていました。 夫の妹が小学校の先生をしていて「本が読めなかったら大変よ」と心配してくれました。 現場の教育者は現実をよく知っています。 新井氏は机上の空論で自分の作ったテストの点数だけ見て「読書と読解力は関係ない」などなんで言えるんですか。 数学者でも読解力のテストを一つ作れば読解力のことは何でもわかるんですか? こんな150字のテストで読解力の全貌などわかるわけないでしょう。新井氏は何を勘違いしているんですか。本当に自分が「読解力の権威」だとでも思っているんですか。自分が読解力についてなんでも知っているとでも思っているのですか。 その前に、子供の読解力向上のために地道に努力している国語の先生方が子供たちにどういう教育をされ、どういう活動を行っていらっしゃるのかきちんと理解した方がいいです。新井氏とは比べ物にならないほどの研究と実践と経験を積んでいる先生がたくさんいらっしゃるんですよ。 お一人お一人の先生は何もおっしゃいませんけれど。 新井氏はそういうことは何にも知らないじゃないですか。にわかじたての詐欺の手先が国語の先生方より、読解力についてよく知っているなどと夢にも思わないことです。マスコミが新井さんをもてはやしたのは、新井さんの後ろに権力を持つ政治家と潤沢な資金を持つ業者がいたからです。彼らが詐欺の道具である新井さんの為にそういうおぜん立てをしたからです。 そんなこともわからないで、自分が「読解力の権威」だと思い込んで、「読書と読解力は関係ない」と言うなど、滑稽(こっけい)です。 自分の「理科の読解指導」のひどさもわかりませんか? マスコミが新井さんをもてはやしたのは新井さんの読解指導が素晴らしかったからでも、新井さんのテストが素晴らしかったからでもありません。権力を持つ政治家と潤沢な資金を持つ業者が詐欺の道具に使う新井さんのためにそういうおぜん立てをしたからです。 新井さんのリーディングスキルテストはただのテストです。世の中によくあるテストと同じです。(子供たちを罠にかける分、普通のテストより悪質ですが) そんなテストの一つや二つで読解力の全貌など分かるわけないでしょう。それを何か特別なテストみたいに「リーディングスキルテスト」「リーディングスキルテスト」と騒ぐのはもうやめたらどうですか? (それに、このテストは最初の喜連川氏の触れ込みのように「読解力を科学的に測るテスト」じゃなかったんですから、もういらないんじゃないですか?) そんなテスト世の中によくあるテストと同じです。そんなテストの一つや二つで読解力の全貌などわかりませんよ。せいぜい「そういう面もある」という程度のことしかわからないでしょう。 それにもう、そんな古いテストにこだわる必要もないんじゃないですか。あと2ヶ月もすれば2023年です。そうしたら7年も前に作られた古いテストなどもういらないのではないですか。読解力を科学的に測ってもいないんだから、このテストもういらないの。「子供を罠にかける」とケチが付いた古いテストなどもういらないの。 実力をつけるのはテストではなくて授業ですから。そういえば私は2021年3月に新井氏の嘘を見破った時「もう終わりです。」と言いましたね。そうしたら新井氏は「今度はリテラシーのテストを作る」と言いましたね。あの時リーディングスキルテストは見限ったのではなかったのですか。(見限る:見込みがないとしてあきらめる(大辞泉)  新井氏はいつまでも政治家と業者の詐欺の道具になって踊っていなくてもいいのではないですか。この「理科の読解指導」を見ると新井氏が「読解力の権威」として踊るのは無理です。テストも、もう随分古くなったし。新井氏が一生懸命踊っても、新井氏のリーディングスキルテストを学校に持ち込むのはもう無理です。たぶんベネッセもそのことはもうわかっているのではないですか。 子供を罠にはめているし(本当に間違えてアミラーゼの問題を作ってしまったのなら、きちんと訂正して謝罪をすれば先生方は何もおっしゃらないと思います。なのに、指摘を無視して押し通そうとするからもうだめです。私がなぜそう思ったかというと、私が何か指摘するたびに、新井氏や東洋経済新報社がいろんな人にブログを書かせて反証しようとしていることに、はてなブログタグ「新井紀子」「東洋経済新報社」を見ていて気付きました。それは今も続いています(2022年11月8日現在)。 時には新井氏の本の中の誰にも反論されない部分だけを強調して(例えば「AIで仕事がなくなる」は嘘か、とか)ブログを書かせていました。 私は、それは「新井氏のもともとの意図を後から隠すものだ」と、こちらのブログで述べました)  (4日前のニュースで(新社長)東洋経済新報社 田北浩章氏と見ましたが、今も「東洋経済新報社」のはてなブログタグを見ると人々を誘導していますから、新社長になってもずっと東洋経済新報社は「劇場型詐欺」の小道具係をやっていくのでしょう。)  そのはてなブログタグの中にある日、「ある人にとっては正義でも、ほかの人にとっては理不尽だ」というブログを見ました。(表題を見ただけです。)「そう、間違えてしまったの。だったらきちんと訂正すれば」と思いました。でも、まじめにテストを作ったにもかかわらず子供を罠にかける問題になったのなら、最初から子供を間違えさせて「教科書が読めない」と騒ぐためにこのリーディングスキルテストを作ったのね、と思いました。 そしてその結果をもとに「AI vs. 教科書が読めない子供たち」という本を書いて、アマゾンの宣伝の部分に書いてあるように「人間がAIに勝つためには「読解力」を磨くしかない」(評者:伊藤氏貴、週刊文春2018年4月12日号掲載。教育者から見るとちょっと変ですね。子供がうちに持っている能力や可能性を引き出していくことではないですか)とか「読解力が世界を支配」(評者:永江朗週刊朝日掲載)とか人々を煽って、読解力を科学的に測るテストだとこのリーディングスキルテストを学校教育に持ち込むのが最終的な目的だったのではないですか。(私には週刊朝日に掲載されたという「読解力が世界を支配」というのは人々を煽るにしても異様な感じがします。ここまで人々を煽って「読解力」に注目させようとしていたんですね。見事な「劇場型詐欺」ですね。 嘘だとわかって今これを見ると異様な感じがします。 まるで「読解力」について新しい学説が発表されたかのような衝撃を与えて人々を「読解力」に誘導する。見事ですね。この誘導に使ったメディアの数もすごいですね。メディアのほぼ全領域を使っています。 でも私が新井氏の嘘を見破ったら「今度はリテラシーのテストを作ります」と言っていましたから、結局読解力については何ら新しいことを発見したわけではなかったんですよね。 国民の周りを自分の意図する方向に誘導する情報で取り囲む劇場型詐欺については水色の部分が終わったところに「新井紀子劇場」として解説があります。脚本:ベネッセ、監督:下村博文、詐欺の大道具小道具:国立情報学研究所所長喜連川優(ニュースリリース)、東洋経済新報社:(本「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」など)もちろん学校に持ち込むときの業者はこのテスト作成時から協力してきたベネッセです。 でも、こんなテストで読解力は科学的に測れないから、このテスト、もういらないの)、劇場型詐欺だともばれてしまったし。(「劇場型詐欺」の主演、新井紀子は東京都の教育委員です。日本の教育は落ちるところまで落ちました。誰が落としたかって? 東京11区選出の国会議員、下村博文です。東京11区というのは大まかにいうと板橋区のあたりのようです。下村博文は業者と結託して学校教育を食い物にして金儲けすることばっかり考えてる政治家です。) 政治家と業者は表に名前が出ていないから、引き揚げたければいつでも引きあげられます。  私は政府から「どんなに一生懸命ブログを書いても誰も読んでないよ」と言わんばかりの妨害をされても、(実際、自分がブログを直して確認した時にカウントされるアクセス数以外、私のブログのアクセス数はもうほとんどありません)、人から「ひどいブログを書いてる」と言われたとしても、こんなテストが学校教育に導入されるのをとめられれば、それでいいと思っています。(下村とベネッセがやっているという証拠がないじゃないか、という人がいるかもしれないけれど、だったらどうして政府が私のブログの妨害をするのですか? このままにしておいたら学校がまた下村とベネッセの金儲けの場にされてしまう。違っているなら違っていてむしろ幸いです。 それに「アミラーゼの問題」を見た時、私は怒りを抑えられなかった。こんな問題を作って訂正も謝罪もしない人間が教育者でないことは断言できます。新井氏の理科の読解指導が国語教育の専門家の指導の仕方でないことも断言できます。新井氏が「アミラーゼのテスト」を「科学的に読解力を測るテスト」と学校に売るのが詐欺だという事も断言できます。表に出ている事実だけでも十分な詐欺です。) 下村博文とベネッセは教育の世界でやっていることがひどすぎる。 知人はこれを読んで「政府に妨害されることが普通に行われているのですから北朝鮮とどこが違うんだと思います」とメールをくれました。言論に関しては岸田政権は北朝鮮並みですか。一英語教師では何の権力も持っていないからこういう事を書いても政治権力からつぶそうとされるだけだけど、下村とベネッセから子供たちを守ってやりたかった。下村とベネッセの金儲けから子供たちを守ってやりたかった。) 私は新井氏の「理科の読解指導」に対して「文学的な表現を理科の事実であげつらうことが理科の読解指導ではありません。科学的文章には科学的文章の読解指導の仕方があります。」と指摘しました。私はこれほど国語教育に無知な数学者が読解指導に手を出すのは子供達の為にもやめてもらいたい、と思いました。 その時、私のブログは政府から激しい妨害を受けました。私は、あまりにもひどい読解指導だからブログで指摘しただけでした。まさかこれが「政治家・業者・教育者」が結託して国民を騙す「劇場型詐欺」だったなど知る由もありませんでした。今でも、まるでカメラのピントがスーッと合ってくるようにこの構図がわかった時の衝撃は忘れられないです。自分の知らないところで得体のしれない巨大な黒い物がうごめいているような怖さでした。)  新井紀子は実際に生徒に教科書を読ませたデータは一つも取っていない。新井紀子のテストは「アミラーゼについて書いた文を子供に読ませてセルロースの形を問う」ただのひっかけ問題。これが新井氏の言う「教科書の読解力」ですか。教科書の執筆者は生徒にアミラーゼについて書いた文を読ませてセルロースとでんぷんの違いを学んでほしかったのですか? 新井氏は読解力が何かも知らない。 新井氏は大学で国語教育を学んだことがないからこんなとんでもないテストを「科学的に読解力を測るテスト」と平気で売り込む。「読解力を科学的に測る基準」は何ですか。 まったく基準が示されていません。 アミラーゼの問題のどこが科学的なのですか。  子供を罠にはめて何が楽しい。生徒の読解力向上を願って指導している先生は決してこういう問題は作りません。こういう問題を平気で作る新井紀子は子供の読解力の向上なんかまったく願っていません。 読解力の向上を願う教育者が子供を罠になんかはめますか。違うことが目的だからこんなひどいことを平気で子供にするんでしょう。 わざと子供に間違えさせようなんて問題作成の意図が邪悪です。私はこちらのブログで「教育者の思いは指導の時、必ず出ます」と書きました。 このテストを作った新井氏の本当の動機がこの「子供を罠にかける問題」に出てしまったのではないですか。 新井氏は「子供が教科書を読めていない」とまず人々に衝撃を与える必要があった。だからこんな邪悪なことまでして「子供の読解力が落ちている」と騒いだのではないですか。そうやって人々に衝撃を与えて、たくさんの学校にこのテストをさせて、やがて正式に学校教育に採用が決まったら、ベネッセがテストの取り扱い業者として学校教育に入ってくるはずだったのではないですか? (私がそれに気づいたのは上で述べたように朝日小学生新聞に載った新井氏の読解指導の問題点を指摘した時、政府から激しい妨害を受けたからでした。 なぜ、新井氏の間違いを指摘すると政府からこんなにきつい妨害をされるの? まるで、新井紀子を読解力の権威にしておくのは政府の仕事だといわんばかりの激しい妨害だった。)             ベネッセのテストを学校教育に入れるためだったから、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌でこんなに騒いで、「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」の本を売る必要があったのではないですか? (もう一度書きますけれど、新井氏は生徒に実際に教科書を読ませたデータは一人もとっていません。 ただ、教科書の内容の理解を測ると自分が主張するテストをさせただけです。 アミラーゼについて読ませて、セルロースの形を問うようなテストをさせただけです) この本で「自分の作ったテストを子供たちが間違えるので、教科書が読めない」と騒いで人々を「読解力」「読解力」と躍(おど)らせて、ベネッセのテストを学校教育に採用させるのがこの本の本当の目的ではないですか。 新井氏は、下村とベネッセの都合のいいように人々を誘導するのが役目だったのではないですか。 当然、国立情報学研究所所長喜連川優はそのことは十分承知でこういうニュースリリースを出して、メディアや人々を騙していたんですよね。(国民を騙す目的でこういうニュースリリースを出す喜連川優に国立情報学研究所の所長をする資格はありません) 東洋経済新報社は今でもこれまでのいろんなブログを掲載して誘導しています。東洋経済新報社はこういう裏の事情を知らないはずはないでしょう。知っていても、いまだに東洋経済新報社は人々を誘導しています。  新井氏はベネッセのテストを学校教育に採用させるためにこういうことをやっていたのではないですか? 私はこれは、3者が組んで行った国民を騙す劇場型詐欺だと思いました。3者とは ①教育の方針を自分の都合のいいように動かせる政治家(下村)と、②潤沢な資金を持つ業者ベネッセ(潤沢な資金と政治家が組めばメディアも動かせる)と、➂読解力の権威に作り上げて人々を誘導する教育者、詐欺の実行部隊(新井紀子)が組んだ文字通りの(特殊詐欺の用語でなく)文字通りの劇場型詐欺だと思いました。国民の目や耳に入る情報をメディアを使って自分たちの都合のいい方向にだまして誘導する文字通りの劇場型詐欺だと思いました。 まず、自分の作ったテストで子供の読解力が落ちていると騒ぐ。 テストはわざと間違えやすい問題にする。 そのテストの信頼性は国立情報学研究所喜連川所長のニュースリリースで信じ込ませる。 「教科書が読めない」と本を書いて、国民の目に触れるテレビ、ラジオ、新聞その他ありとあらゆるメディアを使って「読解力」「読解力」と人々をあおって信じ込ませる。そして本で紹介した読解力のテストを学校教育に採用させるような流れを作る。採用されたら、ベネッセが学校教育に採用されたテストを取り扱う業者となる。 これが最初の筋書きだったのではないですか。つまり最初から学校教育にベネッセがテストを持ち込めるようにするのが目的だったのではないですか。 だからそれをぶち壊しかねない私を政府(下村博文)があんなに激しく妨害したのではないですか?  そうでなかったら、朝日小学生新聞に載った新井氏の「(自称)読解指導【注1】(冒頭の部分が終わったところに赤い大文字で引用してあります)」の問題点を指摘しただけで、私があんなにひどい妨害を政府から受けるのはおかしいでしょう。 最初、私は、「誰が見たって間違っているとわかる読解指導」を国が守ろうとしているなんて夢にも思わないから、朝日小学生新聞の記事を批判するとなんで政府から妨害を受けるのか全然分かりませんでした。でも、やがて政府が守りたいのは新聞じゃなくて彼らが作り上げた、このひどい読解指導をしている「虚構の読解力の権威・新井紀子」の方だったとわかった時、すべてがつながりました。いくら何でも国語教育の専門家だったら一目で間違っているとわかる読解指導(下の【注1】(赤い大文字の部分)をお読みください)を国が守るというのは尋常ではない。なぜ政府がそこまでして間違った読解指導を守るのか? それを考えていったとき、すべてがつながりました。(下村がベネッセの利益のために文部行政をゆがめていることは大学入試の英語民間試験導入の時に明るみに出ました。今や多くの人が知っている事実です。) 書籍「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」に載っていたアミラーゼの問題を示して「読解力を科学的に測るテストだと偽ってこのテストを売るのは詐欺だ」と指摘した時は、私のブログのアクセス数はとうとう(1)にされました。 政治家と潤沢な資金を持つ業者が教育者の肩書を持つものを使って権威ある国立の研究所のニュースリリースも使って、自分たちの誘導したい内容をテレビなどありとあらゆるメディアで国民に次から次へと言い続けた時、人々がそのことを信じていく。恐ろしいと思いました。


この劇場型詐欺(特殊詐欺の用語ではなく、文字通りの意味での「劇場型詐欺」。 「まるで劇場に入れたように国民の周りを嘘の情報で取り囲む」という意味から「劇場型詐欺」)のからくりを一言でいえば新井紀子劇場」です。(上と重複する内容ですので興味のない方は読まないで次の大きな文字のパートに飛んでください。)脚本:ベネッセ、スポンサー:ベネッセ、監督:下村博文、主演:新井紀子、大道具小道具:国立情報学研究所所長喜連川(ニュースリリース)東洋経済新報社(本「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」)、日本数学会(大学生数学基本調査。調査協力ベネッセ)私は新井氏が大学生の読解力に疑問を持ったという「偶数と奇数の問題」をやってみましたけど、それは読解力が原因ではなく純粋に数学の知識の不足のように思えました。受験産業の業者が学会の調査に参加するというのは普通のことなのですか。日本数学会の名において行った調査のデータの取り扱いについては、きちんとした契約が日本数学会とベネッセの間でできているのでしょうか。「ベネッセの調査」と言われれば情報を出さなかった個人や団体でも「日本数学会」の調査と言われて情報を提出した個人や団体はたくさんいると思います。今東京都のスピーキングテストでも入力した個人情報はベネッセがすべて把握しているのでその点を心配する保護者も多いです。ベネッセは過去に情報流出がありました。)国民はその劇場の舞台で「生涯一度も国語教育を学んだことがない数学者」が読解力の権威に仕立て上げられて「子供の読解力が落ちている」「AIに勝つためには読解力」「教科書の読解力が人生を左右する」と演じる芝居を見せられます。教科書の読解力があればテストでいい点が取れて偏差値の高い高校に進学できると言われれば親が目の色を変えるのは当然です。(私はそれは嘘だと証明しました。その時私は「もう終わりです」とだけブログに書きました。そうしたら新井氏は「今度はリテラシーのテストを作る」と発表しましたので、私は憤って「新井紀子は詐欺だ」とその時初めて書きました。嘘だと証明されたにも関わらず、手を変え品を変え、どこまでも国民をだましてベネッセのテストを学校教育に入れようとする新井氏に激しい怒りを感じました。その時から私のブログも非常にきつい言葉になりました。でもリテラシーのテストはダメになったようですね)そして「新井紀子劇場」を見せられた人々はこぞって詐欺の小道具係:東洋経済新報社が用意した新井氏の本「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」を買います。 新井紀子のテストの信頼性は同じく詐欺の小道具係:国立情報学研究所喜連川優のニュースリリースで証明済み。彼女が大学生の読解力がないといったことも、「誰もその権威を疑わない大道具係」:日本数学会の「大学生数学基本調査」で証明済み。新井紀子日本数学会の教育委員長としてこのテストを率いたそうです。「日本数学会」という名称、「教育委員長」という肩書も彼女の主張を信じさせる大きな役割を果たしたでしょう。(その後、新井紀子は東京都の教育委員となり、文部科学省まで新井紀子を表彰しているんですから、まさに世の中の「権威」を使えるだけ使った劇場型詐欺です。)この新井紀子劇場」は一回の上演では終わりません。 今度はありとあらゆるメディアで「新井紀子劇場」が人々の目に触れるよう監督:下村博文とスポンサー:ベネッセがおぜん立てをします。  こちらのアマゾンの宣伝を見ると、家に帰ればよく見るテレビ番組、たとえば「王様のブランチ」や「林先生が驚く初耳学」でもやっている。 ラジオをつければ「伊集院光とラジオと」でやっている。 新聞を見れば「朝日、日経、毎日、東京」にも書いてある。 雑誌を見れば週刊文春週刊ダイヤモンドにも書いてある。文藝春秋婦人公論にも書いてある。 詐欺の小道具係:東洋経済新報社から買った新井紀子の本「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」は、山本七平賞日本エッセイスト・クラブ賞その他数々の賞もとっている。こうやって、「子供を罠にかけたって」「子供に実際に教科書を読ませたデータがなくたって」「読書と読解力は関係ない」と言ったって「燃える太陽」という表現に「宇宙空間に酸素はありませんから太陽は燃えません」という「ド素人(しろうと)」以下の読解指導をしたって、「私立文系しか行けない子供たちの末路」という差別的な記事を書いたって、監督:下村博文とスポンサー:ベネッセは新井紀子の「権威付け」は忘れない。    (2021年5月、私に「詐欺師」と言われた新井紀子は、2021年6月から日本経済新聞で「教育のエキスパート」としてコメンテーターになっていますね。日本経済新聞の「教育」の視点は非常に下村博文と近いのですね。私は「子供にわざと間違えさせる問題を作る」新井紀子が教育者だとは思っていません。 「私立文系にしか行けない子供たちの末路」などという記事を書く新井紀子が教育者だとは思っていません。 新井紀子には子供がうちに持っている興味や関心を引き出して子供の能力を育てていこうという「教育者だったら必ず持っている視点」がないからです。 私が新井紀子に感じるのは子供や学校を金儲けの道具にして、業者を儲けさせる視点だけです。 日本経済新聞の「教育」の視点は非常に下村博文と近いのですね。   私に嘘だと証明されて「今度はリテラシーのテストを作ります」と言い出した新井氏は「学校をだます詐欺で子供を食い物にするのはやめてください」という私の指摘は徹底的に無視して「今日は日経新聞のこの記事にコメントしました」と何回もツイッターで言っていました。同様に2021年5月に私に「詐欺師」と言われた新井紀子は2021年6月、東京都の教育委員に任命されています。私に嘘を見破られて「学校を騙す詐欺」と言われた新井紀子にとっては翌月からの教育委員のポジションも、日本経済新聞の教育のコメンテータ―のポジションもまさに救世主のような取り計らいですね。どなたのお取り計らいかは存じませんけど。新聞は人々が毎日読むもので影響力が大きいですから結果だけ見ると日本経済新聞社新井紀子の劇場型詐欺に非常に”貢献”していると見ることもできますね。 (私が昨夜、偶然、上につけた日経へのリンクをパソコンの画面を半分にしてクリックしたら、新井紀子の顔が大写しで表示されました。日経のURLをクリックしたら、新井紀子の顔が大写しで出てくるというのは相当なインパクトでした。(自社のコメンテーターですから日本経済新聞社が劇場型詐欺師新井紀子を全力で応援するのは当たり前ですね。)それで、私はこの部分を書き足しました。 (ちなみに下村博文は東京11区選出の国会議員です。「東大に英語民間試験をさせろ」とすごんでいたように文部行政に圧倒的な力を持っていました。) でもリテラシーのテストがだめになったという事は私が言った「子供の読解力向上を願う教育者は子供を罠にかける問題など決して作らない」という事が真実だと新井氏にもわかったようですね。)    新井紀子ツイッターを見れば「○○で読解力の講演をした」「○○県の学校からリーディングスキルテストをしたいと申し入れがあった」等々、書いてある。 どこを見てもこういう情報に取り囲まれて、だんだん、世の中が「読解力」「読解力」と踊らされて行く。 彼女が作ったリーディングスキルテストも知られていく。 私が「このテストは子供を罠にかけているだけだ」「燃える太陽という表現に宇宙空間に酸素はありませんから太陽は燃えません、などという読解指導はおかしい」といっても監督:下村博文が一言「カット!」といえばすぐに言うことを聞く助監督:政府・内調が私のブログをネット上からカットして誰の目にも触れさせなくさせる。 実際アクセス数を(1)にされれば、私のブログはどんな検索にも絶対引っかからないでしょう。 あの頃の下村の一声は後ろに安倍さんがいたから無視はできなかったでしょう(これからはどうなるか知りませんけど)

こうやって新井紀子劇場」つまり「劇場型詐欺」が完了します。 そしてこの流れに乗って、芝居のスポンサー兼筋書きを描いたベネッセが、「学校教育に採用されることになったテスト」の納入業者となる。これが隠された筋書きだったのではないですか。 すべてベネッセが学校教育に入り込めるようにするために考えられたことではないですか。「読解力があればよい学校に行ける」も、「AIに勝つためには読解力」も、「教科書の読解力が人生を左右する」も。 それを本当らしく見せるために子供をわざと間違えさせるようなテスト問題を作ったのではないですか。 私はこちらのブログで「教育者の生徒に対する思いは、必ず指導の時に現われます」と書きました。 本当に生徒の読解力向上を願う教師は子供を罠にかけるテスト問題など作りません。 ここに、新井氏の本当の動機が出てしまったのだと思っています。    「新井紀子劇場」では監督:下村博文とスポンサー:ベネッセが動員できるありとあらゆる「権威」とメディアを使って、自分達の意図した方向に人々を誘導します。国民は騙されていることにも、誘導されていることにも気づきません。 国民の周りを嘘の情報で取り囲んでしまう見事な劇場型詐欺です。


私はもし、新井氏がアミラーゼの問題をきちんと訂正し間違いを謝罪したら、何も言うことはありませんでした。教育者は、間違えてしまったときはそうするのが普通です。(でも、それはできないでしょうね。「なぜアミラーゼの問題を作ったのか」と記者から問われて「子供をわざと間違えさせるため」とは言えないでしょう。 また「科学的に読解力を測る基準は何か」と記者から問われたら答えられないでしょう。アミラーゼの問題を訂正謝罪したとたん、悪だくみはすべて白日の下にさらされてしまう) だから訂正も謝罪もせず、指摘を徹底的に無視して、やり続けているのでしょう。それで本来の教育とは違う所に目的があるのだ、とわかります。無視するだけでは済まなくて、間違いを指摘した私のブログをアクセス数(1)にするまで妨害する、つまり、ネット上から葬るために攻撃してくるわけですから、もう本当に子どものことを考えて「読解力」「読解力」と言っているわけではないことは明白です。 他人を攻撃してまでなんで「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」の本を売らなければいけないのですか。東洋経済新報社もなぜですか? 問題点を指摘した人を葬ってまでなぜ「読解力」「読解力」と騒がなければならないのですか。子供の読解力向上のためではないですね。(私が「教科書の読解力が人生を左右する」は嘘だと証明したら、東洋経済新報社は、それ以外の新井氏の本の中に書いてある誰にも反対されない事柄を取り上げてブログを書かせては「はてなブログタグ」に掲載していました。例えば「AIで仕事がなくなるは嘘か」など。私はそういうことをするのは新井氏のもともとの意図を隠すものだと指摘しました)すべてはベネッセのテストを学校教育で使わせるようにするために仕組んだことではないのですか。 わざと「子供たちが間違えるようなテスト問題」を作っておきながら、いかにも「子供の読解力が落ちていること」に驚いたふりをして本「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」(東洋経済新報社刊)を書いてメディアで騒ぎたてる。 「読解力が世界を支配する」という論評まで書かせて人々を「読解力」「読解力」と煽る。そして最終的に教科書の読解力を科学的に測ると宣伝する新井氏のリーディングスキルテストを学校教育に持ち込ませ、ベネッセがその取扱業者として学校教育に入ってくる。これが隠された本当の目的だったのではないですか。本当に子供の読解力の向上を願って指導している先生は、子供を罠にかけるテスト問題など作りません。「読書と読解力は関係ない」などとは決しておっしゃいません。本を読むことがどれほど子供たちの読解力を育てるか日々の教育実践でご存じだからです。(これはアメリカの先生方も同じです。むしろ日本よりずっとたくさんの本を学校で読みます。アメリカの先生方は本を読むことが学力の基礎となる、とお考えになっているようです。「Reading Skill」に「Reading Books」 が関係ないわけないでしょう。 私はアメリカにいたころ先生方の読書指導の実践をまとめた本をよく読みました。 またシカゴにいたころ、先生方が子供の学力向上のために読書指導をしている特集をテレビ番組でよく見ました。私がシカゴにいたころは「アメリカの子供の学力が低い。向上させるにはどうしたらよいか」という事がとても話題になっていました。あの頃(30年前)はアメリカの子供の学力が低い、という事が問題だったようです。 私は日本の先生方も「本を読むことが学力の基礎を作るとお考えになっていると思います。 始業前の10分間読書を推進している中学校の先生方や、時間があると子供たちに読み聞かせをして下さる小学校の先生方のことを読むと、やはり日本の先生方も本を読むことが学力の基礎を作るとお考えなのだな、と思います。そして私はそういう先生方の地道な活動が子供たちの学力向上に役に立っている、と思っています。そういう地道な活動をして下さる先生方が日本にはたくさんいらっしゃると思っています。)ましてや、先生方はテストの問題点を指摘した人間を攻撃して葬り去ろうなどとは決してなさいません。

新井氏は「自分には時の権力者がついているからどんなことをしても守ってもらえる。川合典子なんか、簡単につぶせる」そう思っているのでしょうね。 確かに私は政府にブログアクセス数を(1)にされても何もできませんけど。

(ちなみに子供たちの読解力の問題はいつの時代もありました。 私の知る限り、「子供たちの読解力は十分高い水準に保たれている」などと言われた時代は、一度もありませんでした。 だから問題にしようと思えばいつでも問題にできるのが読解力です。おそらく誰も反論しないでしょう) 
 

私は2021年1月14日に新井氏の朝日小学生新聞での読解指導の間違いを指摘して以来ずっとこの劇場型詐欺を見てきました。 政治家がどうやって自分が意図した方向に人々を誘導するのかをずっと見てきました。政治権力で動かせるあらゆる「権威」とメディアを使い、人々を嘘の情報で取り囲んで煽り、自分の意図する方向に誘導する。ベネッセのテストを学校教育に入れるためにこれほど大掛かりに何年もかけて国民を騙しにかかるというのが恐ろしかったです。 これだけ大掛かりに時間をかけて詐欺をすれば、国民は騙されていることにも誘導されていることにも気づきません。その問題点を指摘する人間の意見は国民の目に触れないよう、徹底的に妨害して葬ろうとする。  これはテストの導入ですからまだ危険は少ないですが、例えば個人情報保護法の「行政の個人情報を目的外に使用することを禁止する」という制限の撤廃や学校でビデオカメラで児童生徒を撮影する(子供の人間としての尊厳を失わせる児童虐待です)」などの導入だったら、大変なことになると思いました。 もちろん、彼らは最初からそんなことは言いません。 「子供の見守りのため」「いじめを早期に発見するため」とか、世の中に受け入れられやすい言い方から始めるでしょう。  その後、私はデジタル庁の「全国民の生涯教育データの強制入力」や大阪府箕面市文科省と共同で行っているプロジェクトで「条例を作って個人情報保護法で禁止されている行政が持つ個人情報」まで取って子供たちの個人情報として入力していることを知りました。 恐ろしいと思いました。(法律の専門家にお聞きしたいですが、地方公共団体は条例を作れば法律を守らなくてもいいんですか。 違法行為もできるんですか。 全都道府県が大阪府箕面市と同じことをしたら、個人情報保護法は制定した意味がなくなるのではないですか。 個人情報保護法で禁止されている行政の個人情報を勝手にとって生徒の個人情報に入力することが生徒に利益をもたらすことはありません。大阪府箕面市は一体誰の利益のために違法行為を条例でさせているのですか。生徒には何の利益にもなりません。 そこまでして個人情報を集める目的は何ですか。文科省はこの実証事業で何をしようとしているのですか。教師の数も増やさずに個人情報だけとっても「教育」の方は全然よくならないですよ。露骨な目的隠しはおやめください) それで私が見た政治家の「国民誘導の手口」をここに書くことにしました。 これを劇場型詐欺として具体的に読者の皆さんに申し上げれば、その恐ろしさがよくお判りいただけると思いました。 政治家のやり方は巧妙です。 自分の力で動員できるありったけの「権威」とメディアを使って国民の周りを嘘の情報で取り囲みます。 反対意見は、私のブログのように簡単に葬ります。 (国家権力を使って葬るのですから、私にはどうしようもないです。 だから「ツイッターなどで拡散をお願いいたします」と書いたときに、協力して下さる方々は本当にありがたいと私は思っています) 反対意見がどこからも目に入ってこなければ、多くの人々が信じやすくなります。 (もちろん、冷静な方もいらっしゃいますでしょうけれど) そしてその情報を信じた人が、気づかないうちに次の「誘導者」になっていく可能性もあります。 例えば新井氏の本を絶賛するとかして。  ご本人にはそんなつもりは全くなくても。 政治家の手口は恐ろしいです。 国民を、「動員できる限りのありとあらゆる「権威」とメディアを使って嘘の情報で取り囲み、自分の意図する方向に誘導する。恐ろしいです。 この「国民を嘘の情報で取り囲んでしまう劇場型詐欺」を私は新井紀子劇場」で初めて見ました。「新井紀子劇場」は教育史上まれにみる大掛かりな詐欺で、学校を標的とした極めて悪質な犯罪です。 


      






文部科学省は国家権力を使って英語教育で詐欺やってるんだから国民はたまらない。 国家権力で国民を英語教育産業の食い物にしているんだから国民はたまらない。 文部科学省は国民を騙して何兆円も巻き上げる犯罪集団。今日も学校で生徒を食い物にして英会話学校の「いいカモ」作り。日本の英語教育に「いいカモ」を作る教育計画表はいらない。詐欺集団もいらない。犯罪集団もいらない。「子供食い物省」なんかいらない。 永岡桂子文部科学大臣は無責任だ。 国民が食い物にされているのに何もしない。永岡桂子文部科学大臣はデジタル庁の牧島かれん同様、ただの「お飾り大臣」か? 子供たちは今この瞬間も学校で、将来の英語教育産業のいいカモにされる不備な英語教育を受けているんですよ。英語音声さえ与えられないんですよ。コンピュータまで一人一台与えているのに、なぜ英語音声は与えない。なぜ永岡文部科学大臣文科省の国民に対する背信行為をやめさせない。文部科学省は国家の事業で国民を英語教育産業の餌食にしているんですよ。英語音声を与えないという卑劣な手段を使って。もう何年も続いている。止めてください。岸田首相は見て見ぬふりをしないで下さい。首相が任命した文部科学大臣が何もしないんですよ。首相は「お飾り」でなくきちんと仕事をする文部科学大臣を任命して下さい。国民を守る仕事ができないのだったら永岡文部科学大臣などいたってしょうがないでしょう。 今この瞬間も日本中の子供たちは学校で、英会話学校のいいカモにされる不備な英語教育をされているんですよ。 岸田首相はなぜ何もしない? それで子供家庭庁なんか作ったって何の役にも立たない。岸田首相は本当に子供を守る気があるのか。今この瞬間も子供たちは通じる発音でスピーキングするための発音指導も学校で受けられない、家でスピーキングの練習をする音声モデルも与えてもらえない。いつまで子供たちを英語教育産業の餌食にする英語教育を続けておくのですか?  (ついでに言わせてもらえば、学校で発音記号ごとの発音も教えない、家で発音練習するための教科書の英語音声も与えないで、東京都の中学生がスピーキング能力など習得できるわけがないでしょう。音声モデルもなく生徒に英語を話させたら発音はぼろぼろですよ。 「スピーキング能力をつけるためにスピーキングテストをするのに賛成」などといっている議員は無知もはなはだしい。 スピーキング能力の習得に関してきちんと勉強もしないで発言するのはお控えください。英語指導は専門分野です。専門的に学んでいない人が口を出す分野ではありません。今までも、経営学だの、法学だの、保健衛生だの全く英語教育に関係のない人が口を出して英語教育を混乱させてきました。 専門分野にド素人の発言は不要です。テストで実力はつきません。スピーキング能力をつけるのは授業で教え、生徒が自分の口で練習することです。英語教育の常識です。 「テストで実力はつかない」は教育の常識です。日本人は過去50年英語民間試験のスピーキングテストを受けてもスピーキング能力を上げることができなかった。 現在年間500万人が英語民間試験のスピーキングテストを受けてもスピーキング能力は上がっていません。 それで、高校入試でスピーキングテストを生徒に受けさせてもスピーキング能力は上がりません。 テストでスピーキング能力をつけることはできないからです。こちらのブログの最後から3分の1くらいのところにある記述を転載します。)


もう一つ、民間試験が役に立たない証拠を皆さんにお話しします。

民間試験は過去50年以上に渡って日本で行われて来ました。(各試験 のサイトより)

実用英語技能検定は1963年より実施されて、2017年度の受験者数は366万146人でした。
ケンブリッジ英語検定は1939年横浜に初の試験センターが誕生し1941年に最初の合格者が出ています。
TOEFLは、1964年に作られ、日本では1990年代年間受験者数10万人を突破しました。GTECについていくつかのサイトに行って調べようと思い、最初にウィキペディアを開いたら、


この記事は広告・宣伝活動のような記述内容になっています。
ウィキペディアの方針に沿った中立的な観点の記述内容に、この記事を修正してください。露骨な広告宣伝活動には{{即時削除}}を使用して、即時削除の対象とすることができます。(2019年11月)

と書いてあったので、そこは読まずに受験者数は126万人ということだけ調べました。

こうしてみてくると民間試験は今まで日本で50年以上行われています。  受験者も現在では各試験合わせて年間500万人くらいいます。 ここまで、たくさんの国民が受験しているのに、現在でもまだ日本人の4技能が上がっていないことが問題になっています。 つまり、50年民間試験をやっても、日本人の4技能は上がらなかったという証明です。

それなのに、また、大学入試で民間試験をさせても全く効果はありません。 50年の歴史が物語っている通りです。

つまり民間試験のスピーキングテストを受けても日本人のスピーキング能力は向上しなかったということです。当たり前です。 テストでスピーキング能力は身につかないのです。 発音の基本を授業で教え、生徒自身が英語音声を聞きながら自分の口でしゃべる練習をしなければスピーキング能力は上がらないのです。それがスピーキング教育なのです。「スピーキング能力をつけるためにスピーキングテストをすることに賛成です」など、無知丸出し、とんでもない意見です。私は東京都の「スピーキングテストのやり方」について抗議しているのではありません。 「学校で教えていないことをテストする」 「スピーキングテストそのもの」に抗議しています。学校で教えていないことをなぜテストする。だから違法なテストだと言いました。明らかに教育基本法第4条に違反する。東京都教育委員会の違法行為です。法律に違反する行為だから、東京都教育委員会を相手取って「スピーキングテストの差し止め」を求めて、東京地裁に訴えてテストの妥当性を判断してもらえる、と思いました。地裁で納得いく判断が得られなければ最高裁まで司法の判断を仰ぐことができると思いました。このテストに反対していらっしゃる先生方は「このテストの問題点を多くの人に知ってほしい。」とおっしゃっていました。当然だと思います。最高裁で判断されれば、マスコミもスルーはできないと思いました。もし、東京都教育委員会の主張が退けられた時、誰が責任を取るのだろうと思いました。 


【注1】新井氏の読解指導について私が指摘したこと

朝日小学生新聞2021年1月8日に掲載された新井氏の読解指導があまりにもひどかったので私はその問題点を指摘しました。 その読解指導の冒頭の部分のみ引用させていただきます。

新井紀子先生のぐんぐんのびる読解力      「AIに負けない子どもを育てる」などの本で知られる数学者・新井紀子先生が、教科ごとに読解力のつけ方を教えます。今回は理科。科学の進歩から、振り落とされないための「こつ」を紹介します。


明けましておめでとうございます。初日の出は見ましたか。私は、海岸から見る日の出が好きです。まっすぐに続く水平線が徐々に明るくなり、オレンジ色に燃える太陽がのぼってくる瞬間はわくわくします。
  さて、この第1段落は国語の文章としてはおかしくありません。でも、理科としてみると何か所か間違っています。気づいたかな?
  まず、水平線はまっすぐではありません。地球は丸いので、水平線はゆるやかな曲線を描いています。ただ、地球は私たちにくらべてあまりに巨大なので、まっすぐに見えるのです。「燃える」ためには酸素が必要であることを、6年の理科で習いますね。宇宙空間には酸素はなく、太陽は燃えません。「核融合」という反応中に放出される大量のエネルギーによって、光って見えるのです。そもそも、太陽は「のぼり」ません。北極を上と見たとき、地球が反時計回りに回転しているので、太陽が東からのぼって西に落ちていくように見えるだけなのです。

以上、朝日小学生新聞より引用させていただきました。

「理科の読解力」というのは、科学的文章を読むときの読解力のことでしょう。文学的文章を理科の事実であげつらうことではありません。書かれた文章から、「原因と結果」を把握するとか、「時間の経過によって何がどう変化していくのか」とか、重要な事実を整理して理解する指導が、科学的文章を読むときの読解指導でしょう。新井紀子さんは「理科の読解力とは何か」もご存じありませんか。これについての私の指摘はこのブログの最後から少し前、赤い大文字で朝日小学生新聞を引用した場所に書いてありますが一部ここに転載します。


結論から言うとこういう方に国語教育をされるのは困ります。文学的文章に科学的事実で突込みを入れるような国語教育(?)は本来ありません。 そんな文章は生徒に読ませるだけで害があります。 国語教育をきちんと学ばれた国語の先生方は決してそういうご指導はなさいません。 経歴を拝見すると、 新井紀子氏は国語教育を一切学ばれていません。 そういう教養のなさがこういう時に露呈します。 国語教育の専門家なら絶対に犯さないような基本的な間違いを犯します。 間違った国語教育をすると、国語教育の大事な目的の一つ、生徒の文学的文章を理解・鑑賞する力が失われます。「文学的文章を文学的文章として尊重する」という姿勢を生徒に育てるのも大事な国語教育です。 そういうことが自然にわかるのがきちんと国語教育を学んだ教育者です。 新井紀子氏はきちんと国語教育を学んでください。 「国語教育をきちんと学んでいない」というのは致命的な欠陥です。 指導の根幹に国語教育の基本事項が欠如しているからです。


読書をしてたくさん文章を読んでくると文章には科学的な事実が書いてある科学的文章と、著者の感性や主観から書かれた文学的文章があるということがわかります。 国語教育では指導する文章にいくつかジャンルがあります。  同じジャンルであっても、文学的文章と科学的文章は異なる種類の文章ですので、文学的文章と科学的文章には、それぞれ異なる文章の書き方があり、ことなる評価の仕方があります。 それが混ざりあうことはありません。  ですから、文学的文章に対して科学的事実での批判(「理科としてみると何か所か間違っています」)から始まるこの新井紀子氏の文章には、読み始めた時、私は大変違和感を感じました。  新井氏は読解力の指導をなさっているということですが、もう少し、ご自身が良い文章をたくさん読んでから、子供たちの読解力のご指導をされた方がよいのではないかと思いました。  なぜなら、科学的な文章も文学的な文章もごちゃ混ぜにしたような新井紀子氏の文を読んだ時の違和感が、帰国子女の私の娘に文章を書かせる練習をさせた時に感じた違和感と似ていたからです。 (経歴を見せていただくと、新井紀子氏は海外での学問のご経験も数年おありのようですけれど、成人されてからですから、娘のようにその影響があるわけではないと思います。 けれども「太陽がのぼる」という表現に対して「そもそも太陽は上りません」とか「まっすぐに続く水平線」という表現に対して「水平線はまっすぐではありません」とか「オレンジ色に燃える太陽」という表現に対して「宇宙空間に酸素はありませんから太陽は燃えません」とか「いまどき、文学的文章に対してこんな突込み入れないで。」と思うような、非常に稚拙な文章なのも娘の文によく似ていました。新井氏が子供たちに「この文章は理科として間違っているけれど気づいたかな?」といわれても、文学的文章というのはそんなことに気づきながら読むべき文章ではありません。 「書かれたイメージが浮かんでくるか」とか、「そのイメージはどの言葉によって浮かんでくるのか」とか文学的文章を読む場合の指導は、科学的文章を読む場合とはまったく違います。 そういう読み方を訓練するのが文学的文章を読むときの国語教育です。 文学的文章を読んで理科の観点から間違いを探す、などというのは、間違った国語教育です。 いい加減な教え方をしないでください。生徒の国語力に害をもたらします。 こういう教え方は国語教育でせっかく培った子供たちの感性を壊します。   理科教育、国語教育、それぞれにあった教育の仕方があります。 こういう基本的なことも知らない方に国語教育(読解)をされるのは困ります。 子供の中には先生がこういうことをおっしゃると、本当に「科学的事実でないことは書いてはいけないんだ」と思ってしまう子もいるんですよ。  リツイートされた方が「何の薬にもならない文章」と書いていらしたのもそういう理由だと思います。 やはり子供たちに文章の指導(読解力の指導)をなさるのであれば、ご自身がもう少し、書物をお読みになって、良い文章にたくさん触れてからの方がよいと思います。

文学的文章と科学的文章の指導の違いもわからない方に国語指導(読解)を受けるのでは子供たちがかわいそうです。 読解力の指導と称して、文学的文章にこのような突込みを入れるような文章を読まされるのでは子供たちの国語教育としてはマイナス面の方が大きいです。 間違った国語教育はおやめください。  ご自身がもう少し文章の素養を身に着けてから、国語教育のご指導をなさってください。 子供たちのためにその方がよいと思います。 国語教育の基本(文学的文章と科学的文章の指導の仕方が違うこと)を知らない新井紀子氏の間違った国語教育では子供たちは文学を味わう能力を失います。 「国語教育の勉強が足りない」という点で、読解力を指導する教育者として失格です。 経歴を拝見いたしましたが、国語教育に関しては全く学んでいらっしゃいません。

以上、新井氏の読解指導についての私の指摘を転載しました。
文学的表現を「理科の読解指導」と称して科学的事実であげつらう。 国語教育の常識では考えられない愚かな行為です。漫才のネタではないのですから、文学的な表現に変な突込みを入れないでください。 国語教育を冒涜(ぼうとく)するものです。







7月18日私は英語教育が本業です(子供達を守る為致し方なく政府の児童虐待についても書いております)中学でこういう発音を身に着け、高校で英語の語順で理解し、大学で大量の読書を行い英語で考えるようにする。その英語教育のやり方を私は知っています。
大阪府箕面市の実証事業で「教師の指導力向上に効果があった」と言って全国の小学校にビデオカメラを設置する事も可能です。そうすれば数十年のうちに日本国民全員が国家に映像を撮られ「人間としての尊厳」を奪われても何にも感じない国民になっていくでしょう。数十年したら、日本人は国家権力に容易にコントロールされ政権批判もしないし、個人情報を無断で取られても抗議もしない国民になっていくでしょう。幼い時にされることの影響は恐ろしいです。(「子ども家庭庁」によって導入される仕組みだって「子供」といいながら何年も続けていけば日本国民全員に対して行われるのと同じです。)国家の「映像による国民の管理」「個人情報保護法で禁じられている情報の同意なき収集」など、日本版「1984年」計画の準備は着々と進められています。知人がこの新聞記事を送ってくれなければ、こんな収容所まがいの恐ろしいことが学校で子供に対して行われているなど私も全く知りませんでした。

この画像はひどい。授業中の子供の体をカメラで撮影し点と線で解析:子供は物じゃない。政府は文科省児童虐待させて子供家庭庁を作っても無駄です5/16こちらでオウム真理教の例を示し文科省児童虐待を説明。自分は「他人が侵してはならない権利を持ち(基本的人権)、人間として尊敬をもって扱われるべき存在」という意識を子供から奪う虐待。政府は子供の基本的人権を奪って何が子供家庭庁ですか。(東京書籍が児童を虐待している大阪府箕面市の子供見守りシステムをやっているんですよね。(「東京書籍」は大手教科書会社。新井氏の学校を騙すテストを一緒に作った会社です。教科書会社が学校を騙すテストを作る、というのは悪質です。 本当に間違えてしてしまった事なら間違いを認めて、きちんと謝罪するのが企業としての正しい姿勢でしょう。 それもしないで「汎用的読解力」などと、すぐに嘘だとばれるような理屈をつけるのはおやめ下さい。教育は信頼の上に成り立つ仕事です)   でしたら「こども家庭庁」も業者を儲けさせる為か、個人情報を国民から騙し取る為に作ったのですか。デジタル庁の時と同じですね。もしそうなら「こども家庭庁」も国民の個人情報をだまし取る犯罪集団ですね。子供は年々大きくなるわけですから「こども家庭庁」が子供の情報を継続して取っていけば、やがて日本国民全員の個人情報が騙し取れます。 児童虐待をやっている大阪府箕面市では子供の見守りの為といって個人情報保護法で目的外利用が禁止されている行政の情報(生活保護など)まで同意なく取っていますから、「こども家庭庁」も個人情報保護法で禁止されている情報まで取って、子供の見守りの為だというんでしょうか。もしそうなら、本当に「こども家庭庁」はデジタル庁と同じ個人情報騙し取り庁、犯罪集団ですね。そして、児童虐待をやっている大阪府箕面市のように、そのあと将来の見守りの為といって全生徒の個人情報を同意なく入力するんですか? 今、そこまで言うと問題があるから、今は言わないでしょうけれど。国民が忘れたころ業者を儲けさせる子供の情報をどんどん取っていくのでしょうね。デジタル庁の時と同じですね。 そういうことでは「こども家庭庁」はたいして役には立たないでしょうね。何と言ったって、「こども家庭庁」を作りながら、一方で文科省児童虐待して子供の基本的人権を奪っているのですから。 そばで子供を見守る良い教師を育成することにお金をかけてくれた方がましですね。良い教師の育成に関しては政府は全く無視ですから。 「こども家庭庁」はGIGAスクール構想みたいに立派な目的を強調して始まって、たいして役に立たないまま、業者だけが儲かって終わるのでしょうね。 政府は子供を金儲けの道具か、個人情報騙し取りの道具としてしか見てませんから。 その証拠に東京都だって、中学校で教えてもいない英語のスピーキングを高校入試でベネッセを使って、テストさせることに固執している。本当にスピーキング力をつけさせたかったら学校でスピーキング(正しい発音)を教えることをまず最初に考えるはずなのに、東京都教育委員会は中学生に英語の教科書の音声が入ったCDも与えないで、ベネッセにテストさせることばかり固執している。テストやってもスピーキング力はつきませんよ。当たり前でしょう。学校で教えていないのですから。 生徒のスピーキング能力を上げるためには中学校でこうやって教育するんですよ。 英語教育を何も知らない東京都教育委員会はもっと英語教育を勉強してください。 東京都教育委員会はベネッセに金儲けさせたい政治家の思惑通り動いています。これは大学入試の民間試験と同様ですから、裏にいるのは下村博文ですか。「東大に民間試験をさせろ」とすごんでいた政治家です。 あの脅しのようなすごみ方は反社会的勢力(暴力団など)みたいに怖かった。 下村博文は「子供は政治家の金儲けの道具、ベネッセの金儲けの道具」というのが露骨です。)                    政治権力は人間としての尊厳を失った人を容易にコントロールできます。「教師と生徒」「生徒と生徒」は互いに尊敬をもって接する。(娘の学校の「学校での行動指針」1ページ目に書いてありました)大人が会社でカメラを取り付けられたら抗議する。大人にしてはいけないことを子供にしていいのか。子供は犬じゃない。学校は収容所じゃない。 大阪府箕面市教育委員会は、教育委員会の各部屋にカメラ5台ずつ設置してみたらいかがですか。それがどういうことかお分かりになりますでしょうから。まるで収容所のようではないですか。 文科省も、各部屋にビデオカメラ5台ずつ設置したらいかがですか。それがどういうことかお分かりになるでしょうから。体を点と線で結んで何分前を向いていたから仕事に集中しているか解析できますか? そういう問題ではないでしょう? なんだったら、文部科学省だけでなく、経済産業省厚生労働省国土交通省など、すべての省庁の各部屋に5台ずつカメラを設置して、コニカミノルタに前を向いている時間を解析してもらって国民に毎週レポートしてもらいますか? まるで監視されている刑務所の中のようではないですか。 それで、どれだけまじめに働いているかわかりますか? 省庁だけでなく首相官邸にも各部屋に5台のカメラを設置してもらって、コニカミノルタに解析してもらい、どれだけちゃんと仕事をしているか国民に毎週レポートしてもらいますか? そうすれば、それが、「互いに尊敬をもって接する人間社会」のあり方として決して健全な形ではないと文部科学省にもわかるでしょう。 文科省は根本的に言っていることとやっていることが合致しない。カメラを入れた目的は若手教師の育成ではないです。研究授業後、授業内容改善についてのアドバイスもない研究授業などありえません。 機械のデータだけもらって、教師が育成できますか? 公にされている目的を達成するにはどれも手段がおかしい。 大阪府箕面市の小学校での実験の本当の目的は何なのですか?子供を5台ものカメラで撮影することを国の役所が考えるなど恐ろしいです。文科省にはもはや教育などできない。GIGAスクール構想だってコンピュータを買いそろえればいいと思っている。2019年12月9日に発表された萩生田文部科学大臣の「多様な子供たちを誰一人取り残すことのない公正に個別最適化された学びや創造性をはぐくむ学び」というメッセージは「どの子もその学力に合わせて学べる」ある意味バラ色の学習環境を国民に期待させた。でも「個別最適化された教育」って何をすればいいのか文部科学省にはわからない。国民は萩生田文部科学大臣に騙された。失敗が確定しそうだからといって、今から当初の目的をすり替えて逃げ道を作らないでください。 そういうことにばっかり頭を使うのでなく、良い教育をするためにもっと頭を使ってください。そうでなければ子供たちがかわいそうです。 政府の失敗を後から失敗でないように見せようとする人って、こういうしょうもない仕事ばっかりするの。 一目で、嘘だとばれるような事ばっかりするの。もう少し、まともな仕事ができないのでしょうか。 成績優秀でもすぐ嘘だとばれるような仕事をしていたら使えないです。 新井氏はAIに仕事を奪われないためには読解力といって、教科書の読解力があれば偏差値の高い学校に入れるといってたけど、(私はこれは嘘だと証明しました)偏差値の高い学校に行っても、こういう穴だらけの仕事をしていたら、使えません。  偏差値が高くても志(こころざし)が低いと仕事はぼろぼろ。何の役にも立たない。   虐待されたり、騙されたり、この国の子供達は本当にかわいそうです。でもまだGIGAスクール構想が成功する道は残っているんですよ。 子供を指導する教師の数を2倍にすればいいんです。 日本中の学校に一人一台コンピュータを揃えるくらいお金を使ったのですから、よい教師を養成して数を増やすためにもそのくらいのお金は使えるでしょう? 今現場では教師不足が深刻なようです。 良い教育をするためにも、先生一人に生徒40人では多すぎます。 それともコンピュータ業者には莫大なお金を払うけど、納税者の子供のためにはびた一文お金は使わないということですか? 大量のコンピュータを業者から買う前に、よい教師を育成して教師の数を増やしたらどうですか。政府が使うお金は国民が納めた税金です。 政治家のポケットマネーじゃありません。納税者が納めた税金を納税者の子供のためにはびた一文使わず、コンピュータだったら大量に買うんですか。 今、学校に一番必要なのは十分な数の教師です。 教師不足が深刻なのに、なぜ、政府は良い教師を育成して、教師の数を増やすための努力をしないのですか。  政府は税金使って、一体誰のための仕事をしているんですか。税金は政治家のポケットマネーじゃありませんよ。業者のコンピュータは大量に買い上げるのに、納税者の子供達は虐待して、情報取って、見守る教師を増やすためにはびた一文予算は使わない。 ひどいと思いませんか。        政治家がしたいようにコンピュータを買って、学校を騙す詐欺師を表彰して、子供を虐待して、子供を見守れる教師の不足は徹底的に無視して何もやらない。政府の文部行政は、政治家が儲かること以外は何も真剣にとりくまない。     だから、まともな英語教育もできない。 音声学も英語教育法も知らない人間に英語教育などできるわけがない。機械に発音を判定させたって、通じる発音にはなりません。自分のしゃべる言葉も自分の耳で判断できるように教育しないで、何が英語教育だ。いつまで日本人を通じない発音で話させているんだ。 やり方が間違っているのです。 10年も前から自分の耳を使って習得しなければだめだと言ってるでしょう。 だから自分で発音習得したことのない人間に英語教育などできないんです。文部科学省児童虐待省 「教育」はどうやるのかも知らない。子ども家庭庁だって、いかにも子供を大事にしているようなことを言っているけど、本当は子供を金儲けの道具にして、業者を儲けさせたいだけでしょう。あるいは、大阪府箕面市の例のように、子供を見守るとか言って、本当は同意なく個人情報を収集する口実を作りたいだけでしょう。 そんなに子供が大事だったら、なぜ子供の一番近くで見守りをする教師を増やさない? なぜ良い教師を育成することに本気で取り組まない? なぜ教師育成のために一切予算を使わない?  教師不足は徹底的に無視しているじゃないか。政府は30人学級の予算だって却下したじゃないか。 それで何が、子供のための政策だ。 何が子ども家庭庁だ。 情報や機器をそろえることでは教育も子供の見守りもできないのです。デジタル庁の時もGIGAスクール構想の時も指摘したでしょう。 「教育は規模が大きくなればなるほど劣化する」と私はこちらのブログ2022年1月26日記載部分で述べました。 教育だけでなく子供の見守りもそうです。子供のそばでいつも話し見守る人(教師)がいなければ子供が困っていることや悩んでいることにも気づけない。大阪府箕面市の先生がおっしゃっていました。 顔に傷がふえていないか、お風呂に入っていないのではないか、そんなことはそばにいる人間でなければ気づけないでしょう。     子ども家庭庁の見守りシステム(また個人情報を強制的に取るんですか)をいくら宣伝したって、良い教師を育成し増やさない限り、政府が本気で子供を大事にするつもりがないことは丸見えです。 現に文部科学省は今、大阪府箕面市の小学校で児童虐待をやっているではないですか。児童の基本的人権を奪っているではないですか。 政府は子供を見たら、金儲けの道具にするか、同意なく個人情報をだまし取るか、それしか考えない。どんなに立派な理由を言おうと、本心は、それしか考えていない。 

5月16日こちらのブログに加筆。政府の激しい妨害の為ツイッターで拡散をお願い致します。文部科学省教育委員会による児童虐待 

          文部科学省

       日本版「1984年」計画は

        すでに始まっている。

1984年」とはなにか: 「1984年」とはイギリスの作家ジョージ・オーウェルの小説「Nineteen Eighty-Four」のこと。 全体主義の国家で行動も思想も国家に監視、統制されて生きる人間の悲劇を描いている。 例えば市民の各家には当局と双方向で映像や音声が送られる大きなスクリーンが設置され、ほぼすべての行動を当局に監視されている。









国民27万人を騙した詐欺師新井紀子を文部科学省が表彰する。公教育を司る文部科学省はもはや日本には存在しない。(解説)新井氏は自分のテストに対する教育者の質問に真摯に答えない。(質問はこちら)新井氏はツイートする暇があったら質問に答えるべきだ。  新井氏は答えられない。 答えられないから詐欺なのです。詐欺は犯罪です。文部科学省は犯罪人を表彰するのか。文部科学省はお答え下さい。お答えにならないなら、岸田首相は犯罪人を表彰するほど日本の教育を軽視している。岸田首相はデジタル庁に教育データを騙し取らせ、文部科学省に子供を虐待させ「国民27万人を騙した犯罪人」を表彰させる。極めて悪質な総理です。児童虐待文科省にやらせる首相など憲政史上初めてでしょう。
4/15「書く事がなぜ思考力を高めるのか」加筆 20代のこの時からアメリカで子育てをした時も含めて10年以上自分が直面した問題をノートに書いて整理し解決してきた私の体験から導き出した結論が書いてあります。  

10月4日加筆GIGAスクール構想は「個別最適化された学び」を実現するか。 コンピュータは大量に買ったけど、教師を増やすことにはびた一文予算を使わないから失敗します。 

3/27学校を騙してテストを売る教育委員新井紀子解説はこちら)。テスト受験者27万人**を騙した新井紀子を教育委員に承認した東京都議会(報道発表資料教育庁)。(**27万人というのは先月私が見た新井氏のツイッターの最初の画面に「27万人以上の方々が受験」と書いてありました)

3/4/2022下に加筆下村博文は日本の国際競争力を30%低下させる。陰謀論を信じる人々には下村博文は日本を没落させるためにどこかの国が送り込んだスパイのように見えるでしょうね。国立情報学研究所所長喜連川優のずさんな運営(解説はこちら)。捏造した研究結果は東京都教育委員新井紀子の詐欺(犯罪)に利用。新井氏の本を売る東洋経済新報社(社長駒橋憲一)はこの犯罪の主力(本の発行部数より)

個人情報を騙し取るデジタル庁についてはこちらこちら。岸田総理は国民の生涯教育データを騙し取って売る憲政史上最悪の総理牧島かれんデジタル大臣は盗賊の頭みたいなことをやっていないで、データを集めることが本当に国民の為になることかどうか自分の頭でよく考えてください。データを100万個入力しても教育はよくならない。理由はこちら。安倍元首相は高校のデータだけ騙し取りましたが、岸田首相は「生涯教育」を持ち出し、国民の一生分の教育データを騙し取る。国民の人生の記録を騙し取って業者に売る。歴代首相の中で最も悪質です。   (私は操作をされるのが嫌いです。操作されたことに気づいたとき、文面を変えることもあります。) この下の二つ目の青字の部分(赤い小さい字の下)に私の中学時代の失敗の思い出が書いてあります。子供の想像力はテーブルにあった食卓塩と瀬戸内海の塩田を結び付けました。そこに新井氏が言う東ロボの読解問題の答え方が引用してあります。 テストの問題文と設問にでてくる選択肢の中に書いてある「文字」の重複が一番多いものを選ぶのだそうです。『あ』という文字が何回とか、『山』という文字が何回とか。 そんな選び方、子供の教育の参考になると思いますか。  
(2022年3月4日)下村博文が教育行政にいることによって、日本の国際競争力は30%低下する。「業者を儲けさせる為に、公教育の内容の一部を作為的に学校で教えないこと」によって、日本の国際競争力は30%低下する。東京都は高校入試でスピーキングテストを実施することを決めています。 高校入試は本来中学校で習ったことを出題することが決まりですが、中学校でスピーキング教育は行われていません。 私がここで言っているスピーキング教育とは、「生徒が通じる正しい発音で英文を言えるようにする」教育です。 日本では現在、生徒に英語の教科書のCD(音声モデル)も持たせていませんので子供たちは発音練習するすべもありません。

学校で教えてくれないことが高校入試で出題されるとわかった時、保護者がすることは決まっています。 「塾や会話学校で教えてもらう」です。  けれども経済的な事情で塾にも会話学校にも行けない子供たちがいます。 以前塾に行っているのは生徒の7割くらい、と読んだ覚えがあります。 現在はどのような割合かわかりませんが、似たような割合だろうと思います。(そして、この高校入試でのスピーキングテストはやがて全国に広がっていくでしょう。 東京都に導入させた政治家は全国に広げるつもりでしょう。)

つまり3割の子供は必要なことを学校で教えてもらえなかったら、身に着けることはできません。 私は英語の教科書のCD(音声モデル)を生徒に与えてください、と言い続けてきました。  日本語と英語ではこれだけ音もリズムも違うのですから、それを身に着けようと思ったら、CDが必要だということは誰でもわかります。 コンピュータだって学校にあれだけ大量にそろえてくれるのですからCD一つ生徒に与えないのは、作為的に文科省がやっていると容易にわかります。  学校で、完璧なスピーキング能力を身に付けられれば、誰も会話学校に行きませんから。業者を儲けさせる為に公教育でするべき内容を作為的に教えないようにしています。 2020年「東大に英語民間試験をやらせろ」とすごんでいたのは下村博文でした。 教育行政で、業者が儲かるように方針を決めているのは下村博文です。

3割の子供は、スピーキング教育を受けられないまま高校受験に臨む。 本来なら学校でスピーキング教育を受け、学校から配布された教科書のCDで練習して、その努力に見合ったスピーキングテストの点数を取得して、自分が行きたい高校に入れるよう点数を取得できるはずなのに、学校で教えてくれないから、スピーキングテストの点数が取れないままの点数でいける高校に進学していきます。

つまり3割の子供たちは必要なことを教えてもらえない、そして自分にふさわしい教育を受ければ、本来の実力を発揮して進路を歩むことができたのに、不利をこうむった点数で進路を決めていくことになる。 つまり自分の本来の実力にあった教育を受けることが出来なくなる。 その子たちは自分の実力を十分に伸ばす機会を失います。

世界の国々では、業者が儲かるように公教育の内容の一部をわざと教えない、などという国はありません。  どこの国でも、国の未来を作る子供の教育では、教えるべきことはきちんと学校で生徒に教えています。  だから、例えば、外国では、10000人の子供に公教育を行えば、100人の各方面でリーダー的存在になる国民が育っていくとすると、日本では3割の子供が、公教育で充分な内容の教育を受けられないので、10000人の子供に公教育を行っても、70人しかリーダー的存在になる人間が育たない。ということになります。 

(大学入試でも、各大学はスピーキングテストをするよう文科省から求められていますが、自分の大学でスピーキングテストをする施設も人材もない大学がほとんどでしょうから、多くの大学が民間試験に頼ることになります。 その結果、経済的に複数回受けられない、あるいは住んでいる地域での受験が難しい、という理由で不利をこうむる受験生が何割か出てくるでしょう。 そうするとまた、受験料だけで済むはずの教育で、追加で課されるスピーキングテストのため、学力以外の要因によって自分の実力を充分に発揮して進路を選べない生徒が出てきます。 つまりここでも、何割かの生徒が充分に能力を伸ばす大学への入学が出来なくなり、人材の育成の割合が低下します。)

つまり、公教育の内容を「業者を儲けさせるために」作為的に取り除く下村博文のような政治家がいることによって、日本で育つ人材の数が低下するということです。

岸田首相が、日本の国際競争力を高める方針を懸命に実施しても人材が、他国より3割減少した人数しか育ちませんから、首相の努力は 0.7倍(3割減)しか機能しないことになります。 人材が育たない、というのはそういうことです。 政府がいくら良い政策を実行しようとしても人材が足りなかったら、効果は0.7倍(3割減)となります。

「公教育を浸食する」「業者が儲かるようにわざと公教育の内容の一部を子供に教えない」「公的なテストを業者に肩代わりしてやらせる」というのはそういう問題を引き起こします。  経済的に恵まれる、恵まれない、に関係なく能力や才能のある子はいます。 そのすべての子供の能力を伸ばそうとするのが、公教育の役割です。  ところが業者の利益のために、その公教育で本来教えるべきことをわざと教えない。 本来国がやるべきことをわざと業者に(例えば、スピーキングテストという形で)させる政治家がいると日本の人材は他国の0.7倍しか育ちません。 つまり3割少ない人数しか育たない、ということです。

公教育は国家の未来を創る人間を育成します。 公教育を浸食する政治家、下村博文がいるために、日本の国際競争力は30%低下します。
生徒全員に英語の教科書のCDを与え、学校で生徒全員にスピーキング教育をするべきです。
公教育を妨害し、日本の人材育成を妨害する下村博文は、首相の努力も政府の努力も妨げる。   陰謀論を信じている人たちには、下村博文は「どこかの国が日本を没落させるために送り込んだスパイ」のように見えるでしょうね。





東京都教育委員新井紀子の詐欺に最も”貢献”しているのは東洋経済新報社。(発行部数より)詐欺は犯罪です。 (新井紀子氏はお金を払ってこのリーディングスキルテストを購入した学校に損害賠償をしなくていいのですか? アミラーゼについて書いた文を読ませてセルロースの形を問うのは読解力を科学的に測るテストではありません。偽りの効果をうたって物を売るのは詐欺です。教育委員が学校を騙していいんですか。(犯罪は当事者が訴えなくても警察が動く案件です。)東洋経済新報社(社長駒橋憲一)はこの犯罪の主力です。人を騙して本を売る東洋経済新報社に正確な経済データが提供できるのか。詐欺(犯罪)をしながら信頼される仕事ができるのか。新井氏はバックに政治家もいるし、ベネッセから潤沢な”研究費”ももらえるし、これだけマスコミを動員すれば、絶対嘘だとばれないと思ったのでしょうね。 駒橋社長も絶対ばれない、と思っていたのでしょうね。だから今、「まずいことになった」と思って、 いろんな人にブログを書かせて誰も反対できない部分だけ強調して「詐欺ではない」と言い張ろうとしている。このアマゾンのページに書いてある大掛かりなマスコミ動員(たくさんのテレビ・ラジオ番組(NHK、民放)、数々の新聞、週刊誌、ビジネス誌、月刊誌、女性誌、インターネット、書籍に与えられる多数の賞)を見たら、誰だって、絶対嘘だとばれないと思ったでしょう。本の帯には「読解力がない人間は仕事を奪われる」と大きく書いてある。でも新井氏は生徒に教科書を読ませたデータは一つも取っていない。ただ自分が「教科書の読解力を測るテストだ」と言い張るテストをさせただけです。中には生徒を罠にはめる問題もある。データがないから詐欺だといったのです。そうしたら政府から妨害を受けたのだからこの本の作成には裏がある。駒橋社長もそれは十分承知でしょう。裏は「時の権力者(政治家)の金儲け」です。東洋経済新報社は詐欺をやるほど政治家と緊密な関係にいて、経済記事が政治家の思惑に影響されないと言い切れるのか。
新井氏は「騙すつもりはなかった」というかもしれない。本当にだますつもりがなかったら、不適切なテスト問題だとわかった時点で謝罪、訂正するのが教育者です。 なぜそれが出来ないのですか。 指摘を無視して間違いを押し通そうとするから、子供の読解力向上以外の目的がある、とわかるのです。 間違えた理由を聞かれた時、「子供をわざと間違えさせて読解力が落ちている、と騒いでこのテストを売る」それが最初からの目的だった、といえないからでしょう。「設問を科学的に作成する基準は何か」と聞かれても、何も答えられないからでしょう。テスト作成の意図が悪質です。 間違いを徹底的に無視して押し通す問題作成者など、教育界にはいません。         そして私が教師になったころは、先生方はああいう問題を見ると「ああ、引っかけ問題ね。教育には無意味」ってみんなすぐわかりました。 そういう問題を作る人は「教育者ではない」と軽蔑された。  本当に子供たちの読解力向上を願うプロジェクトだったら国立情報学研究所はなぜ国語教育を全く学んだこともない新井氏に読解力の仕事をさせたのですか。(これについてはこちらのブログの最初の黒字部分(少し大きい字で書いてあります2022/1/23 22:53と書いてある所です)に喜連川氏に指摘しています) 新井氏が東京大学の入試問題をロボットに解かせるプロジェクトを行ったからですか? でもロボットの読解問題の解き方(?)は、恐ろしいほどばかばかしい解き方です。 脳を持つ人間の教育には何の参考にもなりません。 このすぐ下の青字の部分にロボットの読解問題の解き方(?)が書いてありますのでお読みください。 だますつもりがあろうとなかろうと、事実でない効果をうたってテストを売れば詐欺になります。詐欺は「騙すつもりはなかった」と言えば無罪になる犯罪ではありません。  それは私が松本茂教授、吉田研作教授に言ったことと同じです。 だますつもりがあろうとなかろうと「英語で授業」は子供たちの発音をぼろぼろにし、意味も分からない言葉で授業をするのですから、子供たちの英語力を上げる効果はない。 それなのに、「英語で授業」が子供たちの英語力を上げると主張し、学校教育で実行させ損害を与えた(税金を使わせ、先生方の時間を使わせ、生徒への効果もない)のだから松本茂教授、吉田研作教授のしたことは詐欺だと私は指摘しました。だますつもりがあろうとなかろうと、事実ではない効果(嘘)を謳い、国や国民に損害を与えたのですから、松本茂教授、吉田研作教授のしたことは詐欺です。 吉田研作教授は有識者会議の座長としてこれだけ高校生を犠牲にしておいて責任も取らず、今は公益財団法人日本英語検定協会会長ですから。せめて「英語で授業」を高校でするのは間違いであった、ときちんと認めてからにしていただきたかったと思います。 保身のため、間違いも認めず逃げ出して、誤った英語教育をさせてしまった高校生を見殺しにする。 吉田研作教授のために日本中の高校生が犠牲になったのですよ。なぜ間違いを正して、犠牲になった高校生に対して責任をとらないのですか。吉田研作教授は身勝手で無責任です。高校生に対して何ら責任を取らず、知らんぷりして公益財団法人日本英語検定協会会長に逃げた。逃げる前に高校生に対してきちんと間違いを認めて英語教育を正してください。日本中の高校生を犠牲にしたのですよ。知らんぷりしていていいはずはないでしょう。吉田研作教授は高校生を見殺しにして自分さえ、公益財団法人日本英語検定協会会長におさまっていればいいんですか。   吉田研作教授は「半数近くの高校はまだ英語による授業が行われていない」と朝日新聞デジタル(2019年11月18日)で高校の先生方を非難していました。 本当は「英語で授業」の方針が間違っているのに、高校の先生方に謝罪もしないし、英語教育を正しい形に直す措置も行わない。 自分が傷つきたくないから何もしないで逃げている。 松本茂教授も同じです。朝日新聞の記者にメールまでして、高校の先生方を非難する記事を書かせていました。 2015年頃は、有識者会議の委員安河内哲也氏も「英語で授業」を提唱していました。 石渡誠氏のブログで安河内哲也氏が「日本各地で英語で授業を広めるために尽力されている」と読みました。(今はその部分は削除されています) 3人とも日本の英語教育をぼろぼろにしておいて、自分が傷つきたくないから、正すこともせず、知らん顔して逃げている。           誤った方針のまま授業を受けさせられて、卒業していった子供たちのことを考えたことはないのですか。もう、取り戻してやれないのですよ。 子供なんかたくさんいるから多少の犠牲はしょうがない、とでも思っているのですか。 松本茂教授、吉田研作教授、安河内哲也氏の「我が身可愛さ」のために日本のこどもたちは正しい英語教育もいまだに受けられないのですよ。日本の英語教育の間違いを直し、日本の英語教育を正しいものに変えてください。 それが間違った英語教育を提唱してきた松本茂教授、吉田研作教授、安河内哲也氏、3人の責任でしょう。  スピーキングは他の3技能とは違います。 ほかの3技能が頭の活動だけで完結するとしたら、スピーキングは頭の活動だけではなく筋肉の練習も含みます。 つまり体育の「さかあがり」をできるようにするのと同じ種類の練習がいる技能です。 自分の口の筋肉を使って英語の音が出せるようにしてやらないと、スピーキング教育にならないのです。 通じる発音にならないのです。 私はすでに英語教育を修了した大人の発音について何も言うことはありません。 これから学校で学ぶ生徒にはきちんと通じる発音で話せるようにしてあげるのがスピーキング教育だといっているのです。 もちろん、これには日本語の子音の言い方とは根本的に違う英語本来の子音で話せるようにする指導も含みます。(こちらのブログを参照してください。) そういう正しいスピーキングを学校で教えることなく、「英語で授業」をやっても子供たちの発音がぼろぼろになるだけです。 今までの日本人と同じ通じにくい発音で話すだけです。最悪の場合は通じません。  留学した方々の中に、日本人の英語が通じにくい、という事実を知らない方が多いのは、「学校では、だれだれの英語は~~だ、ということは言ってはいけない」という教育が小さいころから徹底されているからでしょう。(こちらのブログの終わりの方に小さい赤い字で、娘の学校の話として10行ほど書いてあります) でも、通じない発音でしゃべらせていては教育の意味がありません。 コミュニケーションの第一歩はまず、通じることだからです。  生徒に勝手にしゃべらせるのはスピーキング教育ではありません。 きちんと通じる英語で話せる英語教育を学校でするよう日本の英語教育を変えてください。 それは「生徒に勝手にしゃべらせる間違った英語教育」を提唱してきた吉田研作氏、松本茂、安河内哲也氏の責任です。


新井氏が作ったアミラーゼの問題を見た時、私はこう思いました。「新井氏は”書いてある文字や言葉をベタに取り込んで機械処理するロボット”と思考力を働かせて「何が重要か」を考えながら読んでいく人間の脳の違いを忘れてしまったのかしら」    人間とロボットの違いを忘れた人に教育は出来ません。教育が育てるのはロボットにはない人間の「思考力」だからです。 参考までに彼女の本「AI vs 教科書が読めない子どもたち」の92ページに書いてある東ロボの読解問題の解き方を引用しておきます。 「傍線のついている部分とその前の段落の文を取ってきて「『あ』という文字が何回、『山』という文字が何回」と同じ文字の数を数えて、選択肢のほうも同様に数えて、一番重複が多い選択肢を選ぶという方法を採用したのです。 文の意味どころか、単語の意味も調べません。無謀と思われるかもしれませんが、この方法で論説文の傍線問題は早々に正答率五割に達しました。」 以上引用。 これでロボットを東大に合格させて何か子供の読解指導に役立つ意味がありますか。 2016年8月21日の東京新聞で新井氏は「(子供たちは)内容や意味を理解すれば正解にたどり着くはずだが、それができず、AIと似た誤答を選んでいるように見える」とコメントして、新聞には「AIロボと似た誤答 研究チーム謎解きへ」となっています。 冗談じゃないです。人間はロボットと違って文字の数を数えるのも大変です。 そんなことやってるわけないでしょう。子供たちが間違えたのは新井氏が間違えさせるように問題を作ったからです。 人間がアミラーゼについて書いた文を読んだら、アミラーゼに関する情報をつかむのが大事だと思考力を働かせて読んでいくのです。 そこでセルロースとデンプンの形を聞くんですから、間違える子が出るに決まっているでしょう。 思考力を働かせて読んでいる子供達にフェイントをかけているのは新井さんの方でしょう。セルロースとデンプンの形の違いを子供たちに学んでほしいなら、それを説明した文を教育者は読ませるべきです。  人間は何が重要なのかも考えずに字数で処理するロボットとは頭の中身が違うんです。新井さんにはロボットと人間の脳の違いもわかりませんか。「何が重要かを考えながら文を読む」これこそが人間の脳にしかできないことなのです。 新井さんが作ったこの問題は「何が重要かを判断して文を読む」人間にしかない思考力を否定するものです。  そういう人に教育は出来ません。 なぜなら、教育が育てるのはロボットにはない思考力だからです。 私は今回新井氏のことを知るもっともっと前から、「AIに負けない子どもを育てる」などという言葉を聞くと非常に違和感を感じていました。 AIというのは電源を入れると数量的な処理をする機械のことですよね。  機械は「思考」もしないし、「感動」もしないし、「問題意識」を持つこともない。 機械はただの電気で動く「物」です。人間の持っている可能性は機械とは比べ物にならない。機械と人間は全く違うものです。 毎日「生きている人間(子供たち)」を見ている教育者は「電気で動く機械に負けない人間(子供)を育てる」なんて考えもしません。 教育とはその子(人間)が内に持っている力を引き出して、育てること。今も昔もそれは変わらない。 人間が内に持っているものを引き出そうと毎日努力している教育者は機械のすることなんか考えない。  なんで機械とは全然違う人間(子供達)を同じところに置いて比べるの?と思います。私には「AIに負けない子供を育てる」は「銀行ATM(機械)に負けない子供を育てる」くらい違和感があります。 そんなちゃちなこと見て教育なんかしていない。 教育原理の伊勢田先生も教育心理の仁科先生も「教育とは人間を育てること」それを一番最初に私の心に植え付けてくれました。 新井さんは人間の子供達と電源入れれば動く機械なんかをよく比べる気になりますね。







中学1年生の時、地理の教科書で瀬戸内海の塩田のことを習いました。 その日、学校から帰ってきた私は台所で、買ってきたばかりの食卓塩のびんを見ました。 「このお塩は水に解けてその水を蒸発させると塩ができてくるのね。」そう思った私は家にあった一番大きな中華鍋にびんの食塩を全部入れて、水を入れて溶かしました。 ガスコンロの上に中華鍋を置いて塩が出てくるのをずっと待っていました。  でも、塩は最初のような白いきれいな結晶ではなくて、鉄製の中華鍋で焦げた茶色の塩が出てきました。 白い塩が出来上がってビンに戻せばいいと思っていた私は「あ~、失敗しちゃった。。。。」 そこへ外出していた母が帰ってきたので、自分のしたことを全部話して「ごめんなさい」と謝りました。 母は何も言いませんでした。

教科書の瀬戸内海の塩田の説明はとても面白かったの。 おんなじことしてみたかった。  人間には塩ができてくるところを見たいという好奇心もあるし、今、目の前にある塩のびんと瀬戸内海の塩田を結び付ける想像力もある。 (想像力がありすぎだったかもしれないけど)  人間の脳は機械みたいに決まった方法でデータ処理するものではない。 新しいことを読めば、どんどん連鎖する「化学反応」を引き起こすようなものなの。 今まで脳の中に蓄積されたことや今、目の前にあるものや、いろんな情報が結びついて中華鍋に食卓塩を溶かしてコンロにかけるような行動にも駆り立てる。 だから教育をすることによって子供は変わる。 今テレビでもいろんな面白い実験を見せて下さる先生方がいますね。きっとそういう先生方も子供たちの興味を引き出すのが上手な先生方でしょう。


子供の脳はロボットとは違います。  教育には「ロボットの持っていない部分」こそ重要です。 子供の「興味」「関心」「好奇心」「想像力」そういうものを内側から引き出して知識も学ばせながら育てていくのが教育の仕事です。 なぜなら、馬を水辺に連れて行っても水を飲むかどうかはわかりません。 子供に知識を与えてもそれを吸収したいと思うかどうかはわかりません。 それを「知識を吸収したい」と子供を変える手掛かりを持つのが子供の興味、関心、好奇心、想像力です。 それが千差万別だからいろいろな方面に子供が育っていく。 その結果、社会もいろいろな方面で発展していく。 「興味」「関心」「好奇心」「想像力」についてはロボットは全く参考になりません。 出てくる文字の回数で読解問題を解く処理も教育に関係ありません。 だから新井氏が教育にロボットの話を持ち出してくるのは私にはとても違和感があります。 生きている人間の教育にロボットの何が関係あるの?と思います。 子供は生きているんです。 生命のない機械とは全然違う。 新井氏が教育に「東ロボ」の話を持ち出してくると、「東ロボ」のプロジェクトも彼女の詐欺の一環だったの?と思ってしまいます。 






国立情報学研究所所長喜連川優と新井紀子は税金で国民を騙すテストを作りましたが謝罪もしません。喜連川優の「文章を正確に読む力を科学的に測るテストを開発」は嘘です。私は喜連川の嘘をこのブログで証明しました。嘘をついた科学者の「科学者としての生命」は終わりです。喜連川優は国立情報学研究所の所長を退くことです。 喜連川優/新井紀子の科学的なテストは子供を罠にはめるだけでした。


教科書の読解力があったら実力が付くわけではありません。 みんなもっともっといろいろな努力をしています。 大学だって読解力だけじゃ入れません。 高校3年生の冬休み、私の部屋には、大きな紙に書いた世界史(現代史)の年表が壁にも天井にも張り巡らしてありました。 現代史は冬休みの直前に授業が終わって勉強が間に合わなかったから。「教科書を読むだけでは何も自分の身につかない。そのあと勉強しなくては何も身につかない」「読解力があったら大学に入れるなんて嘘だ」って、受験生はみんな知っています。新井紀子氏はよくこういう嘘を平気でつきますね。 彼女のテストの問題は重箱の隅を突っつくようなちまちましたことばかり。学校で学ぶ学問の本質にあんまり関係ない。だってもともと騙すために作ったテストだもの。「子供の読解力が落ちている」と騒いでベネッセが学校にテストを売り込めるようにするのが目的だもの。 間違えさせなきゃ読解力が落ちていると騒げないもの。「AIに負けないためには読解力」というのもベネッセが学校にテストを売れるように考えた「嘘」だもの。すべては新井/喜連川が仕組んだベネッセの為の自作自演の筋書きだもの。「読解力があれば大学に入れる」も嘘。「読解力があればAIに負けない」も嘘。 私の知り合いの高校生は夏休みの研究がアメリカの先生の目に留まって「うちの大学で航空宇宙工学を学びに来ないか」って言われてアメリカに行った。(こちらのブログ 青字部分)子供って読解力だけじゃない。いろんな成長の仕方があるの。いろんな好きなことがあって、いろんな可能性を持っている。 (私の好きなことは英語発音だった。 読解力とは全然関係ない。 昔、発音なんかやったって、なんのお金にもならなかった。でも好きだからずっとやっていた。 40年発音練習をしたら、日本の音声学の専門家が誰も聞き取れない日本人の英語発音が通じない理由を聞き取れるようになった。 (私は私立文系に行きました。 今も、文系の仕事で、インターネットで、日本人の英語が通じない理由を皆さんに説明しています。 でもネット上で公開していますので一銭の利益にもなりません。 それでも私はこちらの記事(「9割が教科書が読めていない」私立文系しか行けない子供たちの末路)で新井氏が言っているような、稼げない哀れな末路を今生きているとは思いません。(新井氏の視点ですと、私立文系と反対の国立理系の方は豊かな人生なのですか? 学校の教育者はそういう視点で子供を見ません。)いろいろな生き方があります。日本人の発音が通じない理由をお伝えすることは英語学習者の役に立つことだと思っています。私はそれでいいと思っています。(ついでに言いますと、「私立文系しか行けない子供たちの末路」などと「あなたはダメな子」とレッテルを貼る教育者に子供が心を開くことはありません。 だからこういう教育者が私立文系に行く子供が内に持っている能力や可能性を見ることはできません。それにしても、自分のテストを売るためとはいえ、新井氏は子供に対して、随分ひどい言い方をしますね。(2022年10月28日、今日偶然この2021年1月15日のプレジデントオンラインの記事を見て驚きました。 私が2021年8月に見た時の文章が書き変えられています。あのひどい新井教授推奨「家でできる子供の読解力をアップする方法」も書き変えられています。 私がひどいといったところはみんな書き変えたのですか? 知らないうちにこういうことをして新井氏は本当にいつも汚いやり方をするのですね。)しかも言い方が非常に差別的です。     こんな風に子供を見ている新井氏が教育者とは私にはとても思えません。私は新井氏が子供のことを金儲けの道具のように粗末に扱うのがとても嫌でした。 子供の成長を暖かく見守る気持ちがみじんも感じられません。新井さんは教育者には向きません。 神様は不幸になっていい子供など一人もおつくりになりません。新井氏は子供の命を軽視している。私はそれが一番嫌だった。  (私はクリスチャンではないですけれど、20代の頃から現在もカール・ヒルティの著作が愛読書です。 だから神様は不幸になっていい子供など一人もおつくりにならない、と思っています。) いろんな子供が自分の中に持っているいろんな能力を発揮していけばいいと思います。だから、社会はいろんな面で発展していける。  上に書いた高校生の航空宇宙工学も読解力とは関係ない。  新井/喜連川さん、「読解力がない人間は仕事を奪われる」って、ベネッセのテストを売るために作った嘘です。 中学生に一人も教科書を読ませてデータも取っていないのにそんなこと言えないでしょう。読解力を科学的に測るテストといって宣伝しているけれど、それだって、子供を罠にはめてわざと間違えさせるテスト問題です。   このアメリカに行った高校生の子は、3年くらいたった時に、妹にこう言ったそうです。「今の時代、日本になんかいたらだめだ。お前もアメリカに来い。」日本人の私としてはちょっと残念ですけど、生き生きと将来の希望をもって勉強するその子の姿が目に見えるようでした。)  子供にこんなちまちましたテストばっかりやらせてたら駄目よ。下村とベネッセは新井紀子喜連川優みたいな人間を使って金儲けの為に日本の子供たちの能力をだめにするようなことばっかりやっている。 このページを見ると、新井/喜連川氏はせっかくみんなをうまくだましていたのに私、ぶち壊してしまいましたね。せっかくテレビ局や書籍に与えられる賞(ビジネス書大賞2019 大賞、第27回 山本七平賞、第39回 石橋湛山賞、第27回 大川出版賞、第66回 日本エッセイスト・クラブ賞、ビジネスリーダー1万人が選ぶベストビジネス書 TOPPOINT大賞 2018年上半期、日本の人事部 HRアワード2018 書籍部門 優秀賞)の選考委員も新井/喜連川氏はうまく騙していたのに。テレビやラジオや新聞など、マスコミでもたくさん取り上げられていますね。★「林先生が驚く初耳学! 」TBSテレビ 2018月4月1日★TBSテレビ「サンデーモーニング」 2019年5月5日★TBSテレビ「報道特集」 2019年2月9日★NHKスペシャル「マネー・ワールド」 2018年10月7日★BSフジLIVE「PRIME NEWS」 2018年7月2日★日本テレビZIP!」2018年4月18日★TBSテレビ「上田晋也のサタデージャーナル」2018年4月14日★TBSテレビ「王様のブランチ」 2018年3月17日★ラジオ TBSラジオ伊集院光とらじおと/NHKラジオ第一・Nらじ ほか★新聞 日経/朝日/読売/毎日/産経/東京/北海道/高知 ほか★週刊誌 週刊文春/週刊現代/AERA ほか★ビジネス誌 週刊ダイヤモンド/プレジデント/週刊エコノミスト/週刊東洋経済 ほか★月刊誌 文藝春秋/正論/Voice ほか★女性誌 女性セブン/婦人公論/anan/VERY ほか★ネット ほぼ日刊イトイ新聞/ニューズウィーク日本版オンライン/東洋経済オンライン ほか。  これを見ると新井氏の詐欺は「特殊詐欺」の犯罪の中の「劇場型詐欺」など比べ物にならないくらい大掛かりな詐欺だったのですね。 本当の劇場に国民全部を入れて取り巻く世界全部を嘘で固めたような詐欺だったのですね。 言葉本来の意味で「劇場型詐欺」ですね。 テレビ、ラジオ、新聞、週刊誌、ビジネス誌、月刊誌、女性誌、インターネット、など、マスコミ関係ほぼ全領域に渡ってだましていたんですね。 これだけのメディアで顔色一つ変えずに嘘をついて、国民を騙(だま)す新井紀子には教育者としての良心はありません。「教育者としての良心」は人間としての良心でもあります。 これは国立情報学研究所所長喜連川優も同じことです。

教科書の執筆者はアミラーゼの説明文を書いて子供たちにセルロースとデンプンの形の違いを学んでほしかったのですか? それが「教科書の読解力」ですか? 新井紀子は読解力が何かすらわからない。 私はこの「アミラーゼの問題」を読んだ瞬間「新井紀子は偽物(にせもの)だ」とすぐにわかりました。新井紀子は子供の読解力向上など願ってはいない。子供の読解力向上を本当に願う先生はこんな問題は作らない。 この人は自分のテストを売りたいだけ。子供を使って金儲けしたいだけ。  初めてこの問題を見たのは2016年8月。知人がこの問題が載った新聞記事を教えてくれた。当時私は新井紀子氏を知らなかった。でも、こういうテスト問題を作って騒ぐ教師に非常に怒りを感じた。 その時のことは、このブログを2/3程スクロールした所、中世の騎士の鎧の絵が【一つだけ】貼ってあるところに書いてあります)    私が新井さんのいうことは嘘だと証明したら(このブログ、アメリカのハイスクールのExtra Help の箇所を参照してください)今度は新井/喜連川さんは、また新しいテスト(リテラシ―のテスト)を作って売り込みにかかったくらいだから、よっぽどベネッセのために学校に売り込めるテスト作りたかったのね。一回でやめてくれたら、私は新井さんのことを詐欺師とまで言わなかった。 でも、とめなかったらこの人どこまでも子供を食い物にすると思った。子供を食い物にするなんて邪悪以外の何物でもないと思った。 だから「新井氏は詐欺の実行犯だ」って言ったの。いくら何でも「犯罪だ」っていわれたら、やめてくれると思った。子供を金儲けの道具にばっかり使っていると、子供は「夢見る力」もなくしてしまうよ。(下のオレンジ部分に書いてあります。そうするとね、「希望」もなくしてしまうの) 教科書の執筆者は、大事なことは子供たちがよく理解できるように書きます。 子供を罠にはめるようなことはしません。 中学生に誰一人教科書を読ませてデータも取っていないのに、「教科書の読解力が人生を左右する」などといっている著者の本を東洋経済新報社はよく出版しますね。それとも東洋経済新報社は、最初から国民を騙す目的だったと知っていてこの詐欺に参加したのですか? 発行部数から言って国民を騙す詐欺に最も”貢献?”したのは東洋経済新報社です。  新井氏は「AIに負けないためには読解力が必要、その読解力は読書とは無関係、150字のテスト問題を読む読解力、教科書の読解力が人生を左右する」こう言いますけど、人間の人生は150字のテスト問題を読む読解力で決まるほど単純ではありません。 新井氏はもう少し人生を深くお考えになった方がよろしいのではないでしょうか。もともと国民を騙す為に作った理屈でしょうけど、あまりにもお粗末です。東大教授の喜連川氏もこの理屈で人を騙せると思ったのでしょうか。 東洋経済新報社の編集者はあの「アミラーゼの問題」を読んで何にも感じませんでしたか? 私は読んだ瞬間、怒りを抑えるのに大変でした。この問題見ただけで、新井氏が子供のことなんか何も考えていないってわかるでしょう? 子供にアミラーゼについて書いてある文を読ませてセルロースとデンプンの形を問うんですよ。 新井氏は読解力が何かも全然知らないってわかるでしょう? 新井氏は大学で国語教育を学んだことがないから国語教育は何にも知らないの。 あんまりいい言葉ではないけれど、「もぐり(潜り)」っていう言葉がある。 広辞苑によると「②法令の網をくぐること。許可を受けないでひそかにすること。無資格で行うこと。また、その人。」と書いてあります。 新井さんはまさに「もぐり(潜り)」の国語教師です。 だから、読解力は読書と関係ない。とかアミラーゼの文を読ませてセルロースの形を問うとかめちゃくちゃなことばっかりやっている。 「もぐり」の国語教師(新井紀子)のすることがあまりにもめちゃくちゃだから指摘しただけなのに、なんでそれで、私は「政府」からこんなにひどい妨害を受けるの? 最初に指摘したのは朝日小学生新聞に載った「燃える太陽」という文学的表現に「宇宙空間に酸素はありませんから太陽は燃えません。」という新井紀子の読解指導????だった。 あまりの馬鹿馬鹿しさに怒りの後、あきれた。 こんな読解指導????がまかり通るなんて、日本はどうなってしまったのかと思った。それが、このブログをはじめてアップした今年の1月14日だった。(その時も政府からきつく妨害された。 でも「地道に読解力向上の為に尽くしてくださっている先生方を差し置いて、新井紀子みたいな人が読解力の権威ぶって間違った指導をするのは危険です。 ツイッターをお持ちの方は周りの方々にお伝えください」と書いたら、その直後、妨害されながらも、アクセス数ははっきりわかるほど上がりました。 協力してくださった方々がいらしたことがその時、とてもうれしかった。2008年から、松澤喜好氏と松原眞樹氏(KADOKAWA)に、盗作されたり、その隠ぺいをされたり、順位を下げられたり、中古の本を1円にされたり、毎日いろんなことされて、ひとりで我慢していますから、あの時、私をサポートしてくださる方がいたという嬉しさは今でも忘れられないです。協力してくださった方、ありがとうございます。amazon のこちらのページに行って、「中古1円より」をクリックしたら私の本は、
「◆◆◆裁断済◆◆◆ 各ページがバラバラで製本されていない状態ですのでご留意ください。」と書いてありました。 私はとても悲しい気持ちになりました。KADOKAWA松原眞樹氏は毎日毎日こういうことばっかり私にしてきます。この方は何とかならないのでしょうか。とてもまともな出版社の取締役とは思えません。KADOKAWAには夏野剛社長や角川歴彦会長など取締役の方がほかにもいらっしゃるのですから、松原眞樹氏を何とかしてください。取締役には他の取締役が適正に職務を行っているかを監督する義務があります(善管注意義務)。 夏野剛氏や角川歴彦氏は他の取締役が適正に職務を行うよう監視・監督をしてください。   松原眞樹氏は何年にもわたって、毎日毎日女性をいじめて楽しいですか。2008年松澤喜好氏の盗作に始まって、13年間もこんなことばかりされてきて、私はもう限界です 。 もう、私に何もしないで。) その後もずっと政府に妨害されてきました。今もそうです。 「朝日小学生新聞」の読解指導の間違いを指摘したら、政府からひどい妨害を受けるなんてありえないですね。だから私には下村/ベネッセ/新井紀子/喜連川優のからくりが見えてきました。 国会議員が「もぐり(潜り)」守ってどうするの? ベネッセの金儲けがだめになるから? 「もぐり(新井紀子)」の言うことなんか聞く必要ないの。言ってること、めちゃくちゃだもの。 「もぐり(新井紀子)」はどんなに権威ぶっても「もぐり」なの。読解力が何か、も知らないの。 アミラーゼだろうがセルロースだろうが子供に間違えさせればいいの。 目的はベネッセの金儲けだもの。
(新井さんは川合典子のブログは政府(下村博文)に徹底的に妨害させているから自分が詐欺をやっていると誰も知らないと思っているかもしれませんけれど、教育関係者はみんな新井さんの詐欺を知っている場合もあるんですよ。 先日ある大学の先生のツイッターを読んだとき、「ああ、新井さんというのはこういうことをする人。というのがもう先生方の共通の認識になっているんだ」と私は感じました。(それは新井さんが話題になっているツイッターではなかったんですけれど、だからこそもう言うまでもなく「新井さんってこういうことをする人」というのが前提になって語られていました。 新井さんは人を上手にだましていると思っているかもしれませんけれど、周りの方々はみんな新井さんが何をしているか、知っている場合もあります。 いくら下村博文の後ろ盾があるからといってあまり読者や先生方を馬鹿にしないほうがいいです。 きっとツイッターなどでほかの人々に伝えて下さった方々がいらしたからだろう、と私はとても感謝しています。新井さんは自分は立派な教育者の着物を着ていると人々に見えていると思っているかもしれませんが、先生方には新井さんは嘘でぼろぼろになった邪悪な着物を着ている「もぐり」の国語教師に見えている場合もありますから。)
 東洋経済新報社は バックに政治家もいるし、自社の本を嘘だと言う川合典子なんか無視して潰(つぶ)しますか?私、出版社にそういう事されるの初めてじゃないから著者も出版社もお金の為ならどんな悪い事でもするし、どんな嘘もつくって知っている。それなのに著者が「何も悪いことしてません」という顔して立派な事言うのも知っている。政府からもブログアクセス数もわからない程妨害されているし。だって文科省のモデル授業は発音ひどくて聞いてられない。生徒は誰も英語の発音で話してない。授業で教えないから。)

文学的文章と科学的文章の指導の違いも知らないほど本を読んでいない新井氏に「読解力」のテストを作らせたことが今回の下村/ベネッセの悪だくみが発覚した最大の原因でした。こちらの記事(2022年10月28日、今日偶然この記事を読んだら、私が2021年1月に見た記事の内容は書き変えられていました。私がひどいと言ったところは書き変えたようです)でも新井紀子が本を読んでいないことはすぐわかります。彼女の勧める語彙を強化する方法はひどくてとても読んでいられません。   8月29日 彼女のこちらの記事(上で述べた通り、記事の内容は私が「ひどい」と言ったものとは書き変えられています。書き変えられる前の記事を私はあの時プロの編集者に読んでもらいましたら、「いやはや、これはひどい」という書き出しでメールが送られてきました)の主張によると、もし私が今、高校生なら、私立文系しか行けなくて哀れな末路となるのですか。教育というのはそういう風に子供を見ることではありません。私立文系に行くから哀れな末路などと教育者は考えません。 私立文系に行くそれぞれの子の中にあるそれぞれの能力を引き出して育ててその子がよりよい人生を生きていくことを願って教育をします。)               もう何年も前になりますが、あの「川合メソッド」の原理を初めて認めて下さったアメリカ人の先生から「The Blue Sweater」という本を勧められて読みました。 アフリカやアジアの貧しい国の人たちが自立していける、つまり他者からの寄付に頼って生活するのではなく、その社会に必要な新しい仕事をビジネスとして成り立たせ、継続して生活費を得て女性たちが自立していける仕組みを作っている女性の書いた本でした。  今までその社会になかった新しい仕事の形を作り、人々の自立も支援する。それを行っている女性の書いた本でした。(新しい仕事、といっても最初は全く新しい仕事というわけではなく、道端で自分の焼いたパンを売っている女性がいたらそれをビジネスの形にしていく。つまりパンを焼く場所を作り何人かの女性が役割分担をしてパンを焼いたり、売りに出たりする。そのための援助とアドバイスをする。 資金はビジネスプランを作り、十分実行可能だと公的機関へ働きかけをしたり、寄付をする人がいたら、そういうビジネスのために使うよう協力と支援をしています。  後に女性だけでなくその国にいるすでに起業している男性たちに、きれいな水を供給する仕組みをビジネスとして成り立たせるアドバイスを行う、など、人々の自立のための支援をしている女性の書いた本でした。)     子供たちは様々な可能性を持っています。 今ある仕事をAIに取られる、などという観点からしか子供を見ないのは、彼らの新たな可能性を見ないで子供を教育することと同じです。 人間は機械とは違う。 今ないものを生み出す力を持っている。       9月7日「The Blue Sweater」を書いた女性は貧しい国の女性が自立できる社会を夢見て、夢を現実のものとしました。(まだ数は少ないプロジェクトですけれど) 人間には夢見る力があります。 そして夢を現実のものとする力もあります。  機械には夢見る力はありません。 新しいものを生み出す力もありません。それは人間だけが持つ能力です。 だからこそ社会も発展する。  彼女が夢見た貧しい国でも女性が自立してやっていける世界。  子供が病気で死なないことを願った人は予防接種を作ったのでしょう?  「AIに仕事を取られる」とか「AIに負けない子を育てる」とか言う言葉を聞くと私はいつも思うのです。機械に「これからこうなったらいいのに」と夢見る力はありません。   何も新しい「仕事」を作るばかりではありません。 新しい状況に合わせた考え方で人を救うこともあります。 私はニュージャージーにいた時、元国連難民高等弁務官だった緒方貞子さんのお話を聞く機会がありました。 小さな会議室でごく少人数の日本人が集まりました。 その時は多分、夫の会社が会員である団体の主催だったと思いますが、この時は特別に配偶者も参加してよい、とのことでしたので、私も聞きに行きました。 私はもし緒方さんにお聞きすることができたら、「この時のことを聞きたいな」とずっと思っていたことがありました。 ボスニアヘルツェゴビナの事件の時のことでした。偶然、彼女のお話の中で私が聞きたいと思っていたことを彼女が話してくださいました。 そのお答えを聞いて「やっぱりすごい方だな」と思いました。  皆さんご存じの通り、緒方さんは国連難民高等弁務官だった時、難民の定義は「国境の外に出てきた人」となっていましたが、国境の中にいる人々を救うためにルールを変えてイラク国内のクルド難民の救済に踏み切りました。 人々を救うために、今までとは違うルールで行動しました。 「今ある仕事をAIに取られる」こんなことばかり考えて子供を教育するのでは、子供達が内に持っている能力や考え、可能性を引き出していくことはできない、と思います。

(学習のこととは離れてしまいますが、小さいころの子供の夢見る力にご興味がおありでしたら、どうぞこちらもお読みください。2011年7月20日のブログ「全く本を読まない息子に困りました。(完結編)」   帰国子女で日本語の文章がよく読めなかった息子に何とか本を読ませようと力づくで(?)本を好きにさせた(??)若かったころの私の体験です。「息子が日本語の本を読めないのは親の海外赴任のせいだ」という後ろめたさもあって、私も必死でした。私はそこでミヒャエル・エンデの本に出合いました。 エンデの言葉に子供の夢見る力の大切さを考えさせられました。「夢見る力」はただの空想ではありません。実際に人間に力を与えてくれるものです。 なぜならそれは「夢見る力」が「希望」と関係があるからだろう、と私はエンデの言葉を繰り返し考えているうちに思うようになりました。 あの悪いものばかりが出てきてしまったパンドラの箱の中にも最後に「希望」がいましたね。「希望」があるから、努力もして行ける。 エンデのことはシュタイナー教育を勉強していたときに子安美知子さんの本を読んで知っていましたが、彼の作品の中で、子供の夢見る力についての言葉を直接読んだのは初めてでした。 アメリカにいた時、知り合った旧東ドイツから来た女性が「エンデの『モモ』は東ドイツでは読んではいけない本(禁止図書)に指定されていた」といっていました。 こんな子供向けの本にまで禁止図書があるということに驚きました。 彼の考え方は体制には受け入れられないものだったのだろうか、と思いました。 『モモ』を読んでつまらなかったという人もいますけれど(感じ方は人それぞれですから)、私は『モモ』を読んで、いろいろ大事なことを教えてもらいました。今でも覚えているのは「効率が大事」「効率的に生きる」をアドバイスする男たちが、ある人の行動を分析して効率的にするために、「病人のお見舞いに行くのは時間の無駄だからやめなさい」というところです。そうやって効率的に生きて、何が残るのでしょうね。




私が「新井氏は中学生に教科書を読ませたデータを取っていない」とブログに書いた時、ある方が「彼女は悪いことをしても悪いと感じない人のようだから、あまりかかわらないほうがいい。」ととめて下さいました。それを聞いて私は彼女には倫理の面において未発達な部分があるのかな、と思いました。  その方が、下のインターネットのページを教えてくれました。 そのページを書かれた方も新井氏に対して「正しくない情報を流すことに悪気を感じない方という印象をより強くしました」とお書きになっていました。

1.https://mywarstory.tokyo/academic-fraud/ 新井紀子教授はプロフィールで学歴詐称をしている
2.https://mywarstory.tokyo/being-trusted-is/ 新井紀子教授のプロフィール上で学歴が修正されました。
新井氏が悪いことをしても悪いと感じないのは以前からそうだったようですね。  私は大学院のことはよくわかりませんが、修正後にも「博士」という肩書が書いてありますが、博士課程を修了していなくても「博士」という肩書は使えるのですか?  知人が私が新井氏とかかわることをとめたのは、新井氏がこんなに大々的に人を騙しても(本は東洋経済新報社)今も全く悪いと思っていないからでしょうね。「教科書の読解力が人生を左右する」は彼女が作った嘘です。 1.のブログの下の方に「以前にも新井紀子教授について書きましたが、」と書いてあったのでそちらにジャンプしてみました。 そこに新井氏の2017年10月25日のツイッターが載っていて、「あ、ちなみに、(プロジェクトで)私失敗したことないんで」と書いてありました。 でも今回の読解力のテストは文学的文章と科学的文章の指導の違いも分からないほど本を読んでいなかった新井紀子が最大の失敗の原因です。本を読んでいない新井紀子がベネッセ、下村博文のたくらみを白日の下にさらしてしまった。 「プロジェクトで失敗したことがない」どころか今まで出てくることがなかった喜連川優が悪だくみにかかわっていたことまで明るみに出してしまった。 これらの失敗の最大の原因は新井紀子が本を全然読んでいなかったことです。 しかし、彼らの目的が国民を騙すこと、つまり詐欺だったのですから失敗してよかったと思います。 詐欺は犯罪ですから。






7/12 私は新井紀子を「下村博文とベネッセの金儲けの為にデータまで捏造してテストを売る」と批判した。でもその批判は国立情報学研究所所長喜連川優にも向けられるべきだった。文章を正確に読む力を科学的に測るテストを開発すると表明し、新井紀子の「教育のための科学研究所」を作ったのは喜連川優だった。新井紀子制作の子供を罠にかけるだけのテストを「文章を正確に読む力を科学的に測るテスト」と偽って政治家の悪だくみに「科学的お墨付き」を与えた元締めは喜連川優だった。政治家のツイッターを見ると喜連川優と自民党政治家の繋がりは2016年にはできていた。喜連川優は政治家の金儲けの為に「国立情報学研究所」の名前を使い、「文章を正確に読む力」を科学的に測りもしないテストに「科学的お墨付き」を与えていた。「科学的」と称し人々を騙す科学者つまり喜連川優や新井紀子のような倫理を持たない科学者は社会にとって最も危険です。    新井紀子はデータも取っていないのに、「教科書の読解力が人生を左右する」と研究結果を捏造(ねつぞう)した。 喜連川優は子供を罠にかけるだけのテストを「読む力を科学的に測るテスト」と偽って発表した。 新井紀子喜連川優も「科学的」と人々を騙すただの詐欺の実行犯です。新井紀子喜連川優のような「倫理を持たない科学者」は社会にとって最も危険です。 自分で自分を守れない子供たちを犠牲にする悪だくみだとわかっているのに、こんなニュースリリースを出す喜連川優は悪魔に魂を売った男です。 悪魔の言う通りに悪事をしている。

(上に引用したプレジデントオンラインの記事新井紀子氏は「語彙力を磨くために一番におすすめしたいのは、時代劇と朝の連続テレビ小説大河ドラマを親子で見ることです」と書いていますが(これを読んだ時「新井紀子は国語教育も学んでいないで適当なことを言わないで」と思いました。この部分の記事は私の指摘の後、書き換えられています)、私は「受身的に聞く時と、能動的に読む時の脳の活動には非常に大きな差がある」と体験したことがあります。 日本語での活動ではわかりませんが、英語で行った時、それを知りました。やはり言語活動のレベルを上げるためには書物を読むことが不可欠だと実感しました。(新井氏が提示するような150字程度の細切れの文ではその言語による思考活動は鍛えていけません。 どんなに難しいたった一つの文を読んでも思考活動は鍛えていけません。その理由はおそらく「前の文で言われた内容を保持し次の文で言われた内容と関連付けて理解をする。その全体を保持しながら次の文の内容を理解して関連付けて保持する。 それを一定の文の量で行える」という能力が思考力と関係しているからでしょう。これについては2017年2月4日の「英語の思考活動」のブログを参照してください。子供たちのEARTH SCIENCE や HISTORY の宿題を手伝いながらわかったことが書いてあります。新井氏が150字くらいの短文にこだわるのはそれならテスト問題に使えるからでしょう。彼女の目的は学校教育に持ち込むベネッセのテストを作ることですから。) 書物を読むことの重要性は下のブログに書いてあります。今日のブログとは趣旨がずれますので、興味がおありでしたら、お読みください。「まるで家庭内別居のようだ」と夫に言われながら毎日140ページくらい英語の本を読んでいたときの頭の変化について書いてあります。 
2013年6月3日のブログ  なぜ、英語の本を読むことが英語で考えることに効果があるのか。「意味を成す英文を頭の中に構築する能力」)

ここから元の話に戻ります。

 

上にあげた「アミラーゼの問題」は、このブログを2/3くらい下がった所、この絵が一つだけ貼ってある下の部分に書いてあります。 喜連川氏が作った「教育のための科学研究所」で新井氏が作った子供を罠にかけるだけのテスト問題です。新井紀子の本「AI vs. 教科書が読めない子供たち」の204ページに掲載されています。(出版社は東洋経済新報社です)生徒の読解力向上を目指して指導している先生は決してこういう「生徒を罠にかけるような問題」は作りません。 子供を金儲けの道具として、子供たちのまともに思考する力を阻害するようなテストを作る新井紀子喜連川優は子供の人権を侵害しています。子供は大人のお金儲けの道具ではありません。新井紀子は人をだましてテストを売ったことを謝罪する誠意もありません。新井紀子は教育に口を出す資格はありません。 

私は学者、研究者の皆さんに申し上げたいのですが、下村博文の悪だくみに乗ると、最後は新井紀子喜連川優のように自分が犯罪人(詐欺の実行犯)となりますので、ご自身の良心に従って学究を行われることをお勧め致します。政治家は知らぬ存ぜぬで逃げ切ります。 けれども実行犯は、生徒を罠にかけるテストなどの証拠が残った場合は逃げ切ることはできませんので、ご注意ください。

(6月24日)「実行犯」という言葉は調べても見つからなかったので、使いませんでしたが、広辞苑に「実行」②[法〕犯罪構成要件の実現に向けられた行為。と書かれていましたので、このブログの題名に使いました。(私は子供達が食い物にされない為なら(事実は)何でも書きます)

日本数学会教育委員長新井紀子氏が国語教育で詐欺をしました。 団体名,役職名,実施した調査名等を使って人を信用させ犯罪(詐欺)を犯した場合その団体を「除名」になるのが社会の常識です。それとも日本数学会もご存じだったのでしょうか。(その場合詐欺の共犯になってしまいますから、もしも、知っていた方がいらしたのなら問題ですね。)なぜ私がそのようにお聞きしたかというと実施された日本数学会の大学生数学基本調査は、全体が5題でその中の一つが奇数と偶数の問題でした。新井氏はその誤答をみて学生の読解力に疑問を持ったと書いています。(「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」(東洋経済新報社)174ページから)また175ページに「各大学の各学科を、ベネッセによる分野分類、そして偏差値によるクラスに分けて分析したのです。」と書かれていました。 彼女の犯罪(詐欺)が今から10年前、2011年に日本数学会が行った大学生数学基本調査から始まっていたので、お聞きいたしました。無関係でしたら、読み流してください。私自身は偏差値との関係で教育を見るのは受験産業のすることだと思っています。   新井氏は非常に悪質です。10年前から犯罪を計画し、今年3月、私(川合典子)が「教科書の読解力が人生を左右する」は嘘だと証明し、「新井紀子は生徒に教科書など一人も読ませていない」と指摘して、彼女の詐欺を見破ったにもかかわらず、新井紀子は詐欺をしたことを謝罪することもなく、今度はまた、新しいテスト(リテラシーのテスト)を作って売り込みにかかるなど極めて悪質です。 新井紀子は自分が詐欺をしたことを反省する良心さえない。自分の犯した犯罪(詐欺)に人々の注意が行かないよう話題を変えて逃げ切ることしか考えていない。きわめて悪質です。  私は新井氏に二度とテストの売り込みをしてほしくありません。子供たちのためにならないからです。私が新井氏の詐欺を見破った時、彼女がそこでやめてくれていたら私はここまで書くことはしませんでした。
政府はやりたい放題私のブログを妨害するのはやめて下さい。私は昨年2月から、政府から「どれだけ妨害すればあきらめるか実験するモルモット」のような扱いを受けてきました。けれども政府にはモルモットのように見えても私は一応人間ですので、怒りは感じます。非常に感じています。ただ、それを抑えて、必要なことのみ書くように努力してきただけです。新井氏は私に何か書かれるたびに政府(下村さん?)に泣きつかないでください。即座に非常にきつい妨害が始まります。午後3時でもアクセス数が(1)にされるほどひどい妨害を受けています。これは英語民間試験やeポートフォリオについて書いた時よりもっとひどい妨害です。 政府にはなぜか民間試験やeポートフォリオより、新井氏を守ることの方がずっと大事なようです。政府は新井氏を片時も離れず守って新井氏も私に何か書かれるたびに政府にすがりつく。新井氏と政府のこの固い結びつきはなぜなのでしょう。新井氏の作るテストは政府・文部科学省とは関係ないはずですよね。(同じ”人間”なのに、新井氏の方は片時も離れず守って、川合典子の方は息の根が止まるまで妨害して葬り去ろうとするのですから世の中は理不尽ですね。政府が特定の国民に対してそのような権利の侵害を行うのは、憲法違反です(しかも税金を使って)。 政府は川合典子に対して違法な妨害を行っています。)     自分で対処できないのなら新井氏は犯罪(詐欺)など犯さないことです。新井氏は犯罪(詐欺)を犯してしまったのですから自分で責任を取ってください。「教科書の読解力が人生を左右する」と嘘(うそ)を提唱したのは日本数学会教育委員長新井紀子氏ご自身ですから。 新井氏は「日本数学会」という名称や「教育委員長」という役職や「大学生数学基本調査」という調査名で人々を信用させて、犯罪(詐欺)を犯しました。日本数学会はそれに対して、何の処分も行わないのですか。 それとも、日本数学会は全部承知のうえで、人々を信用させるために「日本数学会」の名前を新井紀子の詐欺に使わせていたのですか。6/1




2021年6月5日

新井紀子氏の問題とは全く関係ないことですが、昨日気づいたことですのでこちらに書かせていただきます。

石渡誠氏の2015年5月7日のブログについて

私は2015年5月の半ばに家で、家族が就寝した後、洗面所で倒れました。 20分くらい気を失っていました。 気が付いたときは午前2時でした。 なぜそうなったかといえばその一週間くらい前にこちらの石渡誠氏の2015年5月7日の「日本の将来を担って」というブログを読んだからです。  その中で石渡誠氏が英語で授業が行われることになって非常に良いことだと書いていました。  そして最後の方に英語の有識者会議の委員安河内哲也氏が「英語で授業を広めるために尽力されている」という趣旨の文章が書かれていました。そして、そこには机に向かって座っていらっしゃる安河内哲也氏「おひとりの写真」も掲載されていました。 

昨日見たら、その部分は削除され、机に向かって座っていらっしゃる安河内哲也氏「おひとりの写真」も削除され、「英語で授業」が始まってよいことだ、という石渡誠氏の文章もありませんでした。

私はこの石渡氏のブログにリンクをつけて引用し、「間違った指導法を日本中の子供たちにしようとしている人たちに激しい怒りを感じ、夜もよく眠れない日々が続いた。 そして一週間後に家の洗面所で倒れて気を失った。」と2,3のブログに書きました。 でも石渡氏のブログのその部分を削除されてしまったら、私がなんでそんなに激しい怒りを感じたのかわからなくなってしまいます。 頭を打って、先生から「4日目が峠です」といわれるほど具合が悪かったから、当時の松本茂立教大学教授にも、「命がけで英語で授業に反対してきた私の問いに答えてください。」といって、松本氏に朝日新聞に掲載された通りに彼のモデル授業を行ってください、とお願いしました。(こちらのブログ) でも、石渡氏がその部分をブログから削除してしまったら、なぜ私がそれほど激しい怒りを感じたのか読んでいる人にはわかりません。

以前、石渡氏は自分のブログをそのままにしてURLだけ変えて私のブログからのリンクではつながらないようにしたこともあります(その事実は私の最近のどこかのブログに書いてあります)。 石渡氏はまた自分のブログのフレームのトップから自分の英語学校の名前を消して真っ白なフレームでブログを書いていた時期もあります。 こういうことをされると読者は私の書いていることを理解できない場合があります(それが狙いなのでしょうけれど)。 石渡氏は「英語で授業」が間違っているとわかっているなら、潔く認めたらどうですか。 石渡氏の英語学校でやっている「英語で授業」「学校内オールイングリッシュ」は間違いだと認めたらどうですか。間違いを認めず、こそこそブログの中身を変えるようなことはおやめください。 自分が30年以上提唱してきた松本亨氏の「英語で考える指導法」は間違いだったときちんと認めたらどうですか。またそのブログの2,3年前から動画で「英語で考える指導法は素晴らしい」とほめそやしていた石渡氏の英語学校の先生方も、生徒に間違った指導をしたことに対して何の責任も取らないのですか。生徒に対して非常に誠意のない教師だと思います。 学校ぐるみで生徒を騙し、間違った教育をしているとわかった途端、知らんぷりする、というのは大変悪質な英語学校です。

私は石渡氏のブログを見て、怒りで何日もよく眠れなくて、倒れて、頭を打って、先生から「4日目が峠です」といわれるほど具合が悪くなり、その後一か月間、脈拍も正常に戻らないほど体調が悪かったのですから、石渡氏のブログに書いてあった内容を忘れるはずないでしょう。 石渡氏自身が内容を書き変えるということは石渡氏は自分の主張が間違っていることを知っているわけでしょう。でしたら、生徒にうそをつき通すのはおやめください。自分が提唱してきた「英語で授業」「英語で考える指導法」は間違っていた、と正式に認めてください。 「英語で授業」を提唱し、日本中の高校にやらせようとしていた安河内哲也氏の記事や写真をひそかに削除するようなことはおやめください。 私は有識者会議の委員安河内哲也氏が「英語で授業」を日本中の高校でやらせようとしていることを石渡氏のブログで知って、激しい怒りがこみあげて、あの時、夜も眠れず、倒れることになったのですから、安河内哲也氏が「英語で授業」を日本中に広めようとしたことを忘れるはずないでしょう。
余談ですが、「英語で授業」を提唱した教師に4技能の指導は出来ません。 「英語で授業」を提唱する教師は生徒のカタカナ発音と英語の発音の区別が出来ません。 また、正しい発音の習得の仕方も知りませんのでスピーキング指導をする能力はありません。 したがって「英語で授業」を提唱した教師に4技能の指導は出来ません。 できるのはスピーキングを除く「3技能」の指導だけです。(厳密にいえば、「英語で授業」を提唱する教師は英語発音とカタカナ発音の区別がつかない、つまり、正確な英語発音を習得していないわけですから、本当の意味でリスニングの指導もできません。)

私自身、過去のブログの重複した部分や本題と関係ない部分を削除することはありますが、根本的な主張を黙って削除して変えることはありません。

2022年1月20日 休養している間にいくつかの自分のブログを読み直しましたら、リンク先の記事がNot Found (該当する記事がない)になっているものがいくつかありました。 石渡誠氏関連のものでした。 わかるものは調べて付け替えましたが、石渡氏は本当にすることが汚い、と思いました。 石渡氏はたくさんの立派な人の英語スピーチを真似してきたようですけれど、真似したのは、形だけですね。 スピーチをした人の真実は、学ばなかったようですね。自分の教師人生すべてで松本亨氏の勘違いから生まれた「英語で考える指導法」を教えてきて、間違いだと指摘されても嘘を押し通す。 石渡さんの教師人生は最初から最後まで、世の中と生徒を騙すことに費やされました。 一生嘘を提唱する教師ですね。 









ここから元の「新井紀子氏」の内容に戻ります。

5/21こちらのビデオ14分36秒の所新井紀子氏は中学生に教科書も読ませていないのに「教科書がすらすら読める順に偏差値の高い高校に合格していることがわかってしまったのです。」と述べています。これは新井紀子=詐欺 の証拠ビデオです。 新井氏の本「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」(東洋経済新報社)174ページによると新井氏は日本数学会の教育委員長だそうですが、日本数学会の教育委員長が国語教育に手を出して詐欺やっていていいんですか。詐欺は犯罪です。刑法で刑罰が決められている犯罪です。新井氏は(本の174ページから184ページで)「2011年日本数学会の教育委員長として「大学生数学基本調査」を率いた、その結果を見て学生の基本的な読解力に疑問を持ち始めた」と述べて、この詐欺を行っています。 日本数学会というのは会員がそこでの活動や肩書を出して人を信用させ、そういうことをするのを奨励しているのですか。 私はこの部分を読んだとき、彼女が学生の読解力に疑問を持ったという奇数と偶数の問題を見て「これは純粋に数学の問題でしょう。なんでこの問題の誤答を見て学生の読解力の問題だと思うの?本当にこれがリーディングスキルテストを作った動機なの?と思いました。(ですから、この本もビデオも、最初から人をだましてリーディングスキルテストを売るために作ったのだろうと思いました。 なぜならつじつまの合わないことばっかりだから。) 私は彼女の動機はおかしいと思いました。それについてはこのブログを2/3くらい下がったところに詳しく書いてあります。 私は新井紀子氏は人を信用させるために日本数学会の「大学生数学基本調査」の名前を持ち出したにすぎないと思いました。 つまり自分の詐欺を信用させるために日本数学会の「大学生数学基本調査」と「教育委員長」という肩書を利用したということです。   普通、団体の名前を犯罪に使うような、名誉を著しく傷つけた人間はその団体を除名になります。 団体の名前やその団体での自分の役職を犯罪(詐欺)に利用するような行為は当然処分の対象になります。新井紀子氏の行為は日本数学会の規約に明らかに違反しているのではないですか。 新井紀子氏は日本数学会の名前や役職を犯罪(詐欺)に使っても下村博文の政治権力で守ってもらうつもりですか。政府は片時も離れず新井紀子氏を守っているという印象があります。まるで政府と新井紀子氏は一心同体のようです。  私に何か書かれると新井氏はすぐ政府(下村さん?)に泣きつくようですけれど(そのたびに私は即刻妨害を受けます)、自分で対処できないのでしたら、新井紀子氏は犯罪(詐欺)など犯さないことです。犯罪(詐欺)を犯したのは新井紀子氏ご自身の責任でしょう。 一度詐欺を見破られたのに、またテストを売ろうとするから私はやめてほしくてこういうことを書いています。 新井氏が子供たちに悪いことさえしなかったら私は何も書きません。実際、新井氏の詐欺を見破った時も「もう終わりです」と書いただけでした。それでやめてくれていたら何も言わなかったのに、またテストを作って売り込んだりするから私はもうやめてもらいたいのでこういうことを書いています。)  詐欺を働いて子供を食い物にする新井紀子氏に教育に口を出す資格はない。最初の詐欺を見破られたから次は違うテストを作って売り込むなど新井氏は反省も謝罪もしない極悪詐欺師です。教育関係者を馬鹿にしている。子供を食い物にするところが、いかにも極悪詐欺師です。詐欺をしたことに反省も謝罪もなく再度子供を食い物にして金儲けしようとするなど厚顔無恥も甚だしい。 そんなことが許されるわけないでしょう。日本の国語教育に詐欺師はいらない。詐欺師の作ったテストもいらない。数学者の極悪詐欺師ならなおさらいらない。日本数学会教育委員長が国語教育にまで入ってきて詐欺をしないでください。 (詐欺は犯罪ですから) 詐欺は信頼を基盤とする教育界で許されることではありません。詐欺をした人にやってもらう教育の仕事などありません。 新井氏がテストを作る目的は子供の読解力向上ではない。子供を罠にかける「アミラーゼ」の問題を見ればわかる。純粋に子供たちの読解力を心配しているのではないのですからテストを作るのはおやめください。(前回、詐欺を見破られなかったら「教科書の読解力が人生を左右する」と、ずっと先生方を騙して、自分のテストを学校で使わせようとしていたのですよね。 ホームページにこんなビデオを載せて、本「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」(東洋経済新報社)を書いて、アマゾンでこんなに宣伝してまで、「教科書の読解力が人生を左右する」と詐欺をしていたんですよね。このアマゾンのページを見ると、新井紀子氏の詐欺の手口は驚くべきものですね。 まるで各方面から複数の人を動員した「劇場型詐欺」のようです。 そうやって「教科書の読解力が人生を左右する」と間違った主張を徹底的に信じ込ませる。 非常に悪質です。 自分のテストを売るために最初から人を騙す目的で本を書くなど、極めて悪質です。 「詐欺がばれたから今度は違うテストを作る」そんな安易なやり方で先生方を騙すのはお止め下さい。厚顔無恥も甚だしい。 新井氏はばれなければ詐欺(犯罪)さえ平気でするんですね。 新井氏は詐欺だと見破られなかったら今でも「教科書の読解力が人生を左右する」と先生方を騙し続けていたでしょう。 教育の現場で詐欺をした時点で新井紀子氏は教育に口を出す資格を失っています。今後教育に口を出すことはできません。もしまた新井紀子氏が教育に口を出すようでしたら、「日本の国語教育に詐欺師はいらない」「詐欺師の作ったテストもいらない」日本数学会教育委員長が国語教育にまで入ってきて詐欺をしないでください。と言って、出て行っていただきましょう。 しかも数学者の新井紀子氏は国語教育指導は「無免許運転」です。 自分の犯した詐欺に反省も謝罪もせず、知らんぷりして教育に口出しするなどありえません。 教育は信頼で成り立つ仕事です。 詐欺をして知らんぷりしている人にやってもらう教育の仕事などありません。 新井氏にやってもらう教育の仕事などありません。詐欺は犯罪です。   新井紀子氏(数学者)の読解指導は、国語教育を冒涜(ぼうとく)するほどひどい。それが私が新井紀子氏の詐欺に気づく始まりでした。 彼女の読解指導はまるでピエロです。(「宇宙空間に酸素はありませんから太陽は燃えません」こんな読解指導、生きているうちに見るとは思わなかった。馬鹿馬鹿しすぎる。下村博文氏だって一応教育をやっていたのなら、新井氏の読解指導がどれほどひどいかわかるでしょう。)  日本の国語教育に「ピエロで詐欺師」はいらない。詐欺師の作ったテストもいらない。数学者の極悪詐欺師ならなおさらいらない。日本数学会教育委員長が国語教育にまで入ってきて詐欺をしないでください。   新井氏は自分はうまく人々を騙していると思っているでしょうが、「教科書の読解力が人生を左右する」が詐欺だった、と今では多くの人が知っています。 それなのに、いまだに「読解力の権威」ぶっても仕方ないでしょう。新井氏が持ってくるような細切れの文ばっかりやっていたら子供達の思考力など育ちません。そんなことばっかりやっていたら子供たちはグローバルな社会で勝てません。日本数学会教育委員長が国語教育にまで入ってきて詐欺をしないでください。  彼女の読解指導が「おかしい」と声を上げて下さった方がいらしたので、私も新井氏の詐欺に気づくことができました。ありがとうございました。去年の2月からブログアクセスが一桁になるほどの妨害をずっと受けてきました。 なるべくそのことは考えないで、教育に重要なことのみ書こうと努めてきましたけれど、昨日はもう限界でした。 偶然、衛星放送でこの曲を聞きました。(若い方はご存じないでしょうね。) 聞きながら、私も時空を超えてどこかへ逃げていきたいと思いました。「もう何もされたくない」と思いました。 
私はこういうテストにだまされないように、本当のことを先生方に知っていただきたいと思っていますが、政府の妨害がきつくて、先生方に知っていただけないのが残念です。 アクセス数(1)では何の検索にも出てこないでしょうから。 協力していただける方は、ツイッターなどで教育関係者の方々にお伝えいただけるとありがたいです。  (人のブログをアクセス数(1)にするなど、政府(下村博文)も新井紀子氏も随分汚いことをするのですね。3月25日にアメリカの高校のExtra Helpの時間を引用して新井氏の「教科書の読解力が人生を左右する」がうそだと証明したあと私はもう新井氏に何を言うつもりもありませんでした。(実際に、何も言いませんでした。) 夫からも「(松本茂教授のことを書いたときに)典子は事実を提示するだけで十分だ」といわれていましたし。 休養していました 知人から「新井紀子の化けの皮をはがしましたね。」といわれましたけれど、そんなつもりはありませんでした。その人は新井氏の読解指導に「とんでもない」と怒っていましたから、彼女は最初から新井紀子は胡散臭い人物だと思っていたのでしょう。新井紀子氏は詐欺の実行犯だったのですから無理もないですけど。(その上、新井氏がこれだけ派手にやっていたのでますますその人には「化けの皮がはがれた」という印象になったのでしょう。 私はそういうつもりはありませんでした。 それに化けの皮がはがれても新井氏は次のテストを作って売り込んでいるくらいですから、化けの皮がついていようとはがれていようと新井氏はやることはやるのでしょう。) 私は事実と照らし合わせて違っていたから、「教科書の読解力が人生を左右する」はうそだと証明しただけです。  ところが、新井氏はそれでやめなかったようですね。 その上アクセス数を(1)にするような汚い手を使われるのでは私もたまりませんから。川合典子は一年以上も続く政府のやりたい放題の妨害になんとも感じていないわけではありませんから。 政府や新井紀子氏が私にこんなことをしなかったら、私もここまで書くことはしませんでした。 何も言わないから川合典子にはやりたい放題妨害していいわけではありませんから。いくら何でもアクセス数を(1)にするなどひどすぎるでしょう。   新井氏のことを書くとすぐに政府から妨害が始まりました。 新井氏と政府にはこんなに密接な関係があるのかと思うくらいすぐに妨害が始まりました。 それは鈴木寛教授のことを書いたときとは比べ物になりませんでした。 新井氏のことを書くとすぐに妨害は始まり、妨害の回数も頻繁でした。 まるで彼女から政府に連絡でも行くのかと錯覚するほどすぐに妨害が始まりました。なぜだか私にもわかりませんけど。  新井紀子氏は政府にとってそれほど大事な人なのだ、と思いました。(なぜ詐欺を働く人が政府にとってそんなに大事なのか知りませんけれど) だから「新井氏のしていることは詐欺だ」と書いた私のブログアクセス数も(1)にしたのでしょうね 。 私には新井氏が一度詐欺をしても少しも悪びれることなく次のテストを売り込めるのは、こうやっていつでも政府が守るとわかっているからのように見えました。私を妨害するなど裏の手段さえ駆使できる人間が自分を守るとわかっているから何も心配することなく詐欺もできたのだろうと思いました。 私に対する政府の素早く頻繁な妨害を見ながら、新井氏はまるで政府に言えば自分は何をやったって守ってもらえると思っているように、私には見えました。政府と新井氏の密接な関係に驚きました。ほかのどの大学教授のことを書いた時より素早く頻繁な妨害を政府から受けました。私にとっては妨害する政府(政治家)と新井紀子氏はまるで「一体」のようでした。「私に何か書かれると新井氏はすぐに政府(下村博文配下の人?)に泣きつくのだな。」と思うほど、素早く妨害が始まりました。あまりにも頻繁なので「他人に頼らないで少しは自分で考えたら?」と思いました。


私は子供たちを守ってやりたかった。 金儲けの道具にされる子供たちを守ってやりたかった。だから新井氏を詐欺師と呼び非難をしました。
鈴木寛教授のことをブログに書いていたとき、親友からこういわれました。
「典子、もう人の名前を挙げて非難するのはやめたら?」
「私がどうして人の名前を挙げて非難するか知っている?」
「ううん」
「私は自分の英語教育法を批判されたこともある。でも、一度も言い返したことはないよ。やってみればそれが本当に子供たちの発音や英語力を上げる方法だとわかるから。 私が名前を挙げて非難するのは子供に悪いことをする人だけ。 子供に悪いことをする人には私はこうするよ、って伝えているだけ。」
彼女はもう何も言いませんでした。 


5月24日 私はロボットの研究というのは社会に役立つ重要な研究だと思っています。 災害時、人が入れない危険なところにも入って調査や救助の助けをしたり、介護の現場で介護者の身体的な負担を軽減したり、非常に社会に役に立つ研究だと思っています。  けれども新井氏の前出の本で東ロボの国語の問題の解き方を読んだとき、私はロボットに東大の入試問題を解かせることに何の意味があるのだろう、と思いました。 コンピューターの研究をなさっている方にはその意義がお分かりになるのかもしれませんけれど、一般人の私にはわかりませんでした。 

そこに何と書いてあったかを引用させていただきます。(AI vs. 教科書が読めない子どもたち92ページ)
傍線のついている部分とその前の段落の文を取ってきて「『あ』という文字が何回、『山』という文字が何回」と同じ文字の数を数えて、選択肢のほうも同様に数えて、一番重複が多い選択肢を選ぶという方法を採用したのです。 文の意味どころか、単語の意味も調べません。無謀と思われるかもしれませんが、この方法で論説文の傍線問題は早々に正答率五割に達しました。    以上が引用です。

おそらく、こういうことが何の疑問もなくできる新井紀子氏には「中学、高校の子供たちに必要な読解力の指導とは何か」が理解できないだろうと思いました。 だからどんなに小さなことを教えるにも本物の国語の先生でなければだめなんだと思いました。 それが端的に表れているのが「読解力と読書は関係ない」という彼女の言葉です。(普通、読解力の指導にかかわったことのある先生は自分の作った読解力のテストの成績をもって「読解力と読書量は関係ない」とは言いません。 国語の先生方の前でそんなことを言ったら「そのテスト自体に信頼性がない」といっていることと同じだからです。読書量と関係ない読解力のテストってなんなの? と一蹴されるだけだからです。(そういう結果がでたら、自分のテストのやり方が間違っていると考えて作り直すでしょう) こういうところで、新井氏は国語教育のことは何にも知らないのに、金儲けのために無理して読解力のテストを作っている、ということがわかるのです。) 読書は国語力の基礎を作ります。 書く力もはぐくみます。(これは日本の先生方だけでなくアメリカの先生方も同意されると思います) 彼女の作ったテストの成績が読書量と無関係なら、それは本来の意味での国語の読解力をはかったテストではないからでしょう。(「アミラーゼ」の問題を見てもわかります) ましてや金儲けが動機では、もう口を出さないでいただくしかありません。そのために先生方を騙す詐欺までするのですから。 「イメージ同定」だのもっともらしい言葉を使って作り上げても、「教科書の読解力が人生を左右する」は全部嘘だったのです。 数学者として自信をお持ちなのは結構ですけれど、その調子で何にも知らない国語教育で金儲けしようなどと思わないことです。 「宇宙空間には酸素はありませんから太陽は燃えません」が象徴しているように国語教育で新井氏がしていることはピエロです。 国語は日本語だから簡単に金儲けができると思わないことです。学校教育に持ち込めるテストを作りたいのでしょうが、それを売るために詐欺までしなければならないのなら、そのテストはもともと学校教育にはいらないテストだ、ということです。新井紀子氏は一度詐欺をして見破られたのですから、もう教育への口出しはおやめください。






5/21今日は午後3時を過ぎてもアクセス数は(1)です。一桁(けた)ではなく(1)です。下村博文氏も新井紀子氏もここまで汚い手を使うのですか。 政府(下村博文)は私を葬ってしまえば、新井氏のテストを広められるから、私のブログなどどんな検索にも出てこないようにするつもりなのですね。  でも、「教科書の読解力が人生を左右する」と国民を騙して自分のテストを売ってきた新井紀子氏は十分詐欺でしょう。 詐欺を働いた新井紀子氏は教育に口を出す資格はありません。 詐欺は犯罪です。 新井紀子氏は詐欺という犯罪を犯したのですから教育に口を出す資格はありません。 下村博文が私を葬ってもこのブログを読んでくださった方は覚えていますから、事実を消すことはできません。 中学生に一人も教科書も読ませずに「教科書がすらすら読める順に偏差値の高い高校に合格していることがわかってしまったのです。」などといって自分のテストを売るのは十分詐欺でしょう。こちらのビデオの14分36秒のところでデータも取ってないのに、まるで驚くべきことが分かったというようにそう力説しているではないですか。 ツイッターをお持ちの方は周りの方々にこのことをお伝えください。 政府(下村博文)にアクセス数を(1)にされてしまっても私は何もできません。そうやって私を葬って、人々から事実を隠し、この先も新井紀子氏を「読解力の権威」としてテストの売り込みに使っていく気でしょう。







5/6 こちらのブログ下村博文の学校教育に対する基本理念が間違っていたことを加筆
学習指導要領の通り教育していたら子供たちは絶対に通じる発音で話せるようにはならない。CDを与えて正しく指導すると中学生はこういう発音でスピーキングをし始める。文科省全員、発音習得をしたことがない。だからスピーキング教育の方法も知らない。4/29「松本茂立教大学教授(2021年より東京国際大学教授)の提唱する授業(朝日新聞「英語をたどって8:2「英語で授業」本当の意味は)は高校生にはできない授業です。やったとしてもなんの効果もありません。」という題のこのブログは掲載直後から徹底的に妨害されて、どんな検索ワードで検索しても絶対に出てきませんでした。政府の英語教育政策は嘘(うそ)ばっかり。 子供たちの英語力を本当に上げる方法を情報操作で隠して、国民に知らせないようにしている。 だからいつも私のブログを妨害するのでしょう。
正しい英語発音も聞かせないで生徒がスピーキングなんかできるわけないでしょう。政府の言う通り英語教育をやっていたら、子供たちは絶対に通じる英語を話せるようにはなりません。私が大学生の時から「通じない日本人の英語を何とかしなければならない」といわれてきたのに戦後70年、全く進歩していないではないですか。政府が「生徒に勝手にしゃべらせる」のが英語教育だと思っているからです。「英語発音」というのは日本人にとっては今までしゃべったことのない音をしゃべる一つの技術です。技術というのは勝手にやってれば身につくものではないんです。 きちんと正しい音の出し方を教えて訓練しなければ身につかないものなのです。 政府は子供に音声モデルも与えないのですから通じる発音なんか習得できるわけないでしょう。生徒にCD(音声モデル)を与えない限り政府は何をやっても無駄です。政府は無駄なことばっかりやっている。「生徒に勝手に英語をしゃべらせる」のは全く無駄なスピーキング教育です。 (母音の区別も出来ない発音でしゃべらせたって無駄だと何回言ったらわかるんですか。発音習得をしたことのない人は、私が言うことが全然理解できないんですよね。下村氏は母音の区別も聞いてわからないのでしょう。だから英語教育に無知な人間は口を出すなと言っているんです。) 文部科学省学習指導要領「英語」に書かれているスピーキング教育は全く無駄なスピーキング教育です。通じない発音でしゃべらせているのですから英語が全く出来ないことと同じです。 やったって何の効果もありません。むしろカタカナ発音が定着しますからやらないほうがましです。いくら私のブログを妨害しても「文部科学省のスピーキング教育では絶対に子供たちが通じる発音で話せるようにならない」という事実は変わりません。 この先も私を妨害して文部科学省のやり方で、スピーキング教育を続けるのも結構ですけれど、この先何十年たっても日本人の英語が通じるようにならなかったとき、どうやって国民に釈明するんですか。誰が責任を取るのですか。 本当にスピーキング能力が向上する方法を知りながら何十年もやらなかったと知ったら、ほとんどすべての国民から非難の声が上がるのは必至でしょうね。 音声モデルも生徒に与えないまま70年スピーキング教育をしてきたって日本人の英語はほとんど通じるようにはなっていない。 政府は目の前にある事実をなぜ直視しない。この事実を見れば弁解の余地などないでしょう。 目の前に「音声モデルを与えなかった結果」がはっきりと表れているではありませんか。70年失敗してもまだわかりませんか。 自分の目を見開いて70年の音声モデルを与えなかった英語スピーキング教育の失敗をよく見てください。 この上さらに、音声モデルを与えないでどんな英語教育改革をやったって、全く無駄です。そんな改革10年しようと20年しようと全く無駄です。なぜそうやって国民を騙そうとする。 この期に及んでまで、音声モデルを与えない愚行を繰り返して、国民に何と釈明できますか。  肝心なことを国民に知らせないで、大学入試(東京都は高校入試も。採点はフィリピンでする)でスピーキングテストをしろという。政府は(というより下村博文は)国民を騙して業者を儲けさせる英語教育政策しか実施させない。 (ブログの中に「下村博文」という名前が出てくると、いつもの妨害がいっそうきつくなります。「7年前の出来事」のブログに赤い大きな字で下村博文議員のことを加筆したらただでさえ少ないアクセスが激減しました。)正しい英語教育をしたら多くの中学生がネイティブ発音で話すようになるのに(つまりその子たちが大きくなって、多くの日本人がネイティブ発音で話すようになるのに)本当に残念です。  下村博文は塾や会話学校を儲けさせるため教科書のCDも子供たちに与えない。 下村博文は学校教育を骨抜きにして塾や会話学校が儲かるように公教育を主導する。もし「それは違う」というのなら、なぜ生徒にCDも与えないのか。言われたくなかったら、私のブログを妨害なんかしてないで生徒にCDを与えればいいでしょう。それが出来ないのだからやっぱり下村博文は学校教育を骨抜きにしたいのでしょう。

*骨抜き:計画などの主要な部分を取り去って内容の乏しいものにすること(広辞苑

正しい教育を受けるのは子供の権利だ。 下村博文は金もうけのために子供の権利まではく奪するのか。

子供たちは全員、学校でこういう英語を話せるようにする教育を受ける権利がある。下村博文の金儲けのために子供たちの「正しい教育を受ける権利」をはく奪してはならない。 下村博文に英語教育は出来ない。「東大に民間試験をさせろ」とすごんでいた下村博文に英語教育は絶対に出来ない。

母音の区別もできないで英語をしゃべらせるのはスピーキング教育ではありません。ただの「英語ごっこ」です。  文部科学省は70年やってきた「英語ごっこ」を100年でもやるつもりですか。下村博文の意向に沿った「英語ごっこ」に100年も付き合わされる国民はたまらないですね。 文部科学省の提示するモデル授業は発音がひどくて聞いてられない。 こんなものを「英語」だと思っているから文部科学省は学習指導要領もまともに書けないのです。そういう教育を日本は70年もやってきたんですよ。 もうそれでは立ち行かない現実をなぜ文部科学省は直視しない。戦後70年もたっているのにテープもCDもなかった時代と同じ教育をしている。もう、そういう時代は終わったんです。文部科学省の英語教育は、文明の利器も使わず、縄文時代の教育をしているようなものです。発音がひどくて聞いてられない。  GIGAスクール構想とか、各校にパソコン設置だとか言っているのに、なぜCD一枚生徒に与えない? 文部科学省は教育の判断基準が業者の利益の判断基準にすり替わっている。本当に子供たちに通じる発音でスピーキングさせたいなら「縄文」英語教育などさっさと終わらせることです。音声モデルを与えない限り政府・文部科学省が何をやっても全く無駄です。100年無駄な英語教育をするんですか。国民に何と釈明するんですか。音声の教材が入手できなかった時代は仕方なかったけれど、今はもうそんな時代ではないんですよ。なぜ自分の国の子供たちに最良の英語教育をしてやらない? コストなんかCD1枚じゃないですか。



 

(4月13日) 私は「7年前の出来事に青字で加筆しました」とも書きませんでしたのに大変多くの方が読んで下さったようでありがとうございます。皆さんの鋭さに驚いています。(4月6日)発端となった事実を2015年12月19日のブログ「7年前の出来事」(「英語耳」松澤喜好氏によるアイデアの盗用とそれを隠ぺいするKADOKAWA/アスキーメディアワークス)に書きました。「盗作をした著者と出版社は被害者を葬るために妨害を続け、被害者はその苦しさに耐えられずに忘れようとする」それはおかしいと思いました。それでは盗作の被害者はどこまでも苦しめられるだけです。KADOKAWA(松原眞樹社長)と松澤氏の「邪魔な人間は消せばいい」というのは犯罪の中で最も身勝手な理由です。





(3月25日)赤字部分の最後にアメリカの高校のExtra Helpについてかきました。新井氏が主張する「教科書の読解力」では高校の学問は習得できないことを証明する事実です。

3/18 中学時代、私の中間(期末)試験の勉強の仕方を赤字で加筆しました。先生方のご指導の後、実力をつけるのは「教科書の読解力」ではありませんでした。教科書を読むことは私にとっては「勉強の始まり」でしかなかった。本格的な勉強は教科書を読んだ後始まりました。
3/1(1)子供たちは教科書を読むだけでは習ったことを身に着けられません。だから子供たちには学校が必要なのです。子供たちには先生方のご指導が必要なのです。(3/5)コロナのために学校が休校になって子供たちの学習に深刻な影響を与えていることを見れば教科書を読む読解力だけでは決して子供たちの学力は育たないことがわかります)先生方のご指導の重要性は文中下の絵が貼ってあるパートに書いてあります。(2月22日加筆ピンクの文字)

(2)本のようなまとまった文章を読むことによって、子供たちの書く力は育ちます。  まとまった文章を読むときに培った思考力が書くときに持ち込まれ、さらに発展します。 (文中水色の部分から始まるパートに書いてあります。)
私はアメリカで、小学生、中学生、高校生の教育を見てきました。生徒は「読むこと」も「書くこと」も日本とは桁違いに多い教育を受けています。 

つまり、思考力を育てる教育に多くの時間が費やされています。  コンピュータ(計算機)が持てない力、人間だけが持っている力は何か。  それは思考力です。  思考力は短い小間切れの文章を読んでいても身に付きません。

テストをさせることばかり導入しようとする下村博文氏のやり方は、どんどん日本の教育を劣化させ、日本の国力を低下させます。 テストではなく「教育の中身」を変える話し合いを文部科学省は現場の先生方を交えて行っていただきたいと思います。 (決定の過程で現場の先生の意見を聞かないと結局は「英語で授業」のように失敗します) 子供の実力をつけるのは授業です。 テストではなく授業です。 これに異論を唱える教育の専門家はいません。

このままでは、日本の子供たちは大きな後れを取ってしまうという強い危機感を私は持っています。 コンピュータが持てない力、人間だけが持つ力、「子供たちの思考力」を育てる授業を学校で充実させていただきたいと思います。

(私は今、自分の健康管理をする時間を持たなくては、と思っています)



政府による妨害が激しいのでツイッターをお持ちの方は拡散をお願い致します。  私の後ろには政治家も潤沢な資金を持つ業者もいません。 とても太刀打ち出来ません。新井紀子氏は「教科書を読む」その学習行為自体については何のデータも取っていません。 研究者が実際にデータを取っていないことを研究の結論として提示することに問題はないのですか。 新井紀子氏はこちらのビデオの14分36秒のところで「教科書がすらすら読める順に高い偏差値の高校に入学できているとわかってしまったのです」と述べていますけれど、彼女は中学生に教科書など読ませていません。 ただの一人も読ませていません。「教科書がすらすら読める子」「教科書がほとんど読めない子」のデータなど全く取っていません。 データがない以上、新井紀子氏は結論を捏造(ねつぞう)したといわれても仕方がないでしょう。どのような分野であれ、データを取っていないことを研究結果として発表した研究者はその分野について発言する資格を失います。新井紀子氏も教育について発言する資格はありません。   あんまり、先生方、教育関係者をバカにしないことです。「彼らを騙(だま)すことなんかたやすい」と思っているのですか。 データも取っていない結論をビデオで強調したにも関わらず、それに対して誠意ある対応がなされていません。(新井氏はどうしても「教科書がすらすら読める」という言葉と自分のテストを結び付ける必要があったのでしょう。 彼女のテストの出典は教科書だけではありません。 辞書や新聞、オリジナルの問題もあるそうですから、教科書そのものではありません。設問も教科書が生徒に理解させようと意図したこととはかけ離れた設問もありました。このブログの中で指摘してあります「アミラーゼ」の問題です。ここから2/3ほどスクロールしたところに書いてあります。子供を罠にかけるようなひどい問題です)  新井氏は先生方、教育関係者に敬意を持っているのなら、結論を捏造した研究者としてきちんと謝罪をしてください。 すべては「教科書の文で作ったテストを広めて使わせるためだった」ことは明白です。  eポートフォリオの時も「学習に向かう主体性」「主体性」と不自然なくらいしつこく言っていた。 今回も不自然なくらい「読解力」「読解力」と騒いでいる。 そういう時は、本当の目的は違うところにあります。 しかも、「150字のテスト問題を読む読解力(彼女は教科書の読解力といっています)が人生を左右する」など、いくらテストを売り込むためでも、そこまでいい加減なことを言わないでください。 教育原理を教えて下さった伊勢田先生の凛とした声が壇上から聞こえてくるようです。「教育とはそういうものではありません。」



新井紀子氏の作成したリーディングスキルテストは、下村博文氏、ベネッセ、新井紀子氏、3者による国民を騙す一大プロジェクトでした。  なぜ私にそのからくりがわかったのかは文中青字の部分(2月3日加筆部分)に書いてあります。eポートフォリオの時と同じだった。「おかしい」と思ったことを追っていったらそれがわかりました。  アマゾンのこのページにある彼女の書いた「AI vs. 教科書が読めない子供たち」の表紙にも「教科書が読めない」「読解力がない人間は仕事を奪われる」と大きく書いてありますが、これも、下村博文氏のたくらみ実現への布石ですか? アマゾンのこのページを見ると(2021年2月21日現在)「ベネッセは学校教育に導入できる可能性のあるテストを作るのに、お金に糸目をつけずにつぎ込んでいる」とわかります。(導入出来たら毎年回収できますから)これは下村博文氏、ベネッセ、新井紀子氏、3者による国民を騙すための大プロジェクトだったのですね。 ベネッセは研究費(?)として新井氏にもお金に糸目をつけずにつぎ込んできたのでしょう。 だから彼女はこれまでにツイッターで人々が読み間違えそうな文書をいろいろ例に出しては「読解力」「読解力」といって、自分の作成したテストに人々の関心を引こうとしたのですね。 それが彼女が下村氏、ベネッセから請け負った仕事だったのですね。 だから下村氏は数学者の新井紀子氏を読解力の権威にしたいのでしょうね。それを私によってつぶされそうになったから、あんなに激しく私のブログを妨害したのでしょう。 でも逆に政府から妨害されたことによって、本当のからくりが見えてしまいました。  新井紀子氏も相当な研究費(?)をもらってきたのだから、ここでやめるわけにはいかないのでしょう。 彼女はツイッターで「読解力」「読解力」といい続けて下村氏とベネッセから請け負った仕事をせっせと実現しています。                 

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アマゾンの話が出たのでついでに書きますけれど。


私の本「帰国子女に見る世界に通用する英語力の作り方」のアマゾンのレビューについて。
2月21日20時現在、この本には4つのレビューが書いてあります。(総数は5と書いてありますが私もこの4つのレビューしか読んだことはありません) 星1つを付けた方はたった一人ですが、棒グラフでは52%の人が星1つを付けたとあらわされています。  評価は単純平均ではなく信頼性を検証して書かれているということですが、星1つを付けた方はたった2行しかレビューを書いていません。 他の方は3人ともとても詳しく書いてくださっています。  星1つ=52%というのが、アマゾンが信頼性を検証した結果なのですか?(棒グラフは、星5つ:2人28% 星3つ:1人20% 星1つ:1人52%   総合評価2.5となっています。)

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2月22日  中学高校時代 私にとっての教科書

中学高校時代、私にとっては、教科書の文章は読解力で理解するものではなく、それをもとに勉強するものでした。 

中学高校時代、私は「教科書の文章というのは、不思議な文章だ」といつも思っていました。 
勉強する前と勉強した後では同じ文を読んでいても頭の中に見えることが全然違うからでした。

教科書の文章は、大事なエッセンスだけが書いてあります。  細かいことは書いてありません。 そういうことは先生が説明してくださったり、自分で調べたたりしてわかってきます。 物理などは理解した後、実際に問題を計算したりしていくうちに、よりよく理解できるようになることもあります。 私の場合は、勉強していて疑問を持ったりすると、勉強部屋が同じだった姉によく聞きました。 姉は、絵にかいたり、私の知っている他の事にたとえたりして、よく教えてくれました。  そうすると、わからなかったことが「そういうことなのか」とわかってくることが多かったですね。

最初に教科書を読んだときには書いてある骨組みしかわからない。 まるで「樹木1本書いてある絵」にたとえれば、大きな幹(みき)しか書いていない絵のようなことしかわからない。  それが期末テストなどに向けて3週間くらい集中して勉強すると違ってきます。 歴史だったらおきた出来事どうしの関連や、そういう事件が引き起こされた社会状況、人々に浸透していた思想などを勉強して、そういういろいろな要素がつながってくると、同じ教科書を読んでも、今度は樹木の幹(みき)だけでなく、小さな枝や葉っぱも見えてきて完全な樹木の絵が自分の頭の中に浮かんでくるように、いろいろなことがわかるようになります。  読んでいる文章は勉強する前と同じ教科書の文章なのに、見えてくるものが勉強する前と勉強した後では全然違う。 教科書の文というのは不思議な文章だといつも思っていました。

私は教科書の文章は読解力で理解するものではなくて、それをもとに勉強する文章だと思っていました。  その例を自分の学校時代のことではもう思い出せないので、アメリカで子供の勉強を見た時のことでお話しようと思います。


下の絵は、娘が中学校で中世について学んだ時に授業で描いた中世の人々の着ていた洋服の塗り絵です。先生が、輪郭と洋服の説明を書いた言葉を配ってくださって、子供たちはそれがだれかを書き込み色を塗って、洋服の説明を貼り付けたようです。  



一番上の絵は中世の貴族(Nobles)の着ている服です。男性と女性がいます。 横に描いてあるのは長いスカートをはいているMerchant(商人)の女性の服です。
2番目は、Vassal(家臣), Knight(騎士)、横にはKingの絵もあります。
一番下は茶色の簡単な服を着たSerfs農奴(Peasants農民)が書いてあります。  こうやって先生は、子供たちになじみのない時代を少しでも印象深くなるよう塗り絵をさせて、生徒の頭の中に中世のイメージを入れていこうとしたのでしょう。 こうして教科書に書いてあることをより鮮明に子供たちに印象付けたのだと思います。


植物の細胞を習ったときは、その週末、娘は大きな紙に絵をかいていました。 「何をかいているの?」と聞いたら、「細胞の中にあるいろいろなものを町の中にあるものにたとえて描く、という宿題をしているの」といいました。  細胞膜は町を外敵から守る城壁、光合成をしてでんぷんを作る葉緑体は食べ物を作る工場、絵の中に道路が書いてあって、フェデックスのトラックが走っていたので「それは何?」と聞いたら、食べ物工場で作られた食べ物をみんなに運ぶ役割をするものを宅急便のトラックにたとえて描いたといっていました。 

細胞は顕微鏡を使わないと見えません。  普段目にしたことのないものがどういうメカニズムで働いているかを子供たちがよく知っている町の機能にたとえて理解させようとする先生の方針なのだと思いました。 教科書だけ読んでいるよりも、もっと身近に細胞の働きが理解できるようになるのでしょう。

変わったところでは、中学で初めて元素を学んだ時の宿題も面白かったです。 生徒は初めて化学の周期表(the periodic table)を学びました。 先生は周期表の元素一つ一つを子供たちに割り当てました。  そして、生徒はその元素になったつもりで詩を書いてくる、という宿題が出ました。  娘に割り当てられた元素は希ガスのキセノン(Xe)でした。  そのころはもう私が宿題を手伝うことはなかったので、娘は自分で詩を書きました。 出来た時ちょっと見せてもらいました。 もう20年近く前のことなので、忘れてしまいましたけれど、最後の行はこんな感じでした。

私を熱さないで。
私は消えてしまうから。

私は希ガス、キセノンの性質を知りませんので、これが正しいのかどうかわかりませんが、もし違っていたら、きっと先生が赤字で何かコメントをお書きになって直してくださったと思います。

高校で周期表を学んだ息子は学問的なことを徹底的に暗記していましたけれど、中学校で初めて元素について学ぶ生徒には、元素というのはどんなものなのか、それをまず、生徒になじませるのが、先生の目的だったのでしょう。  キセノンの性質を暗記するだけなら、少しの時間で済みますが、詩を書くとなると、キセノンの性質をずっと考えながら、詩の文を作るわけですから、何時間もキセノンの性質を頭の中で考えることになりますね。  その考える時間が化学の元素を生徒により身近に感じさせるようになると先生がお考えになったのだろうと思いました。 「元素と一緒にいる時間を持つ」というような意図があったのだろうと思いました。

私にとってこの宿題が印象的だったのは、キセノンのような化学の理解に「詩」という文学的な方法を先生がお使いになったことでした。

新しく習ったことを子供たちに理解させるために先生方はいろいろな手法をお使いになっていらっしゃるのだなあ、と思いました。 多分、教科書を読むだけでは子供たちになかなか理解、定着させられないとお分かりになっていたのだろうと思いました。 繰り返し考えたり、よく知っている概念と照らし合わせたり、絵をかいたりしながら、学んだ事項を深く子供たちに理解させていこうとなさっていたのだと思いました。 そうしないと、教科書を読むだけではなかなか子供たちに習ったことが理解、定着させられなかったからだと思います。

私にとっても教科書は、読んで理解するというよりはそれをもとに勉強するものでした。  勉強すると、最初は、大きな幹しか見えない樹木の絵が、小枝や葉っぱもつけた青々とした大きな樹木の絵になってくる。 そんな感じがして、私は教科書の文章は不思議な文章だと中学、高校時代はいつも思っていました。

読解力だけでは学んだことは身に着けられません。 日本の先生方もアメリカの先生方もそのことは十分ご存じだと思います。 

今日(3月5日)思い出したのですけれど、私の中学時代の数学の先生でみんなから「元(げん)さん」と呼ばれている先生がいました。  苗字は鈴木先生とか佐藤先生のような一般的な苗字なのですが、お名前の中に「元」という漢字が入っているので、みんなからは親しみを込めて「元さん」と呼ばれていました。(先生方も生徒のいない所では「元さん」とお呼びになっていたようでした。 時々職員室で聞いてしまいました) 元さんは、新しいことを教える時はいつも生徒に「教科書を伏せなさい」と言って、すべて黒板で説明してくれました。  私たちがすでに知っている数式から始めて、新しく習うことまでに導く数式を書いて説明してくれました。  みんなは「元さんの授業はすごくわかりやすい」と言っていました。  教科書を読んでもよくわからないようなことでも、黒板の数式に生徒の注意を集中させて説明をする元さんの授業はとても分かりやすかったです。  先生の指導力は生徒の理解をとても高めてくれました。

3月18日

ブログのどこかに「初めて現在完了を習ったときの授業」のことを書きましたけれど、先生の説明の仕方で生徒の理解は随分違ってきます。  そして先生のご指導の後は、生徒は自分で勉強することが必要になります。

中学時代、私は中間試験、期末試験の勉強を3期に分けてしていました。(私は、体が弱かったので、中学時代、よく39度くらいの熱を出しました(担任の先生に「知恵熱か?」と冗談で言われるほど熱を出しました)。  それで、いつ寝込んでもいいように、なんでも時間をかけて準備をするしかありませんでした。  体が弱いと自分ではどうしようもないときがあります。 一度、体育の時間に、たまたま先生がいないとき(球技か何かをしていた時だと思います。50年前ですから、のどかでした。)に倒れてしまって、女子みんなで私を保健室まで運んでくれたことがありました。 今だったら「倒れた人は動かしてはいけない」とか知識も普及していますから、そのままにして先生を呼びに行くのが正解なのでしょうけれど、あの時(50年前)はみんなが運んでくれました。) 第1期は、テスト範囲の教科書を読んで理解できないところを理解し、疑問に思うところを解決する時期です。 そういうところは自分で考えたり調べたり、姉に教えてもらったり、先生に質問しに行ったりして解決しました。(多分、この時もそうだったのだと思います。)    第1期は思ったより時間を取りました。 すべての科目が終わるまで一週間ではすまないこともよくありました。 新しく習うことですから、教科書が読めても、疑問に思うことやしっくり理解できないことはいくつもありました。(先生に質問に行くのですから教科書は何回も読んで自分でも考えました。 それでもわからないから先生にお聞きするのです。 教科書も読めないで、先生に質問に行くような生徒はいません。 つまり、教科書の読解力と学問の習得(子供にとって新しい概念を理解して自分の中になじませること)は別のことだということです。) それで時間がかかりました。

第2期は2通りの勉強の仕方をしました。  歴史や地理など覚えなければいけない科目は徹底的に暗記をしました。  最初から暗記をしてもだめでした。  やはり、第1期でよく理解した後で暗記しないと覚えられませんでした。 数学(高校の物理)などは、第1期で理解したことに基づいて計算問題などの問題集を解いていきました。 
第3期は仕上げの時期です。 試験範囲全部の問題集をやってみて、出来なかったところを最初から勉強し直しました。  テスト前日は教科書のテスト範囲すべてに目を通して終了しました。 これは姉から言われたことでした。  「どんなに出題されないだろうと思う箇所でも試験前には必ず全部の範囲に目を通しておきなさい。」といわれました。          第3期まで終えると上に書いたように教科書の文章を読んで完全な樹木の絵が見えてきます。  第1期に教科書を読んだときには、大きな幹しか見えなかったのに、不思議だな、といつも思っていました。私にとっては教科書を読むことは勉強の始まりにしかすぎませんでした。 本格的な勉強は教科書を読んだ後から始まりました。 新井紀子氏の「教科書を読む読解力が人生を左右する」というのは私には全く当てはまりませんでした。読んだだけで使えるようになる知識などありません。 

話の途中ですが、ここで、私が国家が行う学校教育についてどのように考えているか、お話したいと思います。


新井氏は教科書を読んでその内容を問うテストにこたえられる読解力が人生を左右すると考えているようですが、学校教育の目的は字面の理解以上のところにあります。

例えば三権分立について教科書に書いてあったとします。 その説明と、権力を3つに分けて独立させる理由等が教科書に書いてあります。 その教科書の文を読んでテストの問いに答えられればそれでいいのか。 私はそうは思いません。 教科書を読んで理解することは必要ですけれど、学校教育の本当の目的は、それよりもっと上にあります。 教科書を読んだだけでは、何も子供の心には残りません。 子供の血となり肉となる教育は出来ません。 学校では先生の説明やお話もあり、子供たちはいろいろな学習活動をします。

例えば、子供はこんな風に考えます。

権力を分散しなかった時はどうなるの? その例はあるの?
昔だったら専制君主制があった。 今は独裁国家がある。
そういう権力が集中した社会では人々はどんな暮らしをするのだろうか?
法律はどう決めるの(立法)? その独裁者が都合のいいように決める。
日々の暮らしはどうなるの(行政)? 独裁者が決めたように行われる。独裁者がしてはいけないといったことは出来ない。 どんなにやりたくても出来ない。
裁判はどうするの(司法)? 独裁者が気に入らないことをした人は「国家反逆罪」とか言って逮捕されて、最悪の場合は死刑になる。 それが怖いから人々は独裁者に何も言えない。

こういう社会の様子を子供自身が自分の頭で考えると、子供はそういう社会では人々は安心して暮らせない、とわかってくる。 一人の独裁者のいいように国が動かされると、そのほかの多くの人々は、独裁者の気に入らないことは出来ない。 おびえて暮らすことになる、とわかってくる。 だから、権力はそれぞれ独立して判断して行使されることが人々が安心して自分の幸せを求めて暮らすためには大事なんだと自分で考えるようになる。  すると、自分がこれから生きていく社会はどうあるべきか、を子供は少しずつでも意識するようになる。 人々が幸せに暮らせる社会はどういう社会なのかを考える素地がその年齢なりに出来てきます。

これが国家が行う学校教育です。 なぜなら、国家は学校教育を行うことによって、その国の未来を創る国民を育てているからです。 多くの国民が幸せに生きていける国を作るその担い手を学校教育によって育てているからです。 どういう国を作っていけば、みんなが幸せに暮らせるか、子供は子供なりに考えていきます。 これは何も文科系の科目ばかりに限ったことではありません。 高校時代「生物」を学ぶことによって生命の不思議さや尊さを学びました。 命の尊さはすべての人間の活動の基本です。  理科で天体を学んだ時、宇宙を研究する人たちが、なぜ「かけがえのない地球」というのかを教えてくれました。 現在のところ地球のような気候で人間の住める星はありません。 私は中学生の時、月の観察をして、夜、月を眺めた時、太陽と地球と月の位置の関係で、月が今こういう形に見えているんだ、と思ったとき、一瞬、畏怖のような感情に襲われました。 日々の生活では人間はその力でなんでもできそうな気がしますが、(私が若いころを過ごした時代の一時期、科学万能のような時代がありました。そのころだったのでしょう)もっともっと大きな力の中で生かされているにすぎないんだ、と肌で感じました。月を見ながら、本当に一瞬怖くなりました。

新井氏が言うように教科書を注意深く読んでテストの設問に間違いなくこたえて、高い偏差値を取っていい高校に行くことが国家が行う教育の目的ではありません。

学校教育は、この国の将来を作っていく子供たちを育てる教育です。
業者の金儲けしか頭にない人には学校教育は出来ません。(下村博文のように、公教育に業者を入れて金儲けしよう、などと考えている政治家が公教育を牛耳っている限り、日本の未来を担う子供たちを育てる学校教育は出来ません。だから政治は日本を国民が幸せに生きられる国にしたい、という高い理想を持った政治家が行わなければだめなのです。 総理大臣や文部科学大臣がそういう高い理想を持っていなかったら、日本を良い国にする教育などできません。 今の日本の教育は業者とつるんで金儲けをしようという下村博文がいいようにやっているだけではないですか。 総理大臣も一緒になってやっている。こちらは朝日新聞DIGITALに載った「教育再生実行会議担当室」が設置された時の下村氏と安倍総理の写真です。

私は気負ってこういうことを言っているわけではありません。 それは私が受けてきた教育がそういう教育だったからです。 先生方の授業の後ろに私はいつも「君たちにこういう大人になってほしい」という先生方の思いをおぼろげですけれど感じました。 私たちより先に生まれた先生方が次の時代を生きる私たちにこういう社会で生きてほしいと思っているのが、おぼろげながら何となくわかりました。 だから今もこんな風に考えるのでしょうね。


ここから元の話題に戻ります。




私は教科書を読むだけでは中間試験、期末試験で良い点数は取れませんでした。  従ってそれでは内申書の点数も取れませんから、教科書を読むだけでは志望高校に合格することはできませんでした。(何より、こうやって勉強しなければ高校入試の問題自体が解けません。) 少なくとも私に関しては「教科書を読む読解力(私はこの言葉に非常に抵抗があります。 私は教科書を読解力で読んだとは思っていないので。私にとって教科書の文章は読解するものではなく、それをもとに勉強するものでした。 教科書の執筆者だって読解力を駆使しなければ理解できないような文章で教科書は書かないでしょう。)」だけでは志望高校には合格できませんでした。

私はこちらのブログで学生時代に読んだソクラテスの言葉について書いていますが、古今東西、学問をする力を上げるのは本人がそれを欲して勉強する以外ないのではないですか。  新井氏の説はソクラテス以来の常識を覆すように見えますけれど、少なくとも私には当てはまりませんでした。  私は教科書を読む読解力だけでは志望高校に入学することはできませんでした。

私は「英語で授業」を提唱する人に「自分が英語を日本語に訳して理解した日々を忘れている」と指摘しましたが、読解力を上げれば偏差値の高い高校に入学できるというのは、自分が勉強した日々を忘れているのではないですか。  皆さん、暗記したり、問題集をやったり、たくさん勉強されたのではないですか? その勉強は教科書を読む読解力では置き換えられないものだったのではないですか。     入試のためには暗記しなければならない事項もありますし、問題集で解き方を身に着けておかなければならない問題もあります。 少し落ち着いて考えれば、新井氏がビデオで言うように「読解力だけで、偏差値の高い高校に合格するなどありえない」ということがすぐにわかります。 新井氏が自分のHPのビデオであげた「問題が読めない例」のようなことはあるかもしれませんけれど、そんなことは「学校で学ぶべき学問の本質ではない」。 「学校で生徒が学ぶべきことは何か」そこから考えていけば、新井氏の言っていることは学ぶべき本質ではない。 新井氏は国民を誘導したい方向に誘導するのに都合の良い材料を集めただけです。それが新井氏が下村博文とベネッセから請け負った仕事ですから。 新井氏は下村博文の計略の実行部隊として、「国民にその意図に気づかせず、テストを作って、広めて、学校教育に導入させる」それが仕事です。そういう理由があるから彼女は「教科書を読む読解力が人生を左右する」などと主張しているだけです。   教科書が読めたからといって新しい概念が理解できるわけではありません。(だから、理科の先生に質問にも行きました) また、たとえ理解できたからといってそれが自分の頭の中でいつでも使えるように定着するわけでもありません。  そうなるためには、理解した後、さらなる練習や勉強が必要でした。 教科書を読むことなんて、「勉強の始まり」でしかなかった。 教科書を読んだあとから、本格的な勉強が始まりました。  私の中学時代はそうでした。教科書の読解力が人生を左右なんかしませんでした。 勉強は読解力でするわけではないから。それなりの勉強の仕方がどの科目にもありました。  新井紀子氏は学校に自分の作ったテストを売り込む必要があるから「教科書の読解力」「教科書の読解力」と騒ぐのでしょう。 だけど、教科書が読めてもそのあと勉強しなければ何の学力もつかないですよ。      新井紀子氏は本当の動機が人々に分かってしまっても、今まで多額の「研究費?」をベネッセからもらってきたからやめるわけにはいかないのでしょう。 それで、知らんぷりして、下村博文とベネッセのために国民を騙し続けて、「読解力」「読解力」と騒ぐのでしょう。 

3月25日 アメリカの高校 Extra Helpの時間

ついでですから書きますけれど、息子が通ったアメリカの高校の時間割の中に「Extra Help」という時間がありました。 これは先生に質問がある生徒が質問に行ってよい時間です。その日の授業が終了した後、普通の授業の半分くらいの時間ですが、そういう時間が毎日とられていました。  つまり、新井氏の主張とは違って、「新しく学ぶことは、そのことについて授業を受けて教科書を読んだだけではよく理解できないことがある」と前提にして、学校側が時間割を組んでいたということです。 「教科書を読むだけで新しく教えられたことは理解できない場合がある」ということは先生方も学校側も当然のこととして認めていた、ということです。 新井氏の主張とは全く違う前提で時間割が組まれていたのです。 生徒にとって新しい概念を理解し自分の頭になじませるには教科書を読むだけでは出来ない場合がある。 洋の東西を問わず、先生方はそういうことをわかっていらしたのです。 学校での学問の習得において「読解力」ばかり強調する新井紀子氏のいうことは明らかに間違いです。これは自分のテストを売るために新井氏が作ったシナリオでしょう。 (お金の為とは言え、よくここまでして国民を騙そうとしますね)    「どういうテストを作れば学校教育に導入できるか?」  「教科書の読解力のテスト」といえば学校に導入できる」 そうやって考えた理屈だから、事実とは矛盾する理屈になってしまったのです。 テストを売り込むために考えた理屈だから新井氏の主張の根拠は間違っていたのです。 それにも関わらず、彼女の作ったテストの販売促進のためにはベネッセはお金に糸目をつけなかったのでしょう。(彼女の作ったテストが学校教育に導入されれば先行投資など毎年回収できますから) 教育関係者に彼女の作ったテストをさせるためには下村博文氏の力がものを言うのでしょう。(私のブログを妨害するとか下村氏は様々な手を使ってこのテストを広めようとしているのですね。 新井氏を読解力の権威にするために私のブログが邪魔だから妨害もしたのですよね。) まさに新井氏の作ったテストは下村博文氏、ベネッセ、新井紀子氏、3者プロデュース(制作)の国民を騙す大プロジェクトだったのですね。 ただ、新井氏の「教科書の読解力」主張の根拠が間違っていました。学校側も先生方も学校での学問の習得は読解力だけでは出来ないとお分かりになっていました。 彼女の主張は間違っていたのですから、もう終わりです。「教科書の読解力」が人生を左右するなどということはありません。(新井氏が一生懸命考えたのでしょうけれど、そういうことはありません。) 新井氏は周りの人々をうまく騙していると思っていても、周りの人はみんな本当のことを知っているという場合もあるのですよ。 下村博文氏は英語民間試験をいまだにやらせようとたくらんだり、5年も前から人々を騙してこういうテストを準備したり、国会議員でありながらそこまでして日本の教育をぼろぼろにしたいですか。 そこまでして日本の国力を下げたいですか。  eポートフォリオの時のことも併せて考えると下村博文氏は国会議員になってから未成年者を食い物にした犯罪まがいの悪事ばっかり働いているではありませんか。自分の支持者(東京都)の子供達さえ、「高校入試のスピーキングテスト」という形で(都道府県の中で)一番最初にベネッセに売ったんです。 東京都の中学生にも英会話学校の利益を守るために教科書のCDさえ与えていないのに。(しかも、「採点はフィリピンでする」とあの時のYAHOOニュースには書いてありました。そのニュースはもう削除されてしまいました)スピーキングテストをするならCDを与えて授業で発音指導するのが先でしょう。 「高校入試は中学校で教えた内容をテストする」という明確な決まりがあります。 学校で教えていないスピーキング(練習用の音声モデルも生徒に与えていない)をテストするのは違法です。東京都教育委員会は違法なテストをしようとしている。(大学入試も同じです。日本のどこの公立中学でもスピーキングは教えていません。 練習用の音声モデルも生徒に渡されていません)  下村博文は日本の教育行政をベネッセの”錬金術”にするために国会議員をやっているようなものです。    5年も前からベネッセのためにこんなテストを準備していたし、英語民間試験をいまだにやらせようとしているし、自分の支持者(東京都)の子供だって平気でベネッセに売るし。 下村博文は、教育行政を乗っ取ってベネッセの”錬金術”にする準備を私たちが気づく何年も前から進めています。 下村博文によって日本の学校教育は「真に子供たちに実力をつけさせる場」から、「業者を儲けさせるテストの売り込み先」に変えられてしまった。  下村博文がいる限り、子供たちに真の実力をつけさせる教育は出来ません。 下村博文がいる限り、日本の子供たちは国際社会でやっていける実力をつけることはできません。下村博文は英語のCDさえ子供達に与えない。 下村博文がいる限りテストをさせることばかりが延々と議題に上り、「子供たちにどういう教育をしたらよいか」教育の最も大事な部分を先生方は話し合うことが出来ない。  下村博文はスピーキング教育など全く知らないし、自分自身が正しい発音を習得したこともない。  英語教育に口を出す資格はない。 それなのに、下村博文とベネッセがスピーキングテストをやりたいからいつまでたっても、何度効果を否定されても、何回も何回もスピーキングテストをやらせようとする。 スピーキングテストは50年やっても効果がなかったといっているでしょう。 効果がないとわかった時点でスピーキングテスト案は没にされるべきものです。 それを何回も何回も持ち出してくるのは、下村博文とベネッセが金儲けのために日本の教育を食いものにしたいからでしょう。 たった2者の金儲けのためにすでに日本の教育は瀕死の状態です。 「東大に民間試験をやらせろ」とすごんでいた下村博文に英語教育に口を出す資格はない。 反社会的勢力(暴力団など)じゃないのですから、脅してでもテストをさせようとする人間に教育に口を出す資格はありません。下村博文たった一人のために日本の教育が壊されてしまう。

私はeポートフォリオのブログの中で「安部首相は全国民を騙して業者(ベネッセ)に売った日本憲政史上初めての総理大臣です。」 と書きました。 「しかも未成年の国民に個人情報を入力させるときは「学習に向かう主体性を高めるため」とだまして入力させる。安部首相は国民を騙して業者(ベネッセ)に売った日本憲政史上初めての首相です。」と書きました。 けれども、この悪質なeポートフォリオの仕組みを実際にベネッセと結託して導入したのは下村博文です。 ベネッセの利益のために実際に動いているのは下村博文です。  

そして下村博文はそれだけでは飽き足らず、今度はベネッセと結託して子供の役にも立たない自称?「読解力のテスト」を新井氏に作らせ、学校教育に導入しようとしている。中学生・高校生にこんな細切れの文ばっかり読ませていたら、思考力など育ちません。 こんなテスト何の役にもたちません。 eポートフォリオの持ち込みといい、このテストの持ち込みといい、下村博文は金儲けのために国民を騙す日本憲政史上稀(まれ)に見る悪質な政治家です。 ベネッセの金儲けのため、日本の国家をベネッセの下請け会社にしようとしている。

教育再生実行会議(座長=鎌田薫・前早稲田大総長)は2021年6月3日、子どもの学習や成長のデータを利活用し、指導や行政に生かすことなどを盛り込んだ第12次提言を菅義偉首相に渡したそうですね。 eポートフォリオがだめになってもまだ、教育再生実行会議は子供を食い物にすることに固執しているのですね。

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1/24 新井紀子氏のことを書いていてふっと思ったのは、ベネッセが全学校に導入できるテストを作ろうとしているのではないか、ということです。新井紀子氏の勧めるこのテストは「テスト問題の設問を理解する力のテスト」です。でもそれでは学校教育に入れてもらえない。だから新井紀子氏はこれを「教科書を理解する読解力」と強調するのではないかと思いました。(実態とは違いますが)「教科書を理解する読解力」なら学校に導入するのに抵抗がなくなりますから。(ちなみに読解力とか思考力というのは文2,3個を読むような、こま切れの練習をしていても上がりません。それについてはこちらのブログの最初に書いてあります。)教育の乗っ取りを企む下村博文氏が今度はどこに自分の手下を配置するかわかりませんが、今度著名な教育者があるテストについて「このテストは非常に良い」と国立研究機関の名前を使って発表し始めたら新井紀子氏と同じことを疑ってみる必要があると思います。 第2、第3の「新井紀子氏」が現れて、悪だくみを隠して国民を誘導する可能性は十分あると思います。 「国立の研究機関(大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構 国立情報学研究所(NII、所長:喜連川 優)まで新井紀子氏と組んでやっている」という事実から、下村博文氏の教育の乗っ取りはかなり進行している、と思います。2016年から新井紀子氏のこの計画は始まったようです。(準備は2011年頃から始まっていたようですが) 私たちが全然気づかないうちにもう5年も経過している。 まさに国民の知らないところでひたひたと乗っ取りが進行する「This Present Darkness」です。   「憶測でものを言うことは厳に慎まねばならない」ということは十分承知しております。けれども、そういう可能性も含めて見ていかないと、後々大変なことになるのではないか、と危惧いたしましたので、書くことにしました。 杞憂(きゆう)であればいいと思っています。


1月19日 新井紀子氏の勧めるリーディングスキルテストの動画を見ました。その感想を書きます。  新井紀子氏はこのビデオの14分から15分の所で次のように述べています。

中学生の間で非常に幅広く分散している読める力、ほとんど教科書が読めない子からすらすら読める子まで、そのすらすら読める順に高い偏差値の高校に入学できているということがわかってしまったのです。  つまり教科書のような簡単な文が「読めるか読めないか」という基礎的な読解力が人生を左右するということがわかってしまったのです。 (この「研究」についての私の感想は下のピンクの文字の部分に書いてあります)

でも私は、新井紀子氏と真逆のことを思っています。私の考えは新井紀子氏とは正反対です。

私は、「習ったことを理解できるようになるまでたくさん勉強した生徒は偏差値も高くなるし、教科書もすらすら読めるようになる」と思っています。 新井紀子氏は「大変なことが分かってしまった」みたいな大げさな言い方をしていますが、それは人々をこのテストに誘導したいからでしょう。 「教科書がすらすら読める子が偏差値が高い」というのはただの相関関係です。

相関関係 = 因果関係   ではありません。



私は以前、こういうことをブログに書いたことがあります。 どこに書いたかは思い出せませんけど。(こちらのブログでした。

生まれてから学校に行かず、ずっとお母さんのそばにいて20歳になった人がどんなことを話すのか想像してみてください。  多分身の回りの話が主で、科学や歴史などの話はあまりしないでしょう。   子供たちは学校に行って各教科を学んでいますが、それは見方を変えると、各教科で使われる言葉を学んでいる、ということになります。

学校に行って理科の時間に化学反応式を習ったとします。  ここで子供たちは「化学反応式とは何を表しているのか」を学びます。  水素と酸素が反応して水ができることを表している、と知るわけです。  それを学ぶと化学反応式という言葉が出てくる文章も理解できるし、自分で書くこともできます。  それによって化学の反応に関する言葉の運用能力を身に着けます。

歴史で封建制度について習えば、封建制度とは何か。 また封建制度に関する言葉の意味や使われ方がわかって封建制度に関して書いてある文章も理解できますし(読解力)、それについて話すこともできるし、書くこともできます。 封建制度に関する言葉の運用能力が身に付きます。


つまり、そのことについて学ぶとそのことに対する言葉の運用能力は上がります。  もちろん読解力も上がります。

私はアメリカにいた時、子供たちが毎日学校に行って各教科を学びながら、学んだことを英語で言えるようになって行くのを見てそう思いました。 私の考え方は新井紀子氏とは全く逆です。正反対です。


もちろん新井さんが例に出しているように、問題に書いてある4つの選択肢から正解を選べない子もいるでしょう。  でも、子供を育てていて思うのはなじみのない名前や、アルファベットで書かれたものを一回や二回言われたくらいですぐ理解できない子もいます。  そういう子も時間をかけて深く学んでいくと、つまりその事柄が自分のなじんだものになってくるとわかるようになります。  だからそういう例をもって、読解力がないと成績が上がらない、というのは当たらない、と私は思っています。

成績が上がるのはあくまでそのことを本人が勉強したからです。


私には、彼女はこのテストを売ろうとして非常に無理な理屈をこじつけている。 勉強の本質を無視していると思います。  


このリーディングスキルテストは「テスト問題への答え方のテスト」です。 これを「基礎的な読解力のテスト」という国語教育の専門家は一人もいないと思います。  

私がここでいう国語教育の専門家とは、中学、高校で実際に国語教育を行っている先生方です。  読解力に関しては説明文、論説文、小説、随筆などの指導をきちんとできる先生方です。

 この新井紀子氏お薦めの「リーディングスキルテスト」は「テストの設問に答える能力テスト」といったほうが適切だと思います。 いかにも学習塾が好きそうな教材だと思いました。 この下に出てくるプロの編集者の方は「そういうのは予備校で使えばいいのではないですか」と言っていました。 これを読解力のテストという人は、新井紀子氏同様、文学も国語教育も何も学んでいない人です。

それから、ビデオの中ではずっとテストの設問とその答えの正答率を解説してきて最後になったら、突然、これを「教科書をすらすら読める力」といういい方に変えるんですね。 テストの設問を理解する力についてずっと述べてきたのに、(教科書の読み方など、全く触れていないのに)最後になると、「教科書を読む力」という言い方が突然出てくるんですね。 出題は教科書や新聞、辞書からということですが、「教科書の読み方」など全く触れないのに何で、突然最後にこれが「教科書をすらすら読める力」に変わるのだろうと思いました。

 こちらのニュースを見て  大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構 国立情報学研究所(NII、所長:喜連川 優、東京都千代田区) さえこれが読解力だと思っていると知って、驚きました。 150字程度の事実について書かれた文を読む力を読解力というのはいかがなものでしょうか。 しかも、それがテストの設問。 こういうのを国語教育の専門家が読解力というでしょうか。 「国立」ということは税金で運営されているのですよね。 でしたら、もう少し、所長の喜連川 優氏は「読解力」についてきちんとした研究をなさっていただきたいと思います。 冒頭にも書きましたように、新井紀子氏はこのビデオの14分から15分の所で次のように述べています。

中学生の間で非常に幅広く分散している読める力、ほとんど教科書が読めない子からすらすら読める子まで、そのすらすら読める順に高い偏差値の高校に入学できているということがわかってしまったのです。  つまり教科書のような簡単な文が「読めるか読めないか」という基礎的な読解力が人生を左右するということがわかってしまったのです。

これが、国立の研究機関が読解力について共同研究した結果なのですか。 研究対象はテストの設問、結論が読解力(?)と入学する高校の偏差値との関係。  これは学習塾の視点から行われた研究ではありませんか? 大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構 国立情報学研究所 (所長:喜連川 優)まで、ベネッセに乗っ取られましたか。      「読解力の研究」と称して、テスト問題のパターンを種類別に分けたり、高校の偏差値との関係を見たりすることは国語教育の専門家はしません。テスト問題を分析して7つのパターンに分けて、これが読解力の各側面だといって正解率を見る。 東大新入生でも52%しか正解できなかった問題もあるとデータをとる。 これはもう受験産業のすることではないですか。  国語教育の専門家のする「読解力の研究」ではありません。  新井紀子氏は「読解力」「読解力」と教育問題を話題にしているようで、本当はテストの分析や偏差値の研究をする受験産業の仕事をしているのではないですか。    1月18日の彼女のツイッターのコメント「あら、イメージ同定ど真ん中の問題。 全般的に、共通テストの地歴はRSTのイメージ同定と推論ができない受験生は厳しかったかと思う。」 というのは、読解力の研究をしている人のコメントというよりは、テスト問題を研究している予備校の人のコメントみたいだと思いました。 「いつもやっていること」「いつも考えていること」は、自然に出てきてしまいます。 このコメントを読んでいたら、下に出てきたプロの編集者の言葉を思い出しました。「こういうテストは予備校で使えばいいのではないですか」     受験産業はどこまで行っても受験産業。 いくら新井紀子氏が「教科書を読む読解力」という言葉を使っても学校教育には入れません。
(今、この曲 Bonnie Tyler - Holding Out For A Heroを聞きながら夕食の支度をしています。映像は見ません。銃を撃つ映像は嫌いですから。 いつもはもっと落ち着いた曲を聞いていますが。。。。例えば、セリーヌ・ディオンのWithout You とか、ヘンデルのLascia ch'io pianga とか。(ダンスの好きな方はHolding Out For A Hero はこのダンスの曲だと知っていらっしゃるかもしれませんね。ダンスは映像の34秒のところから始まっています。)  今みたいに自分の心の中に怒りがあるときは、強いビートに乗せて怒りをどこかに飛ばしてしまいたい気持ちになります。 怒りを感じていなかったら、こんなきつい文章は書かないです。 新井紀子氏は「読解力」「読解力」って、人を騙(だま)さないで。)
新井紀子氏は国語教育も文学も学んでいない(国語教育の素養がない、文学の素養もない)。 だから新井紀子氏が読解力に関していうことは薄っぺらです。 本物の国語の先生とは、蓄積されてきた教養や子供に与えようとするものが違います。 もし本当に子供たちに国語教育における「読解力」をつけさせたいのであれば、子供たちには「本物の国語の先生」の言葉に触れさせなければだめです。
受験産業と学校教育の違い。 学校教育では時間をかけて、文学の楽しさを知ったり、文章によってどういう表現ができるのか子供たちは学んでいきます。 「読解力」もそういう広くて深い教育の中で育てます。 受験産業はテストの点数に直結することが主眼です。新井氏のやっていることはまさに受験産業の仕事です。 学校教育というのは受験産業とは違いますから、国語教育の素養、文学の素養がなくては教えられません。 新井氏にはその素養、教養がありません。 だから新井紀子氏に国語教育は出来ません。 
2021年2月3日加筆
私が中学3年生の時、こういうことがありました。  中学3年生は高校受験のため模擬試験を受けます。  あるとき受けた模試の国語のテストで芥川龍之介の「鼻」の文章の一部が出ました。 「彼がおかしくておかしくてたまらなかったのはなぜですか」という問いがありました。  私は自分の思ったことを書きました。  試験後、模範解答を見たら、私の答えは間違っていました。  間違った箇所は正しく答えられるようにしなければいけないと思っていたので、模範解答を見ながらもう一度考えました。 けれども、どう考えてもなぜ正解がそうなるのか理解できませんでした。  それで、私は国語の先生にお聞きすることにしました。 
 
その時の国語の先生は、前の先生が産休の間だけ教えに来ていた先生でした。  授業を受けていて、その先生に聞いても私が納得できるような答えは出来ないだろうと思ったので、産休中の前の国語の先生にお手紙を書いてお聞きしました。  先生は出産後の大変お忙しい時期にも関わらず、下のようなお返事を下さいました。

あなたの手紙を読んで、私ももう一度芥川龍之介の「鼻」を読んでみました。  私もこの人がおかしくておかしくてたまらなかったのは、あなたと同じ理由だと思いました。  なぜ模範解答がそうなるのか私にもわかりません。

それに続けて先生は次のようにお書きになっていらっしゃいました。

あなたの手紙を読んで、今の国語教育が抱える問題を感じています。  文学作品の読み取りを画一化しようとすることなど決してしてはいけないことです。  あなたのような生徒までが、こんなことで悩まなければならないことに、この問題の深さを感じます。

私は、先生のお返事を読んで、非常に驚きました。  まず、模擬試験の模範解答が間違っているということ(50年前の模擬試験です)  それから国語教育に問題があるということ。  中学生の私は学校で行われることに問題があるなどと思ったことはありませんでした。  「学校で行われることは正しい」そう信じ切っていました。  お手紙は短かったけれど、15歳の少女には相当な衝撃がありました。 でも衝撃と同時にこの時知ったこともありました。  それは、先生方は教科書の知識をただ教えて下さっているだけではないのだ、ということでした。  私たちをどう教育することが一番良いことなのか、いつもお考えになっているのだ、そう思いました。

50年たった今でも、先生のお手紙に書かれていた言葉が忘れられないくらいですから、あの時の衝撃は相当なものでした。

先生方にもいろいろな方がいらっしゃいますので、全員がこの先生のようではないでしょうけれど、(実は、この先生の産休中に教えに来ていた先生に私は「本の世界に逃避するな」といわれました。  私はその先生があまり好きではありませんでした。  もし今、そういわれたら、私はこちらのブログに書いてあるミヒャエル・エンデの言葉を使って答えたいと思います。 「私はファンタジエンに行って生きる力をもらっていただけよ」と答えたいと思います)授業ではただ生徒が学ぶべきことを教えて下さるだけですけれど、先生方はいろいろなことを考えながら私たちを教えて下さっているんだ、と思いました。

私が中学、高校と習った国語の先生方はみんな国語科の教員免許状をお持ちの先生方です。  国語教育で教えることはすべて勉強し、教育についても学んでいる先生方です。  つまり、国語教育に関しても、学校教育に関しても専門的に学んでいらっしゃる先生方です。 私はそういう先生方を「国語の先生」だと思ってきました。
 

新井紀子氏が国語教育で知っているのはたった一つです。 
「事実について書かれた150字くらいの文(テストの設問)が理解できるかどうかをテストした結果」
それだけです。(彼女が作ったこのテストの得点と生徒の読書量には全く相関関係はないそうです。(上記の本222ページより)彼女の作ったテストで高い点を取る生徒が必ずしも本を読んでいるわけではないし、本を読んでいない生徒の得点が必ずしも低いわけではないそうです。 彼女は「読解力は読書とは関係ない」と述べています。 この話を知人にしたら、「読書している生徒としていない生徒の差も表れないテストを読解力のテストというの?」と聞かれました。)
新井紀子氏が国語教育について知っているのはたったそれだけです。 国語教育で「読解力」といったときに含むものが後楽園球場の広さだとしたら、新井紀子氏が知っている「読解力」は、そこに落ちた1円玉くらいの広さのものです。


だから彼女の「読解指導」を読んで私が「薄っぺらだ」と感じるのは当然だと思います。 一円玉の範囲しか知らないのですから。 国語の先生方が勉強して持っているものを彼女は何も持っていない。 それは、「燃える太陽」という文学的な表現に、理科の読解指導と称して、「宇宙空間には酸素はありませんから太陽は燃えません」などと平気で言う「読解指導」に如実に表れています。 初めて聞いたとき、昔だったら、そんな言葉はコメディアンが言うジョークだったと思いました。 もし、国語の先生方ばかりの集まりで、こんな指導をしたら、とても顔を上げていられないくらい恥ずかしいことです。 国語教育に無知なこと丸出しです。 新井紀子氏はそれが恥ずかしいということもわからない。 150字といったら、ほぼツイッター(140文字)の文章と同じ分量でしょう。 それ一つ勉強したくらいで「読解力」「読解力」って、「読解力」の権威みたいな顔をしないでください。 1円玉くらいしか知らないのに読解力の権威みたいな顔をしないでください。 日本には地味だけれど、子供たちの読解力向上の為に努力している先生がたくさんいらっしゃいます。 始業前の10分間読書を習慣化させている中学校の先生方もいらっしゃるし、時間があると子供たちに本の読み聞かせをしてくださる小学校の先生方もいらっしゃいます。 先生方一人一人は特に新聞や雑誌で取り上げられるような方々ではなくても、そうやって、継続して地道に努力していらっしゃる先生方はたくさんいるんですよ。 そして最後は結局そういう先生方の地道な努力が子供たちの読解力を上げていくんです。 地道な努力をしている先生方を差し置いて、たかだか150語の文を一つ勉強したくらいで、1円玉くらいしか知らないで、「読解力」「読解力」って読解力の権威みたいな顔をしないでください。 しかもそれはテストの設問でしょう。「読解力」という言葉を人々を誘導するために使っているだけでしょう。 新井紀子氏は文学も学んだことはないのですよ。


国語の先生方が国語教育に関して持っているものが両手一杯にすくい上げられた色とりどりの花びらだとしたら、新井氏の持っているものは人差し指の先にのった、薄い梅の花びら一枚くらいのものです。  私が薄っぺらだと感じるのは当然です。

新井紀子氏はこれからも人々が正しく読めなかった文書を取り上げては、「読解力」「読解力」と騒いで自分の勧めるテストに人々を誘導するでしょう。  それが彼女が下村博文氏から請け負った仕事だからです。

私が彼女の読解指導を批判したら、政府から激しい妨害が始まりました。  政府から妨害を受けるというのは政治家が妨害しているということです。  教育に関する政治家といえば今更言うまでもありません。 (自分の選挙区(東京)の中学生さえ、都道府県の中で一番最初に「高校入試のスピーキングテスト」という形でベネッセに売った下村博文氏です。)  新井紀子氏は下村博文氏のたくらみの実行部隊です。  たくらみを隠して、人々をそこに誘導する実行部隊です。  「新井紀子氏のいるところ下村博文氏あり」です。 こういうことを書きましたので、私はまた、激しく妨害されるでしょう。  人々にこの情報が伝わらないように、政府には、政治家の言う通り、妨害を行うスタッフがいるんですよね。 ツイッターをお持ちの方は、拡散をお願いいたします。  新井紀子氏の読解指導を批判して、政府(政治家)から妨害を受けたのは私一人です。 私を葬ってしまえば、彼らは自分達の教育乗っ取りは安泰だと思っています。


もう5年も(準備期間を含めれば10年くらいでしょう)新井紀子氏はこのテストの計画を進めています。  ベネッセへの利益誘導だという批判には、そういわれることを準備していたかのように自信たっぷりに「妄想」とか「定款に対しての読解力」などという変な言葉を面白がるように使って答えています。 このように後ろにあるたくらみには全く気付かせず、人々をそちらに誘導するのが新井紀子氏の仕事です。 彼女は下村博文氏のたくらみの実行部隊ですから。   下村博文氏の教育の乗っ取りが新井紀子氏のような実行部隊を使ってひたひたと進行する。 まさに日本の教育は  「This Present Darkness」です。  新井紀子氏が下村博文氏の実行部隊だからこそ、私が彼女の「読解指導」を批判したとき、政府(政治家)はあれほど激しく私を妨害したのでしょう。 「読解指導」の批判一つに政府(政治家)が妨害に乗り出してくるなどありえないことです。 「英語民間試験」でもない。 「大学入試の記述式」でもない。  ただの朝日小学生新聞に載った彼女の「理科の読解力の指導」があまりにもひどかったから私はそれを指摘しただけです。 「燃える太陽」という文学的な表現に対して「宇宙空間には酸素はありませんから太陽は燃えません。」これ以上ひどい”読解指導”はないでしょう。 ナンセンスです。(ナンセンス:広辞苑より 無意味なこと。くだらないこと。ばかげたこと。) だからそうコメントを書いただけです。なのにどうして政府が私のブログを妨害するんですか。 おかしいでしょう。 なぜ、そこまでして、政府が新井紀子氏の「読解力の指導」を守るのですか。 彼女は国語教育を専門的に学んだこともないただの門外漢なのに。 それは彼女が下村博文氏のたくらみの実行部隊だからでしょう。 そしてそのたくらみは彼女の言う「読解力」に関係している。  私はそう思いました。 「おかしい」と思ったときにはその裏に必ず何か、人々に知らせないで彼らがやっている悪いことがあります。 eポートフォリオの時もそうだった。 では、彼女の言うこの読解力ってなんなの?  それは「テストの設問が理解できているかどうか」を調べるためにするテストのことだった。 まるで受験産業が作る「読解力?」のテストだった。 「受験産業」ってどこがするの? 学習塾、予備校? 彼女に関係している学習塾は? 彼女がツイッターで自信たっぷりにベネッセとは関係ありませんといっていた。 何か愉快そうにそう言っていた。。。。。しかも、テストの設問を理解するテストなのに、新井氏はそれをビデオの最後に「教科書の読解力」と言い換えていた。(私がなぜこれほど「教科書」という言葉に注意してみていたのかは下の(注1)をご覧ください。) 教科書といえば学校教育。  私はそうやって手元にある事実をつなげていきました。  そうしたら、下村博文氏(ベネッセ)が何をしようとしているのか、まるでぼやけていたカメラのピントがあってくるようにスーとわかってきました。(このテストを広めて学校教育にいれたいの? その時、ベネッセが出てくるの?あの愉快そうなツイッターの文。。。。) わかった時、ぞーっとした。 5年もかけて(準備期を含めれば10年)こんなことまでしようとしていたの?と思った。 新井紀子氏は全部知っている。 知っていて、小学生新聞で小学生までだましているの?と思った。こんな愚にもつかない「読解指導」して。 このうれしそうなツイッターの文。 国民を騙して下村博文氏の気に入るように誘導するのが、新井紀子氏はそんなにうれしいの?と思った。          私が出会った国語の先生は「生徒をどう教育することが一番良いことなのか」いつも考えている先生だった。 新井紀子氏が考えているのは、「下村博文氏(ベネッセ)のたくらみに人々を気づかせないで、どうやってたくさんの人にこのテストを受けさせるか」それだけですね。(それがうまくいったときは、新井紀子氏はとてもうれしいのでしょうね。 「ベネッセへの利益誘導だ」というみんなの批判にこたえるこのツイッターの文面からそれがわかります。 下村博文氏(ベネッセ)の気に入るように自分が事を運べた時、新井紀子氏はとてもうれしいのでしょうね。言い方がウキウキしている。  事実についての記述だけでなく、小説文の読解を学ぶこともとても大事なのですよ。 そうするとこのツイッターの文章から新井紀子氏が愉快そうなのがわかります。   (例えばこれが小説文の読解だったらこんな風に問われます。 「この文を書いた人はどんな気持ちだったと思いますか。」 答え「うれしくて得意な気持ち」 問い「どの言葉からそれがわかりますか」 答え「(その1)定款を正確に読める読解力を身に着けることをお勧めします。という言葉。 相手にあなた方は読解力を持っていないと指摘している。(私は定款が読める、つまり相手の能力の欠如を指摘することにより自分の方が能力が上だ、といっている。) (その2)妄想ともいう、という言葉。 「妄想とは根拠のない主観的な想像や信念、病的原因によっておこり、事実の経験や論理によっては容易に訂正されることがない 例誇大妄想、被害妄想(広辞苑)」相手に対して病的なまでにおかしいと指摘している。 1,2より、相手に対してかなり自分を優位に置いていることがわかるので、うれしくて得意な気持ちを表している。となるでしょうか。  前者に対しては「定款を読んでください」といえばいいし、後者に対しては「誤解です」といえば済むところです。。。。。 私はそう感じて、初めて読んだ時から「何か変だ」と思っていました。)  この文章を読んだときの違和感が「新井紀子氏、ベネッセ、下村博文氏」この構造をたどっていく引き金になりました。  そういえば彼女のこのテストには、小説文についての読解力は含まれていませんね。 論説文も随筆も含まれていません。 150字の読解力など量るくらいなら、成長期の子供にはたくさん文章を読ませて根本的な読解の能力、すなわち「読み取る量」を増し、「読み取れる深さ」を増す訓練をする方がはるかに有益です。 (小説文の読解は絶対にこのテストに入れた方がいいです。 こういう計画にだまされないためにも。)      悪だくみの隠れ蓑(みの)に国語教育を利用するのは「国語教育を冒涜している」と思います。

新井氏は「大学生数学基本調査」の下の問題の誤答をみて、「読解力がない」と思ったと上記の本の175ページで述べていますが、この問題に誤答するのは読解力の問題ではなく数学の学力の問題ではないのですか。  本当にこの問題の誤答(理由の誤答)を見て「論理的な読解と推論の力(同183ページ)がない」と思われたのですか。
問題 偶数と奇数を足すと、答えはどうなるでしょうか。 次の選択肢のうち正しいものに〇を記入し、そうなる理由を説明してください。
(a) いつも必ず偶数になる。
(b) いつも必ず奇数になる。
(c) 奇数になることも偶数になることもある。
答えは (b)  理由
偶数と奇数は、整数m, nを用いて、それぞれ2m, 2n+1 と表すことができる。そして、この2つの整数の和は、   2m+(2n+1)=2(m+n)+1   となる。 m+nが整数なので、これは奇数である。

私がこの文章をブログの一番上に書かなかったのは、都合の悪い内容が更新されているとわかったとたん、政府から妨害が始まるからです。 できれば、政府からの妨害が始まる前に皆さんに読んでいただきたいと思いました。  青字の部分の主旨は、新井紀子氏は下村博文氏のたくらみの実行部隊だということ。もし何かを決める会議の委員の中に新井紀子氏がいたら、会議の結論はすでに決まっています。 新井紀子氏が下村博文氏の意向に沿って議論を誘導し、下村氏の気に入るような結論になる。と決まっています。それが新井紀子氏の役割です。 下村氏の気に入る結論が出れば、新井紀子氏はベネッセの利益誘導を否定した時のようにうれしいのでしょう。
以上2021年2月3日加筆

(注1)2021年2月26日
なぜ私がこれほど「教科書」という言葉に注意して彼女のHPにあるビデオを見ていたのか、その理由をお話します。

私の息子は小学校1年生の9月に日本の小学校に転入しました。冬休み前の12月の個人面談で担任の先生から次のように言われました
「太郎君は話している時の日本語には問題はないのですが、教科書を読ませるとどこで切ったらよいのかわからなくなってしまうようで、全然読めないんです。  あれ~、どうしちゃったの、太郎君って思いました。」

先生のお話の仕方から、他の子は読めるのに、太郎だけが読めないのだと私は思いました。 みんなが普通に読めるものが読めないというのは問題です。  その日から夕方5時に遊びから帰ってきた息子を夕食の支度をする私の横に立たせて毎日国語の教科書を音読させました。 それは中学3年生の9月に日本の中学校に転入した娘も同じでした。  志望高校の出題に作文がありました。 それで作文を書く練習をさせたのですが、作文がなんだかわからないから書けませんでした。 仕方ないので、全国作文コンクールの入賞作品集を買って、「これが作文よ。 毎日少しずつ読んでごらん」といったのですが、ちっとも読まないので、音読させたら、つっかえつっかえで全く読めませんでした。5文字ごとにつっかえるような感じでした。 「息子の時と同じ。 日本の子は読めるのに、うちの子は読めない」と思いました。  仕方ないので、私がその中の2,3個の作文を音読してテープに吹き込み、「毎日聞いてみて。 作文はどう書くのかわかってくるから」といいました。 (アメリカに行ったときは地理の用語集を英語と日本語でテープに吹き込んで聞かせ(こちらのブログ)、日本に帰ってきたら作文を読んで聞かせ、使っていない言語の習得はどこに行っても大変なんだ、と思いました。)  
こういう経験がありましたので、新井氏のHPのビデオで「教科書がすらすら読める子」「ほとんど読めない子」という表現を聞いた時、日本で生れ育っても、教科書が読めない子がいる、ということに私は驚きました。  私は、新井氏が中学生に実際に教科書を読ませて、「教科書がすらすら読める子」と「ほとんど読めない子」がいることを調べたのだと思いました。  「すらすら読める」と言っている、ということはきっと音読させたのだろうと思いました。 音読なら、すらすら読めても間違って読んでいないか後で必ずチェックする必要があるから、そのデータは保存されているはず。 「教科書がほとんど読めない子」の音読を聞きたいと思いました。 太郎と由紀子と同じくらい読めないのか聞きたいと思いました。  たとえ実際の音読がアップされていなくても一分間に何字くらいしか読めないのかくらいは話があるだろうと思っていました。  そうすれば、自分で再現してみればわかると思いました。  帰国後の私にはいつも「日本語が読めない」という問題が、重くのしかかっていましたからそれが私の一番の関心事でした。  

でも、ビデオにはそのデータはありませんでした。  新井氏は自分のテストがよくできた生徒を最後に突然「教科書がすらすら読める子」と言い換えていただけでした。自分のテストが出来ない子を「教科書がほとんど読めない子」と言い換えていただけでした。 彼女の「AI vs 教科書が読めない子供たち」という本にも、実際に中学生に教科書を読ませたことに関する記述は全くありませんでした。 彼女は実際に生徒に教科書を読ませていたわけではありませんでした。 研究者が実際にやっていないことを研究の結論にしていいのですか。 新井紀子氏は「教科書を読む」その学習行為自体については、何のデータも取っていません。研究者が実際にデータを取っていないことを研究の結論として提示することに問題はないのですか。  (その後、彼女が「教科書」という言葉を使うことが非常に大事だった理由に私は気づくことになります)


彼女は前出の本の222ページで「読解力は読書量とは関係ない」と述べています(彼女のテストの得点は生徒の読書量との相関がないそうです)が、私は関係ないとは思わないので、私が読解力についてどう思っているか、書きたいと思います。

先にも書きましたように、息子は小学校1年生で教科書が読めませんでした。 読ませる練習をさせましたけれど、2年生になったら接続詞の使い方がよくわからないようだ、といわれました。 それで、接続詞も教えました。  でも4年生になったら、教科書も読めるしテストの問題も理解できるのに、ちっとも日本語の本を読まないことに気づきました。 日本語の本を読む、ということが大変だったのだろうと思います。 それで1年半かけて本が読めるようにしました。 教科書の音読や接続詞と違いこれだけ時間がかかったということは「本を読む」ということはいろいろな力がいることなのだろうと思いました。

そういう経験をして私は、読解力について次のように考えています。  

大きな船で海を渡ると海面にはたくさんの白い波が立っているのが見えます。  人間の持つ読解力というのは、この大きな海のようなものだと私は思います。海に立っているたくさんの白い波、その一つ一つがテスト問題を読む力であり、詩を理解する読解力であり、論説を理解する読解力なのだと思います。 そして本を読むことはこの海が持つ読解力そのものを作る力を持っているのだろう、と思います。  だから今までの日本の教育で読解力といえば本を読むことが言われてきたのだと思います。  そしてそれは間違っていないし、日本だけの考え方でもありません。

アメリカにいた時、娘のリーディングの授業の宿題を一緒にやりました。  一年間の授業で(今思い出せる範囲で)4さつの本を読みました。  最初は160ページの本、2冊目は260ページ、3冊目もそのくらいだったと思います。 最後は300ページの本でした。 ですから1年間の授業で1000ページくらい生徒は読むことになります。 そして授業では読んだ内容について勉強します。 新井氏のリーディングスキルは150字のテストの問題を読むことですが、リーディングクラスのメインの活動は本を読むことでした。  私の友人の子供は高校のEnglish (国語)のクラスの最初の授業でフィッツジェラルドのThe Great Gatsby を読んだといっていました。  つまり、日本だけでなくアメリカでも読解力の基礎をつけることに本を読むことは非常に重要だと考えられています。

私が最初に夫の赴任についてシカゴに住んでいたころ(今から30年前)、テレビ番組では「アメリカの子供たちの学力が低いのをどう解決すればよいか」という問題がよく取り上げられていました。 その問題を解決しようといろいろな取り組みを行っている先生方の活動が紹介されました。  やはり本を読むことを重点にした活動が多かったですね。  その根底には「本を読むことが学習の基礎を作る」という先生方の考え方があると強く感じました。

2度めの赴任の時はテレビでそういう話を聞くことはありませんでした。 けれども、私は「生徒にいかにして本を読む習慣を身に着けさせるか」を生徒と実践しながら研究した先生方のグループの活動をまとめた本を読みました。  読みながら、「本を読むことが学習の基礎を作る」という考え方が、すでに先生方の共通の認識になっていることを知りました。

私は日本の先生方が、子供たちに本を読めるように活動なさっていることは、学習の基礎を作るうえで非常に役に立っていると思っています。 新井氏は読解力に読書は関係ないと述べていますがそのようなことはないと思います。



そしてもう一つ、先生方の本を読む指導が重要だと思う理由があります。

国語教育は「読む」ことだけではありません。 「書く力」も育てなければなりません。 「書く力」は思考力を育てる、ということで今、非常に重要だといわれています。 「書く力」は、150字のテストの問題を読む力では決して育ちません。

「書く力」は「読む力」と密接に関係しています。  これは英語教育からわかったことです。  私自身高校卒業時には、英文エッセイ(小論文)は書けませんでした。  習った構文を使って文を書くことで精一杯でした。  私が英文でエッセイが書けるようになったのは大量の英文読書をした後でした。  つまり本を読んでいないと論旨を一貫させてまとまった文章を書くことはできませんでした。 150字のテストの問題を読む読解力では、「書く力」をはぐくむことはできません。

そういう意味で、先生方がなさっている読書指導は、「読む」ことによって育つ「書く力」もはぐくむという点でとても重要だと思います。 読むときに育った思考力が書くときの思考力に持ち込まれている、という気がします。 


私の後ろには、学校を動かせる政治家もいませんし、潤沢な資金を持つ業者もいません。  だから私が何を言おうと鎧兜で武装した人に素手で戦うようなものでしょう。  それでもこのブログを書いたのは、地道に子供たちに本を読む指導をしてくださっている先生方を応援したかったからです。  新井紀子氏は読解力は読書の習慣とは無関係といっていますが、そんなことはありません。日本だけでなく、本を読むことの重要性はアメリカの先生たちの間でも広く認識されています。

また、本を読むことが国語教育のもう一つの基礎、「書く力」を育てることは紛れもない事実です。 先生方がなさっている読書指導は、国語教育、子供の学力の基礎を作る上でとても重要です。  地味で、時間がかかるご指導ですけれど、「読む力」「書く力」「思考する力」の大きな海を育てる大事な指導ですので、ぜひ、続けていただきたいと思います。  

読解力の問題だけでなく、本を読むことによって子供たちはいろいろな世界を知るようになります。 「理想の社会はどんな社会か」コンピューターは考えないけれど、人間は考えます。 教育はその子(人間)が持っている能力を引き出すもの、伊勢田先生の教育原理の授業を受けて思ったことは今も変わらないです。

150字のテストの問題を読むことが読解力などと思っていたら、とてもアメリカには勝てないです。(アメリカだけでなく世界のいろいろな国に勝てないです。 子供たちに骨太の思考力は生まれませんから。) 彼らは読むことも書くことも日本とはけた違いに学校で教えています。  下村氏はとにかくテストを学校教育に導入する。 教育の中身よりテストのことばかり。 教育の中身は英語のスピーキングにしても「書く力」にしても具体的に学校でどう教えたらよいかについて先生方と話し合うこともしない。ほったらかしです。  こうやって教育をだめにして日本の国力はどんどん低下します。 下村氏は日本の国力をどんどん低下させています。 まるで日本は教育をはく奪された植民地のようです。 下村さんは、どうしてそこまでして日本の国力を低下させようとするのですか。



最後に一つ気になったことがありましたので書きます。

新井紀子氏の「AI vs 教科書が読めない子どもたち」(出版社は東洋経済新報社)という本の204ページに彼女の作ったテスト問題のサンプルが載っていました。 引用させていただきます。
* * *
次の文を読みなさい。

アミラーゼという酵素グルコースがつながってできたデンプンを分解するが、同じグルコースからできていても、形が違うセルロースは分解できない。
この文脈において、 以下の文中の空欄に当てはまる最も適当なものを選択肢の内から一つ選びなさい。

セルロースは(   )と形が違う。

①デンプン
②アミラーゼ
グルコース
酵素

* * *

もしこれを公立高校の入試で「教科書を読む読解力をはかるため」といって出題したら、教育委員会には保護者や中学校の先生方から抗議が殺到すると思います。 教科書を読む読解力をはかるなら、「問い」はアミラーゼに関するものであるべきだと保護者や先生方は当然考えると思います。 この問題が出来なかった生徒を「教科書を読む読解力がない」と断定するのは不当だと誰でも思うでしょう。  先生方はこういう出題を非常に嫌います。  こういう出題は普段の授業で培った生徒との信頼関係も壊します。 なんのために「ここは大事だよ」と生徒に教えたのかわからなくなってしまいます。 

「この問題は某新聞社の論説委員から経産省の官僚までグルコースを選ぶので驚いた」と得意げに新井氏は本の204ページに書いていますが、生徒にセルロースとデンプンの形の違いを教えるためなら、教科書の執筆者はこのような文章は書きません。 人間の頭は、主語で言われたことに注意を集中して読んでいきますから、この文章でセルロースとデンプンに注意を集中して読むような読み方は普通の人間はしません。 論説委員も官僚も毎日大量の文章を読みますから、文を読むそばから重要なことは頭に入れ、文の主題と関係ないことは些末なこととして即、頭から落としたのでしょう。 教科書の執筆者だって、そんなことをこの文章で子供に学んでもらおうとは思っていないでしょう。(私は彼女の本を読みながら例題を解いていて、「このテストは普通の読み方をしても解けないようだ」と思ったので、この問題は、読んだそばから絵にかいていきました。 そうしたら自分の描いた絵のセルロースとデンプンの形が違ったので、「デンプン」と答えましたけれど、「主語で言われた主題と全く違う「些末なこと」に注意して文章なんか読んでいたら、本など読めない」と思いました。彼女は中教審がもっと読解力を重要視するべきだ、といっていましたが、この問題文を読んで、セルロースとデンプンの形に注意をさせるような読解指導をしたら、子供の「読解力」はめちゃくちゃになります。文の主題がつかめません) 書く人も読む人も重要だとも思っていない些末なこと(どうでもいいこと)を「読解力」と称してテストする、このテストに何の意味があるのですか。 新井氏がこういうことを教科書の読解力だと思っているなら、それは間違いです。 この設問は教科書を読んで理解する読解力をはかるものではありません。 わざと間違えさせて、「教科書が読めない」「教科書の読解力がない」とアピールするために作られた問題でしょう。こういう問題を作る新井氏は教育者ではありません。

記憶がおぼろげなので、何年前だったか思い出せないのですが(多分4,5年前だったと思います)、私は知人から「子供の読解力が落ちているそうです。」とメールをもらって、これと同じような問題を読んだのを覚えています。(この問題だったような気もするのですが、記憶が定かではありません。7/30/2021 確認しました。2016年8月21日の東京新聞朝刊に載ったこの問題でした。記事には永井理とお名前がありました。) メールを読んだ瞬間、私は、「これを読解力とは言いません。この問題は読解力をはかっている問題ではありません」と即座に返信しました。心の中でこういうテストに対してものすごい反発を感じました。こういう「子供にわざと間違えさせる問題」を作って、「子供の読解力が落ちている」と騒ぐテスト作成者に言葉に出来ないほどの嫌悪感を感じました。 当時、私は新井氏のことは知りませんでしたが、「こんなテストを作る人は教育者ではない」そう思いました。 子供たちはアミラーゼを説明した教科書の文を読んだら、「アミラーゼってどういうものなのか理解しなくちゃ」と思って一生懸命読むんです。 そうやって理解した後にこういう問題を出されたら、アミラーゼについて一生懸命勉強したことは何にもならないのです。 本来、子供が一生懸命勉強したらそれを評価してもらえる、それがテストです。教師だって、大事なことを子供に覚えてほしいから、それをテストで出題するのです。 でもこういう本題とは関係ないフェイントをかけるようなテストばかりされたら、最後に子供たちは文章を読んだとき、何を把握すればいいのかわからなくなります。 これは子供を罠にかける非常に悪質なテストです。こういうテストをされ続けると、子供たちは授業でいくら「ここは大事だからよく勉強しておくんだよ」と言っても教師のいうことを全く信用しなくなります。 教育というのは信頼の上に成り立つ仕事です。 教師が子供を騙して罠にはめて何が教えられますか。 私は怒りがこみあげてきて、翌日知人が引用した新聞を隣の駅にある図書館まで読みに行きました。(いつも自分が行く図書館にはおいていない新聞でした) こういうテスト問題は教師として作ってはならない問題です。こんな問題を作る新井紀子氏は口でどんなに立派な教育論を唱えようと子供のことなど全く考えていません。「子供の読解力が落ちている」と騒ぎ立てて自分のテストを売り込みたかっただけでしょう。本当に子供の読解力の向上を願って指導されている先生は、決してこういう問題は作りません。

東京新聞の副題は「AIロボと似た誤答 研究チーム謎解きへ」となっていました。 本当は「謎」なんかありません。 子供たちがこの問題を間違えたのは新井氏が間違えるように作ったからです。 そこで子供たちに間違えさせて、それをAIの研究と何か関連があるように思わせ、自分のテストに世の中の注目が集まるようにしたかっただけです。  すべては新井氏と喜連川所長が作った自作自演の筋書きです。

2021年5月17日加筆(加筆したことをブログトップに書かなかったのは、新井氏のことを書くとすぐに政府から妨害が始まるからです。)新井紀子氏は今度はリテラシーのテストを作るそうですね。 その前に、「教科書の読解力が人生を左右する」と虚偽の研究結果を発表したことをきちんと謝罪するべきではないですか。それに一度、研究結果を捏造した研究者はその分野で発言する資格はありません。新井紀子氏には下村博文とベネッセがバックにいるからそれもできるのでしょうか。 なんで彼女はいつもテストばかり作りたがるのでしょう。 多額の研究費?をもらいながら最初に「教科書の読解力」で失敗したからなんとしても学校教育に持ち込めるテストを作らなければならないと必死なのでしょうか。 (それは、数学者に読解力のテストを作らせる業者の方が間違っています。 できるわけないでしょう。 ベネッセのテストはそんなにいい加減に作られているのですか?) 子供たちの能力で不十分なところがあると気づいた教育者は普通は子供たちにその能力を着けさせる教育方法を考えます。 ところが新井紀子氏はいつもテストを作ることばかり考える。 テストを作って学校教育に導入させれば、業者を儲けさせることができるからでしょうか。 学校教育に持ち込ませるときは下村博文が自分の政治権力を使う。その結果下村博文も業者から見返りがもらえる だから新井紀子氏は教育方法には目もくれず、テストを作ることばかり考える。 彼女は子供のことなんか何も考えていません。 下村博文と同じ。業者の金儲けのために子供を食い物にしているだけです。 どんなきれいごとを言っても、彼女の作ったこのアミラーゼのテスト問題を見れば、彼女が本心では子供のことなど全く考えていないことがはっきりわかります。 子供のことを考えている教育者は絶対にこういう問題は作りません。


新井氏は大学で教職課程も学んでいませんし、国語教育も専攻していませんので、読解力や言葉の理解に関する教育に携わる資格がありません。  その上、文学的文章と科学的文章の指導の違いも知らない、ということはご本人の読書量がはなはだしく乏しいことを示しています。 文学的文章も科学的文章もたくさん読んでいる人は常識としてそのくらいのことは知っています。 (ウィキペディアには彼女は「教授」と書いてありますが、こんなに読書量の少ない「教授」がいるのだ、と私は驚きました。) 国語教育も専門的に学んでいない、 教育についても専門的に学んでいない、読書量もはなはだしく乏しい新井紀子氏が読解力の教育に携わるのは根本的に無理です。 ご自身は数学者なのでしょう?  それでもテストを作って広めようとするのはベネッセを儲けさせたいからでしょう。 数学者が専門外のことに首を突っ込んで子供を金儲けの道具に使っているだけです。 子供の読解力向上を本当に願っていたら、あんな「子供を罠にかけるようなアミラーゼの問題」なんか作りません。 あれが新井紀子氏の本心をよく表しています。

国語教育も専攻していない。教職課程も学んでいない。読書量も乏しい。 「燃える太陽」という表現に「宇宙空間に酸素はありませんから太陽は燃えません」などという謎の「読解指導???」をする。 新井紀子氏の読解力はとても生徒の読解力を云々できるレベルではありません。 ご自身が大学で一から国語教育を学ばれた方がいいでしょう。

私は下村博文の場合は「東大に民間試験をさせろ」と恫喝したことが彼の政治姿勢を象徴していると思っています。 新井紀子氏の場合は「燃える太陽」という文学的表現に対して、「宇宙空間に酸素はありませんから太陽は燃えません」という「読解指導?」が彼女の読解力のレベルの低さを象徴していると思います。 この「読解指導??」はナンセンスです。(ナンセンス:無意味なこと。 くだらないこと。 馬鹿げたこと。(広辞苑) 英語教育もそうですけれど、国語教育も大学で専門的に学んでいない人が、金儲けのために口を出してくると子供たちが被害をこうむります。 新井紀子氏に国語指導の資格も能力もありません。読解指導する理由が子供たちの読解力を心配しているわけではなく金儲けなのは「アミラーゼ」の問題を見れば明らかでしょう。 (非常に個人的な感想になりますけれど、彼女の本「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」を出版した東洋経済新報社のエディターは、204ページにあるこの問題を見て何も感じなかったのでしょうか。 私は見た瞬間に「子供のことを何も考えていないテスト問題だ」と怒りがこみ上げました。怒りを抑えるのも大変なくらいでした。) 子供たちの読解力向上の為指導している先生は絶対に子供を罠にかけるような問題は作らないのです。こういう問題は作らないのです。 eポートフォリオの時と同じ。 こういうところで隠している本当の目的がわかるのです。 子供のことを本当に心配していないなら、テストなんか作らないで。    どのような読解力の指導であろうと国語教育を専門的に学んだ教師以外が口を出してはなりません。  なぜなら、新井氏は前出の著書の中で「読解力と読書は関係ない」と述べていました。  これは明らかに間違いです。 日本の国語の先生方だけでなく、アメリカの先生方もこの意見には同意しないと思います。  国語教育を学んでいないとこういうとんでもない指導を子供たちにやりかねませんので、どのような読解力の指導であろうと国語教育を専門的、かつ、全般的に学んでいる(つまり国語教育の全体像をきちんと把握している)専門家以外は口を出すべきではありません。 国語教育を専門的に学んでいない新井紀子氏は口を出すべきではありません。 新井紀子氏は国語教育に口を出す資格をお持ちではありません。 生半可な知識で飛んでもないことを主張されると結局子供たちの読解力の向上を大きく妨げます。 「読解力と読書は関係ない」などと子供たちに指導されたら、子供たちのその後の人生にとって大変なマイナスをもたらします。

5月18日加筆新井紀子氏はこちらのビデオの14分36秒のところで「教科書がすらすら読める順に高い偏差値の高校に入学できているとわかってしまったのです」と述べていますけれど、彼女は中学生に教科書など読ませていません。 ただの一人も読ませていません。「教科書がすらすら読める子」「教科書がほとんど読めない子」のデータなど全く取っていません。  また、教科書の読解力が人生を左右するなど偽りを言って自分のリーディングスキルテストを売り込みお金を取って実施してきました。 実際には生徒は先生のご指導を受け、自分で理解する努力をし、暗記したり練習問題をしたりして実力をつけなければならないのに、あたかも、教科書の読解力がテストの点を決めるかのように人々に説いて自分のテストを売り込んできました。 それを人々に信じ込ませるために「アミラーゼ」の問題のような罠(わな)も仕掛けたのでしょう。 これは虚偽の情報で他人に損害を与える詐欺だといわれても仕方ない行為だと思います。 詐欺は犯罪です。 刑法で刑罰が決められている犯罪です。 人々に虚偽の情報を与えて、自分の作ったテストをお金を払わせて利用させる。 これは虚偽の情報で他人にお金を支払わせる詐欺です。  罠を仕掛けて人々を騙して詐欺をした新井紀子氏はもはや教育に口を出す資格はありません。 もし、新井紀子氏が「教科書の読解力が人生を左右する」が間違いだと認め、それで終わっていたら、私は「新井紀子氏のしたことは詐欺だ」とまで言うつもりはありませんでした。  でも、「この人は放っておいたら、どこまでも学校教育を金儲けの道具にする」と強い危機感を感じましたので、あえてこのように書きました。 本当に彼女を放っておいたらそうなるでしょう。悪いたくらみは芽のうちに摘み取らないと子供たちが大変なことになります。前回も今回も声を上げて下さった方がいたから私も気づきました。いろいろな方がウォッチしていると防ぐことが出来るのでしょう。 国民を騙し詐欺(犯罪)を働いた新井紀子氏は教育に口を出す資格はありません。金儲けのために教育に口を出すのはおやめください。 「宇宙空間に酸素はありませんから太陽は燃えません。」 新聞に載ったこの読解指導で新井紀子氏の読解指導のレベルの低さは、みんな知っています。

以上5月18日加筆

彼女の作ったテストの出典は「教科書」「新聞」「辞書」そしてオリジナルの問題だそうです。  たとえ教科書の文を問題文として出題しても、設問が上の例のようでは本来の意味で教科書を理解する力を測ったとは言えません。 出典が全部教科書でもないのに、なぜそれをここまで、「教科書の読解力」「教科書の読解力」というのか、疑問です。ここにも新井氏の別の意図がうかがえます。 彼女がHPのビデオの最後で突然「教科書を読む読解力」という言葉を使ったのと同じ理由でしょう。 学校教育に持ち込むためにはどうしても「教科書」との関連が必要だったのでしょう。






私はブログを書くととても体力を消耗します。  ブログの中には書くのに構想から始めて数か月かかったものもありますし(こちらのブログシリーズ)、原稿を何度も書き直して、プリントアウトした用紙が100枚を超えたものもあります。


こちらのブログです。(このブログは「川合典子ブログ 松本茂」で検索しても決して出てきません(4月25日現在)。ブログの題名そのままを入れて検索しても出てきません。何をしても絶対に検索結果に出てきません。 松本茂氏は自分が目立つためなら新聞記者にメールまで送って高校の先生方を非難する記事を書かせるのに、自分に不利なことはブログの検索結果まで操作して自分を守るのですね。もしかして新井紀子氏を守った時みたいに、政府(下村博文)がやっているのかな、とも思いました。(私のブログは政府からよくそういうことをされていますから) あの時、(英語民間試験に対して高校校長会までが異例の申し入れを文科省にしたくらいなのに)自分の大学の入試(英語)を民間試験のみで行うと決定するなど、随分下村博文に協力していましたものね。 間違った英語教育の方針から高校生を守るより、自分が目立つことに関心があったのでしょう。 なぜ私がそう思ったかといえば、もし本当に高校の英語の授業を心配して記者にメールを送ったのなら、新聞に載った自分の写真が若く見えるなどとブログで喜んだりしないでしょう。 本当は、「高校の先生方は英語で授業が出来ないけれど、自分は英語でこんな授業ができる」といいたかっただけでしょう。 (実際には高校生には出来ない授業でしたけれど) 現場で苦悩する高校の先生方を無実の罪で記者にメールまで送って新聞紙上で批判しながら、自分は新聞に載った写真が若く見えると喜んでいる。 松本茂氏の精神の幼児性に私は言葉もありませんでした。 こういう有識者会議の委員の決めた方針に従わなければならない高校生は不幸です。 高校生だけでなく無実の罪で新聞で非難される高校の先生方も不運です。松本茂氏は「高校で英語で授業ができていない」ということを指摘するふりをして、本当は自分は賛成派と反対派に分けて英語で討論する授業までできるのだ、とアピールしたかっただけでしょう。 大学教授の自己顕示欲のために無実の罪で新聞で批判される高校の先生方は本当にお気の毒です。 そんなことを表現できる英語力は平均的な高校1,2年生にはまだありません。(私は高校卒業時にもそういうことは英語で言えませんでした。 私がそういうことをかろうじて言えるようになったのは、少なくとも、英語の本を3000ページくらい読んだ後でした。高校卒業時の私は授業で習った構文を使うので精一杯でした。語彙も十分知らなかった。) 高校の先生方は生徒がいろいろな表現ができようになる英語力の基礎を生徒がよくわかる日本語で教えて下さっています。 松本茂氏の言っていることは高校生の学習段階を全く知らない、高校生にできもしない授業です。 こちらのブログの2年B組の生徒の意見を参照してください。  松本茂氏は自分が目立つことばかり考えないで、少しは真剣に子供たちの英語教育を考えて有識者会議の仕事をしてください。24年間も高校生の英語力が上がらないのは教師のせいだと思っていたなど、不勉強も甚だしいです。 24年間も高校の英語教育について研究、勉強もしないで、(高校生の学習段階も知らないで)有識者会議の委員として発言するなど松本茂氏は自分の仕事に対していい加減すぎます。(松本茂氏のご専門は経営学です。 松本茂氏は英語教育を専門的に学んでいません。音声学も英語教育法も学んでいらっしゃいません。松本氏は「英語に慣れるために英語で授業をする」と著書「生徒を変えるコミュニケーション活動」の中で述べていますが、「慣れる」という活動(【定着】させる活動」)は生徒が学んでよく理解した教材のみで行うことが「英語教育の原則」です。 新しいことを学ぶ授業で「慣れる」という活動は出来ません。松本茂氏はそういう英語教育の基本も知りません。これについては「英語で授業」を提唱する有識者会議の座長、上智大学教授吉田研作氏も同様です。吉田研作氏も英語教育の基本を全く知りません。  高校の先生方はこういう英語教育の基本をご存じだから、「日本語で説明しても理解できない生徒がいるのに、どうやって英語で説明するのだ」と有識者会議の方針に抗議していらっしゃるのです。 少しは高校の先生方の正当な意見に耳を傾けてください。) 松本茂氏は英語教育については何も学んでいないのに、誤った方針「英語で授業」を提唱しています。) 高校の先生方が日本語で授業をせざるを得ないのはなぜなのか、その理由を先生方に聞き取り調査するなどして理解する努力をしていたら、松本茂氏は「英語で授業の方針が間違っている」と気づいたはずです。自分は英語教育の基本も知らない、と気づいたはずです。  テレビの仕事のように目立つ仕事ではありませんが、有識者会議の仕事は子供たちの教育にとっては基本となる重要な方針です。「高校の先生は英語で授業が出来ないから」などと、24年も昔の無知な自分の意見に固執せず、もっとまじめに有識者会議の仕事に取り組んでください。                 私のブログを妨害するほど自分の間違いを指摘されるのが嫌だったら、新聞記者にメールを送る前に、新聞で非難される高校の先生方のお気持ちも少しはお考えになってください。自分が目立つためなら平気で他人は傷つけるけれど、自分が傷つくことは、どんな手段を使ってでも妨害するというのは非常に身勝手です。松本茂氏は自分がマスコミで目立つために、何も悪いことをしていない高校の先生方さえ批判するのですね。 先生方は「英語で授業」をしない、と非難されながら、実は松本茂氏の間違った方針からずっと生徒を守って来てくださったのですよ。)      ブログを書いた時は松本茂氏が公開授業をしてくれることになった場合としなかった場合で2つの原稿を書いていました。(ブログ掲載時は、松本茂氏は立教大学教授でいらっしゃいましたが、2021年4月より東京国際大学教授になられたそうです。ブログは2019年時点での肩書で掲載してあります)  公開授業をしてくれることになった場合には授業後の質疑応答の時間でお聞きしたいことをまとめました。  生徒に直接「日本語に訳さず、どうやって理解したのか」質問させてもらいたかったので、最初の10分くらいは生徒数名の出席もお願いするつもりでした。  公開授業ができなかった場合の原稿を書いたときは、松本茂氏の立場にも十分配慮して原稿を書きました。  けれども、ブログ掲載一週間前に、松本氏のブログで、「AERA」(朝日新聞出版)5月13日増大号に、「松本茂氏の大学のことが松本茂氏のコメントと共に掲載されました」と書いてあるのを見て、松本氏の立場に配慮して書いてきた原稿は全部破棄しました。「私が松本氏の立場に配慮などしなくても松本氏はマスコミを使っていくらでも自分の立場を守ることができる人なのだ」とわかりましたので。 それで言いたかったことをそのまま新たに書き直しました。 その結果、最初から数えたら、プリントアウトした用紙は100枚を超えました。      そういえば、松本茂氏は、高校の先生方を間違った根拠に基づいて朝日新聞紙上で非難したことについていまだに謝罪しませんね。 高校の先生方は松本氏に非難されるようなことは何もなさっていません。「政府の決めた委員の言うことを鵜呑みにして、現場での先生方の苦悩については全く取材しないで非難する記事を掲載する」というのはジャーナリズムのあり方として間違っていると思います。それでは政府広報の立ち位置と同じですね。       夫からは「謝罪は典子のいうことではない」といわれました。「典子は「英語で授業は出来ない」という事実の提示だけで充分だ。」といわれました。 でも、私は「典子が言わなかったら誰も言わないよ。 有識者会議の委員という責任あるポジションにいる人が正式に英語で授業が間違っていたと認め先生方に謝罪する必要がある、それをしないからいつまでたっても英語で授業などということが日本で言われるの。英語で授業をすれば生徒がぼろぼろの発音で英語をしゃべるようになることにも気づかないの」といったら、夫はもう何も言いませんでした。

こちらのページで知りましたが、松本茂氏と同様に「半数の高校では英語で授業がまだ行われていない」と高校の先生方を非難していた有識者会議の座長、吉田研作氏は、今年4月からは、上智大学名誉教授、公益財団法人日本英語検定協会会長になられたそうですね.。 「英語で授業」という間違った方針を日本中の高校でやらせて、間違っていると指摘されたら、正しい方針に変える努力もしないで、逃げ出す、というのは非常に無責任な教育者だと思います。英語教育をめちゃくちゃにしておいて「後は知らないよ」ということでしょう。  もし、大学で教えていた間、ずっと「英語で授業」を提唱していらしたのなら、ずっと間違ったことを学生に教えてきたことになります。 無責任です。)



ブログの原稿を書き上げるまで、起きてから3時過ぎまで何も食べられなかったこともありました。(こちらのブログです。 (このブログの後半(赤い字で始まる部分から)はこの時に書いたものではありません。 何か月もたってから加筆したものです。) 原稿を書いた日は朝から家族は出かけていましたので、一人でずっと考えていました。  「英語の思考活動」を説明しなければいけない、とは思うのですが、どう書いていいか最初は全くわかりませんでした。 英語の教科書を読んでいる息子と横でそれをじっと見ている自分の映像が頭の中に浮かんでくるので、多分それが関係しているのだろうとは思うのですが、それが何か、なかなかつかめませんでした。 それで、まず書けるところから書いていきました。 頭の中が充血するようでした。  

この時ではありませんけれど、いつだったかブログを何度も書き直していたときに整体に行ったら、先生がうつ伏せになっている私の背骨に手を当てながら、「ずいぶん頭を使っていらっしゃるんですね」といわれたことがありました。「どうしてですか」とお聞きしたら、「頭を使うと、背骨の一つ一つの骨が上を向いてくるんです」とおっしゃいました。  「そこまでなる人はあまりいませんから、いいことですけどね」といわれました。 でも、あまり疲れてしまうようなときは、お散歩でもした方がいいみたいです。  



昔話の「つるの恩返し」に出てくる鶴が化身した娘は布を織るたびに痩せていきました。 私は鶴のように若くて美しい娘ではないですけれど、ブログを書くたびに体力が消耗するところが「つるの恩返し」みたいだ、といつも思っていました。 それでも、何とかして子供たちを守ってやりたいと思っていました。

12月の終わりから体調が悪くて、何もできませんでした。  しばらく休もうと思ったのですけれど、読書指導をしてくださっている先生方を応援したかったので、今日はこの部分を書き足しました。  先生方がなさっていることは子供たちにとって、とても大事なことです。  本を読むことは決して読解力と関係ないことではありません。  地味で大変な指導ですけれど、子供たちのためにぜひ続けていただきたいと思います。  (2021年2月26日加筆)




これを読解力のテストだといわれて購入した場合、購入した人は表示と違うと感じると思います。
こういうテストを「読解力のテスト」として販売するのは誇大広告であり、不当表示です。 法律に違反しませんか。 消費者による「合理的な選択」を阻害する恐れがあります。  きちんと「テストの設問に答える能力テスト」とするべきです。

この程度のことで「読解力」「読解力」と騒がないでください。 だから新井紀子氏は「燃える太陽」という表現に「宇宙空間には酸素はありませんから太陽は燃えません」などという飛んでもない「読解指導」をするんです。 文学も知らないのに読解読解と騒がないことです。 これは学習塾が得意とするテストのための教材だと思います。

私は文学を学んだこともない新井紀子氏に国語教育に口を出す資格はないと思っています。
新井紀子氏は国語教育を冒とくしていると思っています。
新井紀子氏に読解力の指導をする能力はありません。

新井紀子氏がこのテストを広めたいのは子供たちの為ではないと私は感じています。 なぜならこんなものは子供たちの読解力の向上にはほとんど役に立たないと思うからです。 テストに答える能力の練習にはなるかもしれませんけど、教育はテストの前によく理解させることの方が大事だと考えますので。一体何のためにそんなに熱心にこんなテストを宣伝するのだろう、という疑問を私は持っています。 それは学習塾の仕事ではないですか。


もう10年くらい昔になりますが、「This Present Darkness」という本を読みました。 ずいぶん昔に読んだので細かいことは忘れましたが、本の中で、ある町が邪悪な勢力に乗っ取られていきます。 人々が気づかないうちに大学の学生や警察署の警官が一人、二人、と洗脳されて、やがて町全体が乗っ取られていきます。 乗っ取りは、ひたひたと進行します。 家族を洗脳された人が、それに気づき、命がけで真相を探っていきます。  そして最後は良き人々と邪悪な勢力との戦いになります。 この戦いは人間だけではなく、善悪双方の人間についている霊的存在、わかりやすく言えば天使と悪魔のような存在の間でもはじまります。 2つの戦いは連動していて、最後の場面で良き霊的存在のリーダーがやられてしまいそうになった時人々の祈りが彼に力を与えて勝利します。  

私がこの小説を今も覚えているのは、最後の場面で町を救った天使たちが、「ここの町は救われた。 我々は次の土地に行って仕事をしなければならない」と旅立つ場面がとてもさわやかだったからです。(それともう一つの理由は、皆さんに笑われそうですけれど。。。。 最後の戦いの場面で、それぞれの人がいろんな相手と戦っているのですけれど、娘を洗脳された父親が娘を洗脳した男と戦うことになる場面があるのです。 そこで私は「やっぱり娘に悪いことした男をやっつけるのは父親よねえ。行け! 行け! 娘に悪いことをした男をノックアウトよ!!」と妙に感情移入して読んでしまったので、覚えていました。)

今の日本の教育を見ているとこの物語とよく似ていると思います。 邪悪な下村博文氏が新井紀子氏のような手下を使って、彼らをいろいろなところに配置し、計画をひた隠しにして悪だくみを浸透させ、ひたひたと乗っ取りを進めます。 新井紀子氏のような人は後ろに悪だくみがあることを知りながらそれをおくびにも出さず、人々をそちらに誘導する。 このビデオのように悪だくみに全く気付かれないように「これは子供に役立つものだ」と力説する。 そうやってひたひたと邪悪な勢力による乗っ取りが進行する。 まさに今の日本の教育は「This Present Darkness」だと思います。

新井紀子氏はツイッターのトップに「信頼が崩壊した社会は無駄にコストが高い。name callingはやめませう。」とかいています。name-callingというのは悪口です。

それは下世話な悪口もありますけれど、彼女がこう言うのはひたひた邪悪な勢力を人々の中に浸透させるときに、それに「おかしい」と気づいた人に声を挙げられるとみんなが気づいてしまうから困ると思っているのではないですか? 実際私は朝日小学生新聞に掲載された彼女の「読解力の指導」を「 何の薬にもならない文章」と批判している人のツイッターを読まなければ、新井紀子氏のことを知りませんでした。 何度か名前は聞いたけれど、数学者ですし私とは関係ない分野の人だと思っていました。  たまたま彼女の読解指導を見て、あまりのひどさに怒りが爆発しました。 国語教育を冒とくしていると思いました。 (冒とく: 神聖・尊厳なものをおかしけがすこと。(広辞苑)  いろいろなことを発信して教えてくださる方は貴重だと思います。

私は彼女のひどい「読解指導」を見て、2,3日、あまりよく眠れなかったので、昨日はすごく疲れていました。 そのせいか、昨夜、お布団に入った時、急に「なんで教育には下村博文氏とか新井紀子氏とか悪い人ばかりいるんだろう」と思ったら、ぽろぽろ涙が出てきました。相当疲れていたのでしょうね。 やさしい曲が聞きたくなって、イヤホンでこの曲を聞いていたら、泣いたままねむってしまったみたいで、気が付いたらもう朝になっていました。   「This Present Darkness」の物語ではないですけれど、最後は邪悪な下村博文に先生方が打ち勝つことを祈って私もブログを書いています。

乗っ取りはひたひたと進行します。 特にベネッセのいるところは「利益誘導はない」と新井紀子氏のように言う人がいても、注意を向けていた方がいいと思います。 今も、どんな悪だくみがひたひたと進行しているかわからないと思います。 この先も、第2、第3の「新井紀子氏」が現れて、悪だくみを隠して、何かに国民を誘導する可能性は十分あると思います。 




(1月18日)eポートフォリオのブログを書いたとき、「これは学習塾の市場データを国家に集めさせるものだ」と私は直感しました。新井紀子氏のこのサイトこちらのニュースのページを読んだとき、私には根拠はないけれど、「もしかしたらこうなのではないか」と思ったことがあるので書くことにしました。 おそらく「違う」と当事者は否定すると思います。 否定されたら否定されたでいいです。 本当はそうでないことを望んでいます。 でも心配だから書きます。
このリーディングスキルテストは、多くの学校に参加させてやがて学校教育(公教育)の中に取り入れさせて、その時に営利団体が出てくることになっているのではないですか。 民間試験のGTECと同じことが水面下で計画されているのではないですか。最初は全く営利団体の利益とは関係ない形で行って、学校教育(公教育)に導入させた時に、営利団体が出てくる筋書きなのではないですか。ベネッセとの関係を言われることをあらかじめ想定して準備していたように自信たっぷりにこう言う(妄想とか読解力(定款に対して)とか面白がっているように変な言い方をする)新井紀子氏のコメントがずっと引っかかっていました。彼女はこの筋書きを全部知っている。 その上で、教育関係者に「営利団体は関係ない」と信じ込ませてリーディングスキルテストを広めるのが彼女の役割ではないですか。
 でも一番、変だと思ったのは、私が「新井紀子氏が国語教育を冒とくしている」と書いたとき、「政治家とお金」のことを書いたときのようなきつい妨害が始まったこと。 何か「新井紀子氏の評判を落としてはならない」みたいな妨害する側(政府)の強い意図を感じました。確かに読解力を売り物にする彼女に私が「新井紀子氏は文学も学んでいない」「新井紀子氏の読解指導は国語教育を冒涜するものだ」などと言えば困るでしょう。 でも、それにしても「リーディングスキルテストを勧める彼女の評判をそこまでして政権が守る理由は何なの?と思いました。「彼女を守ることが政治家の利益につながるの?」って思いました。
 
私のブログは政府から激しく妨害されています。 出来れば、ツイッターをお持ちの方は拡散をお願いいたします。 文学さえ学んだことのない人がリーディングテストを分析するだけで、読解力の権威のようなつもりで発言されるのは社会にとって大変危険です。子供たちの国語力の向上の為に地道に時間をかけて努力していらっしゃる国語の先生方の存在は目立たないけれど、高く評価されるべきだと思います。そして結局、そういう努力が一番子供たちの国語力向上に役に立つと思います。

1/17 私のブログには、はてなブログタグ「#下村博文」(このブログの一番下にあります。その文字をクリックするとジャンプできます)というところからのアクセスが毎日「アクセス分析データ」にあったのに、3日くらい前から全然出てこなくなりました。 また政府がなにか操作したのですか? 

(1/16) 私は今日このブログの最後に国語教育を全く専門的に学んでいない新井紀子氏が「文学的文章を理科の事実であげつらう」のは国語教育に対する冒とくだと書きました。 国語教育の専門家は間違ってもそういう指導はしないからです。 ブログアクセスは一桁はこえましたけれど、かなりきつい政府からの妨害を受けています。  新井紀子氏が国語教育について全く専門的に学んでいないと言われると何か困ることがあるのでしょうか。 新井紀子氏の理科の読解力の付け方が、国語教育を冒とくするものだといわれると何か困ることがあるのでしょうか? あるいは困るのはベネッセなのでしょうか?  「テストの分析」=「国語教育」ではありませんよ。
私は中学一年生の時、先生がしてくれた、スタインベックの「赤い小馬」の朝食の描写の説明に驚いて、自分もそういう文章が書けるようになりたいと思って文章を書くことに興味を持ちました。誰に言われたわけでもないけれど、良い文章が書けるようになる努力をしました。 国語教育の道を歩いてきた「本物の国語の先生」のしてくれた授業にはそれだけ子供の心を動かす力がありました。  テストで生徒がどの問題を何割間違えてその原因は何か、とかそんなことばかり調べているのが国語教育ではないですよ。この先生の授業に比べたら、新井紀子氏の国語教育は底の浅い無免許運転の国語教育です。 文学的文章を理科の事実であげつらうなどレベルが低くて目も当てられない。 新井氏ご自身が文学もまともに学んでいないのだから子供を突き動かす力なんかない。 新井紀子氏は国語教育を専門的に学んでいないから、国語指導の材料も空っぽです。何も自分の中に持っていない。 だからこんなレベルの低いことしか言えない。 お粗末な国語指導です。(私はとても国語教育などと言える代物ではないと思っています) 国語の先生方は何もおっしゃらないけれど、内心あきれていらっしゃるのではないですか。 あるいはばかばかしくて反論する気にもならないのかもしれません。 「燃える太陽」という表現に「宇宙空間には酸素はなく、太陽は燃えません」では、この人とまともに文学の話など出来ないと思うのが普通ですね。 しかもご本人は国語教育さえまったく学んでいないのに「読解力の権威」気取りで臆面もなくそれを朝日小学生新聞に書いているのですから、国語教育の専門家からしたら「もう救いようがない」と思うのが当然ですね。       「読解力」「読解力」と騒がなくたってその子の興味に合った良い本に出合えば読書の楽しさを知って本を読むようになります。読解力も上がります。 その子が好きな本を探すのはテストの点を分析するより、ずっとずっと手間がかかって時間がかかって失敗もしますけど。 読む楽しさを知れば、子供はテストの分析で指導されるよりずっとずっと長く本を読むことで読解力もつけていきます。 新井紀子氏のやっていることは国語教育なんかじゃありません。 文学もまともに学んでいない人が生徒の心を動かす国語教育なんかできるわけないじゃないですか。 無資格者の底の浅い無免許運転の国語教育です。 点数上げたい子はよく聞くでしょうけど。 子供の心を突き動かす国語教育に文学さえ学んでいない偽物はいらない。

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こちらは数日前、羽藤由美先生がリツイートしていらした新井紀子氏の文章です。  これを読んで私が感じたことを書きます。 誰がどういう文章を書いても私がとやかく言うことではありませんが、新井紀子氏が「読解力の指導を子供たちにしている」と聞きましたので、私は書くことにしました。 私が疑問を持った部分のみ、朝日小学生新聞(2021年1月8日掲載)から引用させていただきます。


朝日小学生新聞(2021年1月8日)「新井紀子先生のぐんぐんのびる読解力」冒頭の部分より引用

「AIに負けない子どもを育てる」などの本で知られる数学者・新井紀子先生が、教科ごとに読解力のつけ方を教えます。今回は理科。科学の進歩から、振り落とされないための「こつ」を紹介します。


明けましておめでとうございます。初日の出は見ましたか。私は、海岸から見る日の出が好きです。まっすぐに続く水平線が徐々に明るくなり、オレンジ色に燃える太陽がのぼってくる瞬間はわくわくします。
  さて、この第1段落は国語の文章としてはおかしくありません。でも、理科としてみると何か所か間違っています。気づいたかな?
  まず、水平線はまっすぐではありません。地球は丸いので、水平線はゆるやかな曲線を描いています。ただ、地球は私たちにくらべてあまりに巨大なので、まっすぐに見えるのです。「燃える」ためには酸素が必要であることを、6年の理科で習いますね。宇宙空間には酸素はなく、太陽は燃えません。「核融合」という反応中に放出される大量のエネルギーによって、光って見えるのです。そもそも、太陽は「のぼり」ません。北極を上と見たとき、地球が反時計回りに回転しているので、太陽が東からのぼって西に落ちていくように見えるだけなのです。

以上、朝日小学生新聞より引用させていただきました。

「理科の読解力」というのは、科学的文章を読むときの読解力のことでしょう。文学的文章を理科の事実であげつらうことではありません。新井紀子さんは「理科の読解力とは何か」もご存じありませんか。



結論から言うとこういう方に国語教育をされるのは困ります。文学的文章に科学的事実で突込みを入れるような国語教育(?)は本来ありません。 そんな文章は生徒に読ませるだけで害があります。 国語教育をきちんと学ばれた国語の先生方は決してそういうご指導はなさいません。 経歴を拝見すると、 新井紀子氏は国語教育を一切学ばれていません。 そういう教養のなさがこういう時に露呈します。 国語教育の専門家なら絶対に犯さないような基本的な間違いを犯します。 間違った国語教育をすると、国語教育の大事な目的の一つ、生徒の文学的文章を理解・鑑賞する力が失われます。「文学的文章を文学的文章として尊重する」という姿勢を生徒に育てるのも大事な国語教育です。 そういうことが自然にわかるのがきちんと国語教育を学んだ教育者です。 新井紀子氏はきちんと国語教育を学んでください。 「国語教育をきちんと学んでいない」というのは致命的な欠陥です。 指導の根幹に国語教育の基本事項が欠如しているからです。



読書をしてたくさん文章を読んでくると文章には科学的な事実が書いてある科学的文章と、著者の感性や主観から書かれた文学的文章があるということを自然に体得します。 国語教育では指導する文章にいくつかジャンルがあります。  同じジャンルであっても、文学的文章と科学的文章は異なる種類の文章ですので、文学的文章と科学的文章には、それぞれ異なる文章の書き方があり、ことなる評価の仕方があります。 それが混ざりあうことはありません。  ですから、文学的文章に対して科学的事実での批判(「理科としてみると何か所か間違っています」)から始まるこの新井紀子氏の文章には、読み始めた時、私は大変違和感を感じました。  新井氏は読解力の指導をなさっているということですが、もう少し、ご自身が良い文章をたくさん読んでから、子供たちの読解力のご指導をされた方がよいのではないかと思いました。  なぜなら、科学的な文章も文学的な文章もごちゃ混ぜにしたような新井紀子氏の文を読んだ時の違和感が、帰国子女の私の娘に文章を書かせる練習をさせた時に感じた違和感と似ていたからです。 (経歴を見せていただくと、新井紀子氏は海外での学問のご経験も数年おありのようですけれど、成人されてからですから、娘のようにその影響があるわけではないと思います。 けれども「太陽がのぼる」という表現に対して「そもそも太陽は上りません」とか「まっすぐに続く水平線」という表現に対して「水平線はまっすぐではありません」とか「オレンジ色に燃える太陽」という表現に対して「宇宙空間に酸素はありませんから太陽は燃えません」とか「いまどき、文学的文章に対してこんな突込み入れないで。」と思うような、非常に稚拙な文章なのも娘の文によく似ていました。新井氏が子供たちに「この文章は理科として間違っているけれど気づいたかな?」といわれても、文学的文章というのはそんなことに気づきながら読むべき文章ではありません。 「書かれたイメージが浮かんでくるか」とか、文学的文章を読む場合の心構えは、科学的文章を読む場合とはまったく違います。 そういう読み方を訓練するのが文学的文章を読むときの国語教育です。 文学的文章を読んで理科の観点から間違いを探す、などというのは、間違った国語教育です。 いい加減な教え方をしないでください。生徒の国語力に害をもたらします。 こういう教え方は国語教育でせっかく培った子供たちの感性を壊します。   理科教育、国語教育、それぞれにあった教育の仕方があります。 こういう基本的なことも知らない方に国語教育(読解)をされるのは困ります。 子供の中には先生がこういうことをおっしゃると、本当に「科学的事実でないことは書いてはいけないんだ」と思ってしまう子もいるんですよ。  リツイートされた方が「何の薬にもならない文章」と書いていらしたのもそういう理由だと思います。 やはり子供たちに文章の指導(読解力の指導)をなさるのであれば、ご自身がもう少し、書物をお読みになって、良い文章にたくさん触れてからの方がよいと思います。  私は一応、プロの編集者の方にも新井紀子氏の文章を読んでもらいました。 彼女の返事は「川合先生の指摘に全く同感です。 この方は数学者なのに、なんで、読解力の権威みたいになっているのでしょうか。こんな人に何か言わせる前にすることがあるでしょう」とおっしゃっていました。  文学的文章と科学的文章の指導の違いもわからない方に国語指導(読解)を受けるのでは子供たちがかわいそうです。 読解力の指導と称して、文学的文章にこのような突込みを入れるような文章を読まされるのでは子供たちの国語教育としてはマイナス面の方が大きいです。 間違った国語教育はおやめください。  ご自身がもう少し文章の素養を身に着けてから、国語教育のご指導をなさってください。 子供たちのためにその方がよいと思います。 国語教育の基本(文学的文章と科学的文章の指導の仕方が違うこと)を知らない新井紀子氏の間違った国語教育では子供たちは文学を味わう能力を失います。 「国語教育の勉強が足りない」という点で、読解力を指導する教育者として失格です。 経歴を拝見いたしましたが、国語教育に関しては全く学んでいらっしゃいません。

(私自身は英語教育の専門家であり、国語教育の専門家ではありませんが、子供たちが帰国子女で国語力に問題がありましたので、国語教育についてはかなりの時間を割いて学びながら16年間行ってまいりました。 接続詞の説明(こちらのブログ)から読書(こちらのブログ)まで行いました。 ブログには書いてありませんが、娘が高校3年生の夏休みには毎日娘の書いた日本語の文章を直しました。 何を娘にさせたかといいますと、大学入試のための英語長文読解問題集に出ている英文を全文和訳させて、日本語で書かせました。  娘が書いた和訳の文章の文法的な間違いを直し、読み手にとって理解しにくい部分を読みやすいように書き直す練習をさせました。 長文読解の問題集ですから一つの文が関係代名詞や分子構文を使って5,6行になるくらい長い文もありました。 娘は「私は~」で和訳を書き始めて、その文の最後が「海に注いでいました」のような文章になってしまうことがよくありました。「”私は”という主語で始まったら、それに対応する述語で終わらないとおかしいでしょう? 海に注いでいたのはこの人が育った町を流れていた川なんだから、これでは私が注いでいた、みたいになって何のことかわからなくなってしまうでしょう? 日本語の文章を書いたら、主語と述語が必ず対応しているか、確認しなさいね。 一つの文で言えなかったら途中で文を切って、二つの文で書きなさい。 私は、~~。 そして、その川は山間の急流で始まり~~。と書くようにすると、読む人に良くわかるでしょう?」というように教えていきました。 ついでに、漢字の横棒が一つないところや、点がないところなどを直しました。 こんなことは塾の先生には頼めませんので。   最初は随分ひどい文章でしたけれど、40日間毎日書いては直していきましたら、9月には文法的に正しく、相手に理解されやすい文章を書くすべをだいぶ身に着けました。 私は中学生のころ「翻訳家になりたい」という作文を書いたこともあるくらい一時期興味がありました。 ですから、日本語の文章表現を特に注意して学んできました。(私が「文章を書く」ということに興味を持ったのは、こちらのブログに出てくる国語の先生がしてくださった「赤い仔馬」の解説を聞いた時の驚きからかもしれません。 「さりげない描写でこんなことまで表せるんだ」という驚きが、自分もそういう文章を書いてみたい、と思わせ、書くことに興味を持って行ったのかもしれません。実際に、短かったですけれど小説みたいなものを書いたこともありました。)  良い文章を自分の中に蓄積させることについては私は中学時代から「本の世界に逃避するな」と教師に注意されるくらいたくさんの本を読んで良い文章に触れてきました。 高校時代以降は、この先生の影響もあって、いろんな本を読みました。国語の先生方のような専門性の高いご指導は出来ませんが、少しは文章の指導についても学んでいます。それで、国語教育の専門家ではありませんが、私の知っている範囲の国語教育の知識に基づいて書かせていただきました。 そうせざるを得ないほど、新井紀子氏の文章を読んだとき、強烈な違和感を感じました。新井紀子氏の文章(特に前半)はほとんどナンセンスです。(ナンセンス:(広辞苑)無意味なこと。くだらないこと、馬鹿げたこと) とてもまともな文章とは思えません。 国語教育においてこういう文章はありえません。 稚拙でまるで、お笑い番組の掛け合いのようです。 文学的表現を科学的事実で批判するような文章は、読むだけで子供たちの国語力に良くない影響を与えます。(文学的文章を文学的文章として尊重する姿勢を育てることは大事な国語教育です そういうことが自然にわかるのが国語教育者の素養です。) そんなことも知らない人が国語教育をするということが、大変な衝撃でした。 新井紀子氏は国語教育についてきちんと学んでください。国語教育をする人間が国語教育を学んでおくのは当然のことです。 文学的文章を理科の事実であげつらう文章など読んでいるだけで不快です。(私はTOEFLと英検の対照表を見た時、「自分が生きているうちにこんなものを見るとは思わなかった」と思いましたけれど、今回は、自分が生きているうちに、国語教育で文学的文章を理科の事実であげつらう文章など読むとは思いませんでした。 これを「数学者・新井紀子先生が、教科ごと(理科)に読解力の付け方を教えます。」(前出「朝日小学生新聞」)などと書いてあると「もう、やめて下さい」という感じです。) 上に書いたプロの編集者の方が「新井紀子さんが国語教育を学んでいないのに堂々と読解力について語ってしまう度胸は無知と想像力の欠如からくるのではないでしょうか。」とおっしゃっていました。 国語教育と称して新井紀子氏は本気でこんなものを書いているのでしょうか。こんなもの、国語教育を冒とくするものです。 考えれば考えるほど怒りがこみあげてきて昨夜は眠れませんでした。


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私は時々、神様のすることはすごいな、と思うことがあります。 どんなに頭の良い人でも、すべての要素を考慮して、タイミングを合わせることは出来ないけれど、神様はそのタイミングでさえ、最もふさわしい時に完璧に合わせて行うことができる、すごいな、と思うことがあります。

私はあまり体調がよくなかったこともあって、3月5日にブログに加筆した後、もうこの件はおしまいにして、私は少し休養しようと思いました。 たとえ新井紀子氏がテストを売ることを止めなくてももう体がしんどいのでこれ以上私には何も出来ないと思いました。3月18日に思いついたことを軽く加筆しましたけど、気持ちは完全にお休みモードに入っていました。 とにかくもう、疲れてしまいました。

ところが、そうやって休養していた3月25日の朝、起きた時、突然、「今日はExtra Help のことを書くのよ」と頭の中に浮かんできました。 2006年に帰国してからExtra Help のことなど一度も考えたことはありませんでした。わからないところを先生に質問に行くなど、当たり前のことで深く考えたことなど一度もありませんでした。  なのに、3月25日の朝起きた時、突然「今日はExtra Help のことを書くのよ」と頭の中に浮かんできました。  「えっ !? Extra Help? なんで?」そう思って、少し考えてみたら、「そういえば、あれは教科書を読むだけでは理解できないことがある一番いい例ね。」と思いました。 それで、Extra Help のことを書きました。 前の日まで、Extra Help のことなんか、思い出すことさえありませんでした。

結局これが、彼女の主張を否定する根拠になって新井紀子氏はもう「教科書の読解力が人生を左右する」とは言えなくなりました。 



それから、新井紀子氏とベネッセがつながっていたことは「皆さんのブログを読んだ反応」が教えてくれました。

私は新井氏の本「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」は「教科書がすらすら読める(読めない)」のデータを見るためもあって、244ページまでは気にかかった言葉には横線を引き、特に気になった箇所には付箋を貼り何が気になったかを書き入れ、疑問点は鉛筆で書き込み、一字一句見逃さないよう気を付けて読みました。どこに教科書を実際に生徒に音読させたデータがあるか、見逃してはならないと思ったからです。 だからブログを直していたとき、「そういえば、新井紀子氏は日本数学会の何か委員をやっていたのよね。」と思いだしました。 それで、日本数学会の教育委員長が国語教育に手を出して詐欺やっていていいんですか。」と、とりあえず、ブログに書き足して、そのあと、庭でビワの袋掛けをやっていました。 

袋掛けは4月からやっていましたが、足が痛くなるので毎日少ししかできなくてずいぶん遅れてしまいました。それで、その日は少し急いでやりました。  30分くらいして足が痛くなったので、家に入って休んだ後、もう一度ブログを見たら、30分前に加筆したときの2倍にアクセスがふえていました。(去年の2月から恒常的にブログは妨害されていましたから、珍しいほど高いアクセス数でした。) 新井紀子氏が「日本数学会の教育委員長でありながら、詐欺をした」というのはそれだけインパクトのあることなのだ、と読者の皆さんに逆に教えられました。 実はそのことは最初はブログトップではなくずいぶん下の方に書き足しましたが、一応新たな加筆なのでブログトップに持ってきただけでした。 でもこんなにインパクトのあることだとわかったので、そのことが書いてあった本の箇所をもう一度読んで見ました。 そうしたら、新井氏が日本数学会の教育委員長として行った大学生数学基本調査にベネッセも協力していたことがわかりました。 つまりベネッセと新井紀子氏の具体的なつながりが本の記述で確認できました。  

私はこのブログを書き始めたころは自分が知っている事実をつなぎ合わせて、ベネッセ、下村博文新井紀子のつながりに気づきましたが、付箋を貼ったところを読んで、本当に新井紀子氏とベネッセがかかわっていた事実が確認できました。 新井紀子氏とベネッセは日本数学会が行った大学生数学基本調査でつながっていました。 皆さんの反応の大きさが私に、ベネッセと新井紀子氏がつながっていた事実を確認させてくれました。

私はブログを書くとき、考えて、考えて、書くことが多いですが(特に英語教育、発音指導について)、こうやって、きのうまで全然考えてもいなかったことが朝起きた時、突然頭に浮かんできて書くこともたまにあります。 こちらのブログもそうですね。   そういう時は神様のタイミングというのは、すごいな、と思います。 どんなに頭のいい人間が考えても出来ないほど、完璧なタイミングですね。 Extra Help のことは朝、起きた時に突然頭の中に浮かんできたことでしたし、新井紀子氏が日本数学会の教育委員長だと書いたときの皆さんの反応が、ベネッセと新井紀子氏が実際に日本数学会の大学生数学基本調査でつながっていた、という事実を教えてくれました。 神様のタイミングというのは人間がどんなに考えても出来ないくらい完璧なんだなあ、と思いました。(6/23 ついでですから書きますけれど、こうやって非常にインパクトがあることを書いたときは、一気にアクセスが上がるのですけれど、2時間くらいするとピタッとアクセスは止まります。(このビワの袋掛けをした日もそうでした。この日はもっと早くて、2倍になった30分で止まりました)そしてそれから夜中の12時にその日が終わるまで、2,3個しかアクセスは増えません。まるで、それに気づいた誰かが「川合典子がこんなことを書いているからアクセスを止めて」と政府に連絡したのではないかと思うほどピタっと止まります。いつもそうです。そして翌日からまた、きつい妨害が始まります。新井氏のことを書くようになってからいつもそうでした。  何回も何回もこういうことをされていると、「世間に対してはあんなにご立派なことをおっしゃっているのですから、もう少しご自分も自立されたらいかがですか」と思ってしまいます。  新井氏は権力者に守ってもらわないと一瞬も一人でいられないのかと思ってしまうほどでした。私は今まで何人かの大学教授にいくつかのことを指摘してきましたが、こんなに瞬時に、こんなに何回も政府(下村博文?)に頼るのは新井紀子氏が初めてでした。 他の方と比べて新井氏は「教授」としてのキャリアが少ないのでしょうか。一瞬も一人で対処できないの?と思うほどでした。(私は津田塾大学で女性の教授の講義はいくつも受けました。先生方は見た目は穏やかですけれども、内に強いものをもっていらっしゃるのがわかりました。女性が学問をすること自体、非常に難しかった時代に教授にまでなられた先生方ですから、学問に対する情熱が半端でないことはすぐにわかります。 どの先生も静かでありながらゆるぎない自信と強さと圧倒的な存在感がありました。 学生の私には先生がそこにいらっしゃるだけで、周りの空気まで違って見えました。 教える内容についての知識や経験、研究の深さはもちろんですけれど、自分自身の言動に対する強い責任感と自信、それが突出しているのではなく、先生方の人生の中で当たり前のことになっているすごさを感じました。 私は先生方をとても尊敬していました。    金儲けのために学んでもいない国語教育に手を出して詐欺までする新井紀子とは全然違います。(比べること自体、先生方に失礼ですね。)    ですからすぐに人に頼る新井氏を見ていると彼女が教授だ、というのが信じられませんでした。何か言われるとすぐに他人に頼る教授なんているの?と思いました。