川合典子 ブログ

英語教育、英語学習、発音習得、帰国子女の言語習得について書いています。

発音練習を続けるためにはどうしたらよいか。(2)

7月10日の続きです。

では何によって充実感を感じていたかと言えば、「丁寧に勉強した」と言うことが私に大きな満足感をもたらしました。Read the book. こんな文でもRead の d と the のつなぎ目をそっくりに言えるようにじっと聞きました。ヘッドフォンを通すと、舌が歯茎に当たるときの小さな音も聞こえてきました。それをじっと聞いていると、口に中で起こっている舌の動きが見えてくるようでした。

その教材は一つ一つ文章を同じにいえるようになった後、一つのレッスンにある15,6行の文章を鏡のようにぴったりお手本と一緒に言う練習をやるようになっていました。(私がやっている同時音読はこのときのやり方です。) 一つ一つの文は正しい発音で言えても、最後15行の文章をぴったり同じに言おうとすると次の文に入るところが少し早かったり、少し遅れたりというところが出てきました。

中学生だったので、「ぴったり同じに言いましょう」と解説書に書いてあったので、こういうところもぴったり同じに、次の文に、はいれなくてはいけないのだと思い、発音はできているのに、15行全部の文がお手本と同じタイミングではいれるようにも練習しました。

結構それがなかなか同じに、はいれなくて、入るタイミングのためだけに何回も15行全体をやり直しました。 中学生ながら、こんなところを練習して、発音に何の関係があるのだろうとは思いました。 でも今思うと、そうやっている間に、できるようになった発音がさらに定着していったのだろうと思います。

私の体験の中にはそのとき意義がわからなくても、後になって、そのおかげで今こういう発音になれたのだなあと思うことが結構たくさんあります。 私はそういうことを踏まえて、生徒さんにいろいろなアドバイスをしています。 このアドバイスは本の中でも、DVDの中でも、発音のヒントの中でも、このブログでも、全部公開しています。

そうやって、自分が勉強しなくてはいけないと思っていることを丁寧に一つ一つ練習していくと、2時間の練習が終わったとき、たとえ、その日は上手にならなくても私は大きな充実感を感じました。一人で勉強していたので、誰に評価してもらうこともなかったですから、できないから注意を受けることもありませんでした。ただ自分自身の心で感じる満足でした。

だから、自分でできないとわかっていながら、あまりちゃんとそこを練習しなかったときは、テープレコーダーをしまいながら、ちょっと後ろめたくて、「明日もう一度、あそこの発音を練習しよう。」などと思いました。上手になったかどうかなどは、ほとんど考えたことはなかったです。英語は、中学生になるまでほとんど聞いたことはなかったですから、すぐにできるわけではないと思っていました。

では上手になったかならないかはどうでもよかったのかと言うとそうではなくて、上手になることは私にとって「解説書にそう書いてあるのだから、決まっていることだった」のです。この練習を続ければ、テープのアメリカ人と同じ発音になると決まっているのだから、上手になったかどうかは気にする必要はなかったのです。 そうなるためには、その教材を丁寧に練習すればいい。私がしなければいけないのは「丁寧に練習する」、それだけだったのです。(2年後文章は正しい発音でいえるようになりました。 音質については、それから22年後に知ることになりましたが。。。。)

その勉強方法で、必ず、正しい発音が習得できる。そう自分が信じられる方法で発音を習得するのはもっとも大事なことだと思います。そうすると、そのレールの上にのって、練習さえすれば、正しい発音で話せるようになると信じているわけですから、上手になったかどうか気にすることなく練習に没頭できます。余計な心配に心を煩わすこともなくなります。

そういう意味ではいろいろな勉強方法をとっかえひっかえやっている人の心の中には焦燥感があるのだろうなと思います。 焦燥感を持って発音練習していても、今まで聞こえなかった音が聞こえる。今までできなかった音が出せるようになる、こういう経験はできないです。 心が落ち着かないと、新しいものは見えて来ないのです。 発音が上手になる道が見えてくるのは自分が腰を落ち着けて練習に取り組んでいるときだけです。 早くやろうと、あせって、急いで練習しても、何も見えてきません。 腰を落ち着けて音と向き合うと、発音が上手になる道が見えてきます。

この続きは明日書きます。




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高校入試で子供たちが親の収入によって差別されない為に以下のお知らせを書かせていただきます。

高校入試のスピーキングテストについて(大学入試のスピーキングテストについても同様です)

高校入試のスピーキングテストは本来文部科学省が学校教育で正しい発音を生徒に教えてから行うべきものです。  しかし、文部科学省が教科書にCDもつけず、正しい発音の仕方も学校で教えないまま、高校入試でスピーキングテストを実施する動きが都立高校などで始まっています。 (大学入試でもスピーキングテストが行われようとしています)  これは、スピーキングスキルの習得を塾や予備校、会話学校に丸投げするものです。  学校で教えていないスキルを入試でテストすることはあり得ません。

これでは経済的に余裕のない、塾や会話学校にいけない家庭の子供は誰にも正しい発音を教えてもらえず、練習するCD(音声モデル)も与えられないまま、高校入試でスピーキングテストをされることになり、明らかに親の収入による進路の差別が始まります。(詳しくは2018年3月8日のブログ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」をお読みください。)

皆さんの身近に教育関係者がいらっしゃいましたら、ぜひ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」であることをお伝えください。  (大学入試のスピーキングテストについても同じことです)  
15歳で親の収入のために進路を差別されるのでは子供たちがあまりにもかわいそうです。

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英語教育については、下のブログも併せてご参照ください。  日付をクリックすると移動できます。
2017年10月12日
文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない(子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き)




高校英語教育を文部科学省の誤解に基づいた方針から守るため、以下のご案内を書かせていただきます。

現在文部科学省が「グローバル化に対応した英語教育改革」の目玉として掲げているCAN-DO方式は、ヨーロッパの人々にはできますが、日本語を母国語とする人にはできない方式です。

文部科学省は「CAN-DO方式が日本人には不可能な方式である」と気づいておりません。  導入されれば教育現場は大変迷惑します。  中止する必要があります。  なぜCAN-DO方式が不可能なのかはこちらのブログをお読みください。

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何度もお願いをしているのですが、アマゾンのページで私の本のランキングを下げて妨害をしている人がやめてくれないので、(詳細はこちらです)しばらく以下の文章を掲載させていただくことにしました。

「本を出版する人は、他の著者の妨害をしない。  他の著者を妨害する人は自分の本も出版できない。」
出版社におかれましては、このことを出版の際、著者に理解していただいてください。

私のランキングを妨害している人は、たぶん、現実を受け入れられないのでしょう。
アマゾンの順位を1ペ―ジ目から2ページ目に下げられ、数日でまた2ページ目から3ページ目に下げられて、私は、この方の激しい妨害に驚いています。 

「学習者に正しい発音を習得してほしい」というのが自分の目標でしたら、他人を妨害する必要はありませんね。  他人を妨害してまで、何を手に入れたいのでしょうか。  ベストセラーの著者という名声ですか。  それなら、もうアマゾンで、ご自身の本はベストセラーに認定されているのですから、それで十分でしょう。  この上何が欲しくて私を妨害するのでしょうか?  もう英語教育とは関係ないことですか。 私は、とても困っています。  

私は、こちらに書いてある3つのことをするのが、目的です。  日本人が子音の日本語化を知っているか、いないかで、通じる英語で話せるか話せないかが、決まります。  ですから、このことを読者の皆さんに理解していただくのは、とても大事なことなのです。  私の仕事の妨害をしないでください。 

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クマさん、ウサギさん、ブタさん、それぞれが持っている旗に書かれたことの理由は、2017年7月30日のブログをご覧になるとわかります。