川合典子 ブログ

英語教育、英語学習、発音習得、帰国子女の言語習得について書いています。

教育原理の授業

津田塾大学在籍中、教師になる学生は教育原理が必修科目でしたので、私も履修しました。  教えてくださったのは伊勢田耀子先生でした。  

一番最初の授業で、「教育」の「教」と言う漢字の成り立ちを説明されて、教育のもともとの意味は「弱い子を抱き取って育てること」と説明されました。

いろいろなことを教えていただきましたが、私が一番心に残っているのは教育そのもののことではなくある時代背景を説明するために先生がおっしゃった出来事でした。

何時代だったかは忘れてしまいましたが、江戸時代よりもっともっと前の時代に、為政者が非常に厳しく農民を統治していた、その例として次のようなお話をされました。

当時農民の娘は髪の毛をわらしべで結わえていたそうです。  そのうち赤い布切れで、髪を結わく娘が現れてきて、それがだんだん農民の娘の間に広がって行ったそうです。  そうしたら、為政者から「もとゆいは、わらしべにすべし」と言う御触れが出て、赤い布切れで、髪の毛を結わくことは禁止されたそうです。

この講義を聞いたのが、20歳くらいのときでしたので、私は、少なからずショックを受けました。  社会経験の少ない20歳の私にもその心情が分かる非常に具体的な個人の行動の制限でした。  農民の作ったお米を年貢として取り上げておきながら、髪の毛を結わく紐一つまで、自由にさせないという、なんという身勝手なやり方だろうと思いました。  

当時テレビで時代劇をやっていましたから厳しい年貢の取立てに苦しむ農民の姿は知っていましたし、歴史の授業で為政者の農民を人とも思わぬ支配のしかたを勉強することもありましたけれど、髪の毛を結わく紐一つまで自由にさせないという非常に具体的な話に、何かとてもショックを受けました。

今はシュシュと言うのがあって、それで女性は髪を束ねています。  きれいな色で、きらきら光るビーズがついていたりします。  私も夏になるとシュシュで髪の毛を束ねますが、そのシュシュを見るたびに、「元結いはわらしべにすべし」と言うこの時の授業を思い出します。

「おしゃれをする」と言うのは、ある意味、自己主張ですね。  支配層は、その芽さえも、摘んでおきたかったのでしょう。

伊勢田先生は、戦前、戦中、戦後を生きてこられたので、授業中のお話の中に歴史の生き証人みたいなところを感じる時もありました。  

戦前、女学校で、全校で縫い物の大会(たぶん浴衣を縫う速さを競う大会だったと思います)があったとき、先生はその準備をしながら「学問がしたいなあ」といつも思っていらしたというお話。  日本国憲法が発布された時のこと。  暑い日だったのに、戦後間もなくの物資がない時期で、お友達のお父様が、冬のモーニングを着て、汗を顔ににじませながら、そのお役目を果たされていたという思い出。  はたまた、ちょうどそのとき総選挙があって、立候補していた現職の衆議院議員さん(大変有名な国会議員さんでした)が、「体育だけで入れる学校があってもいいではないか」と駅で演説していたのを学校に来る途中お聞きになった先生は壇上で、「教育とはそういう問題ではありません」とおっしゃって、学生が笑ってしまったこともありました。

私は伊勢田先生の声が好きでした。  先生の声は声楽で歌うような声ではありませんでした。  舞台でお芝居をする人の声のようでした。  落ち着いて重さがあり、渋く、つやがある。  そういう声でした。  授業の内容も興味がありましたけれど、大きな特別教室(数学の先生になる学生も英語の先生になる学生も社会科の先生になる学生も必修ですから、たくさんの学生が履修していました。)に響く先生の声を私はよくじっと聞いていました。  説得力のある声でした。


* * 英語学習に役立つ過去のブログはこちらを御覧ください。http://d.hatena.ne.jp/creato-k/20110531 * *

「続・英語発音、日本人でもここまで出来ます」出版以降のブログは最後の方にまとめてあります。 そちらの(8)では「英語で考える」は「英語がよく知っている言語として定着している上級者」ができることであり、初級、中級の学習者はできないということを帰国子女の英語習得の実際を明らかにしながら、説明しています。

これはとても重要なことですので、「英語で考える」は初級の学習者にとっては全く機能しない方法であることを今後、重点的に皆様に、説明して行きたいと考えています。  まず、来週は「英語で考える」は英語学習の到達点(ゴール)であり、出発点ではありません」という題でお話したいと思っています。




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高校入試で子供たちが親の収入によって差別されない為に以下のお知らせを書かせていただきます。

高校入試のスピーキングテストについて(大学入試のスピーキングテストについても同様です)

高校入試のスピーキングテストは本来文部科学省が学校教育で正しい発音を生徒に教えてから行うべきものです。  しかし、文部科学省が教科書にCDもつけず、正しい発音の仕方も学校で教えないまま、高校入試でスピーキングテストを実施する動きが都立高校などで始まっています。 (大学入試でもスピーキングテストが行われようとしています)  これは、スピーキングスキルの習得を塾や予備校、会話学校に丸投げするものです。  学校で教えていないスキルを入試でテストすることはあり得ません。

これでは経済的に余裕のない、塾や会話学校にいけない家庭の子供は誰にも正しい発音を教えてもらえず、練習するCD(音声モデル)も与えられないまま、高校入試でスピーキングテストをされることになり、明らかに親の収入による進路の差別が始まります。(詳しくは2018年3月8日のブログ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」をお読みください。)

皆さんの身近に教育関係者がいらっしゃいましたら、ぜひ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」であることをお伝えください。  (大学入試のスピーキングテストについても同じことです)  
15歳で親の収入のために進路を差別されるのでは子供たちがあまりにもかわいそうです。

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英語教育については、下のブログも併せてご参照ください。  日付をクリックすると移動できます。
2017年10月12日
文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない(子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き)




高校英語教育を文部科学省の誤解に基づいた方針から守るため、以下のご案内を書かせていただきます。

現在文部科学省が「グローバル化に対応した英語教育改革」の目玉として掲げているCAN-DO方式は、ヨーロッパの人々にはできますが、日本語を母国語とする人にはできない方式です。

文部科学省は「CAN-DO方式が日本人には不可能な方式である」と気づいておりません。  導入されれば教育現場は大変迷惑します。  中止する必要があります。  なぜCAN-DO方式が不可能なのかはこちらのブログをお読みください。

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何度もお願いをしているのですが、アマゾンのページで私の本のランキングを下げて妨害をしている人がやめてくれないので、(詳細はこちらです)しばらく以下の文章を掲載させていただくことにしました。

「本を出版する人は、他の著者の妨害をしない。  他の著者を妨害する人は自分の本も出版できない。」
出版社におかれましては、このことを出版の際、著者に理解していただいてください。

私のランキングを妨害している人は、たぶん、現実を受け入れられないのでしょう。
アマゾンの順位を1ペ―ジ目から2ページ目に下げられ、数日でまた2ページ目から3ページ目に下げられて、私は、この方の激しい妨害に驚いています。 

「学習者に正しい発音を習得してほしい」というのが自分の目標でしたら、他人を妨害する必要はありませんね。  他人を妨害してまで、何を手に入れたいのでしょうか。  ベストセラーの著者という名声ですか。  それなら、もうアマゾンで、ご自身の本はベストセラーに認定されているのですから、それで十分でしょう。  この上何が欲しくて私を妨害するのでしょうか?  もう英語教育とは関係ないことですか。  私はとても困っています。  

私は、こちらに書いてある3つのことをするのが、目的です。  日本人が子音の日本語化を知っているか、いないかで、通じる英語で話せるか話せないかが、決まります。  ですから、このことを読者の皆さんに理解していただくのは、とても大事なことなのです。  私の仕事の妨害をしないでください。 

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クマさん、ウサギさん、ブタさん、それぞれが持っている旗に書かれたことの理由は、2017年7月30日のブログをご覧になるとわかります。