15日のブログ「あんたがたどこさ(1)」の続きです。
それから何年もたって、私は結婚して子供が生まれました。 子供たちは小さい頃ちょっと健康上の問題があったので、私は無農薬の食材を宅配してくれる会社の会員になり、そこから食材を買っていました。 その会社ではお米も無農薬のものを宅配してくれました。 生産者の方たちもいろいろな工夫をして、農薬を使わない農法を研究していらっしゃいました。
あるとき、その一つとして、田んぼにマガモだったか、なんの鳥だったか正確には覚えていませんが、鳥を放して、雑草(あるいは害虫?)を食べてもらう農法が試みられました。 そしてお米の収穫が終わったあと、そのマガモの肉が、販売されました。
そうしたら、宅配を登録している会員のなかから「せっかく働いてくれたマガモの肉を食べるなんてかわいそうじゃないか」という声が上がりました。 毎週の注文書のカタログの最後に会員の意見が載るページが有って、そこに、いろいろな人がこのことについて、自分の意見を投稿されていました。 そのなかで、こういう意見を述べていた方がいました。
小さい頃、祖母から、「人間はね、他の生き物の命を奪って、それを食べて生きていくしかないんだから、食べ物は大事にしなくちゃいけないよ」と教わりました。 このマガモの例も、その一つだと思います。
この投稿をきっかけに、この議論は終わりました。 みんなが納得したのだと思います。
この投稿を読んだ時、私は、18年前あんたがたどこさを英訳した英会話の授業を思い出しました。 あの時は下を向いてしまいましたけれど、わらべ歌は単純な表現の中に、人間の姿を描いていたんですね。
人間は食べるために他の生き物の命を奪わないと生きていけない。 だから食べ物は大切に食べなければいけないんですね。 あの時は下を向いてしまいましたけれど、それが人間の姿だったわけですね。
私は自分の本の中に読書用の本をリストしています。 その中にMagic Tree House という本があります。 その第7巻、Sunset of the Sabertooth の中で、氷河時代の人が動物をわなにかけて取って食べていた、とジャックが説明すると、アニーがかわいそうだと言う場面があります。 それを聞いて兄のジャックは「そうじゃなくて、この時代の人はそうやって動物をとらないと生きていけなかったんだよ。 お店なんかなかったんだから」と説明します。
私はMagic Tree Houseのシリーズを英語を習いにいらした方の最初の読書の教材として渡します。 英語がやさしくて内容が面白いということが一番の理由ですが、著者の子供に対する優しい視点を感じるからでもあります。
同じようなことは第6巻Afternoon on the Amazonの65ページを読んだ時にも感じました。
私は初級の方でも、「英語学習のために書かれたものではなく、作家が書いたお話を読んでください。」と皆さんに言っています。 作家は自分の作品のクオリティをとても大事にします。 作品に言いたいこともこめられています。 そういうものを英語で読んで感じてほしいと思います。
子供用の本であっても考えさせられることも多いですし、感動もあります。 挿絵もきれいです。 作家がそれだけの思いを込めて書いたものだからです。 やさしい英語であってもそういう良い作品をえらんで読んでいただきたいと思います。
いつもクオリティの高いものに接してきた人は、感性も質の高いものを自然と好むようになります。
良い本にめぐり合うと、英文読書は新しい段階に入ります。 勉強のためではなく内容に興味があるから読む、読みたいから読む、と言う読書が始まります。 自分の内的欲求と英語がつながってきます。
私は語学学習にはこの読む側の状態というのがとても大事だと思っています。 なぜなら、ニュージャージーで子供たちの英語習得を観察していて、「日本で英語を勉強した私と母国語として英語を使っている生徒たちと一緒に学んでいる私の子供たちとの一番の違いはここにある」と私は感じたからでした。 言語はそういう状態で学ぶと単にお勉強で学ぶのとは違う段階に入ります。 私はなるべく早い段階で、生徒さんにこの状態に入っていただきたいので、最初から英語の本をお渡しします。
こういう状態で英語を学ぶと、ちょっと大げさな言い方になりますが、、英語が自分の血となり肉となる言語に変わります。 そして、もともと言語というのは人間にとってそういうものだと思います。 自分の中にあるものを表現し、誰かの中にあるものを受け取って理解する、言語はそれをするために使われますね。
やさしい英語でしか読書の出来ない段階でも、作家の書いた良い本を探して読んでください。 良い本にめぐりあうと言葉が自分の内面とつながります。 自分の血となり、肉となる英語が身に付きます。
日本語でも良い本に出会うと、本に対する子供のかかわり方が変わります。 本がその子の心の中に入っていきます。
これについての私の経験はこちらに書いてあります。http://d.hatena.ne.jp/creato-k/20110705 http://d.hatena.ne.jp/creato-k/20110713 http://d.hatena.ne.jp/creato-k/20110720 これは帰国子女の日本語習得ですけれども興味のある方はお読みください。 この頃は私も若かったですから、どうしたらいいかわからないことも手探りで一生懸命やってみました。
なお、私が初級の最初から本を読むことを重要視する理由は6月1日http://d.hatena.ne.jp/creato-k/20130601、6月3日http://d.hatena.ne.jp/creato-k/20130603のブログをご覧ください。
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高校入試で子供たちが親の収入によって差別されない為に以下のお知らせを書かせていただきます。
高校入試のスピーキングテストについて(大学入試のスピーキングテストについても同様です)
高校入試のスピーキングテストは本来文部科学省が学校教育で正しい発音を生徒に教えてから行うべきものです。 しかし、文部科学省が教科書にCDもつけず、正しい発音の仕方も学校で教えないまま、高校入試でスピーキングテストを実施する動きが都立高校などで始まっています。 (大学入試でもスピーキングテストが行われようとしています) これは、スピーキングスキルの習得を塾や予備校、会話学校に丸投げするものです。 学校で教えていないスキルを入試でテストすることはあり得ません。
これでは経済的に余裕のない、塾や会話学校にいけない家庭の子供は誰にも正しい発音を教えてもらえず、練習するCD(音声モデル)も与えられないまま、高校入試でスピーキングテストをされることになり、明らかに親の収入による進路の差別が始まります。(詳しくは2018年3月8日のブログ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」をお読みください。)
皆さんの身近に教育関係者がいらっしゃいましたら、ぜひ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」であることをお伝えください。 (大学入試のスピーキングテストについても同じことです)
15歳で親の収入のために進路を差別されるのでは子供たちがあまりにもかわいそうです。
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英語教育については、下のブログも併せてご参照ください。 日付をクリックすると移動できます。
2017年10月12日
文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない(子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き)
高校英語教育を文部科学省の誤解に基づいた方針から守るため、以下のご案内を書かせていただきます。
現在文部科学省が「グローバル化に対応した英語教育改革」の目玉として掲げているCAN-DO方式は、ヨーロッパの人々にはできますが、日本語を母国語とする人にはできない方式です。
文部科学省は「CAN-DO方式が日本人には不可能な方式である」と気づいておりません。 導入されれば教育現場は大変迷惑します。 中止する必要があります。 なぜCAN-DO方式が不可能なのかはこちらのブログをお読みください。
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何度もお願いをしているのですが、アマゾンのページで私の本のランキングを下げて妨害をしている人がやめてくれないので、(詳細はこちらです)しばらく以下の文章を掲載させていただくことにしました。
「本を出版する人は、他の著者の妨害をしない。 他の著者を妨害する人は自分の本も出版できない。」
出版社におかれましては、このことを出版の際、著者に理解していただいてください。
私のランキングを妨害している人は、たぶん、現実を受け入れられないのでしょう。
アマゾンの順位を1ペ―ジ目から2ページ目に下げられ、数日でまた2ページ目から3ページ目に下げられて、私は、この方の激しい妨害に驚いています。
「学習者に正しい発音を習得してほしい」というのが自分の目標でしたら、他人を妨害する必要はありませんね。 他人を妨害してまで、何を手に入れたいのでしょうか。 ベストセラーの著者という名声ですか。 それなら、もうアマゾンで、ご自身の本はベストセラーに認定されているのですから、それで十分でしょう。 この上何が欲しくて私を妨害するのでしょうか? もう英語教育とは関係ないことですか。 私はとても困っています。
私は、こちらに書いてある3つのことをするのが、目的です。 日本人が子音の日本語化を知っているか、いないかで、通じる英語で話せるか話せないかが、決まります。 ですから、このことを読者の皆さんに理解していただくのは、とても大事なことなのです。 私の仕事の妨害をしないでください。
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クマさん、ウサギさん、ブタさん、それぞれが持っている旗に書かれたことの理由は、2017年7月30日のブログをご覧になるとわかります。