川合典子 ブログ

英語教育、英語学習、発音習得、帰国子女の言語習得について書いています。

わが子の英語力を上げたかったら、文部科学省がどのような方針を打ち出そうと、中学、高校の英語は日本語で学習させる。(最終回)日本語訳がなければ、英語は生徒の意識に入らない。

私は先回のブログで「学習の終わった英文を発音練習してください」と述べました。  意味も分からない文章を発音練習しても英語の実力は付きません。  

私は4月13日のブログで、母国語は時には皮膚感覚まで含むほど深く人間の意識の中に入っていると申し上げました。

ここで、小学校で、夏の間、子供たちが泳ぐプールを思い浮かべてください。  水がいっぱいに張ってあるプールをこれから英語を学ぶ中学生の「意識」だと仮定します。  そこに母国語の言葉を入れると、言葉はまるで、金属の小さなボールのように「意識」のプールの底まで沈んでいきます。  母国語は、体に深く入って行きます。

では、これから習う英語の言葉を入れていくとします。  中学1年生に英語を聞かせても、彼らは言葉の意味を知りませんので、意識の中には入りません。  英語の言葉は、中が空洞のボールのように「意識」のプールにふわふわ漂うだけです。   

例えば英語でLungと聞いても、子供たちの反応は「?」です。

けれどもここで「Lungというのは肺のことなのよ」と教えてあげると、母国語によって、子供たちの意識は動き始めます。  まず、プールの底に沈んでいた、「肺」という母国語のボールが、Lungという外国語のボールにくっつきます。  Lungのボールは、「肺」のボールのおもりに引っ張られて意識の中に沈んでいきます。

そして、生徒が、練習を繰り返すと「肺」と「Lung」2つのボールは、中身を共有するようになります。  母国語と外国語、2つのボールは、意味を共有するようになるのです。  これが、生徒がLungという言葉を日本語で理解した状態です。  

母国語で意味を言われることにより、子供たちにとって、何のことだかわからなかったLungという外国語が、意味を持って意識の中に入る、ということです。  この母国語の意味がなかったら、Lung という外国語は水面に浮いたままです。  知らない言葉を「意味を持って意識の中に沈める」それが、母国語の役割です。  

私は13日のブログで、息子は渡米した年に学んだ化学の授業でやったことは何も覚えていなかった、と言いました。  あの頃息子は毎日必死に教科書を和訳して勉強していましたが、洪水のような大量の英語に和訳は付けるだけで精一杯だったのでしょう。

けれども辛抱強く和訳して、英語に母国語のボールを丹念につけ続けることによって、2年後、息子は自分の周りにある英語のほとんどが、母国語の意味と共に心の底に沈んだのを感じたと思います。  意識のプールの水面にふわふわ浮いていた、大量の英語の言葉が母国語の作用によって、すべて、プールの底に沈んで、母国語と意味を共有した時、息子にとって英語はよく理解できる言葉に変わりました。

しかし、ここで英語学習は終わりではありません。 日本語の意味=英語の意味 ではありませんので、今度は英語のボールは、一人で、英語独自の意味を獲得していかなければなりません。  この段階に来たとき、大量の英語のインプットが必要になります。  これが始まると、英語の導入を助けた母国語のボールは、自らを英語のボールから切り離して、消えていきます。  この段階が、バイリンガルの完成です。


日本人の英語力が伸びなかったのは、最初に英語のボールと母国語のボールが意味を共有したからではありません。  日本語を切り離した英語のボールが、英語独自の意味を獲得するまで、大量のインプットを行わなかったからです。

母国語は文字通り、母のように、新しい外国語に意味を与え、学習者が英語の意味を理解した時、自ら消えていきました。  母国語のボールは英語の導入を、助けたのです。  外国語学習において母国語は「最初の導入を行う」という重要な役割を担っていたのです。 

私は今まで、英語学習に母国語を「使っても構わない」と述べてきましたが、実は母国語は「使わなければならない役割があった」のです。  日本で暮らす子供たちに実体のない英語の言葉を最初に理解させるためには、意味を与える母国語はどうしても必要だったのです。  

中学生は、小さい時、母国語によってまず、言語というものを知りました。  新しい英語という言語の習得をガイドするのは、すでに子供たちの体の中で、言語としての機能を果たしている母国語なのです。  

文部科学省の方針はこの母国語を授業で使わない、ということです。

私は息子が小学校1年生でバイリンガルになったときは、小さい子は母国語でこそ説明されませんが、英語を「わかるようにするもの」があって、英語を理解している、と述べました。

ぴょんぴょん飛び跳ねながらI’m jumping. と言われれば「ぴょんぴょん飛び跳ねるのがjumpingなのだ」とわかるようになる、と書きました。

母国語の意味以外にも、こういう実際に見ている「わかるようにするもの」が手掛かりになり、英語が体に深く入って行く場合もあります。

もし中学生たちが、アメリカにいたら、目の前で起きていることを英語で言われる場面はたくさんあるでしょう。  それが英語に実体を持たせて、英語は意識の中深くに定着していくでしょう。  けれどもここは日本です。  一日中ここで生活しても、目の前で起きていることを英語で聞くことはまったくありません。

日本で、英語の授業で日本語を使わない、ということは、中学生は「わかるようにするもの」もなく「意味を表す日本語」もなく、まったく導入を助けるものがない状態で、授業を受けることになります。 

なぜ一言、「それは、こういう意味よ」と母国語で教えることが、それほど障害になると考えるのでしょうか。  私などは、渡米直後は、娘や息子に「それはこういう意味よ」と日本語で、毎日、7時間も8時間も教え続けました。  その後も、2年間、日本語で毎日何時間も意味を教え続けました。 その結果、子供達はバイリンガルになって行ったのです。  

子供は母国語の助けを借りて、英語を自分の意識に取り込んでいたのです。  母国語は英語の導入を助ける重要な役割を担っていたのです。  私は、「母国語が英語の導入を助けて、子供たちをバイリンガルにしていく過程」に立ち会った生き証人です。  この事実を皆さんに知っていただきたいと思います。

初心者に英語だけの授業を中学、高校と6年間受けさせても、生徒は、英語を意識に取り込めません。  生徒は、母国語がなければ、英語は取り込めないのです。  

お金も時間もまったく無駄な授業になります。  そして、そのお金は皆さんの税金です。  時間は、子供はもちろん、先生方にとっても貴重な授業時間です。  13歳から18歳までの最も吸収力のある時期を英語を取り込む母国語がないまま授業を行っても英語は子供達の意識の中に定着しません。  私の息子のように「あの頃英語の授業でやったことは何にも覚えていない」と言われてしまいます。  生徒が悪いわけではありません。  母国語を無理に取り上げたからです。

大量の英語のインプットは、大量の英語のインプットを行う適切な時期、というものがあるのです。  それは、英語学習のスタート時ではありません。  英語に意味を与えた母国語のボールが英語のボールから自らを切り離す時です。    スタート時に必要なのは、子供が英語を意識に取り込むのを助ける母国語です。

これから英語を学ぼうとする生徒は英語で何か言われても、理解できません。  日本人は初めて聞く英語は、日本語で意味を言われなければなんといっているのか、わからないのです。  わからない言葉は、意識の中に取り込むことができないのです。

この事実を見れば初心者に対する

英語を英語で理解する、

という指導方法がいかにでたらめで根拠のない指導方法であるか皆さんにもお分かりになると思います。  だから私の子供たちは一度も「英語を英語で理解する」という勉強法はしなかったのです。  これから学ぶ言語で、こんなことは出来ないのです。  

その指導者さえ、新しい言語を学ぶときに「イタリア語をイタリア語で理解してください。」と言われたらできないのですから、初心者にはまったく不可能な勉強方法なのです。  ヨーロッパやアメリカではやっていると言われても、日本で暮らして、日本語を母国語とする私たちにはそれは出来ないのです。  

「英語を英語で理解する」と言われると、皆さんは、いかにも自分の子供が上級者と同じことをしているように見えるでしょう。  それだけで、自分の子供の英語力が上がるような気がするでしょう。  けれども実際には、初心者の頭の中では、上級者と同じことは起こっていません。  初心者は、何も学んでいません。 これについては2013年5月28日のブログ「2つの“英語を英語で理解する”は全然違うこと」、5月30日のブログ「上級者のやっていることを真似しても頭の中でやっていることは初級者のままです」をご覧ください。  なぜ指導者がこのことに気づけないかは、2015年2月14日のブログ「空(から)のコップを見ることができない(1)「英語のコップ」をご覧ください。   

皆さんのお子さんをこういう方法で教えても、英語の実力は付きません。  中学3年間、英語だけで授業を受けた生徒と、母国語で基礎を理解し発音練習で定着を行った生徒の実力を比べたら、後者はコミュニケーション能力は中学英語のレベルで完璧です(4月17日のブログを参照してください。)が、授業をすべて英語で行ったクラスでは、「あの頃、英語の授業でやったことは何にも覚えていない」という生徒が続出するでしょう。 その理由は2015年4月13日のブログ「わが子の英語力を上げたかったら、文部科学省がどのような方針を打ち出そうと、中学、高校の英語は日本語で学習させる(1)」をご覧ください。 (また、発音については、日本語式発音のままです。)  

生徒が悪いわけではありません。 母国語を無理に取り上げるからです。  

私は今でも、中学生の時、英語の先生が初めて現在完了を教えてくださった日のことを覚えています。

いつものように、チャイムが鳴って、先生が教室の前の扉を開けられた時、私には先生の顔がいつもと違うように見えました。  ベテランの男性の先生でしたが、日本語にはない現在完了の概念をこれから授業で教えるので、先生御自身、緊張感があったのでしょうね。  その顔を見たとき、「今日は何を習うのかしら?」と私は思いました。  

英語であいさつが終わると、先生は黒板に英語で自分の名前を書きながら、「I am writing my name.」とおっしゃいました。  そして書き終わって私たちの方を向いて、I have written my name. とおっしゃいました。  その2つの動作をもう一度繰り返されました。  そして、説明をしてくださいました。  

これが初めて私が現在完了を学んだ授業でした。  授業は当然のことながら全部日本語でした。  授業でやったことはとても印象深く頭に残ります。  先生方が学校で教えてくださることは中学生にわかりやすく、覚えられました。  それは、他の授業も同じですね。  先生が説明してくれるからよくわかり、印象に残りました。(2013年7月11日のブログベルヌーイの定理」を参照してください。)

子供は一日の大半を学校で過ごします。  学校の授業は大事です。  今の時代、塾に行ける生徒ばかりではありません。  その学校の英語の授業で、生徒の理解を助ける母国語を授業に使わないというのは、生徒にとって不幸なことです。

親御さんは、文部科学省からいかなる方針が打ち出されても、中学生、高校生には意識の奥深く入る母国語で、しっかりと英語を学ばせてください。

そして、この時期に中学生の優れた発音習得能力を使って一生困らない通じる発音を身に付けさせてください。  (聞いた通りいう、という練習は、高校生から始めても、十分効果があります。  耳の力は、使うことによって、上がってくるからです。  何歳からでもどんどん耳を使って発音を習得してください)    

耳の力が高い中学生に徹底的に発音練習をしてもらうことによって、日本人の発音は通じるようになります。  日本人の発音を通じるようにするのは、長年の悲願だったと私は思います。  中学3年間に習う基本的な英語表現を正しい発音ですらすら言えるようになれば、日本人のコミュニケーション能力の基礎は完成します。  学校で、「英語を英語で理解する」と言うようなでたらめな授業をしなくても、日本人が正しい発音でコミュニケーションを行えるようになる方法は、ちゃんとあるのです。  一つ一つ着実に練習していく方法です。

中学生、高校生が、しっかりした英語力を持てるかどうかは、日本の将来を左右する重要な問題です。

中学、高校時代が終わったとき、私の息子のように「あのころ英語の授業でやったことは何も覚えていない」と言われないよう、親御さんは、しっかり母国語を使って、お子さんに英語を学ばせて下さい。  英語は浮草のようなふわふわした教え方では定着しません。  意識に深く入る母国語で、基礎をしっかり学ばせてください。

私は、自分の子供がゼロからバイリンガルになる過程を小学校、中学校、高校の各年代で、毎日そばにぴったりついて観察しました。  子供の言語習得を学校で観察している方々には子供は英語だけの環境に入れられて、自然に英語を習得するように見えるかも知れませんが、日本語を母国語とする子供は家でどれほど日本語を使って英語を理解しているか、わからないのです。  学校で、英和辞典を頻繁に引く暇はありませんが、家に帰ってきたら、英和辞典は何時間も引きっぱなしでした。

私自身が目の前で見た事実から、日本人の子供には、英語理解に日本語は不可欠だ、と強調したいと思います。  私の子供達は、二人とも日本語訳によって、英語を取り込み、バイリンガルになって行きました。  また、著書「帰国子女に見る世界に通用する英語力の作り方」にも書きましたように、30年、ESLのクラスを教えてきた先生も「私が教えた日本人の子供は、全員教科書を日本語に訳して勉強していました」とおっしゃいました。  この事実を皆さんに理解していただきたいと思います。

皆さんの周りに文部科学省の関係者の方がいらっしゃいましたら、「母国語は外国語の導入をするだけで、外国語が独自の意味を獲得していくプロセスの障害になることは決してない」ということをお伝えいただきたいと思います。

日本人の英語力を上げるには中学生ですることは二つです。
1. 母国語で英語の基礎を理解する。  
2. 教科書の文を聞いた通りに言えるように発音練習する。

私は根拠なくこのような主張をしているわけではありません。  子供達がバイリンガルになる過程で、母国語が英語の導入に欠かせない役割を果たしていることをこの目で見ました。  私自身が二人の子供のその過程に立ち会いました。  一緒に日本語に訳して、教えました。  英語と語源も文化も共有するものがない日本人は、まず、日本語で英語の意味を知らないと意識に取り込めないのです。  

文部科学省の方々にも、この事実を知っていただきたいと思います。  皆さんの周りに文部科学省の関係者の方々がいらっしゃいましたら、ぜひこの事実をお伝えください。   中学生や高校生の子供たちのために、皆さんのご協力をお願い申し上げます。

日本で、「英語を英語で理解する」という指導法を初心者に行うことの無意味さについては2015年12月5日のブログセミの抜け殻」も合わせてご覧ください。

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私の本「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」を購入された方で、付属CDトラック6に収録されております、Where’s my bag? のWの音の比較が聞き取れない方は、2015年2月1日のブログをお聞きください。  そうすると、生徒さんと私のWの発音の違いが聞き取れるようになります。


私の書いた3冊の本の中で、2冊目の本「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」は、最も難しい本です。  これが、読んですぐわかる方は、相当、音をよく聞いて発音練習していらした方だと思います。  むしろ、一回読んだくらいでは理解できない人の方が多いと思います。  けれども、川合メソッドのやり方で練習していくうちに、必ず、わかるようになりますので、心配しないで、練習を続けてください。

子音と母音が常にセットになって発音される日本語は、独特な子音の言い方をします。  英語の音との違いが分かるには、少し辛抱して音を聞いてください。

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高校入試で子供たちが親の収入によって差別されない為に以下のお知らせを書かせていただきます。

高校入試のスピーキングテストについて(大学入試のスピーキングテストについても同様です)

高校入試のスピーキングテストは本来文部科学省が学校教育で正しい発音を生徒に教えてから行うべきものです。  しかし、文部科学省が教科書にCDもつけず、正しい発音の仕方も学校で教えないまま、高校入試でスピーキングテストを実施する動きが都立高校などで始まっています。 (大学入試でもスピーキングテストが行われようとしています)  これは、スピーキングスキルの習得を塾や予備校、会話学校に丸投げするものです。  学校で教えていないスキルを入試でテストすることはあり得ません。

これでは経済的に余裕のない、塾や会話学校にいけない家庭の子供は誰にも正しい発音を教えてもらえず、練習するCD(音声モデル)も与えられないまま、高校入試でスピーキングテストをされることになり、明らかに親の収入による進路の差別が始まります。(詳しくは2018年3月8日のブログ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」をお読みください。)

皆さんの身近に教育関係者がいらっしゃいましたら、ぜひ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」であることをお伝えください。  (大学入試のスピーキングテストについても同じことです)  
15歳で親の収入のために進路を差別されるのでは子供たちがあまりにもかわいそうです。

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英語教育については、下のブログも併せてご参照ください。  日付をクリックすると移動できます。
2017年10月12日
文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない(子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き)






高校英語教育を文部科学省の誤解に基づいた方針から守るため、以下のご案内を書かせていただきます。

現在文部科学省が「グローバル化に対応した英語教育改革」の目玉として掲げているCAN-DO方式は、ヨーロッパの人々にはできますが、日本語を母国語とする人にはできない方式です。

文部科学省は「CAN-DO方式が日本人には不可能な方式である」と気づいておりません。  導入されれば教育現場は大変迷惑します。  中止する必要があります。  なぜCAN-DO方式が不可能なのかはこちらのブログをお読みください。

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何度もお願いをしているのですが、アマゾンのページで私の本のランキングを下げて妨害をしている人がやめてくれないので、(詳細はこちらです)しばらく以下の文章を掲載させていただくことにしました。

「本を出版する人は、他の著者の妨害をしない。  他の著者を妨害する人は自分の本も出版できない。」
出版社におかれましては、このことを出版の際、著者に理解していただいてください。

私のランキングを妨害している人は、たぶん、現実を受け入れられないのでしょう。
アマゾンの順位を1ペ―ジ目から2ページ目に下げられ、数日でまた2ページ目から3ページ目に下げられて、私は、この方の激しい妨害に驚いています。 

「学習者に正しい発音を習得してほしい」というのが自分の目標でしたら、他人を妨害する必要はありませんね。  他人を妨害してまで、何を手に入れたいのでしょうか。  ベストセラーの著者という名声ですか。  それなら、もうアマゾンで、ご自身の本はベストセラーに認定されているのですから、それで十分でしょう。  この上何が欲しくて私を妨害するのでしょうか?  もう英語教育とは関係ないことですか。  

私は、こちらに書いてある3つのことをするのが、目的です。  日本人が子音の日本語化を知っているか、いないかで、通じる英語で話せるか話せないかが、決まります。  ですから、このことを読者の皆さんに理解していただくのは、とても大事なことなのです。  私の仕事の妨害をしないでください。 

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クマさん、ウサギさん、ブタさん、それぞれが持っている旗に書かれたことの理由は、2017年7月30日のブログをご覧になるとわかります。