川合典子 ブログ

英語教育、英語学習、発音習得、帰国子女の言語習得について書いています。

なぜ日本人はヨーロッパの人々と同じ英語指導をしても効果がないのか

以前にも、この問題について書きましたが(2014年11月18日のブログを参照してください。)、今日はこれについて、私の体験を3つお話ししながら説明したいと思います。

日本人が英語を学ぶとき、最も難しいことが2つあります。  発音と語順です。  これについて、ヨーロッパの言語を母国語とする人は、母国語をしゃべっている時点で、できていることがたくさんあります。

(1) 発音
高校一年生の音楽の授業でシューベルト「魔王」を聞きました。  聞いた後、先生から、彼が17歳くらいの時に作曲した曲だ、と説明されると、男子生徒からは「オオ!」という驚きの声が上がりました。  私は、その頃、声楽を習い始めたばかりでしたので「いつかこの曲を歌えるようになりたいな」と思いました。

それから何十年かたって、萩原先生について、たくさんイタリア語のオペラのアリアを練習していた時、私は「もう、シューベルトの魔王は歌えるかしら?」と思って、先生に「ドイツ語の曲は難しいですか?」とお聞きしたことがありました。

そうしたら先生が、「ドイツ語の曲は難しい。  なかなか母音にたどり着けないから」とおっしゃいました。  つまり子音がつながる歌詞の歌い方が難しい、ということでしょう。  先生がそうおっしゃったので、私はYoutubeで魔王の歌唱を見てみました。  息をたくさん使う子音が多くて、子音が続いたときの口の動きが英語よりずっと大きい感じがしました。  こうやって、子音がつながる歌詞を発音していたら、歌っている日本人には「なかなか母音にたどり着けない」と感じられるほど大変なのだろうと思いました。

萩原先生はアメリカに20年いらっしゃいましたので、英語はとてもお上手です。  その先生が、ドイツ語の曲を「なかなか母音にたどり着けないから難しい」と感じていらしたのですから、そういう子音を母国語として毎日話しているドイツ人にとっては英語の子音を発音することは、私たち日本人より、ずっと簡単なことでしょう。  日本人には英語の子音を単独で発音することも難しいです。

(2) 語順
少し前、ニュースを見ていましたら、フランスでテロに抗議する人々が、「Je suis Charlie.」というプラカードを掲げていました。  フランス語で、「私はチャーリーです」という意味ですね。

Je suis Charlie. と言っている人が、I am Charlie. と表現する外国語を学ぶことは、私たちほど難しくはないと思います。  語順があまり違わないからです。

日本語は語順が違いますので、英語を話す時になかなかスムーズに次の単語が口から出てきません。  これがすらすら出てくるようにするためには大変な量の練習が要ります。

また、少し前に「クリスマスの歌を歌いましょう」というカルチャーセンターの講座に参加したことがありました。 そこで「きよしこの夜」をドイツ語と英語で歌いました。 その時思ったのは、ドイツ語と英語の単語を入れ替えていけば、ほとんど同じような語順でどちらの言語の「きよしこの夜」も歌える。ということでした。  でも、日本語の「きよしこの夜」はそうはいきませんね。

(3) 語源あるいは語の使い方
大学生の時、みんなでフランス語の宿題をしていました。  誰かが、文を読みながら「OOっていう単語はどういう意味?」と聞きました。  友人が、「〜〜という意味よ」と答えたのですが、彼女はその意味があまりよく把握できないようでした。  そこで、もう一人の友人が「英語で言うとXXという単語と同じ意味よ」と付け加えました。  すると彼女は「ああ、わかったわ。  フランス語の単語の意味って、英語で言われたほうがよくわかる」と言いました。

語源が同じ場合もありますし、そうでない動詞でも、英語のOOという単語と同じと言われれば、ニュアンスやその語の使い方も含めてよくわかります。

このブログのどこかに、私がマサチューセッツ州にいる友達の家を訪ねた時、彼女の高校生の娘さんが、言ったことを書きました。 「あのね、私のクラスには、フランスから転校してきた女の子がいるの。英語っていうのは高尚な言葉ほどフランス語から入ってきた言葉が多いの。だから語彙を覚えるのだって、私より彼女の方がずっと簡単だと思うわ。」という話でした。  「高尚な言葉ほど」という部分は私にはわかりませんけれど、フランス語から入ってきた英単語はすぐにいくつか思い出せますから、たくさんありますね。



このように、言葉が同じグループに分類される言語どうしだと、類似点もたくさんあります。(もちろん、類似点が多いと言っても外国語を学ぶのが彼らにとっても大変だ、ということは私もよく知っています。 私はニュージャージーにいた時、アメリカではどうやって外国人に英語を教えるのか興味があったので、コミュニティでやっているESLのクラスに通ったことがありました。 そこで、イタリア人の若い女性や、ご主人がドイツのBMWから転勤でアメリカに来たドイツ人の女性、ロシアから来た物理学の先生と友達になりました。 ドイツ人の方は、「昨日、必要があって、一日英語を話していたら、とても疲れた」といっていましたし、ロシア人の物理学の先生は、英語で物理学を教えるのは大変だから、アメリカで数学の先生を目指していると言っていました。(そのころロシアは体制が変わって、社会がうまく機能していなくて、学校の先生方のお給料も十分に支払われていないような状態でした。ですから、ロシアからアメリカに移民してきた人が私の周りには何人かいました。 ニュージャージーのアイスハウス(サラ・ヒューズが練習していたスケート場)にはロシアから来たコーチがたくさんいました。) 彼らにとっても英語を身に着けるのは大変なのだ、と私も知っています。)
 

でも、日本語と英語では、類似点はほとんどありません。  

ドイツ人やイタリア人が、発音練習しないで英語を話しても、子音は聞こえますが、日本人は子音が聞こえるように言えないので、通じない英語になってしまいます。 まず、第一声から、子音を気を付けてしゃべらなければいけない、というのは子音を気にしなくてもしゃべれる、ということに比べたら、ずっと大変なことだと思います。

語順についても、日本語では一番最後に言うものを文の最初の方で言わなければならないので、なかなか次の単語が出てこなくて、たどたどしい英語になってしまいます。

ですから、日本人に英語指導をするのに、ヨーロッパの国々でやっている方法をそのまま持ってきてもあまり効果が上がらないのです。  私たちは彼らが母国語の時点でできていることを身に付けるのに、まず、大変な努力がいるからです。

結婚したばかりのころ夫がよく、こんな話をしてくれました。  学生時代に読んだ本の中に書いてあったことだそうです。  その本の著者がヨーロッパに行った時のことです。  現地で、ヨーロッパの一つの言語から他の言語に通訳をしている人を見たそうです。  非常に余裕で通訳をしているおばさんで、なんと編み物をしながら通訳していたそうです。 

日本人が英語の通訳をするときは、何人かが、交代でするほど大変なのに、やっぱり横文字から横文字への通訳は、日本人とは、全然大変さが違うんだな、と思った、という話でした。

今まで、よく言われてきた、「日本人が中学から大学まで10年英語を勉強しても英語がうまくならないのは英語を日本語に訳して教えるからだ(「英語で考える本」松本亨 英友社)」というのは、明らかに間違いです。  

今までお話ししてきたことから皆さんには、これが無関係なことを原因だと決めつけている、ということがよくお分かりになると思います。

日本人の英語が上達しないのは、母国語である日本語と英語があまりにも異質な言語だからです。  日本人は、なかなか、「英語の語順で」「英語の発音で」すらすらしゃべれないのです。 ヨーロッパの人々と同じような英語習得の方法は出来ません。 彼らは母国語を話している段階で、子音も単独に言えます。 語順も英語と全く同じではないですが、母国語とだいたい同じ順番でしゃべれます。

それに比べると、日本人は彼らが母国語で出来ていることを出来るようにするまでが大変なのです。語順について見れば、「日本人が、生まれた時からずっと文の一番最後にしゃべっている動詞を主語の次に言わなければならない」  それが難しいからすらすらしゃべれないのです。  しかも「てにをは」を使わないで、動詞と目的語は日本語とは正反対の順番に並べて表現する、などすぐにできることではありません。 

発音は、日本語では発したことのない子音を単独で相手にわかるように言わなければなりません。  何も気にしないで話しても子音が単独で発音できているヨーロッパの国々の人とは違います。 「最初の単語を発するときから文の最後の単語を言うまで子音の言い方が違う」というのは大変なことです。 しかも話している間中、子音の言い方は今までやったことのない発音の仕方にして話し続けるのですから大変なことです。 たくさん練習をしないと出来るようになりません。

日本人の英語力が上がらないのは、日本語と英語があまりにも異質な言語で、「語順、語源、文字、発音、文化」どれをとっても類似点がないからです。  母国語から何も類推できないのです。  だからこそ、初級の学習者には日本語による意味の説明と、日本語による文の構造の説明がいるのです。  それなくして、英語の基礎力が身に付かないことは私の子供たちの英語習得過程が証明しています。  子供にとって、まったく異質なものというのは、彼らがよくわかる日本語できちんと説明しなければ理解できないのです。

「日本語訳は害になる」これは「英語で考える」指導法を提唱した人が頭で考えたことです。  けれども「バイリンガルの子も、最初は日本語訳がなければ英語が全く理解できなかった」これは、事実なのです。  私が頭で考えたことではありません。  事実なのです。  「最初は日本語訳がなければ何もわからなかった」「日本語訳が必要だった」というのは私の子供たちの実際の英語習得過程でわかった事実なのです。

しかも、アメリカのESLの先生も「私が教えた日本人の子供は全員教科書を和訳して勉強していました」と証言しているのです。  

日本語から類推できない言語(英語)を学ぶときには日本語による意味の説明がなければ子供たちは何も理解出来ない、これが事実だったのです。

ですから、「中学校の英語の授業を英語でする」、「高校の英語の授業を英語でする」、というのは、まったく問題を解決することにはならないのです。  それどころか、生徒にとって、ますます、わかりにくい授業になってしまうのです。

「日本語を使うのはけしからん」と言って日本語を取り上げたところで、「初期の英語学習者は日本語訳がいる」という事実は変わりません。  日本語訳がなければ、生徒は英語の意味がわからないのです。  現実を否定して、理想の英語教育方針を提示したところで、無駄な授業です。  

離乳食を作る母親は、「すりつぶさなければ食べられないなんて、とんでもない」と言って、かたい野菜や肉を赤ちゃんの口に放り込んだりはしません。  どんなに手間がかかっても、そうしなければ、赤ちゃんが消化できないなら、それをするのです。

「初期の学習者には日本語訳と日本語の解説がいる」、それが英語力の基礎作りに必要なら、どんなに手間がかかってもまず、母国語を使って生徒に理解させることが必要なんです。  「英語で授業をすれば、生徒はネイティブ発音で英語の語順で話し始める」そんな現実から遊離した視点で、英語教育を考えても成功しません。  どんなに手間がかかってもまず、母国語で理解させるのです。

それは、気の遠くなるような努力に見えるかも知れませんが、(実際、私も子供たちに教科書を和訳しながら、気の遠くなるような道のりだと思いました)けれども、それは、必ず、実を結ぶのです。  子供の必要とするものに沿って、教えていけば、必ず、しっかりした英語力の基礎が出来上がり、最終的には、言いたいことを英語ですらすらしゃべれるまでに、なって行くのです。 これは事実です。  私が2年間も見てきた事実です。  

生徒に英語力をつけさせたかったら、最初は母国語で教えるのです。  母国語訳と母国語による解説が、現実に、生徒には必要なのです。  それなしに英語の理解は出来ないんです。  母国語訳が「良い」とか「悪い」とかの問題ではなく、現実に、生徒には英語を理解するために母国語が必要なんです。  そして、母国語で授業をすることにより「英語で授業」をするより、ずっと強固で確かな英語力の基礎が出来上がります。    

発音もきちんと教えます。  日本で育つ子供は、アメリカで育つ子供とは違います。  しゃべらせていれば、自然にネイティブ発音になるわけではありません。  発音練習をして、正しい発音を身に着けるのです。  

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文部科学省には、日本人が英語を学ぶとき、難しいと感じることを解決するような英語教育の方針、手法を考えて、それを学校の英語教育として実施していただきたいと思います。

そして、「異質な言語を学ぶ時には母国語が必要である」この事実も忘れないでください。  どんなに手間がかかっても、どんなに回り道に見えても、英語の基礎を習得するために、子供にそれが必要だったらやるのです。  私の子供たちの英語習得過程がそれを証明しています。

「英語で授業」など、「空(から)のコップが見えない大人(2015年2月14日のブログ参照)が頭の中で勝手に考えたことでしょう。  「ここは日本だ。(アメリカと同じ英語のインプットはない)」という現実を受け入れられない大人が頭の中で考えたことでしょう。  現実の日本の子供は、母国語訳がなければ何も理解できないのです。

すでに始まっている「高校の英語の授業を英語で行う方針」も上記の理由から、すぐに中止していただいた方が良いと思います。  今の高校生は、この時を逃したら、もう、二度と高校時代には戻れないのです。  高校時代に学ばなければならないことを母国語でよくわかるように教えてください。  子供たちのためにお願いいたします。 2013年5月19日のブログに書いた生徒さんのような思いを将来にわたってさせてしまっては、かわいそうです。  なお発音練習をしないで、生徒に英語をしゃべらせれば、カタカナ発音になることは、高校生も同じです。

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高校入試で子供たちが親の収入によって差別されない為に以下のお知らせを書かせていただきます。

高校入試のスピーキングテストについて(大学入試のスピーキングテストについても同様です)

高校入試のスピーキングテストは本来文部科学省が学校教育で正しい発音を生徒に教えてから行うべきものです。  しかし、文部科学省が教科書にCDもつけず、正しい発音の仕方も学校で教えないまま、高校入試でスピーキングテストを実施する動きが都立高校などで始まっています。 (大学入試でもスピーキングテストが行われようとしています)  これは、スピーキングスキルの習得を塾や予備校、会話学校に丸投げするものです。  学校で教えていないスキルを入試でテストすることはあり得ません。

これでは経済的に余裕のない、塾や会話学校にいけない家庭の子供は誰にも正しい発音を教えてもらえず、練習するCD(音声モデル)も与えられないまま、高校入試でスピーキングテストをされることになり、明らかに親の収入による進路の差別が始まります。(詳しくは2018年3月8日のブログ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」をお読みください。)

皆さんの身近に教育関係者がいらっしゃいましたら、ぜひ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」であることをお伝えください。  (大学入試のスピーキングテストについても同じことです)  
15歳で親の収入のために進路を差別されるのでは子供たちがあまりにもかわいそうです。

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英語教育については、下のブログも併せてご参照ください。  日付をクリックすると移動できます。
2017年10月12日
文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない(子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き)




高校英語教育を文部科学省の誤解に基づいた方針から守るため、以下のご案内を書かせていただきます。

現在文部科学省が「グローバル化に対応した英語教育改革」の目玉として掲げているCAN-DO方式は、ヨーロッパの人々にはできますが、日本語を母国語とする人にはできない方式です。

文部科学省は「CAN-DO方式が日本人には不可能な方式である」と気づいておりません。  導入されれば教育現場は大変迷惑します。  中止する必要があります。  なぜCAN-DO方式が不可能なのかはこちらのブログをお読みください。

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何度もお願いをしているのですが、アマゾンのページで私の本のランキングを下げて妨害をしている人がやめてくれないので、(詳細はこちらです)しばらく以下の文章を掲載させていただくことにしました。

「本を出版する人は、他の著者の妨害をしない。  他の著者を妨害する人は自分の本も出版できない。」
出版社におかれましては、このことを出版の際、著者に理解していただいてください。

私のランキングを妨害している人は、たぶん、現実を受け入れられないのでしょう。
アマゾンの順位を1ペ―ジ目から2ページ目に下げられ、数日でまた2ページ目から3ページ目に下げられて、私は、この方の激しい妨害に驚いています。 

「学習者に正しい発音を習得してほしい」というのが自分の目標でしたら、他人を妨害する必要はありませんね。  他人を妨害してまで、何を手に入れたいのでしょうか。  ベストセラーの著者という名声ですか。  それなら、もうアマゾンで、ご自身の本はベストセラーに認定されているのですから、それで十分でしょう。  この上何が欲しくて私を妨害するのでしょうか?  もう英語教育とは関係ないことですか。  

私は、こちらに書いてある3つのことをするのが、目的です。  日本人が子音の日本語化を知っているか、いないかで、通じる英語で話せるか話せないかが、決まります。  ですから、このことを読者の皆さんに理解していただくのは、とても大事なことなのです。  私の仕事の妨害をしないでください。 

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クマさん、ウサギさん、ブタさん、それぞれが持っている旗に書かれたことの理由は、2017年7月30日のブログをご覧になるとわかります。