川合典子 ブログ

英語教育、英語学習、発音習得、帰国子女の言語習得について書いています。

発音練習の教材

先回のブログでは、日本で長くおこなわれてきた単語だけの発音練習を「単語と文章を並行して練習して行きましょう」と申し上げました。    今日はやはり日本で長くおこなわれてきた演説の練習についてお話したいと思います。  

私は中学一年のときから今日まで、何千個、何万個と言う音を自分の耳で比べてきました。  ですから発音習得に使う教材の判断も、音を聞いて決めています。

私は3月15日のブログhttp://d.hatena.ne.jp/creato-k/20130315 の最後で次のように書きました。

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なお、今日の実習は演説を使うと出来ません。
キング牧師ケネディ大統領の演説を強弱強弱のリズムに乗せてスピードを上げていく練習などは出来ません。 それは無理だと皆さんにもすぐにお分かりになると思います。 つまりしゃべり方が違うのです。 内閣総理大臣所信表明演説をするような言い方で、顧客としゃべる人はいません。この先、ナチュラルスピードで流暢に話す練習まで持って行きたい方は演説を題材に使わないで下さい。 普通の会話文で発音練習をおこなってください。 滑らかに流れるような言い方が出来るようになります。

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なぜ演説のしゃべり方でスピードを上げる練習が出来ないかと言いますと、こういう理由です。

普通の会話文は、強く引き伸ばすところと、速く軽やかに言われるところがあります。  声のリズムもその緩急のリズムに合わせて強弱強弱で進んでいきます。

演説の場合は、強く引き伸ばすところと、相対的に速く言われるところはありますが、声のリズムは、「強」(弱)「強」(弱)とはならずに、「強」「強めの弱」「強」「強めの弱」となります。(演説の中で「強弱」の「弱」で言われた部分でも、普通の会話に比べたらずっと「強い」声でしゃべっています)  ふつうなら滑らかに弱く言われてしまうフレーズも、一つ一つ音がよくわかるように強く言われます。  演説は多くの人に何かを訴えていく言い方ですから当然のことですね。

こういう言い方だと、速度は上げられません。  ですから、強弱のリズムに乗せて速度を上げる練習は演説では出来ませんと申し上げました。  

演説は、ゆっくりな速度で、音をはっきり発音して、ところどころ切りながら、しゃべります。  このしゃべり方は日本人にとっては、やりやすいしゃべり方です。  日本語のようにぶつぶつ切れても違和感がありませんし、「強」(弱)でなく、全部同じ「強」「強」の声で話せます。  母国語の特徴が違和感として目だって感じられないのでやりやすいです。


演説のしゃべり方は、大勢の人に何かを訴えかける場合に用いられる話し方ですから、言ってみれば、「非日常」の話し方です。  多くの人の心を動かしたキング牧師の演説のようなしゃべり方でアメリカ人が日常しゃべっているかと言えば、そうではありません。  今まで何回も、音の違いを解説してきた私には演説の発音と会話の発音は、単語のつなぎ目の言い方や弱いリズムに入ったところの言い方など、2者はまったく違った音に聞こえます。    皆さんは同じに聞こえますか?

ゆっくり、全部強く、ところどころ切って話す演説の話し方の練習をしていて、会話をするときだけ自動的に「ナチュラルスピードで強弱のリズムに乗って滑らかにしゃべれるか」と言えば、日本人には難しくてできません。

演説・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・会話

ゆっくり    ―――――>  速く
全部強い   ―――――>  強弱に
所々切る   ―――――>  滑らかに


理由は左の特徴より、右の特徴でしゃべる方が難しいからです。

また、日本人が英語をしゃべる場合、演説のようなしゃべり方ですと、単語の最初の子音が聞こえますが、会話の言い方になると単語の最初の子音が相手に聞きにくい発音になります。(子音の日本語化)  これが起きないように話す練習をするには、演説ではできないのです。

もう一つの理由は、演説や映画のセリフなど、なんといっているのか周りの人があらかじめ全部わかっている教材でばかり練習していると、正しい発音で話していなくても「音が違うから通じない」という問題に突き当たることがありません。  どんな発音で話しても周りの人がみんな理解できるからです。  そうすると「音の微妙な違いは重要ではない」という錯覚に陥り、「その音を決定する特徴」がある、ということにも気づけなくなります。

書店に行けばこんなに演説の本があふれていて、何十年も日本人がやってきて、今も日本中が演説を練習しているときに、川合典子は一人で何を言っているのだといわれそうですが、私が演説ではなく、普通の会話文で発音練習を行ってください、というのはこういう理由です。 


1月24日のブログ http://d.hatena.ne.jp/creato-k/20130124の最後に、明治維新について教えてくださった先生のことを書きました。  実は私たちは中学生のときにこの先生から生徒会活動の指導を受けました。  私たち自身の学校生活のことを生徒が中心になって、どのように決めていくか、という指導を受けました。  そして実際にみんなで話し合いながらそれを実践していきました。  先生の指導の下にですが、自分たちのことを自分たちで話し合って決めていく。  この実践で学校生活はそれまでとは大きく変わりました。  その過程で、「自分がどう思うか」生徒は自分の意見を持つことはとても大事なことだと指導されました。  生徒が自分で考え意見を持たなければこういう活動は進まないからですね。  

3年生になっても一学期は、生徒会の委員会の話し合いが多くて、家に帰るのは、夕方遅く、あたりが暗くなってからが多かったですね。  それでも受験勉強と生徒会活動を両立させながら、私たち生徒はがんばっていました。

この先生はいろいろなことを指導してくださいましたが、私が最も苦手だったのは「そのことについて自分はこう思うのだ、と言う意見をもっているなら、君に賛成してくれる人が一人もいなくても、自分の意見は発言しなさい」と言うことでした。  「私はそんな強い子じゃないもん」私はそう思っていたので、先生のこの教えだけは、とても重荷に感じられて、高校生になってもなかなかそのようには出来ませんでした。  でも、そうできない自分にどこか後ろめたさをいつも感じていました。

きょう、このブログを書きながら、もしかしたら、先生のあの言葉は私にとっては、今のこの仕事のために言われたのかもしれないなあと思いました。

日本中で、演説の本が飛ぶように売れ、何十年も日本人の定番だった演説の練習を私は「発音の基礎を身につける段階ではしないでください」というのです。  日本中でみんながやっていることに対して、私はこうして「自分の意見」を今ブログに書いているのですね。 

ただ、このことは自分の耳で聞いて、分かったことですので、発言するのを重荷には感じませんでした。  皆さんが自分の耳で音を聞くようになられた時、きっとわかっていただけると思っています。



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高校入試で子供たちが親の収入によって差別されない為に以下のお知らせを書かせていただきます。

高校入試のスピーキングテストについて(大学入試のスピーキングテストについても同様です)

高校入試のスピーキングテストは本来文部科学省が学校教育で正しい発音を生徒に教えてから行うべきものです。  しかし、文部科学省が教科書にCDもつけず、正しい発音の仕方も学校で教えないまま、高校入試でスピーキングテストを実施する動きが都立高校などで始まっています。 (大学入試でもスピーキングテストが行われようとしています)  これは、スピーキングスキルの習得を塾や予備校、会話学校に丸投げするものです。  学校で教えていないスキルを入試でテストすることはあり得ません。

これでは経済的に余裕のない、塾や会話学校にいけない家庭の子供は誰にも正しい発音を教えてもらえず、練習するCD(音声モデル)も与えられないまま、高校入試でスピーキングテストをされることになり、明らかに親の収入による進路の差別が始まります。(詳しくは2018年3月8日のブログ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」をお読みください。)

皆さんの身近に教育関係者がいらっしゃいましたら、ぜひ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」であることをお伝えください。  (大学入試のスピーキングテストについても同じことです)  
15歳で親の収入のために進路を差別されるのでは子供たちがあまりにもかわいそうです。

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英語教育については、下のブログも併せてご参照ください。  日付をクリックすると移動できます。
2017年10月12日
文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない(子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き)




高校英語教育を文部科学省の誤解に基づいた方針から守るため、以下のご案内を書かせていただきます。

現在文部科学省が「グローバル化に対応した英語教育改革」の目玉として掲げているCAN-DO方式は、ヨーロッパの人々にはできますが、日本語を母国語とする人にはできない方式です。

文部科学省は「CAN-DO方式が日本人には不可能な方式である」と気づいておりません。  導入されれば教育現場は大変迷惑します。  中止する必要があります。  なぜCAN-DO方式が不可能なのかはこちらのブログをお読みください。

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何度もお願いをしているのですが、アマゾンのページで私の本のランキングを下げて妨害をしている人がやめてくれないので、(詳細はこちらです)しばらく以下の文章を掲載させていただくことにしました。

「本を出版する人は、他の著者の妨害をしない。  他の著者を妨害する人は自分の本も出版できない。」
出版社におかれましては、このことを出版の際、著者に理解していただいてください。

私のランキングを妨害している人は、たぶん、現実を受け入れられないのでしょう。
アマゾンの順位を1ペ―ジ目から2ページ目に下げられ、数日でまた2ページ目から3ページ目に下げられて、私は、この方の激しい妨害に驚いています。 

「学習者に正しい発音を習得してほしい」というのが自分の目標でしたら、他人を妨害する必要はありませんね。  他人を妨害してまで、何を手に入れたいのでしょうか。  ベストセラーの著者という名声ですか。  それなら、もうアマゾンで、ご自身の本はベストセラーに認定されているのですから、それで十分でしょう。  この上何が欲しくて私を妨害するのでしょうか?  もう英語教育とは関係ないことですか。  私はとても困っています。  

私は、こちらに書いてある3つのことをするのが、目的です。  日本人が子音の日本語化を知っているか、いないかで、通じる英語で話せるか話せないかが、決まります。  ですから、このことを読者の皆さんに理解していただくのは、とても大事なことなのです。  私の仕事の妨害をしないでください。 

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クマさん、ウサギさん、ブタさん、それぞれが持っている旗に書かれたことの理由は、2017年7月30日のブログをご覧になるとわかります。