川合典子 ブログ

英語教育、英語学習、発音習得、帰国子女の言語習得について書いています。

「英単語を和訳せず、英語のまま言おうと」「英単語の意味を英語で言おうと」学習者に英語のニュアンスはわからない。

前回は、日本で「英語で考える」「英語を英語で理解する」という指導法の発音面での欠陥を述べました。  今日は、「英語で考える」「英語を英語で理解する」という指導法の語彙の面での欠陥を明らかに致します。

私は6月1日のブログで、「英語で考える」「英語を英語で理解する」という指導の仕方は昔アメリカ生活が長かった指導者によって提唱された、と述べました。

アメリカ生活が長かった提唱者にとっては、英語の大量のインプットは、空気のように当たり前に自分の周りにあったので、そのことを意識することさえなかったのだと思います。  だから日本に帰ってきた時に、「日本には大量の英語のインプットがない」と、気づくことさえなかったのでしょう。

アメリカにいれば英語のニュアンスを熟知している人々(アメリカ人)が目の前で起こっていることを英語で表現している場面を見ることは当たり前にできることです。  例えばこんな具合です。  

私たち一家がニュージャージーに赴任してすぐハロウィンがありました。  娘にはまだ友達がいなかったので、白雪姫の格好をした娘について私も一緒にご近所を回りました。

ある家で呼び鈴を押したら、これからお出かけだったのか、カーラーで、髪を巻いたおばさんが出てきて、「Please excuse my hair.」と私に言って、娘にお菓子をくれました。

日本で英語を勉強していますと、excuse は Excuse me. しか聞きませんが、「こういう使い方をするんだなあ」と知りました。  「こんな頭でごめんなさいね」という感じでしょう。

英語のニュアンスを熟知している人が英語を使う場面をたくさん見れば、英単語のニュアンスは自然と分かってきます。

けれども日本にいると英語のニュアンスを熟知している人々が目の前で起こっていることを英語で表現しているのを聞くことはまったくありません。

こういう環境で、「freedom を日本語に訳すとニュアンスが違ってしまうからfreedom は日本語に訳さないで freedom のまま生徒に言わせる」というような指導をしても、生徒がfreedom のニュアンスを体得することはありません。  生徒はfreedomと言う言葉がそのシチュエイションで使われるところを日常生活で見ることはまったくないからです。  

さらに、freedomという単語の意味を日本語に訳さず、英英辞典のように英語で説明しても、生徒はfreedomのニュアンスを体得することはありません。  ニュアンスというのは、その言葉が実際に使われたところをたくさん勉強していくことによってわかって行くものだからです。  

日常生活で英語が実際に使われるところを見ることがない日本の学習者は、

英単語を英語のまま言おうと、
英単語の意味を英語で説明しようと、

英語のニュアンスを理解することはないのです。  ニュアンスというのは、その言葉が実際に使われたところをたくさん勉強していくことによってわかっていくものだからです。

2013年5月12日のブログ「だんだんわかってくること」で、私がI’m proud of you. がどういう気持ちを持って言われる言葉かわかるようになった時のことを書きました。  中学生でこの表現を習った私がI’m proud of you. を日本語に訳さず、英語のまま何回言ってもこの言い方がアメリカ人にどういう気持ちを持って言われる言葉なのかわかるようにはならなかったでしょうし、proud の意味を英英辞典に書かれているように「feeling pleased and satisfied about something that you own or have done or are connected with」と覚えたところでやっぱりこの文のニュアンスはわからなかったでしょう。

ニュアンスというのはその単語が使われたシチュエイションをたくさん読んだり、見たり、聞いたりして、その言葉を使う人たちの生活や社会が持つ価値観などについてたくさん勉強していくことによってわかってくるものです。  言葉によってはその国の歴史を学ぶことによってわかってくることもあります。  

大学生のころ私が、「英語と日本語訳では意味が全く同じではない」という本を読んでいたら、

* * *

日本で猫と言えばこたつで丸くなっている猫の姿が浮かぶでしょう。(50年前の日本の様子です)  けれどもアメリカでcat と言えば暖炉のそばでお皿からミルクを飲んでいるcat の姿が浮かぶのです。  ですから、cat と猫は同じではないのです。

* * *

と書いてあった、という話は前出のブログに書きました。  

だからと言って、Cat という言葉を日本語に訳さず、英語のまま何回もCat Cat Cat Cat と言っていれば、「こたつで丸くなっている猫」のイメージが「暖炉のそばでお皿からミルクを飲んでいるCat」のイメージに変わるわけではありません。

さらに、英語でCat の意味を調べて、Catとは a small animal with soft fur that people often keep as a pet. と言ってみたところで、こたつで丸くなっている猫のイメージが暖炉のそばでお皿からミルクを飲んでいるCatのイメージに変わるわけではありません。

英語の単語がその国でどういう意味を持つかはその単語が使われたシチュエイションを読んだり、見たり、聞いたりして、たくさん勉強していくことによってわかってくるものです。


誰も英語を使っていない日本で、

英語を日本語に訳さず英語のまま言っても
英語の意味を英英辞典のように覚えても

ニュアンスというのはわかるようにはならないのです。  日本では英語が実際に使われているところを見ることはないからです。

「英語で考える」「英語を英語で理解する」という指導をする人は「日本語に訳すとニュアンスがちがってしまうから英語のまま生徒に言わせる」と言いますが、これから英語を勉強する生徒は、

英単語を英語のまま言っても、
英英辞典のように英語で単語の意味を言っても、

ニュアンスはわからないのです。  英語のまま言ってニュアンスがわかるのは大量の英語に触れてきた指導者だけです。

指導者は自分がわかるから生徒もわかると思っていますがそういうことはありません。 (2015年2月14日のブログ「空(から)のコップを見ることができない(1)英語のコップ」をご覧ください。  生徒にとっては空(から)のコップからあふれ出るイメージはありません。

日本の英語学習者は、「英語のニュアンスを熟知した人々が実際に英語を使っているところ」をまったく日常生活で見ることなく英語を学んでいかなければなりません。  だから大変なのです。  アメリカにいて人々が英語を使うのを毎日見ながら英語を学ぶのと、誰も英語を話していない日本で英語を学ぶのでは大変さが全然違うのです。

しかもヨーロッパの言語と違って日本語は、「語源」も「語順」も「発音」も「文字」も「文化」も英語と共有するものは何もないのです。

そういう日本で、英語そのものを聞くことさえまったくない日本で、英語学習初心者が

英語を英語のまま言おうと
英語の意味を英英辞典のように言おうと

そのニュアンスはわからないのです。  

私は先週、娘に「日本では初心者に“英語で考える”“英語を英語で理解する”という教え方を主張する人がいる」と話すと、娘は即座に私の言葉をさえぎって、「あの頃(夫がニュージャージーに赴任したころ)英語で何を言われても何にもわからなかったの。  なーんにもわからなかったの。」と言いました。    これが、これから英語を学ぶ人の現実の姿だと思います。  これがこれから英語を学ぶ日本の中学生の姿だと思います。

「英語で考える」「英語を英語で理解する」という方法を提唱する人が、「中学から大学まで、10年間も英語をやって来てそれでいながら話が通じなかったり、文章が書けなかったりする人が多い。 英語をいちいち日本語に訳して理解させる、日本の英語教育の方法に問題がある」

と私の持っている本(「英語で考える本」 松本亨 英友社)には、書いていますが、これは明らかに間違った分析です。  目の前で起こっていることを英語で表現されるのを見ることがない日本で、英語を学ぶ場合は、初心者は最初に日本語訳を使わなければ、その単語がどういう意味なのか、分からないのです。  学習の最初に日本語訳を使うことは、なんら高い英語力を持つことの障害にはなりません。 

私の子供たちは全文和訳を繰り返してバイリンガルになって行きました。  「日本人の英語力が伸びなかったのは日本語訳を使うからだ」と主張するならこの事実をどう説明するのでしょうか。  私の子供達だけではありません。  30年、ESLの先生として、外国から来た子供たちに英語を教えた先生も、「私が教えた日本人の子供たちは、全員、教科書を日本語に訳して理解していました。」とおっしゃったのです。  子供たちは「英語で言われても何もわからない」と言いました。  わからないから全部日本語に訳して理解しました。  日本語訳のおかげで英語が理解できるようになって、その結果、バイリンガルになりました。

日本語訳は高い英語力の障害にはなりませんでした。  「日本語訳が悪い」というのは、「英語で考える」「英語を英語で理解する」という指導法の提唱者の事実に反する思い込みでしかなかったのです。  客観的な根拠はどこにもありません。

この指導法は、提唱する根拠からして間違っています。

日本人の英語力が伸びなかったのは、日本語訳のせいではありません。  日本語訳が抜けていくまで、意味の分かるようになった英語を大量にインプットしなかったからです。  ここに間違いがあります。


―インプットの量において日本とアメリカの違いを認識できなかった
―日本人の英語力が伸びなかったのは日本語訳のせいだと間違えた

指導者が提唱した方法は、日本の英語学習初心者には全く効果がありません。    初心者から日本語訳を取り上げたら、英語力が上がるどころか、生徒は何も理解できないのです。

大量の英語のインプットが空気のように当たり前にあるアメリカで行われている方法を、日常生活でまったく英語を聞くことがない日本で初心者がやっても効果はありません。  実際に英語が使われていない(大量のインプットがない)国で英語を学ぶにはそれに適した方法があります。  発音のみならず、文法にしても語彙にしてもそれに適した方法があります。  (文法については著書「帰国子女に見る世界に通用する英語力の作り方」第6章に日本語で文法を学んだ息子と英語で文法を学んだ娘の違いから、日本人にとって、効率的な文法習得の方法が書いてあります)

言語習得におけるインプットの量は非常に重要です。  学習の成果を左右する重要事項です。  それが「ゼロか100か」その違いを認識できなかった人が提唱した方法の問題点を理解すれば、今回の文部科学省の方針の間違いもおのずとわかると思います。

「英語で考える」「英語を英語で理解する」は英語学習のゴールであり、スタートで生徒ができることではありません。  

「英語で考える」「英語を英語で理解する」という指導法の提唱者は「日本人の英語力が伸びなかった原因」を「日本語訳を使ったから」と事実に反して思い込みました。  そのために解決法も現実には初心者ができない方法を提唱することとなったのです。  

提唱者が英語を英語で理解しろと言っても、英語学習初心者には出来ないのです。  私の子供たちは英語を英語で理解することは出来ませんでした。  だから、「こんなもの、いくら英語で説明されてもわかんないんだよ。」と息子は言ったのです。(2013年5月22日のブログを参照してください。)  「あの頃、英語で何を言われてもなーんにもわからなかったの」と娘は言ったのです。  彼らは英語学習初心者のころ一度も「英語で考える」「英語を英語で理解する」ということはしませんでした。  できませんでした。  

これは帰国子女にも出来ない方法なのです。 

中学校の英語教育で重要なのは

生徒が理解できるように英語を教えること、
理解出来た英語を正しい発音で、生徒に定着させることです。

こういう地道な授業と、地道な発音の家庭学習を行うことによって、中学3年間に習った英文が正しい発音ですらすらしゃべれるようになります。  そうすれば中学卒業時、生徒の英語コミュニケーション能力は中学英語のレベルで、完璧です。  

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文中にありましたように「日本人は10年間、学校で英語の授業を受けても英語がうまくならないのはおかしい」と思う方がいらしたら、中学1年生を連れて、アメリカに2年間滞在されるといいと思います。  その子が英語ができるようになるまで、ずっとそばで、勉強を手伝ってあげるといいと思います。  そうすれば、「発音も文字も語源も語順も文化も何も英語と共通するものがない」日本語を母国語とする人が、10年授業を受けても、英語がうまくならない理由がわかります。  また、学習の最初に日本語訳がなければ英語は理解できない、という事実もわかります。

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明日は、6月1日のブログ(「英語で考える」「英語を英語で理解する」という指導法の発音面での欠陥)と7月6日のブログ(語彙習得面での欠陥)を踏まえたうえで、「英語で考える」「英語を英語で理解する」という指導法の実体を明らかにします。  読者の皆さんの中で、著書「帰国子女に見る世界に通用する英語力の作り方」をお持ちの方は、その前に、第6章を読んで、日本語で文法を勉強した息子と、英語で文法を習った娘の理解度の違いを知っておいていただくと、明日の結論が、わかりやすくなると思います。

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日本で「英語を英語で理解する」という指導法を初心者に行うことの無意味さについては2015年12月5日のブログセミの抜け殻」も合わせて参考にしてください。



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高校入試で子供たちが親の収入によって差別されない為に以下のお知らせを書かせていただきます。

高校入試のスピーキングテストについて(大学入試のスピーキングテストについても同様です)

高校入試のスピーキングテストは本来文部科学省が学校教育で正しい発音を生徒に教えてから行うべきものです。  しかし、文部科学省が教科書にCDもつけず、正しい発音の仕方も学校で教えないまま、高校入試でスピーキングテストを実施する動きが都立高校などで始まっています。 (大学入試でもスピーキングテストが行われようとしています)  これは、スピーキングスキルの習得を塾や予備校、会話学校に丸投げするものです。  学校で教えていないスキルを入試でテストすることはあり得ません。

これでは経済的に余裕のない、塾や会話学校にいけない家庭の子供は誰にも正しい発音を教えてもらえず、練習するCD(音声モデル)も与えられないまま、高校入試でスピーキングテストをされることになり、明らかに親の収入による進路の差別が始まります。(詳しくは2018年3月8日のブログ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」をお読みください。)

皆さんの身近に教育関係者がいらっしゃいましたら、ぜひ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」であることをお伝えください。  (大学入試のスピーキングテストについても同じことです)  
15歳で親の収入のために進路を差別されるのでは子供たちがあまりにもかわいそうです。

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英語教育については、下のブログも併せてご参照ください。  日付をクリックすると移動できます。
2017年10月12日
文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない(子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き)




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高校英語教育を文部科学省の誤解に基づいた方針から守るため、以下のご案内を書かせていただきます。

現在文部科学省が「グローバル化に対応した英語教育改革」の目玉として掲げているCAN-DO方式は、ヨーロッパの人々にはできますが、日本語を母国語とする人にはできない方式です。

文部科学省は「CAN-DO方式が日本人には不可能な方式である」と気づいておりません。  導入されれば教育現場は大変迷惑します。  中止する必要があります。  なぜCAN-DO方式が不可能なのかはこちらのブログをお読みください。

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何度もお願いをしているのですが、アマゾンのページで私の本のランキングを下げて妨害をしている人がやめてくれないので、(詳細はこちらです)しばらく以下の文章を掲載させていただくことにしました。

「本を出版する人は、他の著者の妨害をしない。  他の著者を妨害する人は自分の本も出版できない。」
出版社におかれましては、このことを出版の際、著者に理解していただいてください。

私のランキングを妨害している人は、たぶん、現実を受け入れられないのでしょう。
アマゾンの順位を1ペ―ジ目から2ページ目に下げられ、数日でまた2ページ目から3ページ目に下げられて、私は、この方の激しい妨害に驚いています。 

「学習者に正しい発音を習得してほしい」というのが自分の目標でしたら、他人を妨害する必要はありませんね。  他人を妨害してまで、何を手に入れたいのでしょうか。  ベストセラーの著者という名声ですか。  それなら、もうアマゾンで、ご自身の本はベストセラーに認定されているのですから、それで十分でしょう。  この上何が欲しくて私を妨害するのでしょうか?  もう英語教育とは関係ないことですか。  

私は、こちらに書いてある3つのことをするのが、目的です。  日本人が子音の日本語化を知っているか、いないかで、通じる英語で話せるか話せないかが、決まります。  ですから、このことを読者の皆さんに理解していただくのは、とても大事なことなのです。  私の仕事の妨害をしないでください。 

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クマさん、ウサギさん、ブタさん、それぞれが持っている旗に書かれたことの理由は、2017年7月30日のブログをご覧になるとわかります。