夫は結婚する前に、カリフォルニアとニューヨークで6年のアメリカ赴任を終えていました。 私も外資で働いていたので、ある時こんな質問をしたことがあります。
「どうして、アメリカ人は自分は能力があると正面から言うのかしらね?」 それに対して夫は「自分自身が能力があると思えない人間を他人が能力があると思うはずはないだろう?」と言いました。
また私が「どうしてアメリカ人は自分の意見こそが正しい」と前面に出して言うのかしらね?」というと、夫は、「自分自身が正しいと思えない意見を他人が正しいと思うはずはないだろう?」と言いました。 そしてこんな体験を話してくれました。
夫がカリフォルニアにいた頃、大統領選挙がありました。 ある日、夫はテレビで、党の候補者を決めるディベートを見ていたそうです。 候補者の中に、女性が一人いたそうです。 司会者がまず、ある問題についてそれぞれの候補者に意見を求めました。
するとその女性候補者は一瞬、逡巡(しゅんじゅん)して、考えてから意見を述べたそうです。 質問されるたびに一瞬、逡巡してから答えたそうです。
その動作を繰り返し見ていた夫は「この人に大統領職を任せて大丈夫だろうか?」という不安を感じたそうです。
身振り、手振り、表情というのは言外のメッセージとなり、自分の意見がどのように相手に受け取られるかに影響を与えます。 自分の意見がたとえ正しくても、不安げに述べられた意見は「それで本当に大丈夫なのか?」という不安を相手に与えます。
ですから自信を持って自分の意見を述べることは言外の説得力となり重要です。
ニュージャージーにいた頃親しい友人がマサチューセッツに住んでいました。 感謝祭の休暇で訪ねた時は中学生と高校生の娘さんたちにも会いました。 二人とも明るく、おおらかで、知的関心のレベルが高く、異国の地でどうしたらこんなにいい子が育つのだろうと私は思いました。 彼女は二人の娘さんをとても大事に育てていました。
あるとき彼女と電話で話していたら、彼女が冗談交じりに、「うちの娘(高校生)のあの鼻持ちならない態度はどうにかならないのかしらね。 自分の意見を言う時のあの、自分の意見はまったく正しい、と言わんばかりの自信たっぷりの態度はどうにかならないのかしら」と笑いながら言いました。
それから一年くらいしてニュージャージーで友だちになったお母さんと話していたら、その方が、苦笑しながらこう言ったことがありました。
「うちの娘(高校生)のあの鼻持ちならない態度はどうにかならないのかしらね。 自分の意見を言う時のあの自信たっぷりの、自分の意見はすべて正しい、と言わんばかりの態度はどうにかならないのかしら。」
私はこの二人の友人が、まったく同じ「鼻持ちならない」という言葉を使ったので、この時のことはとてもよく覚えています。 これは文化の違いからくるものなのですね。
夫が大統領選のディベートを見て思ったことと関連しています。 アメリカでは意見を言う時には言外のメッセージつまり態度はとても重要なのですね。 自信なさそうに意見を言ったらどんなに優れた意見でも相手はそういう印象は受けないわけです。
そういう意味ではこの二人の娘さんはハイスクールで指導されている通り、自信を持って自分の意見を述べているわけです。 ところが古風な日本女性であるお母さんにとってはそれは好ましいとは思えなかったわけですね。
こういうのが文化の違いです。 ある文化でよいとされる行動が必ずしもほかの文化では良いとは限らない。 ということです。 帰国子女がいやがられるのも、こういうところからくる場合が多いですね。
文化の違い、というのは時として、思わぬ誤解を生むことがあります。 アメリカ人と働いていた頃、私もこの文化の違いに戸惑うことが多かったので、文化について書いた本を集中して読んだこともありました。
英語学習が中級、上級になられたら、折に触れて文化の違いも学ばれていかれるといいと思います。 特に意見を述べる時には「AもいいけれどBもいい」という日本の気配りある言い方でなく、「Aがよい」と自分が思っているのなら、Aが良いと思う理由だけで、話を進めた方がアメリカ人にはわかりやすいようです。
昔友人に「なかなか自分の言うことをアメリカ人にわかってもらえない」と相談を受けた時、「私は7:3でAの方がいいと思っている時でも、10:1あるいは10:0でAがいい、というように意見を言うことにしている。 そのほうがよく理解してもらえるから。」と答えたことがあります。 その時は経験的にそれがいいと思っていたのです。
けれどもアメリカ人の先生についてエッセイ(随筆ではなく小論文と同じです)の書き方を習ってからは、おそらくこういう説明の仕方が、アメリカ人が中学生、高校生の時から書いてきたエッセイ(小論文)の構成と似ているせいだと、思うようになりました。
つまり、なぜ自分がAをよいと思うのか、その理由となる自分の考え方と、自分の意見の根拠となる例や事実のみを提示するやり方が、彼らが中学、高校、大学でやってきた主張の仕方と同じだからわかりやすいのだろうと思います。 エッセイでは「Aも、Bも、Cもいいけど、私はAがいいと思う」というような書き方はしません。
字数が限られた小論文で自分の主張をするとき「AもBもCもいいけれど」は不要の部分です。 それで字数を取られたら、自分の主張が弱くなります。
私は今、アメリカでライティングを指導してくれた先生に、もう一度eメールを使ってエッセイを書く指導を受けていますが、先生が推薦してくださったテキストを読んで、その感を強くしました。
文化を理解することはよりよく相手を理解し、自分もよく理解されることにつながります。
(来月に続く)
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高校入試で子供たちが親の収入によって差別されない為に以下のお知らせを書かせていただきます。
高校入試のスピーキングテストについて(大学入試のスピーキングテストについても同様です)
高校入試のスピーキングテストは本来文部科学省が学校教育で正しい発音を生徒に教えてから行うべきものです。 しかし、文部科学省が教科書にCDもつけず、正しい発音の仕方も学校で教えないまま、高校入試でスピーキングテストを実施する動きが都立高校などで始まっています。 (大学入試でもスピーキングテストが行われようとしています) これは、スピーキングスキルの習得を塾や予備校、会話学校に丸投げするものです。 学校で教えていないスキルを入試でテストすることはあり得ません。
これでは経済的に余裕のない、塾や会話学校にいけない家庭の子供は誰にも正しい発音を教えてもらえず、練習するCD(音声モデル)も与えられないまま、高校入試でスピーキングテストをされることになり、明らかに親の収入による進路の差別が始まります。(詳しくは2018年3月8日のブログ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」をお読みください。)
皆さんの身近に教育関係者がいらっしゃいましたら、ぜひ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」であることをお伝えください。 (大学入試のスピーキングテストについても同じことです)
15歳で親の収入のために進路を差別されるのでは子供たちがあまりにもかわいそうです。
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英語教育については、下のブログも併せてご参照ください。 日付をクリックすると移動できます。
2017年10月12日
文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない(子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き)
高校英語教育を文部科学省の誤解に基づいた方針から守るため、以下のご案内を書かせていただきます。
現在文部科学省が「グローバル化に対応した英語教育改革」の目玉として掲げているCAN-DO方式は、ヨーロッパの人々にはできますが、日本語を母国語とする人にはできない方式です。
文部科学省は「CAN-DO方式が日本人には不可能な方式である」と気づいておりません。 導入されれば教育現場は大変迷惑します。 中止する必要があります。 なぜCAN-DO方式が不可能なのかはこちらのブログをお読みください。
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何度もお願いをしているのですが、アマゾンのページで私の本のランキングを下げて妨害をしている人がやめてくれないので、(詳細はこちらです)しばらく以下の文章を掲載させていただくことにしました。
「本を出版する人は、他の著者の妨害をしない。 他の著者を妨害する人は自分の本も出版できない。」
出版社におかれましては、このことを出版の際、著者に理解していただいてください。
私のランキングを妨害している人は、たぶん、現実を受け入れられないのでしょう。
アマゾンの順位を1ペ―ジ目から2ページ目に下げられ、数日でまた2ページ目から3ページ目に下げられて、私は、この方の激しい妨害に驚いています。
「学習者に正しい発音を習得してほしい」というのが自分の目標でしたら、他人を妨害する必要はありませんね。 他人を妨害してまで、何を手に入れたいのでしょうか。 ベストセラーの著者という名声ですか。 それなら、もうアマゾンで、ご自身の本はベストセラーに認定されているのですから、それで十分でしょう。 この上何が欲しくて私を妨害するのでしょうか? もう英語教育とは関係ないことですか。
私は、こちらに書いてある3つのことをするのが、目的です。 日本人が子音の日本語化を知っているか、いないかで、通じる英語で話せるか話せないかが、決まります。 ですから、このことを読者の皆さんに理解していただくのは、とても大事なことなのです。 私の仕事の妨害をしないでください。
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クマさん、ウサギさん、ブタさん、それぞれが持っている旗に書かれたことの理由は、2017年7月30日のブログをご覧になるとわかります。