英語学習を始めてそれほど年月が経っていない段階にいる学習者は、言いたいことが直接英語で頭に浮かんでくることはありません。 その段階で自分の思ったことを英語で言う場合は、日本語を英語に訳してしゃべります。 私の子供たちも、アメリカに行った最初のころは日本語を英語に訳してしゃべっていました。 娘は、どうしても言えない時は、電子辞書の和英に言いたい日本語の単語を入れて、それを変換して、友達に見せて理解してもらったこともありました。
ある日、ESLのクラス(英語が母国語でない子供のクラス)で、天気予報について自分の思ったことを書いてくる宿題が出ました。 娘は自分で書いて、私のところに持ってきました。 日曜日で私は台所仕事で忙しかったので、「お父さんに見てもらって」といいました。
しばらくすると、また娘がやってきて、「お父さん、直せないって」といいました。 私は、「どうして?」と思いました。 夫は私より、ずっと難しい言葉を使って、弁護士さんや大学の先生とも話しているのですから、由紀子の書いた英文が直せないはずはないだろう、と思いました。
後片付けが終わって、テーブルに座って娘の文章を見た時、その理由が分かりました。 A4の紙の最初から最後までピリオドが一つもない「文」が書いてありました。 どれも英語の文の形にはなっていませんでした。 天気予報について自分が思ったらしきことが、名詞、動詞、形容詞を「順不同」に並べて書いてありました。 英単語は電子辞書に日本語を入れて調べたのでしょう。 私も、娘の文章を正しい英文に直すことはできませんでした。
けれども宿題ですから提出しなくてはなりません。 私はどうしたものか考えながら、娘の書いた「文」を何度も読んでみました。
そうしたら、読んでいるうちに「娘は多分こういうことを言いたいのではないか」ということがだんだんわかってきました。 それで娘を呼んで「由紀子は、〜〜って言いたいの?」と聞くと「うん、そうだよ」というので、「そういいたいのなら、英語では、こういう文にするのよ」と言ってなるべく娘の書いた英単語を生かしながら英文にしました。 次のパートも「由紀子は〜〜って言いたいの?」と聞くと、「うん、そうだよ」というので、同じように英訳しました。 これを繰り返して、宿題は出来上がりました。
まだ英語が出来ないうちは日本語を英語に直して表すしかありません。 これは、息子も同じでした。
アメリカについて、最初の2,3か月は日常生活で使ういろいろなものを買いそろえなければなりませんでした。
まだ、車にナビもないころで、知らない土地で地図を見ながら運転していると道に迷って方角がわからなくなってしまうこともあります。 夫は、車のフロントガラスの隅に小さな球のような方位磁石を置いていました。 2か月遅れて渡米した私にも、車に方位磁石を置いておいたほうがいい、というので、私は買い物リストに書いておきました。
土曜日、買い物をしていた時に「方位磁石って、英語でなんて言うんだったっけ?」と、 私は一瞬、度忘れしてしまいました。 それで、息子に、「方位磁石ってなんていうか知ってる?」と聞いたら、息子が、「お母さん、わかんなかったら、丸くて、真ん中に細い棒がこうやってついていて、その先がいつも北を向いているもんが欲しいって言えばいいんだよ」と右手の人差し指を左手で作った円の上に置いて言いました。
結局、店員さんにあったとたんに、私は方位磁石の英語を思い出したので、息子の説明は使いませんでしたけれど、それを聞いたとき、「この子は今、自分が分かる数少ない英語の語彙で、一生懸命自分の言いたいことを英語に訳してしゃべっているんだなあ」と思いました。
私も大学を卒業した時は、「言いたいことが自動的に英語で頭に浮かんでくる」状態にはなっていませんでしたから、日本語を英語に訳してしゃべっていました。 会話は普通にしますから、見ている人は訳してしゃべっているとは思わないかもしれませんが、やはり頭のどこかで和文英訳をしている部分がありました。
私が、「英語で言おう」とも思わないのに、思ったことが頭に英語のまま浮かんでくるようになったのは、アメリカに行って大量の英文読書をした後でした。 この時は夫に「まるで家庭内別居のようだ」と言われるくらい、夕食後も家族とほとんど会話もしないで英語の本を読んでいました。 その時の様子は、2011年8月23日の「英語の勉強をあきらめた日」というブログに書いてあります。
最初から英語のまま言いたいことが頭に浮かぶ人はいないのですが、自分ができるようになると、「自分は最初から英語のまま理解できた」と思い込む人が多いようです。
私も息子に「僕は最初から全部自分で出来たんだよね」と言われて唖然としたことがあります。 「そ〜お? お母さん、最初のころ随分手伝った気がするんだけど。。。」と言ったら、「そうかなあ? だったら、それは手伝ってもらわなくても、全部自分で出来たんだよ」というので、「真夜中まで人に宿題手伝わせておいて、よく言うなあ」と思いましたけど、苦しかったことを忘れるのは、若さの良いところでもあります。 セルフイメージも上がるし、自信もつくしいいことなのだろうと思い、そのことについては何も言いませんでした。 つらかった時のことなんてすぐ忘れたほうが、健康的ですからね。 私は若くないので、全部覚えていますけど、子供はそれでいいのだろう、と思います。
ただそれを、「実際の習得過程を忘れているだけだ」という自覚なく、英語教育に口を出されると、問題を起こすわけです。
明日に続く
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高校入試で子供たちが親の収入によって差別されない為に以下のお知らせを書かせていただきます。
高校入試のスピーキングテストについて(大学入試のスピーキングテストについても同様です)
高校入試のスピーキングテストは本来文部科学省が学校教育で正しい発音を生徒に教えてから行うべきものです。 しかし、文部科学省が教科書にCDもつけず、正しい発音の仕方も学校で教えないまま、高校入試でスピーキングテストを実施する動きが都立高校などで始まっています。 (大学入試でもスピーキングテストが行われようとしています) これは、スピーキングスキルの習得を塾や予備校、会話学校に丸投げするものです。 学校で教えていないスキルを入試でテストすることはあり得ません。
これでは経済的に余裕のない、塾や会話学校にいけない家庭の子供は誰にも正しい発音を教えてもらえず、練習するCD(音声モデル)も与えられないまま、高校入試でスピーキングテストをされることになり、明らかに親の収入による進路の差別が始まります。(詳しくは2018年3月8日のブログ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」をお読みください。)
皆さんの身近に教育関係者がいらっしゃいましたら、ぜひ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」であることをお伝えください。 (大学入試のスピーキングテストについても同じことです)
15歳で親の収入のために進路を差別されるのでは子供たちがあまりにもかわいそうです。
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英語教育については、下のブログも併せてご参照ください。 日付をクリックすると移動できます。
2017年10月12日
文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない(子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き)
ここから先は、いつも書いていることです。
「3つのこと」の一番最初、文部科学省のところに、新しい学習指導要領は全く効果がないことを付け加えました。
* * *
7月30日以降、私は、いつもブログに書いている3つのことの2番目、「英語で考える」を提唱した松本亨氏の主張について」という項目の最初のほうに文章を付け加えました。
それをお読みになると私がこの4年間、全く名前を出すことのなかった石渡誠氏の名前をなぜ書くようになったのか、その理由がお分かりになります。
英語で考える指導法の提唱者、石渡誠氏は、その方法が有効であるならば、日本語訳を使わず、アラビア語をアラビア語で学んで、アラビア語が堪能になるかどうかご自身でやってみて、その結果を公開してください。 「英語を英語で教えるということが、中高でも広まってきて、良いことです」(2017年7月30日のブログ)などとおっしゃるのは、それを自分で証明してからにしてください。
自分で、その証明ができないなら、「英語で考える指導法」は、本当は実在しない「英語で考える詐欺指導法」であり、「英語を英語で理解する指導法」は、本当は実在しない「英語を英語で理解する詐欺指導法」ということです。この詐欺指導法を提唱する石渡誠氏は、自分が日本中の高校生、中学生(「英語で授業」は決定されましたが、まだ実施はされていません)にどれほどひどいことをしてきたか、真剣に自覚されたほうがいいと思います。
教師としての良心があるなら、自分の商売を拡大する前に、今もなお石渡氏の「英語で考える詐欺指導法」の犠牲になっている日本中の高校生、中学生にすることがあるでしょう。
石渡氏の2015年5月7日のブログを読むと、文部科学省にこの「英語で考える詐欺指導法」を持ち込んだのが石渡氏であることが分かります。 私たち国民は、この「英語で考える詐欺指導法」がどうやって文部科学省に持ち込まれたのか、知る権利(国民の知る権利)がありますので、このことを書き添えました。
私は、その数か月後、頭の打撲が治ったころ、インターネットで検索して、石渡氏のブログに書かれていたこの会合についていくつかのブログを読みました。 そこには、「この会合には英語界の重鎮中の重鎮の方々が集まっている」とか「英語教育界の大御所の方ばかり」とか書かれてありました。(「2015年5月5日 ついに変わる! 英語教育改革の全貌」で検索すると現在でもいくつか出てきます。)
石渡氏の5月7日のブログを読んだ私は、「どんなに立派な肩書をお持ちの英語教育の専門家の主張であっても、私の経験に照らし合わせてその主張が間違っていたら、私は一歩も引いてはならない」と決意しました。 そうしないと、日本中の子供たちが、「英語で考える詐欺指導法」の犠牲になってしまう」と思いました。
それで、2015年6月1日のブログを書きました。 どれほど、中学の英語の授業を英語ですることを阻止したかったかといえば、頭を打って、容体が急変した時は、知人にこのブログのアップを頼むほど、私は、それを阻止したいと思いました。(その時のことはこちらのブログに書いてあります)
石渡誠氏は、日本中の子供たちに誤った指導法をさせて、教師として、良心が痛むことはないのでしょうか。 今日も一生懸命、学校で勉強しているたくさんの子供たちのことを考えたことはないのでしょうか。
現在(2021年)、石渡氏の2015年5月7日のブログからは私が読んで怒りを感じた部分は削除されています。 石渡氏が「英語で授業」が行われるようになって非常に良いことだといっていた所も削除されています。 英語教育の有識者会議の委員安河内哲也氏が日本中の高校に「英語で授業」を広めるために非常に尽力されている、と安河内哲也氏おひとりの写真を大きく載せて紹介されていたことなど、私が怒りを感じた部分は全部削除されています。石渡氏自身が「英語で授業」が間違いだとわかったからでしょう。 それでも石渡氏は英語で考える指導法を間違いだったと認めることもなく、こっそりブログを書き直すなど、することが非常に悪質です。私はそのブログを読んで、怒りで数日よく眠れず、一週間後に倒れて頭を打ったのですから、5月7日のブログに何が書いてあったか忘れるはずないでしょう。
* * *
私は随分長い間、自分の本のランキングを妨害されていますが、おそらく、やっている人は、私が英語教育の分野からいなくなるまで、妨害を続けるのでしょう。
ただ、私は、英語教育の分野からいなくなるわけではないようです。
こちらのブログに書いた外国人の方が、1999年11月にこのことの後、どういう結末になるのか、私に教えてくれました。 (初めて聞いたときは、これは本当に自分のことなのだろうかと思いました) それによると、私は、「英語教育の分野からいなくなる」わけではないようです。
その外国人の方の言った通りになるのかどうか知りませんが、少なくとも、私は妨害されて、英語教育の分野からいなくなる、とは言われませんでした。
どういう結末になるかは、これからわかると思いますが、18年前、その結末を聞かされていたので、私は、「英語耳」の松澤喜好氏に盗作されようと、妨害されようと、日本人が誰も聞けない音について本を書いていようと、今日まで、頑張って来ることが出来ました。 どんな立派な肩書を持つ英語教育の専門家の言うことも自分の経験から見て、間違っていたら、一歩も引かない、という決意ができたのも、18年前、このことの結末がどうなるのか聞かされていたからでした。
文部科学省の方針に正面から反対したのも、50年間信じられていた松本亨さんの主張を否定したのも、この後、どういう結末が訪れるのか、あの時、その人から聞いていたからでした。
なぜ、その人が、私にそんな先のことを教えてくれたのか、その時は分かりませんでしたけれど、今は、わかる気がします。
たぶん、その方は、2008年以降、私がどれほど苦しい思いをするかご存じだったのだと思います。 2008年以降、私が「英語耳」の松澤喜好氏と、KADOKAWA/アスキーメディアワークスのためにどれほど泣くことになるか、ご存じだったのだと思います。(詳細はこちらです。) その時にくじけないように、その苦しさの先にある結末を教えてくれたのだと今は、思っています。
実際、この結末を聞いていなかったら、私は、2008年から今日まで、到底一人でやって来ることはできなかったと思います。
もう私の本のランキングを下げるなどという行為はおやめください。
KADOKAWA/アスキーメディアワークス社長塚田正晃氏は「著作権法に抵触するのは犯罪行為だ」と言っています。(こちら) 松澤さんは、「松澤は盗作!というのはすごーい!」とHPに書いていましたが、塚田さんの主張によれば、盗作は犯罪行為です。
他人のランキングを妨害するのも、営業妨害ですから、犯罪行為です。
もうやめてください。
KADOKAWA/アスキーメディアワークス(塚田正晃社長)は、隠ぺい工作までして、著者が自分のホームページで盗作を豪語するような悪質な出版はやめてください。(詳細はこちらです。)
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私の2冊目の本「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」(緑色の本)を購入された方で、CDトラック6,13,18,19にある生徒さんと私の子音の長さの比較がよくわからない方は下のブログを参考にしてください。
2016年7月3日のブログ 子音を長く言う「川合メソッド2」「L」の練習 4週間後 (長いSの例)
2016年9月1日のブログ RとFの練習 1か月後 マライア・キャリー (長いLの例)
2015年2月1日のブログ 「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」付属CDトラック6 例文 Where's my bag? 川合典子には生徒のWの発音はどう聞こえたか。
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ここから先は、毎回掲載している3つのことです。「なぜ毎回3つのことを掲載するのか」その理由については、こちらのブログをご覧ください。
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英語教育について
文部科学省の英語教育の方針は、効果がありません。
今年3月に発表された中学校の学習指導要領(英語)は全く効果がありません。 理由は、2017年10月12日のブログをご覧ください。
以下、効果のないものを列挙します。
1)現在、高校生が行っている「英語で授業」は効果がありません。 (理由はこちら)
2)「CAN-DOリスト形式」は効果がありません。 (理由はこちら)
3)「4技能」は効果がありません。 (理由はこちらとこちら)
4)現在、小学校の英語教育で子供たちが話しているのは、英語の発音ではありません。 (理由はこちら)
5)大学教育を英語で行うと日本の学問は壊滅的な打撃を受けます。 (理由はこちら)
以上の理由により、文部科学省の方針は効果がありません。
「発音」、「語順」、「英語で考える」、それぞれを習得する方法は2015年10月19日のブログ「川合式英語学習法」をご覧ください。
これは全部私自身がやってきたことです。 こうすれば、生徒たちは必ず通じる英語で話すようになります。
英語で考える指導法を提唱する人たちのように、「自分は日本語訳を使ったけれど、生徒たちは使うな」というような、誰も実際にはやっていないような指導方法ではありません。 私は全部自分でやっています。
「英語で考える」を提唱した松本亨氏の主張について
松本亨氏の「英語で考えるためには日本語訳を使ってはいけない」という主張は2006年、私の子供たちが全文和訳でバイリンガルになった事実によって否定されました。
「英語で考える指導法」は詐欺である可能性が高いです。
松本亨さんの書いた「英語で考える本」「英語で考えるには そのヒケツと練習」という本に書いてある練習をしても英語で考えるようにはなりません。(2月4日のブログ「英語の思考活動」、3月1日のブログ「先生の宿題のプリント「英語で考える」ってどういうこと?」を参照してください)
英語で考える指導法を掲げる英語学校FORWARDの指導者、石渡誠さんは、松本亨さんの「英語で考える本」「英語で考えるには −そのヒケツと練習−」という本で勉強すれば英語で考えるようになると2017年1月19日のブログで言っていますが、この2つの本で勉強しても、英語で考えるようにはなりません。 「この方法を26年教えてきた」と書いていますが、26年間も効果のない方法を教えてきたというのは驚きですね。
私は、この件について、松本亨さん(著作を含めて)以外の固有名詞を入れることをずっと避けてきました。 けれども、石渡誠さんの2017年7月30日ブログの冒頭の
日本の英語教育界もようやく変革の時が!英語を英語で教えるということが、中高でも広まってきています。良いことですが、
という部分を読んで、明記することにしました。 日本中の高校生を犠牲にしておいて、まだこういうことを言っていることに怒りを覚えました。 文部科学省でさえ、もう、中学校の英語の授業を英語で行うとは、言わなくなったのに、と思いました。
石渡誠さんは、26年間も授業料を取って、「効果のない方法」を「効果がある」と偽って教えてきて、謝罪も損害賠償もしないのですか? そうやって、「何を言っても何の責任も取らなくていい」と思っているから、いまだに「英語を英語で教えるのが良い」などとおっしゃるのでしょう。
でしたら、ご自身がアラビア語をアラビア語で学んで、アラビア語が堪能になるかどうか示してください。 それが出来ないのであれば、「英語を英語で理解する指導法」が間違っていたと認めてください。 そういうけじめをつけないからいつまでも「英語を英語で理解する」などという指導法を主張し続けるのでしょう。
日本中の高校生が迷惑していますので、自分もできない指導法を提唱するのはやめてください。
自分の商売のために子供たちを犠牲にするのは、もうやめてください。
Je suis Charlie. と母国語で言うフランス人が I am Charlie.という言語を学ぶとき、母国語の意味を参考にしていないはずはないでしょう。 日本人は誤った指導法を50年も信じて、大きく後れを取りました。
私は、英語で考える指導法の提唱者が、「Freedomを日本語に訳すとニュアンスが分からなくなるから英語のまま言わせる」とブログに書いているのを読みました。 でもそれでは何も教えていないのと同じです。
生徒から、アメリカ人にとって自由というのはそんなに大事なものなのですか?と質問されたら、アメリカ史がご専門の先生なら、「建国の歴史を勉強してみるとその理由が分かってきますよ」とお答えになるでしょうし、時事英語がご専門の先生なら、ニュースの中から、アメリカが個人の自由を制限する国に対して、非常に厳しい外交政策をとり、しかも大多数の国民がそれを支持しているというニュースを選んで、生徒と一緒に勉強していくでしょう。
Freedomを日本語に訳さずFreedom. Freedom と生徒に言わせる、などというのは何も教えていないのと同じことです。
それは、次のような例を想像してみるとよくわかります。
もし、アメリカで、日本語を学んでいる生徒が「日本の武士道とはなんですか?」と教師に質問した時、「日本人にとって武士道が、どういうものなのか知りたかったら、武士道を英語に訳さず、日本語のままブシドウ、ブシドウといいなさい」 などと指導する教師は一人もいないでしょう。
仮に先生が「これが、日本語を日本語で理解する指導法だ」「日本語で考える指導法だ」などと言っても、生徒はばかばかしくてする気にもならないでしょう。 保護者からは「まじめに教えろ」と言われるでしょう。
これが英語で考える指導法の正体です。
教える方は何も教えていない。
学ぶ方は何も学んでいない。
これが英語で考える指導法の正体です。
だから私はこの方法は詐欺だと言ったのです。(こちらのブログ)
以前、この「英語のままFreedomと言わせる」と言っていた学校のブログで、車を売って受講料を払って学んでいるという生徒の例が紹介されていました。 それほどの高額の授業料をとって、「だますつもりはなかった」「知らなかった」では済まないです。
詐欺は犯罪です。
詐欺は、刑法で刑罰が定められている犯罪です。
また、そのブログで、英語で考える指導法をする人々が、生徒の英和辞典を取り上げたり、生徒に英和辞典を窓から捨てさせたりする、ということも読みました。 中には最後まで生徒に英和辞典を返さなかったこともあったそうです。
「帰国子女に見る世界に通用する英語力の作り方」を読んでいただくとわかりますが、英語のわからない生徒にとって、英和辞典は命綱です。 英和辞典があるから、英語の意味が分かるようになります。 これを取り上げるなど、間違った指導法を盲信する指導者の誤りです。 英和辞典を取り上げれば生徒の英語力が上がるなどということは絶対にありません。
この詐欺商法を、中学や高校に持ち込んだのが文部科学省の「中学、高校の英語の授業を英語で行う方針」です。
だから、私は、「学校で詐欺を行わないでください」と申し上げたのです。
税金を詐欺に使わないでください、と申し上げたのです。
高校英語教育はいまだに詐欺ですね。
学校で詐欺教育をするために、車一台売るどころではない、莫大な税金が使われています。
早くやめてください。
高校時代は、高校時代にやらなければならない訓練があるのです。
複雑な英語を読み始めるときにどうしてもやらなければならない訓練があるのです。
この時を逸すると、取り返しがつかないのです。 高校生がかわいそうですから、「学校で詐欺」はやめてください。
発音練習について
学生時代、私はアメリカのセルフヘルプの本を読むのが好きでした。 当時、そういう本は翻訳しか入手できませんでした。 その中にこんな話が書いてありました。
チャーリーさんが自動車の調子が悪くなり、修理工場に持ち込みました。 修理が終わって取りに行ったとき、調子が悪かった原因を尋ねると「OOのネジが一つ壊れて、不具合が生じていたので、新しいネジに変えました」と説明を受けました。
請求書を見てみると、とても高い金額でしたので、チャーリーさんは、「ネジ一つ取り換えただけなのに、これでは金額が高すぎます」と文句を言いました。 そうしたら、修理をした人が、「最初は、何が原因となって不具合が生じているのかわかりませんでした。 それで、私は自動車の内部を全部調べました。 そしてOOのネジが壊れていることを発見したのです。 自動車内部をすべて調べるのに何時間もかかりました。 請求書はその労働の代金を含んでいるのです」と言いました。 チャーリーさんもその説明で納得しました。
この話は、どこを直せばよいかわかっているものを直すのは、簡単ですが、どこが悪いかわからないものを直すのは大変だ、ということを例えた話でした。
私は中学時代に英語のきれいな発音に魅了されて発音練習を始めました。 中学生でしたから一生懸命練習すればお手本のアメリカ人と同じ発音になると信じていました。 一年半くらいはちっともうまくなりませんでしたが、その日の練習が終わると、自分が今日練習した分だけお手本の発音に近づけたと思えて、とても、心が満たされていたのを覚えています。 一年半くらいは目に見えてうまくなってはいませんでしたが、毎日練習が終わって、テープレコーダーの手あかを白いハンカチできれいにふき取ってしまうときは、とても気持ちが充実していたのを今でも覚えています。
だから発音練習は大変だ、とかつらいとか思ったことはありませんでした。(決してうまくはなかったのに、です)
最初の本「英語発音、日本人でもここまでできます。」(赤い本)の原稿を書いていた時、私は編集してくれた人に次のような心配をお話ししたことがありました。
「読者の皆さんに、私は何の苦労もなく、発音を習得した、と思われると困るのですが、、、」
そうしたら、編集をしてくださった方からこういわれました。
「川合先生の本を読んで、川合先生が何の苦労もなく発音を習得した、と思う人はいません。 そんなことを心配するより、むしろ、こんなサイボーグみたいな練習をしなければ発音はうまくならないのか、と思われることをご心配なさった方がよろしいんじゃありません?」
編集をしてくださった方は、スタンフォードでの留学経験もありますので、英語がとても上手な方でした。 こういうユーモアのセンスもお持ちでした。
私は苦笑しながら「はい。。。。」と言って、すぐひき下がりました。
確かに文全体をお手本と比べて違いを探すにはサイボーグみたいな能力がないとだめだ、と思ってしまう方もいらっしゃるかもしれません。 (先日夫がチャンネルを回していたら、ターミネーター3でシュワルツネガーさんが人の着ている洋服を見て、一瞬で、それが自分に合うかどうかをピピピピ。。。と判断する場面がありました。 サイボーグと言うとそういうイメージが浮かんできますね。)
けれども、発音を直すときは、最初は、気づいたところから直していけばいいので、本当はそういうことはないのですが、人によってはそんなことはとてもできないと思ってしまう人もいるかもしれません。
しかし、その2年後、私は、「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」(緑の本)を出版しました。 そしてその本に、どこを比べて何を直したらよいか書きました。 漠然と、文全体を比べたら違いは分からないかもしれませんが、「この音のこの違い(例えば、長さ)を聞いて下さい」とピンポイントで言われれば、誰でもそれは聞けます。
先ほどの自動車修理工場の例でいえば、どこに原因があるのか車の内部全体を調べるのはとても時間がかかって大変ですが、「ここのネジを変えてください」と言われれば誰でも出来るのと同じことです。 具体的に言われたことはやりやすいです。
「続・英語発音、日本人でもここまでできます」にはどこを聞いて何を直せばよいのか、書いてあります。 そのポイントは日本語のくせから来るものがほとんどです。 それは日本人に共通する発音の問題点ですから、そこを聞いて直していただけば通じやすい発音になっていきます。
「ここのネジを取り替えてください」というのと同じように、努力すればだれでもできることです。 サイボーグのような能力はいりません。
読者の方から、「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」は、「英語発音、日本人でもここまでできます。」付属のDVDで発音練習するときの参考書のように使っています」というメールをいただいたことがありますが、この2冊は一緒に活用してください。
「なぜそういう練習をするのか」その原理もわかりますし、理解が深まると、相乗効果となって皆さんの発音がとても上達します。 発音は、口の練習だけではうまくなりません。 上手な人の発音って何か違いますでしょう? 体になじんでその音がでてきていますでしょう? 耳はもちろん、たくさんの感覚を使って習得すると上手になります。 (これについては、2018年3月8日のブログの中ほどにある、2018年12月2日に書き加えた青字の部分をお読みください。 Internalize について書いてある部分です。)
表面的な練習だけやっていると表に現れないことが、その原理や仕組みを深く掘り下げて理解していると、口の動きに現れてきます。
お手本の発音を聞いたとき、「どうやって発音しているのか手に取るようにわかる」この状態になるわけです。 この深く掘り下げる役目ををするのが、「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」に書いてあることです。
「上手な人の発音が何か違う」と感じるのは、口の動きの後ろにある、さまざまな感覚の関連性を意識して、練習しているからです。 「自分の体をどうするとあの音が出てくるか、体が知っている」この状態になっているからです。 表に現れたものだけ練習する場合、長く練習しても、あまり変化はありませんが、深く掘り下げて、練習していると、だんだん、音を捕まえる能力も向上しますので、長い間には、口の動きだけ練習してきた人とは随分違う発音が出来上がります。 発音練習の基本姿勢のブログに出てくる生徒さんみたいにですね。 「英語発音」と「続・英語発音」の本は一緒に活用してください。
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ブタさんが持っている旗については、こちらの「きのこの山とたけのこの里」というブログの後半を読むと、私がどうやって、子音の長さが聞けるようになったのか、書いてあります。