川合典子 ブログ

英語教育、英語学習、発音習得、帰国子女の言語習得について書いています。

英語で考える(1)

昨日の続きです。

私は娘の学校で元ESLの先生をしていた人に聞いてみたことがあります。彼女は30年以上英語が母国語でない生徒(多くの日本人の生徒を含みます)を指導していました。彼女は「私が教えた日本人の生徒は全員、最初は教科書を全部和訳して覚えていました。」と言っていました。

それは当たり前だと思います。 そうでなければ、英語のわからない子が教科書に書かれていることを理解できるわけはないです。

例えば 生物の教科書にhorse と言う言葉が出てきたとき、horseを英英辞典でひいて a solid-hoofed plant-eating domesticated mammal with a flowing mane and tail, used for riding racing, and to carry and pull loads. こんな風に書いてあったら、たとえこの中に書いてある単語の意味が全部わかっても、この説明で、馬がぱっとイメージできる人はいません。 子供たちには一言「これは馬よ。」と言わなければぜんぜんわからないです。

地学の教科書にあった、erupt の場合も when a volcano erupts or burning rocks, smoke, etc. erupt or are erupted, the burning rocks are thrown out from the volcano と書いてあっても、 こういわれるより、「噴火する。」といえば、彼らには鮮明にわかります。

ESL(English as a second language)の先生の中には家庭ではしっかり母国語を教えてください。と強調する方がいるのはこういうことだと思います。 言葉によって何かを理解することが非常に重要だとしたら、そこで母国語を外国語の理解に使うのは当然のことです。 

ある程度基礎的な語彙が理解できるようになるまでは日本語を仲介することは自然なことだと思います。一階が日本語の部屋で、2階が英語の部屋なら、最初は二階に上がるはしごが要るわけで、それを日本語訳しながら彼らは一段一段上って行ったということだと思います。

ベイシックな語彙ができるまでは英和辞典を使うことは一向に構わないと私は思います。(もし私が大学のときに、英英辞典しか使ってはいけないといわれたら、資料が漠然としか理解できなくて卒論も書けなかったと思います。)でもそのときでも、意味がわかったらそれを英語でアウトプットできるようにしておくことは必要だと思います。

それから彼らが、もはや日本語を介していられなくなった理由の一つはスピードを上げなければならなかったということです。

先生の質問にすぐにこたえなければならない。友達との会話をしたい。テストは時間が限られている。こういう状況の中で速さが要求され、日本語経由の時間をできるだけなくすように強制されていったのでしょう。また、大量の英語を処理しなければならなかったことも時間を短縮せざるを得ない強い要因だったと思います。

こういう変化を見ていて私が思ったのは最初はどんな勉強の仕方をしても、大体英語を使えるようになった時点で、「大量」の英語を「スピード」を上げて処理するようにしていくと、英語で考えることはできるようになる。と言うことです。

むしろ、基本的な語彙もわからないうちから、おぼろげな理解で英英辞典を使うより、しっかり基本的な語彙を把握したあと、大量の英語をスピードを上げて処理して、日本語を抜いていく方が、英語力を上げる意味では順当な道筋だと思います。

日本にいると、なかなか大量に英語を処理することはありませんが、大量に本を読むということならできると思います。(私の場合はどのようにしたかと言うのは2011年8月23日のブログ「英語の勉強をあきらめた日」http://d.hatena.ne.jp/creato-k/20110823 に書いてあります。)続けていくと自然に英英辞典がひきたくなります。

2011年10月17日「帰国子女の英語ー帰国後の英語の維持について」http://d.hatena.ne.jp/creato-k/20111017 、でも書きましたけれど、小学生が話すような内容のレベルで、英語で考えるも考えないも、たいした問題ではないです。

仕事や学業で英語で考えるようになりたかったら、最初はどんな学び方をしようと英語がある程度使えるようになったところで、「大量の英語」を「スピードを上げて」処理していけば、英語で考えることも、英英辞典を使うこともできるようになります。 

ただし、日本語で意味を考えている段階であっても、英語を英語の語順で(つまり単語が並んでいる順番に頭から意味を取る。)理解することは、なるべく早い段階からした方がいいです。 英語処理のスピードが格段に速くなります。

「大量の英語」を「スピードを上げて」処理するわけですから、その過程で、英語力は飛躍的に上がります。

これは無理のない日本語の抜き方だと思います。 私の周りにいる上級者は、無理に日本語を抜いたのではなくこうやって大量の英語をスピードを上げて理解する必要に迫られて、英語で考えるようになった人が多いです。 




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高校入試で子供たちが親の収入によって差別されない為に以下のお知らせを書かせていただきます。

高校入試のスピーキングテストについて(大学入試のスピーキングテストについても同様です)

高校入試のスピーキングテストは本来文部科学省が学校教育で正しい発音を生徒に教えてから行うべきものです。  しかし、文部科学省が教科書にCDもつけず、正しい発音の仕方も学校で教えないまま、高校入試でスピーキングテストを実施する動きが都立高校などで始まっています。 (大学入試でもスピーキングテストが行われようとしています)  これは、スピーキングスキルの習得を塾や予備校、会話学校に丸投げするものです。  学校で教えていないスキルを入試でテストすることはあり得ません。

これでは経済的に余裕のない、塾や会話学校にいけない家庭の子供は誰にも正しい発音を教えてもらえず、練習するCD(音声モデル)も与えられないまま、高校入試でスピーキングテストをされることになり、明らかに親の収入による進路の差別が始まります。(詳しくは2018年3月8日のブログ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」をお読みください。)

皆さんの身近に教育関係者がいらっしゃいましたら、ぜひ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」であることをお伝えください。  (大学入試のスピーキングテストについても同じことです)  
15歳で親の収入のために進路を差別されるのでは子供たちがあまりにもかわいそうです。

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英語教育については、下のブログも併せてご参照ください。  日付をクリックすると移動できます。
2017年10月12日
文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない(子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き)





高校英語教育を文部科学省の誤解に基づいた方針から守るため、以下のご案内を書かせていただきます。

現在文部科学省が「グローバル化に対応した英語教育改革」の目玉として掲げているCAN-DO方式は、ヨーロッパの人々にはできますが、日本語を母国語とする人にはできない方式です。

文部科学省は「CAN-DO方式が日本人には不可能な方式である」と気づいておりません。  導入されれば教育現場は大変迷惑します。  中止する必要があります。  なぜCAN-DO方式が不可能なのかはこちらのブログをお読みください。

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何度もお願いをしているのですが、アマゾンのページで私の本のランキングを下げて妨害をしている人がやめてくれないので、(詳細はこちらです)しばらく以下の文章を掲載させていただくことにしました。

「本を出版する人は、他の著者の妨害をしない。  他の著者を妨害する人は自分の本も出版できない。」
出版社におかれましては、このことを出版の際、著者に理解していただいてください。

私のランキングを妨害している人は、たぶん、現実を受け入れられないのでしょう。
アマゾンの順位を1ペ―ジ目から2ページ目に下げられ、数日でまた2ページ目から3ページ目に下げられて、私は、この方の激しい妨害に驚いています。 

「学習者に正しい発音を習得してほしい」というのが自分の目標でしたら、他人を妨害する必要はありませんね。  他人を妨害してまで、何を手に入れたいのでしょうか。  ベストセラーの著者という名声ですか。  それなら、もうアマゾンで、ご自身の本はベストセラーに認定されているのですから、それで十分でしょう。  この上何が欲しくて私を妨害するのでしょうか?  もう英語教育とは関係ないことですか。 私は、とても困っています。  

私は、こちらに書いてある3つのことをするのが、目的です。  日本人が子音の日本語化を知っているか、いないかで、通じる英語で話せるか話せないかが、決まります。  ですから、このことを読者の皆さんに理解していただくのは、とても大事なことなのです。  私の仕事の妨害をしないでください。 

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クマさん、ウサギさん、ブタさん、それぞれが持っている旗に書かれたことの理由は、2017年7月30日のブログをご覧になるとわかります。