川合典子 ブログ

英語教育、英語学習、発音習得、帰国子女の言語習得について書いています。

(6)上級者のやっていることを真似しても、頭の中でやっていることは初級者のままです。

(私の息子が「アメリカに行ったばかりのころ英語の教科書を日本語に訳して理解していたこと」を帰るころには忘れてしまったことはこのブログの最後の方に黒い太字で書いてあります)

4回にわたって、英語がよくわからないときに、母国語の助けを借りて理解することは、英語学習上なんら障害になることではないと説明してきました。  英和辞典を使う学習は正しい学習である、と明らかにしてきました。

高校生の方は、高校時代に、正確に英文を読む習慣をつけてください。 くれぐれもあいまいなフィーリング読み、フィーリング理解にならないよう気をつけてください。 そのために母国語の助けを借りることはちっとも悪いことではありません。  英和辞書を使うことはちっとも悪いことではありません。

初心者が、形だけ「英語を英語で考えられるようになった人」がやっていることを真似しても、頭の中でおこなわれていることは、やっぱり、初心者のままです。  これから、大量の英語を自分で正確に意味が分かって処理していく体験をしなければ、本当の意味で、英語を英語で考えている人と同じにはならないのです。

学習者は、「すでに英語で考えられるようになった人」がしていることを真似するよりも、「英語で考えるように自分をしてくれる」練習をしなければなりません。  それにはまず、正確に英語の意味が分かることが一番大事です。

私がアメリカで出会った子供たちはみんな、最初に英和辞書を使って正確に英語の意味を理解し、その後、大量の英語を処理してバイリンガルになっていきました。 (例外は、幼稚園からアメリカの学校に通っていた小学校1年生の男の子だけでした) 英語を正確に理解する能力がなかったら、つまりフィーリングで理解していたら、自分の言いたいことも正確な英語で構築できませんから、英語でしゃべれるようにもなりません。  バイリンガルになどなれません。  

私の子供たちは英語を英語のまま理解したからバイリンガルになったのではありません。  「分からない言葉」を「知らない言語」で説明されて理解出来る人はいません。  彼らは、英語を自分が理解できる母国語に訳したから理解できたのです。  そして、その後、日本語を経由しなくても理解できるようになって行ったのです。  あのころを思い出すと、彼らの毎日は訳読式授業を全速力でおこなっていたようなものでした。  毎日毎日日本語に訳して、宿題をやって行きました。  あの子達は「母国語」に訳したから英語を「理解」できたのです。
  
私は英語の教師でしたから訳読式授業に批判が集中していることを知っていました。  けれども、子供たちを見ながら、悪いのは日本語に訳すことではなく、和訳の状態で勉強をとめてしまうことだと確信しました。  これがアラビア語だったら、日本語に訳しても誰も文句は言わないでしょう。  あのときの子供たちにとっては英語もアラビア語も「まったく分からない」と言う点では同じだったのです。  教師に対してでしたら、何も言わなかったかもしれませんが、私は母親でしたから息子から、「こんなもん、いくら英語で説明されたってわかんないんだよ」と本音をぶつけられました。  2002年のことでしたから11年も前のことですけれど、あのときの「もうこれ以上英語で言われて、何がわかるというのだ」と言う気持ちが極限に達したような息子の顔も声も、今でも鮮明に覚えています。  知らない言語なんかで説明されても理解出来るはずないじゃないか、と、強烈な一言でした。  
    
初期の学習者が正確に意味を取るには母国語の助けが必要です。  初期の学習者が英和辞典を使うのは当然であり、正しい勉強の仕方です。  高校時代に正確に意味を取る練習をしないと、後から追いつくことは非常に難しいです。  それがいかに難しいかは5月19日のブログhttp://d.hatena.ne.jp/creato-k/20130519に書いたとおりです。  

幼稚園、小学校一年生とシカゴ滞在中に英語の環境で過ごすだけで英語がしゃべれた息子も、高校生の今回はだめでした。  英語(よくわからない言語)を日本語(よくわかっている言語)の力を借りて正確に理解していくしかありませんでした。

英語の環境に放り込まれるだけで、英語が理解できるようになるのはせいぜい小学校1、2年までだと思います。  (シカゴで友人だった3年生のお子さんをお持ちの方は、もう相当大変そうでした。)


日本語を抜くことはこれから先、いつでも出来ます。  けれども正確に意味をとる練習は中学、高校とやさしい英文から複雑な英文に入っていくときにきちんと練習しないと、もう習得することは出来ないかもしれません。 ぜひ高校時代に正確に意味を取る習慣をつけてください。  母国語の助けを借りて正確に英語を理解してください。

余談になりますが、息子はこんなに苦労して英語を学んだのに、2年過ぎて、私が娘の宿題を手伝っていたら、「由紀子、まだ、お母さんに手伝ってもらっているの?  僕なんか最初から全部自分で出来たんだよね。おかあさん?」と言われて、唖然としました。  

「そう? お母さんは随分手伝ったような気がするけど」と言ったら、「そうかなあ?(首をかしげて) だとしたら、それは手伝ってもらわなくても自分で出来たんだよ。」と言って部屋にもどっていきました。  後ろを向いて笑いをこらえていた夫が、「それだけ英語が楽にわかるようになったということだよ。  喜んであげなさい。」と言うので、私も笑ってしまいました。  

3時に学校から帰ってきてからずーっと夜中の12時1時まで(娘は10時まででした)7時間も,8時間も教科書を日本語に訳して宿題をやったことなど、英語が上手になってしまえば、忘れてしまうのが、若さのいいところですね。  英語で考えてペラペラしゃべれるようになったら、自分は最初から「英語が分かった」と思ってしまうのですね。  必死で、構文をとらえて日本語に訳して教科書を読んだ日々のことなど忘れてしまうのですね。  若さっていいですね。

英語学習では、発音が上手になられた方に「随分上手になりましたね」と言うと「そうですか?  僕は前からずっとこうしゃべってました」とおっしゃる方もいらっしゃいますので、こういうことは、しばしばあります。 

私は若くはありませんでしたから、自分の右と左に子供を座らせて両方の宿題を見たころのことは忘れられないです。 1時過ぎに床につくと、これで本当にやっていけるのかと、不安に押しつぶされそうでした。 正直、高校生を連れてきたのは無謀だったと思いました。  今となれば懐かしい部分も0.5%くらいありますけれど、あんな苦しい思いは2度としたくないというのが正直なところです。

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6月1日は英語で考えることについて私の経験を踏まえて意見を述べたいと思います。

6月3日は、なぜ英語の本をスピードを上げて読むと、「自分の言いたいことが英語で頭に浮かんでくる」ようになるのか?  「意味を成す英文を頭の中に構築する能力」と言う題でお話いたします。 




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高校入試で子供たちが親の収入によって差別されない為に以下のお知らせを書かせていただきます。

高校入試のスピーキングテストについて(大学入試のスピーキングテストについても同様です)

高校入試のスピーキングテストは本来文部科学省が学校教育で正しい発音を生徒に教えてから行うべきものです。  しかし、文部科学省が教科書にCDもつけず、正しい発音の仕方も学校で教えないまま、高校入試でスピーキングテストを実施する動きが都立高校などで始まっています。 (大学入試でもスピーキングテストが行われようとしています)  これは、スピーキングスキルの習得を塾や予備校、会話学校に丸投げするものです。  学校で教えていないスキルを入試でテストすることはあり得ません。

これでは経済的に余裕のない、塾や会話学校にいけない家庭の子供は誰にも正しい発音を教えてもらえず、練習するCD(音声モデル)も与えられないまま、高校入試でスピーキングテストをされることになり、明らかに親の収入による進路の差別が始まります。(詳しくは2018年3月8日のブログ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」をお読みください。)

皆さんの身近に教育関係者がいらっしゃいましたら、ぜひ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」であることをお伝えください。  (大学入試のスピーキングテストについても同じことです)  
15歳で親の収入のために進路を差別されるのでは子供たちがあまりにもかわいそうです。

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英語教育については、下のブログも併せてご参照ください。  日付をクリックすると移動できます。
2017年10月12日
文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない(子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き)




高校英語教育を文部科学省の誤解に基づいた方針から守るため、以下のご案内を書かせていただきます。

現在文部科学省が「グローバル化に対応した英語教育改革」の目玉として掲げているCAN-DO方式は、ヨーロッパの人々にはできますが、日本語を母国語とする人にはできない方式です。

文部科学省は「CAN-DO方式が日本人には不可能な方式である」と気づいておりません。  導入されれば教育現場は大変迷惑します。  中止する必要があります。  なぜCAN-DO方式が不可能なのかはこちらのブログをお読みください。

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何度もお願いをしているのですが、アマゾンのページで私の本のランキングを下げて妨害をしている人がやめてくれないので、(詳細はこちらです)しばらく以下の文章を掲載させていただくことにしました。

「本を出版する人は、他の著者の妨害をしない。  他の著者を妨害する人は自分の本も出版できない。」
出版社におかれましては、このことを出版の際、著者に理解していただいてください。

私のランキングを妨害している人は、たぶん、現実を受け入れられないのでしょう。
アマゾンの順位を1ペ―ジ目から2ページ目に下げられ、数日でまた2ページ目から3ページ目に下げられて、私は、この方の激しい妨害に驚いています。 

「学習者に正しい発音を習得してほしい」というのが自分の目標でしたら、他人を妨害する必要はありませんね。  他人を妨害してまで、何を手に入れたいのでしょうか。  ベストセラーの著者という名声ですか。  それなら、もうアマゾンで、ご自身の本はベストセラーに認定されているのですから、それで十分でしょう。  この上何が欲しくて私を妨害するのでしょうか?  もう英語教育とは関係ないことですか。  私はとても困っています。  

私は、こちらに書いてある3つのことをするのが、目的です。  日本人が子音の日本語化を知っているか、いないかで、通じる英語で話せるか話せないかが、決まります。  ですから、このことを読者の皆さんに理解していただくのは、とても大事なことなのです。  私の仕事の妨害をしないでください。 

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クマさん、ウサギさん、ブタさん、それぞれが持っている旗に書かれたことの理由は、2017年7月30日のブログをご覧になるとわかります。