川合典子 ブログ

英語教育、英語学習、発音習得、帰国子女の言語習得について書いています。

言語と思考

私は「大学教育を英語で行うこと」のブログの中で、言語と思考力には密接な関係があるという前提で、話を進めました。

言葉と思考については、いろいろな考え方があります。  人間の思考は言葉になる前に心の中に存在し、それを表現するために言葉を使うだけだから「言葉で考えているわけではない」と主張する人もいます。  図にすると下のようになります。

(1)思考 ――> 言語

けれども学校教育を考える際には「思考が先で、言葉はあとからそれを表現するために付けられたものだから、言語で考えているわけではない」などということを言っても何の利益にもならない、と私は思います。

化学反応式という考え方も、三権分立、という考え方も、もともと子供たちの頭の中には存在しない考えです。

学校教育では、それを言葉を使って、子供達に教えていくわけです。  子供たちは授業を聞き、教科書をよみ、その言葉から新しい考え方、思考の仕方を学んでいきます。  つまり、

(2)思考 <―― 言語

となります。

「Aさんが何かを考えた」それを言葉でBさんに伝えた。  BさんはAさんの言葉から、その後ろにAさんが考えたことと同じ考えを再構築して理解する。  このようにして、言葉は思考を「伝達する」という役割も果たします。

この時、Bさんは、「言語によって思考している」と言えるでしょう。  

私は言語の機能というのは上の例を使えば(1)自分の思考を表現すること、と(2)相手の言葉を聞いて「言葉から思考を構築すること」、この二つがあると思います。  ですからこの2つが出来て初めて、「言語としての機能が完結する」と言えるのだと思います。  

もし(2)の「言葉から思考を構築する」ことが出来なかったら、言葉によって思考を伝達することは出来なくなります。  「伝達」できなければ、それはもはや言語とは言えません。  私が鳥の鳴き声を聞くのと同じです。

そう考えれば、(1)の「自分の思考を表現する言語の働き」のみを取り上げて論ずるのは、言語の機能の一部を説明しているに過ぎないと思います。  

そして、(1)と(2)、双方向の働きがあるからこそ、思考が言語に影響されることもあるでしょう。  ネガティブな事柄ばかり聞いていれば、ネガティブな思考ばかり、構築することになりますから、気分が沈むのは当然です。  言語と思考、この2つは「常に双方向の働きをしながら使われるから、相互に影響があるのは当然だ」と考えるのが自然だと思います。    

学校教育では、子供たちが知らないことを教えていくので、言語によって、思考していくことがたくさんあります。

そのためには、生徒や学生が、「言語の意味を正確に理解すること」が学校教育では非常に大事です。  英語で授業をして、それが出来るか?  

例えば、英語で大学の授業をやったら、法学部で「一事不再理」を英語で説明できる学生がどのくらいいるでしょうか。  「ベクター」を英語で説明出来る分子生物学専攻の学生は、どのくらいいるでしょうか。  3割もいないでしょう。

英語でペラペラ講義されても、理解できませんし、仮に家に帰って辞書を引いて、理解したとしても、私の息子のように、2年たったら、「一年目に英語でやったことは何にも覚えていない」という学生が大半でしょう。

もし、日本の大学では法学部の学生が、「一事不再理」も説明できない、分子生物学を専攻する学生が「ベクター」も説明できない、こうなったら、日本の学問のレベルはどうしようもないくらい下がると思います。

言葉の意味を正確に理解する、ということは学問にとって、基本中の基本です。  渡米後、最初のBACK TO SCHOOL NIGHT(全校保護者会)で娘の地理の先生が、教科書のglossary(用語解説)のページを開いて、「基本の地理用語を覚えることは非常に大事です」と言われました。  その他の学科でもその分野の用語を覚えることが、学習の目標の一つとして掲げられていました。  ですから基本用語の正確な理解は、どの学問でも必要なことです。  英語で授業をやったら、学生にとって専門用語の正確な理解は出来ません。  英語が使ったことのない言語だからです。

学問をする人にとって、専門用語の定義は非常に重要であり、どの言語を教育の現場で使うか、は子供たちの学問のレベル、思考力に大きな影響を与えます。

「英語を英語で理解する」「英語で考える」などという方法を学校教育にもちこんだら、子供たちが基本的な用語を正確に理解することは出来ませんので、日本の学問は大きな打撃を受けるでしょう。  学校で、「なんとなくわかる」「フィーリングでわかる」こんな授業をやっていたら教育にならないのです。  

こういう土台があやふやな授業をやっていると、その時は、軽くわかったような気分になっても、どんどん突き詰めていく段階に入ると、自分の考えを支える定義や事実をしっかり捕まえていないので、歯が立たなくなるのです。 

多くの学生がそうなってしまってから、教育を立て直そうと思っても、それは、容易なことではないと思います。 

「社会生活」でも、「家庭生活」でも、使ったことのない言語、
「幼児教育」でも「小学校教育」でも「中学校教育」でも「高校教育」でもその言語で一度も授業を受けた経験のない言語、
日本人にとっては「言語の後ろに文化も、歴史も持たない」言語、

日本のどこに行っても、誰も話していない言語、

子供たちにとって、言葉の後ろに何一つ実体を持たない言語、

このような言語(英語)で、教育などしても、学校教育の向上には何の役にも立たないでしょう。

感覚的にピンとこなかったら、3月15日のブログの最後をもう一度お読みください。  仮に、フランス人が「中国語を中国語で理解する」「中国語で考える」という指導法に従って、大学教育を中国語で行うことにしたと、想像してみてください。  高い学問の水準が保てるかどうかわかります。

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これで、私が、昨年12月より「大学教育を英語で行うこと」に関して書いてきた原稿は、すべて終了しました。

来月は、発音の練習に入ります。  現在のところ仮に付けた題は、「一か月で、被験者がLの日本語化を聞き取れるようになった練習」です。  基本の発音を習得して、簡単な英文が言える方ならどなたでも出来ますので、是非、一緒に勉強してください。




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高校入試で子供たちが親の収入によって差別されない為に以下のお知らせを書かせていただきます。

高校入試のスピーキングテストについて(大学入試のスピーキングテストについても同様です)

高校入試のスピーキングテストは本来文部科学省が学校教育で正しい発音を生徒に教えてから行うべきものです。  しかし、文部科学省が教科書にCDもつけず、正しい発音の仕方も学校で教えないまま、高校入試でスピーキングテストを実施する動きが都立高校などで始まっています。 (大学入試でもスピーキングテストが行われようとしています)  これは、スピーキングスキルの習得を塾や予備校、会話学校に丸投げするものです。  学校で教えていないスキルを入試でテストすることはあり得ません。

これでは経済的に余裕のない、塾や会話学校にいけない家庭の子供は誰にも正しい発音を教えてもらえず、練習するCD(音声モデル)も与えられないまま、高校入試でスピーキングテストをされることになり、明らかに親の収入による進路の差別が始まります。(詳しくは2018年3月8日のブログ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」をお読みください。)

皆さんの身近に教育関係者がいらっしゃいましたら、ぜひ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」であることをお伝えください。  (大学入試のスピーキングテストについても同じことです)  
15歳で親の収入のために進路を差別されるのでは子供たちがあまりにもかわいそうです。

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英語教育については、下のブログも併せてご参照ください。  日付をクリックすると移動できます。
2017年10月12日
文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない(子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き)

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何度もお願いをしているのですが、アマゾンのページで私の本のランキングを下げて妨害をしている人がやめてくれないので、(詳細はこちらです)しばらく以下の文章を掲載させていただくことにしました。

「本を出版する人は、他の著者の妨害をしない。  他の著者を妨害する人は自分の本も出版できない。」
出版社におかれましては、このことを出版の際、著者に理解していただいてください。

私のランキングを妨害している人は、たぶん、現実を受け入れられないのでしょう。
アマゾンの順位を1ペ―ジ目から2ページ目に下げられ、数日でまた2ページ目から3ページ目に下げられて、私は、この方の激しい妨害に驚いています。 

「学習者に正しい発音を習得してほしい」というのが自分の目標でしたら、他人を妨害する必要はありませんね。  他人を妨害してまで、何を手に入れたいのでしょうか。  ベストセラーの著者という名声ですか。  それなら、もうアマゾンで、ご自身の本はベストセラーに認定されているのですから、それで十分でしょう。  この上何が欲しくて私を妨害するのでしょうか?  もう英語教育とは関係ないことですか。  

私は、こちらに書いてある3つのことをするのが、目的です。  日本人が子音の日本語化を知っているか、いないかで、通じる英語で話せるか話せないかが、決まります。  ですから、このことを読者の皆さんに理解していただくのは、とても大事なことなのです。  私の仕事の妨害をしないでください。 


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クマさん、ウサギさん、ブタさん、それぞれが持っている旗に書かれたことの理由は、2017年7月30日のブログをご覧になるとわかります。