川合典子 ブログ

英語教育、英語学習、発音習得、帰国子女の言語習得について書いています。

大学教育を英語で行うこと(7)補足 − グローバル化に対応した学校教育とは。

昨日は「大学教育を英語で行うこと(6)最終回」にて、私の結論を述べました。  今日はグローバル化に対応した学校教育について、少し補足をしたいと思います。

小学生で英語をやっても、週に1,2回の授業では、発音はカタカナのままです。  (Youtube に載っている、小学生の英語の授業の発音をお聞きになるとわかります)  

小学校の英語教育などに熱心になるなら、大学生の英語集中講座にお金を使う方が、ずっと現実に役に立ちます。  彼らは卒業してすぐに実社会に出ていくからです。

ただし、何度も申し上げている通り、中学で、ほぼ完ぺきな発音、高校で語順の通り英語を処理する能力を身に付けていることが前提です。(やり方は発音については2015年4月17日のブログ、語順については2015年8月2日のブログ、9月28日のブログをそれぞれ参照してください)

日本人が国際競争の中でやっていけるようにするためには、小学校1年生から始めなければいけない「英語教育よりもっと大事な訓練、練習」があるのです。  日本人が異文化の中でやって行けるようにするためにぜひとも小学校からやらなければならない訓練や練習があるのです。  それを続けながら、中学校でやらなければいけない訓練や練習があるのです。  その積み重ねの上に立って高校でやらなければならない訓練や練習があるのです。

こうやって小中高の教育を変えていかないと、大学教育改革は出来ないのです。  小学校、中学校、高校で、何も訓練しないで、大学生になってから急に、論理的に考えるだの、コミュニケーション能力だの、と言ってもできないのです。

小さい時から、自分の意見を言う練習をしたことがなかったら、大学生になったからと言って、急にみんなの前で意見は言えないでしょう。  自分の意見を相手に納得させるには、自分がなぜそう考えるのか、その理由を明確にし、その理由を裏付ける例や事実を上げて説明する訓練をしていなければ、大学生になって急に、相手に論理的に説明することなど出来ないでしょう。  

そういうことを小学校、中学校、高校の教育を通して、初歩のレベルから母国語で、訓練して行かなければ、大学生になって、急にグローバルな社会でやっていける能力など、身に付けられないのです。

グローバルな社会でやっていける人間を育てたいなら、それに必要な教育は母国語でやって行かなければ身に着かないのです。  アメリカ人が英語でプレゼンテーションやエッセイ(小論文)を書いているのは、英語が彼らの母国語だからです。  母国語でやるからこそ、子供の思考の仕方が変わってくるのです。

グローバルな社会でやっていける人間を作る教育は、英語ではなく、母国語の教育の中でやって行かなければ、子供たちの中にグローバルな社会でやっていける思考の力は育たないのです。  彼らの中で血となり肉となっている言葉、母国語で、それをやって行かないと、子供は変わらないのです。

3月1日に見ていただいた図(1)にあるように、

家庭生活で使ったことのない言語(英語)。
社会生活で使ったことのない言語(英語)。
日本人にとっては、言葉の後ろに文化も歴史も持たない言語(英語)。
小学校教育、中学校教育、高校教育で、一度もその言葉で授業を受けた経験のない言語(英語)。


子供にとって、こういう「言葉の後ろに何も実体を持たない言語」英語で、高校生や大学生になったから、英語の時間だけ

英語で意見を言う、
英語でディベートをする
英語でエッセイ(小論文)を書く


そんな訓練をしても、子供の思考の仕方は変わらないのです。
借り物の言語で、どんな練習をしても、子供の思考の仕方は変わりません。

そんなことで、子供は、意見を言うようにも、論理的に考えるようにもなりません。

人的資源の開発、という点では日本の教育は小学校、中学校、高校を通して子供たちの持っている能力の半分しか引き出していません。

彼らはいつも答えが一つしかない問題しかやらなくていいからです。  (つまり知識の暗記が大部分を占めます)  知識を暗記したら、今度は暗記した知識を駆使しながら、ある問題に対して「どう考えるか」それを子供たちに訓練していく必要があります。

暗記だけでは、子供たちの能力の半分しか関発していないことになります。  暗記した知識を駆使しながら、今度は新しい問題にどう答えを出すか。 そのためには、習得した知識の中から、何を選択しそれをどう使うか、考え、組み立てていく、その訓練をしていかないと、子供たちのもつ思考力の半分は眠ったままになってしまいます。

こういう教育を具体的には、どう行っていけばよいのか、それについては、また機会がありましたら、お話をしたいと思っています。

(答えが一つではない問題を考えていく教育については2018年1月18日のブロググローバル化に対応した学校教育  中学、高校の場合(2)」に書きました。

大勢の人の前で物おじしないで話す練習は2017年4月21日のブログ「グローバル化に対応した学校教育 小学校の場合」に書きました。)

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「言語と思考」の関係についてはいろいろな説がありますが、私はこちらのブログに書きましたような考え方に基づいて、「大学教育を英語で行うこと」のブログを書きました。 「思考が先で、言語はその思考にまとわされるだけ」という考え方では、「言語で思考の伝達」はできません。  言葉を聞いて、思考を構築できるからこそ、「伝える」「伝えられる」という双方向の伝達が可能になります。





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高校入試で子供たちが親の収入によって差別されない為に以下のお知らせを書かせていただきます。

高校入試のスピーキングテストは本来文部科学省が学校教育で正しい発音でしゃべることを生徒に教えてから行うべきものです。  しかし、文部科学省は教科書にCDもつけず、正しい発音の仕方も学校で教えないまま高校入試、大学入試でスピーキングテストを導入しようとしています。  これは、スピーキングのスキルの習得を塾や予備校、会話学校に丸投げするものです。

これでは経済的に余裕のない家庭の子供は誰にも正しい発音の仕方を教えてもらえず、練習するCD(音声モデル)も与えてもらえず、受験することになりますので、明らかに親の収入による進路の差別が始まります。(詳しくは2018年3月8日のブログをお読みください。)

皆さんの身近に教育関係者がいらっしゃいましたら、ぜひこのことをお伝えください。  15歳で親の収入のために進路を差別されるのでは子供たちがあまりにもかわいそうです。




英語教育については、下のブログも併せてご参照ください。  日付をクリックすると移動できます。
2017年10月12日
文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない(子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き)




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何度もお願いしているのですが、アマゾンのページで私の本のランキングを下げて妨害をしている人がやめてくれないので、(詳細はこちらです)しばらく以下の文章を掲載させていただくことにしました。

「本を出版する人は、他の著者の妨害をしない。  他の著者を妨害する人は自分の本も出版できない。」
出版社におかれましては、このことを出版の際、著者に理解していただいてください。

私のランキングを妨害している人は、たぶん、現実を受け入れられないのでしょう。
アマゾンの順位を1ペ―ジ目から2ページ目に下げられ、数日でまた2ページ目から3ページ目に下げられて、私は、この方の激しい妨害に驚いています。 

「学習者に正しい発音を習得してほしい」というのが自分の目標でしたら、他人を妨害する必要はありませんね。  他人を妨害してまで、何を手に入れたいのでしょうか。  ベストセラーの著者という名声ですか。  それなら、もうアマゾンで、ご自身の本はベストセラーに認定されているのですから、それで十分でしょう。  この上何が欲しくて私を妨害するのでしょうか?  もう英語教育とは関係ないことですか。  

私は、こちらに書いてある3つのことをするのが、目的です。  日本人が子音の日本語化を知っているか、いないかで、通じる英語で話せるか話せないかが、決まります。  ですから、このことを読者の皆さんに理解していただくのは、とても大事なことなのです。  私の仕事の妨害をしないでください。 


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クマさん、ウサギさん、ブタさん、それぞれが持っている旗に書かれたことの理由は、2017年7月30日のブログをご覧になるとわかります。