恐れ入りますが、今日のブログを読む前に、まだ2015年4月19日のブログをお読みでない方は、そちらを読んでから今日のブログをお読みください。 4月19日のブログを読んでいないと今日のブログは分かりづらいと思います。
次に、私は「言語と思考」というブログで、人間は言語によって思考している、と書きました。 学者によっては、思考は言語になる前に人の心に存在し、それに言葉をまとわせるだけだから言語で考えているわけではない、という人もいます。 けれども学校教育を考える場合「化学反応式」という考え方も「三権分立」という考え方ももともと子供たちの頭にはない考え方です。 それを私たちは言葉によって入れて行くわけですから、人間は、言葉によって、思考している、と言えると思います。 今日はこういう前提でお話を進めていきます。
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私は最初の著書「英語発音、日本人でもここまでできます。」の中で、次のように書きました。 日本で英語を学んだ私とアメリカで英語を身に着けた子供たちの一番大きな違いは「英語が体に入る深さだった」。 子供たちの英語は私よりはるかに深く体に入り、母国語に近い存在だった。と書きました。
アメリカに連れて行ったとき、息子は日本語しかできませんでした。 そのため、彼の言語活動、思考活動は母国語で行われていました。
英語の教科書は和訳して理解していました。 けれども日本語で考えているとはいえ、英語の教科書を見ながらやっていますので、英語はいつも息子の日本語の思考過程にぴったりとくっついていました。 4月19日のブログで説明したように日本語の「おもり」と英語のボールを合体させていたわけです。
二年たって、英語の意味がほぼ理解できるようになったとき、母国語のみが行えていた思考のプロセスがだんだん英語でできるようになっていきました。
私は結婚と同時に仕事をやめましたので、それ以来英語は使っていませんでした。 その英語で渡米直後から一年間、娘の宿題を代わってやりました。 私が大量の読書を始めたのは渡米した年の翌年でしたので、最初のころは、まだ、英語の言語体系などとは無縁でした。
火山が爆発する仕組みや、地震のプレート理論などを英文の教科書を読みながら先生のプリントに書き込んでいました。
そういう宿題を一年間やりながら、私は次第に英語で考えるということがどういうことなのかわかってきました。 「英語で考える」というのは英文を読み、読み取った内容を正確に保持し、そこに変化を起こすような記述があれば、頭に保持した情報にも変化を加えてさらに保持し、そこまで読み取った情報で、原因と結果や、相互作用など関連することがあれば結び付けて考えることが出来る、そういう思考活動を英語でやっていくことだと思いました。
この「英語で考える」頭の活動は教科書を読むときばかりでなく、娘のリーディングの宿題で、課題図書を読んでいるときにもありました。 私が学生時代にゼミで読まされた英書は難しくて、正確に読み取るだけで精一杯でしたが、娘の年齢で読む本は、かなり余裕をもって読めたせいで、その情景は浮かんでくるし、書かれていることが頭の中で生き生きと再生されていました。 内容を保持したり、出来事を関連付けることも容易にできました。 そうやって読書をしていると、化学や地学を英語でやっているときと同じような頭の動きがありました。
それを感じた私は、帰国して英語を教えるようになったら、生徒さんにも英語の本を読んでそういう思考活動をしてもらいたいと思いました。 (それで200冊も英語の本を持ち帰りました)
ただ、そのためには「内容を把握するだけで精一杯」とか、「つまらなくてやっと読んだ」という本では、おそらく思考活動は起こらないだろうと思いました。 それで、近隣の図書館を回って、日本人でも興味を持って読めそうな本を借りてきて、自分で読んで、その内容を確かめました。 オリジナルセブンを選んだ時も、とにかく心に深く入る要素があることを気を付けました。
そのうえ、読書には、もう一つ、重要な利点があります。 英語のインプットの量がけた違いに多い事です。
今、私の手元にはずいぶん昔に読んだ、シドニー・シェルダン の The Other Side of Midnight という本があります。 ぱっと開けた1ページには342語単語がありました。 ページ数は約440ページです。 全部読むと150,480語読んだことになります。
一つの文が平均15語で構成されているとすると、一冊読めば10,000個の文を読んだことになります。 同じ文は一つもありません。 頭に10,000個の英文を通したことになります。 これを1冊、2冊、3冊と繰り返していくと一つの語でもいろいろな使われ方をしている場合に遭遇します。 文の形もいろいろなものが蓄積されます。
続けていくと大量にインプットされた英文や単語が網の目のようにつながって、非常に原始的な形ではありますが、英語の言語体系ができ始めます。 言語体系といっても、まだ、受精卵で言えば、卵割を始めたばかりのような原始的なものですが、それができ始めると、自分の言いたいことが英語で浮かんで来るようになります。 何か思ってもそれが英語で心に浮かんで来るようになります。 最初は完全な文の形ではなくて、フレーズで切れている場合もありますけれど、とにかく言いたいことや思ったことが英語で現れてきます。
こういう状態になった時を私は「英語で考える状態」だと思っています。
この英語の言語体系は、単語の意味を英語で言ったり、日本語が出てこないように文を言ったりする練習では、出来上がりません。
なぜ、そういう練習では英語の言語体系ができないかというと、一つはおそらく、そういう練習では本を読んだ時のような深い思考活動と英語が結びつくことがないからでしょう。 もう一つは英語量の圧倒的な不足でしょう。 先ほどの例でいえば、本を読めば1冊で、文は一万個。 単語は十五万個。 2冊読めば文は二万個。 単語は三十万個、頭に通したことになります。 これに比べると、単語の意味を英語で言ったり、日本語が出てこないように英語を言っても、数がとても少ない練習になります。 数が少ないと網の目でつながったような英語の集合体は作れません。 英語の言語「体系」というくらいですからやはり「数」が必要でしょう。
このことについては著書「帰国子女に見る世界に通用する英語力の作り方」に書きました。 英語の思考活動とか言語体系というのは目に見えない世界ですが、本を読むことが英語で考えることを促進していくということを示してくれる事例につい最近出会いました。
少し前に私は「ネイティブの先生が生徒の文章をどう直すのか」見たかったので、ある英語の講座を受講しました。 受講生の中に、作家志望の方がいました。 その方と帰りに駅まで一緒に歩いていくときに「どうしたら、英語が話せるようになりますか?」と聞かれました。 彼女は作家志望ですから、日本語の本はたくさん読んでいました。 時々、英語の本も読んでいるようでした。 それで、「英語の本をたくさん読んでみたらどうですか」と私は言いました。
翌週から彼女と帰りが一緒になると、「今週は英語の本をたくさん読んだから、今日の授業はよくしゃべれた」とか「今週は全然本が読めなかったから、今日はちっともしゃべれなかった」という彼女の感想をよく聞くことになりました。
それを聞くたびに、「やっぱりその通りだったのね。」と私は、自分が「帰国子女に見る世界に通用する英語力の作り方」に書いたことが正しかったことを確認しました。 その講座に参加している最中、私のエッセイは、ほどんど直されることがなかったので、(あっても、第一パラグラフでこの動詞を使ったので、第三パラグラフでは、この句動詞にしたらどうか、というような点でした。)私は、他の受講生の方々の文章を先生が直していくのをずーっと見ていました。 私は自分のバックグラウンドは何も言わなかったのですが、この時講師のアメリカ人の先生から、「どうやって教えたら、日本人は apple のアと cut のアの発音の区別ができるようになるのか」と聞かれましたので、お教えしました。
たとえ一週間でも、本を読む事の効果は出るようです。 頭の中が英語でいっぱいになれば、英語は口から出てきます。 当然ですね。
私は彼女は偉いな、と思いました。 「どうしたら英語が話せるようになりますか?」と誰かに聞いて、「英語の本をたくさん読んでみたらいかがですか。」と言われたとき、たいていの人は「読むことではなく、しゃべることについて質問しているのだ」と思って、言われたとおり本を読む人はほとんどいません。
「読むこと」は、英文を頭の中に構築する力を使って行われているわけですから(こちらのブログを参照してください)しゃべることと同じ力を鍛えているのですが、その事に気付く人はほとんどいません。
そういう中で、彼女は「どうしたら英語が話せるようになりますか?」とたずねて、「英語の本をたくさん読んでみたらいかかですか。」と言われたら、その通り、本を読んだわけですね。 とても素直で偉いなあ、と思いました。
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私が2010年に著書「英語発音、日本人でもここまでできます」を出版することになったのは、私の英語の歌を聞いた方から、「今は英語の発音で苦労している人がたくさんいますから川合さんのやり方を生徒さんだけでなくもっと多くの人に教えてあげたらいかがですか?」と勧められたからでした。
私が原稿を書き上げたら、その方から出版社を紹介していただくことになっていました。 いったん原稿を書き上げて、その方にお渡しした私は、最後に数ページ追加で原稿を書いてその方に送りました。 内容は「英語学習の最初は日本語訳を使って理解してかまいません。」というものでした。
原稿を見たその方から「なぜ、突然日本語訳の話が出るのか」と聞かれました。 アメリカで子供の英語習得の経過を見た私には当然のことだったので、そのように申し上げたら、「この原稿を入れるのでしたら、出版の話はなかったことにします」と言われました。
その方は何も意地悪でそうおっしゃったわけではありません。 日本の英語学習市場をよくご存じだったのです。 「日本語で理解してよい」などと書いたら、読者に好意的に受け入れられないとご存じだったのです。
私はその原稿を取り除きました。 あの頃、私が、二人の子供に2年間つきっきりで、高校と中学の教科書を全文和訳して教えてきたことなど、誰も知らないことでした。 それで、「日本語訳を使ってよい」などと書いてあったら、私の本は読者に受け入れられない、その方はそう判断されたのです。
その時私は、一つの国のとても多くの人が、事実とは違う英語習得のやり方を信じていることに大変驚きました。 子供たちがバイリンガルになる過程をつぶさに観察した私は、日本語訳は「使ってよい」というレベルではなく、深く英語を入れるためには「使わなければならないもの」だと知っていたからです。
2017年1月14日のブログでヨーロッパの言語を母国語とする人々が英語を学ぶとき、母国語からの「変換」で英語を習得できる部分が多い、と申し上げました。(全部変換では英語にならないことは十分承知しています)
「母国語からの変換」ということはどういうことかというと、私たちの学習に当てはめると「和文英訳」「英文和訳」と同じ原理で英語を習得している、ということです。 その後、そういう練習をたくさん行って、介在させた母国語なしに英語が喋れるようになっていくのでしょう。
「和文英訳」「英文和訳」、ということは、母国語を基にして、英語を学んでいるということです。
世界中、どこの国の人も言語の原型は母国語で持っています。 外国語学習の初期に思考活動ができるのは母国語だけです。 第二の言語を入れて行くとき、母国語を基にして入れて行くのは当然のことなのです。
フランス人が母国語から英語を学んでいるから、フランス人の英語力が低い、などとは聞いたことがありません。
日本語だって、語順が似ていたら、母国語を使って英語を学ぶことにだれも反対はしなかったでしょう。 でも、語順の問題は語順の問題として別個に解決すればいいことです。 (だから、高校時代に語順の訓練をしてください、と私は言ったのです。)
フランス人は母国語との変換で学べば、母国語で持っている深い感情や思考活動はそのまま英語に持ち込むことが出来ます。
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私の手元に松本亨さんの書いた「英語で考えるには」という赤い本があります。 初版は1974年ですから日本人が43年読んできた本です。
ここに書いてある練習をやっている人たちは「英語で考えているか」「英語で思考活動を行っているか」と言ったら、英語で考えてはいません。
私は大量の英語のインプット後、それが網の目のようにつながって英語の言語体系ができると申し上げました。 それが出来上がると、思ったことが英語で浮かんでくるようになる、と申し上げました。 そういう現象が現れてくると、英語で思考している状態になる,と申し上げました。
この「英語で考えるには」という松本亨さんの赤い本に書かれている練習をやっている人たちは膨大な英語の蓄積の結果出来上がる英語の言語体系を持っていて、そこから自然に出てくる英語でしゃべっているわけではありません。 ですから、英語で考えているわけではありません。
この練習はほかにたくさんある英語の練習と何ら異なるものではありません。 この練習をやっても英語の言語体系を作ることはできませんし、英語で考えるようにもなりません。
私が一つ確実に言えることは、その言語で考える力、思考する力をつけるには、こういう「こま切れ」の練習をしていてもだめだ、ということです。 単語一つ、文一つで完結するような練習をしていても、英語で思考する力はつかないのです。 「思考」というのは連続する、一連の脳の活動だからです。
英語で思考する力をつけたかったら、本のようにある程度、まとまった英文を読んで、読み取った内容を正確に頭に保持する。 読み取った情報において、原因と結果や、相互作用など関連付けられるものがあれば、頭の中でそれを認識することもできる。 そういう脳の活動を英文を読みながらできるようにすること。 それが、「英語で考えること」です。
文一つで完結しているような練習をいくらやっても、英語で考える力、思考する力は育ちません。 したがって、この赤い本「英語で考えるには」に書いてある練習をしても、英語で考えるようにはなりません。
松本亨さんもまとまった英語を読むこと − 英語の本を読むことに言及しています。 私は松本亨さんの「英語で考える本」、「私がすすめる英書の読み方」、「英語と私」、そのほかにもたくさんの彼の著作を読みました。 けれども、松本亨さんの言うように読んでいたら、英語で思考する読書はできません。
「英語で考える本」の67ページに
「英文を読むときに、日本語に訳していては何にもならないということは、今更言うまでもない」と書かれています。
同じく72ページには、わからない単語が出てきたときにはどうするかが書いてあります。
「私は一応英英辞典をひき、もしラチがあかなかったら英和辞典をひいて下さいと答えている。 但しそれは、個々の単語の意味をひくだけであって、決して文章を訳すためでないことを繰り返して言わせていただく。
Read, read, readの練習をしているとき、ただread away(読み放し)にしてしまうのでは何にもならないので、次のことを心掛けていただきたい。
1.内容をつかむ。
2.スピードを上げていく。
はじめのうちは、同じ個所を何回読んでも差し支えない。 内容がしっかりつかめるまで繰り返し繰り返し読むべきである。 その代わり、二回目に読むときは、一回目より速く読んでいただきたい。 そのためには、秒針付きの時計を手許に置いて、時間を図らなければならない。
私はこの章に、いくつかのreading material をのせておく。 各storyごとに標準と考えられる時間を記入してあるので、読者はその時間に到達するまで何回も何回も読んでいただきたい。
この後、2分から8分で読める文章が30個書いてあり、質問に答えたり、3回読んで読む時間を短縮していく練習などが書かれています。
けれども並んでいる英語を左から右に目を移していっても、意味が分かるようになるわけではありません。
私は2013年6月3日のブログ「意味を成す英文を頭の中に構築する能力」で次のように書きました。
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本を読むとき、単語はただ並んでいるだけです。 それを読んで、主語はこれ、動詞はこれ、この関係代名詞はこの言葉を修飾するなどと決めていくのは自分です。 これは結構大変な作業です。 日本語では当たり前にやっていますが、英語の本を読んで、これが苦もなく出来るには、相当の読書をこなさないと出来ません。 。。。。。。
つまり、本を読む時には、ただ並んでいるだけの英単語を、意味のある英文に構築していく作業を頭の中でしているわけです。 意味を成し言語としての機能を果たせる英文に頭の中で構築しているわけです。 。。。。。。
本を読んでいる間中、頭は物言わず並んでいる英単語を意味を成す英文に組み立てる作業に追われています。
しかし、これをするためには、読む人が、
構文をとらえて正確に英文を読む力を持っていることが前提となります。
その力がないと、本を読んでも英文を正しく構築する練習にならないからです。
* * *
構文をとらえて正確に読む力というのはどういうことかというと、まだ英語で考えられない学習者は、ただ並んでいるだけの一群の英語を、意味を考えながら、これらの単語はこういう構造の文に沿って並んでいるのだ、と決定しながら英文を読んでいくということです。
本を読み始めたばかりの人は、松本亨さんの言うように、ただ並んでいる単語を順番に読んでいくだけでは、英文の内容はつかめません。 単語を左から右に追うだけでは本は読めないのです。
私は、「息子はじーっと英語の教科書を読みながら和訳した日本語で、考えていた」と書きました。 その時彼のやっていたことを図にすると下のようになります。
単語の意味 | 文の意味 | 思考活動
第二段階 英語 英語 英語
第一段階 日本語 日本語 日本語
息子は日本語しか理解できませんので、「単語の意味の理解」「文の意味の理解」「思考活動」は英文を読みながら、和訳した日本語で行っていました。
第一段階として「日本語」と書いたのは一番始めに和訳で理解していたからです。 でもそれは英語を理解するためにやっているのですから、日本語と英語をくっつけて読んで、4月19日のブログの表現で書けば、日本語の「おもり」と英語のボールを合体させる努力をしていたわけです。 英文を理解する思考活動においても、和訳でやりながら、英語はその思考活動の間じゅう、ぴったり日本語についていたわけです。
やがて大量のインプットによって英単語の意味を知り、英文の意味も理解できるようになると、「第一段階の日本語」の列は消えていきました。 その後、大量のインプットは続き、日本語からの持ち込みでない、英語本来の「単語の意味」、「文の意味」、「英語本来の思考活動」に代わっていったわけです。
思考活動を行えるのは、外国語学習の初期においては母国語だけです。 どこの国の人も言語活動の原型は母国語で持っています。 そして、その母国語がやっていることを基に新しい言語の意味や文の構造を理解し、一緒に思考活動をしながらそのプロセスを経験させ、外国語が言語として機能できるようにしていくわけです。
ヨーロッパの人たちだって、「和文英訳」「英文和訳」の原理を使って母国語との関連で英語を学んでいくのなら、最初は、母国語の意味、思考活動を英語に持ち込んでいるわけです。
ところが、英語習得の初期から、
日本語に訳してはいけない。 日本語で考えてはいけない。
と、いわれたら、「英語でどう、思考活動をするのか」だれも英語に教えられません。 脳の中の思考活動を教えられるのは、今思考活動をしている母国語だけです。
私が松本亨さんのやり方に違和感を感じるのは、その人が、思考活動(考えること)を行える唯一の言語(母国語)を最初から外国語習得の過程から排除することを強く主張するからです。 英語で言っているだけでは脳に思考活動は起こりません。 左から右に並んでいる単語を読んでいるだけでは思考活動は起こりません。 英語に思考活動を教えられるのは、今思考活動を行っている日本語だけです。
おそらく松本亨さんはすでに英語で思考活動ができる状態で、これらの本を書いたのでしょう。 だから「日本語に訳してはいけない」「日本語で考えてはいけない」というのでしょう。 松本亨さんは、「日本語で考えてはいけない」と言われれば、自分は英語のまま理解できたのでしょう。つまり、松本亨氏は、上の表で言えば、すでに第一段階を終了して、第二段階にいたから日本語訳がなくても英語の意味が分かったのでしょう。
私は、「日本語に訳すな」と言われたら、全く英語を理解できない子供たちが、英語で考えるようになるまでの過程を見てきたのです。 日本語でしか思考活動できない子供たちがどうやって英語で思考できるようになっていったのか、その過程を横でつぶさに見てきたのです。 つまり、英語を全く知らない状態から英語学習を始める学習者の英語習得過程を見てきたのです。 松本亨さんのように第二段階から英語学習をスタートする人はいません。 日本語訳を使わずに英語だけ言われて意味が理解できる状態で英語学習をスタートする人はいません。 だから私は松本亨さんとは全く違う主張をするのです。 それは、2年間、自分の目で見てきた事実だからです。
松本亨氏の書いた「英語で考える本 Think In English」の67ページには、松本亨氏は「英語学習開始から7年目までは日本語訳を使って、英語を理解していた」と書いています。 しかも、英語を英語のまま理解する練習を始めた時に使ったのは、最初に日本語で十分理解したReader の第一巻に戻って、英語のまま理解する練習を始めたと書いています。
つまり、松本亨氏の行ったやり方は、私の子供たちがアメリカで行ったやり方と同じです。 第一段階「まず、日本語訳で英語を理解する」、そのあと、「日本語訳を除いて英語のまま理解する」。 これは私の子供たちが行ったやり方と全く同じです。 英語で考える指導法の提唱者も私の子供たちと同じ「和訳で理解 → 英語のまま理解」という順番で英語を習得したのです。
息子は、じーっと英語の教科書を見て、英語を理解するために日本語訳で考えていました。
私はそれを横で見ながら、「英語を母国語の深さまで連れて行っているんだね」と思いました。 (それが4月19日のブログになりました)
息子が頭の中で英語と日本語を結びつけて教科書を理解するのは、とても時間がかかりました。 けれども私は子供が日本語訳で英語の教科書を理解するまで、じーと横に座って待っていました。 時計が夜中の12時を過ぎていても、子供が考えている間、私は待っていました。
英語の教科書をじーっと見ながら、英語と結び付けた日本語で考えている息子を見ていると、子供が納得するまで待つことは、とても大事なことに思えました。 今思えばそれは、考えるという行為を和訳で行いながら、同時にその思考活動に英語を少しずつ参加させていく道のりだったのだと思います。
「英語で考えるには」という赤い本に書いてある練習をしても、英語で考えるようにはなりません。また、松本亨さんの言うように日本語に訳さず、左から右に単語を追っても、本の内容は分かりません。 日本語でしか思考できない段階の学習者は、母国語を排除したら、思考活動はできないのです。
「英語で考えるには」という赤い本に書いてある練習をしても英語で考えるようにならないのであれば、これを「英語で考える指導法」というのは、事実と違います。 この本に書いてある練習は、今までの英語の練習とちっとも変わらない、ただの練習です。 それをあたかもその練習をすると英語で思考ができるようになると宣伝するのは「誇大広告」です。 今、日本中の高校生がその誇大広告の被害を受けています。 「高校の英語の授業を英語で行う方針」は、この松本亨氏の「英語で考える指導法」を主張する人によって学校教育に持ち込まれました。 誇大広告は消費者の利益を著しく害すると判断されたときに、摘発の対象になります。 日本中の高校生が被害を受けているだけでも、消費者の利益を著しく損なっていると私は思います。
なお、私の2017年11月30日のブログ掲載後、松本亨氏の著書「英語で考えるには そのヒケツと練習」という赤い本(石渡誠氏がこちらで勧めています)は、絶版になりました。 アマゾンの価格の表示の仕方が「¥XXXより」という表記の仕方は現在出版中の本にはない、表記の仕方です。 このブログには下の日付をクリックすると移動できます。
2017年11月30日のブログ
松本亨氏が提唱した「英語で考える指導法」はインプットをさせないでアウトプットだけをさせる方法 英語学習者が実際にはできない机上の空論でした
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松本亨氏が提唱した「英語で考える指導法」については、下のブログも参考になさってください。
2015年12月5日「セミの抜け殻」
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文部科学省に申し上げます。
文部科学省がこの「英語で考える指導法」を持ち込んで、中学、高校の英語の授業を英語で行っても、中学生や高校生は英語で考えるようにはなりません。
文部科学省の天下りの事件が明るみに出た時、テレビのニュースで菅官房長官が「国家公務員法に違反する行為は問題だ」とおっしゃっていましたけれど、「詐欺商法」を学校教育に持ち込むことだって、国家公務員法違反です。(2016年10月16日のブログ参照) 早くやめていただきたいと思います。
読者のみなさんへ
私は、「日本語に訳してはいけない」と言われたら全く英語が理解できない2人の子供達が、英語で考えるようになるまでの過程を見てきました。 松本亨氏の「日本語に訳してはいけない」という指導法は、日本語訳がなくても、すでに英語のまま意味が分かるようになっている人がする英語学習のやり方です。 すでに第二段階に入っている人の勉強法です。 私の子供たちにはできませんでした。 松本亨氏の「英語で考えるには そのヒケツと練習」という赤い本に書いてある英語の練習が、もし全部フランス語で書いてあったら、皆さんは、その本を使ってフランス語の習得ができますか。 もし、その本の練習が全部アラビア語で書いてあったら、皆さんは、その本で、アラビア語の習得ができますか。 できませんよね。 フランス語やアラビア語を見ても、何が書いてあるのかさえ、全くわからないでしょう。 意味不明の文字が並んでいるとしか言えないでしょう。 皆さんがその本で英語の習得ができるのは、皆さんがそこに書いてある英単語や英文の意味を最初に日本語に訳して、知っているからです。 日本語で、発音や文の構造を習ってきたから、英文も読めるし、読めば意味も分かるのです。
FORWARD英語学校の石渡誠氏]は「英語で考えるには そのヒケツと練習」という赤い本に書かれている練習が全部フランス語で書かれていたら、日本語に訳さず、フランス語のままフランス語の習得ができるのでしょうか。 もし、フランス語で書いてあったら、石渡誠氏であっても、練習問題を見ても何が書いてあるのかさえわからないのではないですか。 発音もわからないから声に出して、読むこともできないのではないですか。 何が書いてあるのかもわからない状態で、フランス語をフランス語のまま何回見ようが読もうが、石渡誠氏だってそこに書いてあることの意味がわかるようにはならないのではないですか。 「いつまでフランス語を読んでも、それは、意味不明の文字でしかない」状態ではないですか。 それが、私の子供たちがアメリカに行った時の最初の状態でした。 もし、フランス語を見て、なんと書いてあるのかわかったら、それは、フランス語学習の第一段階はすでに終わっている、ということです。
アラビア語をアラビア語だけで、習得できる方はどうぞ、アラビア語だけでアラビア語を習得して、その学習記録を公開してください。 それが出来た方のみ、最初から日本語訳を使わない英語指導法を提唱する資格があります。 今のところどなたもいらっしゃいません。 石渡誠氏は何の根拠があって、最初から日本語訳は使ってはいけない、英和辞典を使ってはいけないとおっしゃるのですか? 自分だってフランス語を学ぶとき、仏和辞典を使わなければ、「英語で考えるには そのヒケツと練習」という本に書いてある練習のフランス語バージョンは全く理解できないでしょう。 何が書いてあるのかさえ分からないでしょう。
私は、「松本亨氏の英語で考える指導法は素晴らしい」という人を見ると、童話「はだかの王様」で、「王様の洋服は素晴らしい」という人を思い出します。 どちらも「実際には存在しないもの」を素晴らしいといっているからです。
FORWARD英語学校の石渡誠氏もそろそろ「王様は裸だ」と気づいてほしいと思います。 石渡誠氏のために日本中の高校生が「英語で授業」という、「正確な生徒の理解を妨げる最悪な授業形態」の犠牲になっています。 石渡誠氏には、もうそろそろ夢から覚めて現実(事実)を見ていただきたいと思います。 私の子供たちは、全文和訳でバイリンガルになったのですよ。 英語学習の最初に日本語訳を使うことは、何ら高い英語力を持つ妨げにはなりません。 これが事実です。 石渡誠氏は日本の英語教育を大きくゆがめた夢から早く覚めていただきたいと思います。 石渡さんが信じているのはただの幻想です。 幻想に基づいて学校経営をしているのはまずいですね。 虚偽ですから。
読者の皆さんが、高い英語力を持ちたいな、と思ったら、
最初は日本語訳を使ってたくさん単語を覚えることです。
そして、たくさん英書を読むことです。
そうしたら、言いたいことが英語で頭に浮かんできます。(こちらのブログ)辞典も英英辞典のほうが引きやすくなります。
そうすれば、最初から英英辞典なんか使っている人より、何倍も早く英語で考えられるようになります。
これについては、こちらのブログに書いてある、ニワトリの卵と東京ドームの例も参考になさってください。
英語で考える指導法は手品と同じです。 「タネ」と「仕掛け」がちゃんとある手品と同じです。 「タネ」と「仕掛け」とは何か、といえば、それは、松本亨氏のように「最初に日本語訳を使ってよく理解した文章」を使えばだれでも英語のままその文章を理解できるということです。
英単語、英文の意味を母国語を使って全部、わかるようにしておけば、英語のまま理解するのは簡単です。 何万円も払って石渡誠氏のFORWARD英語学校に行かなくてもみんな英語のまま理解できるようになります。 提唱者の松本亨氏もそうやって英語のまま理解する練習を始めたのですから、皆さんもそれに倣(なら)えばいいのではないですか。
石渡誠さんは、「英語で考えるには そのヒケツと練習」という本のフランス語バージョンも事前に全部仏和辞典で調べて、よく理解しておいて、生徒には「日本語訳を使うのはよくない」「仏和辞典は使うな」「フランス語のまま理解しなさい」といえば、生徒がたくさん集められますね。 「自分は、日本語に訳して理解したけれど、それはよくない。 フランス語をフランス語のまま理解したからフランス語で考えられるようになった」といえば生徒がたくさん集められますね。 石渡さんが今、英語教育でやっていることは、それと同じです。 虚偽です。 「まだ英語がよくできない学習者」に「日本語訳を使ってはいけない」というのは、やめてください。 もし、これ以上その指導法を提唱するなら、自分が日本語訳を全く使わず、何らかの外国語を習得してその学習記録を公開する必要があります。 (実際には、ロシア語を見ても韓国語を見ても全く理解できないでしょう。)
こういう、自分が実際にやってもいない学習法の提唱が「まだ英語がよくできない学習者」の努力をどれほど無駄にしてきたか、計り知れないと思います。 松本亨氏も石渡誠氏も最初の7年、6年は英語を日本語訳で理解していたわけでしょう。 7年、6年と言ったら、相当長い期間です。 中学1年から大学4年までを全体(10年)としたら、全体の7割、6割を日本語訳で勉強してきたということでしょう。 その間に学んだことをなかったことにするのは、前提が全く違ってきます。 学習期間の半分以上を費やした勉強をなかったことにしたら、その英語力は成り立たない、と考えるのが、普通でしょう。 日本語に訳して英語を学んだ7年、6年の期間がなかったら、松本亨氏の英語力も、石渡誠氏の英語力も成り立たない、ということです
私は子供たちの英語習得過程をずっと見ていましたから、その事がとてもよくわかります。 最初の2年、英語を日本語に訳して正確に理解した最初の2年が、最も大変でした。 英語は正確に理解しないと、テストや宿題の時、なんの役にも立ちませんでした。 母国語で正確に英語を理解したこの時期、彼らの英語力の基礎は作られました。 「英語を日本語訳で理解することが害になる」など、学習者に嘘を教えるのはもうおやめください。 むしろ、自分のわかる日本語で正確に文を理解することによって、英語力の強固な基礎が出来上がるのです。 だから、中学、高校の英語の授業は大事なのです。 子供たちがよく理解できる日本語で教えることが大事なのです。 文の意味も構造も、そのあとの基礎になることを日本語で子供たちにきちんと理解させることがとても重要なのです。 これなくして高い英語力は出来上がらないのです。
何が「英語で考える指導法」ですか。
何が「英語で授業」ですか。
提唱者だって、7年も6年も(勉強全体の7割も6割も)日本語で学んでから、英語のまま理解できるようになったのでしょう。 基礎は全部日本語で学んだのでしょう。 (最初からフランス語で説明されて何が分かりますか。)
自分がした勉強の7割も6割も否定して、自分がやってもいない指導法を提唱して、今も「英語で授業」の方針の犠牲になっている日本中の高校生をどうしてくれるんですか。
高校時代には、その後の英語力の基礎となる重要なことを学ばなければならないのです。(こちらのブログに書いてあります。)
2013年から、もう5年も子供たちは「英語で授業」の被害を受けています。 高校時代は、複雑な文の構造を日本語でわかるように説明してやらなければ、その後の英語力は育たないのです。
自分は最初に日本語訳を使って英語を勉強しておきながら生徒に「日本語訳を使ってはいけない」という指導をする資格は誰にもないのですよ。 石渡誠氏(FORWARD英語学校)にも、松本亨氏にも生徒に「日本語訳を使うな」という資格はありません。
つまり、こういうことです。
自分だけフランス語を日本語訳を使って理解しておいて、生徒には、「自分は日本語訳を使ってフランス語を学んだけれど、それはよくない。 日本語訳を使うのはよくない。 フランス語はフランス語で理解すれば、フランス語で考えられるようになる。 もう仏和辞典は使わない。 もう和訳はしない。 これがフランス語で考える指導法だ」というのと同じです。
これでは、提唱者だけが英和辞典を使って抜け駆けしているようなものです。(それも7年も) 本当に提唱したかったら、抜け駆けしないで、日本語を一切使わず、フランス語を習得してみたらいかがですか、石渡さん。 石渡さんにはそれができないのですから、英語で考える指導法が誤りだと認め、文部科学省に「英語で考える指導法は誤りであった。 高校の英語の授業は日本語で行うべきだ。」と言ってください。 提唱者である石渡さんから文部科学省に言ってください。
こんな指導法を何十年も提唱してきて、生徒は救われないです。 提唱者は10年のうち7年も6年も費やして日本語訳を使って英語を学んでいたのですから。
こんな指導法を提唱して生徒をだまし、生徒に車を売るほどの高額な授業料を払わせて英語学校を経営するなど、石渡誠氏のやっていることは非常に悪質です。 その上、高校では、石渡誠氏が持ち込んだ「英語で授業」という方針のため、生徒は、正確な理解を妨げる最悪の授業形態(英語で授業)を強いられています。 日本の英語教育に害悪をもたらしているのは「日本語訳」ではなく石渡誠氏の提唱する「英語で考える指導法」ではないですか。石渡氏だって、フランス語だけでフランス語を習得することはできないのですから。
こういう指導法を提唱して英語学校経営やセミナーで生徒から多額のお金を取るのは詐欺ではないのですか。
英語で考える練習を始めた時、
提唱者の松本亨氏だって、わざわざ7年も前に日本語訳で十分理解したReaderの第1巻に戻って、英語のまま理解する練習を始めたと言っています。 そんなに日本語訳が害になるというのなら、一度も日本語に訳したことのない文章を使って英語のまま理解する練習をすればよかったのではないですか。 それをわざわざ7年も前に使った、日本語訳で理解したReaderの第1巻を引っ張り出してきて英語のまま理解する練習をしたのなら(その次はReaderの第2巻を使っている)、なぜ生徒も同じことをしてはいけないのですか? なぜ生徒は最初に日本語訳で理解してはいけないのですか? なぜ提唱者だけが日本語訳で理解した英文を使っていいのですか? 言っていることとやっていることが違います。
英語で考える学習法は、最初に日本語訳で十分理解した英文でなければ、提唱者でさえ始められなかった学習法ではないのですか。
つまり、最初は「母国語で正確に理解した意味」と「英語」を結びつける必要があったのではないですか。
そうでなければ松本亨氏は和訳で理解したReaderの第1巻をわざわざ持ち出して、英語のまま理解する練習をしなくてもよかったはずですから。
まさしくこれは第一段階(母国語で正確に英語を理解する)があって初めてできる勉強法ではないのですか。
提唱者松本亨氏は
(1)最初に日本語訳で英文を理解し、
(2)次に日本語訳で理解した英文を英語のまま理解する練習をした。 つまり、第二段階で、「最初に英語の意味を知るために使った日本語訳」を抜く練習をした。
まさにこの段階が、松本亨氏が「使った日本語訳」を抜いた段階です。
(3)それを続けて、最後に英語のまま理解できるようになった。
(その後、松本亨氏は日本語に訳したことは必要なかったと思った。 2013年5月30日のブログに出てくる私の息子のように。 年齢的にも英語学習を初めて7年目なら、この時の高校生の息子と非常に近いですね。)
「日本語訳が害になる」というのはこの時の松本亨氏の思い込みに過ぎなかったのです。 なんの根拠もなかったのです。 けれども、松本亨氏はこの間違った思い込みを日本中に提唱しました。 その結果「日本語訳は害になる」という考え方が、日本中に広まりました。 (そして、いまだにそれを信じている石渡誠氏のような人々がそれを学校教育にまで持ち込みました。)
(2)で、松本亨氏が英語に直接結びつけた意味は、それまで松本亨氏が英語を日本語に訳して勉強してきた間に学び取った英語の意味や知識です。 第一段階で学び取った英語の意味や知識の蓄積がなかったら、松本亨氏は英語を見ても何もわからなかったでしょう。 それは、石渡誠氏がフランス語を見ても何もわからないのと同じです。 第一段階をやっていない外国語は見ても全く意味が分からないのです。(私の子供たちがそうでした。) 英語を日本語に訳して学んだそれまでの勉強があったからこそ、この時、松本亨氏は英語を見て意味が分かるようになっていたのです。
しかし、松本亨氏は、その事に気づくことはありませんでした。 そのくらい、英語をそのまま理解した時のインパクトが大きかったのでしょうね。
若かった彼は、「なぜ、その時、英語を見て意味が分かるようになっていたのか」その点を考えることなく、「自分は英語を英語のまま理解する画期的な方法を考え出した」と思いこんだのです。
実際には、「日本語訳で理解した後に、英語のまま理解できるようになった」という誰もが通る英語習得の過程を彼もたどったというだけのことだったのです。
ただ単に、ご自身が「英語学習第二段階に入った」というだけのことだったのです。 日本語訳で理解する第一段階が終わったというだけのことだったのです。 でも、「自分は英語を英語のまま理解する画期的な方法を考え出した」と言ううれしさから、松本亨氏は、そこまで、考えが回らなかったのでしょう。
この時、もう少し冷静になれたら、松本亨氏は、英語のまま意味が分かるようになったのは、最初に日本語を使って英語を学んだからだという事実に気づいたはずだと思いますが、気づけなかったのです。 そして日本語訳は害になる、と主張するようになったのです。 自分は最初から、英語のまま理解できたと思いこんだのです。
私には、そのからくりがよくわかります。 松本亨氏は私の息子と全く同じだからです。 「僕は最初から全部自分で出来たんだよね。おかあさん。」と言った私の息子と全く同じだからです。 年齢的にも若くて私の息子と同じくらいの時だったでしょう。 「英語を英語のまま理解する画期的な方法を考え出した」といううれしさで、その時、「なぜ自分が英語の意味が分かるようになっていたのか」を考えることが出来なかったのでしょう。 松本亨氏の英語習得過程は、和訳で理解してそのあと英語のまま理解するという誰でも通る英語習得の過程と同じだったのです。 ご本人が「日本語訳は害になる」と思い込んだだけのことだったのです。
FORWARD英語学校の石渡さんは、その松本亨氏の誤った思い込みを26年間も信じてきたのです。 (石渡誠氏はご自身の英語学校のビデオで、松本亨氏を「英語の神様のような先生」と紹介しています。) そして、この松本亨氏の間違った思い込みから生まれた学習方法を26年間もお金を取って英語学校で生徒に教えてきたのです。 (松本亨高等英語専門学校、カプラン・ジャパン、フォワードなどの英語学校で) そして数年前には、とうとうこの間違った方法を日本の中学、高校の英語教育にまで持ち込んだのです。 この方法が松本亨氏の誤った思い込みでしかなかったということは、この方法がフランス語習得や、アラビア語習得には使えない、ということから明らかです。 最初に日本語訳で勉強してある「英語」でしか松本亨氏が「英語で考えるには そのヒケツと練習」という本に書いた練習問題は出来ません。 練習問題がフランス語学習者用、アラビア語学習者用にフランス語やアラビア語で書かれていたら、学習者は何も理解できません。
7年前、最初に日本語で意味を理解した文章を、7年たって、英語のまま分かるようになったからといって、7年間、日本語訳を使って行ってきた英語の勉強が、害になったというのは間違っています。 7年間、よくわかる母国語で正確に英語を理解してきたからこそ、7年後に英語のまま理解できるようになったのです。 「日本語訳は害になる」「日本語訳を使ってはいけない」「英和辞典を使ってはいけない」などと学習の最初から生徒に指導して、生徒が、「7年間母国語で英語を勉強してきた人」と同じように英語のまま英語の意味を理解できるわけがありません。
事実は、英語学習には、日本語訳を使って勉強する段階(第一段階)と、もはや日本語を使う必要がなくなり、英語だけで理解できるようになった段階(第二段階)と2つあるということです。 第一段階をきちんと行うからこそ、第二段階もできるようになるのです。 松本亨氏もそういう過程を通って英語のまま理解できるようになったのです。
松本亨氏は、上のような過程を取って英語を習得したのですから、最終段階に至るまでの道のりを全部否定して生徒に日本語訳を禁止するのは間違っています。
生徒もその道のりを通らなければ同じことはできません。
上の過程において、「日本語訳は害になる」というのは単なる松本亨氏の主観的な判断です。 客観的な事実は「松本亨氏は最初は、日本語訳を使って英語を習得した」ということです。 「松本亨氏は最初に日本語訳を使って英語を勉強し、そのあと「Think in English」(英語で考える)ができるようになった」ということです。
これが、松本亨氏の英語習得過程の客観的な事実です。 提唱者は第一段階(日本語訳)を行っているのに、なぜ生徒は第一段階を行ってはいけないのですか?
(A)「日本語訳は害になる」(B)「日本語訳を使わなければ英語脳になる」などと提唱して、英語学校経営やセミナーで生徒から多額のお金を取るのは詐欺ではないのですか。
提唱者は日本語訳を使っています。 また、赤い字の部分(A)(B)はどちらも、うそです。 (証拠は、全文和訳でバイリンガルになった私の子供たちです。)
生徒の「英語がうまくなりたい」という気持ちにつけこんで、ウソの指導法で車を売るほどの高額の授業料を取るのは詐欺ではないのですか。
詐欺は警察の捜査が必要になる犯罪です。
私は、2013年からもう5年もこの指導法は間違っていると説明してきました。 それでもFORWARD英語学校の石渡誠氏がその主張をやめないので、2016年からは、詐欺だ、とはっきり言ってきました。 それでも石渡誠氏はその主張をやめることはありませんでした。 2017年11月30日のブログでは、松本亨氏の主張では、インプットとアウトプットの関係からその勉強法は原理的に不可能だ、と指摘したら、石渡氏は、インプットとアウトプットの関係を捻じ曲げてまで、松本亨氏の学習法を正当化しようとしました。(2018年1月19日のブログの青字の部分に書いてあります。) とにかく石渡誠氏は自分が26年間主張してきた学習法が間違っていると認めないで済むように必死です。 間違った学習法を26年間勧めてきた責任を取らなくて済むように必死で、松本亨氏の学習法を正当化しようとしています。 ここまでくると、もう、生徒の英語力向上のためというよりは、自分の保身のために主張を変えないのでしょう。
FORWARD英語学校の代表石渡誠さん、これは、しらばっくれていて済む問題ではないのですよ。
「日本語訳は害になる」「日本語訳を使ってはいけない」と26年提唱してきた教育者として、ご自身の見解を明らかにする必要があります。
それが、生徒に対するあなたの責任です。
このまま詐欺商法で英語学校を運営していてよいのですか。
それでは、あまりにも生徒に対して誠意がなさすぎます。
石渡誠さんの学校(FORWARD英語学校)の生徒だけではなく、日本中の高校生も犠牲になっているのですからね。
FORWARD英語学校のページで、自分の英語学校の目標を「人間力を磨くこと」だとおっしゃっていますが、人間力を磨く教師が日本中の高校生に虚偽の学習法を5年もやらせて知らんぷりしているのはおかしいですね。 「虚偽の学習法ではないか」という疑問に対して、答えずに逃げ回るだけというのは、とても「他人や社会との協力」を目標にしている教師のすることには思えません。 ご自身の見解を明らかにするのが教師として誠意のある対応です。
2013年、FORWARD英語学校の受講生に向けた動画で石渡誠氏とともに「英語で考える学習法」を生徒に勧めていたこの学校の先生方は、生徒に嘘を教えてきて、教師として責任をお感じになることはないのでしょうか。 詐欺商法に加担してきたという罪悪感をお感じになることはないのでしょうか。
生徒は何も気づいていないし、何もわからないのだから、間違ったことを教えても、知らんぷりしていていい、ということではないのですよ。 教師が承知で生徒を騙(だま)すのは良くないです。
生徒が純粋であればあるほど、教師が生徒を騙(だま)すのはたやすいですけれど、26年間も「日本語訳は害になる」とうそを教えてきて、石渡さんは、罪悪感を感じることはありませんか。
26年間と言ったら、石渡さんの教師生活のすべての期間、生徒を騙(だま)してきたということですよね。 それで今、「その責任から自分が逃げ切ることしか考えていない」「自分の保身しか考えていない」というのは、石渡さんは、相当ひどい教師です。 (生徒というのは、石渡さんの英語学校FORWARDの生徒のみならず、日本中の中学高校の生徒を含みます。) 石渡さんにとって生徒は「誠実さをもって接する人たち」ではないのですね。 石渡さんにとって生徒は、嘘をついても知らんぷりの、お金儲けの対象でしかないのですね。
石渡誠さん、26年間、自分の学校の生徒を騙し、文部科学省を騙し、日本中の中学、高校の先生方を騙し、生徒を騙して、この期に及んで、「自分の保身しか考えていない」こんな身勝手な教師がいますか。
石渡さんが(2015年5月7日のFORWARD英語学校のブログにお書きになったように)「英語で授業」を学校教育に持ち込んだとき、私が、2015年6月1日のブログを書いて、「英語で授業」を止めなかったら、今頃、日本の中学生の発音も英語力もめちゃくちゃになっていたでしょう。 石渡さんは、それほど危ういことを日本の英語教育に対してしてきたのです。 (「日本語でも理解できない生徒がいるのに、英語でどうやってわかるようにするんだ」という高校の先生の切実な意見もネット上で読みました。) もしあの時を最後に、石渡さんが「英語で考える指導法」の提唱をやめてくれたら、私は、ここまで、書くことはしませんでした。 誰にでも生活がありますから。 それは大事にしなければいけないと思っていました。 でも、石渡さんが、この指導法の提唱を止めませんので、仕方がありませんでした。 こんな指導法をいつまでも提唱されたら、また子供たちが被害を被るのです。 ここで、終わりにしなければなりません。
「日本語訳は害になる」は真っ赤な嘘(うそ)です。
「英和辞典は害になる」も真っ赤な嘘(うそ)です。
松本亨氏、石渡誠氏の提唱する「日本語訳は害になる」は、真っ赤な嘘(うそ)です。
でたらめです。
(石渡誠さんのFORWARD英語学校の生徒も頭の中では日本語訳を使っています。 2017年11月16日のブログ「和文英訳(2)初級者、中級者は、単語の日本語訳を手掛かりに自分の言いたいことを英文にする。」)
私は、大学時代、英語教育法の授業(大束百合子先生)でも、教育心理学の授業(仁科弥生先生)でも、教育原理の授業(伊勢田耀子先生)でも、「生徒の現在の状態を正確に把握することは教師にとって非常に重要だ」と習いました。 しかし、松本亨氏も、石渡誠氏も生徒が日本語訳を使っていることを全く把握していません。 生徒のことをよく見ていないからです。 生徒にしてみたら、英語の日本語訳を知らなければ、言いたいことを英語に訳してしゃべれないのですから、日本語訳を知ることは必要なのです。 それなのに、松本亨氏も石渡誠氏も「日本語訳を使ってはいけない」というわけですから、松本亨氏と石渡誠氏の指導法は、かえって、英語力の向上を阻害する指導法だ、ということです。
石渡さんは、こちらの動画で、FORWARD英語学校の受講生に英英辞典の活用法を説明していますけれど、「最初は知っている単語を調べる」と言っています。 つまり松本亨さんが、英語で考える練習を始めた時と同じです。 「日本語で意味を知っている英語」を使って英語のまま考える練習をする、ということです。 やっぱり、松本氏、石渡氏の提唱する「英語で考える指導法」は、「最初は英語の意味を日本語で知っているものを使わなければ、始められない学習法」だということです。 石渡誠さんご自身がここではっきり「大切なことは、まず、意味を知っている単語を英英辞典で調べることだ」とFORWARD英語学校の受講生におっしゃっています。 だったら、生徒に「日本語訳を使ってはいけない」などと指導する必要は全くない、ということです。
初級者、中級者は日本語訳と結び付けて英単語を覚えないと、自分の言いたいことを英文にすることが出来ません。 ですから、石渡誠氏は、「日本語訳を使ってはいけない」と提唱して、かえって、生徒の英語力向上を阻害しています。
松本亨氏の英語学校が経営危機に陥ったのは、ある意味当然だったのではないですか。
(1) Freedom を日本語に訳さず、 英語のまま Freedom Freedom と生徒に言わせても、生徒は英単語の意味もニュアンスもわかるようにはなりません。
(2) 自分の言いたいことを最初から学校で生徒に英語で話させれば、生徒の発音は日本語発音になります。 (この場合、文章の音声モデルが生徒の頭に蓄積されていないので、部分的な発音矯正をしても直りません)
(3) 英語は日本語に訳してはいけないが、日本語は大いに英語に訳しなさい。 (英語を日本語に訳していなければ、日本語に対応する英語を生徒は見つけられません。)
(1)では、語彙は増えませんし、(2)では発音はめちゃくちゃになりますし、(3)は、原理的に不可能です。 こういう指導法に生徒が集まらなくなったのは、当然ではないですか。 松本亨氏の指導法は指導法を考え付いた根本のところで、間違っていたのですから(自分も日本語訳を使って英語を理解したことを認めなかった)、その考えに基づいて提唱された方法では、生徒の英語力を向上させられなかった。 それで、生徒が集まらなくなった、ということでしょう。
皆さんが、オリジナルセブンを読むとき、「まだ英語で思考できない」という方は、英語を日本語に訳して読んで結構です。私の息子のように。 そうやって日本語の思考活動にぴったり英語をくっつけて読んでください。
やがて母国語の思考活動を模して、英語で思考することが始まります。 その時はいつかというと、使っている辞書の変化でわかります。 「今までは英和辞典が引きやすかったのに、最近は英和辞典をひくと英語の世界から日本語の世界に引き戻されるような気がする。 英英辞典のほうがひきやすい」そう感じてきたら、英語のボールが日本語の「おもり」の切り離しを始めています。
さらに読書を続けると、英語で考えられるようになります。 (つまり、最初によくわかる日本語でしっかり理解するから、最後は英語のまま理解できるようになるのです。 第一段階が終わって、第二段階が始まるのです。) 息子の場合は、最初は英文を後ろから戻って理解していました。 けれどもアメリカ人の生徒についていくために速く読まなければならない必要に迫られて、次第に、日本語で考えていても、英語の語順の通り読むようになっていきました。
皆さんはアメリカ人の生徒に囲まれているわけではありませんが、慣れてきたら、なるべく日本語で理解している段階ても、語順の通り意味が取れるようにしていってください。 英語での思考につなげやすくなります。 英語処理のスピードも速くなります。
読書は心に深く入るものがあると続けていけます。 オリジナルセブンではどういうところが深い思考と結びつくと私が思ったのか、ちょっとだけ書きます。
1冊目は65ページの”You know, that monkey was never being mean,” said Annie.から67ページに続く文が深い気づきにつながると思いました。
2冊目はだれでも心の奥深くに持っている、小さいころ経験した、空想の世界と現実の世界がおなじに存在しているような不思議な感覚を英語でもう一度、体験していただきたいと思いました。
3冊目は非日常の世界を読み取る力で内容をリアルに再現する力がついてくると思いました。 水の中に揺れるskullの様子などで、十分それができると思います。
4冊目は ミステリー。 自分の推理の根拠でしたら、誰でもちゃんと本から読み取ります。
5冊目はラストで、泣いた方もいるでしょう。
6冊目は理不尽な理想の世界。 Birthmother の地位が低いことにいらいらする、とおっしゃった方もいるくらいですから、ここまでくると、英語で読んでいても、日本語の本を読んだ時と同じ心の動きが出てくるでしょう。
7冊目はスタインベックの名作ですから解説はいりませんね。
どうぞ活用なさってください。
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高校入試で子供たちが親の収入によって差別されない為に以下のお知らせを書かせていただきます。
高校入試のスピーキングテストについて(大学入試のスピーキングテストについても同様です)
高校入試のスピーキングテストは本来文部科学省が学校教育で正しい発音を生徒に教えてから行うべきものです。 しかし、文部科学省が教科書にCDもつけず、正しい発音の仕方も学校で教えないまま、高校入試でスピーキングテストを実施する動きが都立高校などで始まっています。 (大学入試でもスピーキングテストが行われようとしています) これは、スピーキングスキルの習得を塾や予備校、会話学校に丸投げするものです。 学校で教えていないスキルを入試でテストすることはあり得ません。
これでは経済的に余裕のない、塾や会話学校にいけない家庭の子供は誰にも正しい発音を教えてもらえず、練習するCD(音声モデル)も与えられないまま、高校入試でスピーキングテストをされることになり、明らかに親の収入による進路の差別が始まります。(詳しくは2018年3月8日のブログ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」をお読みください。)
皆さんの身近に教育関係者がいらっしゃいましたら、ぜひ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」であることをお伝えください。 (大学入試のスピーキングテストについても同じことです)
15歳で親の収入のために進路を差別されるのでは子供たちがあまりにもかわいそうです。
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英語教育については、下のブログも併せてご参照ください。 日付をクリックすると移動できます。
2017年10月12日
文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない(子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き)
* * *
何度もお願いしているのですが、アマゾンのページで私の本のランキングを下げて妨害をしている人がやめてくれないので、(詳細はこちらです)しばらく以下の文章を掲載させていただくことにしました。
「本を出版する人は、他の著者の妨害をしない。 他の著者を妨害する人は自分の本も出版できない。」
出版社におかれましては、このことを出版の際、著者に理解していただいてください。
私のランキングを妨害している人は、たぶん、現実を受け入れられないのでしょう。
アマゾンの順位を1ペ―ジ目から2ページ目に下げられ、数日でまた2ページ目から3ページ目に下げられて、私は、この方の激しい妨害に驚いています。
「学習者に正しい発音を習得してほしい」というのが自分の目標でしたら、他人を妨害する必要はありませんね。 他人を妨害してまで、何を手に入れたいのでしょうか。 ベストセラーの著者という名声ですか。 それなら、もうアマゾンで、ご自身の本はベストセラーに認定されているのですから、それで十分でしょう。 この上何が欲しくて私を妨害するのでしょうか? もう英語教育とは関係ないことですか。
私は、こちらに書いてある3つのことをするのが、目的です。 日本人が子音の日本語化を知っているか、いないかで、通じる英語で話せるか話せないかが、決まります。 ですから、このことを読者の皆さんに理解していただくのは、とても大事なことなのです。 私の仕事の妨害をしないでください。
* * *
私のDVDで発音練習をするときは、耳に注意を集中して音を聞いて下さい。
最初はテキストを見ながら練習していただいて結構ですが、文字に気を取られていると、実際の音よりも自分がこうだと思っている音のまま発音していることが多くあります。
私はDVDの単語の発音の練習のところで、Life や Leg のLの音をほんの一瞬ですが、日本語化しない「長さのあるL」で発音しています。 そういう音をできるだけよく聞いて、同じように言ってください。
Fight や Fin の Fの音も長さをもって発音しています。 Way や Wet の W の音も長さを保持して発音しています。 それを耳でよく聞いて同じように言ってください。
* * *
クマさん、ウサギさん、ブタさん、それぞれが持っている旗に書かれたことの理由は、2017年7月30日のブログをご覧になるとわかります。