川合典子 ブログ

英語教育、英語学習、発音習得、帰国子女の言語習得について書いています。

先生の宿題のプリント (「英語で考える」ってどういうこと?)

今日から3月です。  水道管呼吸法を継続していらした方は、今月から10秒になります。  娘は、1月、2月と、友達の結婚式がたびたびあって、あまり練習できませんでしたので、まだ、8秒でやっています。  3月から9秒に増やす予定です。  私も強く太い息を継続できるのは8秒くらいですが、あとは、おなかを絞って、10秒まで何とか頑張ります。

以前、声楽の萩原先生が、発声練習をしていた時に、息について、「歯磨きのチューブが、終わりのほうになったときに下からくるくる巻いて絞りだすでしょう、あのイメージで絞り出しね」とおっしゃったことがあるので、10秒まで、絞り出すように続けます。

「英語を話すときの口腔、鼻腔の空間が日本語を話すときと同じだ」と思っていると、腹式呼吸の重要性は分かりません。  けれども、皆さんはもう英語の音質で話すときの空間も体得されていますので、腹式呼吸の重要性はお分かりだと思います。  空間が大きいと息もたくさんいります。  息がたくさん使えると、英語を話すときの声も強くなります。 



それでは、今日の本題にはいります。

今日も「英語で考える」ということがテーマになります。  「人は言語によって思考している」という前提に立って、話を展開していきますので、思考は言語になる前に人の心に存在し、それに言葉をまとわせるだけだから言語で考えているわけではない、とお考えの方は、事前に「言語と思考」のブログをお読みになってください。 


* * *

アメリカに行ったばかりのころ、子供たちがやっていた宿題のプリントを模して今日はお話をいたします。

子供たちが使っていた教科書をここに載せることはできませんので、こちらのサイトに書いてありますパブロフの実験を教科書に見立ててお話しいたします。 URLはこちらです。https://www.verywell.com/pavlovs-dogs-2794989 

皆さんはパブロフの実験についてはすでによくご存じだと思います。  子供たちは全く知らないことを授業で学んでいましたので、その点だけが実際の状況とは少し違います。

それでは、まず、このパブロフの英文を一回、お読みになってください。

子供たちは学校から帰ってきて、その日の授業を復習するとき、まず、その日の授業で習った教科書の英文を読みました。

その際、教科書の中にあるわからない単語を英和辞典で調べて日本語で理解しました。  次に文章は、私が日本語に訳し、意味が分かるようにしました。 彼らは日本語に訳した時、初めて英文が理解できました。 そうやって、その日の授業を思い出しながら、宿題のプリントの問いに答えていきました。

実際にプリントにどう答えていったのか、次にご説明いたします。

もともと英文だった、先生のプリントの問いは日本語に訳して書いてあります。  

宿題のプリント 問い(1) 自然な状態では、犬は何の刺激によって唾液を出しますか。

これについては太字で書いてある最初の題 The Development of Classical Conditioning Theory という言葉の4行上に

However, Pavlov noted that the dogs would often begin salivating in the absence of food and smell.
と書いてありますので、子供はそれを訳して理解していますので、「自然な状態では、犬は食べ物や食べ物のにおいで、唾液を出す」と考え、それを英文に直して、プリントに答えを書きます。 (特に書いていなくても犬が食べ物やそのにおいで唾液を出すことは知っている子は多いと思います)

問い(2) パブロフは、(1)(つまり食べ物)がなくても犬が唾液を出していることを観察しました。  パブロフは、犬が何を見て唾液を出していると気づきましたか。
これについては今のThe Development of Classical Conditioning Theory という題の2行下に、The dogs were responding to the sight of the research assistants' white lab coats, 。。。という記述がありますので、「パブロフは、犬が実験助手の白衣を見て唾液を出した、と気づいた」と子供は理解し、それを英文に直して答えを書きます。

問い(3) なぜ犬は(1)(食べ物)と無関係な(2)(白衣)を見て唾液を出したのですか。

Pavlov's Dog: A Background という題の下、4つ目のパラグラフで、「パブロフの助手たちが食べられるものや食べられないものを犬のところに持って行っては、唾液の量を測っていた」と書いてありますので、犬は白衣を着た助手が入ってくれば、食べ物が来る、と分かっていた、と子供は考えます。

そして(2)の答えで引用した文の後半に。。。white lab coats, which the animals had come to associate with the presentation of food. と書いてありますので、答えは、「犬にとっては、実験助手の白衣と食べ物が連想によって、結びついていたから」と子供は考え英文で答えを書きます。

問い(4) 同じ唾液を出す反応であっても、(1)と(2)ではどのような違いがありますか。
子供は授業を思い出しながら教科書を読んで次のように考えます。

(1)食べ物を見て唾液を出す場合  自動的に起こる自然な反応。
(2)白衣を見て唾液を出す場合  白衣は neutral な刺激であり、犬は本来、白衣を見て唾液は出さない。  けれども、「白衣を着た助手が来ると食べ物が与えられる」という経験を繰り返した結果、犬の中に白衣を見ると、expectation of foodが起こり、唾液を出し始める。  これは、白衣と食べ物が結びつく経験を繰り返した結果起こったlearned response であり、conditioned reflex である。

子供はそう考え、考えたことを英文に訳して答えを書きます。

問い(5) パブロフはconditioned response を起こすために、犬に食べ物を与える前に、今度はどういう刺激を与えましたか。
これは文中にThe sound of a metronome was chosen to be the neutral stimulus. と書いてあります。  子供は和訳した時に「メトロノームの音がニュートラルな刺激として選ばれた。」と理解していますので、この英文を書きます。

問い(6) 犬に食べ物を与える前に(5)を繰り返した結果、どのようなことが分かりましたか。   
これはThe Development of Classical Conditioning Theoryというセクションの最後のパラグラフに書かれています。  少し難しい言葉も出てきますので、子供は単語を調べて意味を理解し、この部分をまとめて、英文で答えを書きます。

* * *


簡単に例えていうと、こういう風に、子供たちは、その日習ったことを家で勉強していました。  プリントの宿題がないときは、授業のノートと教科書を日本語に訳して考えながら、その日授業でやったことを理解しました。  アメリカ史の教科書は、各章の終わりに、質問が書いてありましたので、それらの質問を和訳して考えながら、英文で答えを書きました。  

教科書を和訳して理解し、日本語で考えたことを英文で書く。  それが、子供たちが毎日やっていたことでした。

ここまでお読みになった方はすでにお気づきと思いますが、子供たちはいつも母国語(日本語)と英語を一緒に使って宿題をしていました。  バイリンガルというのは母国語でしていることを英語でもできるようになった状態です。  そうなる過程で彼らがどのように勉強していたかといえば、「母国語(日本語)と英語をいつも一緒に使っていた」ということです。

英語学習を始めた人の頭の中で思考活動ができるのは、母国語(日本語)だけです。  日本に暮らしていて、日本語しか話していなければ、イタリア語やロシア語を聞いても思考活動は起こりません。  

日本語で何か読んだり、聞いたりしたときに、頭の中に思考活動が始まります。  ですから子供たちは、教科書の英文を日本語に訳して理解し、日本語で考えて、宿題をやっていました。  

英語学習者が英文読書をするときも同じですね。  英語学習者は最初は和訳しながら本を読みます。  1月14日のブログに出てきたMagic Tree House を読んでくれた高校生は、英和辞典を使って、日本語に訳しながら読んでくれました。  英語を日本語に訳したことにより、英文が理解できて、そこに思考活動が生まれ、物語を読み終わったとき、「楽しかった」という感情が生まれたわけです。


英語学習をするとき、そのアウトプットに関しては、日本語と英語を結び付けて練習することを問題視する人はほとんどいません。  「日本語で思ったことをなんでも英語で表現する」という練習方法に関しては、多くの人が有効な学習法だと認めています。

ところが、英語を日本語に訳して理解することに関しては、おそらく日本人の9割以上の人が「いけないこと」だと思っているようです。  「日本語に訳してはいけない」という松本亨さんの本が40年以上も読まれて来たのですから、「日本語訳を使ってはいけない」と思っている人が多いのもうなづけます。

けれども日本語に訳して、日本語と一緒に英語を入れないと、頭に思考活動は起こらないのです。  それに、教科書の英語を日本語訳と対応させて覚えていなかったら、日本語で考えたことを今度は英語で表現するときに、日本語に対応する的確な英語を使用することもできません。  子供たちは、教科書の英語の日本語訳が頭に入っているから、日本語を英語にするときも、それに対応する的確な英語が分かったのです。  

子供たちは、授業で、様々なことを学んでいました。  それは合衆国憲法についてだったり、細胞の中で、ミトコンドリアが何をやっているかだったり、科目によっていろいろでした。  そういう事柄について、英語の教科書を読んでも、子供たちは英単語の意味が分かりませんから何も考えることはできませんでした。  日本語に訳して内容が理解できた時、初めて思考活動が始まり、先生のプリントの問題を考えることが出来ました。

日本では「英語で考える」というと、Dog と言われたら「犬」と訳さないで、「犬のイメージを思い浮かべることだ」とよく言われます。  でも、犬のイメージを思い浮かべても、思考活動は行われません。  「英語で思考する」というのは、先生のプリントにあるような質問に英語でスラスラ答えられるようになることです。  つまり、今、私たちは日本語で考えていますが、その考えている言語が日本語でなく英語になったとき、それが「英語で考えている状態」です。

例えばどういう事か、というと、

ある人がこう思ったとします。

「最近は局地的な豪雨で川の氾濫や、土砂崩れの被害が多数発生している。  自分の住んでいる地域にも大きな川があるから、今度の町内会の会合で、そういう場合の避難の仕方について話し合ったほうがいいと思う」

そう思ったとき、その英語が自然に頭に流れるのが、英語で考えている状態です。

また、ある人はこう思ったとします。

明日は小学校の運動会だけど、この雨は明日もやみそうにないわね。  たぶん、運動会は来週の日曜日に延期になるわ。

そう思ったとき、その英語が、自然に頭に流れるのが、英語で考えている状態です。


英語を母国語のように使いたかったら、英語にどっぷりつかることはもちろんですけれど、その英文の意味を母国語で理解した時に起こってくる思考活動にもどっぷり浸かって、その英文と思考活動を結びつけておく必要があります。 

子供たちはそうやって、英文の教科書を読みながら、頭の中で、日本語訳で考えていました。  私が「思考活動にどっぷり浸かる」と表現したのは、彼らが、いつもじーっと英文を読みながら、頭の中で、日本語訳で考えている時間がとても長かったからです。  そうやって日本語で考える思考活動を英語と結び付けていたのでしょう。  

そうやっているときの(考えることでいっぱいになっている時の)息子の様子を横に座って見ていると、今、息子が頭の中でしていることは、とても重要なことに感じられました。  今思うと、思考活動と英語を結び付けている最中だったのでしょうね。  それをきちんと終えないと、息子は英語の教科書を理解できない、そう感じましたので、私は終わるまで、じっと待っていました。 

それはDog と聞いて犬のイメージを思い浮かべるより、ずっと大変なことなのが、横に座っていてもわかりました。  「懸命に頭の中で英語と日本語を結びつけて考えている」そういう気がしました。  
たぶんそれは、「私たちが、中間試験や期末試験のためにする勉強を英語でやっているようなものだ」と言ったら、皆さんにもよく理解していただけると思います。  

表に書くと

教科書(英文) ――>英文を見ながら日本語に訳す ――>英文を見ながら日本語で考える ――>日本語で考えたことを英文に書き表す(宿題、テストの答)

これが、彼らが毎日やっていたことです。  いつも英語と日本語を一緒に使って、2年たったら彼らは日本語訳なしに英語で思考できるようになりました。

Dogと聞いて犬のイメージを思い浮かべる場合は

Dog (英語) ――> イメージ

思考するとき、イメージも使いますけれど、イメージだけで、言葉がなかったら、英文の教科書を理解するような思考活動はできません。  イメージだけで、中間試験や期末試験の勉強はできません。  言葉で考えないと思考活動はできません。(言葉と思考の関係については、こちらのブログを参照。)

英語を理解するとき、日本語訳を使わせないということは英語を理解するとき、「言葉による思考活動をさせない」ということと同じです。  「言葉による思考活動をシャットアウトする」ということと同じです。  学習者は最初は母国語でしか思考活動はできませんので、日本語訳を禁止する、ということは、英文を読んで起こる思考活動も禁止するということです。 
子供たちはいつも教科書を日本語に訳してプリントの問いの答えを考えていました。

彼らは、和訳した文を書くわけではなく(訳すことが目的ではありませんので)英文を見ながら頭の中で日本語訳を使って理解していました。  そうすると英文を見ていても、頭の中に思考活動が起こるわけです。  その英文を読んだとき、「おそらくネイティブの子供たちがするであろう思考活動」と同じ思考活動を彼らは日本語訳で行って、それを英文と結び付けていたのです。

皆さんが英文読書をするときも、同じだと思います。  皆さんは、訳文を書くわけではありませんが、英語を読みながら、最初は日本語に訳して意味をとっています。  あのMagic Tree House を読んでくれた高校生のように。  

そして英語を見ながら日本語に訳して、「おそらくその英文を読んだらネイティブがするであろう思考活動」と同じ思考活動を日本語でしながら英文を読んでいくわけです。  それをたくさん続けていくと、だんだん介在させた日本語訳がなくても意味が分かるようになります。

そうすると、英語のまま読んでいても、思考活動が起きるようになります。  最初は、非常に原始的な形ですけれど、英語だけで、思考活動が始まります。

子供たちは英語を日本語に訳しながら理解し、2年たったら、先生のプリントの質問にも英語で答えられるようになりました。  


英語を日本語に訳して理解することをとがめる人が多いですが、それは、英文を読んだときに起こるはずの思考活動を禁止するようなものです。  それでは、先生のプリントの質問に英語でスラスラ答えられるような英語力を身に着けることはできません。  せいぜい、「Dog と言われたら、犬のイメージを思い浮かべる」その程度の英語力しか身につかないでしょう。
私が著書「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」に「英語で考えることは、Dog と言われたら、「犬」と日本語に訳さないで、犬のイメージを思い浮かべることだ、と思っていたら、英語で考えることにはたどり着けない」と書いたのはそういう意味です。 

文部科学省が中学や高校の英語の授業を英語で行って、生徒に母国語(日本語)訳を使わせなかったら、彼らは英語で思考するようにはなりません。  思考活動は、英語学習の初期は母国語(日本語)だけができることです。  特に複雑な英文を読み始める高校生はその構造を日本語でしっかり理解する必要がありますし、その意味を日本語訳で理解して、その時起こる思考活動と英文をじーっと結び付けて頭に入れて行く必要があります。  もし、本当に母国語訳を全く使わせなかったら、子供たちは、「Dog と言われたら、犬のイメージを思い浮かべる」その程度の英語力しか持てないでしょう。

文部科学省や経済界が子供たちに期待しているのはこの程度の英語力ではないでしょう。  英語で思考活動ができるレベルの英語力でしょう。  だったら日本語訳を使わせない授業などやっていてはだめです。  子供たちは英語で、思考活動はできませんから。 

文部科学省は、子供から思考力を奪い取るような方針ばかり決めていると(その他の思考力を低下させる方針はこちらです。)本当に国が滅んでしまいますよ。  「英語で授業」の方針など、早くおやめになることです。  文部科学省は、英語習得の実際の過程を全く知らないから、「英語で考える」とか、「すべて英語で行う」とか言われると、すぐ飛びついてしまうのですね。  それで、詐欺商法に騙されたわけです。



松本亨さんの本「英語で考える本」「英語で考えるには そのヒケツと練習」に書いてある練習をしても英語で考えるようにはなりません。  そういう「こま切れの練習」をしても英語で思考活動はできない、と前回のブログで申し上げましたが、もう一つ松本亨さんの提唱する方法で英語で考えられるようにならない理由があります。  それは次の通りです。

松本亨さんは、すでに大量の英語のインプットによって、頭に英語の言語体系ができていました。  樹木に例えれば、松本亨さんは、根っこの部分に英語の言語体系を持っていて、そこから出てきた英語でしゃべっていました。  

彼の本「英語で考える本」「英語で考えるには そのヒケツと練習」を読んで、単語の意味を英語で言ったり、文の言いかえ練習をする人は、根っこにあるべき英語の言語体系は、空っぽで出てきた枝葉だけ松本亨さんのまねをしているにすぎません。  つまり、枯れ木に葉っぱだけくっつける練習をしているようなものです。  そういう練習をいくらしても英語で考えるようにはなりません。


私は松本亨さんの提唱する「英語で考える指導法」はまやかしだと思っています。  学習者にとって、唯一、思考できる言語、母国語を排除して学習させて、英語で考えられるようになるわけがないからです。  その証拠に、私の子供たちは松本亨さんがいけないと言った、まさにその方法でバイリンガルになりました。

全文和訳でバイリンガルになりました。  彼らは松本亨さんが使ってはいけないと言った母国語をいつも英語と一緒に使ってバイリンガルになりました。  

松本亨さんの言うことは嘘でした。

英語を母国語のように使いたかったら、英語と母国語(日本語)を切り離してはだめです。  英和辞典は大事な学習道具です。  取り上げてはいけませんし、捨てさせてもいけませんし、使用禁止にしてもいけません。  アメリカの学校に入れられた子供たちにとって、英和辞典は命綱だった、と「帰国子女に見る世界に通用する英語力の作り方」に書いた通りです。


松本亨さんは、20年以上、NHKの英語講座を担当した人です。  私は、肩書のない一英語教師です。  でも、私は英語習得に関する事実はたくさん見ています。  子供達がゼロからバイリンガルになる過程も、小学校、中学校、高校、すべての段階で、毎日横にぴったりついて見てきました。  学校で子供たちを見て第二の言語の習得を研究している研究者も知らない、彼らが家でどう英語を勉強していたかも横に座って毎日、何時間も見てきました。  だから英文を見ながら日本語訳で思考していた時間がいつも非常に長かった、ということも知っているのです。

松本亨さんの言うように、

英語を学ぶ時、日本語訳を使わなかったら、英語で考えるようになりますか?

(答え)なりません。

松本亨さんの本(「英語で考える本」1968年初版、「英語で考えるには」1974年初版)のように勉強すると英語で考えるようになりますか?

(答え)なりません。

Freedom を日本語に訳さず Freedom、Freedom と何回も言っていれば、Freedomのニュアンスが分かるようになりますか?

(答え)なりません。


偽りの効果をうたって、受講生を集めるのは詐欺商法です。
  
詐欺は犯罪です。  
何十年も受講生をだまして授業料をとり続けていいわけがありません。

それにもし、「英語で考える指導法は嘘だ」と損害賠償を求められた場合、「授業料返還」などの措置に対応できますか。  詐欺の時効が何年か知りませんが、もう何十年も詐欺商法をやっているのですから、とても対応できないでしょう。

私の娘や息子が、全文和訳でバイリンガルになった時点で松本亨さんの主張は否定されました。
「英語で考えるためには日本語訳を使ってはいけない」という松本亨さんの主張は嘘でした。


科学の世界では新しい事実が明らかになると、それに反する主張は否定されます。
事実によって否定されたことに、いつまでもしがみつく人はいません。
「英語で考えるためには日本語訳を使ってはいけない」という50年前の松本亨さんの主張は、2006年、私の子供たちが全文和訳でバイリンガルになった事実によって否定されました。
多くの人々を間違った方法に導き、いまだに日本中の高校生を犠牲にしているのですから、「英語で考える指導法」が犯した罪は非常に重いと思います。

50年前の嘘に、いつまでも、しがみつかないでください。
50年前とは違い、今では多くの人が海外に行き、アメリカで子供を育てる人もいます。
そこで50年前にはわからなかった事実が明らかになり、時代は確実に変わっているのです。
いつまでも、50年前の嘘にしがみついて、自分の商売のために、日本中の中学生や高校生を犠牲にするのはやめてください。  (松本亨氏が提唱した「英語で考える指導法」が単なる松本亨氏の勘違いであったことを「英語の思考活動」というブログで明らかにしました。  また、2017年11月30日のブログ 「和文英訳(最終回)  「英語で考える指導法」はインプットをさせないでアウトプットだけをさせる方法 英語学習者が実際にはできない机上の空論でした」も参考になさってください。





=====================================


高校入試で子供たちが親の収入によって差別されない為に以下のお知らせを書かせていただきます。

高校入試のスピーキングテストについて(大学入試のスピーキングテストについても同様です)

高校入試のスピーキングテストは本来文部科学省が学校教育で正しい発音を生徒に教えてから行うべきものです。  しかし、文部科学省が教科書にCDもつけず、正しい発音の仕方も学校で教えないまま、高校入試でスピーキングテストを実施する動きが都立高校などで始まっています。 (大学入試でもスピーキングテストが行われようとしています)  これは、スピーキングスキルの習得を塾や予備校、会話学校に丸投げするものです。  学校で教えていないスキルを入試でテストすることはあり得ません。

これでは経済的に余裕のない、塾や会話学校にいけない家庭の子供は誰にも正しい発音を教えてもらえず、練習するCD(音声モデル)も与えられないまま、高校入試でスピーキングテストをされることになり、明らかに親の収入による進路の差別が始まります。(詳しくは2018年3月8日のブログ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」をお読みください。)

皆さんの身近に教育関係者がいらっしゃいましたら、ぜひ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」であることをお伝えください。  (大学入試のスピーキングテストについても同じことです)  
15歳で親の収入のために進路を差別されるのでは子供たちがあまりにもかわいそうです。

===================================


英語教育については、下のブログも併せてご参照ください。  日付をクリックすると移動できます。
2017年10月12日
文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない(子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き)



* * *

何度もお願いしているのですが、アマゾンのページで私の本のランキングを下げて妨害をしている人がやめてくれないので、(詳細はこちらです)しばらく以下の文章を掲載させていただくことにしました。

「本を出版する人は、他の著者の妨害をしない。  他の著者を妨害する人は自分の本も出版できない。」
出版社におかれましては、このことを出版の際、著者に理解していただいてください。

私のランキングを妨害している人は、たぶん、現実を受け入れられないのでしょう。
アマゾンの順位を1ペ―ジ目から2ページ目に下げられ、数日でまた2ページ目から3ページ目に下げられて、私は、この方の激しい妨害に驚いています。 

「学習者に正しい発音を習得してほしい」というのが自分の目標でしたら、他人を妨害する必要はありませんね。  他人を妨害してまで、何を手に入れたいのでしょうか。  ベストセラーの著者という名声ですか。  それなら、もうアマゾンで、ご自身の本はベストセラーに認定されているのですから、それで十分でしょう。  この上何が欲しくて私を妨害するのでしょうか?  もう英語教育とは関係ないことですか。  

私は、こちらに書いてある3つのことをするのが、目的です。  日本人が子音の日本語化を知っているか、いないかで、通じる英語で話せるか話せないかが、決まります。  ですから、このことを読者の皆さんに理解していただくのは、とても大事なことなのです。  私の仕事の妨害をしないでください。 

* * *


* * * 



クマさん、ウサギさん、ブタさん、それぞれが持っている旗に書かれたことの理由は、2017年7月30日のブログをご覧になるとわかります。