2006年にアメリカから帰国して娘の受験が終わった後、私はもう一度、石渡誠氏が紹介していた松本亨氏の「英語で考えるには そのヒケツと練習」という赤い本を読んでみました。読んでみて私が最も違和感を感じたのは173ページの次の文章でした。
「私は英語は日本語に訳すなというが、日本語は大いに英語に訳せという。」松本亨氏の言っていることを表にするとこうなります。
(1) 日本語 <−−−− 英語 (X) やってはいけない
(2) 日本語 −−−−> 英語 (O) 大いにやってよい
英語学習に矢印が一方向だけ、日本語を英語にすることだけ。それでは生徒は、日本語に対応する英語を頭のどこから持って来るのでしょうか。日本語訳と結びついた英語は生徒の頭のどこにも入っていません。
英語教育においては、常にインプットがあって、アウトプットが成り立つものです。 インプットを禁止して、アウトプットだけやらせる方法は、英語教育には存在しません。 入れていないものは出せません。 この文を読んだ瞬間に、この方法は成立しない、と思いました。
(それから忘れてならないのは、「松本亨氏も石渡誠氏も始めに日本語訳を使って英語を学んでいた」という事実です。それも6年から7年。また11月16日のブログで説明したように初級者・中級者は日本語訳を知らないと自分のいいたいことを英語で言えません)
いくら「英語の神様のような先生」(松本亨氏)が書いた、と石渡誠氏が言っても、間違っているものは間違っています。
おりしも私は2年間、子供たちの教科書を全文和訳して教え、3年目から、子供たちが英語を自由に使うのを見た直後でしたから、英語から日本語に訳すプロセスを否定する(つまり、子供たちが英語学習の中で最も苦しい思いをして2年間やってきたことを否定する)この指導法には到底賛成できませんでした。
あの、「英語を日本語に訳した苦しい2年間」があったからこそ3年目から彼らは日本語を英語にすることもできるようになったのです。 英語を日本語に訳させないで、日本語から英語に訳すことだけ奨励するなどという教え方は、英語教育には存在しません。 インプットはさせないで、アウトプットだけさせる方法など、生徒たちにできるはずはありません。
この方法は英語教育の原理を知らない松本亨氏が頭の中で考えた架空の方法です。 論理的にも成り立ちません。 松本亨氏はご自身は非常に英語が堪能でいらしたようですが、インプットがなければアウトプットはできないという英語教育の原理はご存じなかったようです。 (これについて、石渡誠氏は「まず、インプットではなく、アウトプットをすること」を勧めていますが、これは石渡氏自身が英語の単語の意味を正しく理解していない証拠です。 こちらのブログの青字の部分に、石渡氏がinputの意味を日本語式に解釈していることを解説しました)
なぜ松本亨氏がこういう架空の方法を提唱するようになったかというと、問題の原因を間違って特定したからです。
日本人の英語が上手にならないのはなぜか? 彼はその原因を考えました。 そして彼の出した答えは、「日本人が英語を学ぶときに日本語訳を使うからだ」でした。
これが間違っていたのです。 日本語訳を使うことが日本人の英語力向上を妨げていたのなら、私の子供たちが全文和訳でバイリンガルになるはずはありません。
しかし、当時、私のようにそのことを彼に言う人はいなかったのでしょう。 彼は日本語訳が元凶だと決めつけ、日本語訳の使用禁止を提唱したのです。 本来、日本語訳は禁止してはいけないものだったのです。 英語の意味を日本語に訳して頭に入れておかなければ初級者、中級者は、自分の言いたいこと(日本語)を英語に訳してしゃべることもできません。 英語を日本語訳で理解して、頭に入れることは大事なインプットの過程だったのです。 松本亨氏は、日本語訳を禁止して、インプットを空白にし、アウトプットだけを行わせるという英語教育の原理として成り立たない練習を提唱したのでした。
その練習方法は、「日本語を使わないで単語の意味を言う」、 「日本語に訳さないで英書を読む」など、初級者、中級者にはできないものばかりでした。
私の娘もアメリカの学校で英単語の意味を英語で言う課題をやっていました。 夜遅くまで、ベッドの上に座って、ブツブツ暗記していました。 けれども娘はそこに書いてある英単語とそれを説明する英文を全部日本語に訳して意味がわかってから暗記していました。 これが、正しい英語学習のやりかたです。
日本人は最初は日本語と結びついて覚えた英語しか、インプットとして使えないのです。 最初に、子供たちの頭の中にあった言語体系は日本語だけでした。 彼らは、膨大な量の英文を日本語に訳すことによって、自分の頭の中にある日本語の言語体系に対応する英語を一つ一つ覚えていきました。 そして、日本語の言語体系を模して英語の言語体系を構築していきました。
日本語訳を使わせない松本亨氏の方法では、日本語訳と結び付いた英語のインプットは、やってはいけないことになっているので、インプットの過程は常に空白です。 日本語の言語体系にどの英語が対応するのかもわかりません。 頭の貯蔵庫には、日本語訳と結びついた英語の在庫はゼロです。 貯蔵庫は常に空っぽです。 ここからアウトプットに使う英語を出して来いと言われても、在庫ゼロですから何も出せません。
日本語訳は元凶でもありませんし、初級者、中級者は自分の言いたいことを和文英訳して話すために必要ですし、上級者は、英語で理解したことは、みんな日本語で言えるのですから、英語学習すべての段階で、日本語訳を排除する必要はどこにもありません。
日本語訳は、英語と日本語を結ぶ唯一の接点です。 これがなければ、初級者、中級者は英語を理解できません。 言いたいことを英語にすることもできません。 日本語訳は、日本人が英語の世界に入る入り口なのです。
確かに英語のFreedom と日本語の自由は全く同じではありません。 しかし、「束縛されない状態」という意味では、両方とも同じです。 初期の学習者が英語と日本語の同じ概念を手掛かりに学習するのは、導入の仕方として適切です。
「そのあと、たくさん英語を読んだり、映画を見たり、歴史を学んだりして、アメリカ人にとってのFreedom が日本人にとっての自由とは少し違う、ということを理解する。」 それは正しい学習のプロセスです。 私の子供たちもそういう過程を通りました。 ですから、日本語訳は、学習者が、最初に英語の世界に入るために必要なものです。
皆さんは、小さいころ冒険小説やおとぎ話でこういうパターンのお話を聞いたことがあると思います。
ある村に一人の若者がいました。 自分の生まれた村が危機に陥り、 それを救うために彼は、魔法の翡翠の玉を求めて旅に出ます。 数々の危険な目にあいながらやっと魔法の玉がある城にたどり着いたのですが、扉が硬く閉ざされて開けることが出来ません。 その時、扉の横に小さなくぼみがあるのに彼は気づきます。 そのくぼみの形は、自分が旅立つときに母親がくれた、一族の紋章が彫り込まれたペンダントと同じ形でした。 若者はペンダントを取り、そのくぼみにはめ込むと、紋章はまばゆいばかりにひかり、城の扉が開きました。 彼は城に入り魔法の翡翠の玉を手に入れ、村を救いました。
こういうお話は冒険小説にはよくありますね。 私は、子供たちが小さいころ、息子の日本語のために毎晩冒険小説を読んで聞かせましたので(こちらのブログ)こういうパターンはよく読みました。
日本語訳というのはこのペンダントと同じです。 英語に合体させると、英語が何もわからない初心者でも英語の世界の扉が開いて、その入り口に立てるのです。 ですから日本語訳は英語学習者が、どうしても使わなければならないものなのです。 これを使わないと英語の世界の入り口にも立てません。
そういう意味では、松本亨氏は、「日本語訳を使ってはいけない」と提唱して、初級者中級者が、英語の世界の入り口にも立てない架空の方法を提唱していたことになります。
「英語で考える指導法」と言われれば、だれでも、それをすれば英語で考えられるようになると思います。 「英語を英語で理解する指導法」と言われれば、だれでもそれをすれば、英語を英語で理解できるようになると錯覚します。 けれども実際には、松本亨氏の「日本語訳を使わせない方法」は、インプットの過程を空白にしますので、英語の教育法として成立しえないものだったのです。
「英語で授業」などやっていたら、高校生は、英作文に使う単語の日本語訳も知らなくなって、大学受験も突破できなくなります。 先回、Smile と Laugh の例を出しましたけれど、生徒はSmile Smile Smile。。。。。 Laugh Laugh Laugh。。。。。。と言っていれば、この2つの単語の意味や違いが判るわけではありません。 意味や違いを生徒が分かる日本語で、きちんと教えていくのが英語教育です。
どうぞ高校の先生方は日本語で授業をしてください。 生徒が分かる言葉で大事なことを教えてください。 日本語訳もきちんと教えて、生徒が言いたいことを英文に訳して話せるようにしてください。
もともと先生方は「英語で授業」に反対していらっしゃいましたから、日本語で授業をすることは当然だと思っていらっしゃると思います。
英語で授業は中学や高校でするものではありません。 中学校で発音をマスターし、高校で語順の通り理解できるようになり、大学1,2年で大量のインプットを行った後、3年生くらいが無理のない適切な時期でしょう。 中学高校で「英語で授業」などやっている暇があったら、意味が分かるようになった英単語をたくさん覚えさせる方がはるかに英語力は上がります。 日本語訳を知らなかったら、中学生高校生は言いたいことを英語で言うこともできません。
2006年にアメリカから帰国した私は、日本で英語学習に日本語訳を使ってはいけないと思っている人が多いことに驚きました。
私はアメリカで子供たちの英語習得過程を見て、日本語できちんと理解することこそが英語力の強固な基礎を作ることを知りましたので、日本中に広まっているこの誤解を解かなければいけないと思いました。
そして経験に基づいて、論理的に日本語訳の重要性を指摘しながら、私は心情的に日本語訳がかわいそうだという気がしました。 こちらのブログを読んでいただくとお分かりになりますが、日本語訳は学習者が初期に英語を理解するとき、とても役に立ってくれますが、学習者が英語が堪能になったときは、自ら学習者の頭の中から消えていきます。 だから、英語学習にとても貢献してくれたのに、英語が堪能になった人の中には日本語訳が悪いと決めつけて日本語訳を非難する人もいるのですね。
私も自分の息子が「僕は最初から全部自分で出来たんだよね」といったことがあるので、英語ができるようになった人がそう感じることは知っていました。 でも、指導者までもが日本語訳が悪いというのは、インプットがあって初めてアウトプットができるという英語教育の原理を知らなすぎます。
初級中級の時は自分だって、助けてもらった日本語訳に感謝するどころか、非難するというのは、恩を忘れているもいいところです。 それでも日本語訳は何も言わず、また新しい初級者中級者が日本語訳を使って勉強すると、ちゃんと意味が理解できるように助けてくれます。
日本語は私たちの母国語です。 文字通り母のような言語だと思います。 母親は自分がどんなに悪く言われても自分の子供が幸せだったら、そんなことはなんとも思いません。
私たちの母国語、日本語もそうですね。 学習者が初級中級の時は一生懸命英語の理解を助けてくれて、学習者が英語が堪能になると、自分の役目が終わったことを自覚し、自ら消えていきます。 そして、自分が学習を助けた人が、「日本語訳が悪い」と非難しても、黙って、また、新しい初級者中級者を助けてくれるのです。
たとえそれが松本亨氏の生徒でも、石渡誠氏の生徒でも「あなたの先生は私を非難するから助けてあげない」とは言いません。 日本語訳は、どちらの生徒さんであっても和文英訳の助けとなって、言いたいことを英語で言えるようにサポートしてくれます。 それを知らないのは、「英語で考える指導法」を提唱者する松本亨氏と石渡誠氏だけです。
この日本語訳が日本人の英語力が上がらない原因だと非難する指導者は、関係ないことに責任をなすり付けている人と同じです。 例えていうなら、「自分の英語力が上がらないのは母親のせいだ」とごねている息子みたいなものです。
日本語訳に初期のころ助けてもらったことを感謝こそしても、非難するなど、とんでもないことです。 初級者のころ英語力を上げる手伝いをしてくれたものに対して感謝の気持ちもない人が提唱する指導法など、効果があるわけないでしょう。
「英語ができない人は日本語訳を使って、できるようになった人は使わない」 そういう表面的なことだけ見ていると、「英語学習のレベルによって日本語訳の役割が違う」という本質を見抜けません。
日本に帰ってきて、日本のほどんどの人たちが英語学習に日本語訳を使うのは悪いことだ、と思っているのを見て、「かえって英語力の向上を阻害している」と私は思いました。 英語の練習として、
(1)「自分の言いたいことを全部英語で言う練習(日→英)」は、日本でも奨励されているのに、
(2)「学習した英語を全部日本語訳で理解する練習(英→日)」に抵抗があるのはおかしいと思いませんか。
(2)をたくさんするからこそ(1)ができるのですよ。 英文を日本語で理解して、「日本語でこういうことを表現したいときにはこういう英文の形を使うのだ」と知らなければ、自分もそういう英文は作れません。 英文のひな形を日本語の意味に対応させてインプットしていくのが(2)(英→日)です。 その結果、日本語で何か言いたいときにはこういう英文の形にすればいいのだ、ということが分かります。 これを知らなかったら言いたい日本語の表現に対応する英文は作れないのです。
単語の場合も同じです。 英単語の意味を日本語にするのを禁止されたら、初級者、中級者はどうやって自分の言いたいことを英語にするのですか。 頭の中には日本語訳と結びついた英単語は全くインプットされていないのです。 言いたいことを表す日本語に対応する英単語は頭のどこにもインプットされていないのです。 空っぽの貯蔵庫からどうやって、自分の言いたいことを表現する英単語を探すのですか。
日本語訳と対応させて英語を覚えていなかったら、初級者中級者は自分の言いたいことを英語にするすべを失います。 これで、英語力が向上しますか。 かえって英語力の向上を阻害するだけでしょう。
もし、今、松本亨氏がいらしたら、「私の子供たちは全文和訳でバイリンガルになりました。 日本語訳が英語力向上の害になるなら、この事実をどう説明するのですか?」と問われれば、その事実を正面から受け止めてお答えになったと思います。 少なくとも提唱者としての責任から逃げ回るようなことはしなかったと思います。 松本亨氏は、今石渡誠氏のしていることをどうご覧になっているかな、と思います。 責任から逃げ回るのは、決して良いことだとはおっしゃらないでしょう。
20代半ばの私が、「もう少し英語力を上げたい」といったときにその時の上司が、松本亨氏の学校へ私を連れて行ってくれました。 その人は、松本亨氏から直接英語を学んだ人でした。 松本亨氏との思い出も私は、その人から聞かされていました。 立派な先生だったと思います。 ただ、英語教育に関しては、「戦後まもなく」という時代の制約を免れなかった、と思います。 私は、松本氏の学校の玄関を入ったところで、3人の生徒が話している英語を聞きました。(3人とも英語の発音には思えませんでした。その中の一人の女性が言った「ワタービッグトゥリー」の発音のひどさはいまだに忘れられません。)上司がタイトなスケジュールの合間を縫って、せっかく連れてきてくれたのに、「こういう発音の中で英語を学ぶのはどうしても嫌だ」と思いました。 (その時のことはこちらのブログに書いてあります。 その学校の理事長先生は、「この学校では生徒は自分の言いたいことを全部英語で話します。 校内日本語禁止は松本亨先生が達成された素晴らしいことです。」とおっしゃいました。 でも、私は、 正しい発音を定着させないで、言いたいことを英語でしゃべらせていると、こんなにひどい発音になるのかと思いました。 この学校の先生方には、これが英語の発音に聞こえるのだろうか、と思いました。 まるで、この学校の中の日本人の間だけで、隔絶して発達した全く異質な英語のような感じを私は受けました。 一時期はやった言葉で言えば、「ガラパゴス英語」のようでした。 発音は学習の最初に2年間くらい音声モデルを使って定着させないと習得できません。 自分の言いたいことを英文にした場合、音声モデルはありませんから、初めからそれを生徒にさせると自己流の発音になります。 最初から言いたいことを英語で話させてしまった場合、後から部分的な発音矯正をいくらしても発音は直りません。 生徒の耳の中に文章の音声が入っていないからです。 「生徒に形ばかりアメリカの真似をさせて喜んでいる、単なる教師の自己満足じゃないの?」と思いました。 ここは日常生活では全く英語を聞かない日本だから、アメリカのまねをしても正しい発音は身につきません。 「先生はなぜもっとよく生徒の発音を聞かないの?」と思いました。 うわべだけアメリカの真似をさせても、中身は全然違う。 まるで、明治時代の鹿鳴館(ろくめいかん)のような学校だと思いました。 「これが、あの有名な松本亨先生の考えている英語なの?」「こんな発音でしゃべらせているなら、英語教育はしてもしなくても同じじゃない。これで何を教育しているというの」と私は思いました。 全く違うものを見せられて、それを「英語だ、英語だ」と言われているような気がしました。 ガラス玉を見せられて、「ダイヤモンドだ、ダイヤモンドだ」といわれているようないら立ちを私は感じました。 「いくら若くても、いくら私の英語力が不十分でもこれが英語の発音でないことぐらい、私にだってわかる。 生徒が何も知らないと思って、こんなものでごまかさないで」私は、なぜだかとても腹立たしかったのを今でもよく覚えています。 「こんなの英語教育じゃない」私はそう思いました。 このようなことを書くのは松本先生に失礼かもしれませんけれど、あの時、私は本当にそう思ったのですから、仕方ありません。 「こんなことして何になるの?」「カタカナ発音が定着するだけじゃない」そう思いました。 これを「素晴らしい」と言っている教師にとても同調できませんでした。 松本亨氏の学校が経営危機に陥ったのは、当然ではなかったのですか。 ①英語のままFreedom Freedom と言わせても、その単語の意味もニュアンスもわかるようにはなりません。 ②発音は自己流になります。 ③「英文和訳はいけないけれど、和文英訳は大いにやりなさい」という指導など、原理的に成り立ちません。まったく英語力が上がらないことばかり、やっていたのでは生徒が集まらなくなるのも当然でしょう。) 中学時代から発音だけに興味があって、英語を学んできた私には、その学校で生徒同士が話している発音はどうしてもいやでした。 「学校にいる間中、こんな発音を聞いていたら、自分も、ワタービッグトゥリーみたいな発音になってしまう」そう思いました。 発音というのは、自分がいつも聞いている英語のように変わっていきます。 石渡氏は自分の英語学校FORWARDのHPのFAQで「校内英語オンリーだから、日本にいながら留学しているような理想的な環境を可能にしています。」と書いていますが、あの発音で「留学と同じ」というのは誇大広告ではないですか。 アメリカの学校で、一日ネイティブが話す英語を聞いているのとは、学習者にもたらす効果が全然違います。 (留学の場合は周りの学生の「発音」も「英文」も「語のニュアンス」も完璧ですから、一日その中にいれば学習者はいろいろなことを学ぶでしょう。 発音にも良い影響があるでしょう。 でも、松本亨氏の学校で生徒同士が話している英語はそれとは全然違いました。 みんな日本語化した子音でしゃべって、使っている英語表現も本当にそう表現するのかどうかは分からない文章(これについては下の***【注1】をご覧ください)、ニュアンスに至ってはその言語が使われる社会で身につくのですから、初級者中級者にはまだ、わからない。 そういう人たちどうしで英語で話させて、それを「留学しているような理想的な環境」というのは無理があります。 石渡氏の言うワンデープログラムに至っては、「これから入学を考えている人」を集めて、つまり、「発音」も「文章表現」も「ニュアンス」もこれから学ぶ人たちを集めて、そういう人たちだけで一日英語で話させるわけですから、「英語環境」というよりは、「英語もどきの環境」ということでしょう。 「一日英語漬け」と言っても、「一日漬かる英語」は、英語学校の入学希望者の英語でしょう? それでは、一日聞く英文や発音やニュアンスはネイティブの英語とは全く違うわけでしょう? 入学希望者は18,000円も払って、ネイティブは一人もいない、「入学希望者だけで英語で話す」こんな安上がりな「英語?」環境に漬かるのですか? ネイティブ5,6人の中に生徒一人で入れられるのが英語環境ではないんですか。 ) 私はそう言う発音を聞くのがどうしてもいやだったので、その学校に入学しませんでした。 でも、失礼になるので、上司にも理事長先生にも本当の理由は言えませんでした。 「仕事が忙しいので通えません」と言って、入学しませんでした。 その時は、自分が将来、松本亨氏の教育法に対してこういうことを言うことになろうとは夢にも思いませんでした。 当時、松本亨氏は亡くなられたとはいえ、英語の世界の頂点にいる人々の一人でした。 彼の言うことを否定するなど、ありえないことでした。 ですから、石渡誠氏が私の言うことを受け入れられない、と思う気持ちもわかります。 松本亨氏の指導法を否定する人間が日本に現れるなど、当時は想像もできないことでした。 ただ、アメリカで子供たちの英語習得の事実を目の当たりにした私は、松本亨氏の主張が誤りだったとわかりました。 しかも、その誤った指導法が学校教育に持ち込まれてしまったら、自分の見てきたことを皆さんに伝えないわけにはいかない、と思いました。 こうして私は、あの時、仕事で最も私を育ててくれた上司が勧めてくれた松本亨氏の指導法を35年たって否定することになりました。 めぐりあわせで、こうなってしまったので仕方がありません。 誤った指導法が学校教育に持ち込まれることは、なんとしても阻止したいと思いました。
私たちが現在持っている言語体系は日本語だけです。 第2の言語体系を英語で作りたかったら、日本語の言語体系に対応させて英語をインプットしていくしかないでしょう、私の子供たちがアメリカでやっていたように。
松本亨氏の書いた「英語で考える本 Think In English」の67ページには、松本亨氏は「英語学習開始から7年目までは日本語訳を使って、英語を理解していた」と書いています。 しかも、英語を英語のまま理解する練習を始めた時に使ったのは、最初に日本語で十分理解したReader の第一巻に戻って、英語のまま理解する練習を始めたと書いています。
つまり、松本亨氏の行ったやり方は、私の子供たちがアメリカで行ったやり方と同じです。 第一段階「まず、日本語訳で英語を理解する」、そのあと、「日本語訳を除いて英語のまま理解する」。 これは私の子供たちが行ったやり方と全く同じです。 英語で考える指導法の提唱者も私の子供たちと同じ「和訳で理解 → 英語のまま理解」という順番で英語を習得したのです。
最初から英語のままなんて、言葉はただ漂うだけで、自分が帰属する言語体系をどう作ったらよいかもわかりません。 それでは英語脳はできません。 英語の言語体系ができた時、初めて英語脳も出来上がります。 英語で考えられるようになります。 そのためには、すでに持っている日本語の言語体系に対応させて英語をインプットしていくことです。 単語も文も日本語訳を活用して覚えることです。
***【注1】「校内英語オンリーの学内で生徒が正しい英語で話しているかどうかはわからない」について、蛇足ですけど、下の文章を付け加えておきます。単数、複数がとても気になる方もいらっしゃると思いますので。
松本亨氏の学校の玄関を入ったところで、生徒が「ワタービッグトゥリー」(What a big tree!)と言ったとき、その生徒の前には人間の背丈の1.5倍くらいの木が3本植わっていました。(室内に植えられている木ですから、そんなに大きくもないし、幹も太くもないし、まずこれをbig treeというのが違和感がありました。) 一本ではありませんでした。 私は、アメリカ人の知り合いに、「大きな木が一本目の前にあったら、What a big tree! というでしょうが、3本、大きな木があったらなんていうの? と聞いてみました。 その人は、「目の前に3本、大きな木があったら、They're big. というだろうね。 tree という言葉はつかわないかもしれないね。」といいました。
私がその人にそう聞いたのは、木が3本だからといって、What big trees! という文は、ほとんど聞いたこともないし、本で読んだこともないので、そういう言い方をするのかな?と思ったからでした。 やはり、そういう言い方はしないのだな、と思いました。
英語を母国語とする人が普通にどういう表現を使うのか? アメリカの学校で、毎日過ごしていれば、自然に耳に入ってくるでしょうが、石渡氏の学校で、それが身につくことはないでしょう。 生徒は正しい英文でしゃべっているかどうか、わかりません。 英語圏で4,5年生活した生徒さんはほとんどいないでしょう。 そういう英語で、生徒同士しゃべらせておいて、「留学しているような理想的な環境」というのは、誇大広告ですね。 「広告に偽りあり」です。
校内で生徒同士が日本語発音で話していても、「留学しているような理想的な環境」
校内で生徒同士が正しい英文で話していなくても「留学しているような理想的な環境」
こういう宣伝の仕方は、「広告に偽りあり」です。 私は、「生徒は間違った英語で話してはならない」と言っているのではありません。 ネイティブでないのですから最初から全部正確には言えません。 問題はそういう英語を「留学しているような理想的な環境」と宣伝することです。 発音は全然違うのに「留学しているような理想的な環境」と宣伝することです。 そういう宣伝は、虚偽ですから。 石渡さんの宣伝の仕方は、ちっとも英語で考えるようには成らないのに、「英語で考える指導法」とか、初心者は英語を英語で理解することなどできないのに、「英語を英語で理解する指導法」とか、まやかしが多いです。
===========================================
高校入試で子供たちが親の収入によって差別されない為に以下のお知らせを書かせていただきます。
高校入試のスピーキングテストについて(大学入試のスピーキングテストについても同様です)
高校入試のスピーキングテストは本来文部科学省が学校教育で正しい発音を生徒に教えてから行うべきものです。 しかし、文部科学省が教科書にCDもつけず、正しい発音の仕方も学校で教えないまま、高校入試でスピーキングテストを実施する動きが都立高校などで始まっています。 (大学入試でもスピーキングテストが行われようとしています) これは、スピーキングスキルの習得を塾や予備校、会話学校に丸投げするものです。 学校で教えていないスキルを入試でテストすることはあり得ません。
これでは経済的に余裕のない、塾や会話学校にいけない家庭の子供は誰にも正しい発音を教えてもらえず、練習するCD(音声モデル)も与えられないまま、高校入試でスピーキングテストをされることになり、明らかに親の収入による進路の差別が始まります。(詳しくは2018年3月8日のブログ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」をお読みください。)
皆さんの身近に教育関係者がいらっしゃいましたら、ぜひ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」であることをお伝えください。 (大学入試のスピーキングテストについても同じことです)
15歳で親の収入のために進路を差別されるのでは子供たちがあまりにもかわいそうです。
=========================================
英語教育については、下のブログも併せてご参照ください。 日付をクリックすると移動できます。
2017年10月12日
文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない(子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き)
ここから先は、いつも書いていることです。
今回は、一番最後のウサギさんが持っているプラカードの言葉を変えました。
このブログを掲載した後、こちらの動画で石渡誠氏が「英語の神様のような先生」松本亨先生が書いた本と紹介していた「英語で考えるには そのヒケツと練習」 という赤い本は絶版になったようです。 アマゾンの価格の表示の仕方からそう見えました。 絶版にしても、「これが、松本亨氏の教え方の基盤であった」という事実に変わりはありません。 つまり、もともと成立しない指導法だったということです。
* * *
7月30日以降、私は、いつもブログに書いている3つのことの2番目、「英語で考える」を提唱した松本亨氏の主張について」という項目の最初のほうに文章を付け加えました。
それをお読みになると私がこの4年間、全く名前を出すことのなかった石渡誠氏の名前をなぜ書くようになったのか、その理由がお分かりになります。
英語で考える指導法の提唱者、石渡誠氏は、その方法が有効であるならば、日本語訳を使わず、アラビア語をアラビア語で学んで、アラビア語が堪能になるかどうかご自身でやってみて、その結果を公開してください。 「英語を英語で教えるということが、中高でも広まってきて、良いことです」(2017年7月30日のブログ)などとおっしゃるのは、それを自分で証明してからにしてください。
自分で、その証明ができないなら、「英語で考える指導法」は、本当は実在しない「英語で考える詐欺指導法」であり、「英語を英語で理解する指導法」は、本当は実在しない「英語を英語で理解する詐欺指導法」ということです。この詐欺指導法を提唱する石渡誠氏は、自分が日本中の高校生、中学生(「英語で授業」は決定されましたが、まだ実施はされていません)にどれほどひどいことをしてきたか、真剣に自覚されたほうがいいと思います。
教師としての良心があるなら、自分の商売を拡大する前に、今もなお石渡氏の「英語で考える詐欺指導法」の犠牲になっている日本中の高校生、中学生にすることがあるでしょう。
石渡氏の2015年5月7日のブログを読むと、文部科学省にこの「英語で考える詐欺指導法」を持ち込んだのが石渡氏であることが分かります。 私たち国民は、この「英語で考える詐欺指導法」がどうやって文部科学省に持ち込まれたのか、知る権利(国民の知る権利)がありますので、このことを書き添えました。
私は、その数か月後、頭の打撲が治ったころ、インターネットで検索して、石渡氏のブログに書かれていたこの会合についていくつかのブログを読みました。 そこには、「この会合には英語界の重鎮中の重鎮の方々が集まっている」とか「英語教育界の大御所の方ばかり」とか書かれてありました。(「2015年5月5日 ついに変わる! 英語教育改革の全貌」で検索すると現在でもいくつか出てきます。)
石渡氏の5月7日のブログを読んだ私は、「どんなに立派な肩書をお持ちの英語教育の専門家の主張であっても、私の経験に照らし合わせてその主張が間違っていたら、私は一歩も引いてはならない」と決意しました。 そうしないと、日本中の子供たちが、「英語で考える詐欺指導法」の犠牲になってしまう」と思いました。
それで、2015年6月1日のブログを書きました。 どれほど、中学の英語の授業を英語ですることを阻止したかったかといえば、頭を打って、容体が急変した時は、知人にこのブログのアップを頼むほど、私は、それを阻止したいと思いました。(その時のことはこちらのブログに書いてあります)
石渡誠氏は、日本中の子供たちに誤った指導法をさせて、教師として、良心が痛むことはないのでしょうか。 今日も一生懸命、学校で勉強しているたくさんの子供たちのことを考えたことはないのでしょうか。
* * *
私は随分長い間、自分の本のランキングを妨害されていますが、おそらく、やっている人は、私が英語教育の分野からいなくなるまで、妨害を続けるのでしょう。
ただ、私は、英語教育の分野からいなくなるわけではないようです。
こちらのブログに書いた外国人の方が、1999年11月にこのことの後、どういう結末になるのか、私に教えてくれました。 少なくとも、私は妨害されて、英語教育の分野からいなくなる、とは言われませんでした。
どういう結末になるかは、これからわかると思いますが、18年前、その結末を聞かされていたので、私は、「英語耳」の松澤喜好氏に盗作されようと、妨害されようと、日本人が誰も聞けない音について本を書いていようと、今日まで、頑張って来ることが出来ました。 どんな立派な肩書を持つ英語教育の専門家の言うことも自分の経験から見て、間違っていたら、一歩も引かない、という決意ができたのも、文部科学省の方針に正面から反対したのも、50年間信じられていた松本亨さんの主張を否定したのも、この後、どういう結末が訪れるのか、あの時、その人から聞いていたからでした。
なぜ、その人が、私にそんな先のことを教えてくれたのか、その時は分かりませんでしたけれど、今は、わかる気がします。
たぶん、その方は、2008年以降、私がどれほど苦しい思いをするかご存じだったのだと思います。 2008年以降、私が「英語耳」の松澤喜好氏と、KADOKAWA/アスキーメディアワークスのためにどれほど泣くことになるか、ご存じだったのだと思います。(詳細はこちらです。) その時にくじけないように、その苦しさの先にある結末を教えてくれたのだと今は、思っています。
もう私の本のランキングを下げるなどという行為はおやめください。
KADOKAWA/アスキーメディアワークス社長塚田正晃氏は「著作権法に抵触するのは犯罪行為だ」と言っています。(こちら) 松澤さんは、「松澤は盗作!というのはすごーい!」とHPに書いていましたが、塚田さんの主張によれば、盗作は犯罪行為です。
他人のランキングを妨害するのも、私の英語教師としての仕事の妨害ですから、業務妨害、つまり犯罪行為です。
もう妨害はやめてください。
KADOKAWA/アスキーメディアワークス(塚田正晃社長)は、隠ぺい工作までして、著者が自分のホームページで盗作を豪語するような悪質な出版はやめてください。(詳細はこちらです。)
(2018年、KADOKAWA松原眞樹社長は、組織変更を行って、アスキーメディアワークスを解体・消滅させました。 盗作を行った当事者の消滅は、社長にしかできない究極の隠ぺい工作です。もう私が何を言おうと「昔あった会社がしたことですから」で片づけられてしまうと思いました。 松澤氏によるランキングの妨害もやめさせてくれるよう、再三、KADOKAWA松原眞樹社長にお願いしましたが、逆に2019年11月、KADOKAWA松原眞樹社長による私のブログの妨害が始まりました。 「無名の犯罪被害者などは葬(ほうむ)ってしまえばいい」というのが、KADOKAWA松原眞樹社長の方針のようです。 社会通念として、社長が盗作、妨害などの犯罪行為をかばうことが許されるのでしょうか。 法律上は、株式会社の取締役(社長)は会社から委任された事務を「善良な管理者の注意を持って行う」と規定されています。)
* * *
私の2冊目の本「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」(緑色の本)を購入された方で、CDトラック6,13,18,19にある生徒さんと私の子音の長さの比較がよくわからない方は下のブログを参考にしてください。
2016年7月3日のブログ 子音を長く言う「川合メソッド2」「L」の練習 4週間後 (長いSの例)
2016年9月1日のブログ RとFの練習 1か月後 マライア・キャリー (長いLの例)
2015年2月1日のブログ 「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」付属CDトラック6 例文 Where's my bag? 川合典子には生徒のWの発音はどう聞こえたか。
* * *
ここから先は、毎回掲載している3つのことです。「なぜ毎回3つのことを掲載するのか」その理由については、こちらのブログをご覧ください。
* * *
英語教育について
文部科学省の英語教育の方針は、効果がありません。
今年3月に発表された中学校の学習指導要領(英語)は全く効果がありません。 理由は、2017年10月12日のブログをご覧ください。
以下、効果のないものを列挙します。
1)現在、高校生が行っている「英語で授業」は効果がありません。 (理由はこちら)
2)「CAN-DOリスト形式」は効果がありません。 (理由はこちら)
3)「4技能」は効果がありません。 (理由はこちらとこちら)
4)現在、小学校の英語教育で子供たちが話しているのは、英語の発音ではありません。 (理由はこちら)
5)大学教育を英語で行うと日本の学問は壊滅的な打撃を受けます。 (理由はこちら)
以上の理由により、文部科学省の方針は効果がありません。
「発音」、「語順」、「英語で考える」、それぞれを習得する方法は2015年10月19日のブログ「川合式英語学習法」をご覧ください。
これは全部私自身がやってきたことです。 こうすれば、生徒たちは必ず通じる英語で話すようになります。
英語で考える指導法を提唱する人たちのように、「自分は日本語訳を使ったけれど、生徒たちは使うな」というような、誰も実際にはやっていないような指導方法ではありません。 私は全部自分でやっています。
「英語で考える」を提唱した松本亨氏の主張について
松本亨氏の「英語で考えるためには日本語訳を使ってはいけない」という主張は2006年、私の子供たちが全文和訳でバイリンガルになった事実によって否定されました。
「英語で考える指導法」は詐欺である可能性が高いです。
松本亨さんの書いた「英語で考える本」「英語で考えるには そのヒケツと練習」という本に書いてある練習をしても英語で考えるようにはなりません。(2月4日のブログ「英語の思考活動」、3月1日のブログ「先生の宿題のプリント「英語で考える」ってどういうこと?」を参照してください)
英語で考える指導法を掲げる英語学校FORWARDの指導者、石渡誠さんは、松本亨さんの「英語で考える本」「英語で考えるには −そのヒケツと練習−」という本で勉強すれば英語で考えるようになると2017年1月19日のブログで言っていますが、この2つの本で勉強しても、英語で考えるようにはなりません。 「この方法を26年教えてきた」と書いていますが、26年間も効果のない方法を教えてきたというのは驚きですね。
私は、この件について、松本亨さん(著作を含めて)以外の固有名詞を入れることをずっと避けてきました。 けれども、石渡誠さんの2017年7月30日ブログの冒頭の
日本の英語教育界もようやく変革の時が!英語を英語で教えるということが、中高でも広まってきています。良いことですが、
という部分を読んで、明記することにしました。 日本中の高校生を犠牲にしておいて、まだこういうことを言っていることに怒りを覚えました。 文部科学省でさえ、もう、中学校の英語の授業を英語で行うとは、言わなくなったのに、と思いました。
石渡誠さんは、26年間も授業料を取って、「効果のない方法」を「効果がある」と偽って教えてきて、謝罪も損害賠償もしないのですか? そうやって、「何を言っても何の責任も取らなくていい」と思っているから、いまだに「英語を英語で教えるのが良い」などとおっしゃるのでしょう。
でしたら、ご自身がアラビア語をアラビア語で学んで、アラビア語が堪能になるかどうか示してください。 それが出来ないのであれば、「英語を英語で理解する指導法」が間違っていたと認めてください。 そういうけじめをつけないからいつまでも「英語を英語で理解する」などという指導法を主張し続けるのでしょう。
日本中の高校生が迷惑していますので、自分もできない指導法を提唱するのはやめてください。
自分の商売のために子供たちを犠牲にするのは、もうやめてください。
Je suis Charlie. と母国語で言うフランス人が I am Charlie.という言語を学ぶとき、母国語の意味を参考にしていないはずはないでしょう。 日本人は誤った指導法を50年も信じて、大きく後れを取りました。
私は、英語で考える指導法の提唱者が、「Freedomを日本語に訳すとニュアンスが分からなくなるから英語のまま言わせる」とブログに書いているのを読みました。 でもそれでは何も教えていないのと同じです。
生徒から、アメリカ人にとって自由というのはそんなに大事なものなのですか?と質問されたら、アメリカ史がご専門の先生なら、「建国の歴史を勉強してみるとその理由が分かってきますよ」とお答えになるでしょうし、時事英語がご専門の先生なら、ニュースの中から、アメリカが個人の自由を制限する国に対して、非常に厳しい外交政策をとり、しかも大多数の国民がそれを支持しているというニュースを選んで、生徒と一緒に勉強していくでしょう。
Freedomを日本語に訳さずFreedom. Freedom と生徒に言わせる、などというのは何も教えていないのと同じことです。
それは、次のような例を想像してみるとよくわかります。
もし、アメリカで、日本語を学んでいる生徒が「日本の武士道とはなんですか?」と教師に質問した時、「日本人にとって武士道が、どういうものなのか知りたかったら、武士道を英語に訳さず、日本語のままブシドウ、ブシドウといいなさい」 などと指導する教師は一人もいないでしょう。
仮に先生が「これが、日本語を日本語で理解する指導法だ」「日本語で考える指導法だ」などと言っても、生徒はばかばかしくてする気にもならないでしょう。 保護者からは「まじめに教えろ」と言われるでしょう。
これが英語で考える指導法の正体です。
教える方は何も教えていない。
学ぶ方は何も学んでいない。
これが英語で考える指導法の正体です。
だから私はこの方法は詐欺だと言ったのです。(こちらのブログ)
以前、この「英語のままFreedomと言わせる」と言っていた学校のブログで、車を売って受講料を払って学んでいるという生徒の例が紹介されていました。 それほどの高額の授業料をとって、「だますつもりはなかった」「知らなかった」では済まないです。
詐欺は犯罪です。
詐欺は、刑法で刑罰が定められている犯罪です。
また、そのブログで、英語で考える指導法をする人々が、生徒の英和辞典を取り上げたり、生徒に英和辞典を窓から捨てさせたりする、ということも読みました。 中には最後まで生徒に英和辞典を返さなかったこともあったそうです。
「帰国子女に見る世界に通用する英語力の作り方」を読んでいただくとわかりますが、英語のわからない生徒にとって、英和辞典は命綱です。 英和辞典があるから、英語の意味が分かるようになります。 これを取り上げるなど、間違った指導法を盲信する指導者の誤りです。 英和辞典を取り上げれば生徒の英語力が上がるなどということは絶対にありません。
この詐欺商法を、中学や高校に持ち込んだのが文部科学省の「中学、高校の英語の授業を英語で行う方針」です。
だから、私は、「学校で詐欺を行わないでください」と申し上げたのです。
税金を詐欺に使わないでください、と申し上げたのです。
高校英語教育はいまだに詐欺ですね。
学校で詐欺教育をするために、車一台売るどころではない、莫大な税金が使われています。
早くやめてください。
高校時代は、高校時代にやらなければならない訓練があるのです。
複雑な英語を読み始めるときにどうしてもやらなければならない訓練があるのです。
この時を逸すると、取り返しがつかないのです。 高校生がかわいそうですから、「学校で詐欺」はやめてください。
発音練習について
学生時代、私はアメリカのセルフヘルプの本を読むのが好きでした。 当時、そういう本は翻訳しか入手できませんでした。 その中にこんな話が書いてありました。
チャーリーさんが自動車の調子が悪くなり、修理工場に持ち込みました。 修理が終わって取りに行ったとき、調子が悪かった原因を尋ねると「OOのネジが一つ壊れて、不具合が生じていたので、新しいネジに変えました」と説明を受けました。
請求書を見てみると、とても高い金額でしたので、チャーリーさんは、「ネジ一つ取り換えただけなのに、これでは金額が高すぎます」と文句を言いました。 そうしたら、修理をした人が、「最初は、何が原因となって不具合が生じているのかわかりませんでした。 それで、私は自動車の内部を全部調べました。 そしてOOのネジが壊れていることを発見したのです。 自動車内部をすべて調べるのに何時間もかかりました。 請求書はその労働の代金を含んでいるのです」と言いました。 チャーリーさんもその説明で納得しました。
この話は、どこを直せばよいかわかっているものを直すのは、簡単ですが、どこが悪いかわからないものを直すのは大変だ、ということを例えた話でした。
私は中学時代に英語のきれいな発音に魅了されて発音練習を始めました。 中学生でしたから一生懸命練習すればお手本のアメリカ人と同じ発音になると信じていました。 一年半くらいはちっともうまくなりませんでしたが、その日の練習が終わると、自分が今日練習した分だけお手本の発音に近づけたと思えて、とても、心が満たされていたのを覚えています。 一年半くらいは目に見えてうまくなってはいませんでしたが、毎日練習が終わって、テープレコーダーの手あかを白いハンカチできれいにふき取ってしまうときは、とても気持ちが充実していたのを今でも覚えています。
だから発音練習は大変だ、とかつらいとか思ったことはありませんでした。(決してうまくはなかったのに、です)
最初の本「英語発音、日本人でもここまでできます。」(赤い本)の原稿を書いていた時、私は編集してくれた人に次のような心配をお話ししたことがありました。
「読者の皆さんに、私は何の苦労もなく、発音を習得した、と思われると困るのですが、、、」
そうしたら、編集をしてくださった方からこういわれました。
「川合先生の本を読んで、川合先生が何の苦労もなく発音を習得した、と思う人はいません。 そんなことを心配するより、むしろ、こんなサイボーグみたいな練習をしなければ発音はうまくならないのか、と思われることをご心配なさった方がよろしいんじゃありません?」
編集をしてくださった方は、スタンフォードでの留学経験もありますので、英語がとても上手な方でした。 こういうユーモアのセンスもお持ちでした。
私は苦笑しながら「はい。。。。」と言って、すぐひき下がりました。
確かに文全体をお手本と比べて違いを探すにはサイボーグみたいな能力がないとだめだ、と思ってしまう方もいらっしゃるかもしれません。 (先日夫がチャンネルを回していたら、ターミネーター3でシュワルツネガーさんが人の着ている洋服を見て、一瞬で、それが自分に合うかどうかをピピピピ。。。と判断する場面がありました。 サイボーグと言うとそういうイメージが浮かんできますね。)
けれども、発音を直すときは、最初は、気づいたところから直していけばいいので、本当はそういうことはないのですが、人によってはそんなことはとてもできないと思ってしまう人もいるかもしれません。
しかし、その2年後、私は、「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」(緑の本)を出版しました。 そしてその本に、どこを比べて何を直したらよいか書きました。 漠然と、文全体を比べたら違いは分からないかもしれませんが、「この音のこの違い(例えば、長さ)を聞いて下さい」とピンポイントで言われれば、誰でもそれは聞けます。
先ほどの自動車修理工場の例でいえば、どこに原因があるのか車の内部全体を調べるのはとても時間がかかって大変ですが、「ここのネジを変えてください」と言われれば誰でも出来るのと同じことです。 具体的に言われたことはやりやすいです。
「続・英語発音、日本人でもここまでできます」にはどこを聞いて何を直せばよいのか、書いてあります。 そのポイントは日本語のくせから来るものがほとんどです。 それは日本人に共通する発音の問題点ですから、そこを聞いて直していただけば通じやすい発音になっていきます。
「ここのネジを取り替えてください」というのと同じように、努力すればだれでもできることです。 サイボーグのような能力はいりません。
読者の方から、「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」は、「英語発音、日本人でもここまでできます。」付属のDVDで発音練習するときの参考書のように使っています」というメールをいただいたことがありますが、この2冊は一緒に活用してください。
「なぜそういう練習をするのか」その原理もわかりますし、理解が深まると、相乗効果となって皆さんの発音がとても上達します。 発音は、口の練習だけではうまくなりません。 上手な人の発音って何か違いますでしょう? 体になじんでその音がでてきていますでしょう? 耳はもちろん、たくさんの感覚を使って習得すると上手になります。 (これについては2018年3月8日のブログの冒頭の部分も参考になさってください)
表面的な練習だけやっていると表に現れないことが、その原理や仕組みを深く掘り下げて理解していると、口の動きに現れてきます。
お手本の発音を聞いたとき、「どうやって発音しているのか手に取るようにわかる」この状態になるわけです。 この深く掘り下げる役目ををするのが、「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」に書いてあることです。
「上手な人の発音が何か違う」と感じるのは、口の動きの後ろにある、さまざまな感覚の関連性を意識して、練習しているからです。 「自分の体をどうするとあの音が出てくるか、体が知っている」この状態になっているからです。 表に現れたものだけ練習する場合、長く練習しても、あまり変化はありませんが、深く掘り下げて、練習していると、だんだん、音を捕まえる能力も向上しますので、長い間には、口の動きだけ練習してきた人とは随分違う発音が出来上がります。 発音練習の基本姿勢のブログに出てくる生徒さんみたいにですね。 「英語発音」と「続・英語発音」の本は一緒に活用してください。
* * *