川合典子 ブログ

英語教育、英語学習、発音習得、帰国子女の言語習得について書いています。

入学式

2023年5月24日 こちらの日本経済新聞の記事を読んで感想を書きました。 感想はこのブログの本文が終わったところにピンクの文字で書いてあるところから始まっています。 大変失礼な言い方ですが、この記事は、日本経済新聞社が英語教育について全く無知であることを証明しています。




私のブログには為政者から激しく妨害されているものがいくつかあります。このブログと併せてお読みください。日付をクリックすると移動できます。

「大学入試でスピーキングテストをすればスピーキング能力が上がる」というのは国民を騙(だま)す自民党の詐欺行為(犯罪)です。テストでスピーキング能力は上がりません。
2020年3月17日 各大学はスピーキング試験(民間試験)をする必要はありません。大学の先生方は受験生を騙す詐欺(犯罪)に加担するよう強制されることはありません。いかなる団体においても犯罪を強要する方針は無効です。(民間試験は50年やっても4技能向上に効果はなかった。)

2020年2月29日 ポートフォリオはベネッセの見込み顧客(高校生)のデータを国家に集めさせる極めて危険で悪質な手段です。 下村博文議員と安倍総理大臣がすべての国民のIDと個人情報をベネッセに与えてよいのですか。

2017年11月2日 中学時代に、きちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか?

大学入試改革を担った鈴木寛教授が実際には英語教育に全く無知であった(カタカナ発音と英語発音の区別も出来ない)ことについては2020年4月23日のブログに書いてあります。 鈴木寛教授のことを書いたとたん為政者から激しい妨害が始まりました。


* * * それでは今日のブログに入ります * * *



昨日、近くの中学校の前を通ったら、「入学式」と書いた大きな立て看板が校門のところにかけてありました。  入学式だったのですね。  入学式や卒業式に必ずあるのが、来賓の方々の祝辞です。

私は中学校の卒業式の時、祝辞を述べる来賓の方々が一様に、「卒業生の皆さんご卒業おめでとうございます。  また、ご父兄の皆様におかれましては、お喜びもひとしおのことと思います」とご挨拶されるので、「中学に入って3年たてば、卒業するのは当たり前なのに、なんで、”お喜びもひとしお”なのかなあ」と思っていました。(昔は、「保護者」といういいかたより、「父兄」(ふけい)という言い方をされることが多かったです。)

高校の卒業式でも、来賓の方々が、「ご父兄の皆様におかれましては、お喜びもひとしおのことと思います」とご挨拶されるので、「高校に入って3年経てば、卒業するのは当たり前なのに、、なんで、”お喜びもひとしお”なのかなあ」と思いました。


これが分かるようになったのは、親になってからでした。   子供が学校に行くようになれば、いろいろなことがあります。  お友達とうまくいかない時もありますし、けがをするときもありますし、希望の学校に進学できないこともあります。  そういう時、子供の悩む姿を見ながら親も心配します。

子供は、親が心配していることはあまりわかりません。  自分のことで精いっぱいですから。  

アメリカに行って3か月くらいしたとき、息子が「お母さん、僕のこと心配?」と聞いたことがありました。  息子は中学生になってからは、ほとんど私と話すことはありませんでしたから、日本にいたらこんなことも聞いてこなかったと思います。

私は、「心配よ。  お母さん、太郎がアメリカに行くと決めてから、安心して夜、眠ったこと、ないもん」と言いました。  2014年4月24日のブログをお読みになった方は、「最初は息子を説得しておいて、何を言っているんだ」と思われるかもしれませんが、本当に息子が行くと決まったとたん、私は「高校生を連れて行って、本当に大丈夫だろうか」と思うと、夜もなかなか寝付けませんでした。

アメリカについてからは宿題に夜中までかかりましたので、終わった後は、「これで本当にやっていけるだろうか」と思うと、また心配でなかなか眠れませんでした。

息子は私の答えを聞くと「ふ〜ん」と言って、黙って部屋に帰っていきました。  友達にその話をしたら、「誰かが自分のことを心配していてくれる、それだけでも、きっと心の支えになるんだね」と言われました。

娘は小さかったので、息子ほど大変ではなかったでしょうが、やはり学校で泣いたこともあったようです。

アメリカに来て1年たった夏休み、ある日、お父さんと、高速道路に乗って30分くらいのところにあるショッピングセンターに買い物に行きました。  その日、子供が寝てから夫からこんな話をききました。

「由紀子は1年間で4回、学校で泣いたそうだ。  そういう時はどうしたの?  と聞いたら、こぶしをぎゅっと握って歯を食いしばって、涙が出ないように我慢していると、先生が来て、どうしたの?って聞いてくれたんだって。」夫はそう言いました。  2人ともしばらく何も言えませんでした。


私は全然知りませんでした。  お母さんに言ったら、また、心配して、おろおろすると思ったのでしょうね。  子供は子供で、一生懸命頑張っているんですね。

娘は4年後、帰国して、日本の公立中学に転入しました。  最初はなかなかうまくやっていけませんでした。  転校することも考えましたが、卒業まで、あと4か月でしたので、我慢するといいました。  でも、「ここは由紀子の母校じゃないもん。  卒業式に泣くなんてありえない」と言っていました。

でも、その後、だんだんみんなとうまくやれるようになっていきました。  3月の卒業式の時、最後に、卒業生全員が、保護者席のほうを向いて、「旅立ちの日に」を歌いました。  3年1組と2組の女子はみんな泣いていました。

2組にいる娘を見たら、顔を涙で、ぐしょぐしょにして、泣きじゃくるようにして、歌っていました。  その時、保護者席の私と目が合いました。  「泣くわけないじゃない」と言っていたのに、大泣きしていたので、ちょっと照れたように私を見て、泣きながら一瞬、笑いました。

「別れるのがさみしくて、卒業式に泣けるほど、みんなと仲良くなれて、よかったね」と思いました。

入学式、卒業式、というのは、子供の成長を実感する節目の時でもありますね。  「なんで、”お喜びもひとしおなんだろう”と思ったころのことを思い出すと、今でも、笑ってしまいます。


2023年5月24日 こちらに掲載された「米国で生活して実感した「英語学習」のオワコン化」という島田優子記者の書いた記事を読んだ感想を書きます。 その前に、私がこの記事を読んで最初に思い出したアメリカでの出来事がありますので、それから書きます。


2度目のアメリカ赴任の時、帰国の辞令が出て、日本にもうすぐ帰るというころ、ある日、学校から帰ってきた娘が不満そうに、自分が先生に提出したエッセイを私に渡して次のように言いました。 娘はもし帰国の辞令が出なかったら、9月からその地域のハイスクール(高校)に進学し、その科目はオナークラス(honor class) に入ることになっていました。

でも今日、娘のエッセイ(小論文)を見た先生から「オナークラス(上級者のクラス)はやめた方がいいと思う」といわれたそうです。「ママ、どうして先生はそう言ったの? このエッセイのどこがいけないの?」そういわれて私は娘のエッセイを読んで見ました。

読んだ瞬間、先生がオナークラスは無理だといった理由がわかりました。
授業で「ある学者が提案した問題の解決策」について生徒はそれぞれ自分の意見を述べるエッセイを書いたようです。 娘はその考え方に納得できないので反対の立場で意見を書いたようでした。 娘はそれを表現するのに、「このような解決策を取ると~~はこうなってしまう。 そうするとこういう事が発生する。  それではOOができなくなってしまうから、よくないと思う。」というような書き方でした。

私は娘に「もしアメリカ人の生徒が由紀子の言いたいことを表現しようとしたら、「私はXXには反対です。」と言ってすぐにbecause (なぜなら)と続けてその理由をまず述べると思う。 そのあと詳しい説明をするでしょう。  そうすればアメリカ人の先生にも生徒にも由紀子の言いたいことは明確に伝わると思う。 でも、こういう風に、細かいことをたくさん並べた後に、”だから反対です。”という文章が出てくると、そこまで読む間、一体何を言いたいのだろう、と読む人はずっと考えながら読んで行くことになるでしょう? それが、アメリカ人にはフラストレーションになるし(イライラするし)、何を言いたいのかわからない文章だ、と思われてしまうのではないかしら」そう説明しました。

娘は不満そうでしたが、私の説明に一応納得はしたようでした。 娘はその時のことは30歳を過ぎた今でも「あの時、ああいうことがあったね。」と言ったことがありましたのでよく覚えているようです。 よほどショックだったのでしょうね。ESL(英語が母国語でない生徒)のクラスにいても帰国するまでにhonor class に入れるまで頑張った、という事が子供ながらにうれしかったのでしょう。 それが先生のおっしゃったことでなくなってしまったのですから、ショックだったのでしょうね。

私は帰国を目前にして、この時、自分が小学生の娘の学習にはほとんど気を付けてこなかったことに気づきました。 赴任するとき、高校生の息子をアメリカに連れて行ってついていけるだろうか、そればかり心配して、小学校5年生の娘の学業については「まだ小さいから」と何も心配しませんでした。 でも、日本語式の思考のまま英文エッセイ(小論文) を書くような状態になってしまったことに、もっと真剣に娘の学習にも注意を払ってやるべきだった、と思いました。 英語が喋れても、アメリカの学校で学ぶことをきちんと学ばせてやることができなかった、と思いました。

「このままではいけない」と言う気がして、息子のエッセイを指導してくれた先生に、「帰国後娘にエッセイの書き方を基本から教えて下さい。 eメールによる指導で結構ですから。」とお願いしました。 先生は快く引き受けてくださいました。  (その事があったので、私も日本に帰ってからもこの先生からエッセイの指導をしてもらえました。)

娘は日本に帰ってその先生からeメールでエッセイ(小論文)を書く指導を受けました。 この先生はまず娘に読書指導をしました。 課題の図書を娘に読ませて、その作品を読んで娘が何を考えるのかを指導し、そのあと、自分の考えたことに基づいてその作品についてのエッセイ(小論文)を書かせました。 その時、文章の構成や英文での表現の仕方を指導してくださいました。 半年後、娘がある高校を帰国生受験した時、「自分の読んだ本についてエッセイを書く」という課題がでました。 娘は「The Giver」(Lois Lowry) について書いたようです。 後で英文を見ましたが、エッセイは Feeling is the barometer of humanity.  という文で始まっていました。 Giver で描かれる社会は理想の社会なのですが、「何かを感じること」はその社会でただ一人Giverしかできないことになっています。 社会を構成する全員の職業も人々が15歳になった時Giver がすべて決めることになっています。 そのようにして社会は理想的にコントロールされている、と描かれています。 それに対して娘はfeeling (何かを感じること)はその人が人間であることと切り離せない事なのだ、と書いていました。 人々の行動の根底には、うれしいと思ったり、悲しいと思ったり、「こういうことはおかしいのではないか?」と疑問を持ったりする感情があるからでしょう。 主題はエッセイの最初から明確にわかりました。 半年前に読んだ娘のエッセイを思い出して、同じ人間が書いた文章とはとても思えない文章でした。先生が半年間で娘にそういう文章の書き方をよく教えてくださったのだ、と思いました。

英語は英語を母国語とする人が普段しているような考え方で書かないと理解されにくい、という事が私にもよくわかる経験でした。



娘はエッセイの中に、「自分がまったく英語ができなかったときに感じたもどかしさやつらさは親にもわからない、自分にしかわからない感情だった。」と書いていました。 このブログの最初に書いてあるように、私は娘が最初の年、学校で4回泣いたことも知らなかったのですから、娘の気持ちも理解していなかったのでしょう。 先日こちらの記事に、小学校4年生のお子さんを連れて一年間アメリカ赴任をした方の記事が載っていました。(日経クロステックに掲載された「米国で生活して実感した「英語学習」のオワコン化」という記事です。 書いたのは島田優子さんという記者です。) 記事は有料会員限定の記事ですので、皆さんご自身でお読みください。 私はそれを読んだ感想のみ書きます。 帯同した小学校4年生のお子さんは翻訳ソフトと動画の日本語字幕で、一年間、ほとんど苦労なく学校の勉強ができたという事でした。 島田優子記者の主張を引用させていただきます。「これからの子供達に必要な力はツールを使いこなす力であり技術進化を素直に受け入れる姿勢だ」という事です。 「これから英語を学ぶならば、これらのツールの真価を前提に新しい学び方を考えなければならいだろう。 テキストを買ってきて文法から学び始める方法は終わりに近づいているのかもしれない」という主張でした。  

まったく言葉がわからない環境に入れられた子供がその状況の中でどうsurvive (逆境などを乗り越えて生き残る)できたのかを教えてくれる役に立つ記事だと思います。 また、仕事で英語を使っている人が英文がよく理解できなかったときに使えるソフトウェアや自分が英文を書いたときにそれの間違いをチェックしてくれるソフトウェアなど、たくさんのソフトウェアの紹介があり、英語を使って仕事をする人には役に立つ記事だと思います。  ただ、それだけにとどまらず、記者の島田優子さんはその体験から、日本の英語教育のやり方に言及されています。 同じく引用させていただきます。「こうした優秀な翻訳ツールや英語のツールが無料で使える前提で、これからの英語教育は組み立てられるようになるだろう。 子供たちのように、米国で外国語として英語を学習する小学生の様子を見ると、翻訳ツールを使いながらどんどん海外のYouTubeを見たり、本を読んだりする方法が主流になるのではないかと感じる。」  「ツールを使う中で”自然に英語を学び、”いつの間にかツールを使う頻度が減っていた。 できないことをツールに任せているうちにできることが増えていく。 これがこれからの子供の成長パターンになるのではないかと感じた。」以上引用させていただきました。 文中「自然に英語を学び」に” ” をつけたのは私です。 記事の題を見ると「米国で生活して実感した「英語学習」のオワコン化」となっていますので、英語学習について述べるのが主題だったことがわかります。

もし、そういう機器やソフトウェアを使って日本の子供たちが苦労なく英語を身に着けられることができるならそれは歓迎すべきことでしょう。

英語教育の専門家で日本でのそういう英語教育の手順と方法をまとめてくださる方がいれば、私も見たいと思います。




ではここからはこの記事を読んだ私の感想を2つ書きます。

感想(1) 島田優子記者の提唱する方法を日本で行っても子供達は通じる発音で英語を話せるようにはならない。

理由はアメリカと日本では子供が聞く英語の量(英語インプットの量)が違うからです。
アメリカ: 英語を母国語として習得するのが可能なほど英語のインプット量がある
日本:   英語のインプットは無し

アメリカに連れていかれた子供が通じる発音で話せるのは、アメリカ人が話す大量の英語の発音を聞いているからです。 学校で7時間、先生や友達の話す英語を聞けます。 休日もショッピングや遊びに行けば英語は聞けます。 週日も下校後友達と遊べば英語を聞いたり話したりできます。 膨大な英語の音声が子供の耳に蓄積され、やがて、聞いた音と同じ発音で子供は英語を話し始めます。 日本の子供達は島田さんの提唱する翻訳ソフトと動画の日本語字幕を見る学習を一日50分英語の授業時間に行っても通じる発音で話し始めることはありません。 「耳に蓄積されるほどの英語発音のインプットがないからです。 これは英語教育、特に発音指導の常識です。 発音が通じないと相手の人は何を言っているのかわかりませんから、英語が全くできないのと同じことになります。 アメリカ人は適当にしゃべっているように見えますが、発音にはそれぞれ固有の音の特徴があり、母音も区別して話されています。 音声学を学ぶとそれがわかります。 私が学んだ大学では英語の教師になる学生は音声学が必修科目でした。 島田優子記者は音声学を学んだことはないようですね。(私は日本人の大人の発音にとやかく言うつもりはありません。 文科省が教科書のCDも配布しない犠牲者だと思うからです。 犠牲者を責める人はいません。 でもこれから英語を学ぶ子供達には通じる発音で話せるようにする教育が必要だと思っています。)

感想(2)
一日50分の英語の授業で、英文を日本語に翻訳して理解したり、自分が日本語で考えたことを翻訳ソフトで英語にしても、日本にいる子供たちは英語を使うのに必要な文の形(例えば現在完了や関係代名詞の使い方)を習得することはできません。 読者の方は島田優子記者のお子さんが行った事と似通ったことをしてみるとわかります。 (実際に彼女のお子さんがなさったことは会員登録をしてこの記事をお読みになってください) こちらは小笠原諸島についてのフランス語の説明です。 下に書いてある Anglais をクリックすると英語が出てきます。 Japonais をクリックすると日本語が出てきます。 一日50分の英語の授業でこういう英文の日本語訳を読んで理解する練習をいくら続けても、自分の言いたいことを日本語で考えて翻訳ソフトで英語にする練習をいくら続けても、子供達は現在完了も関係代名詞の使い方もわかるようにはなりません。(ちなみに、現在完了は日本語にはない概念です。) 子供達には日本語で説明してやらなければ、文の形は理解できません。 日本では英語でコミュニケーションをしているところを聞くことも見ることもないからです。 一日中英語を聞いていた島田さんのお子さんとは前提条件が全く違うのです。 見たことも聞いたこともない言語の和訳を見て内容を理解しても英語の文型の習得はできません。文部科学省が「高校の英語の授業は英語で行う」と決めた時、現場の先生方は「日本語で教えても理解できない生徒がいるのに、英語でどうやって教えるのだ」と反対なさいました。 また、こちらの新聞記事を読んでも、分詞構文一つ理解するのも生徒たちにとっては大変なことだとわかるでしょう。 使ったことのない英語の文の構造を生徒に理解させるのは日本語で教えてもとても大変なことなのです。 ましてや一時間の英語の授業で対訳ばかり読んでいたって、現在完了も関係代名詞も正確にその使い方を理解することなど生徒にはできません。  島田優子記者のお子さんは学校でアメリカ人が目の前でしていることを見ながら毎日7時間、ネイティブの英語を聞いていたわけです。 その毎日7時間アメリカ人と生活することのない日本の子供達がYoutubeと翻訳ソフトで英語の授業を受けても、文法と発音を「自然に身に着ける」ことはないのです。     日本の英語教育法ではこれから学ぶ文法事項(文の形)を一時に一つだけ教えます。 3つ(例えば、現在完了、関係代名詞、仮定法)が全部入っている文章を生徒に読ませたら、たとえ和訳を見て意味が分かっても文の形は混乱して、3つとも消化不良となり、結局子供は英語の文の形は何も理解しません。 文の形(現在完了や関係代名詞や仮定法など)は一回の授業で一つだけ教える。 これも英語教育法の常識です。 生徒が混乱するだけですから。

島田優子さんにそれがお分かりにならなかったら、先ほどの小笠原諸島のサイトでロシア語(Russe)と日本語を対比させてやってみてください。 日本で初めてロシア語を学ぶときにその方法でできるかどうか、わかると思います。 そうすれば日本で初めて英語を学ぶ子供達にその方法が有効であるかどうかお分かりになると思います。 ロシア語の発音をきちんと教えてもらわなければ、声に出して読むこともできないでしょう。

以上が私の感想です。

記事の中で一つ気になったことがあります。
島田さんは「テキストを買ってきて文法から学び始める方法は「オワコン」、終わりに近づいているのかもしれない」と書いていらっしゃいますが、私はなんで文法を学ぶことがそんなにいけないことなのだろうと思います。アメリカのESL(英語が母国語でない生徒)のクラスでも文法の勉強はします。

少し前「英語教育論争史」(江利川春雄著)という本を読みました。 その中に「文法訳読か話せる英語か」という論争があったと書かれていました。これは明治から大正期の事ですので、仕方がなかったのでしょう。 でも、英語の音声を誰でも入手できる今の時代も、文法を学ぶことが悪いことのように言う人を見ると 私には全く理解ができません。 文法ができなかったら、会話だってできませんよね。 どうして文法も会話も一緒に学ばないの? と思います。  私は中学生の時から文法としゃべることを一緒に学んできました。(私の勉強の仕方は私のホームページに書いてあります。)

中学時代、授業で先生が説明して下さった文法事項を理解した後、その文法事項を学んだ教科書のレッスン全文を発音練習して何も見なくても全文正しい発音で言えるようにして英語は習得してきました。 そうすると、文を覚えていますから読めますし(リーディング)書けますし(ライティング)、音が耳に残っているから聞けますし(リスニング)、もちろんしゃべれます(スピーキング)。 つまり教科書という一つの教材で、文法、発音、読む、書く、話す、聞く(4技能)全部同時に習得しました。 高校時代もそうでした。 (高校の教科書のワンレッスンは長かったので、全文をすらすら読めるように音読できれば良いとして全文暗記まではしませんでした。) 文法と4技能はいつも一つの教材(教科書)で同時に学びました。 つまり授業の終わった英文を音読することで、その授業で習った文法と発音、4技能を全部一緒に習得しました。  この6分野(文法、発音、話す、聞く、読む、書く)をそれぞれ分けて勉強していたら、いくら時間があっても足りなかったでしょう。特に、そんなにたくさん文を学ばない中学校で、この「文法、発音、4技能」を別々に教えていたら、無駄な時間がかかってしょうがないでしょう。大変非効率です。 6つ同時に勉強したから効率的でした。 

発音を教えていたころ、大学の英語の先生がレッスンにいらしたときに、私が音読していたTIMEという雑誌が机の上に置きっぱなしになっていました。 その大学の先生が「私はTIMEはリーディングの教材だと思っていましたが、川合先生には、音読の教材なんですね。」と笑っていらっしゃいました。 もちろんTIMEは読むために買いましたが、いつも全部一緒に勉強する癖がついていたので、音読もしてしまいました。 (TIMEにある文をスピーキングで引用することはあまりないですけど。) でも「書いた文章でも、すらすら読めるようでないといい文章とは言えない」ということはエッセイを指導してくれた先生から学びました。 先生は私の文を直した時に、いつも直した部分を読んで、すらすら読めないとすらすら読める文にまた直していらっしゃいました。

私は大学でフランス語を学びましたが、たくさんフランス語を読んで否定の形を知るより、最初から「動詞を否定するときは ne ~ pas で動詞を挟めばいい」と教えてもらった方が効率的だと思います。なんでみんなそんなに文法を学ぶことを目の敵にするんだろう、と思います。 文法ができなかったら英語はしゃべれません。 アメリカから帰ってすぐ受けた英語の講座で「言語を習得するとき、文法と語彙を勉強すればどんな言語でも一応はしゃべれる」とおっしゃっていた先生がいました。 それは文法が言語を話すときのルールだからでしょう。 サッカーもバスケットもルールを知らなければゲームに参加できません。 文法は英語を話すルールなんだから知っていなければしゃべれないでしょう。 スピーキングと文法は一緒に学べばいいでしょう。 実際私は全部一緒に学んできましたから。 そういう方法はあるんですよ。 しかも効率的です。 (大人になってからはエッセイの指導を受けたり多読をしたり、4技能の一つ一つに集中して順番に学ぶことをしましたが、中学から高校2年生までは6つの分野を全部教科書一つの教材で一度に勉強しました。)

以上が島田優子記者の記事を読んだ感想です。 日経クロステックの記事は長年にわたって取材活動に携わってきた専門記者の方々が書いているそうです。こちらのサイトで読みました。 英語教育は産業分野ではありませんが、一応専門分野です。 島田優子記者は英語教育についてお書きになるなら、もう少し英語教育という専門分野をご自身でよく勉強されてから記事をお書きになった方がよろしいのではないかと思います。 このような間違った記事を載せられると、いたずらに教育現場を混乱させます。 その責任は非常に重いと思います。  現在、日本の英語教育の議論は「素人の百家争鳴」のようになってしまっています。 こういう記事が混乱に拍車をかけます。 少なくともスピーキング教育におけるインプットの量の重要性、発音は適当にしゃべっていればいいわけではなくきちんと通じる発音の基準があること(音声学の基礎)、教える場合の基本(英語教育法)などをきちんと学ばれた上でご自分の方法を提唱された方がよろしいのではないかと思います。 また、アメリカと日本の英語インプットの量の違い(大量にある:まったく無い)にも気づかないで英語教育の方法を提唱されるのは記者という立場上、非常に危ういと思います。


====================================


高校入試で子供たちが親の収入によって差別されない為に以下のお知らせを書かせていただきます。

高校入試のスピーキングテストについて(大学入試のスピーキングテストについても同様です)

高校入試のスピーキングテストは本来文部科学省が学校教育で正しい発音を生徒に教えてから行うべきものです。  しかし、文部科学省が教科書にCDもつけず、正しい発音の仕方も学校で教えないまま、高校入試でスピーキングテストを実施する動きが都立高校などで始まっています。 (大学入試でもスピーキングテストが行われようとしています)  これは、スピーキングスキルの習得を塾や予備校、会話学校に丸投げするものです。  学校で教えていないスキルを入試でテストすることはあり得ません。

これでは経済的に余裕のない、塾や会話学校にいけない家庭の子供は誰にも正しい発音を教えてもらえず、練習するCD(音声モデル)も与えられないまま、高校入試でスピーキングテストをされることになり、明らかに親の収入による進路の差別が始まります。(詳しくは2018年3月8日のブログ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」をお読みください。)

皆さんの身近に教育関係者がいらっしゃいましたら、ぜひ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」であることをお伝えください。  (大学入試のスピーキングテストについても同じことです)  
15歳で親の収入のために進路を差別されるのでは子供たちがあまりにもかわいそうです。

====================================



英語教育については、下のブログも併せてご参照ください。  日付をクリックすると移動できます。
2017年10月12日
文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない(子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き)


* * * 英語学習に役立つ情報 * * *

(1)通じる発音で話す方法

英語の子音には長さがあり、日本語の子音には長さがありません。  長い子音で話している人々には、日本人の子音は短く、何を言っているのかわからない時があります。  川合メソッド2の練習(2016年6月からのブログ)をすると英語本来の長い子音で話せるようになります。  
日本人が好んで行ってきた「演説の練習」や「シャドーイング」では、残念ながら、短い子音は直せません。

川合メソッド2の練習を営利目的(出版、発音セミナーなど)で使うのはご遠慮ください。 (理由はこちらです。)

(2)松本亨氏の「英語学習に日本語訳を使ってはいけない」という主張は現在は否定されています。

「英語で考えるためには日本語訳を使ってはいけない」という松本亨さんの主張は、2006年、私の子供たちが全文和訳でバイリンガルになった事実によって否定されました。

最新の情報は「英語で考えるためには思考力を持つ母国語と結び付ける」です。  

私は、どんなに立派な肩書をお持ちの英語教育の専門家に反論されようと、この主張を変えるつもりはありません。  これは、私が、渡米から2年間、子供たちの横にぴったりついて、毎日何時間も見てきた事実だからです。  事実は机上の空論で覆すことはできません。  むしろ事実を直視して、思い込みによって主張された誤った英語教育をやめるべきでしょう。

バイリンガルになった私の子供たちがどう英語で考えるようになっていったかは、2月4日のブログ「英語の思考活動」、3月1日のブログ「先生の宿題のプリント「英語で考える」ってどういうこと?」を参照してください。 

また松本亨さんの書いた「英語で考える本」「英語で考えるには そのヒケツと練習」という本に書いてある練習をしても英語で考えるようにはなりません。(同じく2月4日のブログ「英語の思考活動」、3月1日のブログ「先生の宿題のプリント「英語で考える」ってどういうこと?」を参照してください)


(1)は日本人が、70年間、知らなかった事実です。

それを直せば、日本人の発音は、今までとは違う、通じやすい発音に変わります。  そのためには、自分の耳で発音を聞いて下さい。  この音の違いは自分で聞かないとわかりません。 

子音の日本語化を聞けるようになるためには、日本人は、発音練習の時に、音以外に注意を散らすものを、一切排除して行ってください。 ほかのことと一緒に発音を学習しないでください。(例えば、音とつづり字の関係など。) アメリカ人の子供は、やっていても、日本人がそれをすると、自分の子音が短いことに気づけません。 

フォニックス文部科学省ご推薦の教材のようですが、私は、「音だけに集中できない」という理由で、フォニックスで発音習得すること」を日本人に勧めません。

音だけに集中して発音を聞かないと、「日本人が想像だにしなかった子音に長さがある」という事実に気づくことができません。

(2)は日本人が50年間、信じて疑わなかったやり方です。  

けれども、私は自分の体験した事実に基づいて、「誤りであった」と皆さんにお伝えいたします。  事実を直視しないと、英語教育は前に進みません。

* * *

高校英語教育について

高校の先生方は、もう、生徒がよく理解できる日本語で英語の授業をされてかまわないのではないでしょうか?

文部科学省も「英語で授業」が効果がないことは分かっています。  その証拠にあれほど華々しく打ち上げた「中学の英語の授業を英語で行う方針」は、もはやどなたも口になさいません。

これはもともと詐欺商法ですし、詐欺は犯罪ですから、学校に持ち込むこと自体、国家公務員法違反です。(理由はこちらです。)

もし英語をしゃべることに慣れるためでしたら、「英語で授業」なんかより効果的な方法がたくさんあります。  先生方は、もう、「英語で授業」はおやめになって、生徒がよく理解できる日本語で授業をされたほうが、生徒の理解は高まると思います。  特に英文の構造を、よくわかるように日本語で説明してあげてください。  (理由はこちらのブログを参照してください。)

* * *

何度もお願いしているのですが、アマゾンのページで私の本のランキングを下げて妨害をしている人がやめてくれないので、(詳細はこちらです)しばらく以下の文章を掲載させていただくことにしました。

「本を出版する人は、他の著者の妨害をしない。  他の著者を妨害する人は自分の本も出版できない。」
出版社におかれましては、このことを出版の際、著者に理解していただいてください。

私のランキングを妨害している人は、たぶん、現実を受け入れられないのでしょう。
アマゾンの順位を1ペ―ジ目から2ページ目に下げられ、数日でまた2ページ目から3ページ目に下げられて、私は、この方の激しい妨害に驚いています。 

「学習者に正しい発音を習得してほしい」というのが自分の目標でしたら、他人を妨害する必要はありませんね。  他人を妨害してまで、何を手に入れたいのでしょうか。  ベストセラーの著者という名声ですか。  それなら、もうアマゾンで、ご自身の本はベストセラーに認定されているのですから、それで十分でしょう。  この上何が欲しくて私を妨害するのでしょうか?  もう英語教育とは関係ないことですか。  

私は、こちらに書いてある3つのことをするのが、目的です。  日本人が子音の日本語化を知っているか、いないかで、通じる英語で話せるか話せないかが、決まります。  ですから、このことを読者の皆さんに理解していただくのは、とても大事なことなのです。  私の仕事の妨害をしないでください。 

* * *


* * * 



クマさん、ウサギさん、ブタさん、それぞれが持っている旗に書かれたことの理由は、2017年7月30日のブログをご覧になるとわかります。