川合典子 ブログ

英語教育、英語学習、発音習得、帰国子女の言語習得について書いています。

グローバル化に対応した学校教育 中学、高校の場合(1)

2024年8月5日
週刊文春(2024年7月18日号)の記事を読んで加筆した個所は、この下に青い字で書いてある部分です。 最初の江戸幕府の例題が終わったところです。 







私のブログには為政者から激しく妨害されているものがいくつかあります。このブログと併せてお読みください。日付をクリックすると移動できます。
2020年3月17日 各大学はスピーキング試験(民間試験)をする必要はありません。大学の先生方は受験生を騙す詐欺(犯罪)に加担するよう強制されることはありません。いかなる団体においても犯罪を強要する方針は無効です。民間試験は50年やっても4技能向上に効果はなかった。

2020年2月29日 eポートフォリオはベネッセの見込み顧客(高校生)データを国家に集めさせる極めて危険で悪質な手段です。安倍総理は国民全員を一私企業(ベネッセ)に売った憲政史上初めての総理大臣。 「高校進学者、つまり、ほぼ国民全員が総理大臣の犯罪の被害者になる」という点でロッキード事件より悪質。 

2017年11月2日 中学時代に、きちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか?

大学入試改革を担った鈴木寛教授が実際には英語教育に全く無知であった(カタカナ発音と英語発音の区別も出来ない)ことについては2020年4月23日のブログに書いてあります。 鈴木寛教授のことを書いたとたん為政者から激しい妨害が始まりました。




私はこちらのブログで、グローバルな世界でやっていける子供たちを育てるには答えが一つしかない教育では出来ないと述べました。  答えが一つだけの教育というのは知識を教えること、暗記することが最終的な目標になる教育です。

では、答えが一つではない教育というのはどういうものかというと学んだ知識を基に考え、自分なりの結論を出し、その考え方や結論を相手に分かりやすく提示していく能力をつけていく教育です。

例えば日本史の授業で、江戸時代について学んだとします。  従来の教育では江戸時代の出来事について学んで暗記をします。  そこで勉強は終わります。  そうではなくて学んだことを踏まえたうえで、自分で考える課題を与えていきます。  例えば、

徳川幕府が265年という長期にわたって安定して存続できたのはなぜだと思いますか。  その理由を考え、具体的な出来事や例を挙げて説明しなさい。」

こういう課題があったとします。

生徒Aは、この課題を考えて、「徳川幕府が265年も続いたのは財政が窮迫するたびに幕府が改革を行ったからだ」と考え、江戸の3大改革を具体例として挙げて説明します。

生徒Bは、「徳川幕府が265年も続いた理由は幕府の制度の中にあった。  他の大名が強大になることを防ぐ仕組みがあったからだ」と考え、その例として、参勤交代の制度を上げて、説明します。  外様大名が参勤交代によって、莫大な費用を使わされたことが、幕府の反対勢力が強大になることを防いでいた、と説明します。

生徒Cは、「鎖国をしていたから徳川幕府は長期にわたって安定した統治を維持できた」と考えるかもしれませんし、生徒Dは、「武士道という忠誠心を育てる教育によって、「主は主足らずとも臣は臣たるべし」と教え込み、いかなる理由があっても現在の秩序を維持することが最も大事だと、武士に教え込んでいたから」と述べるかもしれません。

先生は日本史を踏まえて、生徒の意見とそれを裏付ける事実や例が適切であれば、高い評価を与えます。

この過程で生徒は、次の5つの作業をします。

(1).江戸時代の出来事を復習する
(2).なぜ徳川幕府が長期にわたって存続したか考え、自分の結論を出す。
(3).自分が考えた理由の根拠となった事実や例(江戸時代の出来事)から、読む人も納得できるものを選ぶ。
(4).読む人にわかりやすく、理由とその根拠となった例や事実を組み合わせて文章の構成を考える。 
(5).エッセイ(小論文)を書く。


従来の勉強ですと、(1).で勉強は終わりますけれど、ここでは(2).(3).(4).(5)と新たに「自分が考える」という作業が入ってきます。  また自分自身の中で考えをまとめる作業と、自分の意見を読む人に分かりやすく表現する、という他人の視点から考える訓練も入ってきます。

これが国際化、グローバルな社会でやっていける能力を育てる訓練になります。

この課題の答えは一つではありません。  教師は生徒の意見が史実に基づき、論理的に矛盾がなく、納得できるものであれば、高い評価をします。

つまり、生徒がどれだけ説得力のある理由を考えるか、自分の考えを裏付ける力のある事実や例を選ぶことができるかによって、評価が変わって来るということです。  それが、考えたり、必要な具体例や事実を選ぶ能力を訓練することになります。




2024年7月18日号の週刊文春の記事を読んで思ったことをここに挿入します。

(1) 私はこのブログに次のように書きました。

「知識を暗記する」だけだと、生徒は、自分の能力の半分しか使っていないと思います。  知識を勉強したら、今度は学んだ知識をもとに「先生から与えられた課題を考える」「その考えをわかりやすく相手に説明する」こういうことを訓練していくと、今まで使われていなかった、子供たちの能力を開発していくことになります。(以上です)

つまり知識を学んだら「その知識に基づいて」与えられた課題を考えていくことにより知識が生徒の頭にさらに深く強固に定着するだけでなく「論理的に筋道を立てて考える」ことや「どのように自分の考えを相手にわかりやすく説明したらよいか」そういうことを考える生徒の能力を鍛えていくことができると述べました。

この考え方に基づいて私が作った例題はすべて学んだ知識に基づいて自分で考えたことをエッセイ(小論文)の形でまとめるものです。 国語の例題にしても全くの創作ではなく、夏目漱石の「こころ」に登場する人物「先生」のしたこと、事実を踏まえ、「先生」の性格を読み取って、それに基づいて「先生が自殺せず、生きていく」としたらどのような生き方をしていくかを考える問題です。 (私は若い人に「生きていく」という観点から考えてほしかったのでこういう問題を作りました。)つまり知識を学びその知識に基づいて考えていくという事です。 

中学、高校の歴史の授業の第一の目的は「史実を学び、覚える」という事です。 私が若いころ「歴史の勉強にはもし~~だったら、という仮定は意味がない」とよく言われました。 「もしローマ帝国がなかったら、どうなっていたか」「もし、第二次世界大戦がなかったらどうなっていたか」等は実際には起こっていないことですので、歴史の勉強としては無意味です。 しょせんそれは空想・想像の世界です。中学、高校の歴史の授業の第一の目的はあくまでも史実を学び起こった事実とその原因や影響を理解し、覚えることです。 その史実に基づいて、先生から与えられた課題を考えていくのが第二の段階です。 私の出題例も江戸時代の史実(265年幕府が続いた)に対して生徒が具体的な江戸時代の出来事をあげてその原因をどう考えるかを問う問題になっています。 あくまでも史実を踏まえたうえでその事実をどう見るかを生徒に聞くものです。この設問に答えることによって、江戸時代の史実をより深く確実に生徒に定着させるのが目的です。 全くの空想や想像で考える問題ではありません。 先生方が問題をおつくりになるときも学習した具体的な史実を生徒が把握してそれに基づいて答える問題に限定された方がいいと思います。

ところが、2週間ほど前、週刊文春に載った「史実と関係ない設問の例」が、友人から送られてきました。 (「週刊文春」7月18日号 64ページ 室町ワンダーランド) こういう問題でした。 「幕府が財政危機です。 あなたが老中だったらどうしますか?」  これに対して明治大学商学部清水克行教授が「現代と江戸時代では社会構造も価値観も複雑に異なるわけで、それを無視して好き勝手に生徒に考えさせたところで、おそらく空想談議以上の何の意味もないだろう(そもそも歴史を見るときに、勝手に生徒たちを為政者の視点に立たせているのもどうなのだろう)」とお書きになっていらっしゃいました。私もその通りだと思います。 中学、高校の歴史の授業の第一の目的は史実を学び理解し覚えることです。 この問題は、歴史上のある事実について書くのではなく、問題も空想に基づいて作られています。 なぜなら、江戸初期と江戸末期では200年以上の差がありますので、社会の背景も違いますし、人々の考え方も違います。当然それによって対処の仕方も違ってくるでしょう。それを時期も特定せず、「幕府が財政危機です」と言われても、その状況も事実もつかみようがないわけですから、言われた生徒は「財政がひっ迫するというのは普通は浪費だからこれもそうかな?」そのくらいの想像で答えるしかありません。ですからあくまでこれは想像上の問題になります。従って、生徒の答えも想像、空想の域を出ません。生徒の答えの有効性も想像するしかありませんので、なに一つ史実に関するものはありません。 この問題は「学んだ史実をさらに深く確実に定着させる」ことに何ら貢献しません。従って歴史の課題としては無意味です。  先生方が問題をおつくりになるときは、想像や空想で答える問題ではなく、あくまでも学んだ「具体的史実」をもとに解答するような問題に限られた方がいいと思います。


(2)余談ですが、清水教授が「勝手に生徒を為政者の視点に立たせているのもどうなのだろう」とお書きになっていらっしゃいましたので、これについて私には今でも忘れられない日本史の授業がありますので、本題からはちょっとずれますけれど、書かせていただきます。 

高校時代の私に「川合、勉強しろよ。 君が集中して勉強できるのはこれから結婚するまでの間だ。 先生の言う勉強は学校の勉強の事ではない。読みたい本を読め。考えたいことを心行くまで考えろ」とおっしゃったあの歴史の先生(こちらのブログに出てきます)の授業の事でした。先生はことあるごとに歴史の教科書には出てこない農民の話をしてくださいました。 もちろん農民は米を作り年貢を納めます。 また、私が忘れられない話は、先生が奈良の大仏建立のことについて話してくださったものでした。  大仏を作るために多くの農民が集められた。 中には高い足場から落ちてしまう農民もいたし、運が悪くて大仏に使う金属がぐらぐら溶けた熱い大きなかまに落ちて死んでしまう農民もいた。 そういうお話をしてくださいました。 (他のことも話してくださったと思いますが、もうよく覚えていません。) そういう先生の歴史の授業の一環として、ある日先生は私たちに作文を書かせました。 題は「歴史を支える農民」でした。 もちろん農民のことはそんなに教科書には出てきませんから中学2年生の私たちは授業の中で時々先生が説明して下さることしか知りませんでしたけれど、それについて自分の思う事を書きました。 私は奈良の大仏建立の話が結構ショックでしたので、そのことを書きました。 生徒が書いた作文は全部先生が手書きのガリ版で印刷してくださって一つの文集にして生徒全員に配ってくださいました。 それを読むと他の生徒がどう思ったかについても、知ることができました。 この先生は生徒を為政者の立場ではなく、支配される農民の立場に立って歴史を見る目を育てようとなさっていたのでしょうね。 「生徒に考えさせる」という事は決してディベートやグループワークばかりではないと私は思います。 先生方が歴史を学び教えてきて、生徒にこういうことを歴史の勉強を通して考えてほしいと思う事を考えさせる方法は、この先生の作文のようにいろいろあると思います。

(3)ここで清水教授が2022年度入学生から新しく始まった「日本史探求」という科目について説明されていました。 「従来の日本史Bの内容を扱いつつも、「主体的、対話的で深い学び」を重視した科目との事である。つまり、「日本史に必ず付きまとう「暗記科目」というネガティブ・イメージを払拭してディベートやグループワークを取り入れ、日本史を「考える授業」として再構築しようという狙いのようだ。」とお書きになっていらっしゃいました。  ただ、私はこのディベートについて以前から、きちんと学校で指導したうえで行われているのだろうか、という疑問を持っていました。 きちんと指導していないことをいきなり生徒にやらせても、生徒がそこから学ぶものがないからです。 それと、日本では自分の意見を相手が納得できるような根拠をもって、論理的に述べる(あるいは文章にする)という指導は行われていません。これでディベートをさせても、論理的思考を訓練することはできないのではないかと思います。

私はアメリカで自分の主張を展開するタイプのエッセイ(小論文)の書き方を高校のEnglish (国語)の先生から習いました。 息子にエッセイを指導してくれた先生にお願いして私もその指導を受けました。 先生の指導では、私が主張する意見の根拠(どういう視点からこういう意見を主張するのか)を3つ挙げ、その根拠・理由を裏付ける事実、事例を各根拠・理由について3つずつ提示するよう指導されました。 アメリカ赴任中から始まって、帰国後も何年か指導を受けました。 もう記憶が薄れていますが、先生に「根拠をストロングに」といつも言われて、「誰も反対できない強力な根拠・理由、事実、事例」をそれぞれ3つも探すのが、とても大変だったことを今でも覚えています。 想像や空想でなく現在行われている事実から、自分の主張を裏付けるものを選び出すのは大変でした。でも「事実」だからこそ説得力を持つのであって、想像や空想の出来事では何の意味もありませんから、どんなに大変でも、事実を選び出さなければなりませんね。 

子供達のアメリカでの学校教育を見ていましたら、まず、こういう自分の主張をするときの「根拠や理由を明らかにして、それを裏付ける強力な事実や事例を選ぶ練習」を徹底的に行って(つまりたくさんエッセイ(小論文)を書き)それが大体出来るようになった後、並行してディベートの練習が入ってくるようでした。 だからディベートが始まる時には論理的な主張の組み立て方はエッセイの練習である程度訓練されていました。 高校1年生の息子の全校保護者会等では新しく始まるディベートの指導内容も保護者に配られ、「相手をやり込めようとするような態度はいけない」というような基本的な指導からきちんと行われていました。 

日本ではやたら、ディベートディベートと言いますけれど、論理的に自分の主張を強固な根拠をもって組み立てていく方法(私の子供達で言えば、エッセイ(小論文)によって指導されていたこと)は日本の学校ではどの学年でも指導されていません。  もし、そういう指導を十分受けていれば、例えば、自分の意見と根拠として挙げた理由(あるいは事例)との関係が弱いと、先生から「この理由だから、必ずしも結論がこうなるとは言えない」というように指摘され、生徒は、もっと説得力のある理由や事例を考えることになります。そういうことを繰り返して、説得力のある根拠・理由、事実・事例を選べるようになっていきます。 日本の子供たちはそういう訓練もせずに、ただディベートディベート、と言われても論理的に考える力をつけることはできないと思います。 やはり、きちんと学校で指導をして子供たちに自分の意見を根拠に基づいて論理的に組み立てたり、ディベートをさせる方が子供達の能力を向上させることができると思います。 文科省は「思考力」とか「論理的に考える」とかよくおっしゃっていますので、それでしたら、きちんとした指導を学校教育で行ったらいかがでしょうか。 

もうすでに削除されてしまった2つのサイトに書いてあったことですが(一つはある出版社のサイト(これは松本茂氏と安河内哲也氏の対談という形でした)、もう一つはある放送局のサイトだったと思いますが、こちらは記憶が定かではありません)松本茂教授が「学校ではみんなで学ぶ。 一人で学ぶのではない。だから英語の授業ででコミュニケーションの練習をするのだ」とおっしゃっていました。 確かに学校ではみんなで学びます。 でも、それは数学や地理も同じです。 みんなで学ぶから数学や地理でもみんなで何かするか、と言うとそういうことはありません。 松本茂教授はディベートのご指導もされているようですけれど、私には「学校ではみんなで学ぶ。一人で学ぶのではないから英語の授業でコミュニケーションを学ぶ」というのは説得力のない理由でした。 

やはりいきなりディベートをさせるのではなく、自分の意見を論理的に強固に支える根拠をもって組み立てることができるよう生徒に指導し練習させる方がディベートをさせるより先ではないかと思います。 (ちなみに英語教育の専門家としての私の意見は、コミュニケーションが成立するためには相手が理解できる英語を話すことがまず第一に必要ですから、しっかり正しい発音で基本の英文を言えるように指導することがすべてに優先して必要だと思います。 「コミュニケーションの練習」と称して、生徒に勝手に英語をしゃべらせても通じない英語をしゃべっていては何の役にも立ちませんので。もちろん私は先日ニュースで見たような夏休みを利用して生徒がアメリカ人の人たちと交流したりすることは大変いいことだと思います。 英語学習のモティベーションが俄然上がります。 でもそういうイベントが楽しく意味ある活動になるおおもとが、普段行う「正しい発音で文章をしゃべる練習」なのです。これを地道に行っているからこそこういう機会で達成感や充実感を味わえるのです。 私も中学時代週1回中学生3人で英会話を習っていて(こちらのブログにその時のことが書いてあります)、その授業でアメリカ人の先生に自分のいう事が理解してもらえた時、とてもうれしくて「今週ももっと練習しよう」とモティベーションが上がりました。)

(1)の話題に戻りますがこれはカナダで開発されたICEモデル(アイスモデル)という方法にのっとった指導の仕方だそうです。ICEモデルという教育方法は
I  (Ideas)考え、基礎知識
C (Connections)つながり
E (Extensions) 応用・広がり

この教育方法を日本史に使ったのが週刊文春に載っていた例でした。ある県立高校の校長先生によると「I(Ideas) 考え・基礎知識」の問題例は「享保の改革は何年の出来事ですか?」 「C(Connections)」 つながり」の問題の例は「江戸幕府が260年も続いたのはなぜだと思いますか?」そしてE (Extensions) 応用・広がり の問題例が「幕府が財政危機です。 あなたが老中だったらどうしますか?」だそうです。

けれども無理に形式にあてはめる必要はないと思います。 先生方が歴史を通して何を生徒に考えてほしいか、そう思う事を課題として自由に与えられたらいいと思います。私は歴史の中で、265年も幕府が続くというのは珍しいことだと思ったので、その背景には何があったのか、それを考えてみるのは意味のあることだと思ったので、上のような問題を考えました。 先生方は生徒より少し長く生きている日本人として、日本の歴史を見た時に、特に注意して考えてほしいこと、今の日本社会を見た時、歴史の勉強を通して考えてほしいことなど、自分が生徒に考えてほしいことを課題として与えていけばいいのではないかと思います。この後に私が書いた「幕末から明治にかけて生きた人々の中で、あなたが最も共感する人物は誰ですか。 その人のが行った具体的な行動や思想をあげて説明しなさい。」という設問は、今のように従来の価値観が揺らいだ時代に生きる生徒に何か役に立つことをつかんでもらえればと思って考えました。  このカナダの教育方法の形式に無理に当てはめて空想ばかりしていても、生徒が史実を身に着ける役には立たないでしょう。

ちなみにこの「C(Connections) つながり」の問題にこの県立高校の校長先生のあげた問題は私が上に書いた問題と同じでした。偶然ですね。 清水教授もこれについては問題はないとのことでした。 私はここに例として書いた設問のどれでも教室で使ってくださる先生方がいらしたら、それはとてもうれしいと思います。歴史だけでなく次の国語の問題についても、その次の明治維新の問題でも、実際に教室で使いたいという先生がいらしたら使って頂けるのはとてもうれしいと思います。

「歴史を支える農民」の作文を思い出すと、学習をある形式にのっとってパターン化させる(例えばICEモデルのように)より、先生方が、「これを生徒に考えてほしい」と思う事を生徒に考えさせる方が、例え数をこなすことが少なくても、質の高い学習ができるのではないか、と私は思います。 日本の国際化の段階は欧米の国々とはかなり違います。 学校で自分の意見を他の人も納得できる根拠をもって論理的に組み立てて書く(あるいは発表する)練習も学校で指導されていません。 また、大勢の前で話す(発表する)練習も教室で行われていません。(これについてはこちらのブログを参照して下さい) こういう状況で、外国の方式を取り入れることにばかり熱心になるのではなく、先生方が今生徒に何を考えてほしいと思っているか、そういう視点も大事にして授業に取り入れていってほしいと思います。 

他の教科では英語教育ほど露骨な「欧米コンプレックス」はないと思いますが、「外国のものだから日本の教育より優れている」、「日本の教育にもふさわしい」とは限りません。 私は英語教育の専門家ですから、文科省の英語教育の方針を見てきて、文科省が現場の教師のいう事を非常に軽んじていることを痛切に感じてきました。実際には現場の教師ほど「生徒に何ができて何ができないか」を知っている教育者はいないのです。 (英語教育における「欧米コンプレックス」というのは「欧米の英語教育は絶対正しい」「日本人英語教師のいう事は聞くに値しない」という態度です。だから、英語教育の有識者会議の委員松本茂教授や吉田研作教授は「英語で授業」をしないと言って高校の先生方を非難します。 けれども現場の先生方は生徒のことを一番よく知っています。 「英語で授業」はインドヨーロッパ語族とは異質な言語(日本語)を母国語とする生徒には全く役に立たない指導法です。解説はこちらのブログ歴史教育においても、長く歴史を中学生、高校生に教えていらした先生方が「今、何を生徒に考えてほしいと思っているか」外国の指導法の導入だけでなく、日々生徒に接する教師の視点を教育に取り入れていけるようにすることも必要だと私は思います。 長く歴史を教えてきた教師が生徒に「このことを真剣に考えてほしい」と思って与えた課題は必ず何らかのインパクトを生徒に与えると思います。 50年以上前に学んだ「歴史を支える農民」の作文を私は今も覚えているくらいですから。

長くなりましたが、私がここで最も言いたかったのは一番最初に(1)に書いたことです。 中学、高校の歴史の授業では「史実を学び、理解し、覚えること」が基本であり、一番大事です。 どんな授業内容にするにしても、空想や想像でなく、学習した具体的な史実を踏まえて生徒が考える問題に限定して、生徒に課題を与えていただきたいと思います。

以上2024年8月5日加筆しました。




上の例は日本史の例ですが、国語ならこういう問題もできるでしょう。

夏目漱石の「こころ」を勉強した後に、「もし、先生が自殺をせずに、生きていくとしたら、自分が犯したと思っている罪とどう向き合って生きて行ったらよいですか?  先生が自殺をしなかったと仮定して、「こころ」の続編を書きなさい」

自分が人を死に追いやってしまったと思っている場合、生きていくのは、相当つらいと思いますが、それでも、生きていくにはどうしたらよいか、生徒は考えて、続編を書くことになります。

漱石ファンからは、「それでは漱石ではなくなってしまう」と不満が出るかもしれません。(例えば残りの人生を博愛に生きたとしたらそれは近代人の「エゴ」をとらえた漱石の作品とは全く違った小説になってしまいますから)でも若い人には悩みにぶつかったときに「生きる」という観点から考えてほしいと思いましたので、こういう課題を考えてみました。 漱石ファンにはお許しいただきたいと思います。

この課題も答えは一つではありません。  本当に生きていく支えとなるものを生徒がそれぞれ考えて主人公に持たせなければなりません。  そして、実際に、書くときには、先生の性格を読み取っていないと、後半のストーリーは書けません。  

理科のテストについては、何年か前に、こういう話を聞きました。

娘の高校の帰国生の保護者の方々と昼食をとったときのことでした。  イギリスの学校から来たお子さんのお母さんから聞いた話です。

「理科の問題で見たんだけれど、”発芽の条件は、水と空気と適切な温度です。  それを調べるためには、どのような実験をしたらよいか、書きなさい”というのがあったの。  きっと日本だったら、”発芽に必要な条件を3つ書きなさい”という問題で終わりだろうな、と思った」と言っていました。  

これは、答えは、みんな似たような形になると思いますが、そこに「考える」という過程があるので、意味があると思います。  「水がある場合とない場合を比べればいいけれど、そのためには、他の条件が同じでなければいけないんだな」とか、いろいろと考えることが必要になります。  これが、意味があると思います。  この課題については、Youtubeに映像で答えが載っていましたので、すでに、こういう教育はされているのかもしれませんね。  一度こういうことを自分で考えたことがあると、他に何かを調べていくときにも、応用できます。



「知識を暗記する」だけだと、生徒は、自分の能力の半分しか使っていないと思います。  知識を勉強したら、それで終わり、というのでは頭の半分しか使っていません。  学んだ知識をもとに「課題を考える」「相手にわかりやすく説明する」こういうことを訓練していくと、今まで使われていなかった、子供たちの能力を開発していくことになります。

そして、「自分で筋道を立てて考える」「相手にわかりやすく説明する」こういう能力は異文化の中で日本人が活躍していくために必要です。  なぜ、論理的に筋道を立てて考えるか、というとそのほうが、誤った道に入り込んでしまう可能性が少ない、ということのほかに、そういう説明の仕方のほうが、違うバックグラウンドを持っている人にも理解しやすいという点があるからでしょう。  今までこういう指導が日本の学校教育で行われることはほとんどありませんでしたが、これからは、学校でこの能力を鍛えることは、グローバルな世界でやっていける子供たちを育てるために必要だと思います。

課題は、先生方が「今、生徒に何を考えてほしいか」、この視点からお選びになったものであれば、なんでもよいと思います。  例えば、現在の日本の置かれた状況を考えると、今までと同じやり方では、乗り越えられないことがたくさんあります。  日本の歴史の中で、こういう時代はなかったか、といえば、ありました。  幕末から明治時代にかけてがそうでした。  もし、こういう時代に自分がどう生きて行ったらよいか考えるきっかけを生徒に与えたいと思えば、明治時代を学んだあとに、「幕末から明治時代にかけて生きた人々の中で、自分が最も共感する人物は誰ですか。  その人が行った具体的な行動や思想を上げて、説明しなさい。」というような課題も考えられます。  

こういう課題が出されたら、生徒は、まず幕末から明治時代にかけて学んだことを復習し、自分が最も共感できる人物を選びます。  そして、その理由を相手にわかりやすく、具体的な例や事実を入れて説明していきます。  この過程で先ほどの(1)から(5)の手順をすることになります。

こういう課題は、先にこちらのブログで述べましたプレゼンテーションの練習と合わせて行うと、自分が知らない人物を選んだクラスメートの発表を聞いて、新たに他の生徒がその人物に興味を持つこともあります。  クラスの発表を聞きながら、自分が知らなかった人物の業績を学ぶこともできます。

日本は、アメリカとは、グローバル化に向けた、社会の発展の段階が違いますので、どういう課題を選ぶかは、日本人が独自に持つ問題を考えて先生方がお選びになるのが、いいと思います。  先生方が、今、子供たちに何を考えてほしいのか、そういう視点からお選びになるのが、一番いいと思います。

次回に続く 




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高校入試で子供たちが親の収入によって差別されない為に以下のお知らせを書かせていただきます。

高校入試のスピーキングテストについて(大学入試のスピーキングテストについても同様です)

高校入試のスピーキングテストは本来文部科学省が学校教育で正しい発音を生徒に教えてから行うべきものです。  しかし、文部科学省が教科書にCDもつけず、正しい発音の仕方も学校で教えないまま、高校入試でスピーキングテストを実施する動きが都立高校などで始まっています。 (大学入試でもスピーキングテストが行われようとしています)  これは、スピーキングスキルの習得を塾や予備校、会話学校に丸投げするものです。  学校で教えていないスキルを入試でテストすることはあり得ません。

これでは経済的に余裕のない、塾や会話学校にいけない家庭の子供は誰にも正しい発音を教えてもらえず、練習するCD(音声モデル)も与えられないまま、高校入試でスピーキングテストをされることになり、明らかに親の収入による進路の差別が始まります。(詳しくは2018年3月8日のブログ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」をお読みください。)

皆さんの身近に教育関係者がいらっしゃいましたら、ぜひ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」であることをお伝えください。  (大学入試のスピーキングテストについても同じことです)  
15歳で親の収入のために進路を差別されるのでは子供たちがあまりにもかわいそうです。

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英語教育については、下のブログも併せてご参照ください。  日付をクリックすると移動できます。
2017年10月12日
文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない(子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き)



この後は、いつも書いていることです。
 
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7月30日以降、私は、いつもブログに書いている3つのことの2番目、「英語で考える」を提唱した松本亨氏の主張について」という項目の最初のほうに文章を付け加えました。 

それをお読みになると私がこの4年間、全く名前を出すことのなかった石渡誠氏の名前をなぜ書くようになったのか、その理由がお分かりになります。

英語で考える指導法の提唱者、石渡誠氏は、その方法が有効であるならば、日本語訳を使わず、アラビア語アラビア語で学んで、アラビア語が堪能になるかどうかご自身でやってみて、その結果を公開してください。  「英語を英語で教えるということが、中高でも広まってきて、良いことです」(2017年7月30日のブログ)などとおっしゃるのは、それを自分で証明してからにしてください。
  
自分で、その証明ができないなら、「英語で考える指導法」は、本当は実在しない「英語で考える詐欺指導法」であり、「英語を英語で理解する指導法」は、本当は実在しない「英語を英語で理解する詐欺指導法」ということです。この詐欺指導法を提唱する石渡誠氏は、自分が日本中の高校生、中学生(「英語で授業」は決定されましたが、まだ実施はされていません)にどれほどひどいことをしてきたか、真剣に自覚されたほうがいいと思います。 

教師としての良心があるなら、自分の商売を拡大する前に、今もなお石渡氏の「英語で考える詐欺指導法」の犠牲になっている日本中の高校生、中学生にすることがあるでしょう。

石渡氏の2015年5月7日のブログを読むと、文部科学省にこの「英語で考える詐欺指導法」を持ち込んだのが石渡氏であることが分かります。  私たち国民は、この「英語で考える詐欺指導法」がどうやって文部科学省に持ち込まれたのか、知る権利(国民の知る権利)がありますので、このことを書き添えました。

私は、その数か月後、頭の打撲が治ったころ、インターネットで検索して、石渡氏のブログに書かれていたこの会合についていくつかのブログを読みました。  そこには、「この会合には英語界の重鎮中の重鎮の方々が集まっている」とか「英語教育界の大御所の方ばかり」とか書かれてありました。(「2015年5月5日 ついに変わる! 英語教育改革の全貌」で検索すると現在でもいくつか出てきます。)

石渡氏の5月7日のブログを読んだ私は、「どんなに立派な肩書をお持ちの英語教育の専門家の主張であっても、私の経験に照らし合わせてその主張が間違っていたら、私は一歩も引いてはならない」と決意しました。  そうしないと、日本中の子供たちが、「英語で考える詐欺指導法」の犠牲になってしまう」と思いました。

それで、2015年6月1日のブログを書きました。  どれほど、中学の英語の授業を英語ですることを阻止したかったかといえば、頭を打って、容体が急変した時は、知人にこのブログのアップを頼むほど、私は、それを阻止したいと思いました。(その時のことはこちらのブログに書いてあります)

石渡誠氏は、日本中の子供たちに誤った指導法をさせて、教師として、良心が痛むことはないのでしょうか。  今日も一生懸命、学校で勉強しているたくさんの子供たちのことを考えたことはないのでしょうか。


* * *

私は随分長い間、自分の本のランキングを妨害されていますが、おそらく、やっている人は、私が英語教育の分野からいなくなるまで、妨害を続けるのでしょう。

ただ、私は、英語教育の分野からいなくなるわけではないようです。

こちらのブログに書いた外国人の方が、1999年11月にこのことの後、どういう結末になるのか、私に教えてくれました。  少なくとも、私は妨害されて、英語教育の分野からいなくなる、とは言われませんでした。

18年前、その結末を聞かされていたので、私は、「英語耳」の松澤喜好氏に盗作されようと、妨害されようと、日本人が誰も聞けない音について本を書いていようと、今日まで、頑張って来ることが出来ました。  どんな立派な肩書を持つ英語教育の専門家の言うことも自分の経験から見て、間違っていたら、一歩も引かない、という決意ができたのも、文部科学省の方針に正面から反対したのも、50年間信じられていた松本亨さんの主張を否定したのも、この後、どういう結末が訪れるのか、あの時、その人から聞いていたからでした。  

なぜ、その人が、私にそんな先のことを教えてくれたのか、その時は分かりませんでしたけれど、今は、わかる気がします。

たぶん、その方は、2008年以降、私がどれほど苦しい思いをするかご存じだったのだと思います。 2008年以降、私が「英語耳」の松澤喜好氏と、KADOKAWA/アスキーメディアワークスのためにどれほど泣くことになるか、ご存じだったのだと思います。(詳細はこちらです。)  その時にくじけないように、その苦しさの先にある結末を教えてくれたのだと今は、思っています。

もう私の本のランキングを下げるなどという行為はおやめください。

KADOKAWA/アスキーメディアワークス社長塚田正晃氏は「著作権法に抵触するのは犯罪行為だ」と言っています。(こちら) 松澤さんは、「松澤は盗作!というのはすごーい!」とHPに書いていましたが、塚田さんの主張によれば、盗作は犯罪行為です。  

他人のランキングを妨害するのも、営業妨害ですから、犯罪行為です。    

もう妨害はやめてください。

KADOKAWA/アスキーメディアワークス(塚田正晃社長)は、隠ぺい工作までして、著者が自分のホームページで盗作を豪語するような悪質な出版はやめてください。(詳細はこちらです。) 

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私の2冊目の本「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」(緑色の本)を購入された方で、CDトラック6,13,18,19にある生徒さんと私の子音の長さの比較がよくわからない方は下のブログを参考にしてください。

2016年7月3日のブログ  子音を長く言う「川合メソッド2」「L」の練習 4週間後 (長いSの例)
2016年9月1日のブログ  RとFの練習 1か月後 マライア・キャリー (長いLの例)
2015年2月1日のブログ  「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」付属CDトラック6 例文 Where's my bag? 川合典子には生徒のWの発音はどう聞こえたか。

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ここから先は、毎回掲載している3つのことです。「なぜ毎回3つのことを掲載するのか」その理由については、こちらのブログをご覧ください。 

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英語教育について

文部科学省の英語教育の方針は、効果がありません。

今年3月に発表された中学校の学習指導要領(英語)は全く効果がありません。  理由は、2017年10月12日のブログをご覧ください。


以下、効果のないものを列挙します。
1)現在、高校生が行っている「英語で授業」は効果がありません。  (理由はこちら
2)「CAN-DOリスト形式」は効果がありません。 (理由はこちら
3)「4技能」は効果がありません。  (理由はこちらこちら
4)現在、小学校の英語教育で子供たちが話しているのは、英語の発音ではありません。 (理由はこちら
5)大学教育を英語で行うと日本の学問は壊滅的な打撃を受けます。 (理由はこちら
以上の理由により、文部科学省の方針は効果がありません。

「発音」、「語順」、「英語で考える」、それぞれを習得する方法は2015年10月19日のブログ「川合式英語学習法」をご覧ください。

これは全部私自身がやってきたことです。  こうすれば、生徒たちは必ず通じる英語で話すようになります。
英語で考える指導法を提唱する人たちのように、「自分は日本語訳を使ったけれど、生徒たちは使うな」というような、誰も実際にはやっていないような指導方法ではありません。  私は全部自分でやっています。


「英語で考える」を提唱した松本亨氏の主張について

松本亨氏の「英語で考えるためには日本語訳を使ってはいけない」という主張は2006年、私の子供たちが全文和訳でバイリンガルになった事実によって否定されました。 

「英語で考える指導法」は詐欺である可能性が高いです。

松本亨さんの書いた「英語で考える本」「英語で考えるには そのヒケツと練習」という本に書いてある練習をしても英語で考えるようにはなりません。(2月4日のブログ「英語の思考活動」、3月1日のブログ「先生の宿題のプリント「英語で考える」ってどういうこと?」を参照してください)

英語で考える指導法を掲げる英語学校FORWARDの指導者、石渡誠さんは、松本亨さんの「英語で考える本」「英語で考えるには −そのヒケツと練習−」という本で勉強すれば英語で考えるようになると2017年1月19日のブログで言っていますが、この2つの本で勉強しても、英語で考えるようにはなりません。  「この方法を26年教えてきた」と書いていますが、26年間も効果のない方法を教えてきたというのは驚きですね。  

私は、この件について、松本亨さん(著作を含めて)以外の固有名詞を入れることをずっと避けてきました。  けれども、石渡誠さんの2017年7月30日ブログの冒頭の

日本の英語教育界もようやく変革の時が!英語を英語で教えるということが、中高でも広まってきています。良いことですが、

という部分を読んで、明記することにしました。  日本中の高校生を犠牲にしておいて、まだこういうことを言っていることに怒りを覚えました。  文部科学省でさえ、もう、中学校の英語の授業を英語で行うとは、言わなくなったのに、と思いました。  

石渡誠さんは、26年間も授業料を取って、「効果のない方法」を「効果がある」と偽って教えてきて、謝罪も損害賠償もしないのですか?  そうやって、「何を言っても何の責任も取らなくていい」と思っているから、いまだに「英語を英語で教えるのが良い」などとおっしゃるのでしょう。  

でしたら、ご自身がアラビア語アラビア語で学んで、アラビア語が堪能になるかどうか示してください。  それが出来ないのであれば、「英語を英語で理解する指導法」が間違っていたと認めてください。  そういうけじめをつけないからいつまでも「英語を英語で理解する」などという指導法を主張し続けるのでしょう。

日本中の高校生が迷惑していますので、自分もできない指導法を提唱するのはやめてください。

自分の商売のために子供たちを犠牲にするのは、もうやめてください。

Je suis Charlie. と母国語で言うフランス人が I am Charlie.という言語を学ぶとき、母国語の意味を参考にしていないはずはないでしょう。  日本人は誤った指導法を50年も信じて、大きく後れを取りました。


私は、英語で考える指導法の提唱者が、「Freedomを日本語に訳すとニュアンスが分からなくなるから英語のまま言わせる」とブログに書いているのを読みました。  でもそれでは何も教えていないのと同じです。

生徒から、アメリカ人にとって自由というのはそんなに大事なものなのですか?と質問されたら、アメリカ史がご専門の先生なら、「建国の歴史を勉強してみるとその理由が分かってきますよ」とお答えになるでしょうし、時事英語がご専門の先生なら、ニュースの中から、アメリカが個人の自由を制限する国に対して、非常に厳しい外交政策をとり、しかも大多数の国民がそれを支持しているというニュースを選んで、生徒と一緒に勉強していくでしょう。

Freedomを日本語に訳さずFreedom. Freedom と生徒に言わせる、などというのは何も教えていないのと同じことです。

それは、次のような例を想像してみるとよくわかります。

もし、アメリカで、日本語を学んでいる生徒が「日本の武士道とはなんですか?」と教師に質問した時、「日本人にとって武士道が、どういうものなのか知りたかったら、武士道を英語に訳さず、日本語のままブシドウ、ブシドウといいなさい」 などと指導する教師は一人もいないでしょう。   

仮に先生が「これが、日本語を日本語で理解する指導法だ」「日本語で考える指導法だ」などと言っても、生徒はばかばかしくてする気にもならないでしょう。  保護者からは「まじめに教えろ」と言われるでしょう。 

これが英語で考える指導法の正体です。

教える方は何も教えていない。
学ぶ方は何も学んでいない。
これが英語で考える指導法の正体です。

だから私はこの方法は詐欺だと言ったのです。(こちらのブログ

以前、この「英語のままFreedomと言わせる」と言っていた学校のブログで、車を売って受講料を払って学んでいるという生徒の例が紹介されていました。  それほどの高額の授業料をとって、「だますつもりはなかった」「知らなかった」では済まないです。  
詐欺は犯罪です。

詐欺は、刑法で刑罰が定められている犯罪です。

また、そのブログで、英語で考える指導法をする人々が、生徒の英和辞典を取り上げたり、生徒に英和辞典を窓から捨てさせたりする、ということも読みました。  中には最後まで生徒に英和辞典を返さなかったこともあったそうです。

「帰国子女に見る世界に通用する英語力の作り方」を読んでいただくとわかりますが、英語のわからない生徒にとって、英和辞典は命綱です。  英和辞典があるから、英語の意味が分かるようになります。  これを取り上げるなど、間違った指導法を盲信する指導者の誤りです。  英和辞典を取り上げれば生徒の英語力が上がるなどということは絶対にありません。

この詐欺商法を、中学や高校に持ち込んだのが文部科学省の「中学、高校の英語の授業を英語で行う方針」です。
だから、私は、「学校で詐欺を行わないでください」と申し上げたのです。
税金を詐欺に使わないでください、と申し上げたのです。
高校英語教育はいまだに詐欺ですね。
学校で詐欺教育をするために、車一台売るどころではない、莫大な税金が使われています。

早くやめてください。
高校時代は、高校時代にやらなければならない訓練があるのです。
複雑な英語を読み始めるときにどうしてもやらなければならない訓練があるのです。
この時を逸すると、取り返しがつかないのです。  高校生がかわいそうですから、「学校で詐欺」はやめてください。

発音練習について

学生時代、私はアメリカのセルフヘルプの本を読むのが好きでした。  当時、そういう本は翻訳しか入手できませんでした。  その中にこんな話が書いてありました。

チャーリーさんが自動車の調子が悪くなり、修理工場に持ち込みました。  修理が終わって取りに行ったとき、調子が悪かった原因を尋ねると「OOのネジが一つ壊れて、不具合が生じていたので、新しいネジに変えました」と説明を受けました。

請求書を見てみると、とても高い金額でしたので、チャーリーさんは、「ネジ一つ取り換えただけなのに、これでは金額が高すぎます」と文句を言いました。  そうしたら、修理をした人が、「最初は、何が原因となって不具合が生じているのかわかりませんでした。  それで、私は自動車の内部を全部調べました。  そしてOOのネジが壊れていることを発見したのです。  自動車内部をすべて調べるのに何時間もかかりました。  請求書はその労働の代金を含んでいるのです」と言いました。  チャーリーさんもその説明で納得しました。

この話は、どこを直せばよいかわかっているものを直すのは、簡単ですが、どこが悪いかわからないものを直すのは大変だ、ということを例えた話でした。

私は中学時代に英語のきれいな発音に魅了されて発音練習を始めました。  中学生でしたから一生懸命練習すればお手本のアメリカ人と同じ発音になると信じていました。  一年半くらいはちっともうまくなりませんでしたが、その日の練習が終わると、自分が今日練習した分だけお手本の発音に近づけたと思えて、とても、心が満たされていたのを覚えています。  一年半くらいは目に見えてうまくなってはいませんでしたが、毎日練習が終わって、テープレコーダーの手あかを白いハンカチできれいにふき取ってしまうときは、とても気持ちが充実していたのを今でも覚えています。

だから発音練習は大変だ、とかつらいとか思ったことはありませんでした。(決してうまくはなかったのに、です)

最初の本「英語発音、日本人でもここまでできます。」(赤い本)の原稿を書いていた時、私は編集してくれた人に次のような心配をお話ししたことがありました。

「読者の皆さんに、私は何の苦労もなく、発音を習得した、と思われると困るのですが、、、」
そうしたら、編集をしてくださった方からこういわれました。

「川合先生の本を読んで、川合先生が何の苦労もなく発音を習得した、と思う人はいません。  そんなことを心配するより、むしろ、こんなサイボーグみたいな練習をしなければ発音はうまくならないのか、と思われることをご心配なさった方がよろしいんじゃありません?」

編集をしてくださった方は、スタンフォードでの留学経験もありますので、英語がとても上手な方でした。  こういうユーモアのセンスもお持ちでした。

私は苦笑しながら「はい。。。。」と言って、すぐひき下がりました。

確かに文全体をお手本と比べて違いを探すにはサイボーグみたいな能力がないとだめだ、と思ってしまう方もいらっしゃるかもしれません。  (先日夫がチャンネルを回していたら、ターミネーター3でシュワルツネガーさんが人の着ている洋服を見て、一瞬で、それが自分に合うかどうかをピピピピ。。。と判断する場面がありました。  サイボーグと言うとそういうイメージが浮かんできますね。)  

けれども、発音を直すときは、最初は、気づいたところから直していけばいいので、本当はそういうことはないのですが、人によってはそんなことはとてもできないと思ってしまう人もいるかもしれません。

しかし、その2年後、私は、「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」(緑の本)を出版しました。  そしてその本に、どこを比べて何を直したらよいか書きました。  漠然と、文全体を比べたら違いは分からないかもしれませんが、「この音のこの違い(例えば、長さ)を聞いて下さい」とピンポイントで言われれば、誰でもそれは聞けます。

先ほどの自動車修理工場の例でいえば、どこに原因があるのか車の内部全体を調べるのはとても時間がかかって大変ですが、「ここのネジを変えてください」と言われれば誰でも出来るのと同じことです。  具体的に言われたことはやりやすいです。

「続・英語発音、日本人でもここまでできます」にはどこを聞いて何を直せばよいのか、書いてあります。  そのポイントは日本語のくせから来るものがほとんどです。  それは日本人に共通する発音の問題点ですから、そこを聞いて直していただけば通じやすい発音になっていきます。

「ここのネジを取り替えてください」というのと同じように、努力すればだれでもできることです。  サイボーグのような能力はいりません。

読者の方から、「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」は、「英語発音、日本人でもここまでできます。」付属のDVDで発音練習するときの参考書のように使っています」というメールをいただいたことがありますが、この2冊は一緒に活用してください。  

「なぜそういう練習をするのか」その原理もわかりますし、理解が深まると、相乗効果となって皆さんの発音がとても上達します。  発音は、口の練習だけではうまくなりません。  上手な人の発音って何か違いますでしょう?  体になじんでその音がでてきていますでしょう?  耳はもちろん、たくさんの感覚を使って習得すると上手になります。

表面的な練習だけやっていると表に現れないことが、その原理や仕組みを深く掘り下げて理解していると、口の動きに現れてきます。 

お手本の発音を聞いたとき、「どうやって発音しているのか手に取るようにわかる」この状態になるわけです。  この深く掘り下げる役目ををするのが、「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」に書いてあることです。  

「上手な人の発音が何か違う」と感じるのは、口の動きの後ろにある、さまざまな感覚の関連性を意識して、練習しているからです。  「自分の体をどうするとあの音が出てくるか、体が知っている」この状態になっているからです。  表に現れたものだけ練習する場合、長く練習しても、あまり変化はありませんが、深く掘り下げて、練習していると、だんだん、音を捕まえる能力も向上しますので、長い間には、口の動きだけ練習してきた人とは随分違う発音が出来上がります。  発音練習の基本姿勢のブログに出てくる生徒さんみたいにですね。  「英語発音」と「続・英語発音」の本は一緒に活用してください。



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ブタさんが持っている旗については、こちらの「きのこの山とたけのこの里」というブログの後半を読むと、私がどうやって、子音の長さが聞けるようになったのか、書いてあります。