川合典子 ブログ

英語教育、英語学習、発音習得、帰国子女の言語習得について書いています。

なぜ大学生の段階で日本語経由の過程をなくして行くのか。

私は著書「帰国子女に見る世界に通用する英語力の作り方」の中で、小学校5年生と中学3年生の子供たちは、最初の2年間は教科書を日本語に訳して理解していきました、と書きました。

小学5年生の教科書でも、日本の高校で習う英文法を知らないと理解できないレベルだった、とも書きました。

そして、子供たちは、自分一人で教科書の英文が十分理解できるようになった後、大量の英語を処理するうちに、日本語経由の過程がなくなって、英語を英語のまま理解するようになった、と述べました。

つまり高校で習う文法がわかるようになって、アメリカ人が普通に読んでいる英文を自分ですらすら理解できるようになってから、大量のインプットによって日本語経由の過程がなくなって行った、ということでした。

日本の英語教育で、日本語経由の過程を除いていくのはどの段階で行うべきか考える時、子供たちのこの過程をもとに考えると、それは、高校の文法を理解した後、つまり大学生の段階で行うのが適当だ、という結論になります。

実際に「英語で考える」という指導法の提唱者も、「7年間、日本語訳を使って勉強し、その後、日本語訳を使って勉強した教材を再び、英語のまま理解する勉強法で学習しなおした」と書いていました。(「英語で考える本」松本亨 英友社 67ページ)  

7年目というのは今の英語教育で言えば、大学1年生に当たりますので、この段階なら無理なく日本語を抜いていけた、ということです。

以上が大学生で日本語経由の過程をなくしていく第一の理由です。

第二の理由は生徒の負担を少なくするためです。

私は「帰国子女に見る世界に通用する英語力の作り方」の中で、帰国子女は自分が英語圏に滞在していた時の年齢で使っていた英語しか使えない、と述べました。  小学生でアメリカから帰国したら、小学生が話している英語しか話せない、ということです。

中学、高校、大学と成長するにしたがって、「自然に」大人の英語が話せるようになるか、というとそういうことはありません。  中学生や高校生で話す英語が使えるようになるには、その年齢で使う英語をたくさん読んだり聞いたり、書いたり話したりしながら、勉強していかなければならない、ということです。  その年齢で使う英語のインプットが必要です。

今まで述べてきたように、日本には母国語並みの大量の英語のインプットがありませんので、小学生の段階でネイティブ英語をペラペラしゃべれるようになることはありませんが、もし仮にそういう状態になったとしても、大人になったら、また、大人の言葉をたくさん学んでいかないと、大人の英語で話せるようにはならない、ということです。

著書「続・英語発音、日本人でもここまでできます」の73ページに、中学生で帰国した娘が夫から「由紀子はもう大学生なんだからいつまでも女子高生がしゃべるような英語を話していてはいけないよ」と注意された、と書きました。

小学生で、仮に英語がペラペラになっても、

中学生になったら中学生の使う英語をたくさん学んで使えるようにして、
高校生になったら高校生の使う英語をたくさん学んで使えるようにして、
大人になったら、また、大人の使う英語をたくさん学んでインプットして行かなければなりません。

これは相当な負担になると思います。  もちろん最初に学んだベイシックな英語の構造や発音は変わりませんので、後に行くほど負担は軽減されていくとは思いますが、それでも各段階で大量のインプットは大変です。  

それでしたら、中学、高校ではそこで身に付けるべき重要事項を習得する英語量でよいとして、社会人として使える大人の英語の段階で一回、学習者に大量にインプットしてもらう方がいいと思います。  

中学、高校では、これから述べる、学ぶべきポイントがありますので、学習者の負担を考えると、まず、それを身に付けることに重点を置き、大量のインプットは大学生に任せた方が良いと思います。

日本人はヨーロッパの言語を母国語とする人の何倍も練習しないと、英語を使えるようにはなりません。  日本語は、文字も、発音も、語順も、語源も、文法も、文化も何一つ英語と共通するものはないからです。  母国語から類推して、英語を理解できるものが何もないからです。  

私がアメリカにいた時、友達がヨーロッパから来た自分の友達のことを羨ましそうにこんな風に言っていたことがありました。「彼女はしゃべるとき、母国語の文の単語を英語の単語に置き換えて話しているだけじゃないか、と思うことがあるの。  私だって日本語の文を英語の単語に置き換えるだけでいいんだったら、こんなに苦労しないのになあ、って思うのよ」

また、アメリカで会った日本人の高校生が、「フランスから転校してきた友達がいるんだけど、英語って、高尚な言葉ほどフランス語から入ってきた言葉が多いのよね。  あの子は語彙を覚えるのだって、私より、ずっと有利だと思うわ。」と言っていました。  「高尚な言葉ほど」というところの真偽はわかりませんが、フランス語から入ってきた言葉がたくさんあるのは事実ですね。 

このように日本人は、英語を話す時に学ばなければならないことがヨーロッパの言語を母国語とする人より、たくさんあり、大変だ、ということです。(詳しくは、2014年11月18日のブログ「英語の早期教育が有効だと錯覚させる2つの誤解その2 ヨーロッパの英語教育に対する誤解」をご覧ください。)  

ドイツでは8歳から英語を学んでいる、スペインでは英語で英語を教えている、と言われても、日本人は同じことは出来ないのです。  ドイツやスペインと同じことをしてもいいですけれど、日本語化したリズムや子音で、通じない英語をずっと話していくことになります。  英語教育をした意味がありませんね。

ですから私は生徒の年齢を考慮しながら、必要なことをそれぞれに適する年齢で、徹底して身に付けていくのが、確かな英語力を身に付ける方法だと思っています。

「日本人は中、高、大と10年やっても英語年齢だけは極めて低い。  英語を日本語に訳すからだ」(「英語で考える本」松本亨 英友社29ページ〜30ページ)という主張もありますが、英語を日本語に訳すことが日本人の英語力の向上を妨げているわけではありません。 これは単なる松本亨氏の思い込みです。 単なる彼の勘違いから主張されたことです。その勘違いについてはこちらのブログに書いてあります。 (松本亨氏の「英語で考える指導法」の間違いはこちらのブログで証明しました。 書き出しからわずか10行で証明できるほど明白な間違いです。 これを今でも「松本亨氏は英語の神様のような先生」と言って間違いも認めず、主張している石渡誠氏は非常に悪質だと思います。 生徒に教えたことが間違いだったら、訂正するのが教師でしょう。 保身のために生徒に間違いを押し通すのは非常に悪質な教師だと思います)

英語と日本語ではまったく異質な言語だから習得に時間がかかるのです。  日本人が英語を使いこなすには、今まで考えられていた以上に大量の英語のインプットが必要なのです。  「発音」も「英語の語順で考えること」も短期間では習得できないのです。  ですから、必要なことを各学年でそれぞれ徹底して身に付けていくことが効率よく日本人が英語をマスターできる方法なのです。  

耳がよく、口の動きが滑らかな中学生には発音を、
複雑な思考を始める高校生には複雑な文を語順の通り読んで、構造を正しく理解する練習を、
大人の言葉を話す大学生には、大量のインプットをして、大人の言葉で自分のいいたいことを話せるようになってもらえば、各段階で、無理なく高い英語力に必要な要素を身につけていけます。

母国語並みの大量のインプットのない日本で、日本人が発音を含めた高い英語のコミュニケーション能力を持つには、必要なことを生徒の負担にならないように、各学年に分けて、確実に身に付けていくようにするしかないと思います。  例え10年必要だとしても、大学卒業時に高い英語力を持った新社会人を世の中に送り出せれば、目的は達せられるわけです。  

発音にしても、文法にしても必要なことはきちんと教えなければなりません。  「英語で授業をしていれば生徒は正しい発音で話し始める」というような幻想は、「母国語並みの大量の英語のインプットがすべてを解決する」というトリックを暗黙の内に含んでいたのです。  しかし、あると思った大量の英語のインプットがない日本では、その結果が生徒のカタカナ発音となるのです。  

高い英語力を持つために必要な要素を明確にし、各年代でその要素の一つを確実に身に付けるよう英語教育の目的を明確にします。

そして、「各年齢で生徒には、徹底して、その年齢で身に付けるべき重要事項を身に付けてもらう。」  時間がかかるようでいて、実はこれが、最も無理なく確実に生徒が高い英語力を身に付けていける方法です。  今の教育体制の中で、実現可能で、確実に効果をあげられる方法です。

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日本で「英語を英語で理解する」という指導法を初心者に行うことの無意味さについては2015年12月5日のブログセミの抜け殻」も合わせて参考にしてください。




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高校入試で子供たちが親の収入によって差別されない為に以下のお知らせを書かせていただきます。

高校入試のスピーキングテストについて(大学入試のスピーキングテストについても同様です)

高校入試のスピーキングテストは本来文部科学省が学校教育で正しい発音を生徒に教えてから行うべきものです。  しかし、文部科学省が教科書にCDもつけず、正しい発音の仕方も学校で教えないまま、高校入試でスピーキングテストを実施する動きが都立高校などで始まっています。 (大学入試でもスピーキングテストが行われようとしています)  これは、スピーキングスキルの習得を塾や予備校、会話学校に丸投げするものです。  学校で教えていないスキルを入試でテストすることはあり得ません。

これでは経済的に余裕のない、塾や会話学校にいけない家庭の子供は誰にも正しい発音を教えてもらえず、練習するCD(音声モデル)も与えられないまま、高校入試でスピーキングテストをされることになり、明らかに親の収入による進路の差別が始まります。(詳しくは2018年3月8日のブログ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」をお読みください。)

皆さんの身近に教育関係者がいらっしゃいましたら、ぜひ「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」であることをお伝えください。  (大学入試のスピーキングテストについても同じことです)  
15歳で親の収入のために進路を差別されるのでは子供たちがあまりにもかわいそうです。

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英語教育については、下のブログも併せてご参照ください。  日付をクリックすると移動できます。
2017年10月12日
文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない(子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き)




高校英語教育を文部科学省の誤解に基づいた方針から守るため、以下のご案内を書かせていただきます。

現在文部科学省が「グローバル化に対応した英語教育改革」の目玉として掲げているCAN-DO方式は、ヨーロッパの人々にはできますが、日本語を母国語とする人にはできない方式です。

文部科学省は「CAN-DO方式が日本人には不可能な方式である」と気づいておりません。  導入されれば教育現場は大変迷惑します。  中止する必要があります。  なぜCAN-DO方式が不可能なのかはこちらのブログをお読みください。

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何度もお願いをしているのですが、アマゾンのページで私の本のランキングを下げて妨害をしている人がやめてくれないので、(詳細はこちらです)しばらく以下の文章を掲載させていただくことにしました。

「本を出版する人は、他の著者の妨害をしない。  他の著者を妨害する人は自分の本も出版できない。」
出版社におかれましては、このことを出版の際、著者に理解していただいてください。

私のランキングを妨害している人は、たぶん、現実を受け入れられないのでしょう。
アマゾンの順位を1ペ―ジ目から2ページ目に下げられ、数日でまた2ページ目から3ページ目に下げられて、私は、この方の激しい妨害に驚いています。 

「学習者に正しい発音を習得してほしい」というのが自分の目標でしたら、他人を妨害する必要はありませんね。  他人を妨害してまで、何を手に入れたいのでしょうか。  ベストセラーの著者という名声ですか。  それなら、もうアマゾンで、ご自身の本はベストセラーに認定されているのですから、それで十分でしょう。  この上何が欲しくて私を妨害するのでしょうか?  もう英語教育とは関係ないことですか。  

私は、こちらに書いてある3つのことをするのが、目的です。  日本人が子音の日本語化を知っているか、いないかで、通じる英語で話せるか話せないかが、決まります。  ですから、このことを読者の皆さんに理解していただくのは、とても大事なことなのです。  私の仕事の妨害をしないでください。 

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クマさん、ウサギさん、ブタさん、それぞれが持っている旗に書かれたことの理由は、2017年7月30日のブログをご覧になるとわかります。