川合典子 ブログ

英語教育、英語学習、発音習得、帰国子女の言語習得について書いています。

松本茂立教大学教授(2021年より東京国際大学教授)の提唱する授業(朝日新聞「英語をたどって8:2「英語で授業」本当の意味は)は高校生にはできない授業。やっても何の効果もない。

松本茂教授のご専門は経営学とコミュニケーション学であって、大学で英語教育を専門に学んでいません。従って「音声学」も「英語教育法」も学んでいません。それでは日本の英語教育はできません。
日本の中学、高校の英語教育というのは松本茂教授が「教えなければ生徒はできるようにはならない」と気づいてもいない「発音や文の形」(基本スキル)を教えるのが目的です。このことに気づいていないのは有識者会議の座長吉田研作教授も同じです。そういう人たちが現場の先生方の反対を押し切って荒唐無稽な英語教育の方針を押し付けるから日本の英語教育は失敗し続けるのです。日本語はインドヨーロッパ語族の仲間ではないんです。日本人は英語という言語の原型につながる「文の形(語順)」「しゃべるときの発音」を母国語である日本語の中に全く持っていないんです。  ですから、「教えることは生徒がわかる日本語でしっかり教える」、「練習しなければいけないことはしっかり練習させる」それなくして日本人に高い英語力なんか身に付きません。文科省や松本茂教授、吉田研作教授は「そういう英語教育は悪い英語教育だ」と思っているのでしょう。 生徒に英語を喋らせるのがいい英語教育だと思っているのでしょう。 でもね、インドヨーロッパ語族とは違う日本語を母国語とする人は、2つの事を練習しないと、通じる英語ではしゃべれないんです。 良かろうが悪かろうが「発音」と「文の形」は徹底的に身につけなければ英語はしゃべれないんです。 楽しかろうがつまらなかろうが「発音」と「文の形」は徹底的に生徒に定着させなければ生徒は英語でしゃべれないのです。生徒は生まれてこのかた英語のような「語順」で言葉を話したことはないんです。だから「文の原型」「ひな型」はたくさん頭に定着させておかなければならないんです。 生徒は今まで英語のような「音」でしゃべったことはないんです。だから口の練習をして、その音が出せるようにしなければしゃべれないのです。母国語の段階で「語順」と「発音」が大体できているヨーロッパの人たちとは違うんです。欧米と同じ英語教育なんかやっていたら100年たっても日本人は通じる英語でしゃべれません。 小学校の先生で「九九を覚えるのはつまらないからやめて、計算問題をやりましょう」という先生はいないです。 つまらなかろうが時間がかかろうが、九九を覚えなければ算数はできません。九九は基本だからです。地理の勉強だって同じでしょう。 「地図の読み方や県庁所在地を覚えるのはつまらないから地域の産業を勉強しましょう」という先生はいません。 基本事項はどんなにつまらなくても大変でも、身につけなければならないんです。 なのに、英語だけどうしていきなり英語でしゃべらせたり、英語で授業をしようとするんですか。日本では誰も英語で話していませんからアメリカのESL(英語が母国語でない生徒の授業)と同じ教育法はできません。 しかも日本語はインドヨーロッパ語族の仲間ではない。 日本人にとってどうしても身につけなければならない英語の基本は「発音」と「文の形(語順)」です。それを身につけさせないで何をやっても無駄なんです。大学教授は留学して朝から晩まで英語を聞いて話して難なく英語が喋れるようになって帰ってくる。 帰国子女の大学教授もそれをアメリカでやって、英語が苦もなくしゃべれるようになって帰ってくる。 言ってみれば、大学教授は外国で英語が喋れるようになる魔法の「ブラックボックス」(そこにずっといれば英語が母国語になる言語環境)を通って、英語が話せるようになって帰ってくる。それで、日本で「アメリカみたいに英語で授業をやれ」という。 あなたたちが通ってきた、魔法の「ブラックボックス」は日本にはないんです。 その日本で、週に5時間アメリカと同じ「英語で授業」をやったって、生徒はあなたたちと同じにはならないんです。 「発音」と「文の形(語順)」を覚えさせずに生徒に勝手に英語でしゃべらせていたら、何の実力もつかないんです。(大学教授は「そこにずっといれば英語が母国語になるような言語環境」に短期とは言え、いたんですよ。 そのことを忘れないでください。)   数学や物理だって、楽しい授業ばかりじゃないですよ。何の授業でも基本は徹底的に身につけなければならないのです。 こうやって書けば、ずいぶん大変な英語学習に見えますけれど、生徒がするのは「授業の終わった英文を家ですらすら言えるよう練習」すればいいだけです。(それに、自分がすらすら英語が喋れるようになると結構楽しいと思う事もあります。いつもじゃないですけど)それで自動的に、中学2年間で4技能の基礎は確立します。  (余談ですが、同じように日本語を使う事を禁止する「英語で考える指導法」を提唱する松本亨氏と石渡誠氏にしても、このお二人は、日本語を使わずに習得した外国語は一つもありません。(しかも松本亨氏は7年前に日本語訳で理解したReaderの第一巻を7年後に英語のまま理解しただけです。その事実を忘れて、7年後、「すでに日本語で理解した英文」を英語のまま理解できたから「英語を英語で理解する指導法」を提唱しただけです。松本亨氏のこの勘違いで日本の英語教育は大きなダメージを受けることになります。 でも、こういう間違いは欧米に留学した大学教授が共通して犯す間違いなのだろう、と思います。 例えて言うと、松本亨氏はこの間違った教育法を提唱する指導者の ″元祖“ だったという事です。 松本亨氏と同じ間違いを現在でも、アメリカやイギリスに留学した大学教授が延々と繰り返しているのです。 中には「日本人だけが第二言語習得のメカニズムが違うはずはない」と言い切る大学教授もいます。 「母国語が英語と似ているか」、「まったく違うか」、で英語習得の困難さが違ってくるのは当然です。 また、日本にはアメリカやイギリスのような大量の英語インプットがないのですから、アメリカのESLスチューデント(英語が母国語でない生徒)の英語教育と同じことはできません。  英語教育を論じる大学教授は「欧米」、「アメリカやイギリスでやっている」という言葉に弱いんでしょうね。「小学校からの英語教育」が論じられた時も、アメリカやヨーロッパ各国の例をたくさん挙げて、「小学校からの英語教育に反対する教師は馬鹿だ」と言わんばかりのブログをいくつも書いていた大学教授もいました。ご自身は子供のころ英語圏で暮らしたそうです。帰国子女ですね。 読んで驚きました。「欧米の英語教育はこうなんだから日本でもこうするのが当然だ」と言わんばかりのブログでした。「欧米のことを知っている」「アメリカやイギリスの大学に留学した」「英語圏に住んで学校教育を受けた(帰国子女)」というのは英語教育を論じるとき、大学教授には勲章のようなものなのだ、とこの時思いました。そしてその勲章をつけている人は英語教育で何を言っても正しいと文科省や大学教授は認める。 だから吉田研作教授は自分が間違っているとも考えず「半数の高校ではまだ英語で授業が行われていない」と高校の先生方を非難したのでしょうね。(2019年11月18日朝日新聞デジタルの記事)  50年以上前、松本亨氏に始まった英語教育の誤りが今も延々と、アメリカやイギリスで勉強した大学教授たちによって繰り返されている。 松本亨氏をはじめそういう大学教授に抜けているのは、自分の目で「日本の子供たち(学習者たち)の英語習得を一番困難にしているのは何か」を見極めようとする努力です。 日本語はインドヨーロッパ語族の仲間ではない。 文字や語源はもちろん、「語順や、発音、助詞の有無」など子供達が今まで話すときに経験していない要素を口を開いた瞬間から実践していかなければならない、という問題の本質を見抜いていないからです。 欧米の英語教育法など、日本では何の役にも立ちません。                       私がこの会社にいた時(リンク先のブログには1か月くらい前、2か所加筆してあります)、会社にいたケミスト(化学者)のいう事は絶対正しいと私も上司のNさんも信じていました。 ところがある日、業界のカリスマのような方が、そのケミストの仕事を見て「自分がケミストであるという事実だけに慢心している。」つまり、あれでは問題点の発見も解決もできない、仕事でつかえない、というようなことをおっしゃったことがありました。 私も上司のNさんも意外な言葉に驚きました。 でもそういわれて彼の仕事を見ているうちにこのカリスマみたいな白髪の方がおっしゃった意味がだんだん分かってきました。 吉田研作教授も、松本茂教授もこのケミストと同じではないですか。自分が大学教授であること、自分がアメリカ留学やアメリカでの学校教育を受けているという事実だけに慢心しているのではないんですか。 「10年効果がない方法だったら、何か間違っていることがあるのではないか」と原因を究明する努力をすることが必要だったのではないですか? 民間企業だったら、現場の意見をまったく聞かず失敗したプロジェクトを提唱した吉田研作教授や松本茂教授はクビになっています。 それを「自分は別格だ」という態度で高校の先生方に対して「日本語で分詞構文を教えている。これは日本語の授業か。」と非難したり、「半数の高校は英語で授業を行っていない」と高校の先生方を批判するのは全く筋違いです。  50年以上前の松本亨氏の誤りを、現在の有識者会議の委員、吉田研作教授や松本茂教授は今も延々と繰り返しているのです。 松本亨氏の時代から吉田研作教授や松本茂教授は何も進歩していない。 「大学教授だ」「アメリカ留学、アメリカでの学校教育を経験している」その事実だけに吉田研作教授も松本茂教授も慢心しているのではないですか? 現実の高校の教室ではあなた方が決めた方針では、生徒は何も理解できないと先生方がおっしゃっているんですよ。 現場の先生方の方が生徒のことはよく知っています。 先生方のいう事を聞いて、一緒に考えていけば、自分が間違っていることに気づけたのではないですか。それなのに吉田研作教授と松本茂教授は自分が絶対に正しいと思って高校の先生方を非難する。  ❶日本にはアメリカやイギリスと同じ一日中続く英語インプットはありません。また、❷日本語がインドヨーロッパ語族の仲間でないことはほとんどの日本人が知っています。吉田研作教授も松本茂教授もそのことはご存じですよね。 なのにどうしてこういう欧米との決定的な違い❶❷を日本の英語教育を決めるときに考慮しないのですか。 その上現場の先生方の意見は絶対聞かない。あからさまに現場の教師のいう事など聞く必要はないという態度だった。 民間企業ならあなたたちはクビです。(A)重要な要素❶❷にも気づかない。 (B)現場の意見も聞かず方針の修正も行わない。その結果日本中を巻き込んだ大プロジェクトは失敗した。(A)(B) を考えれば、あなたたちは、民間企業ならクビです。民間の会社って厳しいですよ。こんな大型プロジェクトを自分の間違いと現場の意見に耳を貸さないで失敗させて、顧客(この場合先生や生徒、保護者)に莫大な損害を与えたのですから普通はただではすまないです。 責任を取らない事などありえません。 成否を決定する重要事項には気づかない、現場の人間を馬鹿にして意見も聞かない。 知識不足と現場軽視で大型プロジェクトに失敗した松本茂教授や吉田研作教授のような人が、知らんぷりして逃げるなど、普通の企業ではありえません。  「現場の協力なくしてプロジェクトの成功はない」みんなそのことは知っています。だから普通のプロジェクトリーダーは現場の意見を決してないがしろにはしません。ましてや、自分は部外者のような態度で現場を非難するプロジェクトリーダーなんか見たことないです。民間の会社の人は「このプロジェクトに失敗したら自分は終わりだ」そのくらいの覚悟で仕事に取り組んでいますから。本当に子供たちの英語力の向上を強く願っていたら、現場の先生を非難している暇なんかなかったのではないですか。 吉田研作教授と松本茂教授は「日本語で教えてもわからない生徒がいるのに、英語でどうやって教えるのだ」という高校の先生方の意見をもっと真剣に聞くべきでした。    

私は、自分の子供たちが「英語だけの授業」で何も理解できなくて必死に母国語で理解して宿題をやっているのを毎日見ていましたので、とても「日本の英語教育を全部英語で」なんて思いませんでした。それに学生時代から松本亨氏の方法では自分の英語力は向上しないと経験的にわかっていました。 松本亨氏の間違いはこちらのブログでわずか10行で証明しました。松本亨氏の指導法は英語力向上どころか、逆に初級・中級者の英語力向上の障害となります。日本語訳を知らなかったら、初級・中級者は自分の言いたいことを英語にすることもできないからです。 (松本亨氏は長く英語を話してきた人ですので、その勉強の仕方で参考になる点はあるでしょう。 それはそれで勧めることはいいでしょうが、間違っていることに関しては「まちがっている」ときちんと認めることが必要だと私は思います。 間違っていることを「正しい」と押し通して、間違いを認めることから逃げるのは生徒に対しても決して良いことではないと私は思います。 簡単に言えば、「英語の神様のような存在」と言われた松本亨氏でも、やはり人間である以上、間違いもあった、と知ることは生徒にとって「貴重な学びになる」と私は思います。 「間違ったところもあるけれど、自分の参考になるところもある。 だったら自分は参考になることを学ぼう」と生徒は現実の世界で起こることに対して自分なりの処し方を学びます。 だから、英語教育だけでなく、本当のことを生徒が知って育つという事は、その生徒の人生全般にわたって、大事なことだと私は思います。 私は、こちらの先生に「川合、勉強しろよ。君が集中して勉強できるのはこれから結婚するまでの間だ。先生の言う勉強は学校の勉強の事ではない。 読みたい本を読め。 考えたいことを心ゆくまで考えろ」と言われ、高校時代から、本を読み、見たいものを見に行き、友達や先輩と何時間も話し、いろいろなことを考えてきました。 先生のこの言葉は、直接そうとは言っていないけれど、「問題意識を持て」と言っているのと同じではなかったか、と今になって思います。問題意識を持っていると思考力は上がると思います。 私は夫から「典子は大学の授業をよく覚えているんだね」と言われたことがありますけど、覚えたのではないです。 教職課程の科目を勉強するときはいつも「どうしたら、生徒は教えたことをちゃんと覚えてくれるんだろう」とか「どういう時、生徒は興味津々で聞いてくれるんだろう」とかいつも考えていました。だから、その答えにつながるようなことを先生が話してくれた時は、飛びつくようにそのことを自分の頭に取り込んでいました。問題意識を持っていると、ぼんやり聞いていたら、聞き流してしまうようなことでも、すごいインパクトを持って自分の中に入ってきます。教育心理の仁科先生がセサミストリートについておっしゃったことも、聞いたとたん、「そうなんだ」と私は強いインパクトを受けました。(仁科先生はセサミストリートについてこうおっしゃいました。「セサミストリートは当初期待されたような高い効果を上げることはできなかった。 やはり高い効果を上げるには、子供と一緒にそれを見て「~~なんだね。」とか言ってくれる人がそばにいないと高い効果を上げるのは難しい」セサミストリートは良心的に作られた教育番組ですけれど、それでも子供にそれをただ見せておくだけでは高い効果を上げることはできないのだ、と私は知りました。教育者の存在は大きいと思いました) 問題意識を持った事柄は、それに対する答えは自分で見つけなければなりません。 誰も答えを教えてくれないから、自分が真剣に情報を集めて考えるしかありません。 その結果、思考力も上がるのだと思います。  現在、「教育」でもいろいろな問題が提起されていますので、ニュースや、それに詳しい人が紹介してくれた資料などを読んで考えたことを、私はブログに書いてきました。 項目だけ集めたもの(それに対する私の考え)はこちらのブログの最初の青字の部分(特大の大文字)に書いてあります。 (政府にとっては非常に目障り(めざわり)だったようです。妨害の仕方が半端じゃないです) 正面切って、「これは正しい」、「これはまちがっている」、というような授業を学校で受けたわけではないですけれど、やはり本当のことを教えようとする先生方の姿勢を見てきたことが、私がこういう風に考えるようになるのに影響が大きかったと思っています。 だから、どんなことでも、生徒が本当のことを知って、自分なりの考えを持つことは英語教育に限らず、人生のあらゆる面で大事なことだと私は思っています。 身近な大人から、本当のことを教えようとする姿を生徒が見ることは、その時は何の影響もなく見えても、後々の人生で、何かをその生徒の心の中に作っていくことに影響する、と私は思っています。自分のこのような経験から松本亨氏の「英語で考える指導法」の間違いを決して認めないで、間違いを押し通したまま英語教育を提唱する石渡誠のやり方は、生徒の前に立つ教師として、不適切だと私は思っています。 それから英語が口からすらすら出てくるようになるには、やはり、英文読書が必要です。 私は松本亨氏の「英語で考える」根本の能力は英書を読むことによって作られたものであり、日本語を使わなかったから英語で考えるようになったわけではないと思っています。もちろんアメリカ滞在が大きな要因でしょうけれど。 だから、形だけ松本亨氏の独り言や会話を真似しても、生徒は飛躍的に進歩することはないだろうと思います。英書もすらすら読めないで英語がすらすら口から出てくることはないからです。 でも、本を読むような地味で大変なことはあまり松本亨氏の真似をした人の話を聞くことがないです。残念です。 読書については私の本を読んで感想を書いてくださった方がいましたので、こちらにそのURLを紹介させていただきます。その部分を読んで「深く感動を覚えています。」と書いてくださって、とてもうれしく思いました。こちらです。「英語で本を読むことの意味https://rock-hills.com/blog/daily-impressions/2023/2301/   私がHPで読書について書いたものは こちらのページにあります。

松本亨氏の時代から半世紀以上過ぎて、現在も松本茂教授の言うように日本語に訳さず、英語のまま読んでいれば意味が分かって英語で意見も言えるようだったら、私の息子も娘もアメリカで最初の2年間、あんな苦労はしませんでした。最初のころの彼らの勉強の仕方はこちらのブログに書いてあります。息子は青字部分、娘はピンクの文字部分です。 松本亨氏同様、松本茂教授も日本語を使わずに習得した外国語は一つもありません。だから新聞で披露した松本茂氏のティーチングプランも実際にはできません。)


次の部分で私は松本茂教授に新聞で批判した高校の先生方にきちんと謝罪してください、とお願いしています。

私が立教大学教授松本茂氏に「こちらの新聞記事(朝日新聞 3月25日夕刊 英語をたどって8:2 「英語で授業」本当の意味は)に書かれているティーチングプランで公開授業をしてください」とお願いしてから今日で一か月たちました。  高校の多くの先生方が松本茂氏の言うような方針で授業が出来ない現実を考えれば、「何をおいてもその授業を高校の先生方に見てもらいたい」と思うのが、 「英語教育の在り方に関する有識者会議」の委員として、当然のことだと思っていました。  ですから一か月たっても公開授業の予定が示されないということは「松本茂氏には、こういう授業は出来ないのだ」と私は解釈致しました。 この朝日新聞の記事は松本茂氏が朝日新聞の記者に送った「英語教育改革はなかなか進まないですね。困ったものです」というメールから始まっています。そしてある公立の進学校の授業を見に行ったら「分詞構文がどうこうと教師が日本語で説明する従来型そのもので、同行の見学者が「これは日本語の授業か」とつぶやいた」と続いています。 日本語を使う事がいけないと言わんばかりの言い分ですが、日本語はインドヨーロッパ語族の仲間ではありませんから、日本語と英語は、語源、語順、発音、その他もろもろの点において共通点は全くありません。  日本の高校生に英語で分詞構文なんか説明しても何もわかりません。松本茂教授は経営学がご専門で英語教育(音声学や英語教育法)は学んだことがないので英語教育のやり方もわからないのでしょう。 松本茂氏は貴重な生態系を持つ小笠原諸島の飛行場建設を題材に「調べる、立場を決める、意見を持つ、やり取りをする、発表する」を生徒が英語で行う授業をこの記事で提唱していますが、高校生(16歳)まで日本語で育ってきた生徒が英語でそれができると本気で思っていること自体、英語教師の私には正気の沙汰とは思えません。先にも書いた通り日本語はインドヨーロッパ語族の仲間ではありませんから英語と日本語に、語源、語順、発音、助詞の使用、その他もろもろの点において共通するものは全くありません。それで、日本語なしにそんな授業ができると思うこと自体、とても正気とは思えません。まったく異質な言語の発音と文の形を徹底して身に着けさせることなく(これが日本人にはとても大変なことなのです)、こんなことができると思っていること自体、まともな英語教師とは思えません。発音もきちんと習得していないのに、生徒を新聞記者役と村長役にさせて英語で会見させるんですか? 生徒は自分の言いたいことを表す英文もすぐに頭の中で構築できないから(文の形の徹底した蓄積がない)つっかえつっかえ英語を話すでしょうし、発音もボロボロで全然通じる英語は身に付きませんよ。 松本茂教授はあまりにも現実の英語教育に無知です。発音をどうやって身に着けさせるか、英文をすぐにしゃべれるようになるまでどうやって生徒に定着させるか、英語が日常話されていない日本でそれを高校生にさせるのはとても大変なことなんですよ。そういうのは一日や二日で身につくものではないんです。 白昼夢のようなティーチングプランを提唱したって、それを行うだけの英語力をどうやって生徒に身に着けさせるんですか? 中学、高校というのはその基本スキルを身に着けさせる段階なんです。 異質な言語でそれができるようにするのは本当に大変なことなんです。 それをスルーして、生徒にやたらしゃべらせたって、たどたどしく英語とは全然違うイントネーションとリズムでぼろぼろの発音で生徒はしゃべるようになるだけです。そんなもの、何の実力にもなりませんよ。 音声学も英語教育法も学んだことのない松本茂教授にはそれもわからないのでしょうね。 記事の最後に「英語教育はなぜ変わらないと思いますか」という記者の質問に松本氏は「教師の問題だ」と24年前「アエラ」に書いたのと同じ教師論を話されたと書いてありました。 24年間松本茂氏は英語教育について何も学んでいません。研究もしていません。教育現場を知る努力もしていません。高校生の英語学習段階も知りません。それを知ろうとする努力もしていません。 研究も努力もしないで、いい加減な持論を展開するのはおやめください。先生方が迷惑します。高校の先生方は毎日生徒と接していますので、「高校生は英語で何ができて何ができないか」を松本茂教授よりずっとよくご存じです。 「困ったものです。」などと新聞記者にメールして記事を書かせる前に、そういう高校の先生方の意見にもう少し謙虚に耳を傾けてください。高校の先生方は大学で英語教育について専門的に学んでいます。経営学がご専門で音声学も英語教育法も学んでいない松本茂教授とは違います。私はこの新聞記事を読んで怒りで体が震えました。怒りを感じた点はこのブログで一つ一つ説明してあります。 日本語を母国語とする生徒が全く異質な言語、英語を習得するにはたくさんの練習を必要とします。 主語の次にすぐ動詞や否定語を言えるようにするなど日本人の生徒にとっては大変なことなのです。 ましてや高校で扱う複雑な文をすらすら言えるようにするなど、大変なことなのです。 先生方はそのことを毎日の授業で身をもって知っています。 もう少し現場の先生方の意見に謙虚に耳を傾けてください。      Youtube にあげられていた高校の「英語で授業」を見ましたが、ほとんどの生徒は英語で話す場面さえありませんでした。(生徒に発音は教えてない、練習もさせてない、あの頃は英語教科書デジタル化(2024年)の前だから家で英語音声も聞けない。それで生徒が英語を喋れるわけないでしょう) 「英語で授業」は教師が一人で英語でしゃべっているだけ。 そんな「英語で授業」で生徒は英語を話すようにも理解するようにもなりません。生徒の口をついて英語がすらすら出てくるようにするのにどのくらいの練習量が必要か松本茂氏は知っていますか? そんなことも知らないで、よく「英語で授業」なんか提唱しますね。

松本茂氏のティーチングプランは中学、高校で基礎を習得してからすることです。 帰国子女がなぜそれをしなくても英語ができるようになるかは、こちらのブログで解説しています。 松本茂氏は音声学をやっていないから発音習得については何も知らないでしょう。生徒に勝手にしゃべらせているだけでは発音はぼろぼろのカタカナ発音で通じません。

 松本茂氏は、「国民が支払う受信料で運営されている公共放送(NHK)」の英語番組も担当されているのですから、高校の先生方にきちんと謝罪されるのが、責任ある社会人として当然の事だと思います。  それに、何よりも、自分が実際にできないティーチングプランを新聞記者にメールまでして新聞に掲載させて何をしたかったのですか。 素晴らしいティーチングプランで、人々に自分はすごい英語教育者だと思われたかったのですか。 でも実際にできないティーチングプランなら自慢してもしょうがないでしょう。経営学がご専門で音声学も英語教育法も高校生の英語学習段階もご存じないのですから仕方ありません。 その日のご本人のブログはこちらでした。 高校の先生方は松本茂氏に新聞で非難されるような英語教育はなさっていません。 きちんと謝罪されて、ご自身の見解が間違っていたことを公に認めてください。あの記事を読んだ人々は英語教育改革が進まないのは高校の先生方のせいだと思ったままです。)


松本茂教授の提唱した授業は出来ないはずです。  その理由は、
2013年5月19日のブログ「高校生の皆さんへ」を読んでいただけば、複雑な英文の構造を高校時代に母国語でしっかり理解しなければ、英文を正確に理解することはできないとわかります。
2017年2月4日のブログ「英語の思考活動」を読んでいただけば、中学卒業程度の英語力で英文資料(高校レベルの英文)を日本語に訳さず読んでも理解できないことが分かります。
2015年4月13日のブログを読んでいただけば、「英語で」新しく学んだこと(つまり日常使っていない言語で教えられたこと)は、生徒の頭の中には残らない、ということがわかります。

つまり松本茂氏の提唱するこの授業は実際にはできないものであり、仮に行ったとしても子供たちの英語力を上げる効果はありません。 生徒の学習段階に合いませんので。  

立教大学教授松本茂氏は、自分ができないモデル授業をあたかも出来るように新聞で紹介し、日本語で授業をする高校の先生方を批判していますが、これは文部科学省有識者会議の委員として、控えたほうが良い行為だと思います。  

私は「英語を日本語に訳すのは害がある」「英語のまま理解すれば英語力が上がる」と提唱するのは偽りであり、詐欺だと石渡誠氏に言い続けてきました。  石渡誠氏は無視し続けていますが、それを認めると、謝罪や損害賠償の問題が発生するからでしょう。  松本亨氏が間違えて「日本語訳は害になる」と思いこんだことから生まれた指導法を「英語で考える指導法」と宣伝して、25年以上も生徒から車を売るほどの多額な授業料をとってきたのですから、詐欺商法といわれても仕方ないでしょう。  (実際には日本語訳を知らなかったら、初級者中級者は言いたいことも英語で表現できませんので松本亨氏の「英語で考える指導法」は全くの誤りです。)  

松本茂氏の主張も「読むイコール和訳ではない。英語で読んだり聞いたりしたことに基づいて、考え、英語で意見を言ったり、やり取りしたりすること。「英語を」学ぶのではなく「英語で」学ぶことという」と新聞に書いてありますので、石渡誠氏の主張と同じだと思います。  そして実際にはご自身もできない授業方法ですから、やはり、詐欺指導法でしょう。  18年間日本語だけで思考してきた高校生が、和訳しないで、英文資料を読んで、内容を理解できるはずはありませんし、意見を英語で言えるはずもありません。 少なくとも高校時代の私にはそういうことは出来ませんでしたし、私の息子もハイスクール一年生ではできませんでした。  大学入試の英文読解も、松本茂氏の言うように、和訳しないで英語のまま読んでいれば、意味も分かるしそれについて英語で意見も言えるようだったら、大学入試の英語で誰も苦労はしません。  でもそうやって、合格した受験生は一人もいないでしょう。  松本茂氏の教える立教大学の入試問題もそうでしょう。  英語のまま読んでいれば意味が分かって、英語で意見も言えるような入試問題ではないでしょう。 松本茂氏の言うやり方で英語が習得できるのであれば、フランス語もロシア語もアラビア語も世界中の言語はみんな和訳しないでそのまま読んでいれば、意味も分かって、それぞれの言語で意見も言えることになりますので、非常に簡単に外国語を習得できることになります。  実際にはそういうことをやっても習得できません。  松本茂氏もロシア語やアラビア語では和訳しないで読んでも意味は分からないでしょう。  松本茂氏が和訳しないで意味が分かるのは英語だけでしょう。  なぜ英語は、和訳しなくても松本茂氏には意味がわかるかといえば、最初のころ、単語の意味を日本語で学び、文法事項をひとつひとつ日本語で学び、そのあと大量に英語を使ってきたからです。  ロシア語やアラビア語でそれが出来ないのは、自分が理解できる日本語でそれらの言語を学んでいないからです。  松本茂氏は日本語で英語の基礎を学んだころのことは忘れてしまったのでしょうね。      

文部科学省有識者会議の委員が詐欺指導法を提唱していては、子供たちの英語力は上がりません。  英語教育改革は国の事業です。  税金も投入されています。  「英語で授業」の方針を打ち出してから10年が過ぎた、と書いてありますが、10年も詐欺指導法に税金を投入してきたのなら、税金の無駄遣いです。  会計検査院は、詐欺指導法に10年税金を使ってきたことを問題にすることはないのでしょうか。  詐欺指導法で英語教育改革をしても子供たちの英語力は上がりません。  私が2015年5月6日のブログに書いた通り、この指導法は失敗に終わっています。  

最初に「英語で授業」を提唱していらした、安河内哲也氏は、もはやそれを提唱はされず、今は「4技能、4技能」とおっしゃっています。  けれどもスピーキングの基本スキル(正しい発音で文章をしゃべる)の指導も学習指導要領に盛り込まないで、「4技能、4技能」と提唱されても、生徒が困るだけです。  高校生も、中学生も学校で教えてもらってもいないスピーキングのテストを大学入試や高校入試でされることになって、本当にかわいそうだと思います。  英語教育改革を先導する「英語教育の在り方に関する有識者会議」の委員が次々と間違った方針を打ち出すので、それに翻弄され、犠牲になっている今の高校生は本当に気の毒だと思います。  わからない英語で授業をしろといわれ、習ってもいないスピーキングのテストをされ、英語教育改革どころか、有識者会議の委員によって、生徒の英語力のぶち壊しが始まっているとしか思えません。

私の心の中では、渡米直後、「こんなもん、いくら英語で説明されたってわかんないんだよ」と苦しそうに私に言った息子の姿と、今、有識者会議の委員の犠牲になっている高校生の姿が重なります。  息子がそう言えたのは、相手が母親だったからです。  生徒は大人の決めたことに文句は言えません。  黙って従うしかありません。  でも、高校の先生方は「英語で授業」の方針が生徒にはできないとわかっているから、日本語で教えてくださっています。

そういう高校の先生方に対して、松本茂氏は、有識者会議の委員として、「自分は正しいことを言っているのに、言われた通りやらない高校の先生方が悪い」とお考えですか。  ご自分が提唱した授業でさえ、ご自身が出来ないのですから、もう一度ご自分の主張が正しいのかどうかお考えになってください。  「日本語で教えてもわからない生徒がいるのに、英語でどうやって理解させるのだ」という高校の先生方の悲痛な叫びに、もっと真剣に耳を傾けてください。「自分は正しいのに、言われた通りやらない高校の先生方が悪い」という「心の驕り(おごり)」を捨てて、もっと謙虚に高校の先生方のいうことに耳を傾けてください。

補足ですが、
アメリカで英語教育を学ばれた方々はあまりそれを日本で振り回さないでください。  社会全体で英語が話されている国で育つ子供と、全く英語を聞くことがない国で育つ子供に対する英語教育の仕方は違います。  英語が話されている国で育つ子供にとって、英語は「実体を持つ言語」です。 英語の言葉の後ろには生まれた時からの体験が積み重なっています。  けれども日本で育つ子供にとって、英語は「実体を持たない言語」です。  生まれてから一度もその言語で人とのかかわりを持ったことはありません。  その言葉を使った実体験もありません。  だから日本の子供たちは英語を「実体を持つ言語」つまり日本語に訳さないと理解できないのです。  こういう違いがあるから両者に同じ英語教育は出来ないのです。  「アメリカでは英語で授業をやっているのだから日本の英語の授業も英語でする」というのは、この言語の持つ実体の違いを知らない人です。  こんなことは少し落ち着いて考えれば誰でもわかることです。   

また、アメリカと日本では、小学生のころから行われている教育内容も違います。  そういうことを知らないで、ただアメリカでしている教育を日本の高校生にさせようとする主張は、おやめになってください。  小学生のころから何の指導もしないで、いきなり高校生になってプレゼンテーションだの、ディベートだのやらせても効果はありません。  アメリカ人の生徒だって、いきなりディベートをさせているわけではありません。  小学校高学年くらいから2つのものを比較して文章にまとめる。 原因と結果を整理して文章にまとめる。  自分の意見がどういうpoint of view から引き出され、その理由をサポートする事実や事例をどう選ぶか、そういういろいろな訓練をして、年齢が上がっていくとディベートの活動も入ってくるわけです。  そういうことを何にも知らないで生半可な知識で学校教育をかき回さないでください。  しかも子供たちにとっては、英語は「実体を持たない言語」なのですから、英語でプレゼンテーションだのディベートだのさせても、無意味です。  もし、本当に子供たちに「論理的に考え、大勢の人の前でわかりやすく自分の意見を発表できるようにさせたかったら、そういう指導は、

子供たちの中で、本当に言語として機能している言葉、
子供たちが一日中、思考している言葉、
言葉の後ろに子供たちの経験や思考が蓄積されている言葉、
子供たちの血となり肉となって毎日彼らの思考活動を動かしている言葉

そういう言語、つまり母国語(日本語)で練習させなければ、子供たちは日常そういう考え方や、意見の言い方をするようにはなりません。

私が外資系の会社で働いていた頃、こういう本を読みました。  当時アメリカでも女性が男性と同じように職場で認められるよう女性たちの運動が活発になっていました。  そのとき読んだ本には次のような例が書かれていました。  ある女性が職場で昇進の機会が与えられないことに悩んでいました。  同じ仕事をしている男性は何年かすると昇進していくのに自分は全く昇進の機会が与えられないと悩んでいました。  

彼女は来週上司との面接があるので、その事をどう伝えたらよいか考えていました。  それで、夫に相談して、夫に上司役になってもらい、面接の練習をしました。  彼女は「自分の仕事のクオリティーは高い。  勤務態度も極めて良いし、業務の改善などにも新しい提案をしたりして貢献している。 けれども職場で同じ仕事をしている男性のように昇進させてもらえない。 自分も男性と平等な扱いをしてほしい。」と言いました。  

それを聞いた夫が、「他の理由よりも”自分も男性と平等な扱いをしてほしい。”  ”Fair(公平)な扱いをしてほしい。” その点を前面に出して面接の時に話した方がいい」とアドバイスをしました。  彼女は夫のアドバイスに従いフェアな扱いをしてほしいと強調して、昇進の機会を勝ち取ることが出来た。  という話でした。

今のアメリカ(トランプ大統領アメリカ)のことはよくわかりませんが、1980年ごろのアメリカは人種のるつぼといわれ、いろいろな人種の人々がいました。  そういう社会ですから、「どの人もFairに扱われなければならない」ということは国民のだれもが、小さいときから学校で教えられていました。  先生方も教室で公平に子供たちに接して、子供たちはそれを見て、どの人も公平に扱われなければならないことを実際に学んで育ちました。(私はアメリカにいた時、その例を娘の友達のお母さんキャシーさん(仮名)から聞きました。  彼女は日本人とユダヤ人の間に生まれた子で、日本にいた時は、けがをするほどひどくいじめられたそうです。  でもアメリカに移住した時、彼女がやはりひどいことを言われ、泣きながら教室を飛び出したら、先生が彼女を教室に連れ戻して、クラスみんなの前で、彼女にひどいことを言った子に「キャシ―に謝りなさい。  そういうことは、言ってはいけないことです。」と指導されたそうです。  いじめた子はキャシーにひどいことを言ったことをクラス全員の前で謝ったそうです。  キャシーは、その時「私はここでなら、生きていける」と思ったといっていました。 

そういう社会で、相手に最も説得力がある理由が、「フェアな扱いをしてほしい」ということだと、この本に出てきた夫は思ったわけですね。  「フェアな扱い」という理由は、この夫婦のいるアメリカの社会では多くの人が正しいと認める理由、大義名分が立つ理由、誰も反対しにくい理由だと夫は考えたわけです。

論理的に考える、自分の意見を正しいと裏付けする強力な理由や事実を考えて選ぶこと。  こういう、「多角度から様々な要素を考慮して、自分でもまだ正解が分からないことを考えて、答えを出していくような思考の仕方」は、母国語でないとできません。  つまり、わざわざ訓練までしてやらせる意味のある「思考」というのは、母国語でなければできないということです。  英語のような学んで間もない言語では出来ません。  自分の生活で使っていない言語ではできないのです。  だから私の子供たちも宿題は日本語で考えて、考えたことを英文に訳して提出していました。  

思考の仕方とか、相手にわかりやすく自分の意見を述べるとか、そういうことは、子供が無意識でも使える言葉、子供の経験や思考といつも結びついている言葉でやらないと、こどもたちには身についていかないのです。 
 

ですから、小学校からそういう訓練をしてこないで、高校の英語の授業でいきなり「小笠原諸島の貴重な自然について和訳しないで英文を読んで、開発か自然保護か英語で意見を言いなさい」と先生が言っても、教室で手を上げる生徒は、ほとんどいないでしょう。(総合学習の形式にしたいのであっても、個々のスキルについてまったく指導していない段階では、生徒はこの”総合学習”から何も学ぶことはありません。) 高校生は和訳しないで、英文資料など理解できませんし、自分が意見を言うときの意見の構成の仕方も習っていません(アメリカではこの練習は小学校高学年くらいから始まっています。) 大勢の前で発表することにも慣れていません(アメリカでは幼稚園の時からshow-and-tellでみんなの前で発表する練習が始まります)。 そういう状態でこのような授業をしても生徒は何も学ぶことはありません。 松本茂氏はそういう教室の様子も想像できませんか。 有識者会議の委員がそんなに教育現場の様子を知らなくていいのですか。  シーンとした教室で、先生が困るだけです。  子供たちに社会生活で一度も使ったことのない言語(英語)で自然保護か開発か考えさせて英語で意見を言わせるなど、日本のどこの学校で出来ますか。   松本茂氏ご自身も、公開授業が出来ませんでしたね。  たとえやってもそんな授業に意味はありません。  シーンと静まり返った教室で、手が上がるのを待つより、日本語で分詞構文を教えるほうがよっぽど意味のある授業です。  松本茂氏の提唱する授業より、日本語で分詞構文を教えている高校の先生方の授業の方がよっぽど、意味のある授業だということです。    

「実体のない言語 - 英語 - で授業をすれば、子供たちの英語力が上がる」などということはありません。  「英語で授業」は、子供たちの発音も英語力もボロボロにするやり方です。  はっきり言って、詐欺です。  それに、日本語を母国語として育つ子供(初級者中級者)は、日本語訳と一緒に英語を覚えないと、自分の言いたいことを英語で表現することは出来ません。 これはアメリカでは起こってこない問題です。  英語だけで事足りる国では日本語訳はいりません。  そういう違いがありますので、日本でアメリカと同じ授業をすると問題が生じてきます。  こういうことを松本茂氏はご存じでしょうか。  

一国の中学校英語教育、高等学校英語教育が二つとも「英語で授業」という詐欺指導法に乗っ取られるなど、前代未聞の不祥事です。  この方針を主導したのは、松本茂氏ですか。

この10年、もし、日本で生活する子供たちに適する英語教育をしていたら、少なくとも基本的な表現については、生徒はアジアのトップレベルの発音でスピーキングをしていたはずです。  それなのに詐欺指導法を学校教育にもちこんだためにいまだに生徒はそれができません。

「英語で授業」をすれば子供たちの英語力が上がるなどといって税金を使わせるのは、詐欺です。 (反論のある方は「アラビア語だけで、アラビア語を習得してその学習記録を公開してください。  「自分は日本語訳を使ったけれど、それは害になる」などという、石渡誠氏や松本亨氏のような言い訳は一切受け入れられません。 松本亨氏も石渡誠氏も日本語を使わずに習得した外国語は実際には一つもないんですよ。 彼らは自分の空想の英語指導を提唱しているだけです。   日本中の中学生、高校生にかかわる問題です。  この子たちは中学、高校時代を終えたら、もう二度とその時代に戻ることはできないのです。  それなのに、石渡氏のように自分もやってもいない方法を「英語で考える指導法」などと称して学校教育に持ち込むのは許されないことです。  そんなもの、ただの松本亨氏の勘違いだったのです。  自分は日本語訳を使ったのに、「それは害になる」と自分で勝手に事実を否定しただけです。  石渡誠氏も同じです。  そして、日本語訳を使わない魔法のような方法があたかも存在するかのように「英語で考える指導法」と宣伝していたのです。  これは詐欺です。)
  
松本茂氏は「英語で授業」という詐欺指導法を英語教育改革と称して主導してきたご自分の責任をどうお考えですか。生徒の前に立って教える教育者が間違った教育方法を主張して、日本中の高校生にやらせて、謝罪もせず、責任も取らず、知らんぷりしていていいのですか。 あなたは生徒の前に立って教える教育者なんですよ。   

松本茂氏は、正しい英語教育を受けられないまま卒業していった中学生や高校生のことをお考えになったことがありますか。  松本茂氏は彼らに取り返しのつかないことをしてきたのですよ。  中学時代に正しい英語教育をしていれば彼らは今頃ネイティブ発音で話していてもおかしくなかったのに、そういう教育をしてあげられませんでした。  私は最近は4月になると気が重いです。  今年の新中学一年生もネイティブ発音にしてあげられないのか、と思うと気が滅入ってきます。  日本人がそこらじゅうで、ネイティブ発音で英語を話すようにすることだって、出来るのに。。。。。なんで、何年もそれが出来ないまま過ぎていくんだ。  CDぐらいつけてあげればいいでしょうが。  生徒をネイティブ発音にしたいのでしょう?(今はCDより、MP3の方がいいのでしょうか? とにかく音声モデルをつけてください、ということです)中学生をネイティブ発音にする方法は「期間は2年かかりますがやり方は簡単」です。 なぜ簡単なのか、といえば、中学一年生の「優れた耳の力」を利用するからです。  2018年3月8日のブログに書いてあります。 

立教大学教授松本茂さん、詐欺指導法の犠牲者が「大人にものを言えない子供だから」知らんぷりしていていいわけではないのですよ。あなたは、生徒の前に立って教える教育者なんですよ。  

世界の国々の中には国際社会での生き残りをかけて戦略的に教育を行っている国もあります。  それなのに日本の英語教育改革は実現不可能なことばかり唱えています。  これでは到底太刀打ちできません。  こんな英語教育改革の提言に10年間も国家予算を投入してきたのですか。

英語教育改革が進まないのは方針が間違っているからです。 以下の通りです。

(1)文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 は全く効果がない。 (理由は2017年10月12日のブログ)
(2)現在、高校生が行っている「英語で授業」は効果がない。  (理由はこちら
(3)「CAN-DOリスト形式」は効果がない。 (理由はこちら
(4)「4技能」は効果がない。  (理由はこちらこちら
(5)入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの(理由はこちら
(6)現在、小学校の英語教育で子供たちが話しているのは、英語の発音ではない。 (理由はこちら
(7)大学教育を英語で行うと日本の学問は壊滅的な打撃を受ける。 (理由はこちら

上記の項目の中にどれか有効な方法がありますか。
アメリカでやっている英語教育をそのまま日本でやらせても、日本人の英語力は上がりません。

私は、2015年5月6日のブログで「英語で授業」は失敗します。 失敗の現れ方は「ゆとりの教育」より早く、「ゆとりの教育」より顕著にわかる形になります。」と述べました。  そして失敗した時は「英語で授業」を学校教育にもちこんだ方にその責任を取っていただきましょう。と書きました。  失敗が確定したようです。  「英語で授業」を主導したのは、立教大学教授松本茂氏ですか。  

生徒の発音も英語力もボロボロにする「英語で授業」の方針を学校教育にもちこんだ人の責任は重いと思います。 教育者でしたら、その責任に知らんぷりしないことです。



私はこの朝日新聞の記事「(英語をたどって8:2)「英語で授業」本当の意味は」を読んで非常に驚きました。  「高校生に小笠原諸島の貴重な自然について英文資料を読ませて和訳しないで理解が出来て、英語で意見も言える」と本気で思っている大学の先生がいることに衝撃を受けました。 その衝撃は、私の体の中でアラーム(非常ベル)がなるような強烈な衝撃でした。  

「英語教育改革を主導する大学教授がここまで現実の高校生の英語学習段階を知らない」 

「何かおかしい」そう思った時は、必ず何か重大な原因があります。  それで、松本茂氏の経歴を拝見させていただきました。  

松本茂氏は、大学で「経営学」を学ばれて、アメリカの大学院で「コミュニケーション教育学」を学ばれたそうですね。  「コミュニケーション教育学」というのは英語の発音や文型を教えることではありませんね。  コミュニケーションについて教えることですね。  そして日本の大学院で「国際社会文化」を学ばれています。 ということは、松本茂氏は「発音や文型など英語力そのものを教える英語教育については大学で全く学んでいない」ということですね。(英語教育法や音声学を学んでいない)  だから高校生の英語力のレベルも具体的に知らないのですね。  中学高校の教科書を共同執筆されていますが、ご自身は、大学で「英語教育」を学んでいませんね。   

だから英語教育改革と言って、こういう生徒の学習段階を無視した突拍子もない高校の授業を提唱されるのですね。  はっきり言って、この授業は高校生の英語力向上には全く役に立ちません。  その理由をこれから説明します。


下の図は、私がいつも言っている英語習得の過程を子供たちの年齢を追ってまとめたものです。


A―――――――――――B―――――C―――――――――――D
(中学・高校の英語指導)  (大学1、2年) (大学3年生以降)

AからBまで(中学高校)は、まず、英語そのものを習得する時期です。  
1.発音を習得させ、2.語順の通り、正しく構文を取って英語圏で大人が読む文書も正しく読める英語力を養成します。

Bで、大学に入学します。2年間位、英書を用いて、大量のインプットを行います。

CからDまでは大学3年生以降の英語活動です。  この英語レベルなら、英語でエッセイを書いても英語でディスカッションをしても、ある程度意味のある活動が出来るようになります。
松本茂氏は、新聞記事の中で「英語を」学ぶのではなく「英語で」学ぶこと。とおっしゃっていますが、AからBの区間の生徒、つまり中学生高校生は、まず「英語を」学んでおかないと「英語で」学ぶことはできません。  「フランス語で」学ぶためにはまず、「ブランス語を」学んでフランス語の意味が分かるようにしなければならないのと同じです。

ですからこの時期の生徒はまず、「英語を」学ばなければなりません。

松本茂氏が主張するように「英語で」学ぶことが出来るのはC地点を過ぎて、英語をある程度自由に使えるようになった生徒です。  つまり、松本茂氏の提唱している「英語教育」はC地点を過ぎた人が対象であり、AB間の生徒、つまり、中学生、高校生には出来ないということです。
現在文部科学省が日本人の英語力を上げようと行っている英語教育改革は生徒の英語力を上げることが最も重要な課題だと思います。  そのためには、AB間、つまり中学高校の英語の授業が主な対象になります。(私が小学校での英語教育を考えていない理由はこのブログの最後に書いてあります。)
松本茂氏の提唱する教え方は上の図のC地点を過ぎた生徒が出来る内容です。 つまり、英語力を身につけた後に、生徒が出来る活動です。 英語力そのものの習得には使えない方法です。中学生、高校生にはできない授業のやり方です。  

松本茂氏ご自身も英語力そのものを生徒に習得させる教育法を大学で専門的に学んでいらっしゃいません。   ですから、具体的に中学生高校生の英語力を把握していません。  その結果、松本茂氏ご自身は自分の頭の中で中学生、高校生の英語力を想定して、改革を考えています。  ですから、高校生が「小笠原諸島の自然について英文を読んで開発か環境保護か英語で意見が言える」と思うのでしょう。  けれどもこれは、相当現実からかけ離れた高校生の英語力です。    

高校の先生方は、英語教育を専門的に学ばれていますので、分詞構文を教える時期の生徒の英語力がどの程度かを正確に把握しています。  ですから、こういう授業は無理だとすぐにわかります。 「英語で授業」では、生徒の理解が不十分になり、支障をきたす、と知っています。

松本茂氏が新聞に書かれているような授業を高校の教育で提唱するのは、ご自身が高校生の英語力を正確に把握できないからです。 英語教育を専門的に学んだことがないから高校生の英語力のレベルが具体的にわからないのです。   

英語教育では、新しい文法事項はやさしいものから難しいものへ一つずつ段階を踏んで教えていきます。  一つ一つの文法事項が生徒によく理解され、定着するようにするためです。  例えば、現在完了と仮定法を一緒に教えるようなことはありません。  ですから、教えてもいない文法事項がたくさん使われている文書を読んで意見を英語で言わせるような授業はやりません。  これは中学、高校の先生方にとっては当たり前のことです。

松本茂氏の提唱する授業は、大人が使う英語力の習得が終わった人のすることです。  C地点を過ぎた人がすることです。  AB間の中学、高校の生徒には、出来ません。  松本茂氏は大学で経営学を専攻されたそうですね。  でしたら音声学も学ばれていないと思います。  文部科学省はコミュニケーションに重点を置いた教育と言っていますが、まず最初に発音が通じなかったら、コミュニケーションは成立しません。  中学生の英語はまだそのレベルです。  まず、耳と口を使って音を教える段階です。  私はこのブログを書くにあたって、松本茂氏が書かれた「生徒を変えるコミュニケーション活動」という本をざっとですが、読みました。  中学1年生から高校1年生までの英語の授業で何をするか書いてありました。  英語に慣れさせるため「授業は英語で行う」とも書いてありました。  けれども、その程度のことでは生徒は全然英語には慣れません。  また、正しい発音が生徒に定着するには2年位かかりますが、それを行わず、生徒が作った文で勝手にしゃべらせていると、生徒の発音は自己流でボロボロになります。  松本茂氏は大学で音声学も学ばれていませんから、お分かりにならないと思いますが、こういうやり方では生徒の発音は自己流でボロボロになります。 通じない発音ではコミュニケーションも成り立ちません。  全く役に立たない授業です。 知らないことについて大学の先生が本を書いて提唱されるのは無責任です。

英語教育を専門に学ばれている先生方が出来ない指導法(英語で授業)というのはやはり問題があるのです。  そういう方針を英語教育改革として提唱しても先生方はついていけません。  松本茂氏のように英語教育について専門的に学んでいない人の決めた方針に従わなければならないのでは、中学高校の先生方があまりにもお気の毒だと思います。  やらなければ、また、「やらない」と批判されますし。

私は松本茂氏の名誉を傷つけるつもりはありません。  「AERA」(朝日新聞出版)5月13日増大号に、松本茂氏の大学のことが松本茂氏のコメントと共に掲載されたそうですから、C地点を過ぎた人が学ぶ大学で、優れたご指導をなさっているのだと思います。

ただ専門的に英語教育を勉強していない人、実際の高校生の英語のレベルも知らない人が、英語教育改革の方針を立案されるのはどうなのだろうか、と思います。  対象となる生徒の英語力を知っているからこそ、どこを強化すれば生徒の英語力が向上するのかもわかります。  これを知らない人が作った教育方針は失敗します。

(A)「英語で」何かを学ぶ指導と(B)英語そのものを習得させる指導は、まったくちがいます。  「英語で」学ばせておけば、英語が身につく、ということはありません。 私はアメリカで2年間そのことは嫌というほど知りました。  

英語教育を学んだことのない人が、対象となる生徒の英語のレベルも知らないまま作った英語教育改革の方針に、現場の先生方が従わなければならないのでは、先生方もお気の毒だと思います。  

この新聞記事で、松本茂氏は「目の前で展開したのは「分詞構文がどうこう」と教師が日本語で説明する従来型そのもの」と批判していますが、分詞構文を日本語で教えることを批判する人の提唱する英語教育改革には誰もついていけません。  私はアメリカにいても2年間も日本語で子供達に英語を教えていました。

母親というのは本能的に自分の子供を守ろうとします。  子供が苦しい状況に置かれると無意識にでも、子供の苦しさを軽減しようとします。  アメリカに親の都合で連れて行った子供が授業についていけなくて苦しんでいたら、 最も彼らに役立つことを必死にやります。  それが日本語で英語を教えることでした。  英語のまま教科書を読んでも、彼らは何もわからない。  それが、ひしひしと分かりました。   英語のまま読ませていれば日本語で説明するより早くわかるようになるのでしたら、私は真夜中まででも息子に英語のまま教科書を読ませていたでしょう。 

日本語で分詞構文を教えることを批判する人の提唱する英語教育改革には、誰もついていけません。  「英語で授業」が出来ると思うのは、松本茂氏が「発音や文型など英語力そのものを中学生、高校生に教える」英語教育について、大学で専門的に学んでいないからです。 専門的に学んでいないことについて、口を出すのはおやめください。  現場の先生方がお困りになります。  生徒もかわいそうです。  こんな授業では、子供たちには発音も英語力も身につきません。




余談ですけれど、この朝日新聞の記事が載った日に、松本茂教授のブログを読んだ私は呆れてしまいました。 新聞に載った自分の写真が若く見えると喜んでいるようでは本当に日本の英語教育を心配して新聞記者に記事を書かせたわけではないですね。  大学教授の自己顕示欲のために事実無根の罪で新聞で批判される高校の先生方はたまったものではありません。 松本茂立教大学教授はもっとまじめに英語教育に関する有識者会議の仕事をしたらどうですか。 松本茂教授は高校の先生方に正式に謝罪しないのですか。 朝日新聞の記者にメールを送って、間違った根拠に基づいて先生方を非難する記事を掲載させたのですから、正式に謝罪するのが、責任の取り方ではないのですか。 松本茂教授は、立教大学のグローバル教育センター長をなさっているのですね。 そのような責任のある地位にいる方が、間違った根拠に基づいて先生方を批判する記事を朝日新聞に書かせて、謝罪もしない、というのは問題だと思います。高校の先生方は悪くもないのに非難されたのですよ。 謝罪するのが怖いから知らんぷりしているというのは卑怯です。 非難するときだけ、自分もできもしない華々しい授業を掲載させて、間違っているとわかったとたん知らんぷりというのは卑怯です。 しかも、高校の先生方は「日本語で教えてもわからない生徒がいるのに、英語でどうやって教えるのだ」と松本茂教授の間違った主張のために非常に苦悩されてきたのですよ。  それだけでも謝罪するべきなのに、朝日新聞の記者にわざわざメールまで送って高校の先生方を非難する記事を書かせたのですから、きちんと謝罪して高校の先生方の名誉を回復する責任があります。 先生方を自分の自己顕示欲の道具に軽々しく使って、自分はこんなに華々しい授業が出来るんだ、と言いたかっただけでしょう。 実際にはできもしない授業なのに。 松本茂教授が若く見える新聞に載った自分の写真を楽しんでいる間中、先生方は生徒の英語力が上がらないのはまるで先生方が悪いからのように世間に思われていたのですよ。松本茂教授が正式に訂正、謝罪しないから、今でもそう思っている人はたくさんいるでしょう。 高校の先生方にきちんと謝罪してください。 それからこの記事の最後に「なぜ(教育が)変わらないと思いますか。」という朝日新聞の刀祢館正明記者の質問に松本茂氏が「先生は英語が実際に使われている現場を知らない」「(教師が)英語が苦手だったり嫌いだったりする生徒のことは実感として分からないのでは」と24年前と同じ答え(教師論)をされた。というくだりがありますが、24年も英語教育の問題点を教師のせいだと思っていた、というのには、あきれました。 松本茂教授は「英語教育」に対する不勉強もはなはだしい。 そうやって、24年も、高校の先生方を馬鹿にしてきたから、こういう記事を書かせるのでしょう。実際に英語が使われている現場を知ろうが知るまいが、「日本での」英語教育に変わりはないのですよ。アメリカ人ばかりの学校にいる子だって日本語で教えなければ英語なんか理解できないのですから。 松本茂氏は24年も高校の先生方を馬鹿にしてきたから、こういうことが何の抵抗もなくできるのです。 批判されるべきは高校の先生方ではなく、松本茂教授ご本人の英語教育に対する研究の怠慢ではないのですか。 「自分は実際に英語が使われている現場を知っている」だから英語教育を知っていると思い込んで、英語教育に対する研究を怠ってきた松本茂氏の方に問題があるのです。 高校の先生方にきちんと謝罪してください。 立教大学教授であり、立教大学グローバル教育センター長であり、立教大学では責任ある仕事をなさっているのですから、自分のしたことに対してきちんと責任を持ってください。 高校の先生方が間違ったことをしていないと人々に示してください。 それとも、自分が傷つくのが怖くて人々に真実も話せませんか。 高校の先生方を悪者にして、自分は傷つかずに済ませるおつもりですか。大学教授は傷つけられてはならないが、一般の高校教師は罪を着せられてもかまわないと松本茂氏が考えているからですね。 それは卑怯なやり方です。 「立教大学教授」であり「立教大学グローバル教育センター長」であり、国の「英語教育に関する有識者会議」の委員もしている大学教授がすることではありません。 松本茂立教大学教授は高校の先生方に謝罪してください。  高校の先生方に対してそんな「上から目線」で有識者会議の委員の仕事をしているのですから、英語教育改革などうまくいくはずありません。 英語教育がうまくいかないのは高校の先生方のせいではありません。 うまくいかないのが高校の先生方のせいだと24年間も思っていたなど、松本茂氏は勉強不足も甚だしい。松本茂氏は英語教育に関して、24年間何の勉強もしていない。 何の進歩もしていない。 松本茂立教大学教授は、まずその認識を改めて、高校の先生方に謝罪してください。


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お知らせ

2016年6月から行いましたネット上セミナーのブログにある音声ファイルが、現在聞けない状態になっています。  はてなダイアリーからはてなブログに移行した際の私の不手際によるものだと思います。  現在音声ファイルの復元を試みておりますが、子音の日本語化を防ぐ練習の音声ファイルはホームページの「通じない日本人の発音」のページでお聞きになってください。 現在あまり目の状態が良くありませんので(ブログについても原稿は紙の上で完成させて、少しずつパソコンに入力しました。)パソコンの画面を長時間見ていることができません。  それで復元がいつできるか、わかりません。  ご不便をおかけして申し訳ありません。

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私が小学校の英語教育を考えていない理由を簡単にお話しします。
日本人が国際社会で生き残っていくためにはそのための教育を限られた時間で効率的にしていかなければならないと思います。  生き残るためには、英語だけ勉強していてもだめです。  英語力があっても、(1)大勢の人の前で、堂々と話すことが出来なかったら(自信なさそうに話していたら)説得力に欠けますし、(2)賛同を得ることが出来る根拠を提示して意見を述べなければ、たくさんの国が集まったときに、自国の利益が守っていけません。  ですから英語力だけでなく、そういう訓練もしていかなければならないと思います。  そして、そういう訓練は小さいときから母国語でやっていかなければ身につきません。 上に書いた通りです。  小学校ではそちらの指導をしたほうがいいと思っています。

シカゴにいたころ、日本で有名な画家の姪御さんと友達になりました。  「川合さん、毎週火曜日に私の家に来て一緒に油絵をかかない?」と誘われました。 油絵など描いたことがなかったので、お断りしたら、美術学校を出た友達も来るから、教えてくれるから大丈夫よ、といわれ、教えてもらいました。  楽しかったので、帰国後私は週に1度、美大を退職された先生のアトリエで油絵を習うことにしました。 油絵は次にニュージャージーに赴任することになる2002年まで8年間、習いました。  生徒は5人ほどいて、その中に大学で都市計画を教えていらっしゃる先生がいました。  国際機関からの仕事もたくさんなさっていました。  当時発展し始めたアジアの国々でよくお仕事をしていたようでした。  その方が、次のようなことをおっしゃったことがありました。「インドやパキスタンの人たちは、絶対に自分の言うことは通すんです。  何を言われても最後まで絶対に通すんです。  我々の間では、「インxx」って言って、それは有名なことなんですよ。」とおっしゃいました。  (xxのところはパキスタンの国名の最初の2字が入ります。  こういう言い方が、適切かどうかわかりませんので、xxにしました。)  
私は先に、「小さいときからプレゼンテーションや人を説得するタイプの小論文で自分の意見が正しいと訴える方法を訓練している国民がいる」と書きましたが、訓練していなくてもこの先生がおっしゃるような国の人々もいるわけです。  こういう人たちが集まる国際社会に私達の子供たちが何の訓練もしないで出て行ったら、全く無力になってしまいます。  例えていえば、鎧(よろい)、兜(かぶと)、剣(つるぎ)で武装した人に、なんの訓練も受けず、素手で対戦するようなものです。  大人になって「人前で意見を言いなさい」といわれても日本人はなかなかできません。  せめて、堂々と意見を言う練習くらいは小さい時からさせたほうがいいと思います。  こういうことは練習量の問題ですから、場数を踏ませる以外ありません。

また、小さいころから自分の意見の根拠となる事実や事例を持って考えることになれていたら、話し合いの時に新しい局面に突き当たってもそこでまた必要な手順で考えていくことが出来るでしょう。  ですからそういう考え方が成長とともに年齢相応のレベルで出来るように教育するのも大事だと思います。  思考が発達していく小学校高学年くらいから少しずつさせていけば無理なく身に着けることが出来ると思います。  小学校では母国語でそういう練習をしたほうがいいと思います。  大きくなってからでも、そういう練習はできないとは言いませんが、やはり、大人の思考に入っていくその時期から少しずつ行っていくほうが、そういう考え方になじんでいけると思います。  発音を含めて英語の基礎の習得は中学校3年間で出来ます。  3年で出来るものを小中7年もかけることはないと思います。
以上が私が小学校での英語教育を考えていない理由です。

補足ですが、
私は自分の子供が小学校、中学校、高校でバイリンガルになるのを見ました。  そこで気づいたのは、帰国子女の英語は、日本に帰ってきたら、「自然に大人の英語にはならない」ということでした。(だから小学生のころ海外で過ごしたけれども、大人になったら英語はできない、という帰国子女も多いのです)  つまり、年齢相応の英語を話すためには、常にその年齢で英語を勉強していなければならない、ということです。  ですから、小学校で英語を習っても、それから大人になるまでずっと年齢相応の英語を勉強していかなければならない、ということです。  小学生で習う英語は中学生の初期に習う英語でカバーできますので、何もそういう初期の英語に4年もかける必要はないと思います。  「小学校で学べば発音が良くなる」という人もいますが、2015年8月30日のブログ文部科学省の方針(小学校から英語の授業)を実施したので、小学生がカタカナ発音で話しています(1)」を読んでいただくと、小学生の発音はちっとも良くないのがお分かりになると思います。 (臨界期仮説は母国語並みの英語のインプットがあった場合を取り上げています。  週に数時間では「自然に」ネイティブ発音にはなりません) それなら、中学生で「意識的に」発音を身に着けさせた方がいいと思います。 やり方は2019年3月8日のブログに書いてあります。(真ん中より後ろの部分。「中学生の耳の力を使い。CDを用いて中学3年間、英語の発音そのものを文章のまま徹底的に子供たちの頭と口にコピーする」と書いてある部分です。)  おそらく小学校からの英語教育を提唱する人は、正しい英語の発音とカタカナ発音の区別がつかない人だと思います。 音声学を学んだことがない人だと思います。  つまり、大学で英語教育を専門に学んだことのない人だと思います。  正しい英語の発音とカタカナ発音の区別もつかない人が英語教育を論じるのは止めていただきたいと思います。  めちゃくちゃな発音で英語をしゃべらせるのは無意味です。  そのために使う時間も無意味です。  正しい発音とカタカナ発音が聞き分けられない人にはその無意味さも分かりません。  英語教育を論じるのであれば、少なくとも「カタカナ発音」と「英語の発音」の区別がご自身で出来るようになってからにしてください。  特に日本人の場合は「発音が通じない」ということが大きな問題ですから、この問題を認識できない、つまり、「カタカナ発音と英語の発音の区別できない人」には、日本の英語教育の問題点を解決する方法はわかりません。  発音は英語教育の最も基本的な学習事項です。  基本学習事項も習得出来ていない方は、英語教育に口をお出しになりませんよう、お願いいたします。